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はてなキーワード: 進学校とは

2015-02-06

きっと、今子供だったら「病気」だと判断されていた

大人になった今でも、大人のADHDテストや高機能自閉とかのネット診断をすると、要素アリに分類される。

じっと大人しくしていられなかったし、お友達とあまり上手に遊べなかった(だいたいがわがままを発揮して除けものにされる)し

一方で、家で一人でいつまでも遊んでいられるし、一度その遊び(やら宿題やら)に集中しちゃうと、寝食を忘れるような子供だった。

小学校入学しても、授業中歩きまわってはいけないということを、先生に叱られるまで気付かなかった

周りの子が前を向いて座っているのは、そういう風にキチンとしているのが「好き」だからだと思っていたので、

私は授業中歩きまわっている方が好きだしべんきょうも良く覚えられるから、歩きまわってオッケーだと思っていた。

一度叱られたら歩きまわらなくはなったが、今度は後ろを振り向いて後ろの席の子とおしゃべりして怒られた。応用力がない。

今、小学生をやっていたら、そうとういじめられただろうなぁと背筋が寒くなるのだが、30年ぐらい前の当時はおおらかだったのか

たまたままれていたのか、たまたま勉強はできたからか、陰湿いじめになることはなく、やんわり「変わり者」として扱われていたと思う。

学校での「嫌な思い出」はあまりない。ありがたいことに、担任教師や友人にとても恵まれた。

あとは、特有の鈍感さで、いじめ認識できてなかった可能性もあるかもしれないけど。

高校進学校に入り、賢くて、そして気が強いというかハッキリものを言う友人に恵まれて、ようやく「どうやら自分は他の人からかなり浮いている」と気付き

少しずつ行動を矯正していけるようになった。持ち前?の妙な集中力で、いわゆる良い大学にするっと入った。

就職氷河期世代だったし、「どうせ普通会社普通に受けても、私は絶対に無理だろう」と思ったので、普通シュウカツのようなことは一切せず、

就職した友達の紹介である会社バイトで入り、契約社員になり、そのまま社員になった。その会社仕事にうまが合ったみたいでそのまま働いている。

大人になった今でも、仕事で「あ、これ私がダメだったやつ」「あ、迷惑かけた」「ごめんなさいごめんなさい」という事故をたまに起こすが

いくつか任せてもらっているクライアントからは「この人は穴だらけだけど、発想と根性は買っている」と残念なことを言われたりしているが、

一応、売上も上げられているし、仕事も広げられているし、クビにもなってないし、なんとかやれている。

生きにくい、息がしづらいと感じながら生きている若い人の言葉を見ていると、今の世界の「ギリアウトのライン」がもうちょっと低ければ、

与えられる機会が増えて経験が増えて、経験が増えれば「やり過ごせるコツ」も増えるだろうにと感じる。

自分が「ギリアウト、だけどまぁ今回はしゃーない」と、機会をもらえたからこそ。

薬を飲まないで済むなら、飲まない方がいいよね。私今の時代に当時のままの子供だったら、リタリン中毒になってたよ

http://b.hatena.ne.jp/entry/kokoro.squares.net/?p=3322

2015-02-05

親にされたとりかえしのつかないこと

高校卒業したときに、親に現役進学を強制された。

滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしアパートに引きこもっていた。

大学2年の夏に、"もうここには居られない"と発狂した。

親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。


けっきょく現役の時から志望校だった慶応合格できた。

仮面浪人して慶応って中高一貫進学校の連中からバカにされるのだろうけど、

田舎公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。

でも、大学中退学歴は消えない。


素直に1浪してたらここまで性格もひねくれてなかったのに。

はっきりいって2浪と1浪って全然世間の印象が違う。

2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。

もう10年も前の話になるのに、転職面接でも中退理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。

親がにくい。

人生なにがどう転ぶかわからないと慰めてくる。

そんなわけがない。

悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、

スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。

2015-02-04

実は日本に超進学校は1校しか存在しない。

http://anond.hatelabo.jp/20150203184747

開成

筑駒麻布東大寺進学校ではない。

その他の学校に超を名乗る気概も実績もない。

2015-02-03

進学校で学んだこと

俺は東大合格者5番には入る学校にいて、学校内では底辺の成績だった。現役東大落ちて、滑り止めの学校にいって、今はニートしてる。いろいろ興味深いこととか実態とか話す。

まず、あまり注目されないことだが、超進学校には明確な学力ヒエラルキー存在する。低い階級のものは、何か他のもの自分の現状を合理化しようとする。例えば、部活に熱を出したり、文化祭などでリア充っぷりを追求したり、だ。高い階級のものは、無垢なままで高くありつづける。このヒエラルキーは、ずっと続く(受験生になってから勉強法模索して東大に滑りこむ奴は結構いるが)

全体として見ても、「昔はチヤホヤされた」集団なので非行に走るやつや、飛び抜けて性根が腐っているようなのはまりいない。いじめ中学まではあるが、高校に入ると途端になくなる。

次に、カリスマ教師のようなものはいない。教師の質に関しては俺が言及できるところはないが、少なくとも「カリスマはいないと思われる。ただ、これはうちの学校だけかもしれない。自身指導方針に自信と誇りを持っているような教師が、どこかの学校はいるらしい。(個人的に灘の校長カリスマだと思う)

塾について。9割の生徒は塾を利用する。鉄緑会を始めとした大手塾に通う人、小規模な個人塾に通う人もいた。塾の学費は年間約50万(科目数にもよる)程度であり、学校学費が100万程度であることを考えると、結構洒落にならない金額がかかる。ちなみに俺の親は年収1500万付近人間だが、ほとんどの人はそれ以下ぽかった。子供には相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。

総括。

教師も生徒も、「じぶんはなにも知らない」という認識が欠けていた。善悪判断自分でしようとするものがいなかった。

東大いけいけ」「医学部おせおせ」なムードが強く、流れにのるだけで東大にもいけてしまうので、そういうのが好きな人はいいと思う。しか物事懐疑的な人には、生きづらい環境であった。

俺は中学とか高校というものが嫌いなので、自分の子供をいかせるつもりはサラサラないが、「日本国内」で「中学高校」にどうしてもいかせなければならなくなったら、進学校を選ぶと思う。

2015-02-02

親がにくい

高校卒業したときに、親に現役進学を強制された。

滑り止めで受かった不本意の学校にすすんだが、大学生活に身が入らず無為に過ごし、一人暮らしアパートに引きこもっていた。

大学2年の夏に、"もうここには居られない"と発狂した。

親の反対を押し切って休学して、仮面浪人を強行した。


けっきょく現役の時から志望校だった慶応合格できた。

仮面浪人して慶応って中高一貫進学校の連中からバカにされるのだろうけど、

田舎公立高校出の僕にとっては精一杯の結果だった。満足できる学校だった。

でも、大学中退学歴は消えない。


素直に1浪してたらここまで性格もひねくれてなかったのに。

はっきりいって2浪と1浪って全然世間の印象が違う。

2浪じゃ学歴を話した時点で変わり者扱いされるし、浪人しても受からなかった残念な奴っていう印象になる。

もう10年も前の話になるのに、転職面接でも中退理由を根掘り葉掘りつっこまれるし、いいことなんて1つもない。

親がにくい。

人生なにがどう転ぶかわからないと慰めてくる。

そんなわけがない。

悪い方に転んだ後にいい方に転んだ人は自ずと目立つからそういう考えがでてくるだけで、

スタートでつまづいた人は、たいていはその後もうまくいってない。

2015-01-28

進学校から浪人もせずに大学出て

そこそこまともな仕事につき

結婚して

奥さんとの関係も良好で

子どもはまだだけど

じきに作る予定で

兄弟との関係も良好

週に1度は

学生時代の友人・同期と飲みに行き

昔話に花を咲かせ

女友達恋愛相談を受け

逆にこちらも相談をし

夏にはバーベキュー

冬には同窓会

結婚式があれば余興をし

二次会幹事を引き受け

サプライズビデオレターを作り

たぶん

おれはリア充なんだろう

でももうだめだ毎朝死にたい

毎日全然楽しくない

あいたいひとや

やりたいことも

読みたい本や観たい映画

たくさんある

のに

また今日も何もできなかったって

思いながら

眠って

また死にたい

2015-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20150127203012

それちょっと分かる。

高校進学校だったけど、勉強できる子でキモオタ系の人って居なかった。

あんまり勉強できないグループにオタぽい人は結構居た気がする。

ものすごく進学校だったので、別にいじめとか迫害などはされてなかったんじゃないかと思うんだけど、なぜか卑屈になってたな―あの人たちは

2015-01-26

フェイスブック中学同級生を見下すのが癖になってしまっている

我ながら悲しい人間だと思う

でも止められない。

僕は地方(それも結構田舎)の出身だ。

地方出身者にはなんとなく想像できるかもしれないが、地方の頭のいい人たち(お勉強ができる=頭がいいではないかもしれませんが便宜的に)はほとんどが大学あたりで県外にでる。

そしてそのまま県外で就職したり、家の事情やらなんやらで戻ってきても大卒公務員やら地方銀行などの(その県内では)「上位」のステータスを得る。

なので必然的にずっと地元に残っている人の多くは「頭の悪い人たち」ばかりになる。


よく地元では頭が良くてトップ進学校に行き、都市へ進学、就職して勝ち組と思っていたのに、フェイスブック地元同級生検索してみたら

なんだかんだで結婚して子どもも居て幸せそうでうらやましい…

みたいな話を聞くが僕はそう思わない。

現実的には、彼らのほとんどがいわゆる「3K」のブルーカラー、それも非正規雇用が半数近くいる。なのにできちゃった結婚をして子どもを産んでいる。DQNスパイラルに陥ることは目に見えている。

僕も近々結婚する予定だが、できれば彼らのような家庭の子どもと自分の子どもを同じ学校には通わせたくないと思う。

マスメディアに騙され、低賃金非正規雇用で、子どもにまともな教育を受けさせることもできず、趣味と言えばパチンコくらい

そんな彼らのフェイスブックでの「幸せアピール」は

僕には自分たち底辺であることを必死に忘れようとしているようにしか見えず、どうしても見下してしまうのだ

と、こんなこと考えちゃう自分が一番底辺なんですけどねー……

最後予防線をはりたいところだが

やはり本心では彼らに対し「自分は勝っている」と思わずはいられない

2015-01-22

田舎無名高校から東大京大進学校に大変身! “体育会系”な学校改革の全貌

しかし、Aくんは両親が共働きで、玄関の鍵が閉まっている。Aくんが中にいると判断した福井先生は、Aくんを刺激しないように雨どいを伝って2階のベランダの窓を開け、“訪問”に成功した。そして眠っているAくんを起こし、抵抗するヒマを与えずに学生服を着させ、そのまま学校へ連れていくことができた。

不法侵入の上、拉致軟禁普通に犯罪

”抵抗する暇を与えず”、とか、つまり生徒の意思とかそ言うのどうでもよくて、

言いなりの機械にして、勉強を詰め込む。

そりゃ進学率上がるだろ、その後どういう人生送るか知らんが。

http://biz-journal.jp/2015/01/post_8648.html

2015-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20150114201052

その人がバカとかどうとかではなくて、

進学校だと成果(○○大学××人合格)を出すために

たくさん受験するように指導するわけですよ。

「可能性を試すために、A大もB大も受けたほうがいい」みたいな感じで

それが普通って感じで生徒とか親に話すわけね。

頭いい子であればあるだけ、上の大学たくさん受けるように言われる。

ある程度頭よければ対策とか関係ないからね。

2015-01-10

大学1年の女です。

大学1年の女です。1浪したので二十歳です。

高校2年生の時、私はW君が好きでした。イケメンではなかったけれど、すごく優しくて頭のいい優等生タイプの人でした。

文化祭の準備で私とW君が同じ仕事をしなければならなくなり、そこで仲良くなったのです。

W君と話しているととても楽しくて、そのときはじめてまともに喋ったとは思えないような親近感でした。

メールアドレスを交換し(当時W君はガラケーだったのです)、それからほとんど毎日メールしました。

だいたい私からメールを送った次の日はW君からメールが来るし、W君からメールが来た次の日は私からメールを送りました。

1カ月ほどたったある日、ちょっとしたことから下ネタ話題になりました。

意外にもW君の食い付きは良く、私はW君は淡白なタイプだと思っていたので驚きました。

私はW君が頭がおかしいほど好きで、当時の私は周囲の友達の影響で貞操観念がぶっ壊れていたのもあり、こういう会話になってしまいました。

私「W君って童貞なん?笑」(私はずっと君付けで呼んでいました)

W君「え、なんでw」

私「いや気になるじゃん」

W君「そっちはどうなん」

私「残念!非処女です!!」(もちろん本当は処女でした。ただ、当時すでにバイブオナニーをしていたので、セックスに関しては非処女を偽れるだろうと思ったのです。)

W君「まじか・・・

私「引いた?笑」

W君「いや別に引いてはないけどへぇ~~ってなった」

私「で、童貞なの?」

W君「まあね」

私「童貞卒業させてあげよっか?笑」

W君「マジで?」

私「マジマジ」

W君「ちょっと考えさせて」

(2時間後)W君「頼みます

私「オッケーw○○駅に集合ね!近くにホテルあるから

という感じでした。ちなみにこのメールのやり取りは当時のメールを見ながら絵文字などの再現不能なもの以外そのままの文章コピーしたものです。

かくして私とW君はセックスしました。

私とW君はセックスやみつきになりました。毎週土曜をセックスの日と決め、いろいろな場所セックスしました。

ところが、半年ほどたったある日、W君の浮気が発覚します。

同じクラスSさんと1か月前からセックスしていたというのです。

冷静に考えると浮気と言うのもおかしいのですが、私は当時完全にW君と付き合っているような気分だったので、浮気されたのと同じショックを受けたのでした。

私はあまりのショックから、W君に「もうニ度と関わらないで」と言ってしまいました。

しかさらに驚いたことには、W君はそれからもケロッとしていて、それから1ヵ月後、正式Sさんと付き合い始めてしまったのです。

実は私はW君に、冗談っぽく「ねぇ・・付き合わない?」という話を吹っ掛けたことはあったのですが、毎回「うーん・・・」みたいなリアクションを返されていたのでとてもショックでした。

私の中で糸がプツンと切れました。こんなになっているのにまだセックスしたくなっている自分への憎しみもありました。

私は男子積極的に絡みにいくようにしました。こっちから絡みにいけば案外むこうも親しくしてくれるもので、仲の良い男子が増えました。

それから友達のツテで他校の男子ともつながりを持つようになりました。

そしてなるべくたくさんの男とセックスしようと思い、ある程度まともそうな奴と片っ端からセックスしていったのです。

卒業までそういう行動を続け、結局卒業するころには経験人数が20人を超えました。

今となっては何を考えてそんな事をしたのかわかりませんが、数打てばそのうち自分を大切にしてくれる人が現れるかもしれないと思っていたということはあります

しかしそんなことはなくて、私はただのみんなのセフレになってしまったのでした。

一応進学校にいたので大学には行かなければならないと言う風潮がありました。

当然セックスばかりで勉強なんて全くしてなかったので浪人し、いまでは3流私文に通っています

セックスとか恋愛は当分良いかなと言う感じです。

というわけで、たとえ好きな人が相手であっても、体だけの関係になっても絶対幸せになれないことと、

セックスする程度で自分のことを大切にしてくれるようになる男なんていないということだけは憶えておいてください。

2015-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20150109233737

その意味で言うと地方出身者の方が組織とか周りのサポートの力で戦っている気がするよな

地方進学校によるサポートは異常

そのせいか大学入った時の自信というか誇りみたいなもの地方出身者とそれ以外で大きく異なっていたように思う

2014-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20141219141923

おれ、県で一番の進学校に通ってたけど、ついてけなくなって偏差値30台まで落ちた。地方から国立医学部とかの方が多かったけど、東大とか普通に二桁毎年行くような高校だった。一番仲良いやつは京大理学部に行った。おれはいニート

http://anond.hatelabo.jp/20141219135729

放任系の進学校だとどこでもありそう。

中学まで真面目だったのに高校はっちゃけたとか、地頭だけで勉強せずとも中学までは行けたけど高校でついていけなくなったとか

そういう人が偏差値40くらいまで落ちるけど、上は全国レベルという

2014-12-07

ネットがなかったら俺の人生はどうなっていたか

俺とインターネット出会い高校生の時である

なので高校受験にはネットの影響はない。

俺は高校受験高校の選択に失敗した。進学校に行かなかったのである。だから、授業は超余裕だった。

俺は高校の3年間、ネットで遊びまくった。

チャットから始まって、HP作ったり、プログラミング勉強したり、最後の方は2ちゃん漬けである

もしも高校ネットが無かった場合想像すると、ネットの代わりに漫画小説漬けになり、漫画家を目指していたかもしれない。

卒業後は就職アニメ系の専門学校に行っていたかもしれない。

でも、実際の俺は、ネットで知り合ったメル友のおかげで大学進学を志して、志望校推薦を勝ち取り、県内の大学に進学した。

高校時代の俺にはネットは良い影響を与えたと思える。

それから、俺は大学の4年間、ネットで遊びまくった。

相変わらずの2ちゃん漬けとアニメ漬けで、ギリギリでの卒業になり、就活適当だったので就職に失敗した。

それでもなんとかコネで父親の知り合いの会社に入れてもらった。

もしも大学ネットが無かった場合想像すると、もうちょっと勉強を頑張ったんじゃないだろうか。

就職はいまいち冷え込んでいた時期だったので、勉強ができていれば院に進学していたかも。

あー、違うかなー、もしかしたらうまくガス抜きできなくて鬱病になっていたかも。

その後の仕事については、ネット関係仕事WEBプログラマになったので、ネット無しは考えられない。

やっぱり、もしもなんて考えてもしょうがないし、俺にとってネットは毒でもあったけど、悪者ではなかったな。

でも逆に考えることがあるんだ。

それは中学時代ネットがあったら、俺は高校受験もっといい選択ができたんじゃないかってこと。

人生分岐点は思ったよりも早い段階にあるものなのである

2014-11-23

働かない後輩を辞めさせられませんか?

「辞めさせる」というのは、ちょっと大袈裟かもしれません。ただ、本当に、仕事をしない後輩に苦労しているので、この扱いをご存知の方にアドバイスして欲しいという気持ちです。法的なことも含め、現実的なことを。そして私の愚痴が少し混ざることにも、お許し頂きたい…

後輩というのは、今年30歳になった入社8年目の女性です。東京の有名私大卒です。会社IT系制作がメインの業務ですが、Webキャンペーンを受注すると、キャンペーン事務局の代行もします。

彼女最初HTMLで画面制作する部署に配属されました。しか7月から3ヶ月、病欠しました。病名は「うつ」。一旦復帰しましたが、2年目と3年目の二年間を、やはりうつ病休職しています

休職を明けて4年目からは、彼女希望品質管理セクションに異動となりました。現在品質管理に在籍しています

病気を抱えて働く人を「辞めさせたい」というのは、人道的にも法的にも、あり得ないとは思います。だから会社も、彼女上司たちも、彼女に「仕事して欲しい」と言えずにいます。もちろん、私も。

彼女が私に話したところによると、うつ病を発症したのは中学生とき医学部を目指した中三の夏、伸びない成績に悩んで「壊れた」のだそうです。受験に失敗し、隣の県の私立に通ったそうです。県下一の公立進学校に進んだ兄に劣等感を抱いたそうです。

大学受験にも失敗しました。行きたい有名女子大への学校推薦が取れませんでした。あまり行きたくなかった大学へ、推薦入学しました。ただ私からすれば、その大学も充分に有名で歴史も深く、卑下するようなことではありません。有名女子大とのブランド力に、大差があるとは思えません。

大学3年のとき、薬を大量服用しました。いわゆる自殺未遂です。薄れていく意識で、自分救急車を呼んだそうです。このときに飲んだ薬が、どんなものかまでは話しませんでした。処置入院費用で30万円したとのことですが、このとき本当に命の危機にあったのかどうかは、彼女の話からはわかりません。

田舎から母親上京し、自殺未遂するまで放置した大学教授に抗議したそうです。関連があるかはわかりませんが、彼女スレスレの成績で、どうにか大学卒業したそうです。大学4年のとき精神科に通院しながら、就職活動もしていたわけです。

私がこの品質管理セクションに異動してきたのは一年弱前です。当初は彼女のことを「愚痴っぽいし話が長い人だなあ」としか思っていませんでした。彼女愚痴に付き合わされてる私に、同僚たちは冷ややかでした。あとでわかったのですが、彼女は既に、みんなに自殺未遂した過去を話し、病気を口実に仕事をせず、同僚たちを困らせていました。同僚たちは彼女と関わることを避けていました。「めんどくさい」という理由ではありません。彼女仕事を任せると、納期まで手を付けず、納期が近付くと病気理由休みがちになり、納期当日には出社したためしがなく、同僚が慌てて代行しようとしても間に合わないのだそうです。みんな何かしら、彼女に「痛い目」に遭わされていました。それくらいなら自分仕事した方が良い、そういうことです。別に全員で無視などの、イジメのようなことはしていません。出勤すれば挨拶もするし。挨拶を返さないのは彼女の方です。

休職明け当時の上長だった人によると、彼女は通院中であることを会社に申告していませんでした。仮に申告していたとしても、それを理由採用しないというのは法律違反ですよね?

復帰したあとも、彼女会社で薬を大量服用し倒れたことがあるそうです。命に別状なかったようで、フロアの隅で休ませたそうです。会社に医務室はありますが、運ぶには人目の多いところを台車に載せて通らなければなりません。それは忍びない、という判断でした。彼女が立てるようになると、上司が付いて、通院している病院までタクシーで連れて行ったそうです。彼女はそのときのことを、「タクシーで行くくらいなら最初から救急車を呼んで欲しかった」と言っていますしかし、同僚として言いたいのは、初めから会社自殺を試みる彼女問題はなかったのでしょうか?

5年前まで二年間休職していた間のことも書きます

彼女東京を引き払い、田舎病院にかかっていました。どういう経緯かはわかりませんが、田舎男性結婚しました。結婚生活幸せではなかったそうです。相手の男性からは、家事をしないことなど責められたと言います

休職中は、組合から傷病手当金が出ます。当時は、基本給と同額が支給されていました。働いても働かなくても、収入があったのです。満了の2年終了間際に、医師から会社復帰しても良いと診断されました。そのとき結婚相手の収入より、彼女傷病手当金の方が多かったそうで、彼女は復帰を決意しました。この時のことを彼女は「結婚したら養ってもらえると思ったのに、旦那収入より私の収入が多かった、見当違い。この人と居ても楽な生活はできないと思った。私は誰かに依存していきていきたいんです」と言っています。「愛がなくても結婚できます」とも。

会社復帰するまでの3ヶ月の試用期間、彼女ウィークリーマンションを借りました。結婚相手に、この住所は教えていませんでしたし、電話にも出なかったと言います正式復帰してから会社から徒歩3分のところにマンションを借りました。結婚相手にも、会社にも、この住所は教えていませんでした。会社休職前の住所に住んでるものと思い、交通費支給しました。

連絡がつけられない結婚相手は、上京して会社の前で彼女を待ち伏せました。最後の手段だったとも言えます。それを彼女は「ストーカーまでする人とは、結婚は続けられない」と言います暴力を振るわれていたのかと聞いたら、それはなかったとのこと。

近くのファミレスで話し合い、離婚することになりました。田舎の住居を引き払いたい彼からは、荷物を取りに来るよう再三催促があったそうですが、彼女は応じず、ついに借家契約の最終日が彼から通達され、ようやく母親と行ったそうです。部屋には彼女衣服などがダンボール2箱に詰められてたほかは、何もなかったそうです。この時のことを彼女はこう言います勝手に人の服を触るなんて気持ち悪い。家電類はうちの親が費用を出したのに全部運び出されていた。持っていくなんてセコい男だと思う」。私は、彼こそが常識人で、彼女の方が気持ち悪いと感じます

離婚が成立したのは、どうやら彼女会社復帰してから3年後、2年前のことです。なぜそう言えるかというと、彼女はどうやら東京に戻ってすぐ、頼れる男性を見付けたようだからです。彼女曰く、現在の彼です。今の彼女の悩みは、自分離婚したのに、彼からプロポーズが無いことです。自分から聞いてみないのかと聞いたら、「彼は私が結婚していることを知っているのに、3年も我慢してくれた。だから私も、彼に3年の猶予をあげたい」と答えました。「猶予をあげる」は、本当に彼女が使った言葉です。私は本当にその相手の男性世間でいう「彼」なのかを疑いました。彼女は「浮気ができるタイプではない」と言いますが、会うのはいつも彼のマンションで、彼女の部屋には一度も来たことが無いそうです。友達と一緒に会うこともないし、彼女に食事を驕ることもないそうです。それと…会社をすぐに休む彼女は、給料生活するのはギリギリで、生活費を彼に借りるのだそうです、月に2〜3万円。二人がどういう関係なのか、本当にわかりません。プロポーズを待っていて良い相手には思えないのは私だけでしょうか?

会社に復帰してから5年になる彼女ですが、タイトルの通り、仕事しません。5月に有給休暇が年間20日間支給されましたが、彼女はこの11月現在、使い切っているようです。有給休暇だけでなく、朝は眩暈がすると遅刻してきたり、午後4時くらいには気分が優れないとか顎関節症が痛むとかで、早退してしまい、会社には半分ちょっとしか居ません。大切な仕事が任せられる状態ではないけれど、干すわけにもいかず、会議議事録を取らせたり書類ファイリング担当させたりしますが、議事録は録音したテープから会話をまるごと起こしてあり、意味不明です。会話というのは主語がなかったり、述語もどんどん展開していくものです。会議の決定事項は必ずしも言葉で発せられるとは限らず、「じゃあ、そういうことで」ですむこともあります。だからこそ議事録必要なのに、彼女議事録は会話のままですから決定事項が書いてありません。

上司私たちにこっそり言います、「彼女重要会議は任せられないから議事録担当は残りのメンバーで回す」。

彼女仕事をしないのを、そうやって他のメンバーが埋めます。それはそれで、リスク対処で、不満を言う社員がいるはずもありません。

困るのは、彼女が足を引っ張ることです。

最近の例です。ISO継続審査を控え、文章類が最新状態になっているか確認しました。全て整っており、取得部門でも教育が終了していました。そこへ彼女が、とある本部内部監査の結果を放置してあり、社長印の必要重要文書を改定しなければならない、と言い始めました。うちの部署は慌てて、全部門に文書の変更があることを報せ、必要に応じて教育する時間を確保することを指示しました。しかし、審査の二週間前になっても、彼女から変更した旨の連絡がありません。確認すると、対象部門と話もしていませんし、スケジュールも立てていませんでした。仕方なく私が代わりに内容を聞きに行くと、なんと、その内容は一ヶ月前にもう改定が済んでいました。それは上司含め、全員がメーリングリストを使って確認済みです。全部門改定お知らせしたのは無駄だったということです。しかもその段で発覚したのは、改定必要なのは彼女が言っていたのとは違う文書であったことです。彼女勘違い確認ミスでした。彼女に原文を出してもらおうとしたところ、例の如く、午前は休むとのこと。午前に休むと、午後になって午後休の連絡がくるのが彼女の常です。翌週は社長海外出張に出てしまうこともあり、急を要しました。他のメンバーで文書を修正し、なんとか社長印をもらうことができ、それから部門改定お知らせと教育指示を出しました。審査直前の文書変更に、約300人の社員翻弄されました。

自分管理する文書が午前中に改定されたことを、昼休みすぎて出社して知った彼女は、夕方には「やはり具合が悪い」と早退しました。

彼女自己申告する病気は4つあります

うつ病。月に6回、平日に通院しています

顎関節症。発症は小学校とき。来客の直前に痛みだし、会議室うずくまるほどです。1時間ほどで治まるので会議室に留まります。周囲からは寝ているように見えます。通院はしておらず、一年上前彼女の話から判断すると、学生時代)に作ったマウスピースをはめていますマウスピースが痛くて頭痛がして欠勤することがありますマウスピースを作り変えないのかと聞くと、6000円が惜しいので直さないとのこと。

腹痛。ストレスで空腹を感じ、一日に4食も摂ってしまうほど。そのため胃が荒れてしまった、医者には「食べ過ぎ」と言われたとのこと。この腹痛のせいで早退もするし、自席でもよく伏せています

血尿彼女曰く「トイレが真っ赤に染まる」。医者に行ったところ、場合によっては腎臓を傷めることもあり、背中が痛くなったら要注意と言われたとか。その医者からは30分で帰って来ました。その後、通院はしていません。

他にも、朝から病院に行き、30分待ったので疲れてしまった、という理由で早退することがあります。わりと多い早退理由です。

彼女普通より病弱であるのは確かであり、仮病だとは言いません。

しかし、それだけ病気で、仕事ほとんど出来ず、任せても欠勤するため周囲のサポート必須という状況になっているのに、なぜ彼女病気を治すことに専念しないのでしょうか? 会社は「また病欠して、ゆっくりしてみたら?」と言えません。パワハラとか、そういうことになるでしょう。

彼女精神科主治医に「会社では戦力外ですよ、それがストレスみたいですよ」と訴えることもできないでしょう。イジメ法律違反かでしょう。

彼女とは関わりたくないと思っても、挨拶はしなきゃいけないし、会議での発言無視してもいけないでしょう。彼女が「出来ない」と言えば教えてあげなければならないでしょう。

今でも彼女は、薬を大量に飲んでは、みんなを困らせます。この自殺未遂もどきがやめられるくらいには、元気になってから会社に来るべきではないでしょうか?彼女のめんどうをみるのが私たちの業務の一つになっているのは、健全企業活動と思えません。

筋の通った方法で、彼女休職をすすめる…させる方法はないでしょうか?

2014-11-12

高校生です。

僕は、もともと、今よりは少し頑張っていました。頑張れる人でした。

その頃は、趣味がありました。お菓子作りや、プログラミングバンド活動作曲ピアノをひくこと... 自分でも、割と多趣味なんじゃないかなと思います。どれも僕は、大好きなことです。週末や、平日でも暇ができると、何かしらをして過ごしていました。

部活も大好きでした。2年生からは、ある程度部内でも責任ある立場に立たせていただき、悩むことも増えました。それでもやりがいがあり、楽しく、とにかく仲間が大好きでした。部活友達とはよくカラオケに行ったり、ずっとこれからについて話していたりと、本当に仲良くしてもらいました。部活には、大切な友達がいて、僕の居場所がありました。

勉強は、まあ普通なほうでした。ただ、課題を出すのが苦手でした。締め切りを忘れてしまうことも多ければ、自分必要のないと感じてしま勉強はあまりやる気が出なかったからです。でも一番の原因は、僕が"悪い完璧主義"を持っていたからだと思います完璧でなければ、やらないほうがマシだという考え方です。だから課題には人よりも時間をかけ、少しでも遅れたら出しませんでした。授業のノートは、やる気が出るものだけ、つまりこの先もずっと完璧ノートが取れると自信のあるものだけ取り、あとは全く取りませんでした。結局それは、何もかも中途半端に終わらせるということを、僕は徐々に気づいていくことになりました。

それでもまだ良かったんです。僕には、時間無駄にしたくないという思いがありました。やりたいことがたくさんあったからです。部活も、趣味も。もちろんテストで上位に食いこむという目標もありました。でも正直、部活趣味を頑張れるように、勉強も頑張ってみる、という感触でした。

3年生になって、部活引退したんです。うちの部は遅くて、9月のことでした。それでももう2ヶ月も立ってしまいましたが。

うちの学校進学校です。周りより遅めに受験生の仲間入りをした僕は、これから勉強を頑張らなきゃと思っていました。

なんとなく、趣味もできなくなりました。勉強をしなければと思ったというよりは、周りの目がそうさせなかったからでした。なぜか、何をするにも受験生という負い目を感じるようになりました。勉強以外のことをしていると、必ず親から愚痴を言われました。

部活が無くなった分、授業の課外が入りました。朝にも課外が入りました。

友達勉強必死になっていき、カラオケにも誘えなくなりました。

何もできなくなったように感じたんです。

今の僕の話を聞いてください。

ゲームにハマりました。ついこの間までは、ゲームには夢中になったことなんてありませんでした。今では親や友人から隠れるようにして、ずっとやっていますシナリオゲーなんですが、その物語世界現実逃避している感じです。

何もがんばれていません。頑張らなくなったら、ちょっと学校に行くのが楽になりました。他人に会うことや授業は嫌ですが、毎日ゲームを楽しみにしてじっと我慢していますゲームを夜中までやるので、授業中に寝ることも多くなりました。ノートひとつも用意していません。

大学は、行きたいなとは思います。第一志望にしている大学は、魅力的な大学です。地方ですが、僕の好きなIT英語を高いレベルで学べると思います

ただ、それだけでは、頑張る理由がわかりません。つまり、、僕は、今の生活が続けばいいと思ってしまっています。いえ、もちろんこのままでは、こんな生活も続けられないことはわかっています。なんでしょう、、墜ち続けてもいい、というような感情です。感情でもないのかもしれませんね。何も考えてないだけかもしれません。

思えば、少しずつ堕ちてきただけな気がします。中学生の頃が、一番勉強しました。努力をつらいことだと思っていませんでした。努力以外に、することを何も知らなかったからです。それが今は、何もできなくなってしまいました。今の僕が何をやっても、続くと思いません。つまりそれは、少し這い上がっても、またすぐに墜ちていくことを意味します。僕はそれが怖いんです。

大学に行って一人暮らしが出来たとしても、いつか努力をやめて、留年を続ける自分しか思い浮かびません。

社会人になれたとしても、辛いことが続くうちにすぐに休みがちになって、職を転々とする自分、新しい仕事を探す気力さえなくした自分しか思い浮かびません。

僕は少し前まで、自分ラストチャンスを与えていました。自分受験期になれば、やるときになればやる人だ。できる人だ。そう自分を信じていました。

でも僕は、裏切りました。裏切られた自分は、自分をもう信じることができません。いままでも裏切りを何度も繰り返してきたのですから

僕が今ハマっているゲームに、こんな場面があるんです。主人公は、あるきっかけで荒れてしまった不良だったのですが、恋をして、大切にしたいひとを見つけて、その人を守るために、頑張り始めるんです。大切にしたいものがあるから、頑張れる。そういうメッセージが込められていました。

僕の中では、大切にしたいものがはっきりしていません。何のために頑張りたいのかわからないのです。それは、自分が大切に思えなくなったからだと思います。信じられないのです。僕が将来、今思い描く理想自分に近づいているとは到底思えないのですから、大切にはあまり思えなくなってしまいました。

他人のためでも、自分のためでもない、漠然とそんな気がして、頑張れていないままなんです。

自分はとっても迷惑な気がしています。今の自分も、周りに心配ばかりかけている、迷惑存在ですが、きっと将来の自分迷惑でしょう。でも、今ここで死ねるほど、僕は強くありませんでした。

僕は、本当は将来、何をしたいかなんてわかりません。したいことなんて決まっていません。でも、もしなにか、選べるとしたら、譲れないことがあります

それは、人を幸せにしたいんです。子供っぽいと思われるかもしれませんが、一人でも、沢山のひとでも誰でもいいのですが、誰かを幸せにすることをしていたいです。そのためになら、将来の自分でも、もしかしたら頑張れるかもしれないと思うからです。その時の僕を、僕はまだどこかで信じちゃっているんですね。

とにかく思いつくままに書いてしまいました。いろいろなことを脈絡なく書きましたが、それは自分のことを伝えるためです。今の僕は、どう見えますでしょうか。率直にお伝えください。

長くなりましたが、一言でも意見をいただけると幸いです。

2014-11-08

田舎底辺中学生部活

実家母親電話いわく、地元中学校部活動強制ではなく任意となったらしい。弟は学校から帰ると、ずっと友達ゲームをして過ごしていると愚痴られた。

僕は、バスケットボール部所属していた。15時半の授業が終わると、各々は体育着になって体育館に向かう。そして18時半までひたすらドリブルを続けていた。コートの真ん中では、運動バスケが上手な奴らが陣取り、ひたすら試合をしていた。雑魚である僕らはコートの隅である。たまにボールが飛んでくると、それを真ん中に投げ返すだけの簡単な作業である

苦痛だった。家に帰って、ゲームパソコンをしていたかった。

雑魚の中でも、カーストがあった。僕はそのカーストの中で低い方だった。上手な奴らの分に加え、同じカーストから受けるイジメがった。それもあって、バスケ部活動苦痛だった。

思い返してみれば酷いものだ。たまに試合を「やらさせてもらう」としたら、笑われるか怒鳴られる。部活基準は上手な奴らに合わさっているので、雑魚は何をやっても怒られる。

そして、何かと休日は校外で試合をする。雑魚はそれに合わせて一緒に行動し、ボールや荷物を持っていく。上手な奴らの親は我が子が一番可愛いと、どこにでも車を走らせる。ビデオを撮り激励を贈る。雑魚の一人である僕は、横目で冷めた弁当を食べ、サボれる場所を探す。何もおもしろことなどない。時間を潰すのに必死苦痛だった。強い強い苦痛を感じた。

僕の中学校田舎なので、人数は東京に比べたら断然に少ない。一学年に80人はいなかったと思う。そうなると部活動の数も少なくなる。その上、なぜか部活動強制参加だった。サッカー野球、そしてバスケットボールのどれかを選ばなければならない。文化部は何か体に問題があるか、家庭に問題がある子しか入部できなかった。

他の部活も大抵同じだったが、野球部先生が皆平等にシゴいていたので、しんどそうだったが精神的に追い詰められていそうな感じではなかった。サッカーは楽そうだった、これに入れば良かった。友達もノビノビしてたし、試合半年に一度しかなかったようだ。バスケははっきりとした上下関係というイジメがあったし、顧問試合に勝つことしか言葉がなかった。

試合の日などでは、他の学校顧問は常に生徒を怒鳴ってた。頭ごなしに下手糞と怒鳴りつける。生徒は泣く。でも青春なんだと、上手な奴らは語っていた。この空間の何が楽しいんだろうと思った。上手な選手がいて、怒鳴るコーチがいて、あとは奴隷がいた。試合に勝つことが絶対で、失敗しないことが求められ、奴隷時間を潰すことに必死だ。奴隷は微塵も興味が無いバスケが上達するわけでもなく身体能力が上がるわけでもなく、雑用のためだけにいた。

バスケ部は僕の学校が誇る素晴らしい「伝統」の一つに数えられていた。上手な奴らは誇らしく、青春を感じていたのだろうか。伝統というものは、犠牲の元にあったことを知らなかったのだろうか。

その後、部活動は三年生の夏で終わり、受験勉強と塾で追われることになった。僕は勉強ができたので途端に楽しくなった。その後、受験が始まり僕は進学校に進み、できる奴らはスポーツ推薦、またはスポーツ推薦で落ち大金を払って私立校に進んだ。

何年かして、僕は大学に行き就職して今に至る。「上手な奴ら」の話は一切聞いたことはなかった。そりゃそうだろう、上手な集まりの中で高みに行くのはとても大変だ。しかも、バスケ野球サッカーほど良いスポーツではない。プロになったとしても食べていけるわけがないだろう。オリンピック日本の枠はない。上手になっても意味価値もないスポーツだ。

母と話をしていると自然と昔話をしていた。母親バスケ部は嫌だったらしい。そりゃそうだろう。休日早起きをして、何も活躍できない子供弁当を作ってたのだから。高い名前入りのジャージを買わされ、たまに車を走らせ、遠い学校施設子供を送り迎えにいってやったり。きっと、母親内でのカーストもあっただろう。僕が勉強ができなかったら、もしかしたら母親もイジめられていたかもしれない。

僕は半笑いで聞いていた。遠い昔のことだから、もうそんなに辛くはない。ただ、あの時の時間で何かもっと他の事をやっていれば、きっと楽しかったんだろうなあと思っていた。

その後、あの「上手な奴ら」の話になった。上手な奴らは高校卒業したあと、揃いも揃って地元で働いているそうだ。田舎なので大した仕事はない、それこそ工場とかしかない。できる奴らのリーダー工場で働いているらしい。朝の8時から夜の11時まで働き、体中を黒い油だらけにして帰ってくるらしい。給料も聞いたところ、手取りで15万円はいっていないそうだ。それをもう何年も続けているそうだ。

僕は母親との電話を切ったあと、ふと辛かった思い出をつらつらと思い出してみた。一日2時間半、週に12時間半、月に50時間。それが2年と半年、600時間をかける2.5して1500時間プラス月に2回ほど休日全日潰される。その時間を、僕がマックス有意義に使えたか微妙だが、とても貴重な時間に思えた。

僕は今、残業はあるとはいえ悪くない環境で働き、年齢で見て平均以上の年収を貰い、今のご時世にしては恵まれすぎている生活をしている。あの時の惨めさはもうないのだ。僕は今、立派で、幸せだ。ドリブルもできず笑われ、道具やボール試合に忘れて怒鳴られ、陰湿な嫌味を言われ続けたあの部活にいた僕は、上手な奴らより恵まれているのだ。

きっと上手な奴らは、僕と低いカースト時間を奪ってしまった罪を、たった今被っているのだ。僕が苦痛に感じていた時間を、自分の大好きなバスケに費やしてしまったことに対して、惨めな生活をして免罪しているのだ。そしてきっと、その工場は潰れフリーター生活になるだろう。昔を思い出しながら、惨めな生活を悔いるだろう。青春犠牲のもとにできていた。輝くためには燃料がいる。カーストの下の奴隷がいて、頂上へ高く登れ、そして輝くのだ。そして今、そのカーストはいなくなり、上手な奴らは地面で頂上にいたときのことを思い出しているのだろう。

別に僕はもうどうでもいいのだ、奴らとは赤の他人なのだから。でも、ああ、やった。苦痛が柔らいだと感じた。


つらつらと書いてしまったが、これで僕の黒い物が掃き出せたと思う。駄文失礼した。

もし、僕みたいな田舎暮らしていて、同じように部活動とかで惨めな思いをしている人がいたら、反発するべきだ。その代わり、何かに打ち込まなければならない。僕は勉強だった。勉強ができたから頑張ってこれた。

僕は、今の僕が決して良い大人ではないと思う。だけども、上手な奴らに加わらなくて本当に良かった。でもカーストの下にいたことは黒歴史だ。人生は難しい。

追記

コメント全て読ませて頂きました。ありがとうございます

自身スポーツ自体はとても良いことだと思う。中学生という成長期に、きちんと体と心を育てるのは素晴しい。ただ、「スポーツをしていればなんでもいい」という一辺倒であること、そしてそれを全力で応援してしまう大人、駒を無理やりでも勝たせたいと思ってしま顧問、これらは問題だと思う。夢を持つなら、それについてライフプランを立てさせるべきだし、駄目な場合が大きいということも教えなければならない。子供は、キラキラと夢を持って青春を演じさせて、大人を夢中にさせるものではない。青春ドラマ現実は違う。

特に顧問を兼ねる中学教師、彼らはスポーツ推薦で高校に入れてしまえばなんでも良いと思ってると思う。その後の事は何も考えてくれない。高校入学を完全にゴールとしてる。そうじゃなくって、きちんと大人への段階を考えさせ、一緒に相談してくれる中でなければならないと思う。今思うと、自分の実績を作るのが最優先だったんじゃないか。

それらが上手な奴らの可哀そうなところだと思う。

でも僕は同上しない。あの部活動は、僕らのカーストには何も施しはなかった。ただドリブルだけやらせて応援という声出しをさせて、徹底的に雑用に使う。何も育たなかったし、育ててくれなかった。僕らがバスケの初歩も分からない屑で、全く運動ができないせいもあるだろう。それなのに、何も指導もなかった。形だけの練習をさせて、問題にならない程度になったら、満足するまで自分たちを可愛がった。

イジメもあった。そこまで壮絶じゃなかったけどね、陰湿環境に四六時中いるから、どうしても弱いものイジメが発生する。死ぬほどではないけど、辛かったよ。それが2年半。全く無駄で辛い時間だったね。

色々トラバされてるので、適当に返信します。

所帯持ちだったらただの頼れるとーちゃんって感じがする

「頼れる」=「稼ぎがいい」 だ。 労働時間ばっかり長くてもな。

ちょっと勉強するだけで、ものすごく楽な環境に行けるのに、わざわざ底辺に行く奴ってマゾしか思えないよな。

よっぽど無能なんだと思う。

頼れるとーちゃんになっていればいいよね。その子供は良い人生をおくれますように。上手な奴ら、というより地元に残った組について僕は詳しくは知りません。ぱらぱらと、結婚したとか聞いたりはするけどね。

「上手な奴ら」がきちんとした大人になっているか、っていうのは、僕はそうにはなってないと思う。酷い言いかただけど、多かれ少なかれDQN化してるんじゃないかな、多分。奴らは無能でまともな生活じゃないと思う。

今日日の現実は、大学Fランだろうが最低限卒業しているのがあたり前で、ホワイトカラーが一般家庭の仕事だと思う。上手な奴らがバスケで成功していたらともかくして、工場なんかじゃなく一般企業に勤めて普通生活給料を貰っていたら、僕はまた嫉妬なり苦痛を覚えていただろうね。

余談になるけど、労働環境だったり、子供を育てる地域としては僕が地元を離れたときより確実に悪くはなっている。実家帰る度に思うけど、仕事も働けるところも目に見えて少なくなってきてるみたいだし、昔の風景不安になるような感じで変わってきている。パチンコ屋が増えたり、DQNが好きそうな店が増えたりね。

そもそも、その手のリーダータイプは途中で要領よく何かを見つけて他のことで儲けそうな気がする

どうだろう。リーダータイプはいたけど所詮田舎大将井の中の蛙からね。それに成功するにしても、また新たな惨めなカーストが生まれると思う。

特に名門という訳でもない田舎中学の中で「できる子」と言う程度なのにスポーツ推薦って有り得るの?

僕の小さな範囲しかないけど、ほとんどの公立私立高校であったよ。もちろん限られた数だけどね。高校に入って活躍できそうになくても、適当理由一定数は取るのでは。

バスケの上手下手を基準順位付けられ苦しんだ増田が、勉強ができるできない、収入の大小を基準に人を順位付け優越感を得ている。

収入は結果だけど、それまでの過程で優越を覚えてるよ。低いカーストの奴らを長期間いじめておいて、結局はスポーツ活躍できず、こういう惨めな境遇に落ちつく。

自分でも酷いと感じるけど、溜飲が下がったというか、なんかすっきりした。そのうちにどうにも思わなくなって忘れるだろうけど。

増田が主張したかったのはバスケより勉強ができる方がカースト上位にいくべきということだけか。

バスケがうまかった奴も勉強ができた増田も同じ。

カーストの上位を目指すのは別に主張したいことではなかったが、結局はそうなってたね。

ただ、僕は勉強という純然たる競争があって本当に良かったよ。あのカーストは、いじめ奴隷を育てる環境機能していたからね。良い競争と失敗したときの逃げ道、これが本当に必要ものだと思った。


とりとめのない返信で申し訳ない。脱線して、色々とぶれた事を書いてしまたかな。

2014-11-02

評価されない人生

今年で30歳になった。

人生を振り返ってみると、周りから評価されることが少なく、生きて行くのがとても辛い。


まり小学校

ミニバス所属していたが、プレイ中の姿を見たクラスメートが、「あいつ、下手くそだよ!」とクラスで言いふらしていた。

確かに僕は運動神経がとても悪かった。


小学校高学年の時、周りに一気に背丈を抜かれた。身長測定が終わった後、背の順番の並び替えを行うが、段々前の方に行く僕の姿を見て、クラスメートが歓喜した。

僕は成長が人より遅かった。


中学校の時、チン毛が生えていないことがバレて、「ガキだなっ笑」とバカにされた。

その後は「あいつ、殴りたくなるような顔をしているよな」と言われ、ジャイアンみたいなやつに殴られた。時期を同じくして、クラスメート全員が僕を無視をした。


周りを見返したくて、必死勉強した。その結果、地元北海道進学校入学することが出来た。彼女も出来た。その子は学年のマドンナだった。初めて人から認められた気がして、とても嬉しかった。だけど、彼女が「顔で選んでない」と友達に弁明しているのを人づてに聞いた。そんなの言われなくても分かっているよ。その日は泣いた。程なく彼女から別れを告げられた。


唯一得意だった勉強ダメになった。順位を低いことをバカにされ、自信をなくした。後は負のスパイラル浪人もしたが結局志望校合格は出来なかった。


顔も良くない、スポーツも出来ない、勉強も出来ない、そんな自分のことを知らない場所で生きたいと思い、北海道から離れた静岡県大学入学した。その時に「どんなに努力しても報われない」という思いが爆発した。何の取り柄もない自分がとても恥ずかしかった。授業にもでず家にこもっていたら、教授からゼミを辞めるよう言われた。謝罪して何とか残ることが出来たが、わだかまりは消えなかった。


就活も失敗した。面接に辿り着いても、面接から憐れみの目で見られてる気がした。スタンダードな受け答えさえも出来ていないと自覚していたからかもしれない。大学四年生の夏、あるERPパッケージ会社説明会を受けた。経営陣の考え方、会社ビジョンがとても素敵だったから、説明会が楽しみで仕方なかった。当日、ある経営陣が「この時期になって、今だに内定が出ていない学生なんていないと思うが••••」と言った。そうだよね。だけど、そんな学生だった僕はとても、傷ついた。その会社は筆記にも通らなかった。結局、12月東京ベンチャー企業就職が決まった。


一人一人が会社インパクトを与えられる可能性がある、それがベンチャー企業。そんな思いを旨にガムシャラに働いた。会社のために積極的発言した。会社から評価も上々だった。だけど、リーマンショックが全てを変えた。会社の業績はみるみる下がり、経営陣は従業員に不信感を抱くようになった。意見を言う者ではなく、意見に従う者を重宝するようになった。同時に社内イジメも横行した。景気が良かった時に意見を沢山言っていた僕はスケープゴートにされた。その姿が気に入らなかった直属の部長が発端だと、後から知った。当時は社長含めて、多くの従業員が僕の姿勢評価していたのに、たった一人に嫌われただけでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか、そう思った。やがて、毎日終電まで働いた残業代承認されず、人事評価ではすべての項目で最低ランク評価を下された。その後、自己都合退職という形で、リストラを言い渡された。


生きている意味が分からなくなった。もう諦めようと思ったが、一つだけケリをつけたいことがあった。それは受験勉強への思いだった。唯一得意だった勉強、だけど失敗した受験。「僕は何にも取り柄のない人間じゃないっ!」て周りに認めさせたかった。そこで憧れだったが挑戦に躊躇していた公認会計士試験を目指すことにした。


覚悟を決めたら後は走るだけ。朝から晩まで、休みなく1年半、勉強しまくった。努力が報われ、一発合格ができた。就職氷河期だったのに、大手監査法人就職も決まった。とても清々しかった。まるで自分人生とは思えなかった。だけど、一緒に未経験から受験を始めた仲間からの一報で、落ち込むことになった。「俺、7位でした笑」。あんなに勉強して1100位だった僕はやっぱりダメ人間なのかな。そう思って失意のなか入社式を迎えることとなった。


大量退職をした後の監査法人は、一気に人手不足になっていて、僕は仕事忙殺されることとなった。終電まで働くことが多く、休日も働いた。だがそんな僕の会社の3年目の評価は低かった。一番ショックだったのは2年目の評価と同一だったことだ。理由は明白だった。メインジョブ主任から評価がとても低いのからだ。結果をみてある思いが込み上げる。「僕は、人から評価されにくい」。


最近仕事にやる気が出ない。問題点は分かっているのに、改善するための行動が出来ない。

そして、生きていることに意味も感じられなくなった。だけど、30年も生きていると、10%くらいはいいことがあると分かってしまっている自分もいる。そのことを考えると、この先、生きていてどんないいこと出会えるだろうと期待してしまって、死ぬこともできない自分もいる。


だけど、朝起きると会社へいくのがとても辛い。

どうしようも出来ない、自分が情けない。

誰か僕を助けてください。

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141031174607

進学校部活も強いとかよくある話

脳がいいと体の動かし方もわかるんだろうね

つことでなんでも出来る人間となんにも出来ない人間がわかれるのは当然

2014-10-28

男のケースでは社会人デビューキモイ

D通とかH堂とか医者とかに顕著なんだけど、

進学校から東大慶応に頑張って合格して、

でも大学でもあんまりモテてなくて、派手な業界に参入できて。

会社名と芸能人つながりで、ようやく社会人になってから

女の子も何とか出来るようになった奴らが勘違いしてて、

遊び慣れてないのに、遊び慣れてる風(笑)で痛々しさ全開。

お前がモテてるんじゃなくて肩書モテるんだよ。気づけよw

http://anond.hatelabo.jp/20141027211246

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-10-23

教諭だけど高校でも40人と35人じゃ全然違う

はてなブックマーク - 財務省 35人学級を40人に戻すべき NHKニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20141023/k10015624931000.html

常勤講師時代を含め、全日制・下の上レベル40人、夜間定時制20人、全日底辺校35人と授業経験がある。教科は数学

もっと細かく言うと40人クラスから進学希望者の抜けた学習意欲の少ない30人とか、定時制の30人にTTで授業とか、底辺校35人のさらに習熟度下位の15人とか、内容は様々だ。学級自体の人数編成が違うのは都道府県をまたいでいるからだろう。


あなたは「いま勤務時間じゃねーのか」と突っ込むかもしれないが、年休である


先に断っておくが、ここに書くのは上記のような比較学力の低く様々な事情を抱えた生徒のいる高校についてである。小中学校や中堅以上の進学校ではまた別の問題があるのかもしれない。自分はまだ経験不足なので見たままのことしか話せない。


記事に対し「5人くらい変わらないだろう」ってコメントもあるけどまったくそんなことない。

まず環境説明だけど、だいたい教室の中には数人ほど、集中できていない様子の生徒や、机の下で携帯を触ろうとする生徒がちらほらいて、そんな彼らにすぐに注意・指導ができるように気を配りながら授業を行っている。そんな中には授業どころではない問題を抱える生徒も少なくない。なんというか高校生はい中学校4年生みたいな幼さの子もたくさんいて、友達同士でのいざこざで情緒不安定になり机に突っ伏し、起こすと泣き出して教室を出て行くなんてこともままある。

はてな高学歴諸氏にはイメージできないかもしれない。自分高校教員になって面食らったものだった。高校ってこんなに幼い集団で、教員がそこに介入していたかなと。

そしてそんな学校では授業時間であれ、教科の指導内容以上に生徒掌握が大事だ。まず勉強しようという姿勢がなければ授業はただの音声でしかないし、そういった部分からどんどん授業はほつれていく。

そんな中で授業をする上で、5人の違いというのは本当に大きい。そこには色々論点はあるだろうがシンプルな2点から言いたい。

まず教員側として、数人の違いで生徒へのケアの可動域ががらっと変わる。5人少ないだけでこちらの目はかなり行き届くようになるし生徒の反応もこちらに届きやすい。これは人数なんかで変わらんだろうとは言わせない。なら教壇に立ってみろ。

もう一つは生徒の様子の変化だ。特に持続的な集中力に欠ける生徒、情緒の安定しない生徒は、教室内の環境に大きな影響を受ける。

今なんてまさにその時期だが、例えば文化祭の準備でもめてクラス内に少し不穏な空気が流れると、関係のない授業中にも教室にいるのが辛くなって保健室に行く生徒がいたりする。それでもその生徒も習熟度別科目で教室内の人数が減ると教室に戻れたりするのである。他にも生活全般問題がありよく教員問題を起こす生徒も、35人の教室では授業を受けられなくても30人の教室では筆記用具を持って授業に取り組んでいたりするのだ。

そんな変化が、特に学力な生徒や、家庭環境不和を抱える生徒の多く集まるような学校では顕著に現れるのである

もちろん、だからといって人数が少ない方が生徒が受ける負担が減るとは限らないかもしれない。けれどそこに対しケアが行き届きやすくなるのならそちらの方がいいだろう。

以上。これはただのぼやきだが異動したい。ずっと学力の低い高校中学校数学から数学Ⅰ、就職試験対策算数をやってきたけど、そろそろもっと数学の話をしたい。

追伸

続き http://anond.hatelabo.jp/20141024203211

2014-10-10

なにこの

高校生の時の彼女の話。 

進学校ではあったが彼女のことをあまり賢いとは思ったことはなく、自分旧帝大合格したが彼女はやはり私立大学入学した。

そして遠距離となり、お互いの気持ちも離れていってしまった。

それから時が経って今は大学卒業を控えている。

自分が誰もが知っているインフラ企業に入るのに対して、彼女は超有名外資系内定を取ったみたい。

安定性を重視して就活をしたか外資なんてそもそも受けてないが、自分が大したことないと思っていた人間自分就職先より難関とされる企業に入るとなると負けた気分になる。

そして自分大学入学時に見切りを付けられたみたいに思えて非常に悔しい。

今後会うことはないと思うが、なんだかなあ。

たぶんこんなこと思う時点で自分のほうが程度が低いんだろうな。

自分には気付くことが出来なかったが、やっぱり彼女先見の明があったのだろう。

2014-09-22

自意識努力の外側での決着

世代の蓄積ってあるじゃない?

  ・一次産業従事する第一世代。(田舎のじーちゃんばーちゃん?)

  ・初めて都市圏に出てくる二世代目。(親父お袋ぐらい)

  ・↑を踏まえて学歴社会に挑戦する三世代目。(おれたちわたしたち)

こんな感じで世代の蓄積があって、世代ごとの色んな質の差が後の世代ゴリゴリしわ寄せて来て

おなじみの格差が生まれるという。


ただ、最近気づいたのが三世代目のトライ・アンド・エラーを、”もう一回”以上やってる層がいるってことだ。

(ごくごく上澄みをのぞいた)格差リセット戦後にあって、

早いサイクルで世代を回したり、段階をすっ飛ばし次世代投射してる層がいるみたいなのな。


高卒短大卒の教育ママによって非効率大学にブチ込まれた層や、地方都市進学校から勇ましく進学してきた層(だいたい3世代目)は、

この世代ぐるみの高周回層に歯が立たない。たった一世代の壁がとてつもなくでかい

もちろん例外もある、没落する例もある。

でもこの基調を前に、自分立ち位置自覚しようとしてみるとさ。


めっちゃ死にたひ...」

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