出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p166]
柳下:あんたはどうなの?『キル・ビル』のこといろいろ書いてるけど、いい映画なのか悪い映画なのか、そこんとこ曖昧だよ。はっきり聞くけど、この映画どう評価するよ?
町山:評価?…うーん。
柳下:いいの?悪いの?
町山:いい奴だよ、タランティーノは。
町山:いい奴だよ。そうだろ?ところで腹減らない?
町山:だからさー、友達の作った映画観せられて、どう?って聞かれて困っちゃって、「お前ってイイやつだよな!」としか言えない感じ。
柳下:ああ、あんたの作った映画観せられたときはいつも困るね(笑)。イイ人だな、とは思わないけど(笑)。
(初出『映画秘宝』03年vol.49)
【感想】
冗談めかして誤魔化していますが、こういう「オトモダチの作った映画だから」と正面切って批判することを避ける「逃げの姿勢」を示したことは、この時すでに評論家として町山智浩の「終わりの始まり」が見えていたように思えます。
そして、この「逃げの姿勢」と「身内への甘さ」は、後年の『実写版・進撃の巨人』が失敗作に終わった際に、町山智浩に対する『映画秘宝』関係者からの批判の声が「信じられないぐらい小さかった」と云う形で模倣されました。
辛口のサブカルライターは「兄貴分に対して忖度する」と云う点では、自民党政治家とその支持者に瓜二つだということです。
あるいは、町山智浩自身の言葉をもじれば「辛口のサブカルライターが急に甘いことを言い出したら、十中八九センパイの影響」というところですかね。
むしろ変な理屈こねて褒めるよりは正直で良くない?