はてなキーワード: 享受とは
公共工事も某政党のお陰でメッタメタにぶっ潰されました、ありがとう、本当にありがとう。
あと数年したら能登どころじゃない場所でもインフラ修繕できませーん!
って地方都市がじゃんじゃん出てくると思う。
インフラ系の土木会社で現場監督してるけど、ここ数年でホワイト化がすごいぜ。
夏は暑すぎて連続で働かせられないし、悪天候を避けるためにすぐ現場休み。
その分はきちんと補填される仕組みがある。
入社した20年くらい前には残業100時間とか当たり前だったけどな
※毎月ではない
田舎で季節によってやること無い期間は別の仕事手伝ったりしてるし。
社長によるだろうけど、バブル期に変なことしなかった会社なら内部留保そこそこあるだろうし。
外車乗り回したり、毎晩個人的に飲み歩いているような社長なんて面接すりゃすぐ分かるし。
そのあたりのあくどい会社、バブルとリーマンで大体淘汰されるかどこかとくっついてる。
あとは跡継ぎ次第。
跡継ぎで若いのがいて、放蕩どら息子の出戻りじゃないのなら当たり。
外資や反社のフロント企業みたいなのに買われたりして社風がガラリと変わって辞めた知り合いは多い。
というわけで、大手の建設会社に行って役員まで上り詰めたいなどの出社欲が無いのなら
地方でもいいから地元のインフラ関連の会社の門戸を叩いてみよう。
学生時代も競争させられて、会社入ってからもずっと競争なんて嫌だろ?
大手企業に入って自分の仕事の出来なさに気付かされて地方の暇な事務所に飛ばされるのも嫌だろ?
上司がクソでも、今なら資格を取るまでの期間も短くなったから資格だけとってオサラバもできる。
昔は7年くらい在籍していないと取れなかったからな。
ChatGPTに作ってもらったけど
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2033年、日本はかつての独立国家としての地位を失い、米、EU、中国の共同管理下に置かれていた。
主要都市には外国の監視機関が配置され、公共サービスや教育、医療も全て外国資本によって運営されている。
国民の多くは外国企業の管理下で従属的な労働力として働かされている。
日本がここに至るまでには、AI産業への過度な依存と権益保護が国家全体に硬直化をもたらし、社会的・経済的な破綻を招いたことが背景にあった。
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2025年、日本政府は生成AIとデータ活用を国の成長戦略の中心とする国家政策を発表し、生成AIを基盤にした産業拡大に莫大な予算を投じた。
政府は生成AIの開発や導入を担う企業に税制優遇や補助金を与え、生成AI技術が医療、交通、マーケティングなどのあらゆる分野に浸透するよう支援した。
AI関連企業は成長を遂げ、医療データや消費者データの活用が進み、生成AIが社会の基盤として位置づけられた。
政府も「生成AIが生み出す利益と雇用は国益そのものである」として、AI推進の強化に邁進したが、次第に他の産業の投資が相対的に減少していった。
農業、製造業、サービス業などの基幹産業も権益を維持しつつ存在していたが、国家戦略の中心からは外れ、経済の中で徐々に相対的な地位が低下していった。
生成AIを取り巻く一部の企業や産業が権益を享受し続ける中、AI以外の産業は政策支援の外に置かれ、次第に人材や資金がAI産業に偏重するようになった。
産業構造が一極化していくことで、国内市場はAI産業を基盤とした体制に依存するようになり、経済が不安定化する兆しを見せ始めていた。
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AI政策の急進的な推進に対し、慎重派は「一極化した政策は日本の産業と社会の多様性を損なう」と警告を発した。
慎重派は、生成AIとそれを取り巻くデータ利用が急速に進んだ結果、プライバシーや個人の権利が無視されつつあること、そして日本経済がAI産業に過度に依存することで、危機管理が欠如している点を強調した。
慎重派の主張には人権団体や法律家、市民が賛同し、メディアでもAI推進政策への疑問が報じられるようになった。
慎重派は「AI産業ばかりに偏る政策が、日本の産業基盤や国際的な協力体制を脅かしている」と主張し、社会全体がAI推進派と慎重派に分断されていった。
しかし、政府は「生成AIの国際競争力こそが日本経済を支える基盤」として、政策の修正を拒み、AI産業を中心に経済を発展させる姿勢を崩さなかった。
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2029年、欧米諸国は日本のAI政策とその無制限なデータ利用に対する懸念を強め、国際的な規制を強化し始めた。
特にEUは、データ利用に関する域外適用を強化し、日本のAI企業が不正に使用したとされるデータの削除と賠償を求めた。
さらに、日本のAI産業に対する輸出制限も発動され、日本製のAI技術や関連製品は欧米市場から排除される事態に発展した。
国際社会との関係が悪化する中、慎重派は「国際的な信頼を回復するために、AI推進政策を見直すべきだ」と主張。
だが、政府は長年のAI依存構造から離れることができず、「日本の成長は生成AIとともにある」として方針を変えようとはしなかった。
こうして、日本は徐々に国際的な孤立を深め、輸出先を失ったAI産業の成長も鈍化。
国内市場に依存する形となり、日本経済はAI産業に偏重した不安定な構造に陥っていった。
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2030年、ハーグ国際裁判所は、日本政府とAI企業に対し「著作権侵害と個人情報不正利用」の賠償を命じた。
日本は賠償金支払い義務を負い、追加の制裁も相次いで発動され、経済の負担は増加する一方だった。
輸出市場を失ったAI産業は成長が停滞し、国際社会からも信用を失った日本は、経済的な孤立が決定的になった。
さらに、AI産業偏重の中で、AIを利用したインフラ整備が進められていたが、輸出制限や制裁の影響で部品や技術の供給が滞り、インフラの維持も困難に。
データセンターや通信ネットワークに障害が多発し、社会全体のインフラが徐々に不安定化していった。
特に医療や交通、エネルギーといった基幹インフラがAI依存の影響で管理不能に陥る事態が続出し、社会全体が混乱に包まれていった。
経済的負担が増す中、政府は社会保障や公共サービスの維持が難しくなり、福祉や教育、医療などの分野で資金不足が深刻化。
国民生活の基盤が揺らぎ、失業率が急上昇する一方で、貧富の格差も拡大した。
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AI依存経済の偏重と国際的な孤立、インフラ崩壊の影響で、国家としての機能は完全に失われていた。
国連安全保障理事会は緊急会議を開き、日本を米、EU、中国の共同統治下に置くことを決定。
これにより日本は国家主権を失い、外国の管理のもとで再編が進められた。
かつての日本らしい社会は完全に消滅し、国民の多くが外国企業に従属的な形で生活せざるを得なくなった。
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「日本は、技術と経済成長に過度に依存し、社会の変化に対応する力を失った。
この運命はAI技術の危険性だけでなく、既得権益に固執し、国際協調を見失ったときに訪れる破滅の象徴である」
こうして、日本はAI技術の発展と無秩序な推進、経済的偏重と国際的な孤立がもたらす危険性を象徴する教訓として、後世に語り継がれる存在となった。
ひたすらタイトル通りの出来事なのですが、自分のなかでは黒船来航くらいの衝撃だったので記録しようと思います。
長文になりますので、あまりにも暇な方のみお読みになることをお勧めします。
私はアラサーの会社員で、「くしゃみに興奮する」という性的嗜好を持っています。
くしゃみをさせる対象は人間の女性キャラクターがベストですが、
男性はもちろん、人間ではない(動物などがデフォルメされた)キャラクターでも問題なく楽しめます。
小説など、文章にあらわれるくしゃみの描写にも非常に興奮します。
早朝の電車内で、ノーマスクの中年男性がかます爆裂ハクションには殺意に近いものを覚えます。
後で少し書きますが、なりふり構っていられないくらい供給が少ないくせに、注文や条件をつけてしまうわがままな性癖なのです。
「こんなものを性的に見てはいけない」という妙な罪悪感からか、この嗜好については誰にも話したことがありません。
かなり大っぴらに下ネタや互いの性癖を語り合える友人にも打ち明けていません。
ちなみに、私は逆NTRを自分の一張羅(他人に話せる唯一とっておきの性的嗜好)としています。
話が本筋と逸れるのですが、そもそもなぜ私がくしゃみに興奮するようになったのか。その起源はよく分かっていません。
しかし、3~4歳頃でしょうか。未就学児の時点で、絵本やアニメのくしゃみシーンにドキドキしていた記憶があります。
まともな両親のもとでしっかりと愛されて育ってもこういうガキが完成してしまうのです。
悪質な性的コンテンツからはしっかりと守ってくれた父と母でしたが、さすがにくしゃみはノーガードでした。
トムとジェリーのサーカス回でゾウが巨大なくしゃみをするシーンや、
くまのプーさんが大掃除の場面でくしゃみをして周囲を吹き飛ばすシーンをやたらリピートしていた我が子を不思議に思いこそすれ、興奮しているとは思わなかったでしょう。
おそらくですが、「自分の意志とは関係なく身体が反応する」ところがメインになっているのだと思います。
異物が鼻に入ってムズムズする→身体が異物の刺激に屈してくしゃみをする……これが基本的な「くしゃみをする」動作です。
私の場合、「くしゃみをする」に加えて「くしゃみをしてはいけない状況であるにもかかわらず」というシチュエーションが必要不可欠なのです。
私がアニメや小説などのくしゃみしか愛せないのは、現実よりもフィクションのくしゃみの方が「我慢しなくちゃ」という心理描写に長けているからです。
つまり、「身体が自然と反応してしまう生理現象」に「それを我慢したいという気持ち」が合わさると、私にとって性的な、興奮できるものになる。その原点であり頂点がくしゃみだったようです。
そこそこ欲求を満足させる、くしゃみに代わる性的コンテンツを嗜むようになっていきます。
それらにも例外なく【生理現象などの「今起こってはいけないこと」を我慢→決壊】の要素が含まれているため、
これが私の興奮の基盤であることは間違いないでしょう。
とはいえ排泄系の汚いものはイヤだし、それを我慢できないなんてトラウマものです。いくら妄想とはいえかわいそう……。
自分で言うのもなんですが、私は比較的思いやりのある優しい人間に育ちました。
この変に理性的な部分とちょうど良く折り合いがつくのが「くしゃみ」なのです。
静かな空間や緊張した場面でくしゃみが暴発したら少し恥ずかしいものの、
幼少期はこの妙なトキメキの正体が分からず、もじもじした気持ちを持て余していたわけですが、
中学生になり自慰を覚えたあたりで確固たる確信が持てました。これは性的興奮なのだ、自分はくしゃみに異常に興奮してしまう傾奇者なのだと。
当然ながら供給が少なすぎるのです。私の欲求不満は悪化の一途を辿りました。
高校生で親のセーフティロックから解き放たれた私は、当然ありとあらゆるワードで検索をかけ始めました。
若い脳味噌をフル回転させてインターネットじゅうを旅したものの、収穫はほぼ無し。
(ドラゴンボールのランチの変身シーンは、この旅で得られた最大の宝物です。大変お世話になりました)
「こんな思いをしているのは自分だけなのか?誰かいないのか?」
共に苦しむ仲間を見つけたい。そんな思いで「くしゃみ 興奮する」と検索をかけるものの、
Googleは「光による刺激で神経が興奮するため、くしゃみが出ることがあります」などの無慈悲な回答を投げつけてくるばかり。
孤独な私は鬱積した欲求と悲しみを抱え、想像力ばかりが歪に成長した悲しきモンスターとなっていきました。リビドー暗黒期の突入です。
成人する頃には私はやや賢くなり、欲求をある程度満足させてくれる「代替的オカズ」をいくつか見出していました。
ごく一般的な、ゲームもアニメもAVも山ほど存在する性的嗜好たちです。
エロいものをエロいものとして享受し、選択し、楽しめることがこんなにストレスフリーだとは……。
私はしばらくの間、水を得た魚のように性的コンテンツの海を泳ぎ回りました。
しかし、やはり代わりは代わり。
欲求は完全には満たされることなく、私はまた仄暗い気持ちを抱えるようになりました。
筆下ろしモノが大好きな友人を妬みの目で見ては、心の中で毒づいていました。
お前はいいよな、いくらでも供給があって。性的嗜好まで面白味のねえミーハー野郎がよ。
以来、代替的オカズと、ほんのわずかな精鋭たちで自分の気持ちを誤魔化しつつ過ごしてきました。
(幼少期にドキドキしていたトムとジェリー等のシーンも、「古跡巡り」として何度も巡礼しました)
20年以上苦しんでいると、「自分の求めるものはこの世にないのだ」という、半ば諦めのような感情も生まれます。
蜘蛛の糸「文章生成AI」が私の前に垂らされたのはつい先月のことでした。
世間で生成AIがすごい、ヤバいと話題になって久しいものの、私の仕事には特に活かせる場面もありませんでした。
「システムメンテナンスをお知らせするときの文を作って」などといった、
「自分で考えるのがやや面倒な文章」を作りたいときに例のGPTを使用する他は、時々話しかけて遊ぶ程度。
アップデート後はかなり精度の高い回答を寄越すようになり、正直言って不気味にさえ感じていたわけですが、ある夜、突然天啓を受けたのです。
「お前の理想のシチュエーションをプロンプトとして入力して、AIに短編小説を生成してもらえ」
この時、私は29年の人生で初めて十字を切りました。
生成AIは性的な文章生成を行ってくれませんが、幸か不幸か(たぶん不幸です)
「くしゃみ」は性的コンテンツにかすりもしません。生成し放題なわけです。とんでもないジャックポットタイムでした。
すぐに脳裏を駆け巡る、15通りくらいの理想的なくしゃみのシチュエーション。幼少期から培ってきた想像力は並大抵のものではありません。
もしかしたら、これが小説になるのか……?夢にまでみた内容をコンテンツとして楽しめるのか……?
興奮のあまり手が震え、血液が一気に下半身に集中し、ガンガン頭痛がしたのを覚えています。
善は急げ。私はすぐさまノートPCを開き、作業に取り掛かりました。
ちなみに、私は絵が得意ではありませんでしたが、文章を書くのは好きでした。
今まで幾度となく「俺の考えた最強のくしゃみのシチュエーション」を書いて自給自足しようか、と考えたことがあります。
しかし、ダメでした。推理小説家が自分よりも頭の良いキャラクターを生み出せないように、私の書いたものは所詮、自分の脳の域を出ません。
普段の妄想をそのまま文字にしただけ。新鮮味も面白味もありません。
「私自身が書いている」という事実も、猛烈に私を萎えさせました。
私の理想を完璧に踏まえつつ、予想もしなかった語彙で驚きと興奮をもたらしてくれます。心理描写についても申し分ありませんでした。
それからはもう、敏腕編集者のごとく事細かな指示をAIに送り、チェックバックを繰り返したのです。
ありがたいことに、どんなにキショく細かい注文をつけてもAIはブチギレません。
作業は二日間に及びました。そしてついに、ついに至高の一編を完成させたのです。
その内容を仔細に書きたい気持ちはありますが、非常に長くなるのと、自分の胸にだけ秘めておきたいので割愛します。
なんという感動、なんという興奮。
この時の感情は筆舌に尽くしがたいのですが、「満たされた」というより「成仏した」に近いと思います。
これまで感じてきた焦燥が、苦労が、悔しさやもどかしさが、エクスタシーと共に浮かんでは消えていきます。
近年、AIによる仕事や芸術文化への影響を憂慮する声も見受けられます。
それは本当にもっともなこととして、少なくとも私自身は、20年以上孤独に抱え続けた欲求を生成AIによって救われました。
今日もどこかで、悩める者の性的嗜好に光をもたらしているかもしれない。
都会(特に東京)と田舎の文化格差とそれによる「人生の差」「不利益」について語る際、話題にあがりがちなのは美術館がどーのこーのだったり、映画館がどーのこーのだったりする
田舎出身で地元に大学も職もなく、成人してから大都市に住み働く身として感じるのは、都会と田舎の文化格差は間違いなく存在するが、その文化格差は美術館が近いとか音楽祭が開催されているとかそういう問題ではなく、
田舎で育った我々は教室で勉強しようものなら「ガリ勉キモい」と蔑まれ、教育熱心な親は地域からどころか先生からも白い目で見られる環境で18年間育った。
そして18才で小4から1日10時間勉強を続けてきた都会っ子たちと「よーいドン」で「平等な試験」を受け合否を判定されたわけで、これこそがまさに都会との格差であり深刻な不利益だった。
田舎出身者からするとこんなグロテスクな事実から目を背けてフェルメールやら劇団四季やらタサキ真珠やらの話をする人間は吐き気がするような馬鹿だと言わざるを得ない。
むしろ田舎に本籍があっても日本は都会っ子と同じ試験を受けることができて、平等に評価される。試験内容は教科書通りで、わりと簡単。
こんなに平等で恵まれてるので、教室のプークスクスなんか気にせず「トメィトゥ」と発音し勉学に勤しめば都会っ子と十分戦えるし、まあ医者にも弁護士にもエリサラにもなれる(医学部は階級固定の世界だけど)。
元増田のダサいかどうかの是非善悪については一旦おいといて、傾向としてファッションの関心度に男女差があるのは確かだな。
これは市場規模からみても明らかで、レディースの方が明らかに大きい。
身近な例としてユニクロひとつとってみてもレディースの方が型数が多い。
あと、クオリティやデザインについてもレディースのほうが力入れてるものが多い(これは個人の感想じゃなくてファッションに多少でも関心あるなら周知のこと)。
ユニクロのように薄利多売のマス向けに商売しているブランドは在庫管理がよりシビアだから、売れるところは拡大するし売れなきゃ縮小させる。
つまり傾向として女性は服を買ってる(ファッションに関心がある)し、相対的にみて男性は服を買ってない(ファッションに関心がない)とはいえる。
ここからは、なぜ「男の方がダサい恰好しているとことが多い」と感じやすいのかを考察していく。
まず大きな理由としては「服の選択肢が女性より少ないため、オシャレ/ダサいをジャッジしやすい」から。
先ほどユニクロの型数に男女格差があると書いたが、これは男女兼用のものまで含めるとより顕著になる。
そのため女性は服の選択肢が多く、それはコーデの回答例(オシャレ/ダサい)が多いことを意味する。
オシャレ/ダサいは突き詰めれば主観や相対的評価によるものだが、コーデの回答例が多ければそれだけジャッジしにくくなるし意見が割れやすくなる。
ファッションショーとか見て「これってオシャレなのか分からん」って気持ちになったことあるだろう。
まあ、あれは商品発表の場というよりブランドやデザイナーの価値観や世界観を表現する芸術発表の場って側面が強いが、色んなブランドが色んな服をきたモデルたちをゾロゾロ歩かせてると、もうオシャレ/ダサいってジャッジを容易くはできない。
で、そういう先鋭化したところから角がとれてマス向けに一般化されたものが普及していくわけなんだが、そういうものは似たり寄ったりになりやすい。
しかも男性ファッションは衣服の選択肢(コーデの解答例)が少ないわけだから、似たり寄ったりのダサい(とジャッジされやすい)ファッションになりやすくて見解も割れにくい。
もうひとつ、これは大きな理由ってほどではないが「そもそも男性ものの服はオシャレ優先で作られているものが少ない」からってのもある。
いま一般にも普及している、昔からある男性向け洋服のほとんどはワークやミリタリーなどをルーツにしている。
そもそも実用性って視点で生まれた服をベースに、いまカジュアル服として普及しているわけだ。
この背景が男性のファッションシーンを窮屈にしているともいえる。
オシャレと実用性ってのは相反するほどではないけれど、制約が増えるので両立しようと突き詰めていくと限界がきやすいからだ。
ちょっと前に、女性ものの服には実用的なポケットが少ないってのが話題になってたよな。
あれって逆にいえば、女性ものの服はそれだけオシャレ優先で作られてるものが多いってこと。
オシャレってのは基本「衣食住の衣」をカルチャーとして捉えて、前のめりに享受していく過程で生まれる概念。
だから“衣”を趣味的な側面から見ていない人にとっては「オシャレより実用性」って考えが基本となる。
ある分野を趣味的に追及する人は、そうじゃない人間よりも相対的に少ないのが常。
だから「もっとオシャレな男性服を!」って声は小さく、マス向けのアパレルブランドは小さい声に耳を傾けてられない。
そのため一般男性のファッションシーンは流動性が鈍く、ひいてはファッション感度を高める機会が少ないことを意味する。
結論、男性の方がダサいファッションが多い(と思われやすい)のは「服の選択肢が少なくて、オシャレな服も少ない」からなのが理由として大きい。
もちろんファッションシーン自体とても流動的だし、オシャレ/ダサいなんていうものを画一化したり厳密に数値化して統計をとるなんて無理だろう。
それでもいえるのは、一般人がある分野について関心をもったり感度を上げたりするには「それにどれだけ触れる機会があるか」による。
選択肢が増えたり、質が高まったり、その流動性があればあるほど意識する機会も増えるわけだ。
最後に断っておくが、今回ここで述べたことはオシャレ/ダサいの是非善悪についてではない。
「もし現状そういう風に捉えられている外的要因があるなら、こうなんじゃないの」っていうニュアンスの話。
個人によって感覚値が違うのは当たり前として、一般的に「良いもの」とされる会社の制度や福利厚生を年収換算するといくらになる??
「この恩恵を享受できるなら、いくらまで年収下がるのも許容できる」みたいに考えるといいかも
個人的には「フルリモート勤務」は、年収100万くらいの価値。会社のために時間捧げるだけの行為でしかない通勤からの解放、人との直接的な接触の回避、人目を気にしながら働くことの煩わしさがなくなる、最悪サボれる、勤務時間内に家事ができる、などなどメリットが多すぎる
しょうもないものからメリットが多いものまで以下に色々とピックアップしてみたので、個人個人が思う各制度をお金に換算したときの価値について聞いてみたい。
・フルリモート勤務
・週休3日
さらに言うと、選択的労働...だったはずなのに、仕事してないんですか(笑)みたいなのは何なんだ?
外で働きたい人が外で働いて、家にいたい人が家にいればいいと思うんだが、最近は外で働くの当たり前みたいなことになってない?
人間には向き不向きがあるし、ライフステージによってやりたいことも変わると思うんだけれど。
最近の子は歳をとっても十分な社会性を身につけず幼い子供が増えたと思うけれど、保育園に預けて働くみたいなのが増えた結果だろうなって思う。
多分、社会が子育てのために自分の人生を使うってことを許してくれないんだろうなと。
あと、選べることってそんなにいいことなのとも思える。
選択的結婚、選択的子育てが実施された結果、結婚も子育てもぜいたく品になってません?
みんなが当たり前のように享受していた時代、たいして珍しくもないので、それに伴って起きるライフイベントもお互いさまって感じだったと思う。
結婚すれば自分の意志ではどうしようもないことが起きるようになるし、子どもがいればそれはなお加速される。
あちこちオードリー最新回でノンスタ石田さんが番組前半に「仕事よりも家族優先」の話をしていて(前回出演時に言い切っていたこと。というか「豊かさはここ(芸能界)には無い」という名言)
後半で「テレビ業界での天下取りを諦めていないビスブラ原田と話してて、もし、自分が原田と同じ思いでやってきていたら、違った世界を見ていたかも(テレビで天下取ってたかも)」という話をしていた
正直、ノンスタならば今からでもMCとして昇り詰めることが出来るのではないかと思う。二人で
子供はいつまでも手元には居ないけど、芸人としての仕事はもっとずっと続くことを考えると、今からシフトチェンジもありじゃないかと思う
確かに子育ては今しか出来ないから、可能な限り全力で向き合って幸せを享受したいというのは分かるけれども
芸人としての野望が今更頭をもたげたということは、そういう気持ちが芽生えてきたってことなんだから無碍にしないでやってみればいいんじゃないかと思う
人の人生ながら、そんなふうに感じた
才能あふれる人だからテレビに出ずっぱりになって他のことが出来なくなるのも辛いかもしれないけどね
そしたらまた方向変えればいい(そうすっと「テレビ出まくってたのにいきなり消えた」とか言われるだろうけど)
何ヶ月もまえから決まっていた予定で、グッズ代に交通費お金も沢山かけた。
明後日にも同じ現場に行く、全通というものではないが違う日付を取れたから行くのだ。一緒に来た友人とは明後日もよろしくね、楽しみだね、と言って別れた。
楽しかった、夢のようだった。この瞬間のために働くしそのためにはなんだってしたいと思った。また行きたい、この趣味を絶対にやめたくないと思った 。
だがしかし明日は姉の結婚の結納があるため、早くかえって眠り準備をしなければならず現実に引き戻されていという状況だ。
基本的に楽しい時間を過ごしたあと、次の日は仕事や普段の日常に戻るものだから、みんな同じような気持ちを抱えるだろう。
私は今後、この趣味を続けていけるのか、そもそもそも分不相応な趣味ではないのか、この場所には二度と行かない方が良いのではないかと思っているのだ。
私は現在25歳で実家暮らしだ。家に5万家賃として払っているが、家事の多くを母に任せているし貯金もほぼない、むしろ自転車操業だ。自立とは程遠い甘ったれである。
5歳上の姉は結婚をして家庭を持つのだ。友人の殆どが彼氏持ち。今日一緒に現場に行った友人もそうだ。
そう、私だけが彼氏もおらず、実家暮らしで将来の展望も何も無いまま、余裕もないのにお金をかけて、何も生み出せないまま生きているということに気がついてしまったのだ。
明後日同じ現場に行くし、12月には別の公演のチケットもとってある。お金は支払い済だ。
こんな夢から冷めてしまった状態で、私は一体どんな気持ちで現場に行けばいいんだろうか。
今後のことを真剣に考えれば観劇やライブに行く趣味をやめて、他のことに費やした方がよっぽど有意義だ。
でもまた現場に行ってしまえば、グッズもかってしまい、続編の公演のチケットも買ってしまうのだ。
オタク特有の誇張表現ではなく、本当に麻薬のように辞められない趣味なのだ。
この先私は一体どうすれば良いのだろう、先のことなど全く考えずに楽しさだけ享受すればいいのだろうか。
それか仕事を頑張って給料をあげて観劇やライブに行くような趣味が見合うような人間になるしかない。
他のオタクたち我にかえってしまった時、どのような思いで次の現場にいくのか、果たしてすっぱり趣味を諦めるのか、問いたい。
とにかくこの気持ちを切り替えられるような答えを誰か教えてくれないだろうか。
夫婦別姓でわからないのが、自分にとって苗字がどうでもいいからだ。
というか下の名前含めて正直どうでもいい。100万で変えてくれと言われたら全然変える。
前述のとおり諸事情で姓を変えているのだが、実際にそれで何か問題になったことはない。
確かに手続きはクッソめんどうだったが、世の中に面倒なことなどなんぼでもあるので、自分はあまり気にならなかった。
自分が求めるのは結婚できることじゃなくて、外でデートしてるときに気兼ねなく手をつなげるとか、そういうことです。
同性愛者のカップルは共に稼いでいたり、法律婚によるメリットをあんまり享受できないと思うんですよね。
手術の同意書にサインできない、はそもそも本人の手術なのに家族であっても他人の同意が必要な意味がわからないし、
法律上の家族じゃないと面会が出来ないとかは、病院の制度がおかしいんじゃないでしょうか。
どちらも制度があることによって幸せになるひとがいるならとは思うので、国民投票とかあれば普通に賛成には入れるけれど、幸せってそういうことなんだろうか。
相手の知性を軽く見て、未来が読めない愚か者だと決め付けて上から目線で嘲笑するという時点で
氷河期世代の負け組の絶望がどれだけ深いかを全く分かっていない。
20年ほど前に赤木智宏って人が雑誌に載せた「希望は戦争」という文章に対して説教していた人達と同じだよ。
戦争で一番痛い目を見るのは自分達のような社会的弱者だと言われたところで、そんなのとっくに分かっているけれど
それでも平穏無事に幸福を享受している中間層にも少しでも痛い思いをしてほしいという、社会全体を巻き込んだ自殺願望でしょう。
国民民主党に入れている氷河期世代も多分同じような心情なんだろうと思う。
非正規の敵は正社員じゃなくて経営者や資本家だとか言われても、労働運動で自分達だけが利益や身分保障を享受し、非正規を踏みつけてきた時点で正社員労働者も十分に「敵」だよ。
当の赤木智宏はライターとしての職を得て成功したみたいだけど、そんな人ばかりじゃないんだよ
氷河期負け組の殆どは浮上する事などできず、非正規や無職の底辺のまま這いずり回り、
たまに正社員になれたとしても下の世代よりも低い賃金で貯蓄もできずに苦しんでるんだよ。
勿論結婚や子供なんて到底無理なので、自分達が死んだ先の事なんてますますどうでもよくなる。
それでもまあ、男の場合は若い女と結婚して子供を産ませてワンチャン、という夢も見れるけれど
女の場合はどう足掻いてももう完全に手遅れだならな。そんな氷河期負け組の女に対し、
マジで徴兵なり強制労働なりされなきゃ自分達が享受してたものの有り難さなんてわかんねえんだと思う。
他責思考すぎんだよ。お前が政治を変えるっていう意思も行動もしなかったんだよ。
ただの弱虫が沢山いて、ただ死に行くだけの奴隷が沢山いるだけの社会。
そりゃあポスト貴族社会じみますわな、本当は投票権とかいう高等なものなんて思考だけは賢こぶってるカスには扱いきれねえもん。
ここで俺がバカにしてるのは莫大な富を得た経営者とか先祖代々の地主とか富豪とかじゃなくて、労働収入をコツコツためて何%ルールだかで取り崩していこうとしている人ね 自分の最低限度の生活費の何十倍かを用意して、その運用益で生きていこうというわけだ
いや、なんで残りの人生何十年間で自分の生活費が変わらない前提なの?現代経済の最大の問題は世代別人口比の偏りによる生産人口の不足で、要はお金があっても人がいない社会になるわけじゃん
GDPに占める第三次産業の割合が高まり続ける現代では、自分のために何人の人間を金払って働かせられるかが豊かさの源泉になるわけで、人手不足で人を雇うコストが高まれば、当然生活コストのインフレ圧力は加速的に高まり最低限度の生活費はどんどん上がっていく さらに現状住居費が安い田舎の方から人手不足でゴーストタウンになっていくわけで、近い将来大多数の人間は住居費の高い都市部へ段階的に移動せざるを得ない
年金だって、国家の安定を維持するために一定の所得代替率を保とうと思えば、支給開始年齢を後ろ倒しにすることは避けようがないわけで、自己資金で賄わなければならない期間は長くなる一方だ
さらに、FIREしようとする人は当然独身子なしがほとんどだ。少子化が進むなかで、国家が独身老人の社会保障を保つインセンティブはどんどん薄くなるため、自分に介護や高度医療が必要になるころにはそれらを享受するコストが爆上がりする可能性が高い
今後の日本で生き残るのは、金銭のやり取りを介さない人的資本と、社会保険の世話にならない程度の健康体と、70代まで安心して働ける場所を持つ人間になるわけだが、労働の苦しみから逃れようとしてFIREする層がそれらを獲得したり代替する戦略を練ってる感じはしない FIREする人は社会がどんどん悪くなっていくという確定的な未来に目を背けて、もっとも頭も体も元気な時期に金銭収入を得ないツケを老後の自分に払わせることになるだけだと思う
仮に、スカートの両サイドにちゃんとしたポケットをつけるために30秒かかるとして(実際はもっとかかるだろうけど)、それを1000着作ったら30秒×1000着で8時間以上余計に時間がかかる。
海外の工場がどういう勤務体系なのかは知らんけど、9時17時だとしたらその工程を増やすだけで1日以上余計に工場を抑えておかなきゃならなくなる。
それでも、今文句を言ってる人達は買うかもしれないけど、今まで文句を言わずに買ってきた人達は買わなくなるよ。
誰がなんと言おうが、レディースの服のポケットは「なくても売れるもの」だから。
よく「レディースの服はメンズのそれと比べて安い」と言われるけど、そういうところでコストカットしてるからだよ(それだけでなく他にも材料費や需要の違いなどの理由もあるけどね)。
レディースの服を買う人達はポケットがないことで安価に服を買えてる。
すでにそのメリットを享受している状態で、そんなことも考えずに自分の気に入らないことを簡単に差別扱いしている。
そんなのただのクレーマーじゃん。
うむむ…。
Pixiv を眺めていて、素敵なイラストを見つけたので、ふと概要欄を見てみたら
のような事が書かれていた。
ずいぶん迷ったが同族の二次元ロリコンとして、流石に看過できず。
できるだけキツくならないようにコメントで注意した。
悲しい。
女性の根本的な心理的安全性に関わってくるので議論は苛烈になりがちだし、まだまだ結論は出ないだろう。
だけど公衆浴場で他人の裸をジロジロ眺めないことは、流石に必要な態度ではなかろうか。
異性愛者だろうと。
まして子どもはプライベートゾーンの大切さを十分に認識できていないだろうから、より丁重に扱わなければならないと思う。
ブロックされて、まるで悪人のように扱われたのは腹立たしいが、しかし後悔はない。
俺は正義を行なった、と思う。
ロリコンとして、子どもの性を搾取した結果を享受したくはないから。
イラストレーターが反省して態度を改めてくれることを望みます。
でも。
実は、モヤモヤと悩んでいる。
性を搾取?
平均の手取りでは日本は東南アジアに追い付かれつつあるという話を見かけた。まぁこれだけ「衰退」が叫ばれている日本だからそりゃ追い付かれるよなとは思う。
ただ一方で、それでもなお例えば日本から東南アジアに旅行するのって別に「日本と同等の先進性」を求めているわけではなく、言い方は悪いが大抵は「未発展性」を求めるのが一般的だと思う。
じゃあ1人当たりの収入は殆ど変わらないのに日本と東南アジアじゃ何が違うのかというのを考えてみた。
まず一つの側面として「お金で手に入らないもの」の差があると思う。
例えばインフラだったり、公衆衛生だったり、もしくは国民全体の教育レベルだったりという、日本にいればあまりお金のない人でも普通に享受できるけど海外ではいくらお金があってもそもそもアクセスできないというものがある。
つい先日東南アジアの国に旅行に行ってきたが、確かに発展している地域では高層の建物が多いし日本と変わらないレベルで洗練されたお店や若者の先進的な文化が見られる。でも一方で街を歩けばそこかしこに「汚さ」や「雑さ」が見えるし、行きかう車の運転は滅茶苦茶荒いし、日本に生まれ育った身としてはよくこんな環境で生きていけるなと思ってしまう所は正直ある。
もちろん昔の日本もそうだったのだろうと思う。私は平成初期の生まれだが小さい頃はまだ昭和の雰囲気が残っていたし。でも一応は戦争でボロボロになってからも早々に復興して先進国の仲間入りをしてから現在までそれなりに時間が経っていて、その年月の積み重ねによる財産が貧乏になった日本にもまだ残っているという事だろう。その点は急激に発展して追い付いてきた国にはまだ無いのはある意味当然だとも思う。
もう一つの側面として「お金で手に入るもの」の差もあると思う。
日本は平均的には貧乏とは言うが、それでもある程度の年収まではなだらかに分布しているようにも思う。年収300万の人も多いけれど、でも500万、700万、1000万ぐらいもそれなりに多くいて、ほとんどの人が平均年収付近に固まっているという訳ではない。
格差社会とも言うけれど、それでもまだ極端なレベルではなくて、繰り返しになるけど分布はあくまでなだらかだ。アメリカなんかはもっともっと格差が凄いと言うしね。
で、そういう経済構造なのもあって「貧乏~中流~上流」までどの段階にいたとしてもそれぞれの収入に応じたモノやサービスにアクセス可能だ。普通のサラリーマンの収入の範囲なら「これ以上稼いでも使い道が無いよ」ということはほぼ無くて、収入が増えたらそれに合わせてお金を出せば段階的に質の良いものが手に入るようになっている。
これが急激に発展している国では、一部のお金持ち向けのお店を除けばどれも質がイマイチみたいなことが多いように思う。仮に今より稼いだとしても今よりも質の良いものにはアクセスできなくて単に量や頻度が増えるだけだったりとか。
こういう部分もまた日本が豊かだと感じる所だったりする。