はてなキーワード: トントンとは
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
あと、人を部屋に呼ぶときくらいしか真面目に掃除せず、医者から「部屋のほこりは意外と病気の原因になる」とか言われ、そうはいっても小まめに掃除する気が起きない
計4,5万くらいか。
2000円台前半。正直、Airbab始めるまでは日本ブームで1泊4000円くらい稼げるかと思ったが、家の立地は悪くないとはいえ、山手線の駅徒歩2分とかではないし、宿みたいにコーヒー無料とかデザイナーズマンションとかではなく、宿泊者にとって泊まる以外の魅力はない。
よって自然と価格競争に巻き込まれAirbab最低価格くらいで出している。
月3,4万くらい。2人で泊まりに来てくれると1泊あたりの儲けが増えるのでおいしい。
お金はそうだし、思惑通り、家をきれいに保つ動機が出来ていること。家がとてもきれいです。
当然だが、ゲストが退室してから入室するまでの間に掃除をしないといけないので、平日仕事が夜遅くなると辛い。なんで帰ってから部屋掃除しないといけないねん…と。
最初は知らない人間を部屋に上げるのに抵抗があったが、今となっては慣れてしまって「一室はゲストの部屋」という感覚。ゲスト退室~入室までは2日間空けるようairbabで設定し、余裕を持って宿泊業を回せるようにしている。
(その分収入は減るが、元々部屋をきれいに保つために始めたので)
社交的ではないのでゲストとのコミュニケーションには不安があったが、シェアハウスみたいなものなのであまり会話せず、こちらも気にならなくなった。
airbabで稼いだカネは初期投資と、ハウスキーピングにカネを回しているのでトントン。例えばプロの業者を呼んで洗濯機や風呂を掃除してもらうとか。もうちょっとカネ貯まったらルンバとか買うかも。
今の所そんな感じ。
airbabではホスト評価制度があり、満点が★5。この平均が★4以下ならペナルティとなるのだが、特に評価に厳しいのが日本人(特に女性)で、平気で★3とかつけてくる。理由も些細なもの(とこちらは思うのだが)宿泊者側なので文句は言えない。
グラビアタレントの篠崎愛が韓国で大人気になっており、日本のネトウヨが怒っている。
曰く「篠崎愛は韓国人タレントとの密会写真を撮られて既に日本では終わった存在」とディスりまくっている。
それはそうと韓国関係なく篠崎愛はグラドルとしては日本では下火であった。
篠崎愛の人気のきっかけは2006年。14歳の時。個人撮影会での巨乳ビキニ写真がネットにアップされ、それが爆発的に拡散したことによる。
ロリ巨乳の理想をそのまま体現した写真は当時の社会に衝撃を与えた。その時すでに紗綾が12歳Fカップとして有名だったが、それとは別ジャンルの理想の顔立ちだったのだ。
しかし当時まだ中学生という年齢もありイメージDVDや雑誌の表紙などにはなっていなかった。
高校生になったあたりからイメージDVDを量産。だんだんと雑誌の表紙にもなっていき「グラドル」の代表格、トップグラドルになっていった。
2010年前後のグラドル・女性タレント界隈は、何でもかんでもビキニのイメージビデオ(IV)を出すような感じであった。雑誌メインのグラビアよりもIVの内容を競う状態。IVを出していればグラドルと名乗れる。そんな中で「ソフマップ」と馬鹿にされるグラドルも出てきたりした。粗製乱造でデビューさせることで、IVはグラドルとしての華よりも内容の過激さを競うものになっていた。
篠崎愛のIVは、業界がそういう状態でも内容が過激になることはなかった。極小ビキニは着ないし下乳は見せたことがなかったはず。アイス舐めや風呂掃除などのフェラチオ・パイズリもどきもしたことがないだろう。まさに古き良き健全なIVであったが、当時の過激なIVに慣れてしまったグラドルファンからは物足りなさを感じて、篠崎愛とグラドルとの間に溝ができ疎遠となっていった。
同時期に篠崎愛はただのグラドルからステップアップをもがく。アイドルグループを結成し頻繁にテレビ出演もするようになったが、かつてのイエローキャブタレントのように「グラビア→バラドル→女優」の階段をトントン拍子に登ることはできなかった。まだ若く、顔がロリすぎたためであろう。
こうして、雨後の筍のように若い新人が過激なIVを発売するグラドル界隈の事情と、弱小事務所でテレビタレントとして芽が伸びなかったこともあり、グラドルとして篠崎愛は埋もれていっていた。
そんな中、韓国での食事会の写真がネットに流れ、処女性を求められるアイドルとしての人気を失った。
2016年のグラドル界隈は、未成年タレントの過激なIVが問題視され、高校生のIVが販売停止になるなどの激震が起きた。同時にIV中心になっていたグラドルの活動も雑誌のグラビア写真メインに原点回帰しつつある。
25歳になった篠崎愛はロリから大人の女性にイメチェンし、上品なヌードグラビアにも挑戦した。昨今の韓国シフトの活動もタレントとしてのブランドを確立するためのものになるだろう。
女なんだけど、性行為をしてみたいと思う男性は、一目みただけでぐっとくるのがわかる。
性格とかスペックとかどうでもよくて、姿かたちを見た瞬間0.01秒で、
判定が出る。というか、枕をともにしたいフォルダに分類される。
それ以外は「人間」フォルダに全部入る。ちなみに私の判断基準はやせてる一重男子、インドア系。
心の中でお気に入りとしているだけ。
彼氏は私のことが好きだったようだし、
関係も良いとおもっていたんだろうけれど。
これ、友人の関係性のほうがいいのでは?
とずっともやもやしていた。
楽しそうに笑っている彼氏を見ては、
この人は何が面白いんだろうと
ものすごく冷めた目で見ていた。
相当な近所であることが発覚したので、
宅のみを申し込んだ。
話はトントンと進み
相手の家に行くことになった。
完全な部屋着で相手の家に行った。
ゆるゆると宅のみをしていたが、
気恥ずかしいのを紛らわせるためにどんどん飲んでは、
大げさに頭を揺り動かしてアルコールが脳に浸透するように
一生懸命だった。
お互い相当によってきたことろで、
寝転がってはいちゃいちゃしていたら、
計画を完遂できた。
心でガッツポーズ。
それ以降はそういう間柄となり、
私が別の飲み会で酔って
そういう気分になったときは
性行為をして寝る。
文句なしの枕友だちで、
私はそのような存在を確保しているだけで
戦闘力が上がった気になっては
心の中でにやにやしている。
世間で結婚10年目と言えば関係の冷え込み、浮気などといった悪い印象がチラホラと浮かぶが、同じ交際&結婚10年目に入った俺たち夫妻はかなり円満夫婦だと周りに言われる。
たしかによく考えれば毎朝気合いの入った弁当を作ってくれるし、1日3回はキスをするし、毎晩子供と一緒3人で寝ているし、記念日にはプチ旅行に行く。
1人娘は今年5歳だが順調に成長していっている。
当時とにかく彼女が欲しかった俺は、合コンの話があれば飛びついて行っていた。
しかしもともと口がいいほうでもなく、顔もいい方ではない俺は当然のように彼女を作ることができなかった。
「幼馴染の○○って子知ってる?あんたに会いたいらしいわよ〜」
と言った。
典型的な結婚しとけアピールだが、女性に飢えていた俺はそれに飛びついた。
彼女は俺の1歳年下の社会人で、小さい頃に俺とよく遊んでいたらしい(正直俺は覚えていない)。
最初はメールからだったが、メールを続けるうちにやがて趣味なども合うことがよくわかってきて、ついにはリアルで会うことになった。
待ち合わせ場所に現れたのは身長149cmの小柄な女性だった。顔は綺麗系と言うよりは可愛い系で、笑うとえくぼできるのが可愛い、ということが印象に残った。
俺自身、身長180cm近くあるので合っているのか少し不安だったが、話して喋ってるうちに「ああ、この人は最高の女性だな」と感じた。
彼女の性格を一言で言うのは難しい。ただ人の悪口を言わず、いつも笑顔で厳しいことはちゃんと言う女性だと言っておこう。
何度も会ううちにトントン拍子で交際がスタートしすっかり彼女と恋仲になった。
ただ、一つ彼女には問題があった。それは強烈な「M性」ということである。
あれは2回目か3回目のデートのときだったと思う。彼女をホテルに連れ込んでセックスしていたとき、彼女がこう言った。
「首を絞めて……」
俺は度肝を抜かれた。女性の首を絞めたことなんてないし、力加減もわからないので最初は拒否したが、彼女が必死に頼むのですることにした。
最初はそっと手を添える程度だったが足りないというので強く、強く。
顔が紫色になるほど締めると、彼女は今まで聞いたことのないような声を出して感じていた。
この一夜は正直俺にとってはかなりドン引きだった。今までノーマルなセックスしかして来なかったので当たり前ではあるが、それにしても上級すぎる気がした。
だが、彼女を深く深く愛していたので、彼女の性癖も受け入れようと努力した。
身体を重ねるごとに彼女と俺は激しくなっていった。首締めから始まって目隠し、ギャグボール、縄、手錠などを彼女は要求してきた。
その辺になるとノーパンで出歩かせたり露出させたり撮影させたりと俺もノリノリになり、一緒にプレイをするようになっていった。
交際が5年ぐらいになったとき、彼女の妊娠が発覚し俺たちは結婚した。
実は、彼女が妊娠した直後から出産してからしばらく(1年ぐらい)は、完全なセックスレスだった。
彼女がまるであの性癖がなくなったかのように子供を育てているので俺も言い出しにくかった。
このまま続けば破綻するだろうという予感があった。
これは鍵がついていて、鍵がないと一切性器に触れられなくなる。
ただしおしっことうんちはできるようになっている。
これが妻にはドンピシャだったようで、翌日からつけ始めてその夜にはセックスレスが解消した。
俺のS性にも磨きがかかったらしく、ハードな調教の結果、彼女は俺の声を聞いただけで絶頂できるようにまで仕上げた。
夜の生活ではこんな感じだが、昼では本当に申し訳なくなるほど俺のことを考えて行動してくれる。
子供の前では母親としてしっかりやれているし、これはこれで悪くはないんじゃないかと思っているのだ。
これは普通の夫婦には当てはまらないことだろうが、やはり刺激というものが必要なのは否めないだろう。
ちなみにこの文は妻も読む。晒されているのを見て興奮するらしい。
少し前に出会い系サイトを漁っているという報告をしていた俺こと21歳童貞だが、今日はなんと弄ばれてしまった。
その人は同じアプリに登録している24歳の女性で、多くの人が自分の自撮り写真をプロフ画像にしている中、彼女は某アニメの画像を使っていた。
俺はそのアニメのファンだったので、彼女とは話題が途切れることなくトントン拍子で会話が続いた。
気がつけば2週間以上やり取りが続いている稀有な人になりつつあった。俺は張り切って童貞テクニックを駆使しなんとか会おうと試みた。
その結果LINEを入手するまでの仲には至ったが、会うことを提案するとのらりくらりと躱されてしまう。
そして俺は数カ月磨いた出会い系テクニックを使いなんとか会う約束をこじつけた。
他ならぬ今日だ。
俺は新品のパンツを開け、着て、るんるん気分で待ち合わせの場所に向かった。
俺は目を疑った。なんと、待ち合わせ場所には男が4人、女が2人いたのだ。
事情を聞いてみると彼らは某地元大学のサークル仲間で、このアプリを使って誰が一番早く男や女を呼びつけられるか競争していたというのだ。
「そんなの、そんな漫画みたいないたずらありかよ……」
それが彼らには予想外に受けたようで、普通に飲んで連絡先も交換してしまった。
今の世界で年収300万くらいが手取り月25万くらいになるから消費税増税して8割に目減りした給料でもBIの7万(5万)でちょうどトントンくらい
子供がいたら子供の分もBIあるけど4万の8割で3万2千円分。うーん、計算するのがめんどくさい。
年金世代は額面変わらないので消費税分の負担増(さらに貯蓄も実質8割に目減り)
「月5万で生活できるニート以外得しない」ってのは当たらずとも遠からずってところじゃないかな?
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一応追記
子供がいるだけでお金が入ってくるから少子化対策になるとかいう説があるけどちょっと信じられない
子供の分のBIが入ったところでしょせん3万2千円分
≫話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい
キャラ立てもっと大事にすべきでしたね。懸念事項ではありましたが、他者からはっきり言われると目標が明確になります
各イベントも登場人物の人間性が浮き出るシーンを中心に描写していこうと思います。
≫ストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがある
これです。気ばかり焦ってしまって、やはりキャラに感情移入してもらえるの大事ですね。
漫画として安定出力できる画風探っていきたいです!
ダイナミズム。雰囲気では分かるけどうーーーーん分かるけど言語化できない。精進します。
≫増田のような奴には売れてほしいと思う
まじで
設定やネタ、アイデアを沢山溜め込んでるのはわかるけど、話をもっとゆっくり進めていい。このペースでトントン進められると登場人物に感情移入するのが難しい。
おそらくストーリーの中に早く描きたくて仕方がないシーンがあるのだとは思うが、細かい部分の説明なんかもあとがきの文章ではなく漫画でじっくり表現してくれ。
画力のバラつき、というよりはコマによって手を抜いている感じがあるなあ。絵はとても上手いと思う、それ故かえってそのバラつきが目立つように思う。
話はこれから面白くなるのだろうから何も言えないが、前述したように描き急ぐと漫画特有のダイナミズムもクソもない設定を読むだけの作品になりそうなので気をつけられたし。
友達が魔道士モノのWEB漫画から商業デビューして、売れずに今は会社員やってる。
身近にそういう人間がいたからこそ増田のような奴には売れてほしいと思う。
続き楽しみにしてる。がんばって。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170914-OYT1T50064.html
年間約3300万円 / 12 = 月275万
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/25/bosyuyouryo2.pdf
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/25/sankamosikomi.pdf
例えば、人件費が
正社員×5 @ 40万円
これでトントン。配送コストや光熱費等も含めると、赤字にしか見えない。どうなってんだよ。つかそんな人件費ありえねーだろ。給食業界じゃそれが普通なのか?
http://www.angel-foods.com/support/job.html
そんなに悪い線はいってなさそう。職員数が人数通りなら赤字やんこれ。
仕事内容を見ると、盛り付けにコストかかってるのが原因だろうから、生徒にやらせる食缶方式が最強っぽい。平塚市とかに委託できねーのかなあ
相模原市: http://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kyouiku/010645.html
町田市: https://www.city.machida.tokyo.jp/kodomo/kyoiku/school/kyushoku/tyugakkokyushoku/tyuugakkoukyuusyoku.html
近いし、結構数が出てる。規模の経済万歳!大量に発注したら、やっぱり食材費も安いんよ。
大磯町(870食)にコスト割けないのは、無理ないわな。輸送費だけ載せて、どっちかに相乗りさせてもらえるといいのにね。
調べたら満足した。
https://anond.hatelabo.jp/20170910231734
「収支はトントン」とか「長い目で見ればプラス」とか言ったところで、所詮は期待値8割のゲーム。3万円突っ込んで2万4千円返ってくるだけ。
問題は、そこで支払った6千円でどれだけの快楽を得られるか。当たるか外れるかのハラハラ感をリーチ演出で徹底的に盛り上げるのがパチンコ。
ただまずこの認識まで行く人が少ない。パチンコをやったことない人からすると、「長期的に見れば2割金を失うだけなのに、何でパチンコなんてやるの?」ということになる。
この認識が改められるには、パチンコに行って一発大当たりを経験するしかない。パチンコに対する悪いイメージや、女ウケの悪さからして、この経験をするまでにまずハードルが高い。
このハードルを突破して、パチンコの楽しみ方(2割支払って快楽を得る)を知ったとしても、現在だとソシャゲなんかで同じような快楽が得られる。しかも友達と楽しみが共有できる。
まーパチンコもそれなりに楽しいけど、その楽しさを知るまでにハードルが高いし、知ったところで今はもっと楽しいことが沢山あるからね~というお話。
最近婚活なるものを始めた。年齢的にもそろそろだったし、歴史の浅い家ではあるが俺は本家の長子だ。将来的には、墓を管理しないといけないし、相続やら介護やら親族間での揉め事の調整やら、きっと色々あることだろう。今まであまり意識してこなかったが、祖父が死んだ辺りから漠然と「子孫を残さねば」という思いに駆られるようになった。そこで婚活である。
男側の婚活は、非常に厳しいものだと聞く。俺は街コンなどには参加せず、とある婚活系SNSひとつに登録しているくらいなので、その中での閉じた話ということになるのだが、女性には雨のようにメールが降り注ぐが、男のもとには待てど暮らせどメールなど一通もこない。果敢に女性にメールを送ってみるも、前述のとおり女性には大量のメールが常に降り注いでいるため、大抵が無視される。結果、男は数打ちゃ当たる作戦でメールを送り、わずかな望みに賭けるのだと。俺は、その情報を信じていた。
女性陣からどんどんメールが飛んでくる。さばいているだけで精一杯で、とても自分から新しい人にメールを送る余裕はない。俺は向こうの言われるがままメールのやりとりをし、言われるがままデートを共にする。エスコートは俺が主導しているが、そんなに難しいことではない。女性側が協力姿勢なので、何が正解なのかは大抵彼女たちの態度に書いてある。俺は、彼女たちの誘導に乗っかる形で昼食の店を決め、彼女たちのほしい会話をし、魅力に感じた部分を誉め、誘い待ちする彼女に次回デートする約束をとりつけ(どこに行きたいかも事前情報にヒントがすべて揃っている)、改札の前で別れる。そんなことをもう何回も続けている。まるで、ゲームを、常に矢印が表示される初心者モードでプレイしているようだ。婚活とは、こんなにイージーなものだったろうか。思わず、ドヤ文と共に増田供養してしまうくらいのイージーさだ。
そういうわけで、婚活自体は順調なのだが、順調なこと自体に不安を感じる。
サクラではないかと思ったことさえあるが、今はサクラではないと思っている。サクラにしては、サクラ特有の「男にとっての都合のよさ」みたいな影を感じない。要は向こうもいっぱいいっぱいなのだ。拙いのだ。慣れないことをがんばってやろうとしている雰囲気を感じるのだ。子ども声を出す声優の演技力はすごいが、本物の子役による声は、拙いがゆえに圧倒的リアルだ。同じように、俺は俺の婚活相手に、拙いがゆえの圧倒的生々しさを感じている。
もしかして、俺の仕入れた事前情報が古く、今の婚活は男側が売り手市場なのかもしれない。あるいは、市場での俺の商品価値が意外に高かったのかもしれない。給与は低いし、肥えているし、本家の長男だしで、その辺りは諦めていた。なので、勤務地は渋谷、一応役員、貯金そこそこ、養ってほしいなら不自由させない等と、自分なりのアピールをしてきた。それがいい具合に女性に刺さったのかもしれない。または、女性経験はないものの、俺には女兄弟が多くて、女性との会話には意外に慣れているというのも地味に効いているのかもしれない。バンドでボーカルをしているという情報も、響いているのかもしれない。自分にできるアピールはすべてした。そのどれかが功を奏したのかもしれない。そうでも考えないと、現象を説明できず、俺が怖いので、勝手に自分の努力を誉めている。
一方で、俺がもうひとつ感じている漠然とした不安は、これでいいのだろうかということだ。今おつきあいのある女性は全て向こうからの積極的アプローチによって成り立っている。俺は彼女たちの機微を読み取り、彼女たちの敷いたレールの上をなぞって歩いているにすぎない。つまり、自分の意思がない。もちろん、それぞれ魅力的な女性だ。だが、配給されたカードの中から一枚を選ぶ行為は、選んでいるといえるのだろうか。同窓会の中にしか結婚相手の選択肢がない地方的つらみと、構造的に大差ないのではないか。
婚活は、理想と妥協の終着点という。しかし、一方で結婚は一生を左右する選択だ。妥協しないで、とことんフィーリングの合う相手を探すべきだという意見も聞く。少なくとも、俺の意思がないというのは、相手にとっても失礼なのではないか。理想と妥協云々の前に、まず俺自身理想と向き合っているだろうか。
などといいつつ、選んでいられるような立場かというセルフツッコミもある。そんなことを考えていられるほど余裕があるのかと。市場での商品価値というのは、市場に出た瞬間から下がっていくものだ。どのみち、俺は選択しなければならない。
要は、思いのほかトントン拍子にことが進み、気持ちが追い付いていないのだと思う。俺の中でのプランとしては、最初の半年は様子見のつもりだった。どうせ俺からメールを送ったところで反応は芳しくないだろう、ダイエットでもしながら、外に行く機会を増やしたり、ファッションや身だしなみについて勉強したり、ゆっくり婚活に対する気持ちを盛り上げていくつもりだった。婚活を始めてみたのだって、まずはお試し感覚だ。先にとにかく第一歩を踏み出し、現実を知ると共に、半年後の第二歩を踏み出しやすくしようとする意図にすぎなかった。半年ROMれを愚直に実施しようとした。結果として、部屋着のままホノルルマラソンに参加する羽目になったサラリーマンのような状態で、今に至っている。
もう少しがんばってみようと思う。俺はどうしたいのか。俺自身の理想とは何か。そもそも、そんなものあるのか。人を愛するとはどういう感情なのか(大げさか)。こんな話は人にはなかなかできない。自分の醜さや虚栄心が1/1スケールだ。こんな話人にはなかなかできないにもかかわらず、どうにも誰かに話さずにはいられないような話を、いつも増田に書いてしまっている気がする。ありがとう。
もうFF14を初めて3年になる。その間のことを振り返ってみようと思う。
まず降り立ったのはリムサ。召還が強いというwikiの情報を鵜呑みにして、蛮神を従えるというジョブイメージがカッコイイという理由で巴術士を選択した。
しかし色々触っていると、ペットの制御がめんどくさい、魔法が地味、dot管理がめんどくさいという何につけてもめんどくさいだらけのジョブだと気付いて同じキャスターの呪術士へ。
前々からネットゲームではキャスター、ソーサラー職の高火力高コスト設計に強く惹かれていて、毎度その選択にしていたからというのもあった。
ひとまずレベル30まであげて、IDでの立ち回り、スキル回しが気になり始めて調べてみると、どうやらまとめではいちいちサンダーを投げなくて良い、ファイラでいい、50で覚える迅速フレアコンバートフレアが強い、という基本的な呪術士としてのお仕事を勉強した。
呪術士から黒魔導士にあがるころ、公式日記になんとなく書き込んだところ親切なプレイヤーが私のFCに見学にきませんかと声をかけられる。そのフレンドをCさんと呼ぶとする。FCマスターであるCさんは竜騎士だった。サブでタンクやヒーラーも嗜んでいた。
トントン拍子でFCに入り、IDに入り浸る。PTプレイでのヘイト管理の仕方を教えてもらう、初めてのメインクエIDを体験する、初めての24人レイド、はじめての・・・
本当に本当に大切な思い出であったと思う。このゲームの楽しみ方を教えてくれた。毎晩チャットし、仕事のことやFFについての雑談をした。
Cさんには大変にお世話になった。Cさんの丁寧な話し方、口調、冷静な判断に何度も助けられた。自然にあの人の周りにはいい人が集まった。いい人にはいい人が集まる。その一員になれたことがちょっとだけ誇りでもあった。
レベルがカンストしトークンを貯め始めたころ、Cさんから高難易度レイドにFCで挑む提案を受け、FCメンバーで揃って最下層まで行く。
もちろん全滅するのだが、そのさいCさんは、今までしてきたことを試されていますねと言った。
DPSとしての勤めを果たせていなかったことを痛感する。もちろんCさんは、高難易度レイドを軽々攻略できる竜騎士ではなかった。ただ、全員のPTDPSが足りないだけで、ただ、プレイヤースキルが足りなかっただけだ。
でも皆、そのCさんの発言で、「これはゲームだけどお遊びではない」ということを思い知ったのだ。皆が足をひっぱるまいとスキルまわしを相談しあった。ギミックを復習した。DPSを計った。お遊びだと、永遠にツインタニアを倒せないからだ。
しばらくして、ついにクリアすることができた。高難易度レイドでは適性がないといわれていた黒魔導士でクリアできた。うれしかったけど、Cさんはふっきれたようにログイン頻度が落ちた。私は、「こういうのは、もういいかな」と思った。
仲間同士できつい思いをしてクリアするレイドは美談として語られがちだが、リアルの睡眠時間を犠牲にし、リアルの休憩時間をギミックの復習に費やし、ためたゲーム内通貨を装備に費やす。果たしてこのコストがレイドのクリアに値するかといえば、私はそうは思わなかった。それくらい、FF14のレイドは現実のいくつかを犠牲にした。
Cさんはそんななか、FCのマスターとして皆のことを気遣って励まし、装備を用意し、立ち回り方のアドバイスをくれた。お金稼ぎの仕方や、レイドに行ってない初心者の手伝いに走っていたりした。
それからしばらくは、蛮神に挑戦したりフレンドのエターナルバンドに参加したり釣りを楽しんだり、それなりにエオルゼアの世界を楽しんだ。去る人もいればずっとフレンドのままの人もいる。FF14に誘ったリアル同僚の男の子とエタバンをしてリアルでも付き合っている。それなりにエオルゼアの世界を楽しんだ。
2年をすぎるころ、Cさんが突然FCを抜けた。彼(もしくは、彼女)の気持ちをうかがい知ることはできなかった。マスターがやめたので、別の人がマスターをした。その人は毎日インしてFCメンバーの遊びにつきあった。
Cさんとは今でもフレンドだし、なにか遊びに行くときに付き合ってくれる。でも今でも、なぜFCをやめたのか、なぜある一定のフレンドのつながりを切って隠居生活へ突入してしまったのか、その気持ちを知らずにいるし、汲み取ることは出来ないと思っている。
3年目になり、私はCさんのFCのマスターをしている。皆3年の間にそれぞれの理由でフェードアウトし、やめってった。残った中で私がマスターを受け継いだ。ずっと過ごしてきたFCハウスをいつまでも残しておきたかった。メンバーはアクティブでいうと5人しかいない。入った当時の半分だ。
そのうちの1人も最近、ひとりでがんばってみようと思います という手紙だけくれてやめていった。私はなぜ、そうなったのかわからない。Cさんがやめていった理由がわからないように、気持ちを汲み取ることができなかった。また同じ事をしてしまっている。ショックは大きかった。Cさんのようになりたかったけど出来なかったのだ。
ネットゲームは遊びだし、皆それぞれの気持ちでエオルゼアにいる。
汲み取れないことだってあるだろう、でも、誰かに寄り添って気持ちを確かめたり変えたりすることだってできるはずだった。
私は今でもCさんを、マスターを、追い続けているのだと思う。
最近持病の睡眠障害がよくなくって就寝時間がどんどん後ろにズレていってしまっている。もう空は白み始めて居てミンミンゼミが鳴き始めている、朝だ(今年引っ越してきたこの家は間取りの関係なのか新聞配達のカブのエンジン音が聞こえないからいまいち昼夜逆転してしまったという感じがしないのだけど)
10年くらいは不定期でこんな生活をしている、なぜってそういう時は定職についてないからだ、引きこもりをしたり働いてみたりの繰り返しの人生って訳だ。
しかしここ数年は少し特殊な状況だ、結婚してパートナーが出来たのだ、きっかけはうつ病の院生がネットのクソみたいなメンヘラカルチャーに触れてロクでもない処方薬遊びと自傷行為をしてて親も兄弟も手がつけられなくなってたところにたまたま入り込んでとりあえず刃物を取り上げてきちっと治療するために処方通り薬を飲ませるようにピルケースに詰めたりしてあといろいろ面倒を見てたらいつの間にか結婚してたっていう話だ。
運が良いことに相手の家はそこそこ稼げる仕事で、間をとりもってあげれば無理させることなくパートナーの治療に専念されられるし、さらにその間私に何か勉強させる余地があるというボーナスがついていた。
しかし、世の中そんなトントン拍子に物事は進まないもので、順調に回復していたパートナーのうつ病は今年の夏は悪化に転じ、もとより勉強する習慣がなかった無気力学生(高卒)だった私は受験用のカリキュラムについて行けず、なんとなくお茶を濁した程度の勉強しかしないという状態に陥っている、腐敗の2文字そのまんまの生活のような気もする(一応まだ勉強してどうにかする方面は諦めてないのでそんな自分で自分を腐したりはしないが)
ひきこもりを疾患として概念化した斎藤環の社会的ひきこもりの副題は「終わらない思春期」だったがまさに今の私たちはそろってそんな感じでこのままだと親が働ける間はそうやって終わらない思春期を続けて、働けなくなったら撤退して親の持ち家に住んで最大限使える社会保障に頼りながら小遣い稼ぎ程度にバイトして……といったところが放っておけば来る未来だろう。
正直抜け出したい、やはり経済的に自立しているということは自由であることと同義だ、けれど色々戦略は練り直してはいるもののその放っておけば来る未来から抜け出すだけの加速度を生み出すエネルギーが私にあるのだろうか。なんて思いながら33歳の夏休みは終わって行くのだった。
追記:本筋に上手く入れられなかったので分けて書くが最近パートナーが「学生の頃は私に本当に優秀だったのに」と愚痴っていてどうにもつらい、つらいというか自分はもう全盛期を過ぎた人間という思考に囚われてるのをみるのはあまりいいものじゃない。
その点私はずっと人生パッとしなかったしパッとしないなかで良いことがたまにあるみたいな生き方をしてきたからそういう悩みとは無縁で楽なのかもしれない(あれはあれで私なりの青春だったと思えることはいくつかあるけれど)
友達の奥さんが路上で果物の押し売りにあったそうだ。以下詳細。
・子どもをつれて、車で旦那さんのお迎えに。外食の予約を取っていたので多少急ぎ気味。
・「車のバッテリーがあがってしまったので、助けてもらえませんか」
・30代の男性で、3、4人。二車線の国道の路側帯に停車中。それなりに交通量がある国道。
・この時点でスルーしておけば良かったんだけど。
・お人好しにもほどがある彼女は、転回して彼らの車の前に車をつける。
・「ところで助けてもらったところでなんですが」
・「はい」
・「果物買ってください」
・はい?
・なんでも彼らはこれから果物屋になろうと思いこの都市に来たとのこと。
・この流れで「お礼に進呈します」じゃないんだ、「買ってください」なんだ……
・(こいつらすげぇな)と彼女は思った。
・「メロンどうすか。すごくいいやつなんだけど3,000円にしときます」
・「いやいらないですお金ないですし」
・「いいじゃないですか買いましょうよ」
・「わかりました、じゃあメロンにあれとこれとそれをつけて……全部で10,000円!お得ですよこれ!」
・彼らの車とバッテリーを接続するために、逆走する格好で自分の車を停めてしまっており、運転に自信のない彼女としては、彼らを振り払ってこの場を立ち去ることは出来そうになかった。
・彼らもまるで「買うまで帰さないぞ」とでも言わんばかりにまくし立てている。
・ここでもし「買いません」と言って彼らを怒らせたらどうしよう、と彼女は思った。車には小さい子どもを乗せている。もし暴力的な手段に訴えられたら……
・彼女は急にこの状況が恐ろしくなった。
・彼女は諦めて彼らの提示する金額より少しだけ安い金額で果物を買うことにした。買うことを決めた途端、彼らは快く車を移動させ発車しやすいように交通整理をしてくれた。
・家に帰ってから果物を見ると、明らかにお盆のお供えの売れ残り、という体の果物だった。中身は少し痛んでいるものもあった。
という話を僕は友達(旦那)から聞いたのだった。増田に書いていい?と聞くと、
「まぁきっぱり断れなかったあいつも悪いんだけどさ」
と友達は言っていたが、そりゃ見知らぬ男、複数人に囲まれたら怖いだろ、と僕は思った。
世の中色んな人がいるよね、という話でした。
生まれて1ヶ月半くらいで挿し餌してた頃の体重が空腹時で50g、満腹時で+5gだった。
それが一人餌への移行や初飛行で一時は44gまで減っていたので、やっと元に戻った感じ。体型もセキセイインコみたいなほっそりとした姿から、コザクラインコらしいずんぐりむっくりになってきて、飼い主増田としては大変喜んでいる。
体重は毎日量りなさいといわれるが、なかなかこれが難しかった。
乗るのを嫌がるし、じっとしてない。
先日、ふと思い立って
指に噛みつくつもりでなんとなく体重計に乗る
「よくできました!」といっておやつをあげる
みたいなことをやってたら、3日で自発的に乗るようになった。
あっさり覚えたので拍子抜けである。今までの苦労は何だったのか。
次は何を覚えてもらおうか。