はてなキーワード: 握りつぶすとは
新幹線の事件で「もう家族ではない」というコメントが出たとか祖母に預けられていたとかいう記事が出ていたり、大言壮語して何もしないアラサーニートを殴りたいという増田があったりして、他人事に思えなかった。当方アラサーニート。
社会は優しくて、問題を起こしても「お前は底抜けに知能が欠けているが、悪気はないから仕方がない。何か困ったことがあれば助けてやる」という態度でいてくれた。小学生の頃にはDQN(他に語彙がない、申し訳ない)がいきなり凄んできて囲んでゲーセンに連れていかれ、遊ばされたこともあった。彼らは勝手に危ない所へ連れて行き、家の金を使ったと罪まで被ってくれたりもした。つまりそれほど目に見えて社会から隔絶され、おかしな考え方をしていて危険な状態にあるということが小学生 ── 低学年だったと思う ── から見ても明らかで、彼らは同じ人間として救わなければいけないと考えたわけだ。それは一回きりで、おそらく決定的に何かを変える効果はなかった。
家では、成功も失敗も、軽重に関わらず何がしかの交換材料として扱われた。ほとんどすべては定性的で、失敗の原因はすべて単なる怠惰であって努力を人並みに戻せばよいもので、成功は何らかの権威の成果ということになっていた。お前の努力の結果ではなくカネが注ぎ込まれたから成功したのだとか、だから喜ぶ前に感謝をしろとか、あるいはこの前の成功は面白かったのだから次はもっと面白い成功をしろとか、この前の関係のない成功がこれに繋がったのだからよく考えて喜べとか、記憶に残ることは常にねちねちと引き合いに出された。成功と失敗と言っておいてほとんど成功した時の反応の話だが、不都合なことを告げた時に何が起こったのかは、覚えていないのかもしれない。新幹線の犯人/容疑者が祖母に言われていたという、社会は厳しいんだとかお前は穀潰しだとかいうようなことと似たようなことを言われていたのかもしれない。常にお前は天才でありかつ社会は厳しいのだからだめな人間だと言われ続けていたような気はする。
結果が出る前でも、何か行動をしたり計画を立てたりすると厳しい批判に晒され、監視され、常に望ましい形に修正させられた。最終的な成果よりも、行っている方法が一見して正しいこと、過程でも承認欲求への分け前があることを求められた。学生のうちはお前の仕事は勉強することだと言われ続けたが、この勉強することというのは明快に勉強道具を扱っている姿を見せることであって何らの定量的結果を出すことではなかった。だから道具を開いて時間が過ぎるのを待つとか、これは暇潰しであって計画の遂行ではないと言い訳しておくとか、成功のように見えるが小規模な失敗であって取り上げるに値しないと報告するとか、これは多少の戦略的転進であってやはり取り上げるに値しないと上げるか、これは見て分かる通りこういう結果だが結果を正しく判定するには更に時間と手間がかかり説明は困難だと返すとか、あるいは説明を放棄して起きたことはすべて握りつぶすとか、とにかく餌を与えず介入する余地も見せない工夫が必要だった。
中学の時には級友から「なぜお前は何をするにも次々予防線を張るんだ」と言われたこともある。既に直す動機もなかったし、何を予防線と言っているのかもほとんど理解できなかった。
大言壮語しておくのは、本当に結果を求めるよりも安全だった。実感の薄い遠大な目標と、ふわっとして中身のない成果、手頃感のある予算規模は、例えその先に崖しかないとしても、もっとも輝ける道だった。
日本的大企業の製品の欠陥だとか、業績不振のニュースとも被って見える。身の丈を外れたハイエンド志向、複雑で意味不明の設計、一見して分かる製造品質。ハイエンドを志向しておけば言い訳が立ちやすい。成果が難解なほど叱責を免れやすい。見た目を磨いておけば体裁が整いやすい。そういう製品を使おうとは思わないが、その舞台裏に書いてきたような苦しみがあるとすれば、共感できる。
社会は手を差し伸べ続けてくれたが、握り返すことはできなかった。今でもできない。彼らは同じ人間として助けようとしているから、「困ったことがあれば」という留保があり、自我の確立しない緩やかな自殺志願者は助けられないのだ。人類の進歩と調和のために今必要だとか欲求を充足することに理屈は付けられるが、そこに主語を与え、理屈を実践する主体が自分であることを必要とするのはエゴなんだ。強い動機を育てられなかった人間は、一体どうすればいい? 社会はこの使い道のない人間の個体をどう加工し、使役し、どんな成果を取り出してくれる?
何か希望することが許されるなら、それを教えて欲しい。
過労死問題の遺族会の代表者が安倍総理との面談を望んでいる件。
昨日の福島みずほさんの質疑で、安倍事務所だけでなく、福島議員も仲介して、官邸との仲介を内閣総務官室に依頼するFAXを送ったけど、安倍さんに伝わっていますか、という質問に、「事務的に受理した」、「厚労省がしっかりと対応する」をひたすら繰り返していた、原内閣審議官。1日明けて安倍さんに伝わっただろうか・・・。
精査して再度提出された労働時間等総合実態調査(2013)にまだロジカルにおかしい異常値が残ってるらしいんだけど、急いで月曜日に再提出されるそうです。急がなくていいんで、ゆっくり確実にやってから労政審にごめんなさいしてもう一回答申出してもらうべきでは。
安倍さんが会うか会わないかはご判断でしょうけど、ロシアのスケート選手に犬を上げるのに同席しようっていってる人は、目玉法案の懸念事項、去年の働き方改革とかいうのの端緒になった高橋まつりさんのお母さん含めて、家族会の人たちと面会しないとしたらちょっと多忙を理由にするのは難しいんじゃないかな。
「原審議官においでいただきましてありがとうございます。5月16日に、過労死遺族会の代表者の方が、安倍総理に面会依頼をされています。で、安倍事務所に申し入れをした、また福島(みずほ)議員にも仲介の申し入れをされた、申し入れですね、面会の申し入れをされています。私も昨日、参議院の厚生労働委員会を拝見をしておりました。その中での御答弁、原審議官の、中では、”官邸で受理をした”というふうに伺っておりますが、そこは間違いはないでしょうか。確認をさせてください」
原
「お答えをいたします。ご質問の、ご依頼については、5月16日の午後9時頃に受理をさせていただいたところでございます。官邸として、組織として受理をさせていただいているところでございます。官邸にも届いているということでございます」
「そうしましたら、それは総理のおみみには報告というかきちんと入っているのでしょうか」
原
「お答えをいたします。官邸として、組織として、受理をさせていただいているところでございます。全国過労死を考える家族の会の声には、政府として十分に受け止めたいと存じます(でも高プロは引っ込めません!)」
「組織として受理しているのは、もう最初の質問でわかっているんです。私が聞いているのは、総理に、安倍総理にきちんと報告をしているのかと言うことです」
原
「繰り返しになりますが、官邸として、組織として、受理をさせていただいているところでございます。」(蘇る昨日のリフレイン)
(約10分後)
原
「関係するところには渡っているようにしてございますが、総理本人に渡っているかは確認してございません」
「関係しているところというのはどこの部署でどなたのことでしょうか」
原(委員長に指名されるも席を立たないので、委員長に促され、)
「家族会にも今の現状、お返事をされていないと言うことですよね。総理にも伝わっていない。資料にもつけましたが、家族の会の方の依頼文を読んで、なぜ報告していないんでしょうか(忖度力が試されているから)。ここにですね、中段からですが、”過労死で家族を失って、地獄の苦しみを味わうのは私たちだけで沢山です。過労死の防止のために全人生をかけて活動しております”、今どういう局面にあるのか想像がつきますよね(高橋まつりさんのお母さんのtwitterとか焦りがすごく伝わるよね)。そして”私たちの声を直接お聞きいただきたく、面談を切にお願いを申し上げます”。5月の22日までにお時間を頂戴できれば”。このような依頼を受けて、止めているということなんでしょうか。総理にはいつ耳に入るのでしょうか。」
原
「家族会の方々の声というのは、政府として十分に受け止めさせていただきたいと思います(でも高プロは引っ込めない)。いただきましたことについては、どうのように回答するかも含めて早急に考えてまいりたいと思います。」
「今、考えてまいりますとおっしゃいましたけど、総理が考えるのではなくて、審議官が考えるんですか?総理に会いたいということを、総理に報告もしないで、組織として審議官の段階で、握りつぶすんですか?」
原
「私のところというわけではございませんで、組織としてしっかりと受け止めさせていただいたので、全体として、しっかりと考えさせていただきたいと思います。」
「即刻の対応が必要だと思います。昨日の答弁で、厚労省の管轄だからという答弁をされていました。もう一度確認しますが、総理に報告して、面会をセッティングされるおつもりですか?それとも昨日のように、これは基本的に厚労省の分野だから、ということで、厚労大臣に返すんですか。」
原
「繰り返しでございますが、家族会の方々の声というのは、政府として十分に受け止めさせていただきたいと思います。その上で、所管であります、厚生労働省においてご対応いただきたいと考えております。」
「とてもおかしいと思います。この働き方改革は、総理の肝いりの法案ですよね、今国会何がなんでも通すと。そして施政方針演説、昨日、福島議員もお話になっていましたけども、今日は資料もつけております。ご覧ください、資料の8ですけど、”きちっと結果を生み出す働き方改革をみなさんと一緒に進めていく”と言ってるわけですよね。そして新聞報道でもありました。高橋まつりさんのお母さんとお会いした時の、これは資料7についてますけども、安倍総理はですよ、”涙ぐみながら聞いて”そういう風に聞いていたということ、これは不誠実ではないでしょうか、”二度と悲劇を繰り返さないように長時間労働の是正に取り組む”と、こう言ってるから総理に会いたいんでしょう?なのに総理に会わせないつもりですか、もう一度ご家族に対してのレスポンス、また総理との面会を保証していただけるのか、その見解を含めてご回答いただきたい」
原
「レスポンスにつきましては、早急に行いたいと思います。家族会の方々の声というのは、政府として十分に受け止めさせていただきたいと思います。その上で、基本的に所管の厚生労働省で対応いただくべきものとこう考えております。」
「会わせないような口実にしか私には聞こえません。これは即刻、報告すべき問題ですよ。担当の加藤厚労大臣には、ご家族の方、お会いしてますよね。家族会の皆さんとお会いされてます。16日の厚生労働委員会でも、加藤大臣は懇談されたと。(略)加藤大臣とあったけども、高プロの削除等ですね、要望が、この委員会を通しても、前にすすめられてないと。総理に報告をして、早急にレスポンスを、22日までにということであれば、今日は金曜日ですよ、月曜日に報告をする、月曜日に返答する、なんてことはありえないと思います。今日必ず総理に報告をして、お返事を、今日、現在のところ、という話ばっかりじゃないですか、お約束をさせていただきたいと思いますがいかがでしょうか」
原
「早急に、今ご指摘いただいた点も含めまして、早急に対応したいと思います。」
「よろしくお願いします。(略)組織的な判断で、厚生労働省に返す、これだけは絶対ないようにお願いしたいと思います。次になりますけども、加藤大臣、(略)お会いしてですよ、この(法案に)書いてある、高度プロフェッショナル制度を推進するようなお話とはまったく違う、ご家族のお話だったと思います。そのことを聞いてですけども、高度プロフェッショナルを含んだ法案を進めるというのは、ご家族のお話を聞いても、そう思ってらっしゃるということでしょうか。」
「あの、昨年11月8日に開催されました、過労死を考えるシンポジウムでは、5名の遺族の話を伺い、また委員御指摘の今年の2月23日(裁量労働制の適用拡大もまだあった頃だね。)には過労死された方々のご遺族、また過重な労働の中で、心身の健康を失われた方々から、直接お話を伺った、ところであります。その思いについては、前回も申し上げましたんで、あの、詳細は省かせていただきますけども、過労死というものが、いかに、ご家族にとって、過労によって、心身の健康を損なうということはどれほど重いものか、そのご本人、等はしっかりと受け止めさせていただいたところでございます。その上で、今回の法案では(略)長時間労働の、罰則付きの上限をつけ、時間外労働につける、長時間労働の是正につなげるものも盛り込ませていただいておりまして(高プロは適用外だけどね)そういったものをしっかり進めさせていただきたい、というふうに思っておりますし、同時に高度プロフェッショナル制度につきましては、現在の第四次産業革命、あるいはグローバル化、こうした中で、より深い付加価値を生み出していく経済、こういったものが求められ、またそうした経済の中においては、そうしたイノベーションを担う方々が、そうした意欲や能力を発揮をしていただく、こうしたことが求められている、こうしたことが、これからの我が国の発展、雇用の確保にもつながっていく、そうした思い、こそ、それぞれの方の多様な働き方に即した多様な選択肢を提供してく、ということで、現在高度プロフェッショナル制度も含めた法案の審議をお願いをしているということでございます」
「上限の時間管理は高度プロフェッショナルにはありませんよね。もう一度ですけども、(28歳SEの方の話をする・・・略)いろんなところで、ご遺族の方は高プロを削除してくださいと言われているんです、これは加藤大臣には全く響いていないんでしょうか」
「お会いした時にも同様のお話を伺っております。ご遺族の方のご懸念は、我々政府としても重く受け止めさせていただきます。しかし、今回の高プロでは、業種を限定をして、収入要件、そして、本人の、しかも職務についての中身も決めた上での同意、とうとう、様々な要件を課し、また健康確保措置についても縷々決めさせていただいている(岡本充功議員の質疑であったけど、産業医が面談しても何の強制力もないし、うるさい産業医は解任できるし、事業規模が小さいければ産業医じゃないただの町医者が面談したところで、誰の健康確保ができるのっていう話なんだけど)、こうした措置によって、ご懸念をできるだけ解消し、まぁ他方で高度プロフェッショナル制度によって、新たな産業あるいはプロジェクトを推進していく、先ほど厚生労働大臣として、というお話ががありましたけども、もちろん労働者の健康を守るのは大事な職務ではございますが、雇用、職業をしっかりと確保するというのも大事な職務でありまして、もちろんバランスを見ながら両方をしっかりと見ていく必要があると思います」
「職業の確保の中で、命がなくなるような職業の確保は私はいらないと思います。ようは、家族の会の方達は、こうやって今みたいな答弁でですね、加藤大臣の答弁がそういう状況ですから、前向きに受け止めてないとと思われてると思いますよ。だから、今回総理に会いたいとおっしゃっているんですよ。加藤大臣にはもうあってるけど、こういう状況だから。総理と、働き方改革を進めるって言ってる総理と。せっかく、最後までいていただきましたから、原審議官、しっかりと、総理にお伝えいただきたいんです。柳瀬さんという秘書官の方がいらっしゃいましたよね。おかしくないですか、加計学園と何度も面会をして。なぜ今回はそんなに合わせないようにばかりしているのですか。もう一度最後にお願いします。それか、他の秘書官に行ってください、みたいなところがあれば、そちらをご紹介されるべきだと思います。」
原
「本日のご指摘について、伝えるようにしたいと思います。」(誰に?)
柳瀬さんはアポの申し入れがあれば誰でも会うって言ってたじゃないですかーって言ってほしいって思ってたら言ってくれたから、ちょっと嬉しかった。でもダメだ、柳瀬さんは、会ってはくれるかもしれないけど、総理に報告してくれないからな。ダメだったわ、残念。
わたしは該当グループのファンではありませんが、今回の不祥事に対するネットの反応で気になった点がいくつかありますので、この場をお借りして吐き出させてください。
(今回彼が起こした行為は被害者が存在する立派な犯罪であり、警察や検察が動くような事態に発展したという点は決して許されることではなく、私も強く非難するということを最初に記しておきます。)
顔がいいから、ジャニーズ事務所所属のアイドルだから、人気のある有名人だからといって、被害者の方を無下にするような発言は許されるのでしょうか?事情はどうあれ、警察と検察が動いている以上悪いのは彼です。40を超えた大人が法律上してはいけない行為をし、被害者を生み出し、被害届が出され、このような結果に至ったのです。ハニートラップだったのではないか、被害者にも非がある、わたしだったら嬉しいのに、などという発言はあまりにも思考が停止していませんか。
また、彼が出演する番組や彼のスキルに絡めた不謹慎で下品なネタツイートを繰り返す方々にも心底呆れます。決して茶化してはいけない事案だと感じておりますし、こちらもまた、被害者感情を無視した軽率な言動なのではないでしょうか。
先に言っておきますが、確かにあの謝罪文は公式が報道機関に対して提出するにはあまりにも稚拙であったと思います。ただ、この点を批判するならまだしも、憶測で「隠蔽だ」「事務所の闇だ」「握りつぶす気だ」などと発言する方が目に余りました。また、フォロワーが非常に多く本まで出版されている方が「事務所の弱体化」などという憶測でしかない発言をされていて、たいへん驚きました。
まず、事件が起こってから発表に至るまでの期間に関してそれぞれ意見はありますが、わたしは「隠蔽」だとは思っておりません。レギュラー番組などへの混乱を避けるため、また被害者が番組共演者ということもありセカンドレイプなどの二次被害を防止するため、事実関係の調査と被害者との話し合い、そして書類送検まで全て済んだタイミングでの慎重な発表であったのではないかと踏んでいます。しかし、重要なのはこれもまた憶測なのです。真相は関わっている誰かが発表しない限り、誰にもわかりません。ただ、 ひとくくりに「隠蔽」と決めつけてしまうのはどうなのかと思います。
そして事務所への都市伝説のような憶測にひとつだけ反論させていただきます。他の方も指摘しておりますが、タレントに法律違反が絡む不祥事が発覚した場合、今までもジャニーズ事務所は報道機関や自社HPなどを通じて発表しています。また、その該当タレントにも謹慎やプライベートでの行動制限、最悪の場合は退所など、さまざまなしかるべき制裁が与えられています。有名なもの以外で例を挙げるとすると、二宮くんが2010年6月に車で起こした交通事故では直近に松本くんが衝突事故を起こしたことを鑑み、嵐のメンバーには2010年内の自動車運転禁止が言い渡されました。他にもありますがこれ以上はご自分で検索してください。申し上げた通りジャニーズ事務所は犯罪を握りつぶせるような巨悪の組織ではありません。
また「メンバー」呼びに関しても、報道各局の事務所に対する忖度だ、報道協定が結ばれているなどといった発言が目立ちます。しかし、NHKの報道と公式発表より、今回の件は被害者と彼・事務所の間で既に示談と和解が成立していることがわかっています。また、逮捕はなく書類送検となっています。そのため、呼称する際の「容疑者」は不適切なのです。参考:https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/25/tatsuya-yamaguchi_a_23419826/
(再三お伝えしますが、彼のした行為自体は決して許されることではありませんし、事務所の謝罪文も稚拙であったと感じております。これに関して擁護する意図はございません。)
③某グループ、もしくは脱退した3人組を偏った思考で応援している方々
あえて強い言葉で言わせていただきます。擦り寄ってこないで。あなたたちは今回の件に便乗して、あることないことでっち上げて、事務所を叩きたいだけですよね?あなたたちが守りたいのは騒動を起こした彼でもなく被害者でもなく、自分がかわいがっているタレントですよね?それに、あなたが好きなタレントが不祥事を起こした時に所属していたのはジャニーズ事務所ですよね?その時の対応に関しては無視ですか?もう昔のことだから覚えてないですかね?とにかく、不快です。小学生のように許さない許さないと並べるだけで、論拠のあるまともな事務所批判もできないなら黙っていてほしい。
今回の件を利用して該当グループのファンを事務所アンチに陥れ、自分達のNAKAMAにしようとしていませんか?それはあまりにもファンの皆様を舐めきった行為だとは思わないのですか?そういうことをするから、余計敬遠されていくのだとなぜ気づけないのですか?
わたしは、ジャニーズ事務所と所属するタレントが好きです。かつてジャニーズ事務所に関わっていたタレントも応援したいです。だからこそ、思うところはたくさんあります。
今日は一連の騒動が発覚してからまだ2日目。まずは周囲のメンバーだけでなくタレント本人からのしっかりした謝罪と説明、そして今後の事務所による真摯な対応を期待します。
わたしは不当な憶測や出どころのわからない情報、そして情報を切り貼りしただけのアフィリエイト記事なんかよりも、今朝メンバーのひとりがはっきりと放った「今後はどんなことがあっても連帯責任」「どんな処罰でも受けなきゃといけない」という言葉を信じて、今後を見守っていきたいです。
たったいま、痴漢に遭った。
近所の女友達とこの時間まで2人で飲んでて、お互い徒歩で家に帰れる距離だから、飲み終わって「おやすみ〜」といつものように解散。
家まであと3分位の距離。歩いてたのはトラックも車もひっきりなしに走る大通り。飛び出したら死ぬなっていうくらい、猛スピードでみんな走ってる。
この時間だから人はほとんど歩いてなくて、油断してた私がいけなかった。
後ろからきた自転車を避けようと、歩道の端にそれた瞬間、ブレーキ音とともに「ガシッ!」とお尻を鷲掴みにされた。男の指が尻の割れ目に食い込んだ感覚がした。気持ち悪かった。
痴漢に遭った人の体験談で「怖くて声も出なかった」というけど私はとっさに声が出た。なぜか「Fu*k you!!!!!!!」と道路中に響き渡るバカでかい声で叫んだ。
自転車痴漢野郎はシャーーーッと車輪音をたてて立ちこぎで逃げ去って追いかけるのは無理だったけど、曲がった角めがけて走った。
角に着いても自転車痴漢野郎の姿はとっくに見えなかった。どんだけこぐの速いんだよ。つーか、逃げ去るくらい弱気から痴漢なんかするんじゃねえよ。次あったらまじでこ●す。玉という玉を握りつぶす。
五臓六腑が煮えくり返りそうな怒りがわいてきたんだけど、冷静になったらいきなり虚しくなった。
これだけ怒っても逃げたやつの顔も分からなければ、痴漢された証拠すらない。
大声で叫んでやったと思ったけど、聞こえた人は誰もいない。
これから先の人生、痴漢に遭った事実を知っているのは世界で私と、クソ自転車痴漢野郎の2人だけ。
悔しい。悔しくてたまらない。行き場のない怒りと虚しさと物悲しさで体が震える。いまでも震えてる。なんであんなやつのために私の貴重な細胞が震えなければならないのだ。
じゃあどうすれば良いのか。
警察に電話する?不審者情報として流してもらう?たしかにパトロールはしてくれるかもしれないし、自転車痴漢野郎がその情報を見ていたとしたら危機感じて他の人にはしなくなるかもしれない。
でも、通報したところで「そんな時間に女1人で歩いてたあなたが悪いです」と言われるのは目に見えてる。そりゃあ悪いよ。でも露出度は極めて低い、身体のラインなんて一切わかりそうもない服装だった。それでも痴漢に遭ったあなたが悪いですと言われるのかもしれない。
気弱なクソ自転車痴漢野郎。逃げたお前は恥そのものだが、結果としてそれはお前の勝ちだった。無意味に叫ぶこと意外、なにもできずにこうして匿名ダイアリーに書き捨てるしかない私の負け。
清く正しく真面目に生きていたところで、卑しくも逃げて生き延びて得する人がいる。
明日からの私の人生には、夜中に自転車痴漢に遭ったという汚点だけが人知れず残る。
一方でお前は「姉ちゃんのケツ触れてうまく逃げられたぜラッキー」とか大したことない幸運を感じて明日からの人生送るんだな。
待ち 待ち 待ちを対面が
飲み込んで壊される日がきたら
逃げる人戦う人 迷う人突き進む人
笑う人泣きむせぶ人 踊る人踊らされる人
捨てる牌夢を追う牌 モテる人羨む人
腐る人輝く人 生きる人諦める人
同じ卓の下 どれも分かれ道
待ち 待ち 待ちを対面が
飲み込んで壊される日がきたら
勝ち負けにもう価値は無い
揺れる待ち 沈む待ち 燃える待ち 待ち
使う牌使われる牌 掴む人握りつぶす人
右も人左も人 もしかして人じゃない人?
同じ卓の下 どこも罠だらけ
何を選び今 何を棄てるのか
時々いっそ麻雀卓が
壊されてしまえばいいと思うけど
まち まち 間違いだらけでも
進む待ち 育つ待ち 愛しい待ち
待ち 待ち 待ちを対面が
飲み込んで壊される日がきたら
勝ち負けにもう価値は無い
揺れる待ち 沈む待ち 燃える待ち 待ち
ちびまるこちゃんに出てくるともぞう心の俳句みたいで良さがある。
続いた躁状態にようやく終わりが見えてきた。やっと人並みにつかれたというか、ちゃんと体内時計が働いて眠いというか…。
かなり気合いを入れて書いたネットの未来の話 / “これから起こる『ライター業の衰退』と『ブロガーの台頭』について|三沢文也
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/tm2501/n/ncbe3f050708b
話が分かる人にだけに読んでもらいたいからブログではなく、有料限定にしたのに、はてブで重箱の隅をつつくようなことで盛り上がっていて「そんなんだから、はてな村は腐海に沈んだんでしょ」と言いたくなってる
ある人が「はてな村は日本的組織の、はてなは日本的競争の縮図でしょ?」みたいに言ってたけど、つくづくそう思う。
ちょい悪オヤジにはなりたくないけど、それと同じぐらいには頭ごなしに若者をバカにするkanoseのような老害にもなりたくない僕は本当に「あーあ」って感じな気持ち
僕がしんどいのって、08〜12年に罪山罰太郎・ハックル・デマこい・青二才以外の人を台頭させないようにへし折ってきたはてな村の文化が招いた後継者不足のせいであって…彼らで潰した数年を取り戻して追い越さないといかんからしんどいわけさ
いや、オレが1年半もネットで罵倒され続けてもブログを続けられるほどのキチガイじゃなかったら、はてな村はとっくに血が息絶えてますよ。
はてな村どころか、けいろーくんもしっきーくんもヒトデ祭りも出てなかったと思うよ?あいつらじゃ、1年半罵倒され続けたら折れるし。
偶像だから十字架にかけられてもなお、生きている必要があったのです。
ひどい話です
今思えば、野蛮な時代ですよ。
インターネットで生きていくのに、耐久力が求められた時代が昔はあって、それをオレが1年半…はてなの運営側が「これはやり過ぎだから、介入しよう」と思うところまで踏ん張らなかったら、Togetterとか2ちゃんの同類であり続けたわけですよ…いや本当に
頭のいい人、技術のある人、貴重な体験をしている人などは入ってきましたよ。でも、そういう人が安心して書ける環境に僕は大なり小なり貢献しているわけですよ…。
ビックマウスな言い分だと言われそうだけど、そこは割と自信がある。
青二才が数字で追い越されようが、もっと賢いやつが出ようがなお「大物」だと言われ続けるのは、常にルールに介入し続けるからだ。
ルールが変わるまで徹底的にやる。不利に変えられたら変えられたでそれを文章力とか、非モテなりのやり方で食いついて新しいスタイルで介入する。オレ以外にできるか?
野蛮な時代を生き残ったどっかが狂ってるんですよ。
今の若い子にはきっとできなかったであろうことだけど、僕はそれがない代わりに知性とか友達とか学歴とか、僕には足りなかったものをちゃんと手に入れてからネットに来た若者の方が羨ましいわけですよ。
負ける気はしないけど、幸せそうだもん
よく、日本には坂本龍馬とスティーブ・ジョブスが足りないと言う人がいるけど、ああいう動乱の時代の人は、大なり大なり狂ってる。
それとも狂った人に自分が合わせられるとでも?
狂人は居場所は見つけられても、仲間とパートナーは見つけられないし、誰かと調和したら多分自分が壊れるか、無邪気に握りつぶす。力があるうちに狂ってることを正当化デキるだけの「暴力」をしなきゃ、生きていくこともできない。孤独でも地位があれば生きていける。地位のない孤独はただ消えるから
頭に血が上って、病んだポエムを書いた。
忘れてともわかって欲しいとも言わないけど、…わかったふりはされたくないので、わかんないなら素直に「こいつわけわかんねー」と言ってくれたほうがまだいいです。
僕はキレると、断片的なメタファーか、自分の目に見えたことでしか言葉を紡がないので
あー今日が3ヶ月に1回ぐらいあるかないかの「ブログ書くのが嫌で嫌で仕方ない」日だ…。書く内容がわかってるのに筆が進まない。
ご存知の通り、無料で利用できる多くのオンラインサービスは、広告を収益の柱に立てている。
ところで最近の広告は(倫理・手法など様々な理由により)ヘイトを集めており、私も広告ブロックの機能を積極的に導入している。
広告ブロックをブロックするシステムもあるらしいが、少なくとも私にとって「無料で利用できる」というのは遠巻きに「広告ブロック機能を使用していても無料で利用できる」という意味であり、広告ブロックをブロックするサービスはもはや「無料」ではない。よって使わない…が、そんなことはどうでもいい。
思考実験はここからである。オンライン広告がビジネスとして成り立たなくなったら、オンラインサービスはどうなるのだろう?
まず、これまで広告を収益の柱にしていたサービスは軒並み終了する。ここまでは誰でも予想できるだろう。
では、その後代替のサービスは現れるのだろうか?個人的には難しいと思っている。代替のサービスだって、何らかの方法でお金を稼がないと維持できないのだ。広告以外の方法でお金を稼ぐことができるなら、前のサービスは潰れなかったはずであろう?
つまるところ、インターネット上のサービスはお金を払わなければ何もできない空間になっていくであろう。
そうなったとき、「無料だから」インターネットを利用していた層はインターネットそのものを切り捨てる。
この事象は「インターネットの質を担保する」という意味では歓迎するべき流れである。というのも「無料だから」インターネットを利用していた層はオンラインでサービスをしている限りでは通信回線以外に一切お金を払うつもりがない、見込みすら無い客であり、この(一切見返りがない)層のためにサービス側はリソースをドブに捨て続けなければならなかったからだ。
…さて、平凡な私に思いつく「広告で稼げなくなったインターネットのその後」は、この程度のものだ。あなたはどうなると考える?
追記
広告そのものの需要について否定しているわけじゃないよ。紙もラジオもテレビも生き残ってるし、別に消えてもらいたいわけじゃない。紙もラジオもテレビも、見てないし聴いてないからね。
なんでこんな思考実験をするに至ったか、その思考の過程をダンプする。
例えばサービス企画屋が新しいWebサービスを作ろうと思ったとき「広告で稼ぐ」というある種安易なマネタイズ手法に行き着くことが多いけど、一方の利用者側からみるとWebの広告はウザくてすごく嫌われている。
嫌う気持ちはわかる。(広告を表示するお仕事を請けたのが理由で)普段は有効にしているAdBlockを無効にしたら、見るWebページすべてが広告まみれになって視聴に耐え難かった。世の皆様はこんな地獄を毎日味わっているのかと思う。
インターネット上で触れる多くのWebサービスがこれほど嫌われている媒体に支えられている世界って、控えめに言っても歪んでいると思う。
(個人的には、Webの広告業界がB2B2B2B2…2Cという多重構造によりCに行き届くまでが非常に見えづらくなっていて、実はCに行き届いていると見せかけてB間で握りつぶす…とまでは言わなくても水増しを装うことが可能なのではないか、と思っている)
で、この歪みはブラックマンデーのようにある日突然解消されるのではないか?あれっこれ広告主が業界全体の水増しに気づいたら終わりじゃね?これで食えない人が続出したら俺の知ってるあのサイトもこのサイトも閉鎖するよね?あれっ?あれっ?
追記2
『広告ブロックをブロックするサービスはもはや「無料」ではない』のニュアンスをもう少し掘ってみる。
例えとしては微妙だが、テレビ録画機のCMスキップ機能のようだと思う。CMは無料なのだから削れなくてもいいじゃないか、CMを削ったらテレビ局のビジネスモデルが崩壊するからやめよう、という話をユーザサイドから聞いたことがない。CMカット機能を歓迎したユーザは、CMに対して負の価値を感じていたユーザだと言い切っていいと思う。
もし万が一テレビ局が「広告収入で維持できなくなったので視聴者の皆様から受信料を徴収いたします、お支払いいただけない方は番組を視聴できなくなります」と宣言したとして、どれほどの視聴者が「無料テレビ視聴環境の維持のためにがんばってCMを見よう!」となるだろうか?想像できないんだよなぁ。テレビ局の都合なんか知るかよ、勝手に潰れろよ、と思わない?それが市場原理ってものではないの?
(収入格差が拡がりつつある今、オツムの弱い層向けだったテレビでCMを流しても、オツムの弱い層が洒落にならないほど貧乏なのでお金が落とせない、というのはありえる未来だと思う)
広告として使われなくなると弱くなる、というのはどんな媒体でもそうだと思うが、特にWebの場合はダメージが大きい。というのも、Web上の多くのWebサービスが(ユーザ数に依存して増える)広告収入に依存しており、多くのユーザが「無料だから」Webサービスを利用しているのだとすると、この共依存のいずれかが破綻しただけでWeb全体がシュリンクしてしまう。今はただ偶然に膨張している時期、ただのバブルというだけだ。
シュリンクの原因は、今の時点では想像も出来ない要因になると思う。まさかFlashがセキュリティ上の理由で標準無効になる日が来るとは、誰も予想できなかっただろう?
ジャッキー・チェンの映画見たらその後数日はカンフーをしたくなるが、
ドラゴンボールはそういう根源的なアクション欲求を満たしてくれる作品だったと思う。
主人公だし!
この頃の好きは単純だったように思う。
ギャグが面白くて好きだった。後、ククリからニケへの好意の描写も多くてよかった。
この作品はアニメ終了後も単行本をずっと追いかけてずっと好きだった。
単行本は終盤の絵柄が好きじゃないとか言う人がいるけど俺は気にならなかったし、
初めて買ったCDはEDの「Wind Climbing 〜風にあそばれて〜」だった。
もちろんククリも好きだが、やはりニケのボケ、ツッコミはこの作品の肝だ。
この作品を知ったのは親父が映画「Air/まごころを、君に」を借りてきたからだった。
OPが非常に好きだ。
あの全部理解させる気のない圧倒的情報量、スピード感はこの作品を象徴していたように思う。
敵も毎回色んな形態、シチュエーションで、全ての話数で飽きさせない、先の読めない展開の連続だった。
BGMのクラシックが非常に印象的で最高の盛り上がりから最後のカヲルくんを握りつぶすタメまで、息の詰まるというか、
心拍数が上がるというか画面の中に意識を囚われて、終わった後も戻ってこれない感覚を味わった。
傾向として、物静かなヒロインより、自己中心的だと捉えられることも多いが、
自分の意見を言う、他人に不利益が例えあったとしても自分の意志を通す、欠点のある人間らしいヒロインの方が好きなようだ。
思うに放送局がNHKでどの地方の人間でも見ることができて、何度も何度も再放送されたことがこの作品の地位を築き上げていると思う。
さくらちゃんは可愛いし、小狼くんと打ち解けていく過程がいいです。
この回は小狼からさくらちゃんへの好意が明確に描かれた回だった。
この作品はそういう視点で見ていたので、この回が印象に残っている。
当時はツンデレという言葉はなかったが、振り返って考えると当時からツンデレキャラが好きだった。
小狼くんはクロウカードを集める関係上敵対的な態度を最初取るが、どんどんさくらちゃんに好意を寄せていく事になる。
最初の印象はポケモンアニメの亜種という感じだったがポケモンアニメがサザエさん的なのに対して、
デビモン編では各キャラクターの紹介。
ダークマスターズ編では提示された欠点の再描写と解決となっている。
デジモンワールドと現実世界を何度か行き来するが、時間の流れが違うおかげで、
デジモンワールドに戻った時に状況がガラッと変わっていて、新たな問題の提示と困難度が劇的に表現されていた。
FF6の崩壊後の世界とかそういうシチュエーション好きなんです。
基本的に各編のボスと主人公勢との間には圧倒的な力の差があって、ボスから逃げつつ、
勝つ手段を探すような感じで、敵の強さの描写とその敵を倒したときの爽快感はすごくよかった。
何だかんだで主人公勢が勝つだろうと安心して見ていたそれまでのアニメと違って、
本当に勝てるのか?という感じで展開が読めない所がよかった。
この回はとにかく異色だった。
当時はアニメ、ドラマ、映画等の面白さはシナリオの面白さのみに依存すると思っていた。
合奏における指揮者は棒を降っているだけで誰がやっても同じだと思っていた。
厳密言うなら、この回を演出した人が監督を手掛けた映画「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」を見て、
その人は今でこそ知らない人はいないほど有名になった「細田守」で俺の中では宮﨑駿と同列になった。
この人が有名になってトトロのように金曜ロードショーでぼくらのウォーゲームが流れることを切に願っていた。
なんか妙な色っぽさがあった。小学2年生なのに。
全部21話が悪いんです。
けど、元気なヒカリちゃんも好きです。
この記事について。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1508/05/news107.html
全く専門家ではない、ずぶの素人の憶測なんだけど、興味があったら聞いてってください。
性行為において、能動的に愛撫する側である「攻」と、受動的に愛撫を受けて反応を返す側である「受」では、
ロボットを作る難易度が全然違う気がする。「受」の方が作りやすいと思う。
「攻」の場合、バグった時の危険が相当怖い。ハグの勢いで抱き潰す、手コキやフェラの勢いで引きちぎる・握りつぶす、などなど…。
機械には悪意も慈悲も無いものだと思ってるし、普通の人間の力を超える力(物理)を持ってる慈悲ゼロの存在に身を預けるって結構なリスクだよなと。
あと、「ユーザーである人間(受)の反応を見て、気を利かせて動くAI(攻)」っていうのも、非常に難しいと思う。
だいたい、攻めるのって人間にも難しいだろ。男女共に大半がヘタクソだよ。
検索ワードをサジェストしてくれるGoogleや、商品をレコメンドしてくれるAmazonは非常に「攻」っぽい在りようだなと思うけど、
それが性行為になると、現実的に可能なの??って思うわけです。まず入力が曖昧だろうし。
だからセクサロイドは「受っぽいSiri入りの抱き枕」である期間がかなり長いのかなと思っている。マグロというか。
スピルバーグの映画A.I.では、ジュード・ロウが「攻」っぽいセクサロイドを演じていたけど、これは遠い未来なのではないかなと想像してる。
そして「攻」のセクサロイドが技術的に可能になると、人間相手よりセクサロイド相手の方が行為の満足度は高いものになると思う。
デジタルデータにしやすい視聴覚情報のエロは、誰もが過激なもの・クオリティの高いものに接して慣れていて、
一方で「官能的な触り心地」みたいな領域になると、非モテ男は経験値も興味もゼロだったりする。
デジタルデータにしづらい=ネットで無料配布がされない情報だから、得られる人と得られない人の格差が大きくなりやすい。
見る・聞くことについては、もうかなり平等に得られていると思うんですよ。
昔はモテ男と金持ちだけしか美女の裸を見られないまま死んでいくのもザラだったのが、
今ならXVIDEOSやFC2動画で無料で観放題だから、視聴覚情報においてはモテ度や金持ち度による格差がなくなった。
セックスロボットが出てくることで、触覚の上質な性的情報も、平等に誰でも得られるようになっていくんじゃないかと思う。
「ロボットとの間に子供も作れる」だと、ロボットに遺伝情報は無いし全く意味がわからないのだけど、
自然妊娠しか子作りの方法が無い場合、一人の女性が作れる子供の数は非常に限られるけど、
iPS細胞で人気の女性(アイドルとか)の卵子を大量に製造できるようになった場合、過去に類を見ない事態が起こり得るのかなと思う。
チンギスハンかな、男性で大量に子作りした人はこれまでにも居るでしょう。光通信の人間牧場の人もそうかな。
それが、遺伝情報が盗まれて、日本中に石原さとみの子が、世界中にスカーレット・ヨハンソンの子が…って可能性も生まれるのか。
同じ女性の子供がiPS細胞×人工子宮で物凄い数になっていった場合どうなるのか、遺伝子プールとかその辺り詳しい人、教えてください。
(良い卵子と良い精子と人工子宮で良い子供を生産することを試みる人も居そうだな…。
しかし「良い子供」が欲しかったらロボットを買うのかな?家族がロボットでなく人間でなくてはならない理由って何?)
本当に馬鹿げた発想だと思います。ペット等を含め、生き物には主体があるけど、ロボットに主体はない。
ロボットに感情移入しすぎた人が団体になって活動なんかをするのかもしれないけど、まあ馬鹿げている。
ロボットは道具ですから。人権があるわけがない。靴やハサミと一緒。
自分のロボットは自分の好きなように大切にすればよく、他人が他人のロボットをどう扱おうが勝手というのが当たり前の話。
人権が無いからと言って、人間に似せて作られた存在を虐待する人間が居るであろうことは、悲しいことではあるけど、
ロボット虐待を規制しても、そういう人間は家族などの別の人間や生き物を虐待するんですよ。
堕胎が難しかった時代は、男性にとって強姦が遺伝子をのこす方法として優れていて、そういう状況だと強姦を好む性質が次世代に受け継がれてしまう。
堕胎が可能になることで、和姦の方が遺伝子をのこす方法として優れたものになる。「世の中に適応している性質」は、世の中の状況によって変わります。
虐待を好む性格の人が、生身の人間と違って「完全所有」することができるロボットにのみ性的関心を寄せて、
ロボットがある時代においてもあえて生身の人間との生殖を行う人が、攻撃的でなく正常な人間関係を形成できる人々に絞られていけば、
要は「虐待好き」の精子を受け止めるゴミ箱としての役割を、ロボットが果たしてくれれば最高と思っています。
その役割を風俗嬢など、たまたま貧困家庭に生まれただけの生身の人間が、負わざるを得ないところに追い込まれる状況こそ人権侵害。
経済格差を利用して、発展途上国の少年少女に負わせようなどという話もいよいよ醜い。そこは「生き物」ではなく「道具」が負うべきところだ。
タイトルはこうつけてみたものの、もちろんいろんな長女・長男の形があると思う。
けれど、今回は最近急速に空しくなってきたので、「こんな思いをする長男・長女」を増やしてはいけないと思って書く。
上の子はあなたたちの試作品ではない。それ以降の子どもたちに失敗から学ぶ工夫を反映させるための道具ではない。
let it goとか言ってしばらく流行ったけど、現実はそんなにすぐレリゴーできないので、その辺りは親の側から留意してほしい。
以下、私情も交えながらもう少し細かな「やめてほしいこと」を書いてみる。
私の妹は年が少し離れているので、同じ学校に在籍するのは小学生の時しかない。
親は親で、「お姉ちゃん・お兄ちゃんがいるから助かるわ」と私に細かな配慮を丸投げしてきた。
たとえば、家庭科のキットを買うとき、書道の筆の手入れの仕方、アルバイトの選び方、果ては大学の学部選び、ゼミ選びまで。
「お姉ちゃん・お兄ちゃんにアドバイスしてもらいなさい」と責任を子どもに丸投げするのは間違っている。
下の子も下の子で調べたり考えたりする手間を自分で経験するのが必要。
上の子のメソッドをかすみとるだけが彼らの人生ではないし、彼らの人生のためにはならない。
はじめての子だから右も左もわからなくて、を言い訳にする人がいるが、それは間違っている。
「はじめてだから」と予備校の面談についてくる親。その面談の相手大学生アルバイトですよ。
その大学生アルバイトの言うことを鵜呑みにし、「さすがたくさんのものを見ているチューターさん!」という感じ。
しかし実際はそのアルバイトはプロでもなんでもない。なので当然ベストの形の出願はできない。
当時の私はいろいろと自分で調べて、いろいろ提案したが「金を出すのは親!」の暴論をかざされてはどうにもならない。
その当時の反省を活かし、妹の入試はとてもうまくいった。正直殺意しかわかない。
③上の子に許されたことは同タイミングで下の子にも解禁してはいけない。
たとえば外泊なんかがわかりやすいだろう。
大抵上の子は外泊を全く許されず、それを周囲にも責められたりするのだが、
下の子は上の子の外泊解禁のタイミングで同じように解禁されたりもする。なぜだ。
大学の時に時間があるからたくさん旅行したり思い出作りをしたいのに、自分は禁止された。
それなのに、下の子は大学生の時からうきうき外泊。もう正直殺意しかわかない。
上の子の青春を世間体とかそういう言葉で握りつぶすなら、下の子にも解禁するべき。
ちなみにこの疑問を親にぶつけたところ、見当違いも甚だしい反論をされ、何の解決にもならない解決法を示される。
だまされてはいけない。
確かに下の子は頼りなさそうだし、小さいし、心配なのもわかる。
けれど、いつもいつも下の子に構っていると、上の子は我慢せざるをえない。
本当は具合が悪いし、正直かまってもらいたい日もあるのに、「お姉ちゃん・お兄ちゃんだから」という理由で放置される。
下の子が小さいうちならまだしも、ひどいのはこれが子どもがいい年になっても続くことである。
上の子が死にそうなくらい疲れていても、下の子にちょっと何かがあれば親はすっ飛んでってしまうのである。
ちなみにこれを親にぶつけると、またわけのわからない理論で返されるだけなので、もうやめよう。
勘違いしないでほしいのは、私達は何も下の子が憎いわけではない。
でも、自分だって子どもなので、親に見守られてる、愛されているという実感がほしいだけなのだ。
それなのに、いつもいつも下の子ばかり構われる、自分が我慢すればすまされる、そういうことを小さいうちからすりこまれると、
親の求める良い子であろうとして無理をし続けてしまうことになる。
でも、その無理ができてこそ自分は親に認められるので、限度いっぱいでもう無理ということをいつまでも言い出せないまま、
なんでこんなことを言い出したかと言うと、今私がこの状態だから。
我慢しないと見捨てられるし自分が我慢をすれば世の中のことはうまく回ると思っていた結果、
具合が悪くなって時々夜中に涙が止まらなくなったり、家の中にいると常に吐き気に襲われたりしています。
でも、これを誰にも言えないので、とりあえずここに投下してみたのです。
これを書いている間はちょっとすっとしています。でも、家庭にも社会にも私を私として受け入れてくれる人はどこにもいません。
こういう思いをしている人が他にいないか、あるいは下の子目線から「上の子が辛いとか言うのは傲慢だ」とか、
誰かが何かを言ってくれないと押しつぶされそうなので、とりあえず書いてみました。