原因は8つ上の兄だ。
ある日思春期を迎えた彼は、一人ではいてもいられなくなったのか自らの部屋にわたしを呼び出した。
そしてまだ天真爛漫だったはずのわたしに、死とは何かを語り始めたのだ。
冷めない眠り、永遠の孤独、知覚の喪失、愛する人たちとの永遠の別れ。
彼はときに涙し、ときに恐怖に身をちぢこませながら自らの不安を吐露し続けた。
あんなに頼りがいのある兄をこれほどまでに恐れさせるもの。それだけで死というものの恐怖を知るには十分だった。
若かりし頃、誰もが通るであろう死と向かい合う儀式を、わたしはじつに8年も早く経験することになってしまった。
それからと言うもの、何をしていても、どんなに楽しい思いをしていても、その直後には死の虚無感が襲ってきた。
夜、布団に入れば目覚めない不安に襲われ、永遠の恐ろしさに震えていた。
その頃の死とは、得体の知れないただただ恐ろしいだけの存在だった。
わたしの頭上には一本の糸があって、悪魔とも神ともわからぬものがその先を握っている。そして気まぐれにその糸を切ればわたしは死んでしまうのだ。
しかしわたしは自らが死んだことを自覚できない。それなのに突如永遠の孤独に放り出されてしまう。
思春期を過ぎ社会に出るまでの間、時間があるだけそんないつ訪れるかわからないことに対する恐怖に怯える日々を過ごしていた。
ところが、仕事に追われる日々を過ごしている間は、少しだけ死の恐怖から逃れられることがわかった。
今までは寝床に入ることすら恐怖であったのに、仕事で疲れていれば考える間もなく眠りに落ちることができた。
だからわたしは、死の恐怖から逃れるために仕事に没頭する道を選び続けた。
そうして気がつくと、わたしはある程度の時間的余裕を持て余す立場になっていた。
そしてその時間的余裕は、わたしに再び死の恐怖をもたらしたのだ。
しかし、それは今までのものとは少し違っていることがわかった。
あの頃恐れていたものよりも、リアルで身近なものになっていたのだ。
新聞には自分と同世代の著名人の訃報が並び、身近な人間の不幸も多く耳に届くようになった。
身体は少しずつ衰えを見せ始め、病気の治りも時間を要するようになってきた。
それまでは漠然としていた恐怖が、少しずつ姿を見せ始めてきたのだ。
この数十年で、いつ訪れるかわからない恐怖だった死は、今、いつ訪れてもおかしくない恐怖へと姿を変えていたのだ。
この先この恐怖はどのような姿に形を変えていくのだろうか。
よりその姿を鮮明にするであろう恐怖と、再び向き合い続ける日々が始まるかと思うと憂鬱でならない。