はてなキーワード: 韓国語とは
声には出さないけど、日本社会に嫌韓寄りの人って結構いるような気がしてる。
今ちょうど竹島の問題もあって余計に、口にこそしないけどネガティブに捉えてる人が多そうだと思ってる。自分もそうだった。
でも国家とか例のサッカー選手を批判することと、その国を手放しでまるっと敵対視するのは思考停止だと気づいた。
何でもかんでも韓国なら敵対視ってそれこそ誰と戦ってるんだ状態だし、すごく疲れるし精神衛生上よくない。
それではいかんと思って、少なくとも自分はそうではないように努めて、批判するべき対象とそれ以外をきちんと分けて考えようとしてきた。
だから例の男子サッカーの結果が出た時に、「日本惜しかった、韓国おめでとう。アジア勢がサッカーで四強入りすごい!」みたいなことをツイートしようとした。
なんてない一文だけどツイートするまですっごい汗だらだらで、ツイートするかすごく迷った。これって、空気読めないツイートなんじゃねって。
フォロワーはリアル知人ばかりで、口にこそしないけど嫌韓気味の人がいるかもしれなくて、あいつ韓国寄りかよとか思われて悪いイメージを持たれるのが恐かった。
これは空気読まずに自分の言いたいことを言う奴になるのかなーと。失恋で苦しんでるフォロワーがいるのに恋人とのいちゃいちゃ話をツイートするみたいなね。
何も悪いことではないし気にならない人もいると思うんだけど、コミュニティの雰囲気によっては、あいつツイッターで空気よめない発言してるよね、とかなってしまいそうなアレ。
でもやっぱりツイートした。微妙に空気が変化する可能性があるかもしれないけど。韓国語を勉強するAKBメンバーみたいに謎のバッシング感情持たれるかもだけど。
でもこれが相手国が日本に人気のある国だったら、何も迷わずツイートするだろうし、やろうとしてることに恥ずかしさがなかったからツイートした。
人の目線が気になって仕方ないんだろうなとは思う。なおしてきたい。でも嫌われるというかKY発言で好感度ダウンだよねーなんてのを何度も見てきたからちょっと怖かった。
職場の新人同僚に、韓国人がいる。新人と言っても40前で、私よりはひとまわり弱、年上だ。
先日別の同僚のアメリカ人を含めて3人で、日韓中+北朝鮮の関係性と歴史について話していたときのこと。
私は、「日本には韓国人が意外とたくさん住んでるよ、既に日本国籍を取得した元韓国人も含めて」と言った。
そしたらその韓国人同僚が、「日本の天皇も先祖は韓国人だと(天皇本人が)言ってるしね」と言った。
直後に彼は「これは事実だよ」と加えた。
私は衝撃を受けた。
それが事実かどうなのかは、私は知らない。でもそうゆう話があるということを知ってはいる。
デマだと思ってる人もたくさんいるだろうし、そもそもそんな噂知らない人だってたくさんいるだろう。
それを「事実だよ」という強調とともにアメリカ人の前でさらっと言い放った彼の言動に驚いた。
これを聞いた目の前の日本人がどう思うか、彼には考えが及ばないのか?
日本と韓国は、歴史を共有している、近くて似た国だからこそ、その関係には一筋縄では行かない難しさがある思っている。
私にはかつて韓国人の上司がいた。非常に賢くて、優しく、今でも尊敬できる人だ。
それから学生時代の研究室には韓国人留学生がいた。良い友達だった。
今の職場の別の部署にも韓国人がいる。皆とても謙虚で親切だ。面白い奴もいる。
私は、彼らが日本のことを悪く言ったり、日本人が気を悪くするようなことを言ったりするのを聞いたことは一度も無い。
同様に、日本人の友達が韓国の悪口を言っているのを聞いたことも無い。
寧ろ韓国人アイドルにはまって韓国まで一人コンサートに出掛けた強者の友人がいるくらいだ。
そうゆう境遇だったもので、この新人同僚韓国人の言動に驚いたのだ。
そう言えば、北朝鮮がミサイルを発射したと報道された頃、韓国を心配して「どうなの?」と聞いた。
彼は「いつものことだから気にしてないよ。それより日本の原発による放射能汚染を(韓国では)皆心配している」と。
また別の日、アメリカ人同僚の「日本語と韓国語、勉強するならどっちの方が難しいと思う?」という質問に対して、
「韓国語は非常に複雑で難しい言語だと思うよ。日本語の方がはるかに簡単だよ。」と言っていた。
最初は私が考え過ぎなのかと思っていたが、彼の様々な発言に私はいつもしっくり来なくて、
結局彼はあまり日本が好きではないのだろうと推測するに至った。
彼と出会ったことで、韓国人の「韓国>日本!」という観念を初めて目の当たりにした。
今私にとって問題なのは、彼とうまくやっていくにはどうしたらいいのか、ということだ。
というかそもそも「これを言ったら相手は気分を害するかも」という配慮に欠けることが問題なのだが。
(ついでに彼は、中国にとっては北朝鮮はお互いベストフレンドだと言った。
これを隣の部署の中国人が聞いてたらどう思うのだろう、と内心そわそわした。)
前述の通り私の周りには尊敬すべき韓国人もたくさんいるので韓国人そのものに失望することは無いが、
彼のような韓国人が他にもいることはおそらく間違いない訳で、少し怖くなった。
天皇が韓国人、そんなこと、信じる分には構わないが、それを日本人に言ったところでどうなる?
言ったところでどうなる?で思い出したついでに、もう一つ書きたいことがある。
数年前(十数年前?)のそれで、存命のエノラゲイ元パイロットにインタビューするというドキュメンタリーをやっていた。
もう大往生寸前かという老いた元パイロットに日本人リポーター(被爆二世だかの人だった気がする)が聞く。
「原爆を投下したことに、罪を感じないか?被爆者に、謝罪をしたいとは思わないのか?」
その当時、元パイロットはきっとお国のために使命を全うしたのであろう。…神風特攻隊のように。
私は原爆の苦しみを知らない。
軽はずみなことや誤解を招くようなことは書きたくないし、元パイロットを擁護するつもりなんて全くない。
しかし彼が謝罪をしたら、被爆者(かそのリポーター)は楽になるのか?報われるのか?(注:反語ではなく、問いである)
小学生のとき、社会の授業で「戦争(や原爆)の痛みを忘れてはならない」と習った気がする。
それは、加害国(原爆に関してはアメリカ)に対して「私たちは被害者だから!」ということを忘れさせないためではなく、
我々日本人が他の国に対して同じようなことをしないために、
他の国がまた別の国に対して似たような過ちを繰り返さないために、「痛みを忘れてはならない」のではないだろうか。
別の部署にいるアメリカ人に、「日本人には優しくしなきゃダメだ!」と冗談まじりに言ったことがある。
アメリカ人の彼は「なに!?お前らパールハーバーを忘れたか!!」と言って来たので、
「なんだと、ならヒロシマ・ナガサキはどうだ!」と言ってやった。
二人して、あほらし、と笑い合った。
戦争や植民地支配、虐殺、慰安婦問題は、その後も賠償問題という形でいつまでもたっても過去が過去にならないのが現実だ。
(賠償に限らず、原爆だって被爆三世という言葉があるぐらいだ)
けれどもアメリカ人と日本人が、不謹慎かもしれないが、シュールなジョークで笑い合ったのは事実である。
日本と韓国、日本と中国も、いつかそんな間柄になれたらいいのにと、心から思う。
中国紹介ブログもニュートラルじゃないものがほとんどだと思うけど。。
サーチナも大陸浪人もめっちゃ偏ってるじゃん。中国インターネット新聞とかのほうが遥かにマシだよ。
韓国に関しては、韓国ネット事情は知らないけど、一般的な韓国事情については「中央日報」で包括できてるんじゃない?
使う媒体によって見え方も変わる
twitter、Youtubeを使う人もいればTimeやクーリエとかの雑誌を使う人もいる。
その時の手段は沢山ある
この違いは何なのか。
確かに2chで取り上げられる韓国の反日事情が100%嘘とは言えないし
ただでさえ韓国の歌手やドラマに全く興味無い人にはメディアのおかげで少し嫌になる部分もある。
でも、まだ中国事情を比較的中立に立って紹介する大陸浪人のようなブログは現れない。
サーチナの韓国ブログ紹介、ニュースはパソコンの翻訳機能使えば分かる通り故意的な部分が多すぎる。
なんで韓国に対しての中立な立場からのネット紹介ブログがないのか。
思いついた理由は以下
中国語に比べ韓国語を学ぶ男性は少ない。海外事情翻訳ブログは男性が作る事が多い。
ビジネスでも在日韓国人の方などが韓国語を話せ、韓国語要員ポジションにいることが多いので新たに学習しようと思わない。
韓国語を学ぶ人は政治やビジネスなどよりエンターテイメント目的であり、
そもそもそういう人は政治的に何か考えている訳ではなく2ch的思考もあまり縁がなく、
韓国に行っても生活を楽しむ。こういう人達は自分の周りの日常はブログに書くけど国全体として考える事は少ない。
サーチナなどによく騙されるのは根拠のソースがハングルで読めないから。
つまり思いっきり反韓ブログと思いっきり自分の日常生活in韓国に別れる
今までニュートラルな立場の韓国ネット事情ブログを見た事がない。
誰か作って下さい
K-pop好き=韓国ラブ韓国文化ラブ韓国人ラブ韓国語ラブ韓国旅行するコンサート行く!!!
上記のような人ももちろんいるんだけど、そうじゃない人間もいる。
自分は日本のアイドル文化みたいなものが、物心ついたころから理解できずにいた。
K-popが好きになったから今嫌いになったとかじゃなく、昔(子供の頃)から歌の歌えない人間が歌手面してるのが気に食わない。
つーことで、最低限のレベルで歌を歌えたりダンスができるK-popを聴くようになったのだ。
(※正直めちゃくちゃ歌が上手いとも思ってはいないが、最低限のエンターテイメントとしてのレベルがあるという意味で。)
昨今K-popが流行ってる?ようだけど、元々流行る前からちょこちょこチェックして聞いたりしてたのだ。
元々のK-popファンの中では、ここ数年のK-popブームは嫌だと思っている人も多い。
なぜならK-popファンは好き勝手にチェックしてるのに(原曲が好き)、拙い日本語で歌われたり、
日本に大量にデビューすることで、余計な嫌韓の雰囲気も増えたり・・と、色々と思うところがあるからなんだけど。
まぁ、上記のような韓国ラブー!K-pop最高なんだから、嫌って言ってる人とか信じられなーい!的な盲目な人がいるのも事実。
見た目(顔)に関しては日本のほうが高いと感じている。
でも、日本にもどう見積もってもブ○イクとブ○なアイドルもいたりするよね。
歌が下手なうえにブ○イクって、もうその辺の存在意義ってどうなってるのって感じだけど・・。
あちらは顔・・(というか元顔)は、正直その辺のお兄ちゃんお姉ちゃんって子が多い。
日本のアイドルの感覚からすると、ちょっとズレてるけど、あちらではそれでも良いということみたい。
(もちろん綺麗な人もいる。日本人ウケする顔かどうかまで考えるとかなり少ないけど。)
自分は嫌韓の意見も十分に理解できるし、K-pop聞かない好かない受け付けないと言う人がいても理解できる。
自分も日本人として自分なりに両国間の問題を調べたり考えたりして、所謂ネトウヨのいう意見も理解できるからだ。
むしろネトウヨ寄りの考えも同時に持ち合わせているんだけど、
ネットにいるK-popファンは、割と盲目なファンが多くて話が合わない。
というか、話そうと思えない。
なんか違うなーという感じ・・。
日常的に韓国語(カタカナ表記)を使っていたりして、割とカオスな状態で。 でもファンの間だとそれが普通で。
まぁ、今のK-popファンは中高生も多いから、正直話なんて合うわけないのだけど、
もしかしたら、自分と同じような考え持ってたとしても、その中でわざわざ言えないだけかも知れないけど。
今の中高生の韓国に対する感覚は、ニュージェネレーションって感じなのかな。
日本贔屓でもないプレーンな状態で沢山の韓国人と接したこともあるけど、
まぁ・・、似てるところもあり共感できる部分もあるけど、やっぱり、うーんと思うこともあった。
正直不快に思うことも何度かあった。
今は日本の文化に興味ある韓国人もいるかも知れなくて、そういう人(ある程度多角的に物事をとらえることができる)と接すれば
けど、自分はそうじゃない韓国人と接したことがあるから、彼らの実情を知ってるというか。
韓国人大嫌いで韓国に関するすべてが嫌いとかいう考えは持ってない。
ただ、一部の韓流ファンがそうであるように、韓国全てまるまる愛することに関して危機感があるということだ。
(Kpopに関しても全てが良いと思っているわけでもない。)
とにかく以下です。
駄文申し訳ない。
だからっつって「日常会話でハングルや韓国語を使うのが流行ってる」は無いわ
あれはどう多目に見ても捏造報道・ステルスマーケティングの類だろう。
ただもし
範囲を限定する枕詞が着いてたらその限りじゃないけどね。
そこは実際の報道見てないから一定の可能性を残さざるを得ない。
「流行っていないということを証明しろ!」みたいに喚きながら仲間同士星付け合ってるのは本当にひどいよ。
「じゃー逆にどこで流行ってるのか教えて」って聞きたい。
モニュモニュと言葉を濁すか、「自分の知人が」みたいなミクロな伝聞型に逃げるだけなのはわかりきってる。
やってる顔ぶれ見ればわかるとおり、
「韓国に不利な追求はなんとか焦点ぼやけさせて話を摩り替えたいだけ」っていうのがバレバレじゃーないか。
なんか意味があるのかあれ。
日本人が英語を話せないのは、英語に比べ、日本語の音節当たりの情報量が極めて少ないからであり、日本人の脳がそれに慣れてしまっているからである。
日本語は他の主要な言語に比べ、同じ音節数の間に処理する情報量が際立って少ない。例えば中国語の4分の1とも言われる。日本語は1音節にかける時間はやや短いが、それでも同じ時間当たりでしゃべっている内容は遥かに少ない。用意された原稿を読むニュース番組などでは大して変わりはないが、考えながらしゃべる自然な口語になるとその違いが顕著になる。海外のドキュメンタリー番組で日本人が話しているのを見ると、英語話者と比べて同じ時間で話す内容の少なさに驚かされる。この場合、本人はまだ喋り終えていないのに吹き替えや字幕で既に情報は伝わっているので途中で画面が切り替えられてしまうことが多い。
赤ん坊の頃に1秒間に1の言語情報を処理するトレーニングしか受けずに脳ができあがってしまった人が、1秒間で2や3の情報を処理する言語を習得するには、単に新しい文法や発音を学ぶ以上の困難が伴う。逆に外国人からすると母国語よりも遅いペースで情報を処理すればいいので、ある程度単語を憶えれば簡単に喋れてしまう。だから日本人が英語や中国語をおぼえるよりもアメリカ人や中国人が日本語をおぼえる方が圧倒的に速いのだ。
「英語や中国語は日本語と文法・発音が違いすぎるから習得が難しい」とよく言われるが、音節当たりの情報量の違いに比べれば大した問題ではないと思う。なぜなら、文法と発音のよく似た日韓間でも同じことが起きているからだ。例えば第二外国語として韓国語と日本語をそれぞれ1年間学んだ日韓の学生を集め、日本人は韓国語で、韓国人は日本語で討論させると、日本人学生のあまりの「話せなさ」に韓国人学生は驚愕する。ただし文章を書かせるとそこまで悲惨な差が出ることはないのだそうである(呉善花『スカートの風』)。
韓国人は普段から漢語と土着語の二重構造に慣れているので、単に「日本語の漢字仮名交じり表記が特殊だから」ということだけではこの現象は説明できない。おそらく、筆記では会話ほどの情報処理スピードを求められない分、少しはマシなのだろう。
日本人が突出して英語が下手なのは、日本の英語教育のせいではない。しかし、英語を学ぶに当たって日本人だけが直面している独自の問題がある以上、日本人の為の独自の学習法をつくる必要がある。一方でいま文科省がやろうとしているのは「今のカリキュラムを前倒しして小学生から英語をやらせよう」という漸次的な施策である。これでは何も変わらないことだけは断言できる。
思うに、「日本語を唯一の母語とし、日本語の音節のリズムが染み付いている子供のための英語の授業」というのは、アルファベットや文法は後回しにして、「このカタカナをそのまま読めば通じなくもないよ」というカタカナ英語
(ex:
hospital→ハスペロウ
Can I have some water?→ケナイヘヴスムウオラ?)
を作り、繰り返し読んで丸暗記させる、というところから始めなければならないような気がするが、なにぶん私自身英語が全くできないのでよくわからないですどうもすいませんでした。
技術関係の文書だと専門用語は英語のままの方が解釈しやすく、おかしな訳にもなりにくく、見慣れてるのでそのまま読んだ方が早い。政治時事関係は、自動翻訳だととても大事な所のニュアンスがおかしくなって下手すると逆の意味になることもあるので、結局一度は英語の方を通読することになる。
Wikipediaの記事なんかだと自動翻訳でもあまり問題にならないけど。
まぁ、アラビア語→英語や中国語→英語の翻訳には自動翻訳ないとやってらんねってくらい世話になってる。
韓流好きな日本人の話を聞けたのでその時の話を書いておきます。
J-POPはよく分からない、あまりいい曲がない(≒興味がない)
どんどん新しいのが出る
PVが豪華
たまに韓国フェアに行く。
独島?
韓国。
日本海?
ある。
そうなんだ
...難しいですね。
ということで、極力公平さを心がけつつ聞いてみました。
ちなみに私は、勿論、竹島は日本の領土、日本海の呼称は国際的と思っている立場です。
また、最近のテレビの韓国関係の番組の多さに疲弊している一人です。
決して韓流をすべて無くせなんては思ってないです。好きも嫌いもそんなになく、強いて言えば、
5,6年前のBoAやユンソナやヘリョンが活躍していた位で丁度いいかと思っています。
テレビの行きすぎた影響力というのは確実にこういった人たちに向けてあるのじゃないでしょうかと思いました。
これではダメだと認識出来ない人がテレビを見て影響を受けているということが問題なわけで、
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110803/trd11080314240010-n1.htm
猛暑対策も韓流で ごちゃまぜ韓国デザート「パッピンス」が大人気
2011.8.3 14:18
韓国風かき氷の「パッピンス」。さまざまなフルーツが盛りつけられた「オールスター」の他に「ラズベリー」などがある=朝霞市西原の「韓国ハッピー食堂」
猛暑の今夏、一風変わった韓国デザート「パッピンス」が人気を集めている。細かく砕いた氷にアイスやフルーツをたっぷり乗せた、いわば韓国風かき氷。埼玉県内では朝霞市に本格的なパッピンスが味わえる店があり、見た目や味の楽しさで女性を中心に支持を集めている。デザート界でも“韓流ブーム”が席巻しそうだ。(塩塚夢)
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/cooking/taberu/20110806-OYT8T00140.htm
韓国語で「パッピンス」と言う。「パッ」は小豆、「ピンス」はかき氷の意味だ。それを大阪市南東部にある鶴橋で食べた。周辺には、韓国食材を扱う店や飲食店が軒を連ね、看板にもハングルがあふれるエキゾチックな街だ。
直訳すれば「小豆氷」だが、日本のそれとは随分違う。日本式にまず、具を脇に寄せてから、氷を味わおうとすると、「それじゃあダメ」と、洪貞淑(ホンジョンスク)さん(49)にやんわりとたしなめられた。韓国料理研究家の洪さんは、鶴橋で韓国カフェ「流れる千年」を営んでいる。「混ぜてこそ、本場のパッピンスなんですよ」
今のところ、少なくとも私の周りでは全く流行ってないけど、産経・読売で似たタイミングで生地にしてるのが気になる。
今週からお盆あたりまでにかけて、テレビでアホほど「パッピンス」「パッピンス」連呼するんですかね、フジ・日テレあたりで。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d1%a5%c3%a5%d4%a5%f3%a5%b9
Yahoo Japanの登録情報の確認の所にあるタイムゾーンの設定が随分前は
だったのに今見たら
となってる。
日本語表記の時は日本前にしたっていいじゃないか馬鹿馬鹿しい。韓国語の時は「GMT + 09:00한국, 일본 」で全然いいよ。
サービスでやるならユーザーが突っかかってくる要素を減らすのも仕事の一つなのに、
わざわざやるって事は誰かが恣意的にやってるんだろうね。
敢えて韓国に対する反感感情を増長させたいのか、それともこういう些細な所で日本よりも韓国がアドバンテージを取った事を示したいのか。
後者だとしたら、いい大人が幼稚な事がやってて恥ずかしくないのかなと呆れかえる。やってる人の所属する国はどこであってもね。
ちょっと話題になってたサザエさんの背景のやつ。
あれ背景下請けに出してた、でOKなの?Wikipedia見たり記事見ても、制作は全部国内で済ませてるっぽいんだけど。よく分からない。
この件の発端が知りたい。
多分、最初は東方ファンが騒いだんだよね??それでネトウヨが騒いだってことでいいのかな?画像のRTしか見てないから分かんないけど。
東方神起の一般的な略語表記はTVXQだし、サブミナル効果?として使うんなら使われないDBSKよりTVXQのがより効果的だと思うんだけど。
いや、私もよく知らないから本当はDBSK表記のが使われてるのかな……グーグル検索だとTVXQのが東方神起の記事が一番に出てきたし、多分TVXQのがメジャーなはず。
カツオの部屋画像と共に紹介されてる画像、あれただ東方神起の韓国語読みが「Dong Bang Shin Ki」でその頭文字を並べるとDBSKになりますよ、っていう紹介にしかなってないし。
本気で侵食されてるなら、DBSKって表記の同じ構図のポスターありそう(公式非公式問わず)。それと並べるほうがより効果的だと思う。
週末に行ってきたイベントだが、ちょっとインパクトが強すぎて、あとたぶん昼から通しで追っかけてるのは自分だけなので、この話誰かに伝えたい!と柄にもなく思ってしまった。
ここまで、日本語でウケを取り、アメリカ人にしか聞こえない英語をしゃべりつつの話。まじありえないレベルの覚悟と実践なんだが・・・!
この人のセッション、ブラジル事情の紹介みたいな話で大ホール側のセッションも覗いてみようかなと思っていた所にこれで、ただちに絶対参加すべきレベルのセッションに格上げされた。こんな人がいるとは。
で、昼休み後の問題のセッション。結局ツイートどころじゃなかったが、こんな感じ:
Javaはあれが酷いとかPHPがとかいう態度でRubyを使うのも無駄だ。
なんという激熱トーク。本当に小さかった南米のRubyコミュニティを仲間と共に成長させ、いまやRubyConf Brazilとか南米で何個もイベントが立ち上がるまでに育てた。この伝道のため、ここ数年で80箇所は回って普及に努めたとかとか。ブラジル事情への関心と関係なく、この熱量を体験できてよかった。
最後の時間オーバー後の「あと一言だけ(本当はあと1分だけと本人は言っていたのだが、わざと誤訳してタイマー役の人に会場から叫んだ自分w)」でどんなにダメだとされていても、諦めずに進めという、過去の偉人が貶められたり失意にあった時代の動画もよかった(もっとも、この話は知っていたのでインパクト自体は薄めだった)。
この後はLTとクロージング。
インパクト強すぎw
これ漫画系展開をバックボーンにしたエンタテイニングなスタイルだと理解せずに真に受けると大変だなと心配になったり。なにしろ上は三行だけど全部通しで書くと
真面目に受け取ったらヤバイ発言多すぎだろ・・・
こ れ が 締 め の 講 演 か よ !
そういえば途中にまどマギネタも入ってた記憶があるのだが、上のインパクトが強すぎてどこかに飛んでった。
その後の高橋さんの最後の挨拶とスタッフを集めてのスタンディングオベーションはちょっとうるっと来た。初参加だから今回の運営自体への思い入れはないのだけど、この回だけでも感激することが多かった。この完成度に達するまでどれだけの努力と熱意が投入されていたかと考えると。
隣の席が実はtdtdsさんでびびってたのだが、最初に立ち上がったのを見て、続く二人目のタイミングが大事!とすぱっと立ち上がってみてよかった。その後前列の人がみんな!立とうよ!みたいにやって一気に雪崩状態。
これで会議は閉幕したのだが、さらにherokuの緊急パーティーが開催され、思い切って行ってみた。まあ、懇親会に輪をかけたリア充な雰囲気でまともに話せなかったのだが、
こんな一日だった。熱かった・・・
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミク現象の持つCGM的側面については、外国人の感想でもしばしば言及されている。しかし、ワールドイズマインならぬWorld is Hers(世界は彼女のもの)と題された以下の感想ほど、このテーマを正面から丁寧に描いたものはない。CGMこそ「クリプトンが世界にもたらした最大の贈り物」との指摘はとても重要だろう。伊藤社長が主役を演じる世にも珍しい感想、という面からも一読の価値はある。
urlは以下の通り。
伊藤博之は自ら説明しようとしていた。
「ヴァーチャル・アイドル」初音ミクを生み出した企業、クリプトン・フューチャー・メディアのCEOとして、伊藤は人で溢れる大衆文化のバンドワゴンの運転席に座っている。そして誰もが興奮しすぎる前に、彼は人々にこのバンドワゴンが何であるか理解させたいと望んでいた。
「初音ミクは[一つの]ソフトウエアです」と彼は言う。「YAMAHAが開発したボーカロイド技術を使ったものです。[ボーカロイドは]歌声を作り出すエンジンで、我々はYAMAHAからその技術に基づく製品を開発するライセンスを得ました」
言い換えれば、ミクのファンであると公言することは、KorgのTritonキーボードあるいはフェンダー・ストラトキャスター・ギターのファンであるのと似ているのだ。君が応援するのは楽器――PCにインストールしなきゃならないうえに箱にはアニメ風のイラストが描かれているが、でもやはりそれは楽器だ。おまけにボーカロイドというブランドネーム自体はミクや彼女の華やかな友人たちに帰するものというより、むしろ彼らを動かす音声合成エンジンを指している。文字通りに取れば、「ボーカロイドのファン」であるとは、特定ブランドのギター弦のファンであるのと同じである。
だが誰がそんな言葉遊びを気にするだろうか? どんな新興サブカルチャーでも、言葉に独自の意味が付きまとうのは普通である。今日では「ボーカロイド」はそのイノベーションから花開いた仮想世界全体を示す言葉となっている。ボーカロイドとは作曲家がそのソフトを使って自宅スタジオで作り出した無限のレパートリーを持つ曲のことである。ボーカロイドとはそれぞれの曲に対応する画像と動画のギャラリーである。ボーカロイドとはそれらの画像から生まれたあらゆるミームや粗筋である。ボーカロイドとはそれぞれ特有のボイスバンクを象徴するキャラクター群のことである。そして誰であれアニメ・エキスポに参加した者ならこう言うだろう。ボーカロイドとはそれらキャラのあらゆるバリエーションを含む姿にドレスアップしたファン層である。
これこそがクリプトンのマーケディング・ディレクター、佐々木渉すらも驚かせた口コミ波及効果だ。彼は「ユーチューブやニコニコのような動画シェアサイトを通じて[ボーカロイドが]利用されるやり方」に驚いたと話す。「これらのサイトを使って、本当に口コミで仲間の間に広がっていきます。本当に過去に例を見ない[方法で]様々な国で人気を得ています」。つまり、本流エンターテインメントの大半が今なお企業の重苦しい手によって運営されている一方、自力推進型であるボーカロイドの本質はあらゆるものをひっくり返したのだ。
「ある意味、こんな現象相手に取り組む最良の手法を見つけるためもがき続けてきました」と佐々木は話す。「ファンからのフィードバックを得るのが最良だと我々は信じてきました……いかに物事に対処するか、ファン層にとって最もよいことのためにどうするかを。急いで金儲けしようとは思っていません」
クリプトンは、当時まだMP3ですら未発達の技術であり、ユーチューブ誕生に10年も先行し、そしてあらゆるものを可愛いアニメ少女に擬人化するアイデアがまだ急増していない1995年に設立された。「我々の目的はそもそもボーカロイドを仕事にすることでも、[音声合成]ソフトを作ることでもありませんでした」と伊藤は話す。「クリプトンは音全般――音と関係するソフト全てを取り扱う企業として設立されました」
もし伊藤を冗談めかして「ミクのお父さん」と呼ぶのなら、彼女の祖父母は最初のボーカロイドエンジンを2003年に発表したYAMAHAの面々となるだろう。「そうした技術が存在することは知っていましたし、それを使って何かできることがあるんじゃないかと思っていました」と、伊藤は当時について話す。「我々は既にYAMAHAと係わり合いをもっていましたので、彼らと連絡を取りそこから製品を作り出すことができました」
だが、あたかも完成された合成音声で歌う天使の形でミクが天から降臨してきた訳ではない。彼女の根っこは、伊藤の説明によればとても粗末な形式の音声技術にまで遡ることができる。「日本では[音声合成]ソフトは結構一般的で、例えば駅などで使われています。そこでは列車の到着がアナウンスされたり、あるいは[乗車している場合]駅名が呼ばれたりします。自動応答システムを使う電話はボーカロイドによって動いています」(想像してほしい、ミクの親戚の一人がカスタマーサービス用の電話回線で働く恐ろしいロボ電話であるという事実を)
「当初[合成された]歌声を使うソフトは存在しませんでした」と伊藤は続ける。「そうしたソフトにどの程度の需要があるのか、私には確信が持てませんでした。というか、はっきり言うなら、PCに歌わせることができるソフトを作るのにどんなメリットがあるのか分かりませんでした」
この疑念こそが伊藤に次の手を講じさせた――それは最終的にはクリプトンの歴史で最も賢い一手となった。「2004年、私は最初の[ボーカロイド]ソフト、Meikoを作り、それに漫画風のキャラを付けました。ある人格が歌う[のを真似る]ソフトは人間にとって必要不可欠なものではなかったから、そうしたのです。人々にアピールし人々から愛されるようになるためには人間味を持たせる必要があると考え、そのための最適な手段が漫画風キャラのようなものでした。このソフトは結構いい成功を収め、そしてもちろん初音ミクの構想へとつながりました」
そしてその次に起きたことは誰もが知っている。
おそらく伊藤博之が成功した秘密は、クリプトン創業者である彼が音楽、サウンドエンジニアではなく、ソフト開発者ですらなく、何よりビジネスパーソンだった点にあるのだろう。伊藤は、あなたはミュージシャンではないのかと質問されると笑い(彼はミュージシャンではない)、自身が経済を専攻したことを認めた。「音楽とは無関係です」と彼は言う。「ボーカロイドのマーケティングに成功するうえで、私は自分が学んだスキルのいくつかを使ったと思います」
アニメ・エキスポ1日目のキーノート講演で、初音ミクとボーカロイド・カルトについてスライドショーを使った改まったプレゼンを始める際に、伊藤はビジネスマンとしての本領を発揮した。彼はまず自分が誰で彼の企業が何をしているかについて慣例となっている概要報告を行い、それから公式にクリプトンが制作しているボーカロイド「キャラクター」(あるいは、厳密に正確さを期するならソフトウエア・パッケージというべきか)の一覧を示した。
2007年8月31日に生まれた永遠の16歳、初音ミクは、今ではショーの目玉に位置している。人気で彼女に次ぐのは鏡音の双子、リンとレンであり、彼ら独特の黄色い装飾と少年/少女のペアは、ミクの緑と灰色と同じくらいコスプレ業界では至る所で見かける。だが音楽制作者の視点から見ると最も用途の広い声は2009年の製品である巡音ルカのもので、より深い音域と日本語及び英語で「歌う」能力を誇っている。何人かのファンは昔ながらのMeikoとKaitoの旗を掲げている。その声は旧世代のボーカロイド技術の上に構築されているが、今なおクリプトン・ファミリーの中心メンバーである。
クリプトン以外のボーカロイド・キャラもサブカルチャーの世界に入ってきている。たとえば声優中島愛のボイスサンプルに基づき、マクロスFのランカ・リーをモデルとしたMegpoidや、J-rockのスーパースター、Gacktの声を使ったGackpoidなどがそうだ。より進取の気性に富んだ人々はUtauloid(日本語の言葉『歌う』から来ている)と呼ばれるオープンソースの音声合成エンジンまでも開発しており、その中で最も有名なのはピンクの巻き毛をした重音テトだ。
音楽ソフトウエア・パッケージについて、それがまるで本物の人間であるかのように語るのは最初は奇妙に感じられるだろう。しかし伊藤が最初に作り出した時に予想したように、それこそがこのソフトをかくも魅力的にしている正体なのだ。これらのキャラがもたらした創造性は、伊藤がプレゼンで誇らしげに見せびらかした数字によれば、ユーチューブで36万6000件、ニコニコで9万2600件に及ぶボーカロイド関連動画へと結実した。
そしてこの成長するメタ=ジャンルからあふれ出したマルチメディアコンテンツもある。クリプトンが運営するウェブサイトPiapro(『ピア・プロダクション』の省略形)には、ボーカロイドに触発された45万を超えるテキスト、音楽、及び画像の創作物がある。さらに注目に値するのはクリエーターたちがどのように相互に刺激しあっているかだ。コンテンツを共有するポリシーの下、あるPiaproユーザーが音楽を制作すれば、別の誰かがそれを聞いて付随するイラストを描き、さらに別の人がその構想に従って短いアニメ動画を作成する。そこでは、サイトのルールに従い創始者を適切にクレジットに載せることだけが重要だ。
何人かのボーカロイドファンはアートの世界の彼方まで行ってしまい、エンジニアリングの成果をもたらした。最もよく知られているのは3DアニメーションプログラムのMikuMikuDanceで、初音ミクのキャラクターモデルを――実際にはどんなキャラクターモデルでも――特定の歌に合わせてリップシンクし踊らせることができる。より繊細な対象を扱っているのがVocaListnerで、本物の人間の歌手によるインプットを分析し、ボーカロイドプログラムのセッティングを自動的にその声にあわせて調整する。思いつきに過ぎない想像の飛躍ですら現実化し得る。初音ミクの動画「Innocence」で取り上げられた「Ano Gakki」(『あの楽器』)というニックネームで呼ばれている奇妙な見かけのタッチパネル式キーボードも、実際に使える楽器として再現された(それほど野心的でないバージョンならスマホ用アプリとしてダウンロードできる)。
これら全てが意味しているのは、ほぼ完全にファンによって運行される賑やかで創造性に富む生態系が存在するということだ。究極的にはそれこそクリプトンが世界にもたらした最大の贈り物だろう。初音ミクやボーカロイド・ソフトそのものではなく、それらが使われる方法こそがそうなのだ。企業という大領主によってではなく、消費者によって作られた完全なエンターテインメント形式。企業は僅かな道具と規則を与えるだけで、後は椅子に深く腰掛けて次に何が起きるかを見守っている。
それでもなお、ボーカロイド体験を活気づけるため企業が提供するイベントは多数ある。今年はアニメ・エキスポが日本以外では初となる「ボーカロイドのライブ・コンサート」ミクノポリスのホストを務めた。それはステージ上の綺麗なスクリーンに投影するCGIアニメーションでしかない(ほかならない)が、いい視野角と健全な猜疑心の保留があればそのイリュージョンはなお印象的になる。さらに感動的なのは、セットリストにある全ての曲が明らかにファンの作ったもの――クリプトンの地下室であくせく働かされるソングライターが大量生産した製品ではなく、本物のミュージシャンがボーカロイドという媒体を通じて自らを表現したものである点だ。
だがコンサートはどのような限界が残されているかも暴露した。ミクの魔法は左右双方40度以上の角度では働かなくなった。調整の効かないボーカルは、時に楽器の生演奏の下で迷子になっていた。そして音声合成技術のあらゆるイノベーションをもってしても、より繊細な耳にはなおミクが絞め殺されるようなロボットじみた変な声をしているように感じられた。でも、日本では生身のアイドルについてどう言われていると思う? 「アイドルは不完全であってこそふさわしい」。不完全さこそがミクをこれほど魅力的にしている。誰もが進行中の仕事に関与できるからだ。
どんな未来があるか、誰に分かるだろう? クリプトンは既に英語版の初音ミク・ソフトが開発途上にあることを約束しているし、日本では新しい改良されたボーカロイド・エンジンが開発中だ。それはつまり、韓国語ですら歌えるボイスバンクを含んだ新たなキャラの登場を意味している。クリプトンのオリジナル・ボーカロイド製品は、その声に新たな音色をもたらす追加物「アペンド」によって進化を続けている。そしてどこかで我々の誰にも知られていないマッドな天才が、ボーカロイドの世界を永遠に変えてしまうようなアイデアにおそらく取り組んでいる。
多くの人が知っているように、「初音ミク」という名は「未来の最初の音」をもじったものだ。だがボーカロイド文化が広がるにつれ、この名前はますます不正確になっている。彼女はもはや未来の音ではない。彼女はまさに今の音である。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
注:加筆修正しました
最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネットで同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人が韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。
なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。
いや、こんなにもアニメや漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイや二次創作に興味を持って腐女子や腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。
そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。
というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。
倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様の夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから。公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います。時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。
けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。
実はこの作家さんは、コバルト文庫で金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都の物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネットで検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。
さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である。東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルト・ノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島を舞台に仙人や精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮風ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。
『金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人や外国人が北朝鮮国内の金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズの物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーローは新羅の英雄金庚信である。
ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿な子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本とアメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。
金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。
彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本と北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校のお祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。
そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説のコバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティの価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議で土下座までしたそうな。ましてやBLをや。
まぁ、BLを書くときと少女小説やラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbassoや秋月こお、榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。
ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。
ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山、中国語では長白山)の守護仙人(精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。
studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲームや乙女ゲームのシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画の原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルのカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。
そのサイトの大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会いと恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである。
『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。
しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。
ところで、この物語の攻めは、大阪出身で関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身、ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的な関西人という印象を受けた。
神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまうパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。
BL小説家、檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台はアジア・オセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。
正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。
受けの母親は日本人の医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。
というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティや朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。
なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である。米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートなバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。
『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台は飛鳥時代の日本で、有名どころでは葛城皇子(中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。
主人公(受け)は、百済からの渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人と渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである。
職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。
日本が舞台なのにあえて渡来人のカップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本の渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。
もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。
ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。
ハテブやツイッター、増田2ちゃんねるでコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。
恐縮です。ありがとう。
自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田にしました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから。
私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目しています。ラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから、日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。
確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合、女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教をベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本や日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。
ネットで読める作品もるし書店や図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。
全然関係ないけど、最近アメリカのスラッシュが翻訳されて日本の書店の店頭に並び始めましたよね。日本語で海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。
皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。
韓国人は日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。
確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。
創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロ、アマアマ、ラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています。
言語っていうか英語についてすごく印象的なエピソードがあったので書いておく。それはボクが韓国に赴任してしばらくしてからの日本出張のときだった。ソウルにオフィスができてから初めて現地スタッフを連れて日本に戻った。その時、上海のオフィスやら香港オフィスのメンバーも同時に日本に来ていたので折角だからと、大きな会議室にみんな集められて自己紹介をすることになった。使う言語はばらばら。韓国は日本語ベースで現地スタッフはハングル、上海も日本語ベースで現地スタッフは上海語か北京語、そして香港は英語ベースの広東語。なので韓国、上海スタッフは日本語で、香港スタッフは英語で挨拶をした。そして最後に日本のメンバーが英語で挨拶した。これに対して韓国スタッフは少々お怒りだった。彼らの言い分としては「入社するのに日本語の能力が必要だった。日本の会社なのだからそれは当然だと思っている。それなのに日本のスタッフは英語で話している。日本人なんだから日本語で堂々と話せばいいではないか」ということだった。彼らの主張は基本的には正しくないと思っている。理由は「外国の人と話すときは英語を使うことが一般的だとボクが"思っている"から」、という薄っぺらいものだけれど。でも彼らの気持ちも分かる。彼らの日本語能力は相当に高かった。ボクがこれまで会ったどの外国人よりも日本語がうまかったように思う。彼らの中で日本語というのは他の人が持っていない特別な能力であり、それが最大限生かされる日本の会社に入ったのだから、それを発揮して活躍したいと思うのは当然だろう。だが、本社の人間は公式な場では日本語ではなく英語を使っている。違和感を持っても仕方ないのかもしれない。
ことほどさように、人にとって母国語以外の言語は話せるということは誇らしいことなのだろう。それが努力して身に着けたものならばなおさら。英語が話せること、韓国語が話せること、中国語が話せること、すばらしい能力であると思うし、それは仕事に存分に使えばいい。最早、英語ができることはプラスじゃなく、できないことでマイナスされる時代なので、英語ができない人(ボクみたいな)は努力すべきだと思うが。ただ、それが全てではないし、他言語ができようがなんだろうが仕事ができることとは無関係なのは間違いない。だから、英語ができる人間ができない人間よりも優れているということは絶対にないし、逆に英語ができない人間ができる人間に対して「あいつらは英語ができるだけで日本の仕事ができない」と陰口をたたくこともそれは間違っているのだと思う。結局のところ英語ができない人間は心の中で英語ができないことへの焦りや、英語ができる人間に対しての羨望を持っているから自分の言語以外の能力に価値を求めようとするし、英語ができる人間は少なからず優越感を持っていて、それが自分の仕事力だと思ってしまう節があるのだと思う。だけれども、それはあんまり表に出すべきものではないのではないかと思った。という話。
東海実況スレのコテ。1984年(昭和59年)10月7日生まれ。日本福祉大(偏差値42~52)卒。実家は岐阜県の南部にある窯業で有名な街にあるらしい。
ハンドルは、韓国語の「深夜バス」という単語の発音に由来するらしい。他の板では「はかた号」というハンドルを名乗り区別しているが、
たまに間違えて使ってしまうことがある。「シン(´(ェ)`)ス」(シンヤクマー)を名乗っていたこともあったが、現在では元に戻っている。
かつては知識豊富で応対も丁寧な良コテと思われていたが、ある時期を境に暴言を吐きまくる差別主義者に豹変。
ある番組の実況にて、わざわざ名無しで出演者やスタッフに対する罵倒を書きまくり、番組終了後にIDからコテがバレるなど、その荒らし行為は枚挙に暇がない。
また、スレ内で『5時SATマガジン』や『ラジオDEごめん』といった中京テレビ黄金期の番組に関する知識をひけらかすことがあるが、
彼の生年月日から考えるとこれらをリアルタイムで見ていた可能性は極めて低く、彼が語るその薀蓄は全てインターネットから仕入れた知識であると思われる。
NAVEARがいつのまにかオンライン英語辞書のサービスを始めていた。
プレスリリースによると、小学館の「e-プログレッシブ英和中辞典」「プログレッシブ和英中辞典」、及び英英辞典として
HarperCollins Publishers Ltdの「Collins English Dictionary」をベースとしているもよう。
Yahooやgooの辞書に英英辞書がプラスアルファされた程度のものだろうと想像していたが、実際に触ってみて、かなり個性の強いオンライン辞書であることが分かった。
海外の新聞記事やサイトより例文を引用しているらしく、例文がハンパなく多い。
2, 例文の絞り込み機能が秀逸!
自分は仕事の関係、アルク英辞郎のヘビーユーザーなのだが、英辞郎の例文表示に不満をもっている。
というのも、例文が多すぎて欲しい用例を見つけるのに3ページ目、4ページ目とクリックして探さなくてはならない……..。
今回NAVER英語辞書の例文表示ではこの点が解決されている。テーマ別、文体別、地域別、翻訳の有無、難易度別、年代別などに条件設定して例文を絞り込めるのだ。
例えばテーマ別で「名言」をクリックして単語検索すると、その単語を含んだオバマとかプルーストとかの名言が例文として表示されるしくみ。いい仕事してます。
3, クイック辞書機能
例文中の英単語にオーバーマウスさせると黄色くハイライトされる。さらにクリックするとページ右脇にススッーっとウィンドウが開き(なんだか気持ちいい….)、
その単語の意味が表示される。よくあるポインタ上のポップアップでの表示ではないので目障りにならない。
などが優れている点。問題点は
1, 見出し語数。専門用語などはアルクほどカバーできていない。
コンテンツ量では英辞郎に劣るものの、ユーザビリティではNAVER英語辞書に判定をあげたい。
今後中国語や韓国語のオンライン辞書もリリースするそうなので、中国語初級者の自分としては大変期待している(東方書店あたりの相原先生の辞典を採用してくれるといいなぁ….)。
【2ch】ニュー速クオリティ:北朝鮮の公式サイトに「金正日は狂った野郎」…精巧な縦読み文で中傷の詩
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51707055.html
*김씨일가 나라세워
*정통성을 이어받아
*일국발전 도모하세
*미제소탕 목표삼아
*친위부대 결사하니
*놈들모두 혼쭐나네
*김수령님 건국하고
*정일장군 발전하니
*은혜입어 멸사봉공
*개선문에 청년장군
*새시대가 열리노니
*끼리모여 만세삼창
*キム氏か国たてて
*正統性を受け継いで
*一国発展企てよう
*親衛部隊結社すると
*やつら全部ひどい目にあうよ
*キム首領様建国して
*ジョンイル将軍発展すると
*新時代が開かれるが
*間で集まって万歳三唱
김정일 キム・ジョンイル
미친놈 気違い
김정은 キム・ジョンウン
개새끼 子犬
How about Korean? Great market, go for it! I've already seen people using Dropbox here, sweeet!
私だったら、
「韓国語は?凄いマーケットだよ、やってみてよ!ここでも色んな人がDropboxを使ってるのを見たよ、すごーい!”
って感じでしょうか。
"go for it!"や最後の"sweeet!"からして、これは学生・あるいは精神年齢学生が甘ったれて書いてる感じですから、おバカな感じにはしても読み手が悪意を感じるようには訳しませんよ。
結局原文を書いた人にコンタクト出来ない以上、書いた人の真意はわかりませんから訳者の解釈になります。
日本語は意味は同じ文でも語尾の選択で印象が大きく変わってきますから、そこにどんな日本語を当てるかは翻訳者の心を映す鏡だと思いますよ。