2011-08-15

アジア人英語で話す寂しさ

10年ほど前学生の時、香港旅行に行った。

現地人に間違われることも何回かあり、

こちらが広東語を解さないことを悟ると英語に切り替える。

北京語筆談しようとして漢字を書いた紙を見せても英語で返される。

街中に溢れる英語はcentreとか-iseとかイギリス式だった。

ちょっと落胆した。

同じような顔をした東アジア人、同じ漢字の知識を持つ漢字圏の人たちと、

遠い西洋の国の言葉である英語で話すことの疎外感。

来日アジア人学生とは日本語で話していたから気付かなかったけれども、

日本に照準を当てていない外国人とは、いか文化人種的に近い東アジア人であろうとも、

英語がまずは標準語になるのだ。


最近東南アジアに行ったときも、やはり現地人との会話には英語を使うしかなかった。

現地の言葉を話そうにも、「サワディー」「カムオン」ぐらいしか分らないんだから

英語は分るのに、同じような顔をした人達の基本的な挨拶も知らないなんて!

自分を恥じた。


日露戦争の時は日本人清国人と朝鮮人ベトナム人とは、知識人であれば会話は出来なくても漢文で意思疎通が出来たらしい。

伊藤博文暗殺した安重根漢文の遺稿を残している。

安は日本人看守に処刑前に「為国献身軍人本分」という自書を渡した。

今や朝鮮人ベトナム人も平均的な戦後生まれは漢字を理解しない。

もっとも千数百年前は当時の漢文が今の英語立場にあったのかもしれない。


英語世界が均質化されるということは、逆に言えば今まで交流の浅かった遠い国との距離が縮まる分、

隣国との距離が相対的に広がるということでもある。


追記:

揚げ足取りする人ばかりでうんざり

広東語は話し言葉香港でも書き言葉普通話なんですよ。

アジア」は多義的で曖昧言葉ですね。

文脈によってその指す範囲は異なりますが、本稿では、文面から

漢字や箸や仏教儒教伝統文化として擁する東アジアの国々」からモンゴロイドを主要構成員とする東アジアの国々」

までを漠然と指している、ということを、感じ取れないでしょうか?

形式的には「中華人民共和国」という国連の基準では一つの国家の中に含まれていても、

ウイグルカザフキルギスウズベクチベットを「東アジア」に含んでいないことを、感覚的に理解できないでしょうか?

英語で十分、それ以外の言葉を学んでいたらきりがない」

英語がどこでも通じるから便利」

から、そのほかの文化が滅びていくことが無念だ、というのがこの日記の主題なんですよ。

安重根辞世の句、これは漢文から魂が込められているのです。

同じ文句を英語で安が発言したとして、意味は通じるでしょうが、それはもはや魂のない「記号」でしかありません。

漢文も土着の言葉蹂躙して君臨してきた事実差し引いてもです。)

今の韓国人は安の遺墨「為国献身軍人本文」「国家安危労心焦思」を読めません。

安の遺墨に込められた魂は漢字排斥により子孫たちから断絶されました。

私たちは、英語を汎用できる利便性と引き換えに、それぞれ固有の文化が持つ魂を失いつつあります

「自身の不勉強から強引に一般化する」

英語以外の言葉を学ぶにせよ、世界中言語全てを「平等に」習得するのは無理ですから

何にせよ取捨選択はしなければいけませんよね。

対象が日本語であれ英語であれ日本語方言であれ何であれ。

人類永遠にこの宿命から逃れられないという現実を嘆いています

  • 香港に言っておきながら北京語でコミュニケーションをとろうとするなんて嫌がらせだろ。 外国人が日本に来てわざわざ韓国語を話すようなもの。 自分が現地の言葉を話せなかっただ...

  • 同じように「日本語」の存在にも疑問を持ち、日本列島各地の方言を理解できないことも恥じてほしい

  • http://anond.hatelabo.jp/20110815225307 ということで先日はじめて台湾に行ってきた。 なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。 故...

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