はてなキーワード: 自民党政治とは
某漫画家のツイートによれば、高遠るいの単行本は、初版発行部数が10万部を超えたことが無いという。
高遠るい自身の言によれば、自民党政治家に対する罵詈雑言ツイートは「自分の子供の未来のため」らしい。しかし、子供が大きくなって高遠るいのツイートを読んだならば「自分(高遠るいの子供)の未来を考えていたならば、罵詈雑言のツイートに熱中するより先に、親として他にすること有ったんじゃないの?」と思われるのではないだろうか。
批判対象者の目や耳に入らないように罵詈雑言をツイート。そのツイートを見つかって批判されたら、慌てて消して「言いたいことを言って満足したから消した」と意味不明な言い訳をツイート。そういう父親を見て子供は尊敬するだろうか。しないと思う。
赤松健に子供がいるかどうかは知らないが、仮にいたとしたら、妻子を養える程度には十分に漫画で稼いでいる。傍から見れば、高遠るいよりも、赤松健の方が人間的には立派に見える。夫として父親としての責任を果たしているから。
高遠るいは「自民党の政治が云々」と言うけど、自分の漫画家生活が上手く行っていないので、現実から逃避するために自民党政治家に対する罵詈雑言ツイートをしているだけなのだろう。自民党を罵倒すれば、ネット上ではお手軽に、同好の士からの注目や喝采を集められるから。原稿料が発生する商業誌に掲載する漫画とは違って、クオリティも求められないので努力も不要だから、漫画家としての才能が足りないという可能性に向き合わずに済むから。
面白くて売れる漫画を描いて、漫画家生活を安定させて、妻子の生活を支える。さもなくば売れない漫画家には見切りを付けて潔く廃業して、別の仕事を見つけて妻子の生活を保証して、父親・夫としての責任を果たした上で、自民党罵倒生活に勤しむ。
今回の衆院選で東京のとある選挙区の立憲民主党候補のボランティア支援をした。
数年に一回ただの紙っ切れに人の名前書くだけで国が変わるわけねーだろ、と最近思ったので少しでも政治に参加しようと思って立憲のホームページからボランティア登録して参加した。
そこで思ったことがいくつかある。
立憲の候補者は、基本的に「みなさん、自民党の○○がこう発言したことを知っていますか?」「安倍元総理が~と言いました。皆さん、これでいいんでしょうか」など、
特に聴衆に向かって言いたいことが思いつかなかった時に、英語のWell...やYou know..., のごとく「自民党は~」がつなぎ言葉にしてしまっている。
自民党、と最初に言うことでそこからすらすら連鎖反応的に言葉がつながっていって演説っぽい文章が口からでてくる、そんな印象を持った。
立憲民主党の候補者自体は、それぞれ個人個人色んなモチベーションがあって選挙に立候補しているわけだから、おそらく何も考えてないということはないと思う。
だけど、それにしても演説の度に「自民党」という言葉を使わないと演説にならない今の現状は明らかにおかしい。
これじゃまるで自民党がいなかったら自分達に存在意義が無いとでも言えるような状態だ。
もちろん、LGBTやワーキングプア問題、格差の問題など、自身が特に興味を持っている分野について訴えかけをしたいという本心はあるのだろう。
だけど、そういう個別の問題を駅前で訴えても、その問題の当事者以外は関心がないわけだからどうしても共通の関心ごとをテーマに演説を組み立てないと話を聞いてもらえない事情もあるのだろう。
それは理解できる。
それでも、「自民党」という言葉を使わなければ演説が成り立たない今の立憲民主党の現状は若干残念に思う。
維新を参考にしろ、とまでは言わないが、せめて国民の極一部ではなく大多数がこれは変えないといけない、と感じていることを掬い取って演説としてまとめられないものだろうか。
LGBTや、自民党政治では声を聞いてもらえないマイノリティの意見を私たちは聞きます!と演説でもよく言っているが、これはよくよく考えてみると、経済や外交、防衛等のメジャーな問題については自民党に言ってくれ、私たちはそういう問題ではないもっとマイノリティの少数派が抱える問題に対する意見を優先して聞く、ということだ。
立憲候補の辻立ち演説にも数回参加して話を聞いていたが、こうした印象はさらに補強された。
この態度が彼らの本心であるならば、むしろ今回の衆院選で立憲民主党は実は議席を余分に取りすぎているということになる。彼らは今回おおよそ衆議院の議席の1/5を獲得した。
だが、彼らが相手にしているLGBTや特殊な事情を持つマイノリティの数を考えたら、本来の適正議席数は衆議院議席の1/10に満たないのではないか。
国民の10%に満たないマイノリティの声を聞く政党、彼ら少数派の意見を国会に届ける政党が彼らの本分であるならば、彼らは自民党のライバル、最大野党になれるはずがない。
そういう意味で言えば、2大政党制を目指すのであれば自民党vs立憲民主党という構図にはなりえないと思う。マジョリティ政党vsマイノリティ政党などという構図が生まれる訳が無いからだ。
それでも1/5の議席を獲得したということは、それはつまり彼らが相手にしていない層からの票を自民党批判によって得たということだ。
マイノリティを重視する政党なのに、議席ではマジョリティを目指す。これはやはり構造的に矛盾している。
マイノリティ重視政党が議席でマジョリティを取りたいがために、自民党批判を繰り返すことによって、彼らが自身の党のターゲットとしていない層からの票をかさ増ししている、そう言われても仕方がないのではないか。
上にはつらつらと立憲民主党への批判を書きはしたが、立憲候補の選挙ボランティアを初めてやってみて、支援した候補には愛着というか、応援する気持ちは生まれた。
選挙ボランティアに参加するのも初めてだったし、最初は普段の生活では目にしないような濃い人たちがたくさんいて面白いかも、という好奇心が動機だったが、そういう意味では参加して良かったと思っている。
彼らの良いところを上げると、やはり他人に優しい人が多い点があげられる。自民党候補の演説と比較すると、自民党候補の場合は演説内容が若干攻撃的で危機感を煽り、いわゆる扇動するような印象が強かった。
そういう演説は傍から見ると心強くもあり、決意や覚悟を伺わせるものがある。こうしたことから基本的には自民党候補はエグゼクティブ、取締役クラスというイメージが強まる。
実際、立憲民主党候補と自民党候補の印象を眺めると、自民党候補の場合は会社員をやっていても役員クラス以上までのし上がりそうな我の強いタイプが多く、立憲民主党候補は組合員クラスというか、取締役にはいなさそうな人が多い、という印象になる。自民党候補のエグゼクティブ感は、正直言って洗練されていると感じた。やはり一定規模の組織で組織構造の上部にいるような人間はある程度のカリスマ性というか何等かのテクニックを持っているような印象だ。エグゼクティブ感のある強者をサポートしているジブン、取締役クラスの大物の子分であるオレ、というポジションは多くの小市民にとっては心地の良いものであるに違いない。
それとは異なり、立憲民主党候補は、言葉自体は強い言葉を使って批判したりすることは多いが、やはり「優しい」雰囲気がある。しかし、この雰囲気自体は私は非常に好きだと感じたし、こういう優しい人達がマジョリティである世界で生きていきたいと思う自分に気づいた。「取締役クラスの大物の子分であるオレ」というポジションとは異なり、他人に優しい、いわゆる弱い奴と舐められがちな候補を支援するジブンというのは人によっては受け入れられないだろうな、とも強く感じる。
学校生活で例えると、学年を牛耳っている大物がいるグループに入りたいか、そういう大物を批判して抵抗を続ける小グループに入って生活をしたいか、どちらを選ぶか、といった問題と共通すると思う。
その結果、後者のグループに入っても良いと考える国民の概数は1/5だったと考えると、なんとなくこの例えも的を遠く外しているわけではなさそうだとも感じる。
対案という言葉が流行しているので、建設的な意見も残しておきたい。
とにかく立憲民主党の議員と国民との接点をマスコミ以外の場で作ることが必要だ。現状大多数の一般国民にとって、国会議員というのはテレビでしか見ない存在だ。
だが選挙ボランティアに参加してみて思ったのは、国会議員も普通の人間、そこらへんの日本人と99.999%以上同じDNAを持った同種族のおじさんおばさんだということだ。
選挙演説では一方方向で候補者が自分の決意を流すだけだが、もし自分達の発言が直接議員に届く場があるならば、国民の選挙や政治に関する意識も私みたいに大きく変わる可能性が高い。
もちろん、そういう生の意見をフィルタリング無しに直接ぶつける機会を作るというのは、あらゆる意味で高いコストがかかるものだということは承知している。
想定外の質問にあたふたすることだってあるだろうし、個人的な怒りを個人情報織り交ぜてぶつけだすヤバい奴に絡まれる可能性だってある。
そうだとしても、タジタジになった姿を仮に見せることになったとしても、それでもそういう場を設けるべきだ。想定外の質問なんだから、痛いところを突かれることだってある。そうだとして、答えに窮するようなことになったとしても、
我々国民は国会議員という人間が遠い世界のアイドルではなく、我々と同じように高校や大学に通って同じ空気を吸って物事考えてきた人間だと実感することはできる。
彼らのエグゼクティブなイメージは、その偶像崇拝的なイメージ戦略によって支えられていることが多い。想定外の質問に窮する姿を支持者に絶対に見せられない大きな制約を抱えていると言ってもいい。
幸か不幸か、自民党議員と比較すると立憲民主党の議員には偶像崇拝的な「強い個人」というイメージが無い。これは長所と捉えて最大限活用すべきだ。
選挙ボランティアに参加してみて強く感じたのは、我々ボランティアは立憲民主党の議員達の目には名前も顔も知らないよく知らないおっさんおばさんとしてしか認識されていないんだな、ということだ。
ボランティアでビラを配ったりするのに使った時間は1日1~2時間程度だったが、いくら愛想よくビラを配ったり声掛けをしたりしても、通行人から悪態をつかれたり嫌な絡み方をされても基本は放置だった。
つまり良い仕事をしたら評価するという姿勢も無ければ、不慣れな仕事に対して指導やサポートをするといった体制が無い。
せっかくボランティアとして選挙のお手伝いをしに行ったのだが、正直これは何とかしてほしい。議員さんたちは議員さん達で話しかけられたり声を出したりするという自分の仕事があるのでそちらにある程度集中するのは
しょうがない。だけど議員はリーダーになるべき人物であるわけで、選挙ボランティアを集めておいて何の説明も無しにビラや立憲民主党のジャンパーを渡して、あとはいい感じによろしく、ではあまりにも仕事ができなさすぎる。まともな継続性のある組織であれば、新人がチームに入ってきたときは気持ちよく動いてもらえるよう丹念に説明をしてから仕事をしてもらうのが普通だ。この説明が無いと、新人はてんでんばらばらな仕事の理解のまま、組織の活動としてやっているのに個人の責任で活動することになってしまい、まともな組織にならない。
加えて気になったのは、ボランティアの数名が議員に名刺を渡していたことだ。つまりもしかしたら議員側の人達はボランティアというのはボランティアがコネ作りのために下心をもってやってきているのであって、議員に気をかけて欲しかったら自分達が議員になるためにしてきたように秘書として仕事をしたり無償ボランティアで名刺渡して顔を売って仲間に入れてもらえるようにそっちで努力しろ、と暗に思っているのかもしれないと感じた。
彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし(※訂正あり。文末参照)、次回のボランティアもお手伝いお願いします!と言うことすらなかった。
特に選挙最終日の日の最後の練り歩きで、次回のボランティアについても協力をお願いするのでもなく、なあなあで自然解散して締めの挨拶すら無かった点は、政党活動を市民ボランティアから拡大していこうと日頃から口にしている態度とは大きく矛盾していると感じる。
これに関しては悪意があるというわけではなく、自分のことで精一杯でボランティアや他の重要でないスタッフに気をかける余裕が無かったのだと思う。しかしそれはそれで政党という一組織を作り上げる能力に少し欠けていると評価せざるをえない。せっかく支援しに来てくれている10人程度のボランティアすらまともに組織化できない国会議員が、どうやって政府与党になって何十万人もの官僚が属する組織を作り変えることができるんだ。
現在の立憲民主党は、サポートを言明している有権者の1/10にも満たないマイノリティ層+自民批判の浮動票という形で議席を獲得している。
立憲民主党が明日からでもやらなければいけないことは、この浮動票を順次立憲民主党の固定票へと変換していくことだ。そのためには、前者の特定マイノリティ層との対話だけを繰り返すのではなく、浮動票を立憲民主党に投票してくれたマス層に対して、党員になってもらうよう日頃から呼びかける活動をもっと積極的に行わなければならない。
そのためには外交や経済、国防についてのメジャーな政策についてだって国民一人一人と意見交換しなければならないが、立憲民主党がもしまだ少しでも与党として日本を率いていきたいと願う気持ちがあるのであれば、ぜひそうしてほしい。もし立憲民主党の議員が特定の少数団体の意見のみを重視しマス層の国民の意見を軽視するというのであれば、それは自民党に陳情した方がよっぽど自分達の意見が国政に反映されることになるので、俺は支持することはできない。
ビラ配り、練り歩き時に通行人のおっさんから「お前、立憲民主党の奴なのか?だったらもっと大きい声出してちゃんとやんなきゃダメじゃない。こんなんだから民主党はダメなんだ」と言われたことが強く記憶に残っている。
いや、俺は別に立憲民主党の党員でも支持者でもない通りすがりのただのボランティアなんだわ。お前はただ街に出て候補者にしょーもねーヤジ飛ばして投票するだけで終わりなんだろ?こっちは投票程度じゃ大して意味ねーと思ってるからこうやって政治活動にあくまで無報酬のボランティアで手伝いしにきてるんだわ。なんで自分では政治活動全然しない奴が無給ボランティアで政治参加してる俺らに高圧的に出るわけ?
「民主党はちゃんとやれよ」じゃねーんだわ。そう思うんならお前もなんか手伝えや。なんか、俺は税金払ってるお客様、お前らは俺らの税金で飯食ってる株式会社立憲民主党の社員、って勘違いして図に乗ってるオッサンに腹が立ってしょうがない。
お前は、アホか。
この件に関してもっと長文で思いの丈を吐き出してスッキリしたいのだが、本当に長くなりそうなのでここらへんでやめておく。
「彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし」
この部分だが、これは「ボランティアに来てやってるんだからもっとありがたく思ってほしい」という私の主観、エゴが少なからず含まれている。
この部分に関して、立憲候補者側の落ち度のように書いてしまった点は訂正するとともに謝罪したい。
選挙当日の焦燥感や最後の一押しといった高揚感の中で最優先で気を配る相手は聴衆・通行人であって、ボランティアを最優先で丁重に扱うべきという主張は後から考えると書きすぎだった。
また候補者側のスタッフからは感謝の意は受け取っており、「感謝がない」というのは誇張でした。大変申し訳ございません。
どこか別の機会にまとめようと思うが、政党政治である日本の国会で選択すべき政党というのは、イデオロギーではなく「システムの優秀さ」なのではないかと考えつつある。
システムとは、国民が自分の意見を国政に反映するための組織体制、仕組みだ。そういう意味では、日本中から批判にさらされた自民党の二階元幹事長の構築した「陳情」という仕組みは
日本の国政史上かなり高いレベルで有権者(一部の、だが)の利益を実現する仕組みだったかもしれないと感じつつある。(具体的な検証はしていないので、誤りかもしれない)
小選挙区はまあ消去法で吉田はるみ。自民以外で刺せそうなの立憲だけだし
共産もポルノ(絵)規制するとか言い出したし、比例区はれいわに入れておいた
れいわは能力わかんないけど、言ってることだけはまともだからな
れいわも対立候補やめて野党議席作るのに貢献したわけだし、れいわ入れて多分よかったと思う
共産もポルノ(絵)規制するとかいう意味わかんないこと言い出さなきゃ、比例入れてたけどな。方針どうするのか次回に期待だな
石原さん落ちちゃったみたいだな。まあここ数年の自民党政治が国民の生活を形作ってるのでな
自民政治もベースアップとか全く仕事してないってわけじゃないけど、格差拡大の歯止めには弱い
安倍のマスクとか、コロナ躍進の第五波を推し進めたコロリンピックして勲章もらたりとか、混迷を極めすぎたしな
10万給付も、野党が騒がなかったら、お肉券とかアホなことやろうとしてたし。あ、あとGoToで第三波引き起こしたりもしてたな
日本共産党最終応援演説(2020年10月30日午後7時~新宿駅西口)書き起こし その2
みなさんこんばんは
今、新宿西口をご通行中の皆さん、その中でもしまだ投票に行っていない方、
あるいはまだ投票先を決めていない方がおられましたら、5分だけ、私の話を聞いてみてください。
大学と大学院に行って、勉強して、お金がないから奨学金を借りた
それは事実上の借金だった、将来のために一生懸命勉強したら、借金ができた。
こんな状況にあるのは僕だけではありません。
多くの学生が勉強するために借金をしなければならない状況が日本にはあります。
不幸自慢をしたいわけではないんです。誰かを責めたいわけでもない。
変えたいんです。未来のために今変えたいんです。そして政治の力を使えば変えることができるんです。
日本共産党は学費をいますぐ半額にする給付型奨学金を大幅に増やす、
そして入学金という制度をなくす、こういった具体的な提案を、しかもしっかりと財源の裏付けをもって提案してくれています。
未来を担うのは若者だ、そういうのであれば、政治はもっと若者の方を見るべきではないですか。
若者が投票に行かないから、つまり票にならないから、若者のための政治は行われない。損かもしれない。
社会をよりよくするために働くのが政治家じゃないですか。票にならないから若者のための政治をしない。
でも日本共産党はいち早く、そして粘り強く国会で取り上げ、若者の声を政治に届けてきた政党です。
自分たちの保身のためではなく、本当に政治を動かそうとして、がんばってきた政党です。
だからこそ日本共産党の議席が増えなければいけない、そう思います。
大金持ちになりたいなんて言ってないんです。
ただ当たり前に、普通に生きていきたいだけなんです。わがままですか。
高望みですか。みんな毎日毎日がんばって働いて学校行って、もう十分がんばってるじゃないですか。
それでも貧困も格差もジェンダー不平等はなくならない、気候変動は止まらない、
なぜか。今の自民党政治が問題に向き合わないからじゃないですか。
毎日毎日みんながんばっている、あと少しだけがんばってみませんか。
僕も今日、ちょっとがんばってここで話してみました。投票は5分で終わります。
それが政治を動かして社会を変える、あなたの暮らしを今よりもずっと良くするからです。
今回の総選挙、僕は比例は日本共産党に入れようと思います。ありがとうございました。
こんばんは。私は物書きで、都内で女性たちと会社を経営している北原みのりといいます。
私、今日ここには、本当に共産党の議員にひとりでも多く国政に行ってほしいという思いできました。
共産党いなかったらどうなってたんだろうって思うことがコロナ禍で本当に多くなかったですか。
一番最初に東京五輪の中止を訴えてくれた、PCR検査の無料を訴えてくれた。
そういう共産党の存在が本当に大きかったのではないかと思います。
それに、さっき、なんか身を切る改革をっていってる政党の聞いてましたけど、
私は本当に共産党のいない国会いならないように、もっと増えるように願ってます。
もうひとつ、私が共産党を応援するのは、ジェンダー平等への本気度です。
ジェンダー、そんなの政治の中心課題じゃない、安全保障だ経済だ、そういう声ありましたけれどもコロナ禍で何が見えたでしょうか。
明らかになったのは、この国の半分の女性たちが絶望の淵に立たされながら生きていることです。
自殺する女性本当に増えました。非正規の女性たちが仕事を失って、あっという間に家を失いました。
安全な国じゃないということが分かったんです。
私は仕事を通して、たくさんの女性があきらめる姿を見てきました。
寝ずに勉強してきて医学部を受けた女性が、女性だからという理由で、一律点数を減点されて落とされていた。
性被害を受けても信じてもらえないんじゃないか、お金のために行ってるんじゃないか、何か裏があるんじゃないかと言って
どうせ信じてもらえないだろうと思って、黙ってくる女性たちを見てきました。
中絶の費用が払えず、たったひとりで出産して、遺棄して、逮捕された女の子、今年何人いましたか。
ベトナム人の実習生、パスポート取り上げられて、出産妊娠したら国に帰すぞと脅されて、
仕方なく一人で産んで、死産して逮捕された方、何人いましたか。
もう本当にひどい国になっていると思うんです。
自民党の方々、女性を輝かせると言い続けてきました。ただ安く使って、働けば働くほど貧しくなる、
こんな国に誰がしたんですか、自民党じゃないですか。女性の6割が非正規です。非正規労働の7割が女性です。
こんなことどうして、このまま続けられるんですか。
そういう中で去年11月にバス停で殺された渋谷の女性いらっしゃいましたよね。
60代で、女性が撲殺された、若いときに夢をもって上京して、結婚してDVで離婚して、
そしたら、正社員で就職できなくて、パート転々として、コロナ禍で、仕事を失ったらすぐにホームレスになって殺される、
そんなことが現実に起きてしまったわけですよね。もうこんなのやめたいんです。
私はフラワーデモで、2019年に性暴力に抗議する声を立ち上げました。
その中で一番熱心に通ってきてくださったのが、志位さんを始め、共産党の方々です。
志位さんすごい大きな体なのに、大泣きして、じっと座って、多くの女性のMeTooの声をきいてきてくれました。
自民党の総理大臣、青い小さなノートで声を聴いてきたって言ってますけど、
10年間であんな小さいノート30冊なんて少ないじゃないですか。
冗談じゃないですよ。本当に声を聴いて助けてきたのはどこの政党ですか。共産党ですよ。
やっぱり諦めてはいけないんですよ。
2019年に声をあげて、今年9月に一審の無罪判決が確定してしまった裁判の結果以外、
フラワーデモが声をあげた裁判の3件は全部有罪が確定しました。
すごいことだと思います。それは女性たちが声をあげて変えられたんです
だからあきらめちゃいけないってことを、本当に多くのMeTooの声で、私自身が学んできました。
だからこそジェンダー平等をきちんと政党の政策の中心課題に掲げる共産党が国政に一人でも多くいることが、
私たちの安全になるんです。なので、比例の共産党を一人でも多く国政に行ってもらいましょう。
明日の夜、楽しい気持ちで寝られるように、投票行って共産党の議員に国会に行ってもらいましょう。
がんばりましょう。ありがとうございました。
さらにタレントでソフトウェアエンジニアの池澤あやかからは「ここ数日、表現の自由と児童ポルノ規制に関する話題で日本共産党が炎上していたが、主張に矛盾はないのか」との質問が出た。
吉良氏は「矛盾はない。ジェンダー政策の部分で言っているのは、子どもに対する性暴力は絶対許さないということだ。児童ポルノも子どもへの性暴力だから許されないということだ。ただし、児童ポルノという言葉を使った表現規制ということに対しては明確に否定している。表現の自由を守り抜くのは当然だし、児童ポルノを無くせば子どもへの性暴力も無くなるという話ではない。どう解決していくかはクリエイターも含めて国民的に議論していくべきだ。具体的には、子どもたちや一般の人たちの目に触れないような場所に置くゾーニングというやり方もあると思うし、“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」と答えた。
氏の見解が共産党の見解と一致しているのであれば、共産党は実在しない青少年を対象にした二次元ポルノも「児童ポルノ」であると素朴に定義しており、ゾーニング(実際に一部の例外を除けば既に大部分の店舗や商業施設では18禁コンテンツのゾーニングは完了していると思うが)や、児童ポルノはマズイよね(実在の児童を対象にした児童ポルノなら当然であるのだが)、儲からないよね(これがよくわからない、その手の漫画やアニメのニーズを欲求ベースで消滅させる=その手段に民主主義的な合意形成を用いるということなのか?どうやって?)という合意(これ本質的には合意というよりも市場)が形成されることによって、児童ポルノクリエイターの自然消滅を企図している様子だ――このマニフェストを俺は【児童ポルノ自然消滅計画】と仮称したい
【児童ポルノ自然消滅計画】、字面だけ見れば素晴らしい計画の様に思われるあたり皮肉が効いててええじゃないか
俺は震えた、なぜなら俺の命とは陽と血と詩と「さよならを教えて」によって満たされた器に他ならないからだ
この共産党の見解に基づけば、「さよならを教えて」は確実に児童ポルノとして認定され【児童ポルノ自然消滅計画】による滅殺対象にされてしまうではないか
俺にとって「さよならを教えて」は人生のバイブルだ、信仰の対象だ、憲法第20条だ
俺にとって共産党は確かな野党だ、国政の安全装置だ、憲法第25条だ
俺は迷っている、選挙権を獲得して以来常に比例は共産、小選挙区は立憲民主党に投じてきた
俺は第二次安倍帝政以降の自民党政治が嫌いだ、そして資本家も投資家も嫌いだ、ぶっちゃけ資本主義が嫌いだ、ヨハンモストによって物されマルクスが改訂した「資本と労働」を読んで以来俺の自意識は真っ赤に燃えている
だが共産党は今回の選挙において野党第一党である立憲民主党とその他の泡沫政党と協力して候補者を一本化し、政権交代の果ての果てに【児童ポルノ自然消滅計画】の実行という青写真を描いているんだ
俺にとって「さよならを教えて」は共産主義者にとってのマルクスの「資本論」、マルクス&エンゲルスの「共産党宣言」と同等以上のバイブルなんだ
俺の世界にとって「さよならを教えて」は日本共産党よりもよっぽど世界の真相なんだ
日本共産党がもし本当に「さよならを教えて」を児童ポルノ認定するような政党であるというなら、俺は今回の選挙、共産党に「さよなら」を告げざるをえない
= 回答ここから =
A.01:拒否します。自分の支持する政党や政治家を公的な場においてカミングアウトするか否かは、自発的意思によってなされるべきだと私は思うからです。もしも、自民党の回し者に違いないという一方的な決めつけが無ければ、私も私の投票先を告白せずに済みました。本来は不要であった労力を割くようにと、私は強いられたのです。関東大震災発生当時、自警団を名乗る人間たちが彼らの目に怪しく見えた通行人に対して「十五円五十銭」と言ってみろと迫ったそうですが、貴方の振る舞いと自警団の行動の間には、果たしてどれ程の差異が有るのでしょうか?
A.02:私や他の誰かが野党を批判した場合、それが「単なる野党叩き」なのか、それとも「正当な野党批判」なのかを判定する能力や権限を、貴方はお持ちなのでしょうか?野党の支持者でない人間には、野党を批判する権利が付与されないのでしょうか?では貴方は、貴方が自民党支持者ではないという理由で、自民党に対する批判を控えていらっしゃるのでしょうか?
Q.03:なんで現在進行形でクソが展開されていることをスルーしてifの話に夢中になってるの?(原文ママ)
A.03:貴方の書き方が曖昧なので、何について仰られているのか分かりにくいのですが、おそらく自民党政治に対する批判を私がしていないものと貴方が考えておられるのだろうと推測・仮定した上で答えます。何を根拠にして貴方は、私が自民党の問題をスルーしていると決めつけられたのですか?はてな匿名ダイアリーだけに限っても、数々の自民党を批判する投稿が有るはずですが、それらが私によって書かれた可能性は考えなかったのですか?あるいは、はてな以外の場で自民党を批判していると、貴方は考えなかったのですか?
Q.04:俺は立憲信者でもない。
A.04:そんなことを、私は少しも貴方に対して質問してはいません(嘘だと思うならば、私の書いた文章を読み返して下さい)。私と同じく貴方も、投票先を告白しなくて結構です。貴方が自民党に対して(それ以外の、どの政党や政治家に対しても)行なう批判は、貴方が支持する政党や政治家が何れであるかに関係なく、権利として守られるべきであり、批判への反論は批判の内容それ自体に対して行われるべきだと私は思います。
= 回答ここまで =
= 回答ここから =
A.01:拒否します。自分の支持する政党や政治家を公的な場においてカミングアウトするか否かは、自発的意思によってなされるべきだと私は思うからです。もしも、自民党の回し者に違いないという一方的な決めつけが無ければ、私も私の投票先を告白せずに済みました。本来は不要であった労力を割くようにと、私は強いられたのです。関東大震災発生当時、自警団を名乗る人間たちが彼らの目に怪しく見えた通行人に対して「十五円五十銭」と言ってみろと迫ったそうですが、貴方の振る舞いと自警団の行動の間には、果たしてどれ程の差異が有るのでしょうか?
A.02:私や他の誰かが野党を批判した場合、それが「単なる野党叩き」なのか、それとも「正当な野党批判」なのかを判定する能力や権限を、貴方はお持ちなのでしょうか?野党の支持者でない人間には、野党を批判する権利が付与されないのでしょうか?では貴方は、貴方が自民党支持者ではないという理由で、自民党に対する批判を控えていらっしゃるのでしょうか?
Q.03:なんで現在進行形でクソが展開されていることをスルーしてifの話に夢中になってるの?(原文ママ)
A.03:貴方の書き方が曖昧なので、何について仰られているのか分かりにくいのですが、おそらく自民党政治に対する批判を私がしていないものと貴方が考えておられるのだろうと推測・仮定した上で答えます。何を根拠にして貴方は、私が自民党の問題をスルーしていると決めつけられたのですか?はてな匿名ダイアリーだけに限っても、数々の自民党を批判する投稿が有るはずですが、それらが私によって書かれた可能性は考えなかったのですか?あるいは、はてな以外の場で自民党を批判していると、貴方は考えなかったのですか?
Q.04:俺は立憲信者でもない。
A.04:そんなことを、私は少しも貴方に対して質問してはいません(嘘だと思うならば、私の書いた文章を読み返して下さい)。私と同じく貴方も、投票先を告白しなくて結構です。貴方が自民党に対して(それ以外の、どの政党や政治家に対しても)行なう批判は、貴方が支持する政党や政治家が何れであるかに関係なく、権利として守られるべきであり、批判への反論は批判の内容それ自体に対して行われるべきだと私は思います。
= 回答ここまで =
はてブのコメントでは「小出しにすることで注目を集めているから成功」と言われているが、果たして本当にそうなのだろうか?
小出し戦術によって注目を何度も集めたとしても、その度に「経済政策やコロナ対策の優先度が低い」と誤解されたとしたら、むしろ逆効果のように私には思える。情報発信の第1弾の時には「政権を獲ったら直ぐに出来ることを述べただけだ。経済政策やコロナ対策は、これから」と言われていたが、第2弾でコレでは、もう有権者の失望感を高めるだけなのではないか?
こういう意見を述べても、最近では自民党の回し者扱いされる。おそらく、戦時中の日本で、戦略の誤りを指摘した人たちを非国民扱いして押し潰した時も、こんな感じだったのだろう。
自民党政治を批判している人たちが、旧日本軍レベルの精神論で勝てると信じているのは、情け無い話である。
【追記】(1)私は二十年ぐらい自民党には投票していません。新自由主義に反対しているからです。自民党政治に対するNOの意思表示のために、私は(支持者ではありませんが)共産党に投票しています。(2)野党を育てることイコール野党への批判を控えることとは、私には思えません。まっとうな野党を育てるためにこそ、批判は必要であると思います。
反発して「デマ」とか「怪文書」とか書いてる人はどの部分についてフェイクと考えているのだろう。
これらはリンク貼ってソース提示してるし「文化状況」の説明の時系列や評価が間違ってるならそれを指摘すればいい。
元増田の話の肝はリベラル系の米民主党女性議員の下で働いていた経歴を封印していたって点だから、封印してない!公開してる!日本版Wikipediaにも書いてあるし!って反論したくてフェイクと言ってる?
確かに元増田も「封印」と評価した内容は詳述してないが(いついつの経歴には米民主党の名前が書かれてなかったみたいな「封印」の具体例がほしいね。又聞きなら元ネタのソース)
またはCNNキャスターを務めたなんてソースないから嘘だ!と言いたいのか?いや元増田が書いてるのはCNNじゃなくてCNNデイウォッチだぞ。CNNデイウォッチは1980年代末のテレ朝の深夜番組で自民党政治家の武見敬三がキャスターを務めていた番組だ。Wikipediaの主な出演者情報には高市早苗の名前はないが名前の出てない出演者は大勢いる。フランス革命200周年のレポートの話なんかは元増田の記憶やメモを元に書いてるんだろう。(高市早苗は同時期にテレ朝のプレステージ水曜枠にも出演していて蓮舫なんかと同じで当時のテレ朝深夜枠の文化人常連だったみたい)
あとは「自民党支持者や党内部のこんな力学や事情があって~」という政治系記事でよく解説されているような一般的な話だから別に怪文書でも何でもない。
刺客って誰さ
②と③は安倍・細田派というより二階派中心の策動かな。宏池会=現岸田派が他派閥の切り崩しに遭いまくってるのは確か。「政策通だが政争に弱いお公家集団」とよく評されるが、二階や菅など政争の得意な政治家達にこの弱点をいいように突かれてズルズルと弱体化している印象がある。
昔は宏池会系は保守本流、清和会系は保守傍流と言われてたんだけど、森喜朗以後は保守傍流が主流派をジャックした感じ。総理総裁が以前よりはるかに強大な人事権を掌握したことで、一度総理総裁になると、閣僚ポストも小選挙区と比例代表区の党公認候補指名も、ぜんぶ総理総裁がやれる(≒自派閥・連携派閥を永続的に有利に出来る)というかなりチートっぽいシステムに変わってしまったので、「派閥同士の合従連衡しだいで、弱小派閥からでも総理総裁が出る」という昔の自民党政治のダイナミクス(いわゆる擬似的政権交代)はほとんど機能しなくなっている。革命ルールをなくした大富豪みたいなもの。
前半:https://anond.hatelabo.jp/20210702175345
このキャンペーンに非主流派の自民党政治家が食いついた。で、この人達って自民党議員なのに自民党がやってきた事全然知らないのね。「戦後レジームの否定」とかに簡単に乗ってしまう。自民党って戦後の政党で自民党史=戦後政治史なのにそれを否定して平気だしそれでカルト的人気取りをする。また実務力が無い。
対馬で名を上げようとしたのは山谷えり子だが、彼女の出身は民社党だ。これは社会党のスピンオフ政党である。その後は民主党に移り自民党入りした。やはり党プロパーじゃない。
実務家だが省益に捉われていた族議員は郵政選挙などでパージされてしまい、この手の非実務家ポピュリストやカルト政治家が党を乗っ取ってしまったようである。そこで法制局と人事局掌握したらそりゃこういう法律出来るよねとしか。
因みに提出主管庁は内閣官房である。またあそこだ。この政権交代がもし起きたら何人自殺して何人逮捕されるか判らない省庁提出というのが実に非実務家の手先という感じでなんともなという感じである。法務省や国土交通省主管だと思ってる人は目を覚ませ。
アルファブロガーが流行りだった頃、『地政学を英国で学んだ』を推薦してブームの火付け役をしたのが隊長だ。
戦後、地政学は大学からは排除された。GHQの介入もある。だが復活しなかったのは戦後日本が貿易立国となったからでありまた地政学とそこに連なるドイツ国法学が国を滅ぼしたからだ。戦後は米国の軍事力の庇護の下で経済に邁進する事を選んだ。
90年代にも地政学を持ち上げる動きはあった(西部傘下の福田和也など)がこれはそういう経緯で反米の意図を纏っていた。ノーと言える日本、父の庇護から独り立ちする日本。ここには経済至上で濃密さを失った社会への反発も含まれていた。敗戦でアメリカニズムと戦後的価値に飲まれて消えた地政学をあえて援用することのカッコよさ、という文脈があった。
西部読者でエドマンドバーグに影響を受けていた隊長が『地政学を英国で学んだ』を推薦した背景にはこういう文脈があった。
一方、経済成長後現在に至るまで日本での国際関係の常識の中心は国際経済だ。本屋の就職コーナーにある一般常識本が示すのも同じだ。
現在、地政学というのはこの常識である国際経済の対抗概念になっている。というか地政学と言いたがる人というのは国際経済に完全に無知だ。TPP問題では急に吹き上がるが自民党が批准を選択すると火は消えてしまう。解釈を変えると事実が変わってしまう世界線なのだ。国際経済という情況に足をつけていない。
こっちの地政学のほうが知的コストは少ない。踏まえるべきことが極端に少なく済むからだ。隊長は以前「経済は踏まえなければならぬ事が多く放言できない」と政治廚を批判してた事があるのだが、今の地政学ブームのトホホさはどう考えているのだろう?
そしてこの
外国人による悪意の経済活動が安全保障の妨げになる事を予防したいのだろう?だったら何故立法事実を積み上げる事に情熱が無いのか?立法事実を積み上げられる省庁に仕事を投げないのか?犯罪の手先をやってくれる便利屋の内閣府にやらせてるのか?何年先を見据えて立法しているのか?
大臣の権限を代行する官僚組織が自律して運用される姿を考えているのか?そうではなくWILLや産経の日本危ないキャンペーン記事しか読まない総理大臣が外国人の不穏な動きに睨みを利かして官僚にカッコよく指示する姿を想像しているのではないか?内閣府主管なのはそのせいではないのか?
前段の「地政学議員」の消費コンテンツだからTPPとの抵触なんて考えないし先進国の常識、つまりはっきりした具体的事象無しに外国人嫌いの雰囲気で規制立法なんて許されないって事も踏まえてない。
「地政学議員」の消費コンテンツ故に先進国の立場に挟まれた狭い道の中で法の範囲を示すという常識から演繹出来ない。
その結果外国人の行為という条件を落とさざるを得なくなった。なのに応援団はその法律で外国人への規制がなされると当たり前に思っている。
こういう風に常識も参照すべき経験も持ち合わせない非実務家議員が国際関係や安全保障分野で跋扈するようになったのは地政学ブームが原因なんじゃないですかね?アニメ批判者は反日とかリニア反対する静岡県は中国の手先とか言ってるボーダーと何が違うんですかね?
最後にもう一発だが、
土地取引・登記変更にあたってきちんとデジタル化を進め、必要となれば重要拠点の周辺だけでなくすべての国土において「この土地は誰の持ち物か」が分かる仕組みを導入しなければ駄目でしょう。
デジタル化についてはもう指摘した。
この土地は誰の持ち物かが分かる仕組み
この辺で感じるのは、隊長、持分とか理解してないんじゃないか?
一つの不動産登記を一筆っていうが、一筆の所有者は一人だけじゃない。共有が可能でそれで登記も出来る(持分登記)。
共有の場合は○○雄 持分3/8、△△子 持分2/8…って感じで書かれる。そして相続の場合は所有者死亡の時点で法定相続人に持分で分割されて所有権が相続されていると仮定される。後に家族会議して持分が法定通りで良ければそのまま相続登記してその持分が確定する。でも相続登記しなくても法的には持分で所有権は移っているから相続税の督促も固定資産税の督促も来る。
この持分は売却も可能でその場合は持分の名前が変更されて登記される。
基本的に相続は放っておくと法定相続されて共有者は増えていくから大きい農家とか山林とかは共有者大変な人数よ。建物の処分や土地の売却は共有者全員の実印が無いと出来ないから大変だ。中には行方不明の人もいるから裁判所で公示する必要も出てくる。
一坪地主っていうのがあるけど、あれって一坪ずつ登記してるんじゃないよ。持分で登記してある。一坪地主は強制執行困難にするためにやるのだからそれが難しい方がいい。
持分持ってる人が全員揃わないと全体の所有権は移転できないのだからこんな大変なことはない。だから成田の三里塚などは事件から半世紀が経って居るから一坪地主も鬼籍に入り親族に相続されている。持分が更に細分化されているわけだ。現在の一坪地主は自分が成田の土地持ってる事を知らない人ばかりだろう。持分1/733とかになってるはず。
だから成田の土地問題はもう国に抵抗する地主の説得より全く事情を知らない地主を探し出して持分の移転登記をお願いするという段階になってると思われる。実印も持ってない人が多い事だろう。
隊長に戻るけど
この法が市町村に地主情報提供させるって建付けなのにこの文章書いてるって事は、法文読んでないか、固定資産税の仕組み理解してないからピンと来なかったって事だよな。
市町村は登記変更されてなくても相続人と持分は把握してる。そうしないと徴税出来ないからね。
でも市町村は徴税できればいいので、共有者のうちメインで土地利用する人が固定資産税払ってくれてたら他の共有者の事は知らないけど。だから税額が安くて持分が小さい相続一坪地主の事なんかは多分把握してない。
そうなると市町村に地主情報出させるっていうこの法律の効果も疑問が出る。税金払ってくれてたら他の共有者の居場所とか把握してないから。この法律は自衛隊基地とか離島とか米軍基地とかに隣接する土地をターゲットにしてるんだから会社所有地じゃなくて相続された山林、農地がメインで持分問題はバリバリ出てくる。
その辺も詰めが甘い。やはり実務家による立法ではない。
しかし隊長不動産取引経験ない訳ないとは思うが内容の純朴さに驚いた。不動産情報=登記だけってイメージとか物件所有してたらならないんだけどねぇ。
登記デジタル化とか土地所有者の把握の必要とかそれっぽい事書けば自分の読者はよく分からず支持してくれると思ってるのな。登記所や都税事務所に一回でも行けば何言ってるの?って内容なんだぜこれら。地政学不動産評論と名前付けてもいい。これもう読者が佐々木俊尚と被ってるって事じゃん。
セキスイの地面師の事も持ち出してるが地面師っていうのは地主の振りして相手方を騙して他人の土地を売ったふりして、司法書士役が「では法務局に行って参ります」電話で「無事受理されました。登記識別情報は後ほどお持ちします」ってやる手口。セキスイの件では結局登記できないから所有権が移転されないの。これ「デジタル化」(されてるが)で防げるの?寧ろ取引銀行必ず通せ、相手方銀行に挨拶がてら確認しろ、近所で売主の聞き込み面通ししろっていうアナログの話では?しかも外国人の土地取得とはまるで関係が無い。
これらの事をおかしいと思ってないのか隊長。マジか。私はプロじゃなく「取引歴がある」程度の経験だが不動産取引なんてしくじったら死ぬ事なので当然これらの事は常識として頭に入っている。この辺にも非実務家が妄想政治活動してても気にならずに応援擁護出来るという土壌があると思われる。
これで安全保障なんて軽々しく言わないで欲しい。それはしくじったら死ぬ事の代表例だ。
以後反省して妄想野郎が地政学なんて口にしながら安全保障を語ったら「その言葉のコストはこの拳より重い」と言いながら殴り倒す活動に全力を注いで余生を捧げて欲しい。私が今オヤジ狩りしているように。
ビリー・アイリッシュが、過去に彼女が発した黄色人種差別発言について「謝罪」と言うか正確には「言い訳」を投稿・公開したが、これはインスタグラムのストーリーに投稿されたもので、これは投稿後24時間経過したら見られなくなる。従って、これはあくまでも「謝罪した」というアリバイだけを作って、且つ、後から文面を詳細に分析されて批判を受けるのを防ぐ狙いが有る。
なお、文面の方は、我が国の自民党政治家etc.と同じく「もしも気分を害した人がいたら申し訳無い」書式で書かれており、アジア系の人々に対する謝罪とは書いていない。
ビリー・アイリッシュの最新MV(最近「クィアベイティング」としてLGBTQ関係者から批判されたアレ)を観ると、複数人の黒人および白人女性がエキストラとして出演しているにも関わらず、アジア系女性は一人も出演していない。
LA限定にしろ米国全体にしろ不自然なぐらい、人種/民族構成が出演エキストラの構成に反映されていない。
まあ、しかし、ハーヴェイ・ワインスタインの性的強要と同じくお目溢しされて、我が世の春を謳歌するのだろうなと思っている。自民党政治家と同じで、きちんと批判を向き合わなければ腐るよな。
昨日2021/05/16付のはてな匿名ダイアリーに、リベラルについて思うところを投稿をした結果、予想外にブックマークコメントを頂戴した。その幾つかに対して考えたところを述べる。
(1) 「保守の方こそ云々」「ウヨの方こそ云々」という類いの反応をした人に対して
リベラルではないと自認する人ならば、たかが私という無名の一個人の投稿ぐらい、笑って受け流せば済む話である。
仮にリベラルを自認する人であっても、私が書いたような問題のある言動を自分はしていないという自信が有るならば、他山の石として受け流せば済む話である。
もしもリベラルを自認し、且つ、私が指摘したような問題のある言動を取っているという自覚が有るならば、反省して改めるなり何なりすれば済む話である。
私の投稿を受け流せず、かと言って、行動も改められず、どうしても何かを言い返さずにいられなかった人が「保守/ウヨが云々」と書いたのだろうと推測する。おそらく、彼らは「コイツはリベラルを批判する人間だから、きっと自民党の支持者・回し者/保守/ネトウヨに違いない」と判断したのだろう。しかし、昨日の投稿で私は「自民党支持者である」とか「保守である」とか、何らかの政治的・思想的な立場を表明しただろうか?
「リベラルを批判する人間だから、コイツは自民党の回し者だ」或いは「ネトウヨだ」と決めつけた人は、戦前・戦中の日本の過ちを指摘する人間を見て「特亜の回し者だ」とか「日本人に成りすますザイニチだ」とか言い出す人間と同じレベルの短絡的な振る舞いであったと自覚して欲しい。
(2) 「お前の立ち位置は?」という反応をした人に対して
そもそも、そのような問いはダルトン・トランボ等ハリウッド・テンに対して「お前は共産党員か?それとも、過去にそうだったのか?」と問い詰めた人たちと似たり寄ったりの言動だと私は思う。だから私は、その質問に答えない……で済ませても構わないと思うのだが、それでは気が済まない人もいるだろう。
私はリベラルではないし、自分で自分の思想的な立ち位置は分からないと昨日の投稿で書いた。おそらく、最後まで判らないまま一生を終えるような気もする。
また、リベラルの人たちから学ぶところは多々有るとも私は書いたが、同様に、リベラルと思想的に対立する保守の人たちからだって、学ぶことは多々有ると思う。
自分よりも知性や教養が高い、学ぶべき点を多く持つ人たちのような「本物」を前にすれば、私ごとき人間が「自分はリベラルである」とか「自分は保守である」と簡単に明言するのは、身の程知らずで烏滸がましいというものだ。
生きている限りは自分よりも優れている人たちから学ぶことに終わりは来ないだろうし、私ごとき浅学非才の人間は、グラデーションを成している左右の間を死ぬまで迷い続けることだろう。それに最近の世の中は、左右の座標軸だけでは不十分になりつつもある。
私が、自分の思想的な立ち位置が自分でも判らないと書く理由は、だいたいそんな感じである。
(3) 「自民党政治に対してお前はどうするのだ?」という類いの反応をした人に対して
どうすると言われても、私は既にずいぶん前から自民党及び所属政治家には投票していない。
民主党にも、自民党から民主党への政権交代が起きる前から「第二自民党」にすぎないと考えていたので、投票したことが無い。
選挙の度に共●党に投票しているが、これは別に積極的に支持しているからではない。
私の投票行動の理由は、新自由主義、グローバリズムの猖獗に歯止めを掛けるため、意思表示の手段として、他の選択肢が無いからという消極的な理由にすぎない。他の選択肢を与えられたならば、すぐにでも投票先を変えるのに吝かではない。
まあ、いくら私が投票先やその選択理由を此処に書いたところで、それが本当であるとは証明しようが無いのだから、これを信じるも信じないも好きにしてもらって構わない。
(4) 上の(1)〜(3)を読んでも腹の虫がおさまらない人に対して
気が向いたら、保守を攻撃する内容も投稿するかもしれないので、それで勘弁して下さい。
(5) 終わりに
落ち着いた反応をしてくれた人たちへ。ありがとうございます。
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p166]
柳下:あんたはどうなの?『キル・ビル』のこといろいろ書いてるけど、いい映画なのか悪い映画なのか、そこんとこ曖昧だよ。はっきり聞くけど、この映画どう評価するよ?
町山:評価?…うーん。
柳下:いいの?悪いの?
町山:いい奴だよ、タランティーノは。
町山:いい奴だよ。そうだろ?ところで腹減らない?
町山:だからさー、友達の作った映画観せられて、どう?って聞かれて困っちゃって、「お前ってイイやつだよな!」としか言えない感じ。
柳下:ああ、あんたの作った映画観せられたときはいつも困るね(笑)。イイ人だな、とは思わないけど(笑)。
(初出『映画秘宝』03年vol.49)
【感想】
冗談めかして誤魔化していますが、こういう「オトモダチの作った映画だから」と正面切って批判することを避ける「逃げの姿勢」を示したことは、この時すでに評論家として町山智浩の「終わりの始まり」が見えていたように思えます。
そして、この「逃げの姿勢」と「身内への甘さ」は、後年の『実写版・進撃の巨人』が失敗作に終わった際に、町山智浩に対する『映画秘宝』関係者からの批判の声が「信じられないぐらい小さかった」と云う形で模倣されました。
辛口のサブカルライターは「兄貴分に対して忖度する」と云う点では、自民党政治家とその支持者に瓜二つだということです。
あるいは、町山智浩自身の言葉をもじれば「辛口のサブカルライターが急に甘いことを言い出したら、十中八九センパイの影響」というところですかね。