はてなキーワード: 精神年齢とは
こちらの続きです。
https://anond.hatelabo.jp/lucky-happy/20241115
Xは捨て垢ROM専に徹する決断をした人もここに含む。この決断をした人はAIはトドメに過ぎず数々の改悪(Ex:API制限とそれによる企業連携の停止、ブロック貫通、収益化による過激な発言やインプレゾンビの跋扈、5ちゃんみたいな不快な広告、いいね非公開(これ悲しむのネトストだけでは)、汚染されたおすすめ欄など)の積み重ねの末に痺れを切らしたパターンが多い。ただ「とりあえず移行先なら平気でしょ」とよく考えないで移ってる人も多い。各移行先の特徴をちゃんと把握しておくべきである。ブルスカはAI放置で外からの対策は無だぞ。丸ごと載せてこれなら大丈夫と思ってる奴が理解できない。でもリンクはXと違って怒られないからこっちに学習対策サイトに載せた絵のリンクを繋げておけ。
理由が「AIに学習されたくないから」ということでインスタやThreadsやTikTokに移るのは尚更理解に苦しむ。あそこ下手したらXよりAI学習用にユーザーのデータ好き勝手してるぞ。具体的に言ってないだけで。恐らく一番ダブスタと罵られやすいのはこういう人たち。
自分がなんで移行したいかについてはちゃんと考えて言語化しておくべき。ただの中身なき便乗だと思われるぞ。フォロワーのこと一方的に仲間だと思ってても向こうはそう思ってるわけじゃないからな。これを機に人間関係リセットも兼ねてるんだよ。
アカウントあるだけで残留組に都合いいところだけどXに寄生していると思われるので、決別を覚悟しながらX残留公式を追いたいなら誰にもバレないようにやろう。啖呵切っておいて実はやってましたとかダサい。情報収集程度ならいいがせめてアカウントセルフ凍結させておけ。
人が少ない環境でのびのびやりたいので向いている人と、反応が少なくて心が折れる人に分かれる。ただ知名度伸ばそうとするとすぐにいろんな層が入ってきて今のXみたいになるよ。Twitterだって黎明期はのんびりしてたじゃない。threadsのTLが地獄なのも流石にユーザー億抱えてたらこうなるんだよな。強制的におすすめ見せてくる理解が足りないUIのせいもあるが。
なんとなくだが、特にブルスカはCEOもその傾向にあるのか反イーロンとしてヘイトを溜めてる人が多い気がする。国内外問わず。既に居心地いい場所ではなくなってる。
AIを憎むなら一番あるべき姿。同居人や友人に裏切り者がいない限りAIに学習されることはまずない。 iPhoneのカメラロールからAppleに「品質向上目的で」データ抜かれてる可能性はあるが。外には漏らさないよって言ってくれてるけどそれすら嫌な人はスマホもやめてくれ。For youとかまさにAIの賜物だよね
ここまで徹底してるなら逆に好感度がある。承認欲求とは切り離された、「お客様は私だけ」という考えの人。イベントもオフでしか出さないし、絵のデータも絶対にローカル環境以外には出さない。信用できる人にしか紙頒布しない。LINEで友人に絵を送るときにも十分に警戒する。まさにどんな手段を使ってでも作品を守ろうとする筋の通った人たち。
裏を返せば新しいことに適応できない病的なテクノフォビアとも言えてしまうが。本当にAI学習されたくないならネットにしがみついてないでここまでやってくれ。対価も払わず中途半端にXの恩恵だけ受けようとしてるテイカー気質が気持ち悪いので。
SNSは気軽にできる場所だから決断も個人の自由だし一番守るべきなのは自分の精神だとは思うが、他人の心まで侵害してたり、自分を棚に上げた言動をしてないかについては今一度考える必要がある。
絵師の皆様方は、自分自身が本当に著作権違反に抵触しておらず、クリーンで清廉潔白な存在と胸を張って言えるのだろうか。
私は、そうは言えない。
何故なら二次創作はもちろん、昔はFC2でアニメ見てたし、明らかに黒に近いグレーな人力ボカロや音MADも見てゲラゲラ笑ってたし、淫夢本編も見たし、TikTokの流行りも特に否定してないし、ネットミームで遊んでるし、アニメのキャプチャ見て感想思い出してるし、クソコラが送られてきても(寒いなと思いつつも)特に咎めなかったし、夢の国チキンレースで面白がってたし、なんならmeituやmimic、copainterなどのAIツールに興味本位で触ったこともあるからだ。
それら全部やってません、もしくは足を洗いましたという人だけ石を投げる権利がある。考えは変わる。だが今もAIや知的財産権侵害の全てを批判する覚悟はあるか?何今更優等生ぶってるんだ?インターネットに身を置いた時点でお前はアングラなんだよ。
猫ミームとかまさしく権利侵害だよな?月曜が近いよbotとかまさか見てないよな?二次創作で半分版権キャラをオリキャラ化してないか?野獣先輩のことフリ素だと思ってないか?おとわっか削除(アレはネタバレで消されたが)で悲しんでないよな?
そういう余罪が明らかになった瞬間、AI批判の言葉は急速に説得力をなくす。例として、反AI活動をしてる漫画家が過去に出した同人誌で原作のコマをまるまるぶっこぬいてそのまま載せる(もはやトレスとかではない)蛮行が掘られたが、そういうのだ。今の心持ちがどうなのかわからないが現在の当人はその件について徹底的に無視を決め込んでる。タチが悪い。
これもきっとキャンセルカルチャーと言われてしまうのだろうが、そういった先鋭的な活動をするのであれば証拠隠滅と禊が基本ではないのか?
こんなんだから、結局自分さえ良ければ全部良くて他人の権利は平気で侵害する害悪ダブスタ呼ばわりされるんだよ。
もし本当にAI学習という権利侵害(実際学習だけなら権利侵害ではない)が嫌なのであれば、自分自身も権利侵害から手を引くべきなのではと思う。実際二次創作こそウォーターマークを!という発言に対して「いや、そもそも二次創作自体が黙認でどうにかなってるだけだよね?」ってツッコまれてたし。スクショのノイズかけとかも話題になってたけど逆に私物化甚だしいと思います。実際公式無加工画像上げてるじゃんね。そういうのにも凸るのか?凸ったから各所が声明出してるのね。
まぁ、思うよね。量とスピードと再現力が尋常じゃないもの。仮に映像記憶完全再現マンとかいたらどうなってたことやら。
男作れ男。女でもいい。
社畜になってもいい。楽しければ。くれぐれも体は壊すな。
さっきも言ったがフォロワー=味方でも友達でもないからな。お前のこと人生のスパイスだと思ってる程度だぞ。
今回で痛いほどわかっただろうが人はみんな基本自分のことしか考えてない。他人(それこそ家族も友達も推しもフォロワーもみんな)は自分の人生の踏み台に過ぎない。ただのネームドモブだ。認めろ。自他境界なんて最初からなかった。
みんなそう思ってるんだから誰もお前一人消えようが尊重しないしお前自身も誰も尊重してないことを自覚しろ。せめて(私の人生の彩を与えてくれる道具として)尊重してますぐらいにしとけ。
私も脱オタしてまともになった友人をたくさん見て悲しくなってた時があったが、今回の件でオタクがとんでもなく話の通じない化け物であることを痛感した。そんなことするぐらいならオタクなんか上がっちまえ。
なんなら自分自身が抜けられない化け物であることを分からせられて今かなりつらい。
普通の人はたかがネットでレスバなんかしないし漫画やアニメやゲームには触れても一般人の分際でクリエイター気取って吠えたりなんかしません。
日夜レスバを続けたり移行先準備に必死になってた人、現実世界での生活はいかがですか?
別にオタク趣味が認められてもオタクの生き様が認められたわけじゃないからね?
創作する趣味を持つとボケないとか言うけど、今回の君たちの振る舞いは耄碌老人とそう大差ないからね。
恋愛に夢中になればメインジャンル:彼氏になってAIどころか絵にもネットにも興味無くなる。
そんなの自分じゃない!と言いたくもなるだろう。
君たちがそんなに必死になるのはさっきも書いたが居場所がなくなるから、つまり依存先がイラストやネットにしかないからだ。
プロのイラストレーターは仕事≒趣味になっているところがあり(これはフリーランス全般的に共通するが)境界線が溶けかけてる人としっかり線引きして「万が一の移行先はここですよ〜」程度に留めてる人に分かれてるイメージがある。後者はたとえ失ったところで他の鎹が存在するぐらい強い基盤があるのだと思う。BL出版社所属の作家よ、上を振り回して恥ずかしくないのか?お前に忖度した上での決断だぞ。
逆に前者は仕事をもらってる立場でありながら視野が狭くなって周りが見えなくなり、自分のことしか考えられなくなった状態だと思われる。
依存先は増やしておけ。悪いことは言わないから。今騒いでる人たちなんか居場所は家(冷えてるし飽きてる)、職場(ビジネスライク)、Xしかないんだろ?だから奪われまいと喚く。
パンピの友達に今回のAI学習の件について学習経路も説明した上で聞いてみよう。大抵は「えー何それ面白そう便利そう」で終わると思う。オタクがTikTok嫌って陽キャが親しんでるように、あいつらは多分AIに肯定的だし技術に強い()君たちより先に使いこなす。そのうちインスタにi2iフィルターとか実装されるんじゃないのか?発狂だね。
実際一般人妹に標準カメラなんかじゃなくてビュープラ(ゴリゴリAI加工)で写真撮れよと怒られた。変なパックみたいなフィルターも使ってた。そんな認識だ。
まぁ、パンピもパンピでアレン様をロック画面にする因習が流行ってる時点で宗教的なものがないと生きられないのは変わらないか。
とにかく、認知の歪みは正しておいた方がいい。リアルの友達も類友しか集まらないようであればエコーチェンバーの治療はできないが。
先ほど氷河期が過激化しやすいと書いたが、年齢的には40〜50代あたりだ。ちょうど家族というものが冷めてくるし仕事でもポストオフでお荷物になる。だからって不倫はやめようね。
そうか、二次元に触れることで不倫欲を解消してたのか。おっさんが風俗行くのと同じように。
これを一般の非オタおばさんの場合ワイドショーを元にしたエッグい井戸端会議になる。あの年代は全体的に厄介だ。精神年齢が中学生レベルの悪口言うことしか癒しがない人たちばかりだ。自分が20年後ほどこれになると思うと末恐ろしい。早く死んでしまいたい。
自分の暴走の抑止力のために創作は機能してたんだね。それが失われちゃ、爆発するよね。ようやく理解した。適切な福祉が必要だ。好きなものを守るより加害することがメインになってるようであれば。
余談だが、AIに関して考えると元彼のことを思い出す。デート中に私のことよりも掲示板やオークションばかり見てて痺れを切らして別れた。一生ネットやってろオタクが。だから非モテなんだよ
それはさておき、彼はなかなか香ばしかった。
こうして見れば自分が侵害者であることを受け入れその通りに振る舞ってるが、シンプルに人間性の部分の合わなさが浮き彫りになって別れた。
みんなも交際相手のAIに関する価値観はチェックしておかないといずれ取り返しつかないことになります。
自分は男脳なんだなと思っていたが、いざ典型と関わるると腐っても女なんだなというのがわかって悲しくなった。理屈的にも感情的にもなれないので男とも女とも仲良くなれない。
しかし、これを見返すとAIを嫌がる人は絵を描く"過程"やイラストやオタ活によって形成された人間関係を重視しており、反面AIを活用する人は成果物さえできればそのルートはなんでもよく、技術そのものの発展や利便性を重視してる。見ているポイントが違うのだ。そりゃあ分かり合えない。
男は狩り、女は集落で家を守るの時代からなーーーーーんも変わってないね。こんなに技術が進んでも。遺伝子にそう刻み込まれてるのだろうか?
それに今回で騒いでるの日本人だけなんだよな。中韓の神絵師はだんまり。男性向けジャンルの男性絵師も比較的通常運転。ウォーターマークの有無が日本人とその他を分ける手段になるなんてな…
またこういうところで大陸クリエイターにシェアを奪われるのは、こんな感じに日本人絵師が日和って敗北を認めてしまうところにあるのかもしれない。GHQの教育が現代までしっかり生きてるね。
ともかく、くれぐれも付き合う人間関係は精査したほうがいい。
少なくとも倫理観や善悪の基準の合わない人間とは付き合ってはいけない。
今回の件も正直AIが技術がSNSがとかではなく、結局人間関係やお前個人の考え方の問題なんだ。
絵師もレスバマンも、早く大人になってください。心の子ども部屋から卒業してください。
おもちゃなんて、たまに懐かしむぐらいでいいんです。
まぁ、みんなでじわじわとXから抜けてアクティブアカウントを減らしていけば企業も自ずと移行先に移るだろうし、広告収入が足りずサービスとして成り立たなくなりいずれ本気で滅びる時がするから、その時期を待ちましょうや。
メルカリの件といい、アプリやサービスの存在価値がどんどん疑われる時代になっていくね。
前後編に至るほど長くなりましたが以上です。
若者よりの年齢だけど
別に少数になったからといって教育リソースが増えたわけでもない
私が特にキツイと思うのが、自由度の少なさと、社会がそれなりに大きく変革している最中であるという点だ。
現代は禁止事項が増えた。はたしてこれでいいことがあったかと言われると、かなり怪しい。
今ちょうど成人してしばらくしたくらいだと禁止事項はそれなりに増えて、息苦しいとさえ思う。
子供たちはどうだろうか。幼い精神年齢でいろいろと手を伸ばして、これは駄目あれは駄目、なぜ駄目なのかと学習しながら成長していくはずが、
さらに、ジェンダー問題から日本が絶賛滑落の最中であること、生成AIやようやく進んだIT化などによる社会のそれなりに大きな変革に
さて、そんな自身の応用力が試される社会で、縛られて生きてきた人間たちを解き放つと、どうなるか。
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とここまで書いてみたが、世代ごとに苦しみや悲しみはある。もちろん、世代以外にも性別や個体差などでもいろいろあるはずだ。
成人済み、それも20代後半以上のオタクははっきり言って精神年齢が低いと言わざるを得ない。私の周りにいるいい歳したオタク達はほぼすべからくそうだし、オタク せ くらいまで打てばサジェストで精神年齢 低い などと出てくる(オタクについてこれといって調べたこともなければ、精神年齢とは全く関係ないことを検索しようとしていたため、このサジェストは恣意的なものではない)。
私ももうすぐ就職する立派な成人済みオタクであるが、自分を含め何故成人済みのオタクは精神年齢が低いのかについて一度真面目に考えてみたい。
オタクと言うと、運動部に入ることも無く、大学でもサークル活動を行わず、社会に出てからも人とあまり関わらないという人がボリュームゾーンなのではなかろうか。(私は一応大学までずっと体育会系の部活動に入っていたためか、この点においてはステレオタイプなオタクより社会に迎合する術を知っているような気がする)
共通の目標に向かって仲間とある程度苦しい鍛錬を積んだり、その過程で仲間のうちの数人とより深い人間関係を築いたりする。そういった精神的鍛錬の機会を逸してきたツケが成人済オタクに回ってきているのではないだろうか。
もちろん文化系の部活動や帰宅部でも勉学に励んでいた人はある程度精神的な鍛錬を積めたかもしれない。しかし高校を卒業してから成人、20代後半になるまでの、これまでと比較して追い立てられるような物事のない期間、恋愛をしたり仕事に打ち込んだりしていた人間と、アニメだけ見て自己研鑽に励まなかった人間との差はじわじわと広がっていく。そもそも我々がアニメを消費している間、一般人が何もせずなんの学びも得ずにいる訳がないのだ。
小学生、あるいは中学生くらいまで、オタクとはむしろ精神的に大人びているという評価を受けがちなものではなかったか。
アニメとは、10代〜20代前半あたりをターゲットに作られるものが大半だ。今はオッサン向けのなろうアニメなんかが増えているが、少なくとも10年ほど前まではそうだったはずである。
やや歳上をターゲットに作られた創作物。もちろんターゲットの年齢層に合った教訓が得られたり、葛藤に寄り添ってくれたりする。背伸びした内容を日夜浴び、それらについて考えを巡らせる。必然的に精神年齢がターゲットとされている層くらいまで引き上げられるはずである。これが前述の大人びているという評価に繋がるのだろう。
しかしアニメの内容は、一定のレベル帯に留まっている。ターゲット層の10代~20代前半にとって高度過ぎる内容ではウケないからだ。
それをターゲット層から外れた高齢者が延々と擦ったところで、新しい学びが得られようはずもない。
もちろん年代を超えて学びを得られる名作も存在するにはするが、そういったコンテンツから年相応の学びを得るためにはある程度実生活を通して精神的に成長しておかなければならない。しかし幼少期に大人びていると持て囃され、哀れな選民思想に浸かってしまったオタクが今更低俗な一般人と同じような生活をして精神的鍛錬を積もうなどと考えられるだろうか?
ここ10年ほどでオタクも随分と市民権を得たものだが、オタクというものは元々爪弾き者の流れ着くシェルターであったように思う。もちろんそうでない人間もアニメを見ていたが、仕事や人間関係など他に打ち込むべきものがありながら、それと両立してアニメに熱意を注ぎ続けられる人間はそう多くない。結果的に、そういった人種はオタクをやめていく。
本人の性質に問題があったのか、オタクという属性故なのかは定かではないが、虐げられ、弱者として生きてきた人間のるつぼとなっているオタクコミュニティ。無職、こどおじ、童貞なんてのはざらだ。そんなのが跋扈しているぬるま湯にいつまでも浸かっていては、精神的に成長できるはずもない。隣を見れば無職なのだから、派遣だろうがフリーターだろうが低収入だろうが焦る必要はないのだ。
まとめると、幼少期に少々背伸びをした創作物を摂取し、大人びていると持て囃されて胡座をかき、実生活を蔑ろにした結果、思春期の成長機会を逃す。普段つるんでいるオタク仲間は高齢者を中心に爪弾き者ばかりなので、その状況に危機感を覚えることもなく、実年齢と精神年齢が乖離していくという二段構えのように思う。
この状況を打開するためには、オタク仲間達をこの世のスタンダードだと思わず、常に世間一般の中で自分が年相応の経験を積めているか、足りないものはないかと問いかける姿勢が大切だ。また、アニメ以外の事象にも目を向け、単純化されていない人間との複雑な関係を築くことも、精神的な円熟のためには必要である。
わたしの子どもが小学1年のときに授業参観に行くと、授業中あっちでぽとっ、こっちでぽとっ・・・とよく物を落としていたよ
幼児がコップを倒してこぼしてしまったりするように、小さいときには体のコントロール能力が未熟なのが大きな理由の一つだが、精神的な意識の成熟度も理由の一つで、机の上全体を自然に意識することができず、自分の手元だけに意識が集まってしまうんだ。
また、例えば鉛筆が机の端から半分ほどはみ出ているときに「落ちそうだ」と無意識に感じる、いわば物理的な感覚もまだ完全に備わっていない。
精神的な発達度(精神年齢)は子どもによって違いがありますので、同じ学年の同じクラスでも、よく物を落とす子とそうでない子がいる。
確かに、よく物を落とす子は精神的に幼いところがある子。幼いがゆえに整理整頓が苦手だったり、人の話を長時間集中して聞くことができなかったり、手遊びをしたり、ぼーっとしてしまったりする。
親戚の子です。
家でゲーム三昧なのを見かねた母親が、「あんた、絵が好きでしょう」という理由で、マンガ専門学校を勧めて入学。
「マンガ専門学校も退学するのでは」という親戚中の懸念をよそに、無事卒業する。
以後、働かずに、甘やかしてくれる祖父母の家にいる。
たまに、絵を描いている。
ものすごい描き込み量のベルセルクみたいな一枚絵を、何時間、何日もかけて描いている。
「漫画家志望者の9割は、マンガを完成させたことがないらしいよ」と言うと、当人いわく、専門学校の卒業制作でマンガを描いたらしい。
「黒歴史」と言うので、「ジャンルは何?学園ものとかSFとかギャグとか」と聞くと、絶句して固まってしまう。
見せてくれるはずがないので、「見せて」とも言ったことはない。
増田は、彼がいつも描いている人外のイラストを、何枚か集めてごまかしたのではないかと疑っている。
デジタルは、フリーズしたりするとわからないと言って、アナログ派のようだ。
トーンは、使わないと言っていた。
専門学校の卒業制作は、アナログで描いて、ペン入れはデジタルでしたそうだ。
専門学校としても、お金をかけて、トーンなど買い揃えたくないのだろう。
そうすると、彼は、アナログで、ペン入れをした経験がないことになる。
彼には、とっておきのネタがある。
両親は、いない。
ある日、初めて家の外に出ると、あたりは、一面の海だった。
お世話ロボットいわく、母は生きていて、海底で待っているという。
ここから、海を探検する、海洋ファンタジーアドベンチャーが始まる。
彼いわく、世の中のどこにもないストーリーで、描く人がいないから自分が描くのだそうだ。
ネタのオリジナリティはあるのかもしれないが、人の感動を生むのは、人と人とのドラマだと思う。
人物を登場させにくいと、人間ドラマを描く難易度が上がるのではないが。
彼は、このネタを、世界で唯一のジャンルと称しており、他のマンガ家に嫉妬することはないらしい。売れた新人も、「ジャンルが違うから関係ない」そうだ。
ほっておくと、30分でも1時間でも終わらない。
いわく「素人のマンガは読まない」そうだ。マンガを1作品も完成させたことがないが、ジャンプルーキー作者より、上のつもりのようだ。
いわく「簡単に連載できるマンガは読まない」そうだ。マンガを1作品も完成させたことがない(以下略)。
1月に、彼に、「今年デビューできる可能性はどれくらい?」と聞くと、控えめに言っておくかという様子で「10%」と答えたので、仰天した。
原稿用紙も買ってないし、1作品どころか、1コマも描いてないのに、どうやってデビューするつもりなのか。
漫画賞に応募しないのか、と聞くと、「編集者の主観で評価されるから嫌」とのことだった。
「編集者の主観」も何も、応募経験も、作品完成もしたことがないのに、何で今から編集者に不信感を持っているのか。
応募も持ち込みもしないで、どうやってデビューするつもりなのか。
最近は、Twitterでバズれば、出版の可能性もあるが、繰り返すが、マンガを1作品も完成させる様子がない。
彼いわく、マンガ家は、「大金がゲットできる」、「「青天井」の仕事だそうだ。
売れている人は、そうかもしれないが、彼がマンガで1円でも稼ぐ可能性は、ほぼゼロだろう。
彼に、「バイトでもしないのか」と聞くと、「働かなくていいうちは働かない」という。
「働かなくていい」というか、祖父母に生活費を払ってもらっているだけなのだが。
床屋も行かず、ひげもそらず、「描かないマンガ家」(えりちん)の、専門学校卒業後の主人公、器根田刃みたいな見た目に、本当になっている。
えりちん先生がイメージした、「自宅に閉じこもりマンガを描くと称して描かないマンガ家志望者」に、現実が追いついたかのようだ。
彼は、高校を中退したことからもわかるように、ドロップアウト耐性が非常に高い。
働きもせず、マンガもまともに描かない現状に、まったく危機感はないようだ。
30歳、40歳になっても、今とまったく同じことをしていても、驚かないと思う(祖父母が死んでいると思うが)。
自分の手元で育てているならともかく、自分の死にかけているような親のもとに、無職の息子をやっといて、これである。
お金を送ることもなければ、気にして連絡することもない。
おそらく、この母親の血を、彼は強く受け継いでいるだろう。
彼いわく「パパは俺に敬語を使う」そうだ。
「オメーは」などと呼ぶこともある。
何故、一部の異常者はあんなにも鉄道に惹かれてしまうのか、それは幼少期の彼らが鉄道を揺り籠として認識し、帰巣本能とも言えるものを鉄道に対して持ってしまったからである。
そもそも揺り籠に揺られている赤子はなぜ眠ってしまうのだろうか?
それは揺り籠の振動が母親の胎内で羊水に包まれていた頃の日常に近いからである。
では何故羊水の中の赤子は眠るのかと言えば、羊水の中で暴れまわった赤子は逆子になりやすいため、羊水の中でゆっくり眠る遺伝子の持ち主が生存競争を生き延びてきたからだ。
鉄道に異常な関心を持たない普通の人間であっても、電車の中で強い眠気を感じることがあるが、これは我々が元来そういった類の揺れに対して眠気を感じるような遺伝子の持ち主だからなのだ。
つまり、電車の中で眠ってしまうというのは、ある種の胎内回帰に等しい状態と言えるわけである。
では、そこから鉄道に対する狂人的な執着に辿り着く鉄道オタクと、そうでない一般人の違いはどこから来るのか?
これはひとえにに幼児期において親からしっかりと愛情を与えられて育ったかどうかで決まるのだ。
十分な愛情を親から与えられていれば、自分が帰巣本能を感じるべき先は本物の両親や自分の家であることを理解するが、もしも親からの愛情が不足していれば、足りない愛情を埋められる相手を常に探し求め、揺り籠のような振動を与えてれくれる鉄道を第二の親と捉えてしまうのである。
一部の子供が電車の中で異常にテンションが上り暴れ出すのは、電車という第二の親を相手にして甘えようとしているからなのだ。
だが鉄道は人の親ではない。
だから何も返してはくれない。
それでも、穏やかな揺らぎは与えてくれる。
求めているものの全てが与えられない乾きと、求めているものの一部は与えられる癒やし、それらが緻密に絡み合っていくうちに鉄道への執着はより深まっていく。
鉄道は人の親ではないので一切の巣立ちの機会さえ与えてくれない。
だから鉄道に対して血縁認識に近いものを持ってしまった人間は鉄道に関わっている間はその精神年齢が幼児のままで固定されてしまうのだ。
鉄道に関わっている間、自分がまだ幼い子供であるかのように振る舞うことが、正しい自分のあり方だと本能的に誤解してしまうのである。
これはまさに本能によるものなので、本人からしても疑問に持ちにくい。
それこそ「これはそういうものだし、誰にとってもそうなのではないか?」というレベルで、鉄道を前にして幼くなることが異常であることを感じ取れないのである。
ただ偶然鉄道の揺らぎが胎児を包む羊水の揺らぎに似ていたという偶然が、たまたまそれに出会った時期に両親からの愛情に飢えていた幼児に、本能のバグとも言える刷り込みを起こした結果として産まれる呪いなのだ。
優しくしてやってほしい。
精神や人生のごく一部において、永久に成長することが出来ない呪いを埋め込まれた本能の被害者なのだ。
そんな彼らも寄り集まって共に暮らす中で、機能不全家庭で暮らす長男長女の如くして「大人として振る舞おうとする努力」を始めることもあるが、それでもなおその心には愛情不足に嘆く幼児を抱え続けているのである。
バブル入社で就活ヌルゲーしてる先輩を見てきたせいで学生時代は「勉強なんてしなくてもぶっちゃけ余裕っしょ!?親戚のニーチャンがそう言ってたぜ~~~」みたいに適当やってきたからちゃんと勉強する癖や将来についてまともに考える癖がついてない。
唐突にやってきた現実を前に逃避と責任転嫁を繰り返すことしか出来ず、皆してそれをやっていたからそれが普通なんだと思い込んだまま精神が成熟。
戻れない所までやってきた辺りでふと周りを見渡すとちゃんと頑張ってきた人間は結果を出していて、生まれた時代を言い訳にしている自分たちだけが取り残されている。
そんな中でこれまた残されたもの同士で寄り集まって「全部政府が悪かった!生まれた時代のせいだ!戦時中に生まれた人は夢を叶えられずにガダルカナル島で死んだでしょ?僕たちも同じなんだ!」と喚き散らすばかりになっていった。
次第に周囲からは完全に呆れられていき、社会から切り離されて氷河期世代の恥晒し集団だけでエコーチェンバーを形成。
凝り固まった考えはもはや治すことも出来ず、「自分たちの人生で一番マシな時期」であった「まだ何者でもない学生時代」に思いを馳せいつしか精神年齢がそのレベルで凝り固まってしまう。
そんなどうしようもないまさしく「超ガキ」としか言いようのない「氷河期生の失敗作の煮凝り」みたいな奴らの叫びがちょくちょくインターネットでは聞こえてくるよね。
あれさ、見ててマジで恥ずかしいなって思うんだけど、本人たちもそれを分かってやってるのかな?
世間はお前のママじゃないし、まして部下も上司も取引先もお前のパパではないんだけど、理解してるのかな?
たまにめっちゃ不安になる勢いで「オッホンオッホン(意訳:ボクチンの気持ちを読み取って、ボクチンの望み通りの結果を与え給え。ボクチンは僕の人生の主人公であるし、主人公に忖度しないのはマナー違反なのですから、ボクチンに忖度するのは社会人の義務ですよ)」を乱発する人おるやん?
しかもそういう人はセルフイメージでは「礼儀や倫理に厳しく道徳的で精神年齢が高い人物」みたいなことになってるっぽいのがマジでヤバくないっすか?