2011-02-10

つくづく言語ってやつあ

言語っていうか英語についてすごく印象的なエピソードがあったので書いておく。それはボクが韓国に赴任してしばらくしてから日本出張ときだった。ソウルオフィスができてから初めて現地スタッフを連れて日本に戻った。その時、上海オフィスやら香港オフィスメンバーも同時に日本に来ていたので折角だからと、大きな会議室にみんな集められて自己紹介をすることになった。使う言語はばらばら。韓国日本語ベースで現地スタッフハングル上海日本語ベースで現地スタッフ上海語北京語、そして香港英語ベース広東語。なので韓国上海スタッフ日本語で、香港スタッフ英語挨拶した。そして最後日本メンバー英語挨拶した。これに対して韓国スタッフは少々お怒りだった。彼らの言い分としては「入社するのに日本語能力が必要だった。日本会社なのだからそれは当然だと思っている。それなのに日本スタッフ英語で話している。日本人なんだから日本語で堂々と話せばいいではないか」ということだった。彼らの主張は基本的には正しくないと思っている。理由は「外国の人と話すとき英語を使うことが一般的だとボクが"思っている"から」、という薄っぺらいものだけれど。でも彼らの気持ちも分かる。彼らの日本語能力は相当に高かった。ボクがこれまで会ったどの外国人よりも日本語がうまかったように思う。彼らの中で日本語というのは他の人が持っていない特別な能力であり、それが最大限生かされる日本会社に入ったのだから、それを発揮して活躍したいと思うのは当然だろう。だが本社人間は公式な場では日本語はな英語を使っている。違和感を持っても仕方ないのかもしれない。

ことほどさように、人にとって母国語以外の言語は話せるということは誇らしいことなのだろう。それが努力して身に着けたものならばなおさら。英語が話せること、韓国語が話せること、中国語が話せること、すばらしい能力であると思うし、それは仕事に存分に使えばいい。最早、英語ができることはプラスじゃなく、できないことでマイナスされる時代なので、英語ができない人(ボクみたいな)は努力すべきだと思うが。ただ、それが全てではないし、他言語ができようがなんだろうが仕事ができることとは無関係なのは間違いない。だから英語ができる人間ができない人間よりも優れているということは絶対にないし、逆に英語ができない人間ができる人間に対して「あいつらは英語ができるだけで日本仕事ができない」と陰口をたたくこともそれは間違っているのだと思う。結局のところ英語ができない人間は心の中で英語ができないことへの焦りや、英語ができる人間に対しての羨望を持っているか自分言語以外の能力価値を求めようとするし、英語ができる人間は少なからず優越感を持っていて、それが自分仕事力だと思ってしまう節があるのだと思う。だけれども、それはあんまり表に出すべきものではないのではないかと思った。という話。

  • ちょっと意地悪な質問してみるけど、仕事の内容によって最適な言語を選ぶ、ってのはどうですか? 最大公約数的な公用語選びではなくて、目指す仕事の概念に基づいた最適化された言...

  • 本当に、言語っていうより日本人にとっての英語って話のような気がする。 仕事で英語を使っていて、というよりほぼ語学力=仕事の実力という職種だけど、 仕事について聞かれてそ...

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