2018-05-12

嘘松と疑う基準はどこにある?

体験談を語る内容の増田togetterなどがホットエントリ入りすると「嘘くさい」「嘘松」「釣り乙」ってブコメが付いてる時がある

でも同じ様な内容でも嘘松乙的なブコメが付かない時もある

この差ってなんなんだろう?

最初ブコメを付けた人の価値観的に受け入れがたい内容だったからなのかなぁと思ってた

特に男女間の問題家族問題についての体験談は、読む人の価値観によっては全く受け入れられない内容もあると思ったからだ

受け入れがたい内容だから、その体験談嘘松認定する事で、自分価値観に異なる価値観が混ざる事を防ごうという心理が働いているのかなと思っていた

しかし、必ずしもそういうものでもないらしい

では嘘ではないかと疑う基準はどこにあるのだろうか?

個人的には書かれた体験談の内容ではなく、文章の書き方が重要なのではないかと思っている

同情しやすい、共感を集めやす文章は、それがどの様な内容でもあまり疑われない

必ずしも上手い文章である必要がある訳ではないらしい

逆に整った文章である事を根拠創作であると疑う人もいる

かといってあまり稚拙な、細切れになったり内容がとっちらかったりしている文章は、そもそも読んで貰えない

本意は別のところにあったのかもしれないがそれは伝わらず、稚拙文章のものや、表面的な部分で反感を買って炎上してしまうケースもある

共感を集めやす文章であるか、否かが、自身体験を嘘だと疑われずに受け入れてもらう為の条件になっているのかもしれない

容姿境遇性差などで同情を集めやすい人と同情して貰えない人で格差があるという話は定期的に話題に上っている

いわゆるキモくて金のないおっさん絡みの話なんかもその類だと思う

しかし、ネット匿名発言する限りは、自分から明かさない限りその人の容姿はわからないし、貧乏か裕福かも分からない

その人が共感して貰うには、その人が書いた文章共感や同情を集めやす文章であるか否かが重要な要素になると思う

という事はネット上においては、共感やす文章を書ける人と書けない人の間でも格差があると言えるのではないだろうか

  • 嘘松

  • 俺は、小学生のころ、プールで泳ぐ恐竜をみたことがある。 と書くと嘘松だが、 俺は、小学生のころ、プールで泳ぐ恐竜をみたと錯覚したことがある。 と書くと信ぴょう性がある...

  • 自分の場合は書き言葉と話し言葉の違いがわかってないのが 会話文に出ちゃってるとああこれは創作だなってわかっちゃうというのが一つ あと自分が当事者だったとしたらあまり表に広...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん