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2017-03-10

南極チコチ大冒険ドラえもん)を見てきた。相当良かったという話

現在公開している大長編ドラえもん映画のび太の南極カチコチ大冒険」を見てきた。

ディザーポスター・チラシの感じからかなり期待感をそそられるものであり、南極という場所からH.Pラヴクラフト著の「狂気山脈にて」が想像させられた。

ここのところ年甲斐もなくクトゥルフ神話に興味を持っている自分は、この時点でかなり期待をしており、あまり見ることのなくなったドラえもん映画を久しぶりに劇場へ見に行った。

この映画は確かにクトゥルフ神話彷彿とさせた。クトゥルフっぽい敵、南極、捜索のシーン、旧支配者の存在まで出てくるし、ニャルラトホテプ解釈できるキャラクターも出てくる。

特に私が気になったのは、若干ネタバレになるが、ゲストキャラセリフである。この話、はのび太が「かき氷無限に食べたい」という無理難題をいうところから始まるのだが、今回のゲストキャラかき氷という文化がない世界の人であり、そもそも氷をメインで食べるということをしないため、かき氷の話を興味深く聞くのだが、それに対する反応として「あなた達なんでも食べるのね」という反応を返すシーンである

クトゥルフ神話日本であまり怖がらない(普及しなかった)説の一つとして、ラヴクラフト海産物が嫌いだったところから着想されたクトゥルフは、海・深海にいる生物得体の知れない怖いものであるという認識から来る恐ろしさも面をもっているとされており、日本は生で海産物を食べる習慣があるからというものがある。このセリフはこのメタファーなのではないかと考えられるのである

ただ今回のドラえもんクトゥルフ的な映画だったよ、だけではなくこの映画は、オリジナルドラえもん映画としてもかなり良かった。過去大長編オマージュをくどくないぐらいに入っているし、音楽もとても良いものであった。またメインの5人の誰かが喋るときに不自然に止まっているわけでない振る舞いや、特に最後のシーンの綺麗さは、自分好みであるという点で、とても良かった。アドベンチャーの部分はハラハラさせ、またわかりやす伏線を回収していく気持ちよさも良かった。

クトゥルフありきで見に行ったが、ドラえもんオリジナル大長編として名に恥じない名作だった。かなりおすすめなので、できたら映画館で無理ならレンタル特番でも見てほしい。

2017-03-06

最高学年を迎えるにあたっての決意

小学校の高学年のときネットとあるサイトで知り合った友達がいる。私よりひとつ年上で、都会にいて、いろんな知識能力があり、なにより容姿がとてもかわいくて憧れだった。尊敬していた。趣味が合うということもあって仲良くさせてもらっていたが、ネットを使い始めて間もなかったわたしありがちなトラブルを多発させ(いわゆる黒歴史)、その子と直接的に何かがあったわけではないものコミニュケーションが取りづらくなりそのサイトを去った。その子とは他のサイトでも繋がっていたが、そのアカウントも全て消した。

だが彼女との関係をどうしてもやり直したい、コンタクトを取りたいと思った私は、また別の名前彼女に近づいた。私は別人として彼女とまた友達になり、彼女ツイッターのリア垢で、私はサブ垢で交流していた。そうやって名前を変えては彼女の前に姿を表すことを3回はしたと思う。ツイッターに上がってくる写真プリクラ彼女は本当に本当にかわいくて、異常なこととわかっていながら私はその全てをスクショし保存した。少しでも彼女に近づくためにいろんな努力もしたと思うが、何もかもが自分と違った。苦しかった。だけどそれ以上に大好きだったと思う。最近写真を保存するまではないにしても、ふと思い出したかのように彼女ツイッターをチェックしたと思えばそれから毎日見てしまときもある。そして落ち込む。だけど話しかけられると嬉しくて、それと同時に彼女が私の全てを見抜いてるのではないかという得体の知れない不安や恐怖も浮かぶ。そんなことあるはずがないのに。この春からめでたく大学生になるそうだ。卒業ツイート写真を見て、頭のよかった彼女のことだから名の知れた大学に行くに違いないと瞬時に思ったとき、どうしようもない虚無感に襲われた。

こんな自己嫌悪馬鹿らしいことだともうずっと前から分かっていた。だけど地方でくすぶりしなくてもいい比較で、会ったこともないような人との比較でもがき苦しんだこの何年かがせめて報われますように、今度の春は私も笑えますように、この一年彼女と繋がるすべてのSNSをやめようと思う。きちんとまっとうに第一志望を目指して頑張ろうと思う。それが達成できれば見えてくるものがきっとあるはず。絶対絶対に諦めないといま自分に言い聞かせ、とにかく頑張る。

という、最高学年を迎えるにあたっての決意。

2017-02-28

村上春樹が好きだと言いづらい

僕は村上春樹が好きだ。

町田康とか舞城王太郎とか池澤夏樹とか、他にもいろいろな作家が好きだけど、一番好きな作家を選べと言われたらやっぱり村上春樹だ。

今回発売された新作『騎士団長殺し』も、マスメディアで恒例として取り上げられて騒がれている。

マスメディアで騒がれると当然、全く興味のない人の目にも付く。

そこで、職場でも今日たまたま騎士団長殺し』の話題になった。

(正確には「たまたま」ではなく、ある意味では必然的ともいえる。マスメディアかく恐ろしや)

Aさん「そういえば新作出たねー。まあ全然興味ないけど」

Bさん「本屋で大量に平積みしてますねー。自分も春樹は1冊も読んだこと無いけど」

Cさん「同じく1冊も読んだこと無いっすね…」

そこに居合わせた僕は入社時に村上春樹が好きだと言っていた。

おそらく、この人達はそれを分かって言っているのだと思った。

この話題スルーしようと思ったけど、

僕を試すようにわざと言っていると思ったので、

とりあえず一言

僕「ハルキストほどじゃないですけど自分は春樹好きです」

Aさん「ほー・・・

見事にスルーされた。それ以上なにか聞かれたりはしなかった。

おそらく「村上春樹に興味がない人」にとって、「村上春樹好きな人」は得体が知れない人物だと思っているのではないか

転職したばかりでただでさえ上手く馴染めていない職場の人たちとの断絶が深まった気がした。

ももっとうまい言い方があっただろう。

しかしなぜ、ただ好きなものを好きだと発言することに引け目を感じなければならないのか。

なぜ「村上春樹が好き」だと言うことに引け目を感じてしまうのか。

初対面の人との話題タブーとしてよく挙げられるものに、

「ひいきのプロ野球チーム」とか「政治思想」とか「宗教」とかがある。

そのラインに「村上春樹」も食い込んできている気がする今日このごろ。

2017-02-26

離婚の後押しがほしい

仕事に対する情熱は無いけど、趣味に対する情熱寝る時間を割いてでもある。

夜眠れず、朝からいびきかいて寝る。

仕事を探す時間より、欲しい物を探す時間が長い。

事あるごとに自分へのご褒美をする。

嫌いなところはたくさん浮かぶのに、好きなところが出てこない。

いつから嫌いになったのか考えた。

なぜ離婚しないのかも考えた。

自分へなちょこからだ。

このまま自分自殺するかもしれない。

でもその勇気があるなら別れた方がいいのかもしれない。

そんな勇気さえないから。

死ねばいいのにという気持ちしかない。

死ぬのはどっちでもいい自分でも相手でも。

でも死ぬのは怖い。

あらゆる恐怖は死にたくないということだというから仕方ない。

ジェットコースター全然怖くないとは違う。

ジェットコースターのような人生の方が楽しいってのも楽しければ楽しいと思う。

今乗っている得体の知れないものはちっとも楽しくない。ただ怖いだけ。

死ねばいいのにって本当に酷いなって思うくらい思っている。

出かけて帰って来た時に、『なんだまだ生きてんのか』と平気で思うし、向こうが出かけて帰って来た時に『ちぇっ死なずに帰って来やがった』と思ってしまう。

深夜になっても帰ってこなかったことがあって、もしかして本当に死んじゃったのではと思った。

そう思ったら焦ったし、震えた。どうしようって。

生きててほしいのか死んでほしいのかわからなくなった。

でも死んでどうしようはこれからどうやって生活していくのかってことだから自分のことしか考えていなかったかもしれない。

「もう疲れたよ。死にたいよ」そう言った。

その時『やった』と喜んでしまった。

なのに自分は涙が出た。

よくわからないだろ。

自分もよくわかっていない。

2017-02-25

「今の若い子」って具体的にどの世代なんだか

「今の若い子は~を知らない」

とかで普通に大学生ぐらいなら知ってそうなことが取り上げられることもあって

若い子ってのは高校生のことか?と思ったら

後輩の高校生たちが普通に話題にしてることでも

若い子は知らない」

ってことになってて、「若い子」ってなんなんだ、と戸惑っている。

若い子」ってのは中学生以下?それとも

「なにも知らない得体の知れない存在」を「若い子」と表現しているのか??

まだ若いつもりだった学生にはわからんのであります

てかもう若くないのか自分……。大学生って若くないのか……。つらい。

2017-01-18

プログラミングって「得体がしれない」よな

プログラミングって、これから始めてみようっていうとき、なんだか「得体のしれない行為」っていう感覚がありませんか?

ぼく自身は、プログラムを書いてる側の人間で、いまでこそ少しはプログラミング本質的な難しさをわかってる気になってます。でもつい数年前までは、プログラミングは難しくはないけど得体がわからない、という感じでした。

そのへんのコードを組み合わせて動くものはできるけど、何がどうなっているのかは知らんし、ググって分からないものはできない、という方向で、「プログラミングは難しい」と思ってました。

最近になって、プログラミング義務教育必修化の話題とか、コピペプログラマー話題とかを目にするたびに、かつて自分プログラミングに対して抱いていた「得体のしれない行為」という感覚が思い出されてしまい、少しざわざわした気持ちになったので、ちょっとここに書きなぐらせてください。

だいたいが個人的な話なので、そういうのがうっとうしい人は無視してください。

ぼくが世の中にパソコンという道具があることを知ったのは、たぶん中学生ときです。30年くらい前。当時、電気屋の売り場ではけっこうな床面積を使ってワープロ文章入力する専用マシン)が陳列されてました。文章を書くのは好きだったけど、字を書くのが死ぬほどめんどくさかった自分は、ワープロさえあれば自分小説とか書くのになあと思いながら指をくわえて電気屋の店内をうろうろしてました。しかし、ファミコンすら買ってもらえなかった家計ではワープロなんぞ買ってもらえるわけもありません。そのうち巡回してた電気からワープロが消え、それに代わってパソコンのコーナーが広がっていきました。このパソコンというのは、よくわからないけどワープロとして使えるっぽいし、どうやらファミコンを持っていない僕にもゲームができるらしい、おれに必要なのはこれだ、というわけで、中学生だった自分パソコンという存在に興味を抱くようになったのでした。

はいえ、だからといってパソコンを買ってもらえるような家計ではなかったわけなので、カタログを熱心に眺めるだけの毎日が続きました。その当時の自分にとって、パソコンが欲しいといったら、それはNECを買うかエプソンを買うかという選択でした。冨士通からパソコンが出ていることは知りませんでした。マッキントッシュっていうやつもあって、このPerformaっていうやつはなぜか安いとか、よくわからないけどシャープとかソニー独自パソコンを作っているぞとか、そういう情報パソコンに対する認識のすべてでした。当時の自分にとってのパソコンは、電気メーカーから発売されている商品一種であり、ラジカセとかテレビと同列の存在でした。

なんでこんな話がプログラミングにつながるかというと、ひょっとして自分プログラミングにずっと感じていた「得体のしれなさ」の源泉の一つは、こんなふうにパソコン電化製品として見ていた当時の感覚の延長だったのかもなあと思ってるからです。

ラジカセなら、CDだのテープだのを入れて再生タンを押せば、そのハードウェア機能物理的に体感できます。それに対してパソコンは、プログラミングちょっとやってみても、その行為と、そのハードウェアとが、感覚的に結びつきません。もちろん、プログラミングというのは、物理的なデバイスに結びつけて考えなければできない行為ではありません。しかし、パソコンを「カタログ商品」として見るところから入ってるばかりに、そこでやるプログラミングという行為ハードウェアとの結びつきが見えにくい状態に、なんとなく居心地の悪さを感じていたように思うのです。

もし自分スタート地点が、パソコンを使って文筆やゲームをするところだったら、パソコンは文筆やゲームのための箱だったでしょう。その後でプログラミングを始めていたなら、プログラミングという行為を、文筆やゲームに関連した創造的な活動として学べたかもしれません。

ところが実際には、自分はつい数年前まで、パソコンという電化製品に対する漠然とした行為としてプログラミングを捉えてた気がします。

プログラミングを始めたのは、高校生になって誰も使わないFM77が部室に置いてあったので立ち上げてみたらF-BASICインタプリタが起動したからでした。とくに何をプログラミングすればいいかもわからなかったので、教科書雑誌コードを転記したり、ループで線画を書いたりして遊んでいました。大学に入ってからも、授業でFORTRANとかLispをやらされたけど、基本的自分目的をもってプログラミングするのは数値計算くらいのものでした。そのころになると、本で情報を探して(まだインターネット検索は使い物にならなかった)適当コードをつなぎ合わせるのがプログラミングだと思ってました。そんなん面白くないなあ、とも思ってました。

この感覚、完全に、いま揶揄されているコピペプログラマーのそれだったと思いますちょっと話はそれますが、ブロック遊びとか砂場遊びって、ほとんどの人はわりとコピペプログラミングと似たような感覚でやってるんじゃないでしょうか。パーツを勘で組み合わせたり、とにかく砂を盛っていったりすれば、家みたいなのができるよね、という感覚プログラミングは、自分にとってそれに近い作業でした。学生のころは、内心、自分にもパソコンサンプルコードさえあれば何かすごいものを作れるかもなあ、くらいに思っていたふしもあります

自分バカでした。パソコンがあるとかないとか、関係ないのです。パソコンさえあれば、なんて思う者に、本当のプログラミングがわかるはずがありません。

そんなこんなで、自分はまともにプログラミング経験しないまま社会人になったわけですが、幸いにもプログラミングに対するこの感覚は、仕事パソコンを日々使うようになってから徐々に変わっていきました。

具体的には、パソコンが、自分の中で「カタログ商品から武器」へと変わりました。それと同時に、プログラミングという行為が、武器開発という位置づけになりました。

武器というのは言い過ぎだとしても、ちょっとしたプログラミングは確かに業務上課題を打開しました。それなりに計算機科学教科書を読んで勉強をしたこともあって、いつのまにかプログラミングに対する「得体のしれなさ」も解消してました。

結局のところ、自分にとっては、プログラミングという行為の「得体のしれなさ」から解放されるまでにずいぶん長い時間必要だったことになります自分がそうだったからといって他人もそうだとは限らないですが、たとえば小学校で形だけプログラミングを教わっても、分かるとかわからないとか、好きとか嫌いとか以前に、なんかモヤモヤした気持ちになるだけの子もも少なくないんだろうなあ。それは不憫だなあ。

かといって、自分がいまプログラミングで少しは戦えてるのは、そのむかしパソコンに憧れがあって、得体がしれないなりにプログラミングをする機会が若いときたまたまあったからでもあるので、そういう機会になるなら小学校で形だけでも教えるほうがいいのかなあとも思います

オチがないので、このへんで。

2017-01-11

得体の知れないサービス参加者管理するのやめて欲しい

結婚式二次会とか、スノボ合宿みたいなちょっと人数多めで、基本的に遊びだけど本名(とメアド)が必要イベントで、幹事から「ここから必要事項を送信してね、スムーズ運営のためにご協力お願いします!」と無料フォーム登録サービスURLが送られてくる。

管理効率化したいのはわかるんだけど、運営会社がどんな所かわからないのに個人情報をホイホイ書いて送信するの怖い。どうせデータだって平文でDB入れっぱなしなんだろ、開発者phpMyAdminで中見てるんだろ。

でもそんなこと指摘しても面倒臭がられるだけだし、純粋に行きたいから不参加にしたくもないし、どうするのが一番スマートだろうか。

2017-01-09

情弱切ない

昨日さ、そろそろ古希を迎える叔父に「家のパソコンが壊れたみたいで全く使えない状態から診に来てくれ」といわれて行ってみたら真剣に切なくなった。

叔父は、俺からみると亡父の弟なんだが、子のいない男やもめで、小さなアパートバイトみたいな仕事収入年金と爺さんから相続した預金一人暮らししている。

性格はなんて表現すればいいか悩むが、まあ極力よく言って「お人好し」で、若いから社会的に食い物にされるようなことが多く、身内はその尻拭いで相当(主に経済的な)迷惑を被ってきたらしい。

親父の生前は、親父が貯蓄用口座の通帳を預かり(叔父本人の合意あり)、定期的に生活費用の別口座に振替をしていた。本人の自由になる金があると危ないということらしい。

亡親から自分兄弟姉妹に「資産管理叔父本人に任せないよう」と申し送りされており、今は長女の姉がそれをやってる。

まあそんな人だ。

さて、パソコン復旧の話だが、電話ごしに症状を聞いても要領をえないのは過去経験からわかりきっていたので、とにかく現場現物を本人の目の前で実演確認することから始めた。

まず電源は入るか。入る。

OSは立ち上がるか。ログイン画面まで行く。問題ない。

ここで叔父質問パソコンが使えないと言っているのは、何ができないのか→この画面の先に進めないとのこと。

とりあえずログインID、パスワードを訊き、入力ログイン成功

「できるじゃん」

「あれ?」

なんかよくわからん状況なので、一度電源を落として本人に実演させてみる。あー・・・

「おじさん、テンキーはNumLockキーのランプ点いた状態じゃないと入力が効いてないよ。起動した直後はランプ消灯してるから、NumLockキー一度押してね」(という趣旨のことをかみ砕いて説明。後で備忘メモを作って渡した)

これで問題解決かと一瞬思ったが、どうも状況が腑に落ちない。

そもそも今まで毎日使っていたはずなのに、なんで唐突ログインなどという超基本操作ができなくなったのか。

「これって、ログインできなくなったのいつ?」

「うーん、去年の夏くらいかなあ」

ファッ!?

イヤ確かに去年春の法事の以来メールした覚えないけど。それで日常に支障はないのか。

というか半年以上無駄通信費払ってるわけだがそれでいいのか。

などとモヤモヤが頭を去来しつつログイン後の状態確認したところ、問題の原因はすぐ判明した。

というのは、タッチパネル搭載機種でもないのにタブレットモードになっている。

はい、どうみてもWindows10への強制アップグレードです。本当にありがとうございました

起動時のNumLock状態が変化したのもこの影響だろう。

これは果たして叔父さんのロースキルぶりが悪いのか、Microsoftがクソなのか。まあ後者だな。

とりあえずデスクトップモードにしないと、ログインできたところで操作も覚束ないだろうから切り替え。

無線の設定もなぜか切れてる。当然認証情報など控えられていない。AOSS使うにもクライアントマネージャーダウンロード必要なので、とりあえずルータと有線接続LANケーブル持ってきといてよかった。

これで一応ネットは復旧した。

次にメールはどうか。Windows10標準メーラには過去メールが引き継がれているようだ。叔父さんが非標準メーラのユーザじゃなくてよかった。

あー、でも送受信ができない。面倒な。

叔父さん、プロバイダ契約書類ある?」

「え?何それ」

部屋を小一時間漁ってそれらしき紙を発見。でもこれ、なんかメールアドレスドメインが違う。そういえば去年変わったとか言ってたのを思い出す。

「これ多分以前のプロバイダだね。去年プロバイダ変えたとき書類一式渡されてると思うんだけど」

「うーん知らない。安くなるからと言われた」

・・・得体のしれない代理店から消防署のほうから来ました」方式営業かけられて、言われるがままに乗り換えしたんだろうなあ。じゃなきゃメールアドレス変えるような面倒なこと叔父さんはしない(そもそも発想がない)だろう。切ない。

仕方ないのでプロバイダ電話で問い合わせ。本人確認以外は全部自分がしゃべって情報収集完了メールは復旧した。

プロバイダ契約内容は思っていたよりは良心的だった。

というかその一つ前のプロバイダがあくどすぎる。叔父さんが200%利用しない月5000円くらいのVOD動画サービスに加入していやがった。

そりゃ普通契約し直すだけで安くなるわ。まあ現プロバイダも、叔父さんが活用できるわけがない機器損保証とリモートアクセスサポートオプション計月1000円に加入させてやがったけどね。

叔父さんが勝手書類無くした可能性も低くはないが、契約内容渡していない疑惑もあるしなあ。非常に微妙だ。

一応叔父さんに状況を説明して(おそらく理解はしていない)、同意の体をとった上でオプションは解約した。

後はプリンタの再設定だが、長期に動かさなかったせいでインクタンク劣化し使えなくなってた。

時間的な制約もあり、半日やそこらでそこまでは面倒見切れないので、新しくプリンタ買いなおした方が安くて手っ取り早いとアドバイスだけして帰宅した。

お互いの家は電車で3時間近くかかるし、こちらも家庭持ちで暇じゃないので、次に面倒みれるのはまた数か月後だろう。

叔父さんはそれまでプリンタなしで過ごすだろうか。どっかの業者にカモられて変なプリンタを購入するだろうか。

パソコンに限らず、叔父さんの人生一事が万事こんな調子だったのだろう。わかっていたことではあるが、改めてその人となりを実感すると親族として非常に辛い。

こういう状況に本人は不満も覚えず、疑問も感じずにいるというところが、なんか一番切ない。

こういう人でも、善意に守られ悪意に奪われない優しい世界はどこかに存在しないだろうか。

2016-12-30

本来は「怪物

本来は「怪物」(あるいはゴーストモンスター)という言葉の中に、得体のしれなさ(実態との乖離)や人々が訳も分からず恐れている、といったニュアンスがあったのだが、人々の不安をあおって金儲けするニュース屋連中の過剰な言葉遣いで「○○の怪物」だとか「モンスター○○」なんて言い回しが使われ続けたせいか、はたまた映画ゲームファンタジー世界の設定が普通になったせいか怪物という言葉に「恐竜」並のリアリティが生まれしまい、そのような〈共同幻想が生む恐ろしい存在〉に別の名前必要になったということだな。

その意味では、それに近い言葉を持ってきて、自己定義したうえで使い始めたらいいんじゃないか(たとえばそれを「ブレーメン怪物」とか「ジャバウォック」と呼ぼう、とか。ジャバウォックが何かはググってくれ)。運が良ければ定着して新しい慣用句が生まれることだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20161229210552

なお、×「枯れ頭」→○「枯れ尾花」 だ。トラバにある「鶏鳴狗盗」と「羊頭狗肉」はどっちも全然ブレーメン的じゃないし、「羹に懲りてあえ物を吹く」の「あえ物」は、本来は「膾(なます)」だ(そして全然怪物」的じゃない)。「竹箒も五百羅漢」は、それをもってくるなら「鰯の頭も信心から」の方がメジャーじゃないかな。このあたり、釣りで言ってるのか本気で言ってるのか分からないので全力で釣られとく。

2016-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20161211195128

得体の知れない征服地の女をレイプするとか、

感染症リスクとか考えると軍隊運営的にどうかと思うんだけど。

きちんと検査してからレイプすんの?バカじゃね?

2016-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20161210120534

いい面より悪い面の方が多かったと思うわ。

ニヒルに斜に構えてると言っても、結局はなんらかのブランド信仰権威主義者的な抑圧かけてるやつが多かったから。

いまだに古参は平気でバカ差別するやつ多いだろ。意識低いこと言ってもマウンティングされない今の方がよっぽど健全

10年前だとヨッピーいくら良いこと言っても、なんだこの得体の知れない素人はという扱いだっただろうよ。

2016-11-06

田舎者のオレが選べる選択肢はあまり多くない。

和食ではすき家なか卯吉野家

ファミレスだとガストびっくりドンキー

他はマクドくらい。

自炊しないのでこのへんをループすることになる。

他にも外食するあてはあるのはあるんだけど、

冠婚葬祭で使うような高級店とか、昭和一桁みたいなおっさんがやってる得体の知れない喫茶店

都会だとマクドじゃないハンバーガーショップもあると聞く。

都会はなんでもあってすごいね

2016-11-04

就活受験て違うよなあ。

受験は、合格必要一定の点数レベルが事前に開示されてて、模試などによって自分合格可能性をある程度可視化できていました。

でも、就活はわからない。基準がわからない。内定データとかで、大体この大学とか学部の人が多く内定して入社しているとかはわかるけど。

どうしても今まで受験のような評価成功の仕方に慣れているから、就活得体のしれないもののように思えて怖い。

よく企業偏差値表みたいなのネットであるけど、企業って大学以上にばらつきがあるから、高いとこにいけばいいってものでもないのかもしれない(きっと、大手とかのほうがお給料保障はしっかりしているのかもしれないけど)。

あと数か月で本格的に始まるけど、やだなあ。

2016-11-02

三日月宗近が苦手

刀剣乱舞は事前登録をしていて、結構楽しみにしているゲームだった。実際、サービスが始まってからもそこそこやりこんだと思う。けれどどうしても三日月宗近の事が好きになれなかった。でも友人や周囲のひとは皆して「三日月かっこいい」「綺麗」「じじい好き」と言うものから、これは私の感覚おかしいのかなと悩む事もあった。ゲームキャラクターひとりに振り回されるのがバカみたいだなとも思ったけど。

三日月宗近(本物の刀の方ね)が天下五剣のひとつで、所謂「すごい刀」だって事くらいは知ってる。知ってるからゲームの中でもあれだけキーポジションと言うか、メインキャラみたいに扱われてる事も納得出来る。新しいグッズが出たら必ず三日月がいる。雑誌媒体になっても絶対にいる。それが当然で、仕方のない事なんだとも思う。

でも、やっぱり、私は三日月宗近が苦手だった。

作品の中で嫌いな立ち回りというよりも、得体の知れない不安みたいな、なんかそういう感じで三日月宗近が苦手なのだと思う。

ほぼ全ての媒体に出てくるものから避けようがない。私が好きな刀剣男士はそこそこグッズも出ていて人気もあるひとだったけど、そのひとを見たくても絶対三日月が入ってくる。それが嫌で嫌で仕方なかった。ピクシブツイッターで見かける漫画イラスト不特定多数刀剣が出てくる場合、必ずと言っていいほど三日月はその本丸にいる。メインとなっている刀剣審神者三日月が助言をする…っていうのも何度も見た。それもまた苦手だった。

アプリ版が配信されて、私は出先でも刀剣乱舞プレイ出来るのだと思うと嬉しくなった。ちょっと放置気味だった本丸に帰ろうと思った。アプリダウンロード特典だか事前特典だかは、レア太刀である三日月と小狐丸で、アプリアイコン三日月だった。まあこうなるだろうなってのは予測出来たけど、それでもスマートフォンの画面に三日月がいるのが嫌で、近侍や育ててきた刀剣たちに申し訳ないと思いながらもアプリを削除した。

ミュージカル刀剣乱舞の出来は素晴らしいとツイッターで何回も見た。好きな役者さんも出ていた。けれどやっぱり三日月宗近が当然のようにそこにいて、結局一度も観に行く事はなかったし円盤も買わなかった。加州加州単体なのにチーム三条と平安組がひとくくりにされているのが自分でも分からないけどイライラした。実際に観に行ったらイライラも解消されたかもしれないし、加州三条組の関係も好きになれたかもしれないけれど、でも無理だった。

ゲームが始まってからのろのろとそんな思いを抱えて、だらだらと大坂城を掘って、たまに公式写真を見て、と、ぶっちゃけ惰性になりつつあったと思う。

そんな中でアニメ化が発表された。大好きなあの刀剣男士が動くのだなと、嬉しかった。ちょっとやる気が出た。でもそれと同時に「どうせ三日月がメインなんだろうな」と言う気持ちが湧き上がってきて、そんな自分が嫌にもなった。

まあ案の定ufoアニメ三日月がメインのPVが出されて、そんなもんだよなと思った。でもきっと走り回って戦って主、って呼んでくれる私の大好きな近侍はかっこいいだろうから耐えたいなって思った。一方で花丸はアニメが始まるまで三日月の姿が出てこなくて、これはもしや、と思ってしまった。

三日月宗近がいないアニメが見られるんじゃないかと、期待してしまった。

実際どうだったかと言うと、花丸5話を見たひとはご存知だろうが三日月は出てきた。っていうかOP刀剣男士大集合!みたいな感じを出した時点で三日月が出てくるのは明白だったし、やっぱりか、と思う事もあった。それはまあ仕方ないよねと割り切りたかった。

それでも4話まではすごく、何の辛さもなしに、純粋テレビ画面を見ていられたと思う。加州が、安定が、燭台切が、乱が、次郎が、画面の中ではしゃぐ姿を見て、あぁ、こういうのだよ。だなんて思っていたような気がする。来週は三日月が出てくると知ったときも、この調子なら耐えられるんじゃないかって思った。

耐えられなかったから今これ書いてるんだけどね。

Aパートホスト風はすごく、すごく幸せでした。そこまでで限界でした。Bパート三日月が、言っちゃ悪いけど、明らかな三日月贔屓みたいな描写が、ほんとうに、心からいやでした。

三日月宗近からそりゃ当然かもしれません。

三日月の打ちのけがあって、瞳も特徴的で、性格にもインパクトがあって、プレイヤーほとんどが彼の事を好きなんだろう。だから需要に対して正確な供給なんだろう。視聴者プレイヤーが望む三日月宗近は間違いなくあれで合っていたのだろうと、思います

でも私は、私が苦手な三日月宗近が、私の苦手な形で顕現して、今後も花丸に出ずっぱなんだと思うと正直しんどいなと思います。そんな事言うなら花丸を見なければ良いだけなのかもしれませんが、それでも私の大好きな刀剣男士が動くところを見ていたいから、見ますCDBDも予約して購入します。

ただ5話(正確にはBパート)を見返す元気もなくて、ああそうだ、匿名ダイアリーなら吐き出してもいいかな、ツイッターじゃないしな、と思った次第でした。

2016-10-25

時代のせいにはしたくはないけど

岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月ハロモニ

当時20歳だった私は、一人暮らしワンルームマンションの14型のテレビデオぼんやりと見ていた。


8歳の岡井ちゃんアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。

その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別女の子というよりは、

大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、

ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。

私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。

あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感

それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。

ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。

私もその一人だ。


ところで、「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして

の子アイドル恋愛についての事実認識は、

(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)

私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。

どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。


当時の私はアイドル恋愛について何も考えたことがなかった。

そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。


モーニング娘。ブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。

諸説あるだろうが、その始まりおニャン子クラブ解散する1987年とするなら

もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。

1997年安室奈美恵20歳結婚した。

オジサンと言っていい年齢の男性とのできちゃった婚だったが

多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中結婚式で歌われた。

2000年には木村拓哉工藤静香結婚した。

ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。



そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんオーディション合格した。

意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。

ハロプロ女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛絶対的禁忌ではなかった。

週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。



今とあまりにも違う。

しかし、時代はなぜか前近代的な方向に動き始める。



その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが

実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、

℃-uteファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。

詳しくは書かないが、ファン事務所の締め付けが厳しくなる中で

実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが

℃-uteメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。



℃-uteBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ

人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。

私も一面ではそれは正しいし、彼女たちの清冽オーラ

年月と愛情をかけないと生まれないタイプのものだと思う。

一方で、最も「アイドルである自分」と「本来自分」を、

長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。

そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアスタートさせた子ほど、

その欺瞞合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。

「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や

ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。



舞美ちゃんブログ更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら

岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、

なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。

2016-10-16

告白には成功した

ずっと片思いだった女性告白をした。

答えはOKだった。その瞬間は、この人生がこのまま終わってもいいくらいに嬉しかった。

だけど、それはある意味では当然の結果といっても良かった。

なぜなら、その告白までに、実に1年近く僕は苦労を積み重ねていたからだ。

思い返せばこの恋はずっと片思いだった。

その期間は10年といっても過言ではないだろう。

まさに一目惚れだった。

自らの理想を絵に描いたような女性が、目の前に座っていたのだ。

透き通るような白い肌、光をすべて吸い込んでしまうような黒い髪、ふれれば崩れてしまいそうな儚い存在感、それでいて、自らの意志に従う素直さは、その場にいる男性をたやすく圧倒してしまいそうなほどの強さがあった。

出会ったその日から、僕は彼女のことだけを考える日々を過ごした。

何をするにも彼女のことばかりが頭をよぎり、彼女の前に立つといいようのない緊張感に支配されていた。

だけど僕の臆病さは、その関係を崩す勇気を与えてはくれなかった。

まさに僕にしてみれば、彼女の近くにいることさえできれば満足だった。

彼女自分の所有物にしようだなんておこがましいことは想像すら許されなかったのだ。

ある時、そんな僕がいつまでも独身であることに疑問を唱える女性が現れた。

何も考えてないような女性で、デリカシーという言葉とは到底縁遠い性格だった。

ちょうど彼女との片思いが9年近くに及ぶ頃だった。

脳天気女性を目の前に、少し気が緩んだのだろう。

僕はその女性に対して、長年の片思いである吐露してしまったのだ。

するとその女性は、それならばその恋愛成就するために手を貸してくれるというのだ。

最初は拒んでいたのだが、彼女得体のしれぬ押しの強さに渋々従うことになってしまった。

彼女入社して3年目くらいの新人だった。

会話をしたような記憶ほとんどないが、彼女は僕のことをよく知ってくれているようだった。

同じく片思い女性のこともよく調べているようで、何が好みかか、いつもどんなポリシーのもとに生活をしているのか、ことこまかく僕に教えてくれるのだった。

時に、好んで通っていそうなお店までリサーチして、僕を誘い出してくれた。

支払いは僕の役目だったが、そうして得られる情報は心の底から貴重と思えるものだった。

そんな訓練を1年近く経て、かくして僕は憧れのあの人に対する数多くの情報を手に入れることができた。

そうした数多くのリサーチデータをもとに、いよいよ食事に誘い出すことになったのだ。

誘い出す先は、応援してくれた彼女がしっかりと選んでくれたまさに数日前にオープンしたばかりの鉄板スポットだった。

誘い方も、プライベートすぎないように、それでいてあなたでなければわかってもらえないような抑えておくべき最新スポットであるような、そんな賢しい誘い方だった。

彼女の答えはYESだった。

僕はそのとき、当然の勝利確信した。

お酒が二人の距離感を程よくあいまいにしてくれた頃、僕は満を持して今までの募る想いを打ち明けるに至った。

彼女に教わったとおりに、どれだけ真摯にこの思いを大切にしてきたか性格やふるまいのどんな細部に魅力を感じたのかを、一つ一つゆっくりとうちに秘めたる炎の熱量が余すことなく伝わるように、それでいて押し付けるほどくどくなりすぎぬように気を使いながら。

彼女は静かに頷きながら、僕が話し終わるのを待っていたかのように、僕の両手を握り返した。

しろこんな私でいいかと聞き返しながら、彼女の瞳は涙に潤んでいた。

それは僕が欲しがっている答えのはずだった。

それを欲しいがために、この10年を過ごしてきたのだ。

しかしその瞬間に頭に浮かんだのは、そんな僕に対して涙を流さんばかりの勢いで喜ぶ、この1年間を告白の手伝いに費やしてくれた女性笑顔だった。

人生における幸せとは、果たして臨んだものが手に入ることだとは限らないことが多い。おなじく、望んだものが手に入らなくとも、それが不幸とは限らないのだ。

僕は結局、告白を受け入れてくれた一目惚れ相手ではなく、その恋愛成就することを願い、手付ってくれた女性結婚することになった。

かなったはずの恋愛が、その頃には叶うことが違和感に変わっていたのだ。

2016-10-12

つの間にか死の恐怖が変わっていた

から人一倍死に対して臆病だった。

原因は8つ上の兄だ。

ある日思春期を迎えた彼は、一人ではいてもいられなくなったのか自らの部屋にわたしを呼び出した。

そしてまだ天真爛漫だったはずのわたしに、死とは何かを語り始めたのだ。

冷めない眠り、永遠孤独、知覚の喪失愛する人たちとの永遠の別れ。

彼はときに涙し、ときに恐怖に身をちぢこませながら自らの不安吐露し続けた。

あんなに頼りがいのある兄をこれほどまでに恐れさせるもの。それだけで死というものの恐怖を知るには十分だった。

若かりし頃、誰もが通るであろう死と向かい合う儀式を、わたしはじつに8年も早く経験することになってしまった。

それからと言うもの、何をしていても、どんなに楽しい思いをしていても、その直後には死の虚無感が襲ってきた。

夜、布団に入れば目覚めない不安に襲われ、永遠の恐ろしさに震えていた。

その頃の死とは、得体の知れないただただ恐ろしいだけの存在だった。

わたしの頭上には一本の糸があって、悪魔とも神ともわからものがその先を握っている。そして気まぐれにその糸を切ればわたしは死んでしまうのだ。

しかしわたしは自らが死んだことを自覚できない。それなのに突如永遠孤独に放り出されてしまう。

思春期を過ぎ社会に出るまでの間、時間があるだけそんないつ訪れるかわからないことに対する恐怖に怯える日々を過ごしていた。

ところが、仕事に追われる日々を過ごしている間は、少しだけ死の恐怖から逃れられることがわかった。

今までは寝床に入ることすら恐怖であったのに、仕事で疲れていれば考える間もなく眠りに落ちることができた。

からわたしは、死の恐怖から逃れるために仕事に没頭する道を選び続けた。

そうして気がつくと、わたしはある程度の時間的余裕を持て余す立場になっていた。

そしてその時間的余裕は、わたしに再び死の恐怖をもたらしたのだ。

しかし、それは今までのものとは少し違っていることがわかった。

あの頃恐れていたものよりも、リアルで身近なものになっていたのだ。

新聞には自分と同世代著名人訃報が並び、身近な人間の不幸も多く耳に届くようになった。

身体は少しずつ衰えを見せ始め、病気の治りも時間を要するようになってきた。

それまでは漠然としていた恐怖が、少しずつ姿を見せ始めてきたのだ。

この数十年で、いつ訪れるかわからない恐怖だった死は、今、いつ訪れてもおかしくない恐怖へと姿を変えていたのだ。

この先この恐怖はどのような姿に形を変えていくのだろうか。

よりその姿を鮮明にするであろう恐怖と、再び向き合い続ける日々が始まるかと思うと憂鬱でならない。

あなたの隣にいる死の恐怖は一体今、どんな姿をしていますか。

2016-10-09

エロゲー市民権なんかねえよ

http://b.hatena.ne.jp/entry/303582047/comment/mouseion

エロゲー市民権なんかあるわけねえだろ。エロゲーキモオタがやるもんなんだよ。

大体の人間はこの世にエロゲーなんてもんが存在することを知らずに死ぬ普通に育ってきた人間からしたらエロゲーなんてのは得体の知れない不健全メディアなんだよ。

今回のくま鉄の件なんてありえないだろ。いきなり自分の街の鉄道エロゲキャラが起用されてみろよ。気持ち悪いに決まってる。エロゲーなんてオタクの中でも日陰者がやるジャンルなんだから端でおとなしくしてればいいわけ

こういうところにキャラなり作品なり出すにはそれ相応の手順がある。例えばオバイブのbambooは今松戸市と組んでアニソンイベントやろうとしてるけど、それだってあくまでオバイブとは別という体裁でやってる。おまけにバックにはメジャーレコード会社がいてケツ持ってくれてるわけだろ。

bambooはこの辺の営業センス交渉力に、おそらく業界で一番長けてるからこういうことができるわけだ。

そのbambooですら業界に関しては「法律一発で吹っ飛ぶ業界」と評してる。扱い方とかバランス感覚間違えたらエロゲーなんてあっという間に法規制されてぺんぺん草も生えないようになるわ。

何がクールジャパンだよ、エロゲーなんかクールでも何でもない。それともクールになった結果レイプレイみたいなゲームが一掃された業界を望んでんの?

あと今回の件でAV女優比較してどうとかいう声もあったけど、団体やら天下りやらで社会と太いパイプをもってたAV業界とこの辺の感覚もわかってないオタク集団なんて比べるまでもないよね。

もうちょっとさ、節操とかバランス感覚とか身内守る方法真面目に考えて頭使って社会と付き合っていかないとこの業界本当に終わるよ。

2016-09-25

[]

今回は裏サンデー

市場クロガネは稼ぎたい 93時限目(後編)

ふぅむ、まあ前回書いた感想とおおよそ同じ理屈が書かれているかな。

ただ、ここまでのことを実行に移せる存在としてシロガネが適任というのはメタ的に見れば分かるのだけれども、シロガネ自身がそこまでの執念を燃やす理由が、作中の描写だけでは弱いと思うんだよなあ。

ちょっと雑というか、丁寧にやるべき部分を間違っている気がする。

ラストのああいう展開は、まあクロガネたちのこれまでの活躍の結果だとか様々な因果を考えれば、そこまで不自然というわけではないんだけれども、やや予定調和感があるのも否めない。

や、嫌いじゃないけれどもね、ああいうの。

栄冠は俺に輝く 5話

個人的に、もうこういう展開やキャラで話進めようとするのは正直ウンザリしているんだよね。

しかも、それの解決法が発破をかけるだけとかさあ……。

最後の展開も、2軍の選抜でそんな大物感出されても困るし。

あと、2軍の大物感を演出するために、「俺たちが苦戦した石垣を軽々登ってる!」って。

そもそも2軍の選抜組みの方々は何も荷物背負ってないんだから、実質ちょっと急な斜面登ってるだけだろう。

秋月さんは大人になれない 第32話

なんだこりゃ、世界観的にちょっと素っ頓狂すぎやしないか

まあ、なんか夢オチだとか妄想オチあたりにするんだろうけれども、それを前後編仕立てにされても、気持ちの置きようが……。

ねじの人々 第22話

まあ、正解がない以上、物語がどういう主導から作られてきたかで語るのはアプローチとして分かりやすくはあるかな

そういうのを要素を描くと角が立ちやすい、つまり創作世界美男美女(ブスではない)キャラばかりなのはコンプライアンス的なものを逆に意識しすぎた結果ってのは恐らく合っていると思う。

相対的に見て美醜が決定されるなら、最初から全員美男美女にしてしまえってのは、すごく歪ではあるが。

その他もろもろの考察の結果、今の作品作りの傾向は「みんなが語り部の時代」とし、それがカオスすぎてファシズムであるってのは、中々に思い切った解釈だな。

考察自体面白くはあるんだが、最終的な結論がそういう見えない風潮への挑戦ってのは残念。

ケンガンアシュラ 157話

ほぉ、勝ったか

刹那の執念や得体の知れなさ、ポテンシャルもあったが、それをきっちり地力熟練の差で倒したってのがイイね。

メタ的に見れば因縁のある刹那が勝つと思っていたから意外ではあるが、無理筋ではない。

まあ、もちろんこれで刹那物語のものから退場ってわけにはいかないだろうから、どこかで因縁の決着自体はすると思うけれども。

2016-09-24

よく考えたらスターウォーズ世界観ってはてな住民の最も憎むべきものじゃないの?

今更な指摘かもしれんが、エピソード4-6の反乱軍って、戦前日本軍とか現代ブラック企業にそっくりじゃね?

戦力としては量的にも質的にも帝國軍に対して劣ってるんだけど、フォースかい得体の知れない精神的なものにすがりながらデススター特攻を仕掛けるという、

これははてなの人たちが最も嫌悪する旧日本軍現代ブラック企業精神主義と全く同じ構図ではないのか。

そこら辺どう思うの。

ちなみにはてなには右派左派もいるけど、精神主義を憎む、という点ではどっちも共通しているという認識

2016-09-17

芸術人間狂気なのでは?

演奏を聴いて感動するとか、絵画を見て心震えるとか、それを可能にする芸術的感性っていったい何でしょう?

食べる、寝るなど、生物として生きていくだけならそんなものいらないですよね、動物にはそれはないと考えているのですが。

絵を描くゾウの話もあるけど、あれは道具を使えるというだけで、「創作活動」ではないのでは?

個人的に、芸術人間もつ狂気であると畏怖しています

画家の中でも、狂気に奔った人間もいますよね。ゴッホとか。

芸術は神の領域」とは母の談ですが、彼のように芸術的才を持ち狂ってしまった人は、人間を超えてしまったのでしょうか。

人間の中にその神の領域存在するということに、人間存在への得体の知れなさと神秘性を感じます

芸術的感性人間固有の狂気。それによる創作物は生み出した人間内面の発露。目に見えない世界という点で、人間霊性にも通ずるもの

私が「芸術」のことばから想像するのは主に絵の分野ですが、音楽分野だとまた芸術という概念に対する印象は変わるのでしょうか。

2016-09-04

クソ雑魚ナメクジでも読める! 古典新訳文庫面白い本ベストテン

http://anond.hatelabo.jp/20160903194513


選定基準

・他文庫で手に入りにくい

重厚長大作品は避ける(つまりロシア文学は大概除外)

ジャンル小説寄りだったり、わりとライトに愉しめる感じのやつ


順不同


・デュレンマット『失脚/巫女の死 デュレンマット傑作選』

 脚本家ミステリ作家として有名なデュレンマットの粋が収められた傑作選。

 デュレンマット独特のケレン味の効いたツイストは、高度な本格ミステリに馴れた現代の読者にも新鮮な驚きをもたらす。

 ちなみに「巫女の死」は『オイディプス王』をベースにしているが、本文庫で『オイディプス王』は出されていない。すなおに岩波で読んでおこう。


・ウォー『ご遺体

 第二次大戦前後の暮れゆくイギリス貴族イギリス男性の生態を皮肉たっぷりに描くユーモア作家イーヴリン・ウォー、その傑作の一。

 セレブが利用する葬儀社兼霊園で働くことになった青年とりまく変なキャラたちが見どころ。


スティーブンソン『新アラビア夜話』 

 夏目漱石イギリス留学時代に部屋に引きこもって読みふけったという文豪スティーブンソン。

 日本知名度の高い『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』もこの文庫に入っているが、実は最高傑作と言われているのはこの『新アラビア夜話』。

 ボヘミア王子ロリゼルを主人公に、ミステリーのようなファンタジーのような摩訶不思議短編が並ぶ。


・ブッツアーティ『神を見た犬』、ピランデッロ『月を見つけたチャウラ』、ロダーリ『猫とともに去りぬ』

 日本人にはあまり馴染みのないイタリア文学

 ここらでイタリア代表する三人の作家幻想短編集をつまんで、ラクしてライバルに差をつけよう。

 ロダーリはあたたかみのある笑いを、ピランデッロはどこかとぼけシニカルな味わいを、ブッツアーティ得体のしれない不安あなた提供してくれるはずだ。


マンシェット『愚者が出てくる、城寨が見える』

 文学はなよなよしていて、暴力が足りない?

 ならば,フレンチノワール法王(本当にそう呼ばれている)パトリックマンシェットだ。

 ノンストップという形容すらなまぬるいほどの疾走感で綴られる犯罪劇は、頭で理解するではなく、心で感じるんだ。


ムージル『寄宿生テルレスの混乱』

 エリート寄宿舎学校! 生徒内権力争い! 美少年! 同性愛! いじめ! 実存主義

 全部もってけ、あなたがたが欲しているものはすべてここにある。


・ロブ=グリエ『消しゴム

 すまない、嘘をついた。これはお文学だ。しかも分厚い。

 とはいえ、基本的にどうでもいい情景描写が七割くらいを占めているのでそこを飛ばせば一気に読めるぞ!!

 こういうのはあとがき解説を先に読んでから読もうな!!!


・マチャード・ジ・アシスブラス・クーバスの死後の回想』

 リオオリンピックは終わったが、文学の聖火はいつでもブラジル燃え盛っておるぞ!!!!!

 「死んでから作家になった人物が書きつづる」作品と聞いただけでわくわくしないか?????

 おれたちの読書オリンピックはこれからだっ!!!!!!!!!!!!

2016-09-01

それでも私はジャニーズ事務所に夢を見る



誰が何と言おうと、私はジャニーズ事務所に夢を見続ける。

そして、少しでも前で歌いたい、踊りたいという熱意に満ちたジャニーズJr.のあの煌めきに満ちた目に、何度だって心を奪われるだろう。

歌い、踊り、太鼓を叩き、宙を舞う。華麗なダンクシュートを決め、息ぴったりのファンカッションやダブルダッチも見せてくれる。

あれもこれもと詰め込まれ混沌のようにも思えるステージを秩序立てるのは、彼らの熱量だ。

同じステージに立つ他のジャニーズJr.は、彼らにとっては仲間でありライバルである

自分たち仲間が「ジャニーズであることの誇りと、その仲間へのライバル意識。この相反する二つの感情が融合したとき、彼らは得体の知れない輝きを放つ。

それは幻想かもしれない。ファンの妄念かもしれない。

それでも、彼らのとびきりの笑顔や悔し涙、真剣眼差しには嘘はない。

彼らの作り上げる「ジャニーズワールド」が、どうか彼らのためのものであって欲しい。

永遠なんてもの存在しないことは嫌というほど分かっている。明日には全てが崩れ去る可能だってある。

それでも私はジャニーズ事務所に夢を見る。ジャニーズ事務所提供する最高のエンターテインメントに夢を見る。

2016-08-29

やる気を出すために書く

先週の月曜くらいから、自分パフォーマンスがとても落ちていた。

昨日もなんだか寝ることができず一睡もしていない。

こんなことでは駄目なことは自分が一番良く分かってる。

じゃあどうすれば良いのか。

そうだ、切り替えるためのスイッチを入れようと思い増田にやってきた。

ここで自分思考文章に書き起こすことにより気持ちを整理して次に進もうというわけだ。

から、まずは日々のルーチンをこなし、その上で明日明後日でやる動きを決めよう。

そしたら今日は早めに帰ってぬるめの風呂にゆっくり浸かろう。

そして、明日からはとってもとっても頑張って、大きな結果を出すんだ。

正念場なんだ。

仕事、いや、人生の。

これが決まれ人生結構安牌になる。

これを乗り越えて、俺は最高を手に入れるんだ。

最高を手に入れて俺は最高になるんだ。

最高、最高、最高。

あー、ずっと欲しかったんだ。

この4年半弱、なりふり構わず走り続けてたくさんのものを捨ててきたんだ。

彼女にも振られ、次にできた彼女とも別れ、自分の今の楽しみと言えるものゲームくらい。

安息が、もうすぐ手に入るはず。

はず、なんだ。

まだ手に入るかどうか分からいから怖くて、それがプレッシャーになってるんだろうな。

手に入れるために背伸びしてしまたから、失敗した時のしっぺ返しが怖い。

ただ、今はそのしっぺ返しから目を逸らしてる。

そこに向き合うようにすれば少しは楽になるのかな。

恐怖は得体が知れないからこそ怖い。

正体を見極めれば怖くなくなるわけではないけれども、対処覚悟はできる

がんばろう、がんばろう。

自分を許してあげるために、もう少しだけ。

2016-08-20

風呂入るのしんどくない?

僕はまだ高校生なので今は夏休みです。

毎日のように家にいるので最the高なのですが家族以外の誰とも合わないとなると急に風呂に入らなくなります

風呂に入ったら体の脂がスッキリ落とせて気分もさっぱりするのは知ってるけど風呂に入りません。しんどいからです。

学生なのにしんいか風呂に入らないとか言ってるので、社会人になったらロン間違いなしですね。

まあでも4日も風呂に入らないと得体の知れない汁が出てきたり自分でもわかるほど異臭がするので風呂に入ってきます

じゃあね。

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