はてなキーワード: 差し支えとは
日本のフェミニズムが抱えている問題は複数あって、煎じ詰めれば「思想の善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。
女性の地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構。
しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果が殆ど出ていないことに問題があるのである。
むしろ、結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲からの評価を下げてさえいるのが問題なのだ。
古来より女性は男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。
例えば、近代イギリスの小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性は自分を殴る男性を好んでいる。むしろ、自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。
このような記述は、文脈的に言えば主人公のチャールズ・ストリックランドがタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場で女性を一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。
また、自然主義(人間の本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想)作家の大家である、近代フランスのエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実を標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。
このように、国の内外を問わず、女性に対する男性からの暴力というものは散見される。流石に、このような状況は現代において相対的に改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。
問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズムの評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である。
具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?
以下に論点を纏めていく。
古代ギリシャの劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。
女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」
と、戦争反対のため断固セックスを拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである。
女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。
このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代のフェミニストらにも見られる。
女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会に地位を占めること――その権利を回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀のフェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。
イランのごとき保守的な国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体をベールで覆う必要がある。そのような規則が女性の利益を担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体をベールで覆うことを一般的によしとしない。
女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である。
性はそれまで女性の自由にはならなかった。構造主義の先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性は男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判は推して知るべしだが、女性の婚姻が父権的立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代が存在していたのである。
自身の性を管理し行使する権利が、婚姻の不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性の権利は現代において拡張されたのである。
とは言え、問題はこの延長線上にある。
女性が自身の身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネスの喜劇に見られるように、女性の自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性の権利の実現が確認できる。
しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。
相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。
当然、女性が社会進出をする上で、女性が自身の性を政治の手段として用いることには、危うさが秘められている。
そのような危うさをして、現代のフェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。
これらの分野における女性の露出が性的搾取の危険を秘めている、と現代のフェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。
女性がスキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?
政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性と女性という対照を類推させる。
男性は狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性は狡猾である。男性は暴力を行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性の尊厳を根本から損なうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力の弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティとコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性の尊厳が考慮されることはない。
昆虫や動物らに見られる、コミュニティとコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。
男性は狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。
勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合は存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。
その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。
人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。
我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。
それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。
性的魅力は疑いなく女性の能力である。女性が自身の尊厳を担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。
しかし、その能力を女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。
近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。
例えば、大きな胸を強調したポスター。女性の魅力が強調されてはいるが、不適切な方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。
この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。
とは言え、ここが言わばロドスである。
女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。
勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論の錯綜するポイントがある。
まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。
女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。
自分の能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である。
例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。
例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なラインで身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。
絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。
これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性の地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである。
例えば、女性歌手が楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。
「媚び」はこの場合、不自然に女性の立場を貶める行為であり、最終的な女性の不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取の対象であると、誰かが指摘する。
例えば、写真家が女性の写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。その「誰か」は、最終的に女性の不利益を招くと指摘する。
例えば、
例えば、例えば、例えば――
女性が魅力を発露すること、それが搾取の対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性の尊厳を担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取の対象とされてしまうこと――。
女性が能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。
能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益に帰着すると、その誰かは指摘する。
これが、フェミニズムがソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である。
カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取」であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。
このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代のフェミニズムによって獲得された、女性が自身の能力や魅力を自身の権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。
能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。
このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?
勿論それは不可能である。フェミニズムは矛盾にぶち当たっている。
そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズムの論理が一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在。思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。
結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。
その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである。
昨今のフェミニズム運動の空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾を解決することなくして、現代のフェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。結論としては以上となる。
https://square.umin.ac.jp/fittest/pdf/ft_text.pdf
の9ページ、RoyとMiltonによる空気感染に関する新分類においてすべてエアロゾルを介した感染である
そもそもエアロゾルとは「気体中に浮遊する微小な液体または固体の粒子」ということである https://www.jaast.jp/hanashi/
空気中に浮遊しているものが体内に侵入するのだから空気感染なのだから、空気感染はすべてエアロゾル感染と言って差し支えないだろう
例外として、レジオネラ感染は破裂したアメーバーから発生するエアロゾルからの感染だが空気感染とはされない
テスト的にはこれだけを覚えていればよいので、この3つ以外は空気感染を起こさないと勘違いしやすい
だが、ロノウィルスはここに入っていない
吐瀉物が乾燥し、ウィルスを含んだ微粒子が舞い上がって感染を起こすことは有名なのにである
ここで「RoyとMiltonによる空気感染に関する新分類」に戻ってみると
日和見的経路にノロもSARS(コロナウィルス)も入っているのである
ちなみに咳や呼吸などのしぶきにも飛沫だけではなくエアロゾルが含まれている
https://www.carenet.com/news/general/hdn/45456
つまり新型コロナウィルスにおいてもエアロゾルを介した感染は予想されうる事態である。
コロナウィルスと発表された時点で物々しい防護服を着ていたのもそうした経路も危惧していたのだろう
予想になるが、現状では起こらないだろう。
そこまで患者を増やすには、コロナウィルスの主な感染経路である接触感染や飛沫感染などで患者数を増やし、
もし起こるとすれば、まずは閉鎖空間に大量の人間を押し込む満員電車か、大量の病人が長時間密集してほぼ密閉空間な病院の待合室だろう
殺し屋は信用が第一ですので、一端引き受けた以上、任務を遂行しなければ信頼が下がりますしそれは今後の仕事にも差し支えるでしょう。
ですから、「遂行したフリをする」といったやり方はお勧めできません。両方とも殺す必要があります。そして、両方から依頼料を確実に手に入れる(しかも納得して、後腐れ無く)ということが重要になります。それなら、あなたがしなくてはならないことは、暗殺の方法の委任度合い、支払い条件の確認等の細部を依頼主と詰めることです。
たとえば「確実に死に至ることが確認できれば支払う」という条件がのんでもらえるなら、遅効性の毒をAに飲ませることに成功した時点でBの依頼完了として支払いを受け、その上でBの殺害を行ってAからの支払いを受けるといった手法が考えられます。
あるいは、双方がその条件をのめるなら、Aを地上百階のビルから突き落としたのを確認した瞬間にBから支払いを受け、Aからは落下地点にBがいることを確認した瞬間に落下中支払いを行ってもらう、とか。まあこれはAのリスクが大きすぎて難しいですかね。ただ、「Aは確実に死ぬが死ぬまでのタイムラグにAから見ても確実にBが死ぬことが確認できるタイムラグ」が存在しさえすればこの手法は成立します。
たとえば環境保護団体の代表Aは、過去に自分の恋人を石油会社社長Bに奪われて殺され、復讐に燃えているとします。そしてBからは復讐に燃えるAを殺してほしいと依頼された、と。この場合、B社長には安全な小島を隠れ家として提案、Aには小型の核を積んだ自家用ジェットを準備。そして双方に「確実に相手が死ぬと分かった時点での支払い」を確約しておいてもらう、と。そしてBのいる島の上空で飛行機を撃墜、BにはAが撃墜され墜落する様子を見せて支払いを行わせ、Bには墜落する飛行機を見つめて呆然とするAの映像を見せて支払いを行わせる、という感じですかね。かなりタイミングがきわどいですが。
なお、参考までに、私たち殺し屋の職務は、暗殺士法及びこれを受けた暗殺士職務基本規定に規律されています。この中に、依頼者と利害が対立し、職務の公正を害する危険のある行為(「利益相反行為」といいます)を禁止する規定があります。例えば、暗殺の依頼中に、依頼主と紛争中の相手方の相談を受けたり、今回のように石油会社の代理人に就いているのに、同時に環境保護団体の暗殺相談を受けたり、同代理人に就くことは、(感覚的に当然ではありますが)禁止されています。そしてこの利益相反禁止は、同一事務所に所属する殺し屋であっても同様です(同規定57条)。この機会に貴事務所の事務方に再度確認をしておいてください。そしてこのような初歩的なミスを再度犯さないよう、注意しましょう。
宇崎ちゃん×献血コラボ第2弾が好評。太田啓子弁護士「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね、と思います」
実際のクリアファイル
https://twitter.com/uzakichan_asobi/status/1184388989190426625
過激なフェミの主張は知らん。性差別云々とか性的消費云々とかいう言葉の定義自体俺は理解していないのでそういう側面の考察は無理。
ただこのイラストを見て率直に感じたのが「エッロ!」という咆哮なのは否定しない。肌面積こそ全くないが「着衣のままどうエロく見せるか」をよく分かってらっしゃる描き方だし、よく話題に上げられる胸だけじゃなく腹回りのそれとなく「肉が余ってますよ~」というラインも男心をくすぐる表現だと思われる。お馬鹿キャラとはいえ相手を煽り見下す表情もM気質な人間にとっては興奮を覚えるものだろう。
なので感想は「エロい!以上!」としか言えない。それ以外の要素がない。イラストの下に辛うじて赤十字のマークがあるから献血の話なんだなと分かるくらいの献血コラボ要素。「献血のご褒美に貰えるエロいグッズ」だよね。それが良いか悪いかはよく分からん。「何が悪い」と言われれば別にそうだよねという気もするし、「エロすぎどうにかしろ」と言われれば苦笑いくらいはする。
俺は宇崎ちゃんの初期からの読者なのでこの漫画がギャグ主体の淡い青春漫画だと理解してるが、ぶっちゃけこのイラストだけ見たら「エロ漫画じゃないの?」と言われても相手を批判出来ない。否定はするけどね。
だからこのコラボは「献血のコラボとしてどうか」は兎も角も「宇崎ちゃんのコラボとしてどうか」というとわりと失敗だと思う。
「エロい事の何が悪いのか」と怒り心頭の人もいるだろうけど宇崎ちゃんというキャラって別にエロいだけの子じゃないし、逆に「あれは胸がでかいだけでエロくはない」みたいな事言ってる人は本当に男か?感受性死んでない?と心配になる。そりゃ現実のモデルさんがそこそこ胸がでかくて「デカいだけでエロいのか」と言われると人権的にアウトなんだろうけど、絵って基本的に何を強調するのかは作者が選ぶものだし、胸が強調されてる以上、読者のエロ好きな側面を利用するために描かれたと言って差し支えないでしょ。
「体はエロいけど中身は可愛くてギャップがあるよね」ってところがツボなのにエロしか伝えられないイラストじゃ片手落ちでしょっていう。
「今日は先輩の初めての献血ッス!」と大きく書いてあるからね。誰が読んでも分かる。
で、ちゃんとこういう漫画として描いてくれると宇崎ちゃんが「エロいだけの子」じゃないという事も分かる。相変わらず胸はデカいけどそれをことさらに強調せず明るくて純情な先輩スキーなところがいいよね。体はエロいけど存在は全くアダルトじゃない。
フェミに反発してか「相変わらず乳袋使ってるのに何故批判しない?」と息巻いてる人らは鈍感すぎるよ。「巨乳のイラスト」と「巨乳が出てくる漫画」じゃ印象違って当たり前でしょ。例えるなら「グラビア写真」と「ビーチバレーの競技風景」くらい違う。後者に対して「エロい!」と憤る事が冒涜である事くらいフェミにだって分かるでしょ。あんま代弁したくないけど、フェミは「グラビア撮影会にならなくてよかったね」と言ってるんだと思うよ。
えっ。本当に第一弾と第二弾見比べた?
「言語化できないなら黙れ」とか得意げに言ってる人ら大丈夫?こんな語彙力無い俺でもそれなりに言語化できるよ?
あと別に第二弾を評価してるのってフェミだけじゃないからね?俺みたいな外野も「へー分かり易いコラボになったじゃん」くらい思ってるわけで、そういう人らも敵に回してるという自覚あるのかね。納得してやってるならいいんだがフェミ憎しで暴走してるようにしか見えないから困る。
誰かのお気持ちで許されるなんてのはだめなの。
いや、別にフェミの肩を持つ気はないけどさ。第一弾も許されるか許されないかで言えば別に許せるというのが俺の本音だし。
でも「犯罪じゃなかったら文句を言うな」というのは「表現の自由」の明確な否定だよね。
そりゃあのイラストが刑事事件で立件される事態になったらこの理屈は適用されるけど、そんな主張フェミだってしていない。あくまで広告物、表現物として批評しているだけに過ぎないし、その発言がどうあれ彼らの批判に法的な強制力なんてない。判断するのは警察や裁判所ではなく企画元だけ。仮に明確な基準無しに表現を撤回してもそれは企画元の自由。
で、作者や出版社や企画者だって作品の内容を取捨選択する時に「これは犯罪じゃないからOKだな!」なんて理屈は使わない。
相手の主張をまるっと肯定する必要なんてないが、「犯罪じゃない限り相手のお気持ちなんて無視するよ」と公に言っちゃう人間は笑うしかないし、表現者をも侮辱してると思う。
忘れられないとしても、会社外での交流を作って、他の男も見ていき。
知るだけなら、あの人ってどうかな?と同じ部署の人間に聞けばまず喜び勇んで色々情報を聞いてくれるでしょう。
だけど、面白がるということはおもちゃになるということ。結果的に相性が合わないということもある。
そこで、だめだったらだめ。とスパッと切れたりするスキル。面白がる周りを沈静化させたり適度に無視して御するスキルも本当は必要。
本当は学生のうちにそう言うので多少痛い目を見て、経験して学んでいってるもの。
社会人になってから御せる覚悟があったら聞いてみるぐらいのものだと思う。
社会人になってそれはいささかうぶすぎる質問だと思う。悪いけど小学生か中学生の質問というか、、、、。
おもちゃになる覚悟があって、だめでも悔いがないぐらいに思えてきたら、同じ部署の同僚に聞いたらいい。
けど、うまく行かなかったら仕事に差し支えも出るし、会社を続けられなくなるかもしれんからね。
ー追記ー
すでに聞いてるのか。じゃあ、9割方そういう人間だってことだ。ってか、その評価ひどすぎない?
軽くわざと触れたりとか、そこそこ手慣れてる感じの男だな。
もう何年も前の話になる。仕事が忙しくストレスが溜まる生活を繰り返していた俺は、週に1、2度都内のあるバーで飲んで帰ることが習慣化していた。繁華街からは少し外れたところにある特徴のないショットバーで、特におもしろいメニューも嗜好ももないが、質の悪い酔っぱらいも居らず、1時間程滞在しても自分以外に客がいないことも珍しくないことが魅力のバーだった。
ある金曜日の夜、多分22時くらいだったと思う。流石にこの条件で他に客がいないことは珍しいのだが店は空っぽだった。半ば指定席と化しているカウンターの一番奥に私が座ると、店を一人で切り盛りするマスターは慣れた手つきで私におしぼりと灰皿を出しながら「タイミングが良かったですね。さっきまで戦場のようでしたよ。もう今日は静かだと良いのですが」と語っていた。
しかし、私の最初のオーダーが手元に届き煙草に火をつける時、もう一人客が入ってきた。大学生くらいの若い女性だった。派手さは感じないが華やかさを感じさせる美しい女性で、失礼ながらこんな小さな雑居ビルに入っているバーが似合うような女性ではなかった。おそらく恋人か何かと待ち合わせだろうと思いながら、私は驚きのあまり不躾にも凝視してしまった目線をバックバーに移した。カウンターしかない小さな店だから、普通こういう状況ではマスターは私とは反対の、入り口に近い席を進めるはずだ。俺にできることは、後から来る連れが騒がしい男でないことを祈るだけだった。
ところが、どうやら驚いて一瞬固まっていたのはマスターも一緒だったらしい。なぜか一度俺と目を合わせたマスターが「いらっしゃいませ」と言い切るころには彼女は私と一席空けた隣に座ろうとしていた。奥から詰めたほうがいいだろうと考えたのだろうし、これだけならそれほどおかしいことでもないのだが、何だか少しドキドキしたことを覚えている。
マスターもそれは同じようで、どこかぎこちない動きで彼女にお絞りを渡した。この店はマスターの気配りだけは一流と言って差し支えないため、一見の若い女性が一人で入ってきたら、さも常にそうしていますという素振りでメニューを渡しそうなものだが、マスターは彼女にお絞りを渡したまま姿勢を正して硬直するようにオーダーを待っていた。妙なことになってきたぞ、とそう思った。
私とマスターがそうして硬直していると、彼女は小さな、それでいて良く通る声で「ザンシア」と呟き、私とマスターをもう一度硬直させた。居酒屋やダイニングバーで出るようなカクテルではないし、スタンダードであるかも怪しい。私もショートカクテルということ以外はどういうものかは記憶にないカクテルだった。流石のマスターは「はい」とだけ答え慣れた手付きでオーダーを作り始めたが、私は混乱し始めていた。彼女は確かに華美ではあるが水商売には見えないし、偏見だろうが女子大生がこんなカクテルに詳しいというのも不自然だ。見た目通りの年齢ではないのかもしれないと思いながらチラリと彼女を横目で見ると、バックバーを眺める彼女からはどこか幼さも感じ、余計に俺は混乱することになった。
彼女の正体について私が思いを巡らせながらマスターがカクテルを作る様子を見ていると、ザンシアというのはかなり強いカクテルのようだった。シェイクする分を考えても、40度はあるかもしれない。それがカクテルグラスになみなみと継がれる様子を見ると、本当にあのあどけなさの残る女の子がこんなものを飲めるのだろうか、という余計なおせっかいを考えざるを得なかった。
しかし私の心配は杞憂に終わったようで、横目で見ていると彼女は一息でカクテルグラスを半分ほど開けていた。私も酒に弱いわけではないが、真似できる気はしなかった。少なくとも試したところで酒を楽しめないだろうことは間違いなかった。ますます混乱する私がこの後彼女に声をかけられて、挙動不審にならなかったことは奇跡だと思う。
「ねぇ」彼女は俺のことを見て確かにそう言った。「煙草、分けて下さらないかしら」、と。一字一句間違いない。確かに彼女はそう時代がかった口調で私に煙草を求めたのだ。混乱に次ぐ混乱の中、重ねて言うが私がどもらなかったことは奇跡でしかない。
「どうぞ」と言いながら私は彼女に箱を開けた煙草を差し出した。彼女は慣れた手付きで私の持つ箱から煙草を一本取り出し「ありがとう、火もいいかしら」と答えた。またしても「かしら」だ彼女はいったいどこの世界からやってきたのだろう。
ごめん書くの飽きた
「忠誠を誓う」とは「この人の命令には何でも従う」「この人の言うことは何でも信じる」と定義するとしよう。(ここで「違うよ、全然違うよ」という方は遠慮無く長文で突っ込んでほしい。)
ン十年の人生において「先生」「恩師」「師匠」と呼んで差し支えない人達、それは両手で数え切れないくらいには存在したが、ある人に対してこんな気持ちになった事は人生で一度も無いし、
むしろ「あーこの人、世間的には偉人扱いされてるっぽいけど控えめに言って屑やなー」とか「只の田舎のクソオヤジやなー」とか、結局人間って神様でも何でもなくて、いやむしろ神や仏ですら
「忠誠心」を獲得し一つ上野の意識高いステージにおわす賢人の皆様におかれましては、一体どうやって「忠誠」なるものを維持しておられるのか、その御神体や偶像を是非披露していただきたく存じ上げます。
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嫌味にしか目が行かなくて嫌味で返そうとしか考えが及ばなかった結果だと思うけど、「Please explain」の意味で合ってますよ。「共感」なんて虫唾が走る感情は地球上から全て滅び去ればいいので。「貴方の見解を求む」
本当は夫とセックスしたい。
最近子供は幼稚園に入り、夜もなかなかに長く寝るようになった。でもどうしてもしたくなくて半年以上拒否してる。
それまでの夫とのセックスは、ワンオペで家事とパートと子育ての末疲れ果てて子の寝かしつけをし、ようやく寝付いた子と共にまどろんでいる所を「やらせろ」の一言で行われるものだった。子は夜中に何度も起きるのでその後は寝たのか寝てないのかわからないまま朝が来た。
夫より早く起きて夫と子の弁当や息子の朝ごはんの世話、というより着替えやご飯は嫌だおやつがいいと泣く子のしつけに追われることになるので本当は勘弁して欲しかったが、夫の欲求もわかるので応えていた。
夫のモノはでかすぎた。そして遅漏だった。酒をしこたま飲んだ日は特に達することができず、なぜいかせてくれないと責められた。いつも内臓が痛くなり、翌日のパートに差し支えがあった。30キロの荷物を持ち上げる度いつもと違う痛みが内臓に響いた。
夫はセックスの時にそこはくすぐったくて嫌だから触らないで欲しいという所を執拗に触ったりした。くっせーなと叫ばれたりもした。何度言ってもやめずにだんだん嫌悪感が湧いてきた。
普段もクソデブとか、息子にも「お母さんブヨブヨで気持ち悪いね」と毎日のように言っているのに唐突にやらせろとなるので気持ちが追いつかない。
せめて子の寝かしつけをしてくれるとか、優しくしてくれるとか、翌日の負担を無くすようなセックスをしてくれるとか、嫌だと言ったらしないでくれるとか、私の容姿が気に入らないでもしょっちゅう言わないでいてくれればまだ苦痛なセックスでも耐えるのに。
でも本当は耐えるセックスじゃなくて愛し合いたいと思うんだけど、せっかく子供が長く寝るようになって時間ができたのだしと、そのために上記のこと都度都度伝えてるんだけど、うるせーなーって態度とられるのでどうすりゃいいのかどうにもわからんたい。
ふとTwitterのトレンドを見たら、誰か声優が引退するらしく、それに合わせて声優交代が発生するキャラクターがいるらしい。
その作品の事はあまり詳しく知らないので深く語れないが、自分はふとFGOのマシュ・キリエライトの事を思い出した。
少し古参面する。比較的初期の出来事なので知らない人も多いかもしれないが、マシュの声優は当初は現在の高橋李依ではなく、種田梨沙だった。
ヒロイン・マシュのCV:種田というのは、FGOという作品におけるメイン声優と言って差し支えなかった。
主人公のCVが決まったのは割と後だし、シリーズの顔であるセイバーもFGOでは出しゃばってこない。
そんなメイン声優が交代する事になったのは、彼女の活動休止が原因だった。
当初は勿論ある程度批判があった。ゲームで使うだけなら既存のボイスで足りる。何も交代しなくてもいいじゃないかと。
その時のファンには知るよしもないが、この後FGOは何度もアニメ化する事になる。アニメ化以外にもマシュの追加ボイスが必要だったシーンはいくつもあった。
ファンには公表されていなかったが、水面下ではもちろんそれらの動きが決定していたのだろう。どうしても新しいボイスは必須だったのだ。
自分もちゃんと似た雰囲気の、交代の違和感の少ない声優さんを探してきたなとは思ったが、別人である以上はどう足掻いても完全一致とはいかない。
最初にアニメ化した時は「ああ、これ種田マシュで見たかったな」と思ってしまったのを覚えている。
……でも素晴らしい事に、新声優・高橋李依の努力は凄まじかった。
最初は何も知らない新人という状態だったのが、気付けばFGOのガチ勢になり、ファンの好感度は爆上げ。
気付けば交代声優という事を忘れさせるほどFGOに馴染みきり、完全に地位を獲得していた。
またFGOが爆発的に流行するのもこの後の話で、種田マシュを知らないプレイヤーもかなり増えた。マシュと言えばCV高橋なのだ。前声優がいたというのももはやトリビアぐらいの立ち位置になった。
加えて度重なるアニメ化や新ボイスを経て、すっかりマシュの声優として定着する。
この頃にはすっかり自分もマシュの声優として認識し、マシュといえば高橋マシュになっていた。
特別前声優のファンという訳でもなかったが、それにしたってあれだけ思い入れがあったのに見事な掌の返りようである。そうさせたのが純粋にすごい。彼女自身の凄さもあるが、周囲のプロデュースだって凄いものだ。
マシュといえばあの声しか、もう思い浮かべられないのだ。
どんな声だったかなと思って、youtubeで動画を探して久しぶりに聞いてみた。
マシュってこんな声だっけ、と思った。
ほんと単純な頭してんな俺は……
この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません。
20xx年y月z日、日本は文字通り崩壊したと言って差し支えない。首相は今日、日本人ではない人が任命された。日本という国は終わったのだ。
町は狂気に満ちている。街中には食い扶持に困った物乞いに溢れ、道行く人にすがり寄っている。触るなとはっ倒されるなど日常茶飯事の光景だ。実ははっ倒す側の人間はほとんどが日本人ではない。今や日本の経済を回しているのは後から大量に入ってきた移民である。公園にはホームレスに溢れ、異臭に満ちており、日本人への迫害も始まっていた。先人たちが見ればこれがあの技術大国だった日本か…と驚きを隠せないだろう。
何故こんな事になったのか?今考えればその兆候は随分前から見えていたかもしれない。しかし多くの人々は最後まで気づく事はなかった。
日本は憲法9条を盾に平和主義を貫いてきた。確かにこれまで日本で戦争になったり、戦争に参加する事はなかった。しかし、戦争は武力だけではないのである。平和ボケしている国民をよそに、静かなる日本への侵略が進められている事など誰も知る由もなかった。一部の官僚を除いて。
100年を越える年月をかけて日本への侵略が行われていたのだ。
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日本への静かなる侵略は1980年頃から始まっていた。詰め込み教育への批判が高まった事からゆっくり教育が始まった。ゆっくりな教育で生きる力を育むと最もらしい理由を言っているが、本当の狙いは違う。日本人は馬鹿になってもらわないと困るのだ。これがその第一歩になった。
学校教育現場への根回しも事欠かない。将来の天才や革命家が生まれては困るので、出る杭は打つ教育を徹底した。まだ授業で習ってない事を回答する者には誤りとして処した。せっかく学問に励む者のやる気を失墜させる為である。
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次に大きく動いたのは1989年、消費税3%の導入である。建前上、今後の年金や社会福祉、少子化対策として導入されたが、対策などは行われる事はなく、法人税減税の埋め合わせに使われる事となった。もうひとつの狙いは国民をじわじわと貧困に導く事にもあった。貧困層を増やし、国力を削ぐ必要があった。
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政府にとって早急に実現しなくてはいけない事があった。それは政治不信の訴求である。国民の政治への関心を薄れさせる事が命題であった。投票率を下げる研究が始まっていた。
与党である自由贔屓党と野党の民生党の二大政党であるが、2009年に初めて政権交代が行われ、民生党政権が誕生した。自由贔屓党への不信感から一度やらせてみようという感覚で民生党への支持が集まった。しかし民生党政権は自由贔屓党以上に酷い政権だった。事業仕分けで数々の予算を削減、中国や韓国の顔色を伺う外交、朝鮮学校の無償化を検討し、更なる消費税の増税を決定。一気に民生党の支持は失われていった。
2012年、衆議院解散により総選挙が行われた。300議席以上あった民生党は⅙まで減らし大敗した。これにより、自由贔屓党への期待か高まることとなった。同時に民生党には政権を担当する能力がないと広く知らしめられる事となった。
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国民の収入の格差問題が取り沙汰され、正社員と非正規社員の収入差が顕著なものとなっていた。仕事内容はほほ変わらないのに収入に格差があるのはおかしいと問題提起された。ここで政府は格差を是正する為に正社員という枠組みを無くす事にしたのだ。正社員も非正規社員も一律従業員となり、待遇も非正規社員のものに統一された。正社員だった者にはとっては大幅な減給であり、非正規社員はこれを歓迎した。業務は変わらないのに責任だけは重く、アルバイトとして働いても待遇がほとんど同じである。これには離職者が続出したが、これも計画通りであった。
会社を辞め、独立した方が稼げると気づいた能ある者は個人で仕事をする事が増えた。稼ぎが増え生活レベルが向上した者もいたが、歓喜しているのもつかの間。刃が差し迫っていた。
軽減税率に伴うインボイス制度の導入である。この頃の消費税は基本的に10%で食料品のみ8%を適用する軽減税率が導入された。税制としてとてもわかりにくく、事業者に多くの負担を課した。個人事業主やフリーランスなどは売上が1,000万円以下の場合、免税事業者として消費税の納税が免除される。しかしインボイス制度の導入で企業は適格請求書発行事業者の請求書じゃないと仕入税額控除ができなくなる。適格請求書は個人では発行できず、法人になるか課税事業者にならなければならない。つまり、今まで個人で仕事を請け負ってきた個人事業主やフリーランスは仕事をもらう事ができなくなるのである。個人で仕事を請け負う事が困難になった。
これで個人事業主を廃業するものが増えたが、一度会社を辞めた者が再び企業へ復帰する事は叶わなかった。外国人労働者の割合がどんどん増加している為、入る隙間はすでになかった。
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令和元年、政権を揺るがす大きな不祥事か発覚した。それは内閣総理大臣が主催する愚民を見る会である。愚民を見る会は各分野で功績や功労のあった者を招待して行われる行事であるが、首相の地元後援会の皆さんを多数招待し、税金を使って接待をしていると税金の私物化をしていると批判が多くあがった。
これに対し政府側は訳のわからない説明を繰り返しており、答弁の度に矛盾点が噴出し追求が深まる事となった。テレビやメディアでも取り上げられたが、世論は首相が有権者の接待をして何が悪い?税金を私物化してもいいから、そんな事より大事な審議をしろという批判もあった。
しかし政府は特に危機感を持っているわけではなかった。これだけ状況証拠が出てきても検察が動くことはなかった。いわゆる忖度というやつだ。動かないというより、動けないといったところだろうか。長引かせて有耶無耶にし、逃げ切ろうという算段だ。
2年後、衆議院の任期が終わり選挙が行われた。与党の自由贔屓党が¾の議席を獲得する大勝を果たした。数々の不祥事があろうとも奇しくも政権を担当できる政党は自由贔屓党しかなかった。
この頃には長年の自由贔屓党の腐敗政権を打倒しようと多くの政党が誕生した。しかし、ほとんとが猫の爪痕も残すことも叶わず消えていった。令和の頃世を賑わせた独裁政権から国民を守る党は中でも一番懐に斬りかかった政党だった。しかし、政府はテレビ、新聞、インターネットの総力を駆使して悪印象を植え付け、国民を洗脳した。
この頃政府の驚異となっていたのはYoutudeの勢力である。誰でも簡単に発信する事ができ、政治家も直接国民へ訴えかける事が可能となった。これを恐れた政府は日本でYoutudeの利用に制限をかけるYoutude税を制定した。日本限定で動画を投稿するにはお金がかかるようになった。極めつけは政治家のYoutudeの利用を禁止する法律が施行された。
そうなると当然反発する国民も出てきそうなものだ。表現の自由すらも侵す、憲法も知らぬ存ぜぬの政策に不満が出るのは当たり前だ。しかしYoutude税を納めてまで政権批判の動画を上げたり、Yaheeコメントで文句を言ったり、Twitrarで文句を言う程度であった。誰も打倒政権デモを起こそうともしなかった。政府も日本国民の国民性をわかってやっているのだ。後に知らない間に政権侮辱罪というものができた。政権に批判的な者は罰せられ、5年以下の懲役、500万以下の罰金が課せられる事になった。
これだけ滅茶苦茶な政治をやっても自由贔屓党の政権は揺るがなかった。野党よりましという意見もあるが、政権を担当できる政党が自由贔屓党しかない時点で詰んでいるのである。どんな不祥事が連発しようとも自由贔屓党が選挙で負ける事はなかった。この頃には国民の政治不信はかなりの域に達しており、衆議院の投票率で15%を下回っていた。ほとんどが自由贔屓党の支持母体である組織票である。国民は政治をほとんど諦めており、選挙へ行っても何も変わらないと思う人がほとんどだった。政府の策略にまんまとはまっていったのだ。
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この頃から政権に変化が生じてきた。今までは建前上最もらしい理由をつけて国民に痛みを伴う政策を実施してきた。それが露骨に悪政を行うようになってきたのである。
まず第一に子どもがいる世帯に子ども税を導入した。1人につき年間5万程度の税となる。こうなると子どもへの虐待が加速し、前年の15倍に跳ね上がった。お前さえいなければ!と虐待した結果、子どもを殺してしまうケースも激増し、殺人罪として検挙される頻度も激増した。出生率は0.5を下回る中、順調に子どもの数は減っていった。
そして消費税を2年に1%ずつアップする法案が閣議決定された。それもひっそりとだ。テレビなどのメディアには適当に芸能人を麻薬所持の疑いで逮捕させ、国民の目を背けさせた。
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それから数十年後、この程台風49号が日本全土に猛威をふるった。地球温暖化の影響で台風の発生数が年々増加している上に、威力も輪をかけて増大していった。台風の中心気圧は900hpaを下回り、最大瞬間風速は100m/sに迫った。
年間20以上の台風が上陸し、年中台風が上陸する可能性があった。各所で壊滅的な被害が出て復旧が間に合わない状態にあった。ある時、政府は復旧しない事を決めた。国としての支援を打ち切った。都市部以外は住める状態ではなく、インフラも止まったままになった。住民たちは住む場所を求めて東京へ殺到し、東京への一極集中が加速した。
台風がいくら上陸しようとも東京は無傷だ。政府は台風対策に1兆円を拠出し東京全土を守る障壁を開発した。これにより風や雨の量を軽減する事ができるのだ。東京以外では地獄の様相である。もう住める場所ではない。東京の外にいる者は自己責任と切り捨てられる事となった。
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台風の混乱の中でもひっそりと進められていたのが外国人参政権だ。幾度となく廃案になってきた法案で、自由贔屓党はかねてより根強い反対の立場を貫いてきたが、突如立場を逆転させてきた。密かに法案を成立させ、選挙権の他、被選挙権も付与された。国政選挙には外国人の率候補者が増えてきたが、日本人の投票率は10%を下回っていた。ほとんどが与党の支持母体である組織票で、政府の思い通りの候補者が当選していった。
日本の企業で外国人が多く働いているが、低賃金で長時間働かせるなど待遇が悪いと批判を浴びる事となった。この問題は世界的に話題になり、日本が一斉に槍玉に挙げられたのである。これに対処する為に政府の補助のもと、外国人労働者の待遇を一斉にアップさせた。労働環境、賃金を一斉に改善させたのである。注意点は日本人は除くという事だ。
今や日本人が人並みの生活を送っている者は少ない。政治家の家系に生まれた者か、有力者にコネがある者、経営者の大富豪くらいだ。昔から格差はあったが、今ではさらに格差が広がり極貧に苛まされている。生活保護は段階的に削減されていった。
年金の受給年齢は100歳に引き上げられた。今では年金を受け取れるのは1%にも満たなかった。
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どれだけ実力を固めたって、入社後のビジョンを見据えた話ができないと就活では埋没してしまいます。それを説明できますか。
制作において重要なのは、チームのコミュニケーションと言って差し支えないと思います。基礎の制作技術ももちろん大事だが、制作の新卒は伸びしろを見込んで採用されます。
(任天堂程の人気企業であば技術の占めるウエイトも高くなるだろうが、その頑なな姿勢はマイナス評価になる可能性もあるのでは?と思います)
化け物みたいに画力がある人材は履いて捨てるほどいる。それでも、コミュニケーションができない人材だからと選考から落とす場合ももちろんあります。
画力以外でアピールできるポイントが必ず必要になる。藝大に入ることは、果たしてそれに値するでしょうか。
画力で殴るより、「デザインの公募で採用された」「友人とチームを組んで自主制作でグッズの販売をした」「知り合いのお店のチラシを、要望通りに作る」なんて経歴の方が評価しやすいです。
お仕事に最初から最後まで責任もって取り組める保証になりますから。
どうにも情熱が空回りしているように見えます。頑なになりすぎずに、もう少し柔軟に過ごしてみてはいかがでしょうか。
藝大を志望とのことですが、まず、藝大である必要があるかと言われれば疑問に感じます。専門学校から採用される人員もおります。
「ゴールまでの最短距離を突き詰めること」は任天堂の理念と相反するもののはずです。(面白さを求めるあまり、回り道して制作する企業姿勢ですから)
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いやエリートはエリートでいいのよ。その上は超エリートとか天才とか100%中の100%とか言うし。
世間的にいえば、実際は国立いったら「頭いいわね~」ってレベルよ。まして東大生なら「エリート」で差し支えない。というかそれはもう受け入れるしかない、辛いと思うが。
「よくある言葉」って、その場に立って初めて実感するよな。木端が下から見て「上には上がいるんやろ(ドヤァ」、薄っぺらい言葉ってのはつまりこういうことよね。実感が伴ってないと意味ないし、相手に実感がなければ結局伝わらない。
社会人でもあるよ、頑張っていい会社行っけど周りはそれが通常状態ってのばっかで死にたくなる、みたいな。それでも自分だけの特徴ってのを見つけていこうず。東大入れるまで勉強する能力があったんだから、絶対できるやで。
美人なのに育ちが悪いと苦労するのではなくて、ブスでも育ちが悪ければ苦労する。ブスは苦労してても目立たないだけ。結局はどちらも不幸。
美人で育ちがいいと美人なのに素晴らしいと褒められて、ブスなのに育ちがいいとブスだから努力して当然だと言われる。一見不公平に感じるけど実はどちらも幸せ。
これをルッキズムの問題に置き換える人間は育ちがなってない。議論の本質を置き換えてはいけない。
美人かブスかなんて、巨乳か貧乳かくらいの遺伝子によってもたらされる選択不可能な身体的特徴の1つでしかない。
美人におごって成長を怠れば不幸。ブスに卑屈になって成長を怠れば不幸。ただそれだけのこと。
間違ったルートを進めばどちらも不幸ということに変わりはない。
私は女性だが、生理が何ヵ月も来ず、検査をしたら男性ホルモンがたくさん出ていて女性ホルモンが最低限しか出ていないとのことだった。
そう言われてみると腑に落ちることはたくさんあって、確かに生理もたまにしか来ないし、声も低いし、毛深い。ちょっとだけどひげも生える。クリも大きい(比べたことないけど)。
そしてこのホルモン状況は、私の身体だけでなく、思考や選択や価値観にも影響を与えてきたんだろう。きっとそうだと思う。
完全無欠の女性的女性、女性ホルモンが適切に分泌され、毎月排卵と月経が適切に行われ、毛深くもなく、声も可憐で、ひげも生えず、クリも大きくない方々、彼女たちは確かにしっかりと女性であるが、私もそう言って差し支えないだろうか。分からない。
かといって男性になれるわけでもない。かなしい。