はてなキーワード: 中華とは
最近よく考える事がある。
世のサービスの殆どはPCが用いられているが独自システムに独自ネット回線というものは限られている。20年前はオタクだけのものだったワールドワイドウェブは既に子供から老人までが日常的に使うものになっている。つい数年前までネットを敵視していたテレビやラジオでもネットを積極的に取り入れるようになった。
ところが、である。日本のネット上のサービスの多くは日本企業によるものではない。AmazonにGoogleにAppleにTwitterにLINEなど主流ネットサービスの殆どは外国企業によるものだ。簡単な話、Yahooの検索エンジンはGoogleと同じなのだから検索するには海外のお力が必須なのだ。
日本のネットが海外企業に独占されているとしても問題はなく、むしろ世界最高水準のネットサービスが簡単に使えるメリットのほうが大きいだろう。体力の無い日本企業がGoogleと同じサービスを維持できるだろうか? LINEのような通話アプリを無料で提供できるだろうか? その代償がGPSや通話やクレカ情報を含む個人情報だとしても不満を感じない人のほうが多いのではないだろうか。
しかしこの便利なネット社会はいつまで続くのかと考えると、不安が付きまとう。
現実的に考えれば幾ら戦後レジュームがどうこう言っても日米が戦争状態になる可能性は低いだろう。ありえない話だ。しかし日本とアメリカとのインターネットが断絶しない保証は無い…もちろんSF小説のような荒唐無稽な可能性ではあるが。
例えば中国がアメリカ製CPUのハードウェアの脆弱性を突きネットを介して大規模なクラッキングを行った場合、中国製CPU搭載機を除く世界中の殆どのPCが壊滅する。昨年末にCPU脆弱性問題が騒がれたが、独自に開発を続けている中華CPUはこの影響を受けない。また昨年には中華ハードに仕組まれたマルウェアによって大規模なDDoS攻撃が発生している。もちろんPC壊滅などという荒唐無稽な事ががすぐさま起きるとは思えないが、その布石が着々と打たれているような不気味さがある。「インターネット戦争」は安いコストで敵国にダメージを与えられるので中国に限らず侵略国家ならばどの国が行っても不思議ではない事だ。
もっと単純に、なんであれ日本の周辺が戦時下になった場合、直接的に攻撃を受ける事も恐ろしい事だが、通信インフラを攻撃され破壊される可能性もとても恐ろしいものだ。政治や戦争というものは一般庶民には縁遠いものだが、通信用海底光ケーブルを寸断されたら庶民が使うインターネットもあっさりと終了するのだ。
他にも貿易とか権利とかの問題で日米間の通信が規制されるとか、GoogleやAppleが倒産しちゃうとか、日本国外の都合でネットサービスが日本に齎(もたら)されなくなった場合、どうなってしまうのだろう? 日本の企業とサーバーだけでどの程度のサービスが維持できるのだろうか?
まぁスマホを持たず楽天とニコ動とDMMしか使ってない人なら大丈夫だろうが、ネット依存の俺は即座に悶絶死しそうだ。
あまり深く考えずに適当に書き連ねてしまったので、以下「こんな可能性でネット終了するのでは」または「海外ネットサービスなくても日本には○○がある」という大喜利などでお楽しみくだしあ。書き捨て御免。
こないだ今季のアニメ1話ほぼ全部見た感想書いた元増田だけど、ちょっとみんなに聞きたいことがある。その日記には気になるブクマが付いてて、内容は「耳が良い増田だね」的なもの。恐らくレビュー内でアニメの音響やら音楽についてちょこちょこ触れていたのを受けてのコメントだと思ったんだけど、そもそも私は耳が悪く(具体的には、後天性の病気で片耳があまり聞こえない、という具合だ。もう片耳は人並みに聞こえるが、多少仕事等に支障が出るくらいには不便である。)、アニメを見るときも本当はヘッドホンを使いたいけど、左の音があんまり聞こえないのでスピーカーで我慢している状態だ。なので上のブクマを読んだ時「え、みんなは両耳使えるんだしアニメの音楽とか音響とかもっと楽しんでるんじゃないの?」と感じ、ここ2~3週間ずっともやもやしていた。んで、さっき「視聴環境が違う人には、アニメが違う風に見えたり、聞こえてるんじゃないだろうか」と思い至ったわけである。それなりにでかい画面+それなりに音質の良いスピーカーないしヘッドホンでアニメ観てる人はどれくらいいるの?
・兄弟A:地上波をXP画質(キレイなVHSくらい)で録画し、CMを削ってBDに焼いたものを観る。たまに円盤を買ったり借りたりして観ることもある。再生する機械はBDプレーヤーと19インチくらいの小さいフルHDテレビ(スピーカー内蔵)。基本的にメッチャ小さい音or消音で観る。
・兄弟B:ニコ動やGyaoを使い、無料視聴できる作品のみ視聴。非プレミアムだそうだ。再生機械は2010年頃のノート&イヤホン。
・友人:私には友人がいないので聞けず。
・私:サブスクリプションサービスでHD画質配信されてるのを観る。機械は24インチのフルHDモニターと1マソのサウンドカード&2マソのヤマハスピーカー(アンプは中華製)orAKGヘッドホン。(弁明させてもらうと、私はよく3Dゲームをプレイするのでそれに合わせて機材を買っていたらこうなってしまったのだ。あるあるだよね?)
n=3て。本当なら兄弟たちと同じアニメについて感想の言い合いっこと洒落込むのも一興だと思うのだけれど、私はそこまで彼らを愛していないので無理なのだ。ただ、彼らから「このアニメ、音楽が~」みたいな話を聞いたことは今のところ無い。
要は「視聴環境が異なるならば、アニメにおいて注視するポイントが異なる」の真偽が気になる、という話。ただ、アニメの視聴環境と作品の印象について考えるとき「元々音へのこだわりが強く、結果今の視聴環境がある」なのか、「ひょんなことから金のかかった視聴環境を持つ事になったが故に、アニメを観る時音響やら背景美術やらが目につくようになった」のか分からないという問題があるので、アニメが大好きな諸兄の力を借りたい。以下に最近放送されたアニメの、私なりのざっくりとした印象を書くので、諸兄の視聴環境を踏まえた印象の違いを知りたい。「同じような環境だけど違う」のか、「環境にこだわってないけどだいたい同じ」なのか、はたまた「もっと環境にこだわってるけど違う」なのか。「いやいや手元のスマホで再生してみればええやんけ」っていうのはそうなんだけど、それなりの視聴環境で堪能している私がスマホでアニメを見ると、背景とか音楽を脳内補完しちゃうのであんまり意味がなかった。アニメを見る上で脳内補完は非常に優秀なツールである。
1.少女終末旅行
ケッテンクラートのドコドコ音が心地よいアニメ。なんてこと無い会話の後ろで流れるアコースティックなBGMも相まって無限に聴いていられる。「雨音」とか最高すぎる。
2.宝石の国
劇伴が劇的に優れているアニメ。1話で月人が登場するシーンの音楽は魂が震えた。音響効果も凄くて、特に宝石たちの硬い足音がすごく好き。公式ラジオによると、あの硬い音はキャラクターごとに違う石を使って録音したらしい(聞き分けられる人いる?)。一番好きなのはアンタークの話以降フォスがハイヒールになり、足音が変わるっていう演出。
3.魔法使いの嫁(前期)
美麗な背景美術を観ることができるアニメ。また各話の、挿入歌による効果的な演出がすごい好き。
4.覇穹 封神演義
すげー書き込まれてる背景とデカイ音で楽しむバトルアニメ。1話あたりの尺がバトルに極振りされてるので、ストーリー知りたかったら原作見てね、と言われてる気がする(ストーリー忘れちった)。ちなみにシリーズ構成は「異世界はスマートフォンとともに」のシリーズ構成でおなじみ高橋ナツコ。
5.ポプテピピック
6.ゆるキャン△
色んな人が、あるいは一人で、あるいはみんなでワイワイ、アウトドアを楽しむ姿を描くアニメ。この作品、BGMの音量デカイよね。キャンプ場毎に変わるBGMとすんごい背景美術が流れる様は、「なんだ、ミュージックビデオか」と思わせる。特に3話の、「ED曲を挿入歌として流しながら映る夜のキャンプ場と、ずっと聞こえる風の音」と「背景美術を効果的に使った5話ラスト」がヤバかった。
ここから予想。スマホやタブレットは画面が小さいので、例えば美しい美術は目に止まりにくく、相対的にキャラクターの表情や動き等分かりやすい所に目が行く傾向があるのかなぁ、と予想している。音についても、スマホやタブレットの内蔵スピーカーは「人間の声」がよく聞こえるような仕様になっているので、「美麗な音楽や環境音が流れる会話」が「会話の後ろでなんか音楽流れてんな」みたいな印象に変わりやすいんじゃないだろうか。
一昔前と比べると、ネット配信でアニメに初めて触れる人は増えたと思う。ネット配信が目指すのは「いつでも手軽に楽しむ」ことなので、それに伴い視聴環境も非常に多様化しているのは間違いない。例えばAbemaTV。コメントしているユーザにスマホ勢が非常に多い印象を受ける。もし視聴環境によって作品の印象が変わるのなら、AbemaTV独占配信のアニメである「覇穹 封神演義」は、その背景美術や音楽の魅力が薄れちゃうので「なんか主人公が毎回敵と戦ってるけど、ストーリーも意味分からんただのクソアニメ」みたいな印象が大多数になったりするんかな。
ほいでネット配信が主流になるにつれ、視聴環境に金をかけてる人は相対的に減ることになるのでは?と思っている。もっとも、そういう人向けに「円盤」という商品があるのだけれど。今後、「視聴環境に金をかけてる人に好まれるアニメ」と「視聴環境にこだわらない人に好まれるアニメ」の2極化が起きたりして。
もしみんなが「アニメは基本スマホで見るモノ」と考えるようになったら、作り手はきっと「スマホの画面やスピーカーで再生することを想定した作品」を作るだろう。簡易な視聴環境を持つ人が多数派になると、例えば「ポプテピピック」のように視聴環境に依存しない面白さを持つ作品の相対的な価値が上がっていく可能性がある。別にこの手の先駆者では無いのだけれど、AbemaTVで放送しているアニメ「ポンコツクエスト」を試しに観て欲しい。簡素な背景、8Bitサウンドの音楽、シンプルなアニメーションの会話劇。明らかにスマホで観ることを想定して作られてると思うんだけど、今後こういう需要が増えていくんじゃないかなぁ、と予想している。んで、相対的に高予算高クオリティのアニメの立場が弱くなって行くんじゃないか、とすごく心配している。ちなみにポンクエは面白い。
でも一方で、ネトフリ限定配信作品である「ヴァイオレットエヴァーガーデン」なんかはめちゃくちゃハイクオリティだったりするので、「ネット配信利用者の増加≠視聴環境にこだわる視聴者の減少」と作り手は考えてる、ということなんだろうか。
高クオリティ需要に応えるカタチの一つが劇場版作品。劇場版アニメの一番いいところは、最高レベルの視聴環境が提供されることである。作り手も映画館で上映されることを想定して作品作りができるので、劇場版作品を金のかかる視聴環境で視聴すると明らかに音響が凄かったり、細かい効果音を使った演出や異常に美しい背景美術が楽しめる。マジで最高。こないだ劇場版攻殻機動隊観たけど凄いぞアレ。
日本の失態や世界規模の事件に対して、「日本はもう終わった」だの「人類は滅亡に向かってるんだ。俺は諦めたよ」みたいなブコメに沢山スターが集まっているのをはてブで見るにつけ、
いやそんなことねーだろって感じてる。
なんだろう。俺の頭が悪いので上手く表現できないのだが、人って過去の時代を美化しすぎるきらいがあると思う。
心理学の本から得た知見に俺自身の考えを加えて愚推すると、その理由って大きく二つに分かれるのではという結論に達した。
一つ。自分が子供の頃の世界ってのはすごく狭くて、その狭い世界と、大人になった今現在に見ている (視野の広い) 世界とでは起こる事件の規模が違う。
近所の八百屋が泥棒に遭ったっていうのと、中華犯罪集団が宝石店から5億円相当を盗んだっていうのじゃ全然事件性が桁違いだからね。
それを踏まえずに、「俺が子供の時代は八百屋に泥棒くらいしかなかった。今は中国が酷い盗みをはたらいている!」なんて嘆くのは見当違いだよ。
人間には自分に都合の悪いことを忘れていくことで自分を保つっていうある種すばらしい生存戦略があるようで、その影響で現在の事件事故のような出来事が過去には起きていないように錯覚してしまう。
極言すれば、〝儂の若い頃は……〟理論を展開できてしまうってこと。
で、そういうことを踏まえると、今の時代って素晴しい時代だと思うんだ。
インターネットの発達により以前では入手できなかった情報 (百科事典なんて高くて買えないよね) が手に入って、
交通・通信の進化によって世界と手軽に関れるようになってる。他にも数え切れない程有用な進歩が起きている。
解決しなければいけない課題は沢山ある。でも、徒にそれを取り上げて、「今の時代は最悪だ!」なんてどうか言わないで欲しい。
「日本を駄目に言うな。素晴しいと褒め称えよ」なんて強制する気はないけれど、ブコメを付けるときに、「今っていい時代だよな」っていうことを忘れないで欲しい。
共感してくれる人がいることを願う。
波平→キレッキレのブチ切れツイートが趣味になりネット上で度々炎上する
フネ→登場しなくなる。他の登場人物へのLINEの返信で存在が示唆されるのみ。
マスオ→勤め先が中華企業に買収されアナゴと共にamazon倉庫へ転職
サザエ→買い物しようと街まで出かけることもなくなりお魚くわえたドラ猫をドローンで追いかける
この記事見てニセコに行きたくなった人たちに全力でプレゼンしてみる
まず、滑りたい人たちへ。といっても自分はヒラフしか詳しくないけど
ニセコは雪がいいとは言う。パウダーの軽さなら道北や道央の方が軽いのだけど、軽すぎると失速したときに立て直しが出来ないのである程度の腕前がない限りは軽すぎると却って楽しみを損なってしまうものだ。
その点ニセコの良さは、軽すぎないというところ。
コースレイアウトも一箇所を除いて、すばらしく長いコースをビギナーの腕前でもなんとか降りてこられるし、最高に広くて速くて風にも強いゴンドラ(これは愛知万博で使用されていたものを買い取ってカスタマイズしたもの)で快適に周回できる。
滑り終えたどの地点にも広いヒュッテが配置されており、休憩のタイミングがバラついても全く問題にならない。ゲレンデが広すぎて集合に苦戦するかもしれないので事前の打ち合わせは必要だとは思うが、スマートフォンをなくさないように数名(できれば全員)持っていれば済む。
コースレイアウトで例外的に不可避な難所は「第二の壁」という地点なのだけど、ここも相当変則的に避ける方法が一つあるのと、スノーボードでなければそこまで難しい斜面というわけではないので無理せず木の葉落としで降りてもらうしかない。
スノーボード初心者の人たちだとむしろニセコ連山のアンヌプリがおすすめになるのかもしれない。しかし初級者以降の腕前か体力がある、スキーヤーが多いなどといった場合はヒラフ&花園をおすすめしたい。あのゲレンデには雪山の魅力のほぼ全てがある。地形、圧雪非圧雪モーグルのバーン、近年どんどん良くなっているパークレイアウト。
もっと気軽に観光メインでという人々に耳よりなのは、ヒラフエリアはオシャレなカフェレストランがとても多いと言う事だ。
簡単に行ける範囲でおすすめを列挙する。定番のjojo's cafeとグラウビュンデンの両雄はどちらも素晴らしい軽食とスイーツが楽しめるカフェで、老舗故にアメニティすらもひたすら良い。もし天気が悪く宿泊先からこの二店舗に行っただけで一日を終えてしまったとしても、全然すばらしい休日になることを賭けてもいいくらいだ。食事はどちらも王道のメニューで、このエリアでは例外的なコスパがある。jojoカフェのブラウニーとフレンチプレスのコーヒー、グラウビュンデンのチーズケーキと紅茶は滞在中の滑る時間を削ってでも試しておくべき。
滑り志向の方々にはゲレンデ内の食事も、割高にはなるがスキーブームの頃を知っているならば隔世の感があるのではないかと思う。エースヒル、タンタアン、HANAZONO308はもう一つのヒュッテキングベルに比べればカフェ飯志向(やや割高)。ウェルカムセンターのホテルアルペンの食堂か食彩比羅夫もある。
ラーメンでベストは風花だ。ひらふ坂の店が目に入るとは思うが、空腹が過ぎるのでなければ5分ほど無料シャトルバス乗り場で待ち、でひっきりなしに周回しているハイエースのようなバスの「泉郷」を経由するものに乗りましょう。(因みにこのバスは完全無料で4パターンの行き先があり、使いこなすと飛躍的にひらふの満足度が高まります。)
風花もメニューは王道のニセコラーメンがおすすめ。ちぢれ中太麺に絡む味噌のクラシカルな味わいの上に、じゃがいもポタージュのエスプーマとバターの香りが合わさる濃密な味わい。超達者な英語でテキパキとホールをさばく店長さんの美しさも行くたび感動する。
風花が泉郷に移転してしまったが、ここには前述したグラウビュンデンともう一個、スープカレーのつばらつばらという3つの良店が固まるエリアになったので却って紹介するぶんにはわかりやすくなった。
泉郷から更に先にはそばのいちむら、格調高いカフェMozart、絶品シュークリームとイタリアンディナーのL'ocanda、更に少し離れてジェラートのルヒエルがある。ルヒエルは特に車がないと行けないレベルだが、サイクリストでもある方がおられたら羊蹄山周遊の折、地元パン屋の雄ホワイトロックの直営カフェと並んで居心地の良い休憩スポットになるだろう。
ついでに倶知安の店も少し。中華はベーシックな広華、点心の籠堂がおすすめ。和食な日本料理 佐藤が酒も肴も握りも良い。素材は北海道、腕は都会の洗練がある最高のやつ。しかし一番のおすすめは成吉思汗の廣松。ここはあえて説明をしないが、タイムスリップしたかのようにかつての倶知安も味わえる名店。おっちゃんおばちゃん元気でね。
ひらふから反対に行けばまた色々あって、東山でソフトクリームの高橋ミルク工房、ベジビュッフェのプラティーボ、エリア最高のジンギスカンが楽しめるロフト倶楽部、紅茶専門店ルピシア直営カフェ
ニセコ町エリアはほんとに詳しくないけど本格ナポリピッツェリアのデルソーレ、そばの楽一、SEEDベーグル、高野珈琲店はどれも名店。
車があるなら更に進んで真狩エリアの温泉&高級フレンチマッカリーナ、ブーランジェリーJinで買ったパンにトゥルモンのコンフィチュールとニセコチーズ工房のフレッシュチーズを併せるなんていう世界一の朝食を取ることだってできる。
京極町のうどん野乃傘も忘れ難い、夏前の輪行で食べた天ぷらにはアスパラの概念を覆される衝撃を受けた。
なんか食い気に走りすぎたけど、滑り以外の人が多いかと思ってひとまずこんな感じで
本当はまだまだまだまだ語り尽くせぬ思い出とそれ以上の魅力がこのエリアには満ちています。
今年はちょっと久々に雪も足りてるそうだし、行かない手はないんじゃないでしょうか。
元記事でもありましたけど、この貧しくなったと言われている日本でも尚、世界と比べればウィンタースポーツを楽しむために必要なハードルはとてつもなく低く、かつ得られるクオリティは世界有数です。
この優位さをぜひ一度は享受してみて欲しいです。因みにレンタルギアはニセコ、ルスツともにクオリティが高いものも使用できるようになっていたりします。が、繁忙期は予約が必要なほどなのでひらふの場合はグランヒラフレンタルかニセコBOOMSPORTを利用するのがベストです。レンタル最大手のRYTHEMはジャパニーズスピーカーが少ないので英語ならば細かい対応を受けられるはずです
雑食なサブカル寄りライトオタアラサーメンズ増田の独断と偏見で書く。
5分アニメや朝アニメ、続きモノ以外はたぶん全部観た。今期結構豊作っぽいので選ぶ参考になれば。
1話だけでいいから観たほうがいい。京アニありがとう。京アニの監督は山田尚子だけじゃなく石立太一も推せる。
一番ノーマークっぽい?演出が95点くらいでヤバイ。いしづかあつこ監督は最高。
設定はわりかし普通の現実女子高生ものなんだけど、観てるとすぐ終わるくらいテンポがいい。
人間ドラマが好きなんだよ。原作の雰囲気をより強調しててもくどくなくていい。主人公の声優が良い感じ。
設定バッキバキSFで水島精二の時点で。kzの音楽が良い。小説作者が設定をオープンソースにしてるので要チェックな。
アナログハック・オープンリソース:https://www63.atwiki.jp/analoghack/
ボーイミーツガールでSFだったらBEATLESSよりこっちのがよさげ。でもセカイ系っぽい。
湯浅監督の作品が観れるかつ題材がデビルマンの時点で、ある方面では優勝してるでしょ。
1話面白くなかったけど2話はそこそこ。AC部観たいのと、ネットの教養として。
1話からヤバイ飛ばし方をしてるが大丈夫か?国立アンニュイ学園のためか?
思ってたより良かった。癒される。
これも思ってたより良かった。デュラララ的な感じ?
まだ面白くないんだけどOPとEDいいし。梅津泰臣が好きなだけか。
ラーメン店のチョイスが素晴らしい。
記憶がない。
記憶がない。
もうちょい絵がオシャレで百合百合しいのかと思ってたら少女漫画チックなのね。
あんま良くない感じで古いんだよな。1話で惹きつけられないし。
相当暇だったら見るんだけど。可愛いし。
1.5倍速にしたら見やすかった。
畳の上でヒールを履くな。
主人公が「さあ、デスマーチのはじまりだ」と言ったところで動悸が。主人公最強系好きならいいんじゃない。
記憶がない。
記憶がない。
BitcoinはWinnyと同じように2ちゃんねるを下敷きとして日本で生まれることしかできずだからこそ世界中を興奮させ日本では技術ではなく一種の架空の社会不安だとみなされたものだと思う。折角なので解説していく。
なおホワイトペーパーもコードもほとんどの技術的解説も読んでいないので概ね十割ほどを勘で書いている。そばですら十割は少ないので評価してほしい。遥か昔に理解しようとして買わずにいたことを後悔くらいはしている。
こうして送金と確認が積み上がっていく。ある程度確認が積み上がっていれば各ノードは異論ないものとみなす。
一つのブロックが埋まると次スレに前スレのリンクが貼られてブロック・チェーンになる。厳密にはもっと前後リンクやハッシュ化が組み合わされ落丁乱丁を防いでいる。
1 : 8q6FxO : 2018/02/01(木) 12:34:56.100 ID: z9O6A0
YZcLn1E15d8kqopxCgjVG894956tCgytRjuf
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
酉と酉キーの組。酉キーと違って数学的要件があるのでプログラムで生成する。
トリップが分かっていればコインの数は過去ログの.datを掘って数えられる。
あるトリップに送金された額の総和。過去ログの.datを掘って数えられる。
いい感じの確認用トリップキーを見つけた人だけに賞金を与えるシステム。
どういう感じのトリップキーを見つければ良いかはプログラムで決まっている。
サトーシナカモートーとかいうふざけた名前の奴が海外掲示板で人を集めて開発し、ダミーで送金してネットワークが始動した。
当然中華業者が全力を上げてるけど、それですら地道にマイニングで稼ぐ以上のことはできていない。
板は簡単に作れる。ソフト丸パクりしてきて最初の送金をかけると作れる。ただし過疎る。
互換板や改造板を開発することも可能。それがイーサリアムやイッヌコインなどの「アルトコイン」。
元のビットコインと仕様の違う書き込みを承認する改造バージョンを作ることも可能。それがビットコインキャッシュなどの「フォーク」。
複数の共用スレを立てるタイプ、自分専用板を立てるタイプ、色々ある。
話題ズレ、聞き漏らし、荒らし対策をどうするのかが良く分からない。
トリップと人物が一度結び付けばカネの出入りはCtrl+Fで全部追える。
各国警察などは証拠能力があるかは別にして当然最初の書き込みからのコピーを持っているはず。
P2P掲示板の書き込みに値段が付くことがバブル以外の何なの?
賭博師がいちいちそんなことを気にするか?
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
ビットコインとは何か、という記事が注目を集め始めているが、もっぱらビットコインの投機性に対してのみ注目を集めていて、どういう実利があるのか・無いのかという話に踏み込んでいる記事が少なすぎると思う。
ビットコインが役に立つ状況と、その前提条件について、素人なりに思いつくところを書いてみる。
普通に銀行口座を使って高額のお金を送金しようとすると、それなりの手数料がかかる。安くても2%、5%以上取られるケースも多い。
これに対して、日本でビットコインを購入し、海外にビットコインを送り、送った先でビットコインを現金化すれば、銀行に手数料を払うよりも安上がりになる可能性が高い。
但し、ここで問題は、送金元となる国でビットコインを売ってくれる人が居る事、そして送金先でビットコインを買ってくれる人が居ることだ。送金先があまりにも小国でマイナー通貨だったりすると、上手くいかない可能性がある。
さてここで、海外送金について最も切実な需要がある国はどこかといえば中国である。中国は、お金を海外に送金したり持ち出したりすることに関して非常に厳しい規制がある。一方、中国からアメリカや日本に送金したいという需要は莫大にある。この問題に、ビットコインは風穴を開けている可能性がある。
ビットコインに関しては、中国の方が良くも悪くもずっと進んでいるし、現実問題として中国ではビットコインに切実な需要があるのだ。
ただし、これには前提条件がある。中国でビットコインを購入し、それを日本で日本円に換金したい場合、日本でビットコインを購入してくれる人が必要だ。ではどうやって日本でのビットコイン購入者を増やすか。ビットコインには現状、市場操作(価格操作)に関する規制が無い。中華マネーをもってすれば、日本の小さなビットコイン市場を操作することなど朝飯前だと思わないか?
ケイマン諸島やパナマなどが、租税回避地として騒がれたのは去年の話だ。これに対して、各国の税務署が協力し合って対策を講じ始めている。つまり、放置しておくと莫大な徴税を受ける可能性のある金持ちや企業が世界中にごろごろ居るという事だ。
それで、代わりになる新たな租税回避の手段が、あれやこれや模索されているわけだが、そこでビットコインが注目を集めている可能性がある。ダメもとでビットコインを購入し、結果としてビットコインが無に帰したとしても、どうせ放置しておけば徴税されるお金だ。上手くいけば値上がり益を得られる可能性もある。最終的にはビットコインにも税務署の手が入るだろうが、ケイマン諸島やパナマよりは後のことになるだろう。
海外への送金の手数料が高かったり、色々な規制が入ったりする理由の一つは、それが犯罪によって得られたお金である可能性があるためだ。なので、ここには常に監視の目が光っている。これを免れる手段として、ビットコインは有効だ。今のところ。あとは説明する必要は無いね?
上記の3つの例では、いずれも巨額のお金が動く。ビットコインのバカげた高騰を説明するのには十分では無かろうか。
ビットコインは優れた技術かもしれないが、それが高騰している理由は、必ずしも褒められる理由では無い可能性があるということを認識してほしい。
一般市民が手を出すのは、十分な法整備が行われ、金融庁や税務署や公正取引委員会などの監視の目が光るようになってからでも遅くないよ。
いや、すまない。少々話を広げすぎた。
駅近くのスープ専門店のスープ、街のレストランで数百円の値段をつけられているスープ、そういった料理として十分に成立しているスープの話をしたいんじゃないんだ。
あれは美味しい。普段頼むことはあまりないが、ちょっとした贅沢として十分に食事の楽しみと満足感を増やしてくれる。
そう、スープは本来独立した一品として一回の食事に華を添え、ときに大きな満足感を与えてくれるものではないだろうか。
例えば街の中華料理屋。チャーハンを頼むとまるで当然のように黄色いスープがついてくる。
中華だしか何かで味がつけられ、申し訳程度に胡麻が浮かんでいるアレだ。
しかし、そこで出てきたのは味噌を溶かしたお湯のような液体。固形物は見当たらない。これは、ピュア・ミソスープ…?
私は軽い戸惑いを覚えながらピュア・ミソスープに箸を分け入っていく。
期待を込めて箸を手繰ると、そこには悠久の刻を超えてきたかのようなワカメがくったりとその体を横たえていた。
そうか、地球創生から長い刻を超えてやがて海が生まれ、潮が満ち、生命が生まれる。
即ち味噌の溶かされた湯は海であり、ワカメは海が創り出した生命の奇跡である。
海は生命を生み、海で生まれた命はやがてその姿を変え、あるものは肺呼吸と四肢を獲得し、またあるものは光合成の能力を獲得して地上での繁殖を開始する。それは幾つもの進化の過程を経て豚もしくはキャベツと呼ばれるようになり、今薄汚れたテーブルの上で再び母なる海との邂逅を果たしたのだ。
新年なので明るく呟きたいところだけど。
これは美味い!と思える焼き餃子を食べてみたくて、ずっと探している。
餃子が好物なわけではないけれど、手作りしても外食しても美味しい焼き餃子を食べたことがない。
水餃子は自分で作るのが一番と言えるまでレシピを考え抜いたけれど、店内が汚いとか狭いとかは気にならないので、オッチャンが1人でやってるような昔ながらの店でも本格中華店でもファミレスでもかまわない。
ただ焼き餃子が美味しければ。
餃子ににんにくが入ることがあるので、食べる日には気をつけていて、年末年始はまとめて安める少ない機会なので、前々から行ってみたいと思っていた店に行ってみた。
確かに店がまえはレビュー通りだったけれど隣に座っていた酔っぱらい集団が最悪だった。
何が面白いのか動画の撮影を始めてその場で加工し、SNSにアップしていた。
自分達しか見えていなくて他の客は背景の一部なのだとわかっているし、別にこちらも有名人でもないのだからと思うけどやはりあまり気持ちの良いものではなく、餃子の味がよくわからなかった。
便利が不便利をもたらしてる世の中だなと思う。