2017-11-18

篠崎愛

グラビアタレント篠崎愛韓国大人気になっており、日本ネトウヨが怒っている。

曰く「篠崎愛韓国人タレントとの密会写真を撮られて既に日本では終わった存在」とディスりまくっている。

 

それはそうと韓国関係なく篠崎愛グラドルとしては日本では下火であった。

篠崎愛活動歴史とともに整理してみる。

 

篠崎愛の人気のきっかけは2006年。14歳の時。個人撮影会での巨乳ビキニ写真ネットにアップされ、それが爆発的に拡散たことによる。

ロリ巨乳理想をそのまま体現した写真は当時の社会に衝撃を与えた。その時すでに紗綾が12歳Fカップとして有名だったが、それとは別ジャンル理想の顔立ちだったのだ。

しかし当時まだ中学生という年齢もありイメージDVD雑誌の表紙などにはなっていなかった。

 

高校生になったあたりからイメージDVDを量産。だんだん雑誌の表紙にもなっていき「グラドル」の代表格、トップグラドルになっていった。

 

2010年前後グラドル女性タレント界隈は、何でもかんでもビキニイメージビデオIV)を出すような感じであった。雑誌メインのグラビアよりもIVの内容を競う状態IVを出していればグラドルと名乗れる。そんな中で「ソフマップ」と馬鹿にされるグラドルも出てきたりした。粗製乱造デビューさせることで、IVグラドルとしての華よりも内容の過激さを競うものになっていた。

 

篠崎愛IVは、業界がそういう状態でも内容が過激になることはなかった。極小ビキニは着ないし下乳は見せたことがなかったはず。アイス舐めや風呂掃除などのフェラチオパイズリもどきもしたことがないだろう。まさに古き良き健全IVであったが、当時の過激IVに慣れてしまったグラドルファンからは物足りなさを感じて、篠崎愛グラドルとの間に溝ができ疎遠となっていった。

 

同時期に篠崎愛はただのグラドルからステップアップをもがく。アイドルグループを結成し頻繁にテレビ出演もするようになったが、かつてのイエローキャブタレントのように「グラビアバラドル女優」の階段トントン拍子に登ることはできなかった。まだ若く、顔がロリすぎたためであろう。

こうして、雨後の筍のように若い新人過激IVを発売するグラドル界隈の事情と、弱小事務所テレビタレントとして芽が伸びなかったこともあり、グラドルとして篠崎愛は埋もれていっていた。

そんな中、韓国での食事会の写真ネットに流れ、処女性を求められるアイドルとしての人気を失った。

 

2016年のグラドル界隈は、未成年タレント過激IV問題視され、高校生IV販売停止になるなどの激震が起きた。同時にIV中心になっていたグラドル活動雑誌グラビア写真メインに原点回帰しつつある。

 

25歳になった篠崎愛ロリから大人の女性イメチェンし、上品ヌードグラビアにも挑戦した。昨今の韓国シフト活動タレントとしてのブランド確立するためのものになるだろう。

5年前に他のグラドルに合わせてIVで下乳解禁、疑似AV路線に進んでいたなら今の篠崎愛はなかったのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん