「研究室」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 研究室とは

2018-12-02

anond:20181012022123

彼氏から2カ月半ぶりに連絡が来た。俺からこういうの勝手なのわかってるけど、嫌じゃなかったらラインしない?いや勝手も何も私はずっとお前から連絡が来るのを待ってたんですよ。最初の頃はラインの通知が鳴るたびに彼からじゃないかと思って緊張していたのに、なんとも思わなくなったのはいからだろう。

元気?うん。そっちは少しくらい落ち着いた?いや、正直前よりしんどい。つらくってこうやってラインしちゃって情けない。愚痴とかは言わないから、たわいもない話がしたい。いやこれからふたりの話するんじゃないんかい。思ったより5億倍くらい勝手だった。それでも連絡が来たことが嬉しかたから、どうでもいい話に付き合った。本当に心の底からどうでもいい話だった。元気そうでよかった、と彼が言って会話が終わりそうになる。私は私でこの2カ月間クソしんどかった。だから余計なことを言ってしまった。大変だと思うけど、他の女に甘えたりするのだけはやめてほしい。うんわかったと一言いってくれればそれでよかった。想像どおりの返信は来なかった。ごめん今そういうのに答えられないくらい本当にしんどい。俺からフったのにつらいからってラインしてほんとにごめん。ごめん。いやちょっと待て私フラれてないけど。距離を置いているだけで関係を解消したつもりは更々ない。だからこうして毎日来ない連絡を待ち続けて苦しんでいたというのに。お前の中ではフったことになっているのか?確かめ勇気はないので、距離おいてても私はあなた彼女ですし落ち着くの待ってるから、と伝える。俺のことなんか待たなくていい。俺を忘れて幸せになってほしい。そう、彼は中二病だ。病むと笑っていいのかなんなのかわからない発言が飛び出す(過去一番きつかったのは「一緒に堕ちよう」)。勝手に返信いらないからとかつけて会話を終わらせようとしてくる。ふざけんな。待ってるから、さっさと辛いとこ抜け出してネックレス取り返しに来てください。返信不要とつけて送る。

あのとき、彼はネックレスを箱ごと私に預けた。付き合って1年のときに私が彼にあげたネックレスめっちゃ欲しいけどたけえ〜とずっと言っていたブランド物のネックレス。彼はとても大切にしてくれていて、婚約指輪みたいな気分だったんだろう。最初私は受け取らなかったが、別れ際もう一度私に渡してきた。持っててほしい。ちゃんとしたら、それ取りにいくから。ごめん。そう言われたら受け取るしかなかった。取りに来てくれるんじゃなかったの。

ラインを終えてしばらくの間つらかったが、だんだん冷静になってきた。私は私の存在が彼にとってのストレスになってしまうならばと思って距離を置くことを承諾した。しかし私が近くにいてもいなくてもつらいならば話は別じゃないか。私を追いやったのはただの八つ当たりではないかしかもつらくなったときに私に連絡してくるということはやっぱり私を求めているのではないか自分から距離を置くと言いだした手前やっぱりつらいから側にいてほしいとは言えない。そうして彼は苦しみ、私も苦しむ。無意味じゃないか。ここは私の方からアプローチをかけるべきなのではないか。もういいから、全部支えてあげるから。そう言って抱きしめてあげたらいいのではないか。思い立ったら早かった。このとき行動に出る前にカレンダーを見ていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。バチバチ生理前だった。生理前に重要な行動を起こしてはいけない。閉経前の女の鉄則。

彼は大抵家に鍵をかけない。研究に没頭しているならば休日でも研究室にいる可能性が高いだろう。不在だったらどうせ溜まっているであろう洗濯物をやっつけたり部屋の掃除をしたり作り置きの料理でも仕込んでいこう。この前見つけたやきそば弁当たらこバター味も持っていったら喜ぶかな。スマホと、充電器と、ツタヤでまとめ借りした漫画と、ギターピック引越しのごたごたで何故か私のアコギが彼の家にあり彼のベースが私の家にある。おかげさまでエレキギターの生音で弾き語りをする日々が続いていた。私はワクワクしていた。片道1時間半と1,000円ちょっと交通費をかけて彼の家に向かう。乗り換えを間違えて余計にお金がかかってしまったけどそんなことはどうでもいい。早く彼の家に行きたかった。彼のありがとうという言葉が聞きたかった。

電気はついていないが在宅だったら驚かせてしまうので一応チャイムを鳴らす。応答はない。ではおじゃまします、とドアを開けようとすると鍵がかかっている。まじか。ようやく鍵をかけることを覚えたのかと感動しながら近くのスーパーのイートインに向かう。仕方ないので彼と連絡を取る。今大学?家まで来てるから会って話そう。帰る時間わかったら教えて。学園アリスを読みながら待つ。棗かわいい。彼から返信が来た。静岡にいるらしい。まじかよじゃあ帰るわと思ったら彼からめっちゃ電話が来る。何回切っても来る。私は電話が嫌いだ。何も伝わらないから。あまりにもしつこいので出る。今静岡から、と言う。それは知ってますから帰ります直接会って話がしたいのでまた来ますと言って終わらせようとした。俺戻る気ないから。いや急になんの話だ。まだなんもいってねーだろうが。電話で話す気ないので。また来ます勝手に来んなよ。あーーーーわかりました突然押しかけてすみませんでした研究がんばってくださいバイバイと言って電話を切った。その後も電話がかかってきていたようだが学アリを読んでいたので気づかなかった。文字でのやりとりに移行する。話があるなら電話で少し聞くから。少しってなんやねん。電話で話す気ないのでと口頭で伝えたことをもう一度打ち込んで送る。別に会わないって言ってるわけじゃないじゃん、なんの話かモヤモヤするの嫌だ。人のことを2カ月以上モヤモヤさせたやつの台詞とは思えねえな。伝わらないことを承知で伝えた。あなたが辛そうだから支えてあげようと思って来ただけです。会えなかったら家事だけして帰ろうと思ってました。こうやって文字で言っても電話で言っても伝わらないから会って話がしたかった。彼は、しばらく不在にするから鍵かけた。ありがとう心配かけてごめん。この間俺がラインしたのが悪かった。と言った。

戻る気ないとか、勝手に来んなよとか、完全に元カノに対する発言だな。今カノに対してこういうことは普通言わねえな。勝手に来んなよが一番きつい。こないだまで半同棲してたのにな。イートインでめっちゃ泣いた。こないだの俺からフったのに発言もあるし本当に彼の中では終わったことになっているのではないだろうか。もうどうして泣いているのかよくわからない。学アリは泣かすのがうまいやきそば弁当たらこバター味がカバンの中で揺れてガサガサ言う。こんだけお金時間かけて私なにやってんだろ。家事をしてたら彼が帰って来て、当たり前のようにおかえりって言う私に驚いて、つらいなら私が支えてあげる、と言ったら彼は泣きながら私を抱きしめる。ハッピーエンド。とか書いて増田で祝われようなんて甘すぎた。世の中そう上手くはできていなかった。私は主人公ではないのだと思い知らされる。

乗り換え駅のホームで彼にラインを送る。ひとつだけはっきりさせておきたいんだけど、私のこともう好きじゃない?好きだけど今は一緒にいられないだけ?送信したのは20時半。7時間経った今も既読はつかない。そろそろ限界かもしれない。

2018-11-30

インターンに行ったNTTには就職しませんでした

概要

M1の夏にインターンに参加しましたが、結局、外資系企業に 非研究であるソフトウェアエンジニア(SWE)として就職しました。

以下、今の会社の特徴的なことを列挙していきます

ちなみにGoogleではないです。

給料

インターンに行っただけなので具体的な給料はわかりませんが、確実に今の会社のほうが給料は良いです。人によりますが、初年度で約800万からスタートします。自分は870万からで、2年目に1000万を超えました。

もちろん海外ベンチャーでは初年度から1000万以上普通に出すそうですが、日本を離れたくはないことや、後述する項目なども総合的に考慮すると、この金額で今のところは満足しています

研究らしい事」が意外とできる

SWEとして就職したため、研究活動からは離れる覚悟をしていましたが、実際には「課題解決するためのソリューションを考えて自発的に行動する」ことが強く推奨されている今の業務は、わりと研究に近い姿勢が求められていると感じます事実自分研究分野の知識を活かせる案件担当したことがありますが、その時は毎日論文にらめっこしてましたし、プロジェクトの成果が形になった後は論文を書かないか上司にも薦められました。

「自立してプロジェクトイニシアチブを取る」という行為修士博士学生研究で散々練習しているはずなので、すごくフィットすると思います

技術者レベルが高い

技術の道に生きる人間としては、やはり自分技術知識をずっと磨いていきたいという気持ちがあり、そのためにもレベルの高い技術者と働きたいという思いが強くあります

今の会社は幸いそのような人達に囲まれ、日々学ぶことがあるので非常に満足感があります

反対意見をぶつけ合っても喧嘩にはならず、より良い結論を探していこうという生産的な態度の議論ができる人ってすごく貴重だなと思います

研究室の頃の学生同士のディスカッションのようなそんな議論を、いまでも当たり前のようにできる職場環境は素晴らしいなと思います

技術者技術者尊重してくれる

エンジニアだけでなく、マネージャー技術者意見尊重してくれる環境があります

ですが別にこれは特別なことではなく、要は「最大効率を生むための働き方」を考えた結果こうなっているのだと思います

当たり前ですが技術者プロダクトマネージャーよりは技術に詳しいですから技術的なトピックに関しては技術者意見尊重したほうが正しい結論が得られやすいです。

もちろん、これは逆もまた然りで、プロダクトの進むべき方向性ユーザーからの声などは、PMのほうが圧倒的に詳しく知っており、エンジニアは完全にPMからフィードバックに頼り切っています

お互いに、強みを活かし合うことで生産効率を高めようとしている感じです。

社内システム自体別に特別ものはない

ここでいう社内システムは、Googleの社内のインフラ、みたいな「社内で使われていたものが表に出てきた」ものではなく、例えば「経費精算」とか、「会議室予約」とかそういうやつです。

必要がなければ誰もメンテナンスしないので必然的にこういったものはふつーの野暮ったいものです。

外資系はやっぱそういうところも洗練されているんだろうな」と若干幻想をいだいていました。

一方で、社員に与えられている裁量比較的大きく、社内システムを使うことが殆どないため、結果的に社内システムストレスを感じることが少なくなっている気はします。

オリンピックスタッフ募集は来なかった

英語話せる人がたくさんいるし、来るかもとは思ってたんですがね。

作業環境

机の広さは大学研究室とほとんど変わりません。PCは2TBのHDDと64GBのメモリを積んだUbuntuデスクトップです。

世間では、HDDは「人権がない」扱いらしいですね。厳しい。

基本的セットアップ完了した状態入社時に渡されました。使いたいツール自分で足してくれ、との方式です。

椅子普通オフィスチェアです。高いものらしいですがあまりわかりません。

食事

美味しい昼食が毎日無料で食べられますインターンときは日給がほとんど食事代で消えていたので、これは大きな違いでした。

生産性を求められる

当たり前ですが、高い生産性を求められます窓際族存在しません(別に今どき他の会社でも存在しないと思いますが。)

研究っぽいことができる、と書きましたが、流石にそれだけに1Qまるまる費やすことは厳しいです。

誤解されがちなのは生産性の低い人はすぐにクビになるというわけではないということです。

実際には、会社技術者投資しただけ回収するために全力でフォローをしてくれます

フォロー責任マネージャーにあるので、フォローが足りない場合はそれはマネージャー責任になります

その代り、マネージャー採用に関われるので、ある程度技術レベルが高くフォロー可能技術者しか採用しません。

研修が手厚い

「高い給料の分即戦力が求められている」というイメージが有りましたが、実際には入社後数ヶ月、しっかりと研修がありました。

他の会社を知らないのでなんとも言えませんが、普通にためになる内容でした。プログラミングに詳しくなりました。

残業はないが、アメリカ人めっちゃ働く

残業はないです。好きな時間に来て好きな時間に帰れます。もちろん成果は求められます

あと、アメリカ人日本人よりよほど勤勉。朝はめちゃくちゃ早く来て夜も8時とかまでずっといる。「日本祝日が多すぎるよ!」ってキレられました。休んでください。

将来への不安

からは常々「そんなうまい話は無い。若いうちは給料なんて安くていいから、もっと安定した大企業に行きなさい。」と言われてきました。

が、このご時世、「安定した大企業」というものがどこにあるのか私にはわからない。公務員だろうか?自分定年退職するまで国家破綻しない保障すらない。

今の会社よりも更によい場所があればそのときはまたどこか転職しようというくらいの気持ちでいます

技術者たるもの会社所属するのではなく技術所属し、就職会社技術力を提供する契約関係ぐらいに思っています終身雇用前提の就職はありえないと考えています

多分コレはみんなそうで、「愛社精神」というものはないです。会社ミッションにはほとんどの人が共感しており、ミッションの実現のために会社技術力を提供している、という意識の人が多いと思います


なんか書いてみたらNTTほとんど関係ないですねこれ。インターンだけじゃそこまで中身わからないしショウガイネ

2018-11-29

転生したらNTT社員になって6年勤めたが退職した

俺はF欄大学卒業して、フリーターをやっていた。

正社員になりたい気持ちはあったが、就活は何社か面接を受けて、あまり茶番過ぎて辞めてしまった。

公務員になる、と親には言ったが、勉強なんてほとんどしてない。

毎年ルーティンのように公務員試験を受けては、落ちて、近くのコンビニバイトを続ける毎日……


「こんなんでいいのか俺……」

将来を考え始めると眠れなくなる。

眠れなくなると、チューハイを飲む。

たまにストロングゼロ

その日も強かに飲んで眠った。


そして目が覚めると……俺は……


「おい!」


ん?


「……おい! 起きろ!」




体を揺さぶる誰かの声……親ではない……

ここは……? どこだ……?




「えっと……」

「おい起きろ! お前いくら俺たちが裁量労働制で、成果さえ出ていれば問題がなく、

勤務態度や遅刻・早退による減給がないとはいえ、勤務中に居眠りは怒られるぞ!」

「え?え?え?えっと……ここは……どこ?」

「何だお前。寝ぼけてるのか。ここはNTT研究所

お前は大学院で優秀な成績を収め、研究室でも教授から認められ、

推薦を受けて、この研究所に入って、勤務態度こそ悪いものの、

新人としては考えられない成果をあげて周囲から認められてるんだ。

ほら。もうすぐ社内勉強会の発表だ。みんながお前のスライドを楽しみにしてるんだ」



そう。目が覚めると俺はNTT研究所社員として転生していた……

しか勉強会……?

F欄の俺がみんなの前で発表だって



「……というわけで、分散システムにおけるリスクは様々あり、

最新のOSSではこのような対策がされています……」



なんだか参加者がみんなリアクションがない……

不安になって、俺は同僚に問いかける。


「なあ、この発表、やっぱショボすぎるよな?

 それでみんなあんな反応に……」

バカ! お前のスライドがすごすぎて、みんなリアクションがとれないんだよ!」

「……えっと……すごすぎるっていうのは、俺はのスライドの中身がなさすぎて、って意味だよな?」

バカ! 逆だよ!

 NTT社員なんて技術知識90年代で止まってるんだ!

 そんな相手に最新のITベンチャー技術動向や、OSSの内容を説明たから、みんな圧倒されてるんだよ?!」

は……?

まさか、天下のNTT社員技術知識90年代で止まってるなんて、そんな馬鹿な……?

未だにWindowsが世の中のOSの大半を占めていて、

ブラウザインターネットエクスプローラーメーラーOutlook

仕事で何かあればExcelを使うと思っているわけがない。

ましてやメモリ4GBでHDDPCを使っているわけが……


そんなわけ、ないよな……?

2018-11-28

論文の探し方って誰に教わるんだろう

ニュースサイトを見ていても、どこで論文が探せるのか知ることは出来ない。

大学研究室に入ったら、研究室メンバー教授が使っているサイトを知る感じじゃないだろうか。

もしくは大学図書館で購読している学会誌を見るか。

学会に入れば、その学会のことは知ることはできるが、新しくできる学会のことは知りようがないので、そこで発表される論文も知ることはできない。

2018-11-27

鬱積した気持ちがある日突然晴れた話

嬉しすぎて酒を飲んで、支離滅裂文章となっているため、真意が伝わるかは不明だが、今思っていることを書き留める。

去年の今頃だろうか、環境に対する不満や人間関係自分の周りの環境の変化などが相まって、気分が塞ぎ込んだ。

まさか自分鬱病になるなんてない、と思っていたが、どうやらその症状は、かねてから聞いていた鬱病という症状に近いような気がした。

そんなこんなで心療内科複数回通院し、カウンセリングを受けたところ、案の定鬱病に近い症状が出ていることが発覚した。

医師は直接鬱病という診断は起こさなかったものの、医師に「私は鬱病なのではないか」と問いかけをしたところ、「正直、それに近い症状は出ている」と言われた。

そこから学校を休んで、今年の4月に、とりあえず学校に行く気持ちになったので、年度初めに大学院には復帰した。

しかしどうもやる気が出ない。

昔取り組んでいた研究テーマについても、まったくもって継続して取り組もうという気持ちがもてず、丁度修士論文執筆しなければならない年であったこともあり、研究テーマを変える決断をした。

そんなわけで研究テーマを変えて、指導教官も変えて、心機一転やってやるぞ、という気持ちを抱いていたのだが、どうも進まなかった。

そのまま修士論文執筆時期を迎え、流石にそろそろ進捗やべえなあと思いながらも、依然としてやる気が出ない。自分が休んでいる間に成果を出していた同期が自分より上のステージに進んでいたし、周りも成果が出始めている時期だった。

かくいう自分は休んでいる間に進捗が生まれるわけでもなく、成果も生まれていない。

指導教官からは、「気にせず、一からやっていこう」と優しい助言をもらったが、自分の中では同じスタートラインに立っていた仲間がすでに別のステージに居ることが耐えきれず、「自分だってそうなれたかもしれない」という思いを抱いていると、どうも何かに取り組むという気持ちを抱くことが出来なかった。

そんなこんなで、表向きには復帰をしたものの、鬱々とした気持ちを抱いたまま過ごしていたのだが、今日ある日、ひょんな契機をきっかけにやる気が湧いた。

それが直接的に何だったのかを言及することは控えるが、その姿を見て、自分もやってやろうと思えるようになった。

そのとき、何が悪かった、何が自分の心に影響していたのかということも、若干ながら気づくことが出来た気がする。

具体的には「同じトピックについて議論できる仲間が(教員を含め)存在すること」が欠けていた。

それは自分説明能力の低さだったり、キャンパス研究室の環境といったところにも由来するかもしれないが、自分の中で、自分のことを理解してくれる人などいないという思いが鬱積して、たまりにたまりこんでしまった結果だったのかもしれない。

そういう意味では研究室を変えたことや、研究室を変えても人とのつながりを維持していたことはプラスに働いたのかもしれない。

とかく、この経験から私が言えることは

の2つは大事ことなのかなと。

2018-11-26

anond:20181125055531

元増田に触発されて、大学時代自分自殺未遂をしていた頃のことを思い出していた。自殺未遂と言っても、救急車警察のお世話にもならない程度に自殺を企てて失敗して諦めるようなものではあった。とはいえ、今思い返してみると自分人生ではそれなりに重要位置づけにあった出来事だったように感じるので、供養のために当時のことを思い返して書いてみようと思った。

大学の頃はとにかく自分の不甲斐なさ、生きる才能のなさに絶望していた。バイトでも研究室でも上手くいかず失敗ばかりで常に低評価、何をしても上の立場の者を怒らせてしまい下の立場の者からは憐れまれる、同期も含めて誰とも信頼関係を築けない、などで常に悩み苦しんでいた。いつだったか、親に「普通のことが普通にできるようになって欲しい」と言われた。自分も心底そう願っていたのだが、周囲が普通にできていることができないまま、失敗体験ばかりが積み重なっていった。

その社会的に上手くいかない大部分は、今顧みると自分発達障害的な特性に起因していたのだと思う。だが、その頃は発達障害に対する知識量が乏しく、自分発達障害であると疑いもせずに、漠然としつつも強い社会不適合感を感じながら生きていた。

そのうち、何か現実で失敗して大きく自分失望する出来事があったとき自殺を試みるようになった。

ある時は凍死を試みた。当時は北海道に住んでいたので、冬の夜に外で寝ると簡単に凍死できる。酒をコンビニでたくさん買って、酩酊したのちに雪の中で寝ることで死のうとした。だが、いざ酒をしこたま飲んでも「ここで寝たら死ぬ」という本能的な危機意識が強まり意識覚醒するばかりで思うように酩酊することができなかった。結局、1時間半ほど雪中にいたのちに無理だと悟り、冷え切った指をさすりながらフラフラ家に帰った。

ある時はヘリウム自殺を試みた。本当は数百リットル入っている大きなヘリウム缶を購入した方がよかったのだが、実家住まいだったため家に持ち込むのは現実的でなく、結局十数リットルの小型缶を2本買った。ビニール袋を頭から被り、その中にヘリウムを充満させ、呼吸すると酸素不足で意識を失いそのまま死に至るという寸法だ。結果はまあ当たり前だが、ヘリウム絶対量が足りず、意識を失うことすら叶わなかった。「死ねなかった…」と独りごちたとき、例のパーティヘリウムを吸った時の声が高くなる現象が起き、思わず笑ってしまった。一瞬だけ、自殺に失敗した絶望感が紛れた。

他にも非定型首吊りを試みたりと何度か自殺を決行した。だが、いずれも準備不足だったり、途中で怖くなってしまって未遂に終わることを何回か繰り返した。そうしてまた現実に向き合わなければならない絶望感を抱えつつ、辛くて苦しい日常に戻っていった。ただこの自殺失敗は無意味ではなく、いつでも死ねるという選択肢があると自分に言い聞かせることで、現実の辛さから目を背ける逃避行為になっていたと思う。

そうして毎日をやり過ごしていたところで、大学院の研究発表が間近の冬の時期に、これまで数ヶ月かけて実験してきたデータが使い物にならないと判明した。自分のこれまでやってきたことが無為だと感じたときに、なんとか生きようとしていた気力の糸が完全に切れてしまった。この出来事自体が大きい意味を持っていたというよりは、これまでの失敗体験により自分への失望や将来への希望の無さが雪だるま式に積み重なっていって、この出来事で許容値を超えたと言った方が正しいと思う。この先生きていても苦しいだけで希望も何もない、自分は何も成功を収めるすることができない落伍者だという思いがピークに達し、自殺を決行しようと思った。

定型首吊りをしようと、酒を飲んだあと人気のない公園に行き、自分身長以上ある遊具ロープを括り付けた。その後、遊具に昇って首にロープをかけ、足を遊具から踏み外した。頭に血がパンパンに溜まり熱くなるのが分かり、同時に意識に靄が徐々にかかっていった。あと数秒、首に圧力が加わったなら意識を失い、やがて死に至ると強く実感した。そのように感じた瞬間、死が急に身近に思えてきて、一瞬でとてつもない恐怖心が芽生えた。手でロープを掴み首に掛かる圧力を緩めたあと、必死にもがいて首からロープを外し、倒れ込むように雪の上に落ちた。

その後も何回か試したが、同じようにあと数秒で意識を失えるところで首からロープを外し、断念することを繰り返した。あと数秒だけ首に力を込めれば意識を失えたのだが、その一線を越えるのがとてつもなく大きな壁のように感じ、どうしても乗り越えられなかった。結局3回ほど試したのち、無理だと悟って家に帰った。

上で書いた通り、自分にとって自殺は辛い現実から目を背ける唯一無二の手段だった。死ぬという選択肢があると信じ込むことで、どんなに現実で失敗をしたとしても、死ねば救われると信じていた。しかしこの自殺未遂により、ここまで死に接近しても、死という一線を越えることは自分にはできない、死を現実の逃避先にするのは無理だと悟ってしまった。すると、これまでは生きるか死ぬかの狭間でウロウロ迷っていたのが、死ぬことが無理ならこの先も生きていくしかなく、この先どうせ生きていかねばならないのなら、できれば良い人生を生きていきたいという心情に変化した。死ねない絶望が、逆に現実を前向きに生きようとする動機になったのだ。

その後、研究発表は使えそうなデータをそれっぽく見せて、なんとか修了要件を満たすことが出来た。

そして大学卒業して働き始め、自分発達障害であることに疑いを持ち実際に診断が出るなど紆余曲折ありつつ、今のところはなんとか生きている。

今でも猛烈な希死念慮破滅願望が湧き上がることはしょっちゅうあるし、自分社会を上手く渡っていける人間でないことに絶望したりもする。「生きててよかった」とまで自分人生肯定できるまでには、まだ至っていない。だが、自分自殺できない、死を逃避先として選べないということは、確固とした事実として悟ってしまった。また、幸いと言っていいのか、最近は少しずつ発達してきたのだろう、人生を上手くやっていく術を徐々に身につけつつある。まあ、全て上手く実践するまでには全然至っておらず、それなりの頻度で失敗をやらかす。そのたびに湧き上がる強い自責感情消滅願望を色々な方法ごまかしつつ、結局はより良い人生を目指して少しずつやっていくしかないと思い今日もまだ生きている。

この文章を読んで、これは前向きな感情ではなく、死ぬという選択肢が消えたか消極的に生きなければならないと感じているだけではないか?と感じた人もいるような気もする。確かにそうなのかもしれない。ただ、以前は学習性無力感からか、自分人生を良くしようと自分から働きかけようという気すら起こらず、ただ日常の痛みに耐えているだけだった。そのような状況から比べると、自分人生コントロールして良くしようと動く気になった分、以前より間違いなく前向きになったように自分では感じるのだ。(管理が厳しく、親の納得のいく人生を送らないと叱責する親元を離れたことも、大きな要因であるとは思う)

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

こうして今になって文章化して振り返ってみると、この程度の絶望はまあ巷にはありふれているし、救急警察にお世話になっていない程度の大した話でないと自分でも思う。ただ、元増田は「人は簡単死ぬ」という現実悟り、結果として前向きに生きることができるようになったと書いている。一方で、自分は「人は簡単死ねない」という現実に直面し、結果として前向きに生きられるようになったように思う。その対比がなんだか面白くて、このような長文を書いてしまった。

以上、供養です。おわり

2018-11-23

ギークになれなかったナード

この社会でどう生きていけばいいのだろうか。

ずっとずっとそればかり考えている。

大学研究室で打ちのめされて就職先を変えたあの日から、ずっとずっとそればかり考えている。

2018-11-22

遊び方を忘れた

大学に入って暇が出来ると、何もしていない事に不安を覚えて忙しいサークルに入った

しばらくはそれで良かったもの自主的に遊ぶことがなくなって、サークル引退した

研究室に入ると、毎日遅くまで研究して、ますます遊ぶことが無くなった

今は院生で、終電帰りの日が多くなった

今までどうやって遊んでたのかも忘れたし、誘う元気もない

忙し過ぎても病むし、暇過ぎても病む

他の院生はどうやって遊んでいるのだろうか

2018-11-21

友達として仲良くしてる男性からの突然の告白を「ぬいぐるみペニスショック」と言うらしい

すごいネーミングだな…

今となってはもうあれだけど若かりし頃は理系女性が少ないという環境も相まって

仲良くしてた男友達とか研究室同級生とか部活サークルの先輩とかから告白されたことがあったけど

ビックリしたことはあれど「ぬいぐるみにいきなりペニスが生えてきたような気持ちだ!」

なんて思ったことがないんだけど…私が鈍感すぎるのか?皆繊細過ぎない?

1回も話したこともないような人から告白されるっていう状況のことではないよね…?

部活はおいといて男友達だったら友情愛情の違いはあっても「好意」を持ってることに変わりはないと思うんだけどな~

そっからじゃあお付き合いしましょうかとなったこともあればごめん友達以上には見れないわ…もあるし

2018-11-18

レベルの低い大学に入ってしまったと思ったら

大学受け身で授業を受けるところではなく、自分勉強していくところだ。

実は大学の授業のレベルはどこも低い。

嘘だと思うなら好きな大学に潜り込んで授業を聞いてみるとよい。「こんなものか」と思うだろう。

もし東大に優秀な学生がいるとしたら、彼が優秀なのは東大の授業を受けたから」ではなく彼自身自力勉強たからだ。

あなたのいる大学東大だろうが偏差値の低い大学だろうが学問を学ぶためにやるべきことはあまりかわらない。

その分野の名著、定番書と呼ばれるものをどんどん読んでいこう。

ただ読むのではなく数年後に自分研究者側になることを意識して考えながら読もう。

この記述は正しいのか?反例はないのか?全体の論理の流れはどうなっているのか?もっとエレガントに証明できないか

思考法やテクニックセンスと呼ばれるものを磨いていこう。

東大生に比べて偏差値の低い大学学生が不利なのはおそらく共に学ぶ人がいないことだ。

議論する相手輪講をする相手が見つからないなら教授陣に相談に行こう。

どんな偏差値大学だろうが教官はまともな研究者だ。彼らはあなたの強い味方になる。

学ぶうちに自分研究したい分野が見つかるだろう。

そうしたらその研究室の教授メールを出してみよう。東大だろうがハーバードだろうが臆することはない。

研究生にしてください」「学科転向したいのですが相談に乗ってください」「あなた研究室に入るにはどうしたら良いですか?」

といったメールを彼らは国内外からよく受け取っているので対処に慣れている。

仮に返事がないならおそらくあなたメール迷惑メールフォルダに入ってしまったのだと思う。めげずに別の人にも送ってみよう。

フリーメールアドレス迷惑フォルダに入りやすいので大学メールアドレス xxx.ac.jp から送った方がよいと思う)

実は大学受験に比べて大学入試簡単だ。

あなた知識理解度研究レベルに達していればどの大学でも入ることができる。

(ただし分野による。例えば物理学科なら素粒子理論宇宙論は別格。どの大学でも入るのは厳しい。)




anond:20130818033214

増田は悪くない。運が悪かった。

そして娘さんの人生は終わっていないよ。

ここがスタート地点だ。

よかったら娘さんに印刷して渡してほしい。(anond以下を削ってね)

それから検索すると「XX研究室に入るにはどうしたら良いですか?」といった FAQや、勉強法、心構えをまとめたページがたくさん出てくると思う。

大学院進学を考えている皆さんへ

How to prepare for seminars

数学は体力だ! - 筑波大学 理工学群数学類/大学院数学専攻

すぐに思い出せたもの3つだけ載せておく。

とくに最後のページは数学科以外の人でも読むと勇気とやる気がもらえると思う。

2018-11-15

よくあるやつ

偉い学者

学生時代研究室には『こいつには勝てない』と思う天才がいたが、研究世界で生き残ることができたのは自分研究への情熱だけは負けなかった。どれだけ結果を出せるかは才能で決まるわけではない」

とか言って。

つっても高偏差値大学の中での話でしょっていうやつ。

2018-11-13

小中高を冷暖房完備にしま

  1. 小中高を冷暖房完備にします。
  2. 夏は学校のほうが涼しいので、夏休みを短くします。
  3. さらに、日中暑いので、下校は夕方します。
  4. 授業時間が増えるので、中学卒業義務教育)までに、今の高1の学習内容までやります
  5. 高校では学部学科に分かれて、今の高2の学習内容から大学一般教育科目程度をやります
  6. 大学はより専門的な、今の研究室ゼミでやるようなことをやります

院進前だけど不安しんどい

はてな匿名ダイアリーにポツポツと現れる院生記事を読むたび、自分と同じ不安を抱えている人たちを見つけた気分で、安心する反面、

やはり消えない不安気持ちと隣り合わせで毎日過ごしていた。

誰か知らない人からどんな風に見えるのか知りたくなって、自分も悩みを書こうと思う。

自分大学院進学を決めた文系学部4年生で、すでに来年度分の学費も支払っていて、修士生活2年間が待ち受けている。

こんなことを書いたら、人格が分裂しているんじゃないかと思われそうだが、

自分自身で本当に研究の道に進みたいのかわからない。

正確に書くと、研究に進むほどの覚悟がまだできていない。

未だに民間企業就職のことも頭から離れない。

相変わらず届く就活サイトメールや、インターン応募のサイト巡回してしまうし、修士後に就活するための資格勉強を始めようか逡巡している。

学部3年のときからずっと迷っているが、自分がどうしたいのかわからない。

大学入学する前から自分の専攻分野が勉強たかった。専攻分野の授業や教授の充実度・カリキュラム編成を調べて、いくつかあった受験合格から迷いに迷って決断した。

大学に入ってから、専攻分野の授業を受けるのは基本的に楽しかった。基礎ばかりを繰り返す授業ばかりだった学期は本当につまらなかったけど。

1年生の頃から、できるのなら、研究の道に進みたいと思っていた。

留学をして、院進学を志望する学生院生とも出会った。その人たちは口を揃えて、「今やっていること(勉強研究)が好きだから進学を決めた」と言っていた。

留学先で勉強をしたり、そういう人たちと出会うたびに、自分もそうだなと思っていた。

帰国してみたら、周りは就活で、会えば苦労話とか憧れの社会人像とかを話すようになっていた。

同期の就職先の話を聞くたびに、笑顔が引きつってしまう。「卒業後は?」と聞かれるのがその時期からだんだん苦痛だった。

自分だけ別の道に外れているような気がしたのと、やっていけるのかどうか不安気持ちを友人とは共有できないと感じたからだ。

自分不安を話したとしても、学校での成績がある程度良い方だったせいか、「XXならなんとかなるよ」と励ましてくれる人が多かった。

優しい声をかけてくれる友達大事にするべきだと思う。でも、正直その励ましが一番辛い。自縄自縛のような気分に駆られる。

研究学部生の成績評価とはまるっきり違う。課題や出席なんか研究本質とは関係ない。与えられたものをこなすだけでは実績はつかない、と自分は思っている。

高校同級生には「研究をして、どんなことができるの?」と尋ねられ、言葉に詰まった。

「まだ決まってない」「よくわからない」と笑ってごまかす度に、少しずつ体の中に水が溜まっていって、そのうち溺死するんじゃないかと思う。

研究室の先生にも自分の悩みは相談していた。でも、先生アドバイスはもうすでに研究の道でしっかりとキャリアを積んだ後なので、その言葉ばかり信じていられない。

知り合いの博士課程の人に「引き返すなら早めがいい」という言葉ももらった。

親は修士後に就職するものと考えているようで、ときどき就職の話をされる。

もう、自分が本当にしたいことがよくわからない。自分はどうしたら幸せになれるのだろう、と漠然と考える。

さらに、将来の不安で頭がいっぱいになるうちに、どんどん自己肯定感が無くなってきた。

研究室にはよくできる先輩がいて、その人と自分を比べてしまう。もちろん、数年の違いはあれど、自分が同じように研究を引っ張っていけるような院生に数年後なれるとは思えない。比べて、凹んで、ことさら自分が選んだ道は違ったんじゃないか不安になる。

頭の弱く薄志弱行な奴が、研究者を志望することなんて、恥ずべきことじゃないのかと思う。

上には上がいるのだから覚悟のない自分アカデミアには必要ないんじゃないかと思う。

しばらくして死にたくなるほどメンタルがやられて、悩みを抱えながら普通を装うのが辛くなって、研究室にいけなくなった。

でも、これでは親の学費無駄になるから、と自分分岐するタイムリミットを決めた。

これから数年の修士のうちに、自分はやっぱり研究に向いてないと思ったら、見切りをつけてもうすっぱり何もかも忘れるつもりだ。

でもどうやって判断したらいいのかわからない。

こんな風になると数年前は思っていなかった。昔の自分に謝りたい。期待して応援してくれた友人や両親に謝りたい。

申し訳なく思うのは、院進する前からこんな真っ暗闇にいる人間研究者なんてやっていけないんだろうと正直諦めているからかもしれない。

-------

このクソ長いエントリーを読んでくれた人の時間を奪ってしまって申し訳ないです。

何かかける言葉があったらコメントください。同じような状況の方あるいはそれを乗り越えた方はどう考えている/いたか、お教えいただけると助かります

2018-11-12

大学院から逃げたい。

どうしても誰かに聞いてほしいけど、

時期も時期だし、付き合いのある人たちはそれこそ研究室の人たちになっちゃうから

こうして匿名ブログに書かせてもらおうって思った。

だって、たまに会う社会人友達にこんな愚痴を聞いてもらうの申し訳ないし。

こぼすこともあるけど。

大学院から逃げたいんです。

助けてヒーローって叫べば助けに来てくれるスーパーマンかいないし。

から今日研究室に行って、ごくまれに、軽い口調で研究辞めたい、大学やめたいって言いながら、

データをとって、論文を書く。

進学してからずっとずっとずっとずっと劣等感と虚脱感しかなかった。

周囲との熱意の差がすごくて、「少なから研究したいから院に来てるもんな、俺ら」って言葉に、

内心よくわかんないって思いながらも、へらへらしてる。

へらへらしてるし、なんも考えてないように思えるかもしれないけど、

ずっと苦痛だった。

苦痛で仕方なくて、ストレスがたまっていってた。

もともとそんなに体は強いほうじゃないから、正直しんどい

から大切な人たちには、「大学院に行くな」って言ってる。

これを見て、大学院やめようって思ってくれる人がいればいいな。

あそこは、「研究することが苦痛じゃない」人たちがいくところ。

苦痛になる可能性があるとか、卒論ですでに辛いとか、それでも社会に出るより学生してたいか大学院残るって人は、

本当一回ちゃんと考えてみてって強く言いたい。

強く強く言いたい。人生後悔してからじゃ遅いし、学部卒でもいいんじゃないかって。

研究室なんて、かなり独自色出る場所だし、

自分のいる場所がそういうのなだけかもしれないが、

すごくすごくすごくつらい。

求められるもの結構高い。

自分研究以外に役立てるためにも、多くの知識を求められる。

例えばだけど、統計は使ってもガッツリ数学とか使わんよって思いながらも数学知識とかを学ばざるを得ない。

学部生じゃないから当たり前なのかもしれないけどさ。

全然いいけどね。勉強になるし。

ってずっと思って、思い込まなきゃやっていけなくて、

壊れた気がする。

もう限界です。

寝ても覚めて研究研究研究データ論文研究論文研究

から、どうか大学院に行くなら、研究苦痛じゃない人が行きますように。

同じような境遇の人が救われますように。

稚拙文章で、言いたいことだけ書き殴ったので見にくいな。

読んでくれた人がいるなら、ありがとう

もう限界だし、心身にヒビが入ってる感じは否定できないけど、

それでも今日研究室へ行くから

スーパーヒーローがいてくれるなら助けに来てくれますように。

2018-11-07

女性同士はギスギスしてるという誤解

よく女性人間関係はギスギスしてるというけど、これまで私が経験した研究室職場も、ほぼ男性しかいない空間においてしょっちゅう悪口大会が開催されていたので全くそう思わない。

たぶん当の男性達は悪口を(本人のいないところで)堂々と言ってるので、自分達はサバサバした人間関係を作ってるというつもりなんだろうけど。

逆に私には女性友達特に文化系女子友達があまりいないので女性人間関係はあまりからない。中高の頃もクラスハブられ気味だった。(もちろん男性友達もいない)

数少ない関わりのある理系女性達はみんな悪口なんて言わないし、たぶん嫌な人がいたら無言で離れていくだろう。

anond:20181107032904

多かれ少なかれ、会社の方が研究室より楽に感じることは多いよね

村上くんのために保存しておいてあげる

大学時代マテリアル系を専攻していた。

その中でも結構有名というか、研究内容を言ったら特定される分野なので詳細は省く。

GPAバトルを制し新進気鋭の研究室に入った俺を待ち受けていたのは、今考えても普通に訴訟もんだろというレベルブラックな「現場」であった。

同業者の方はご存知と思うが、マテリアルというのは日本がかなり強い分野であり企業の注目度も高く、

なおかつ実用度が非常に高いため「金の成る木」としてバイオと並んで世界との競争が激しい分野でもある(らしい)

比較する先が世界なので、当然世界レベル努力と実績を要求されることは入って知った。

20時間ぶっ続けでサンプル作った実験結果を当日のゼミで発表すると「もうちょっと綺麗に資料作れないの?」とか平気で言ってくる准教授

真面目で頑張り屋なのにインパクトファクターを稼げずドクターを6年続けて鬱になった先輩。

めっちゃ上から目線日本国の公的手続きの手助けを求めてくる外人ポスドク

当たり前だがすべての研究無償ボランティアであり、どころか金払って受ける教育なのだが、

求められるのは仕事としてのクオリティ。遊びでやってんじゃないんだよ!

頑張って書いた論文ファーストオーサーはもちろん…教授「俺だよ」

いろいろなことに嫌気がさした俺はアカデミックの道を早々に諦め就活を頑張ることにした。

教授からは「好きでやってる研究だろう。好きなことにすら不真面目な君が社会に出てやっていける訳がない(意訳:研究室で奴隷続けろ)」と全力で人格否定を受けつつ、

少子化の影響もあってか、まあまあ有名といえる程度の大手企業にどうにか滑り込むことができた。

会社に入るとまず待っていたのは教育に次ぐ教育だった。

今時小学生でもわかるだろというようなレベル情報処理の授業、

中学生国語でやるだろというようなレベルビジネス作文の授業、

理系なら全員知ってるだろという感じの電気の授業、

あらゆる授業を仕事として受けることになる。もちろんおちんぎんが発生する。

すべての課題を秒速でクリアし、定時より手前で帰る日々がしばらく続く。

まり簡単なので研修よりは同期とのレクリエーション目的なのだろうと勝手忖度していた。

遊びながら金がもらえるとかいう夢のような環境である

ある程度の教育を終えると晴れて部署配属となる。部署SE部隊

情報出身ではない俺だったが、趣味プログラミングはかじっていたし興味もあった。

入ってすぐの仕事はあるシステム(社員が使っている自作ツール)の改修だった。

新卒簡単仕事を与えつつ、プログラミングスキルを伸ばしつつ、自分たち仕事効率化できる、という上手い采配である

プログラミングはかじっていたとはいものの、ゲームを作ろうとして挫折したり、あとはHelloWorldレベルくらいで、

まともに運用したのは精々MATLABのような特殊ものだけ。所謂プログラミング言語で利用者がいるソフトを触るのは初体験だった。

詰まっては調べを繰り返しながらも趣味の延長のような感じで楽しく取り組むことができ、上司の引いた工程3分の1で完了した。

ここで上司から10年に1人の逸材」の評価を賜る。

俺は平静を装いつつも内心歓喜した。

なにせ不真面目学生である俺は教授から目出しをくらったこしかなかったのだ。久々に得られた自己肯定感である

これはいけると判断したのか、同じく社内ツール改修の仕事をいくつか振られる。

片付けていくうち、俺のPCスキルが先輩社員と比べても高い部類にいることに気付く。

自作ツールを社内LANで動かすとファイヤーウォールに引っかかったりなどするが、先輩社員がそれを対処できないのだ。

どうやらそういう感じで動かなくなり、放置されていた部分を俺が解決しているらしい。

だがWindowsFWの設定なんてNasneアニメを撮りためたりFPS海外鯖に接続するようなヒキニートにとっては半ば常識である

陽キャパリピっぽい先輩が知らなくても無理はないが、SE部隊で長年社会人やっておいてわからないことには軽く失望する。

プログラミング派遣仕事とは言っても使役する側に知識がないのではやはり困ると思う。

ちょうどその時、働き方改革かい名目で各職場独自でやっていたシステム統合し、

営業所独自に動いていた勤休登録システムが全社的に統一されることになった。

新しいシステムUIモダンで、前のよりぶっちゃけ使いやすくすぐに慣れた。

だが先輩は勝手がわからないらしく、俺が先輩に質問する回数が減るのと同時に、先輩が俺に質問する回数が増えた。

働き方改革の魔手は勤休にとどまらず、いろいろな社内システム統合されてゆく。

頼られる頻度は増し、頼ってくる相手も先輩だけではなくなってきた。どこから噂を聞いたのか他部署の人から質問の内線が来るのである

上司に聞けや。知っとると思うがワイ新卒やぞ?と思いながら(つーか言いながら)回答する。

まあ新しいものには若い方が強いみたいな感覚理解できるが同期に聞けよ←残念同期からも同じ内容の質問が飛んでくる‥現実です‥これが現実‥!

このあたりで自己肯定感よりぶっちゃけ不信感を感じることが多くなってくる。

かに中学生以降は家族でも学校でもパソコンに強いニキではあったが、

まさか面接選抜されたひとだけで構成されている筈の会社パソコンに強いニキをやるとは思わなかったのだ。

まあそんな人が一人もいないはずがないので、多分、本当に詳しい人はうちではなく客先に居て、かつ忙しいということだろうと思うが。

さすがに面倒に感じていたある時、PukiWiki社員編集して公開できる神システムを見つける。

当然というべきか、数年前に何某が色々編集していた痕跡だけを残し、現在廃墟と化していた。が、サービスは生きていた。

ゲーム攻略を頑張って書き込んでいた時代を思い出しつつ、新しい社内システムの利用法を懇切丁寧に解説するWikiを作る。

これが大受けし営業所内でも一躍有名人に。

上司からは「その辺の社員100人より貴重」「絶対やめないでくれ」的な評価を賜る。

社内ツールの使い方記述しただけで褒められる異常事態に少しずつ価値観麻痺してくる。

ここらで満を持して炎上プロジェクトに投入される。

炎上の原因は、代々伝わる秘伝のソースと化したソースだった。

仕様書がないのはもちろん、そもそも社内環境ビルドできない、なんと.NETではないVBである

当たり前のように1ファイル50kstepを超えるソースがずらずら並ぶ様は威圧感すら感じさせた。

そんなのが現役で動いていたんだお客様セキュリティとは

上司を含めて誰もソケット通信が分からない中、元々チャットツールを作ろうとして失敗した経験のある俺は、

先輩が3人×3時間=9工数かけて解決しなかったあるバグをちょいとググっただけで10分で解決

まあぶっちゃけますエンディアン系のバグである

というようになんかやたらと活躍し、どうにかプロジェクトが終わるころには上司評価天元突破した。

地味に詳しい人は他にもいる(外にいて忙しい)ということもわかり推測は当たっている様だった。

会社に入って以降「君は社会ではやっていけない」と言った教授言葉信憑性は下がる一方である

なにせ主観的にはヒキオタがヒキオタっぽいことをやっているだけで褒められるのだ。

募る違和感の中、経団連会長室にメールが導入されたニュースと、そのコメントを見て気付いた。

俺は異世界転生したのだと。

そう、俺の就職先は、パソコン強いニキが崇め奉られる異世界だったのだ。

異世界なので何やっても訳の分からない褒め方をされる。

自席で堂々とYouTubeを見てたときには流石に上司に苦言を呈されたのだが

ゼネラリストには情報収集も必要」と言い訳すると「おお…」「さすが村上君だ…」となって許された。(マジ)

ちなみにマーケット調査名目業務YouTuberを見ることを冗談のつもりで提案したら、真面目に検討された。(マジ)

他の人にはありえないが俺だけ許されるところに落ち着くのではないだろうか。

うける。

anond:20181107032904

正直言って危機感はある。

世界と戦うを標榜していただけあって確かに研究室のレベルは高かったと思う。非情報系でもプログラミングはできて当たり前だったし。

この会社は(最近一定以上大きければどこもそうじゃないかと思うが)半官半民みたいなもんなので、皆どことなのんびりと仕事をしているように見える。

その結果、当然ながら競争力が落ちる。落ちはするが、会社組織は存続し続ける。

そして存続し続ける会社の中には「異世界」が広がっているのである

他の会社もそうだと思うが、各地で頑張ってる派遣プログラマーの方がよほど技術力が高い状態

大丈夫日本大丈夫か弊社。

まあでも転生した側としては居心地いいのでこの異世界に骨を埋めるのも悪くないと思っている。

2018-11-06

anond:20181106004956

弱小研究室からサーバールームなんてないし狭い居室に全部突っ込んでるんだよお

11月にも冷房かけてくれるか、さっさと最低気温1桁くらいになってほしいわ

研究室作業おわらせて論文を読みつつ、日付変わったくらいに椅子をリクライニングしてタオルケットかぶって寝て、っていうのずっとやってるとマジ腰がおかしくなる

この時間帯ばっかりは、布団やベッドで寝られる職種転職したくなる

2018-11-05

新卒銀行に入行したけど仕事まらない。

 大学時代研究室で朝から晩まで研究をしていた。そりゃ、大変だったさ毎日アルバイトする時間もなくてお金もない、遊ぶ時間もない。それでも一つの目標に向かって自分で考えて実行する実験(仕事)は楽しかった。それに比べて今の仕事銀行。くっそつまらん。

 マニュアル通りの作業を求められる。営業成績にプラスになることでも自社マニュアル通りの手順を踏まなかったら夕礼で皆の前で公開処刑。住所一文字でも間違えたら訂正してもらって訂正印をもらう。高額の引き出しだと本人確認くそみたいな投信販売。なんだこれ、ペッパー君でもできるんじゃないかこの仕事。お局のばばあはうるさいし。学生時代の方がもっと難しい事をして楽しかったわ。

 銀行員の中にはPC使えないアホがたくさんいて新卒の俺がexcelを教えたり、未だに通帳で財産管理してる奴もいて絶望した。日本キャッシュレス化が進まないは銀行員のせいだと思う。通帳とかいらないだろ、ネット管理しとけ。

 

 

2018-11-03

上井草に通ったド!のファンの話

はじめましてドリフェス!ファンです。

このタイミングで少し思いをまとめたいと思い、匿名ダイアリーを書いてみようと思いました。

長文乱文なのでヒマなときに見てもらえたら嬉しいです。

※この文を読んで、書いた本人のTwitterアカウントを推測できたとしても、本人に尋ねることは控えていただきますようお願いします。もし聞きたいのでしたら「Twitterで繋がっている人」として直接会うときにこっそり聞いてください。

私は昨年3月からドリフェス!ゲームアプリを始め、アニメを観て、ズブズブとハマっていきました。

二次元から入りましたが、YouTubeにある公式がアップした動画ドリフェス!研究室を観て三次元キャストにもハマりました。

キャラキャストも皆さん大好きですが、最推しは慎様と溝口さんです。(どちらも青だからというわけではなく単純に二次元三次元の好みで落ちたのがこの2人でした。)

ハマってから今年の3月5日(プロジェクト区切りの発表)までは毎日楽しくて、カラオケに行ったときドリフェス!の曲を入れまくり自然ドリフェス!縛りになってました笑

3月5日以降しばらくはパニック鬱状態で、私のリアルな状況と相まってとてもつらかったです。

3月5日以降はプロジェクト区切りを疑うような数のコラボが発表され、行けるコラボは行きました。ナンジャ・アニカフェ上井草でのコラボが印象的でした。

ハマってからリアルに開催されたイベントに行ってみたかったのですがなかなか行けず、イベントがあるごとにTwitterのTLが感想で埋まり、行けなかったイベントときはレポにありがたがると同時に羨ましさと悔しさで胸いっぱいになりました。

現時点では昨年12月DMM VRシアターで行われたライブと先日の武道館ライブ20日・21日)に行きました。

キャスト出演のライブにめちゃくちゃ行きたかったので、ようやく行けて嬉しかったです。

だいたい私のドリフェス!ファンとしてのプロフィールはこんな感じです。

話が若干戻りますが、私の一番印象に残っているコラボ上井草でのコラボです。

昨年12月からてっぺんさんで始まり、生まれて初めてラーメン屋さんに行きました。そこで食べたらーめんはそれまで食べた中で一番美味しく、私の中で革命が起きました。チャーシューの柔らかさに驚き、その次に行ったときチャーシューめんを頼むほどでした。

展示されていた原画を見に行くため、美味しいらーめんを食べるために何度もてっぺんさんに行きました。コラボが一旦終わったときも行きました。(4月6月てっぺんさんでらーめんを食べてから原宿に某番組の観覧に行ってました)

初回は友人(非ド民)と行きましたがその後はTwitter相互さん、母と一緒に行き、最終的には一人で行けるようになりました。まさかラーメン屋さんに一人で行ける日が来るとはドリフェス!にハマったばかりの頃は思いもしませんでした笑

上井草といえばもうひとつ。アオヤギさんでもコラボがありました。

原画の展示だけでなく、脚本絵コンテ自由に読める、ドリフェス!ファンにとって至れり尽くせりなコラボでした。(オタク心理としては原画展示だけでもお金取って大丈夫なんですよ……?と思えるほどのボリュームでした)

どちらのお店もコラボ専門チェーン店ではなく、個人店で、地元の方に愛されているお店です。なのでオタクが何人も来て大変そうなのに毎回とても温かい雰囲気で迎えてくださいました。

かい雰囲気・美味しい料理に感動し、いつの間にか両店のファンになっていました。

コラボ終了後、ある夏の日、何気なくTwitterを眺めていたところ、アオヤギさんのスタッフ募集ツイートを見ました。

ちょうどその頃、アルバイトをしたくて何箇所か応募し面接しては落とされ…という状況でした。

上井草は通える距離だったので、採用してもらえたらコラボしてくださったご恩をお返しできるのでは?とも思い、ダメ元で応募してみました。

結果

採用されました。

単純にようやく採用されて嬉しかったですし、しかもそれがアオヤギさんにだなんて、私はなんて幸運なんだと思いました。

それから私の上井草通いが本格的に始まりました。

バイトを始めてしばらく経った頃、ドリフェス!とのコラボを再びやってほしい・したいという話が出ていることを知りました。

これはファンとお店の間でのお話であって、公式でまだ再コラボをするというアナウンスをする前の話です。

私はこれを聞いて確かにまたコラボしてほしいけど既にけっこうコラボ決まって発表されているからなぁ…けっこうギリギリなんじゃないのか?と思ってました。が

結局実際に再コラボすることが決まりました。

本格的に再コラボが決まり公式が発表する前に教えてもらったのですが、もう嬉しくて嬉しくて。言いふらしたいのを頑張ってこらえていました。(こういうコンテンツに関わる方って色々ファン内緒にしているの大変なんだろうな…と思える貴重な経験でした笑)

私は上井草コラボドリフェス!コラボの中で一番好きで一番印象に残っています

コラボ間中ファンの方がたくさんいらっしゃいます。同じもの好きな人たちが集まっていることにまず感動しますし、お店の方や他のファン交流が生まれパレード生まれる。めちゃくちゃほわハピな空間です。

そんなコラボをまたやってくれる。しかも今度はスタッフ側で関われる。

いつか自分が好きな作品コラボに関われたらいいなと漠然と思ってましたが、まさか夢が叶うとは思ってませんでした。

コラボが始まって初めて出勤したとき、私はお店中に飾ってある原画に感動しました。本当にコラボしてるんだ…ドリフェス!のお客さんがたくさん来てくれたらいいなぁ…と思いました。

コラボメニューを作れることにも感動しました。自分が作ったメニューをお客さまにお出しして、それを見たお客さまが「わぁ…!」と明るくなる。あの瞬間が大好きで、実際にスタッフ側で体験できたのはとても嬉しかったです。

暇を見つけたらドリフェス!ファンのお客さまに話しかけてみました。

これがお店的にどうなのかわかりませんが、おそらくご自分で作られたであろう服をぬいに着せていたり、ネイルドリフェス!仕様にしていたり、ブロマイドや他のグッズを机上に出しているのを見て、とても嬉しくなり、声をかけざるを得ませんでした。

「〇〇推しなんですか?」「私は慎様と溝口さん推しなんです〜!」というやりとりを何回もしました。

感動オリーブオイルを気にしている方にはオリーブオイル説明も「デザート系にはオレンジノッチラーラがおすすめですよ〜」というように話しかけました。(オリーブオイルについて質問されることが何度かあったので実際にコラボメニューにかけて食べて確かめました。感動しました。)

こんなやりとりに付き合ってくださった方ありがとうございました。

コラボ中、忙しくててんやわんやでしたが、そんな中の癒しのひとときでした。

10月31日上井草コラボ最終日。

私はコラボが終わるのが寂しくて、バイト先へ向かう足がちょっと重かったです。

最終日は平日にも関わらず、たくさんのドリフェス!ファンの方にご来店いただきました。何組か外に並ぶお客さまが出るほどでした。

原画シートが切れていたのに、ドリンクの星が色切れで全部オレンジ色なのに、たくさんの方に来ていただきました。

それだけファンの方に愛されているんだなぁと思いました。

ただのファンでは感じられなかったファンの熱や勢いを感じました。

本当にありがとうございました

31日は少しでも長くドリフェス!を感じたくて、バイト終わりにてっぺんさんに行きました。

遅い時間でしたが少し並びました。

私が入ってしばらくして、隣にお姉さんが座りました。

お姉さんも襲来記念らーめんを注文していたのでファンだと確信し、話しかけてみました。

話すうちにバイト中にお話ししたお客さまだったことがわかり、とても驚きました。

らーめんを食べながらたくさんお話ししてくださってありがとうございました。

実際スタッフ側になってみて、ドリフェス!ってすごいなぁと改めて感じる1ヶ月でした。

ファンの方も素晴らしくて、ファンファンになるのもわかると思いました。

ドリフェス!サイコー超えてる!!

2018-11-01

就職

テーマ自分で決めろと言われ、研究室でずっと放置され実験してないんやけど就活大丈夫かな

テーマ決めのために論文いっぱい読んだけど、血肉になってる感がない

アピールできんわ

隠キャコミュ症やし、就活行ける気がしない

から研究アピールたかったのに詰みそうや

頑張って高学歴になったけど、フリーターになるのかな

から見たらおもろいやろな

2018-10-30

anond:20181030161837

昔いた研究室技官は暇すぎて分厚い教科書を読み始めついに研究はじめて論文まで書いていまはどっかの大学教員やってる。

2018-10-29

自分リソース無償で使えるなんてなんて恵まれ研究室なんだ、皆さんにはありがたいと思ってほしい。

2018-10-27

anond:20181026222601

あなるほど

「『アイうち』(研究室)の頭のおかしい後輩なら分かる」

という意味ならきちんと会話が成り立っている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん