はてなキーワード: 逆鱗とは
請われて半日かけて帰省して「私達いつも怒鳴り合ってるよね、夫にもそう言われちゃった」とふとこぼしたら、それが母の逆鱗に触れて泣きながら罵られた。父はボーッと見てたが最期に発した言葉は「長旅で疲れて躁状態なんだよ、娘は。興奮してるんだよ」しかも笑いながら治めようとした。治まるわけねーだろうが。この親父いつもそうだな。兄のDVに母が苦しんでるとき逃げて、私がそれを見てリスカしてても無視して、それも時効だと思って今は私が母のヒステリーからかばってやってんのに。この家は本当にどうかしてるな。帰省のたびに怒鳴り合う家族が普通かよ。どこの家もこれくらい怒鳴りあってる!てマジですか?泣きながら罵るのが普通なの?すごいねみんな大変だね!母は普通って言葉が大好きだけどはっきり言っておかしいようちは。もう両親の性格は絶対変わらないのでそういう家族だと自分を無理やり納得させて耐えて、小さい子ども二人夫に預けて帰省してたけどもう無理。Twitterの病気アカウントのフォロワーには娘がなかなか会いに来てくれないとか言ってたけど、アンタの娘は仕事もしてるし子どもも夫もいるからそんなに暇じゃないんだよ金もないんだよ。孫がいる年だとバレたくないじゃないよ。いい加減にしろ
だけどもう死ぬ死ぬ言うから無理して会いに来てんだろうが。帰省すると必ず怒鳴り合いになるけど耐えてた。今回でもう糸が切れてしまった。子どもは母が大嫌いな義実家に預けてきてる。義実家はうちの親よりだいぶ人間的に立派だよ。母は一方的に敵対心を抱いてるけど。
もう呼ばれても来ません。自業自得。気づかないまま逝くんだろうね。「アンタのことを一番に思ってる」「アンタのために生きてる」「孫より好き」という台詞を好んで使う人だから。言動が一致してないんだわ。もう無理ですね。
https://www.j-cast.com/2020/10/30397817.html
コンドームを口で付ける方法をイラストで紹介したところ「男に媚びた情報を発信するな」「おっさんが書いているのか」などと非難を受ける。
イラストには"男性の支配欲を満たせる"という文言も書かれておりこれがさらに彼らの逆鱗に触れる。
電凸した者の報告によると、電話に出た担当者は口でコンドームを付けたことがあるらしい。
謝罪後も非難は収まらず他の投稿についても非難が出始めた。再謝罪するのかどうか注目されている。
https://www.asahi.com/articles/ASNC46FQKNC4UTIL00Z.html
同業が↑のようなことやってるんですがどう思いますか?と凸してきた者に対し
素敵なことをやってますね、と返信&いいねしてしまったため巻き添えを食らう。
わざわざ真夜中の午前1時58分に謝罪するも「またご不快構文か」「そのような反応をした経緯を説明しろ」という指摘を受けさらに謝罪した。
https://mainichi.jp/articles/20201106/k00/00m/040/004000c
10月30日、指摘を受けた当初は電話で問い合わせた者に対し「謝罪の予定はない」と回答していたらしい。
以降も平常通りTwitterを更新し続けておりリプライ欄も全く荒れていなかった。
ところが1人粘着し続けている者がおり、そいつに根負けしてしまったようだ。
https://twitter.com/myoken11/status/1324293695919718401
反応探るんだよ、色々言って
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
ワイの場合、家の中の空気を読んで親の逆鱗に触れないようにうまく立ち回っていくのが自分の処世術だったので、急に自分の意見を言えと言われても戸惑うことが多かったなと。今思えば、自分の意見を言ったところで聞いてもらえる自信がなかったから、相手に流されるようにずっと生きてきた。実際、幼少期はいくら自己主張したところで聞いてもらえることなく、力でもって押さえつけられていたように思う。恐怖と暴力で支配された暗黒時代と言っても過言ではない。暴力では支配できなくなっても、経済力で支配され続けていた。社会人になってからは経済的にも独立できて、やっと親から支配される時代が終わったと思っていたら、今度は学費など過去にかけた費用などをかさに支配してきた。もう、その分のすべての費用はお支払いしますから縁切ってくれますか?と言うところなんだろうな。
...と覚悟を決めているとかなり楽になった。
当時相当ブクマもついてホッテントリにも挙がってたはずだから、簡単に見つかるだろうと思ってたら意外と探せなかった。
「そこそこ恵まれた環境にいるけど私ちょっと困ってるんですよね」みたいな元増田に対する返信で、そこまで叩かれるような内容じゃなかったと思うんだけど、
何か増田の琴線逆鱗に触れてしまったようで、確か文体は違うけど、このような趣旨のことが書かれていたと思います。
元増田を超えるブクマがついて、「元増田を書いた意義はこの増田を引き出したこと」みたいなコメントもあったはず。
ふと読み返したくなって探したんだけど見つからないんだよなあ。消しちゃったのかなあ。
何かに怒っているみたいなんだけど、状況がさっぱり分からない。頭に血が全部いってしまっているみたいで、とにかく怒っていることしか分からない。
よくよく聞いていたら、テレビの名字いじりが逆鱗に触れたらしく、番組に苦情を入れたいようだと分かった。
母は名字いじりを嫌がる。
小学生の時にクラスメイトだけでなく教師にもいじられて、散々だったらしい。にもかかわらず、母は同じ名字の父と結婚している。絶対に違う名字の人と結婚すると決意していただけに、自分でも驚いたらしい。
私が大人になった今、母はぽつぽつ昔のことを話してくれる。それを聞く限り、大人になってからは何もないっぽいが、子供の頃に受けた屈辱は50年経った今も覚えているようで、酒飲んで思い出してはやや怒っている。
だからか、私が小学校でからかわれて泣きながら帰ってきたときも、自分のことのように怒った。その烈火のごとき怒りに泣いていた私は引いた。
温厚で面倒見がよく、合理的で冷静な母が、とてつもない剣幕で怒り始めるから、悲しいとか悔しいとかそういうのが引っ込んで、もういいやって気になった。
母のおかげか時代のおかげかは分からないけど、母が感じたような屈辱に覚えがない。
母は自分の怒りを上手く人に伝えられない。私の所に来たのも、父がちゃんと話を聞いてくれなかったからだと思う。父が名字でからかわれなかったのも一因かな。
母の話だけではうまく苦情が書けないと思ったので、母と一緒にその番組の続きを見た。
母が嫌だったところとか番組に何を求めるのかとか、そういうのを聞いている内に母は落ち着いた。苦情はもういいって感じだった。
でも、自分も思う所があったのと、
「何でこんないじめみたいなことをわざわざするの」
「作る人間は大したことだと思ってないからできるんだ、こんなこと」
みたいな感じで怒るのを見ていたら、報いるしかないなと思えてきたのとで、さっき苦情(というか疑問)のメールを無事に送った。
嫌なら見るなってのは分かるので、なるべく責めないように、こちらのバックグラウンドや懸念を伝えつつ、どういうスタンスで作っているのかを聞くようなものを書いた。
ご覧のような文才でとても読みづらいとは思うが、慎重には書いたので母が報われるような返信が来るよう祈っている。
すでに、所謂「流行り」であったそのジャンルは毎日目まぐるしくイラストや漫画、小説などの作品がウェブ上にアップされ、コロナの関係でイベント自粛などがありながらもそれなりに盛り上がりを見せていました。
ある時、一つの小説が世にアップロードされました。その作品はそこそこ有名な絵師に宣伝され、ブックマーク数を700ほどまで伸ばし、作者のフォロワー数も500近くまでのぼりました。
文字書きでフォロワー500というと、そのジャンルではまあそれなりに有名というような立ち位置で、現に私はその作品で作者を知ることになります。
作品自体、とても素晴らしいものでした。原作の時代背景やキャラクターの心情などを豊かに描いた、本当に素晴らしい作品でした。
それを受けて、今度はある有名絵師が、その小説に漫画をつけたいと申し出ました(これはおそらくDMなどでやり取りされており、公にはなっていません)。
そして小説の作者はそれを了承し、申し出からどれほどか分かりませんがそう遠くないうちに漫画が公開されました。
有名絵師のフォロワーは1万人を超えていました。瞬く間に漫画は拡散され、ツリーに掲載されていた小説も同じように人の目に再度触れることとなり、700ほどだったブックマーク数は数日で1300までのぼりつめました。
つまり小説への宣伝効果で言えば、これ以上ないほどの成功だったと言えます。
しかし、有名絵師にとって、また、のちの小説作者にとっても、タイミングが非常に悪かったのです。
小説の作者は、この小説の再録本を作る予定を控えていました。漫画公開の二日前に、表紙ができたとツイートしていたので、ああ出すんだなと思ったのを私も覚えています。
そして小説の作者は、漫画が公開されたその日に「本の通販が始まりました」とツイートをしました。
漫画が出たタイミングだったので、私はその有名絵師が表紙を描くのだとか挿絵をつけるのだとか、まあ何かしらに関わっているのだろうと漠然と思っていました。
しかし表紙にキャラクターのイラストはなく、おそらく有名絵師は絡んでいないのだと理解するまでそう時間はかかりませんでした。
描いていないならいないで、別に構わなかったのです。迷っているうちに在庫はなくなり、なんとなく惜しいような諦めのつくような、そんな気持ちで日々の忙しさに戻って行きました。
一か月ほど経過したある日、有名絵師が気になるツイートをしました。
「自分には全く話がなかった」
簡潔に書くとこの二点です。
有名絵師のこともフォローしていて、イラストや漫画を逐一確認するくらいにはファンだった私には、最近の活動を振り返っても宣伝になりうる要素と言うとあの小説のことしか思い浮かびませんでした。
日付を確認しても、やはり漫画の公開と小説の通販開始日は一致しています。
そして何より、漫画をツイートした有名絵師の呟きがしっかりと削除されていました。
有名絵師はアカウントに鍵をかけ、ツイートを削除したのち解放しました。
「今後描くなら相互だけにする」というツイートを残して。(現在は削除されています)
それから暫くしても、小説の作者はそのツイートに気づいた様子がありませんでした。日常的なツイートをするばかりで、もちろん当事者で話をするなりしていればいいと思いましたが、何せ絵師は漫画を消していますから遅かれ早かれ読者は気づきます。
そして勝手にヤキモキしているうちに、他の読者が匿名ツールを使って小説の作者に凸しました。
内容は公開されていないので細かいことは分かりませんが、作者のツイートを見て「あのことだろうな」ということは察することが出来ました。
けれど、当該ツイート(不快だ、話がなかったetc.)は消えている状況で、確認のしようがないこと。絵師に「不快でしたか?」と聞けるわけがないこと。自分が宣伝のために同じ日に通販を開始したわけではないと証明するのが不可能であること。
それらの要素を踏まえ、「痛いところを突いてきた」「笑ってしまった」と作者はツイートし、端的に言えば「誹謗中傷の類い」のメッセージだと捉えたようでした。
どうにも、納得がいきませんでした。
小説の作者には本当にそんな意図がなく、また「小説を本にします」だなんて言えばそれこそ「買ってください」というようで言いにくかった、という心情があったかもしれません。
相手は有名絵師です。時間の隙間に読んだ小説の出来が良く、漫画を描いてみたいと思ったけれどお金を出すほど好きかなんて分かりませんから、私が小説を書いた本人なら「本を作ります」とはわざわざお知らせしないと思います。
だからこそ、小説の作者にも思うところはあったと思うのですが、絵師が不快だと思った、その証拠がないからと言ってメッセージを批判だと受け流し、あまつさえ嗤うなんてことには到底納得ができませんでした。
私は作者に、ツイートの内容に心当たりがあること、有名絵師のツイートを自身も見たこと、今は消されていることを匿名ツールで送りました。信じられないのであればと、絵師が描いた小説を題材にした漫画が消されていることも付け加えて、送信しました。
それから間もなく、小説の作者はその前のメッセージを笑った、という呟きを削除し、そのうちにウェブ上に上げていた全ての小説も削除しました。
私以外にも、それが事実だと送った人がいたかもしれないけれど、間違いなく私は一人の文字書きを潰したひとりです。
絵師と小説の作者は、漫画作成にあたり何度も経過を確認し、やり取りをしたそうです。そのやり取りの中で絵師は小説の作者に何かモヤモヤしたものを感じていて、今回のことで爆発したのかもしれないし、なにもなかったけれど何か逆鱗に触れてしまったのかもしれません。
小説の作者は、作品を全て削除した後で「もう自分の手から作品を手放さない(誰かに手を加えさせない?)」「馬鹿げている(勝手な勘違いをされたことに対して?)」とツイートしていたので、全てを明かす気はないようだし、絵師と今後関わる気もないのだろうと解釈しました。
今回、私の心情としましては絵師の味方寄りでした。絵師が不快だと言っていた情報を受け止めずに批判だと笑ってしまうところや、事実が判明したあともまるで批判を受けたために筆を折ったような遠回しな言い方しかせず、現にフォロワーは心配するばかりで事の顛末を知らないまま今に至るからです。
ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。
私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。
私はしがない字書きの大学生である。中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクターを架空の世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。
高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。
とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員と一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かばず空虚な日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量で部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。
恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクである。とはいえ、二次創作をイラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNSに投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。
そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。
端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女は高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)
Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才だから」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋に尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートやボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校の赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。
思うに、Aはオープンな性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才だから(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポートの画像)」などなど。活きの良い大学生である。
さて、本題から離れてしまったが、私がお話したかったのはAの創作についての話である。
実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作のゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。
なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。
彼女はゲームのシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。
Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。
そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターのイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクターの個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つのも自然だろう。
最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらのファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。
Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。
Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。
そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。
なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分の創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。
四の五の言わずに書けよ。
一発当てたいなら本気で完成させろよ。
甘えてんのか。
もちろん私は今の文壇をリードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。
「わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分の好きな物上手く書けなそうじゃない?」
私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。
オープンな彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである。
「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」
子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。
また、数日後にはこんなツイートもあった。
「承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」
私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。
今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。
SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである。
さほど苦ではない。しかし確実に自分がストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。
結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから。
──どうして人と人は分かり合えないのだろう。
真田氏 (twitter:@sanada_jpexit )の創作漫画に登場する、絶大なる二次小説作家『綾城』。
ここについては最早語る草もにべもないので、読者の考察に任せたい。
だが私の中でどうしても腑に落ちないものがあるのだ。
否、理解できないわけではない。私自身腐女子だ。芸歴も15年ほどで息も長いほうだと思う。
一人目の主人公は「作家:綾城」と関わりを経ち、二人目はツイッターのフォロー等少し関わりを持ち、三人目に至ってはきちんとイベント会場で顔を合わせ会話もした。
しかしこのステップアップが、実は現実の腐女子に足りていない行為ではないのだろうか。
普通に考えると感想を貰って嫌がる創作主──筆者はいないだろう。
そこで筆者が怒ったり、悲しんだりするのであればそれは読者との間に『認知の歪み』があるからなのだと思う。
感想を送る立場側が最善の言葉を選んでいたとするのであれば、筆者は何に怒ったのか擦り合わせをしないといけない。
怒ったら、怒りのまま返事はせず、「私はそうは思いませんでした。」と素直に言っていいと思う。
何故なら、二次創作だったとしても、その世界を作ったのは筆者であるのだから。
感想を送る立場側が不遜な態度を取るようであれば「そのような言い方は失礼かと思いますので、やめた方がいいと思いますよ」
と窘めればいいと思う。普通の人間なら「すみません、そういうつもりで言った訳ではなかったのです」となると思う。
色々なパターンが想定されるが「じゃあ感想を送る側ばかり損じゃないか!!」と思う人もいるだろう。
だから、私は、言いたい。『最善の言葉を選んで伝えよう』それ以外は何も考えなくていい。
思ったまま、素敵だと思ったことを並べるだけでいい。
その解釈が間違っていれば、筆者から「そいうつもりで書いたんじゃありません」という言葉が返ってくるだけだ。
それは筆者に同じで、受け取る側が誤解をするような描写が無かったか、何をどう読み間違えたのか、情報を精査する必要があるだろう。
人と人は、話し合えば分かり合えるのなら、読者と筆者、相互の言葉を重ねる事で
きっとよりよい腐界が作れると私は思いたい。
今の腐女子たちに足りないのは、コミュニケーション能力なのだ。
このSNS時代を生き抜くには、言葉を交わし、交流し、今一度『私たちは同じ二次創作を愛する人間同士』
友達と呼べるかは、それは実際に交流をしてみないと合う合わないがあるから分からないけれど
少なくとも主人公たちは、同じ作品を愛するもの同士くらいには、なれるのではないだろうか。
きっと、おけけパワー中島は、そんな主人公たちがステップアップした最終形態なのではないだろうか。
何も恐れないでいい世界が訪れることを願いたい。
あのさ、
絆創膏ってなんて呼ぶ?
いやそんなことよりさ、
絆創膏って買った時は新鮮できたてほやほや工場直送感があるから、
今お電話してお求めいただいたらもう一箱付いてくる勢いじゃない。
そして、
フレッシュ感があるじゃない。
でも買った時たいていは1~2枚しか使わないから次使うのはいつになるやらって
遙かなる時を超える火の鳥未来編まで使わない事ってあるじゃない。
でね、
私は新しいヒールを買ったからって早速新品おろしたて履いたらコケた赤い靴!ってやかましーわい。
って本当はコケてないけど、
実は子どもたちが遊んでいて公園からこぼれてきたサッカーボールを
トーキックの名手城彰二さんばりにボールを蹴ったら一瞬で靴擦れするかもと言う予想だにする感じで、
靴擦れ案件よ。
名前なんて言うか忘れちゃったけどアキレスがもっともコチョコチョされて抱腹絶倒してしまう唯一の逆鱗に似たようなそこの部分!
名前忘れちゃったけど、
その部分が靴で擦れて靴擦れしちゃったのよ。
行きはよいよい元気だからてくてく歩って行けるじゃない。
だけどダメージを負ったそのアキレスの弱点のところがすりむけちゃった感じになってヒリヒリするから、
ムヒが丘にかゆみを止めて~って言わんばかりの
でなんだったっけ?
そうそうアキレスの弱点のと頃にムヒ塗ったら余裕で死ねる話しだったわね、
絆創膏の話し。
あなたの地域ではなんて言って呼んでるの?ってそこまでは戻りすぎ、
行き過ぎちゃわないところの、
靴擦れしちゃった話で絆創膏を貼るってところまで巻き戻したところ。
でその買ったばかりの絆創膏だと新鮮みあふれる
今絆創膏貼ったら瞬時に切れたことにも気付いていない切れ味抜群の包丁で切られたトマトも貼ったら直る級の
バチボコ効きそうだけど、
買ってしばらく経った、
救急箱か引き出しの隅っこに入ってるはずでしょ?
あの場所、
じゃないと歩けないのよ。
誰かおんぶしてーって
もうおんぶに抱っこ級の甘え
って言っても抱っこもおんぶもしてもらえないお姫様は大人しく絆創膏を貼ってバスに乗っててくてくと歩いて帰ることにするわ。
しくしく。
でも、
つけ麺を熱盛りにしてもらったのを食べながら遊びたいぐらい、
スイッチ欲しいわ。
うふふ。
いつもの目玉焼きベーコンレタストマトサンドがあるとおもったけど、
朝からションテンが下がるけど
野菜はある程度撮らないと身体が酸化してしまう防止になるような気もしない気持ちで食べると美味しく頂けるから
野菜ソムリエの人が言いそうなことを私が勝手に考えてみました。
この時期のスイカウォーラーは美味しくてリピしまくりなんだけど、
あと柑橘系もだけど、
って果物ソムリエの人が考えそうなことを私が考えて今言ったわけじゃないからね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田で糞アニメとして名高いので一体どんなもんかなと思って視聴終了。
このアニメを簡潔に述べると、まず政治・経済的な前提なしで帝国とソレイユ王国の開戦状態から始まります。片方の国ソレイユの姫様ユウキは最初戦争状態にあるとは知らされていません。しかし彼女は幼馴染の死から真実を知らされ、なんとか両国の人間が死なないように軍を指揮しようとします。その作戦手法とは主に両国の兵士たちが最小限の犠牲で済むというものでした。いろいろ省略して最終的には両軍の兵器のエネルギー源を止める方法が見つかり、両軍の兵器は沈黙して終了、仕方ないから両国の国交が暫定的に回復するという話です。
で、そこそこ背景があります。まずソレイユ国。これは新型兵器クラルス(作中であまり触れられないが、動力源。動いてるロボの名称は別にある)を擁していて、この動力源はもともとベルデ公国を仲介して帝国とソレイユが共同開発していたものでした。そして12年前にテロ事件が起こるのですが、ソレイユの幹部が「帝国のせいにしちまって新兵器の動力源はうちに牽引しようぜ」、と画策します。このやり口が帝国の逆鱗に触れて戦争状態となります。
まあ政治的背景を真面目に考えりゃソレイユが資源独占して相手が帝国主義だったのは、なんかかみ合わせ悪かったねとしか思えまえん。というよりソレイユが資源を独占しようとしたという背景が姫側近のレイラから伏線で話されるのですけど、帝国からしたら王国が資源独占した挙げ句攻め込んだら全部破棄にされた話でしかなく、そういう側面から考えるとちょっと身も蓋もない感じがしました。ソレイユって国家としては悪じゃんと。背景には明らかに利益の綱引きがあったと思うんですけど、冷戦構造みたいなものは全く無い描かれ方をしている。だけど途中で第二次世界大戦をモデルにしたような描写は出てくるので、多分作品としてやりたいことが違うんでしょう。あと、共同開発していた新動力へのテロリズムを一方的に強大な敵国のせいだ、としてしまえる外交手腕って何なんでしょうか。素人目に日本とアメリカをモデルにして考えても、まずありえない行動です。
ただこれ、いわゆる戦略戦術政治の面から見るもんではなく、全体の逼迫した状況下で個人の思いが殺されてゆく話だと思うわけです。かつてのアニメでいえばヤマト、ガンダム、銀英伝のような敵の事情もはっきりわかった上でどっちも死んでほしくない、という感情を想起させてゆく作りではあります(必ずそうなるとはいってませんけど)。ヤマトの場合好敵手、ガンダムや銀英伝の場合主義思想の違いで殺し合うわけですが、エガオノダイカにはなぜ殺し合うかというテーマは希薄です。実際に武人が生き様のために死ぬ、という描写は控えめですし、そういった時代錯誤的な意志の強さはあまり重視されません。それはテーマが "生きる" ことに集約されているからです。
ステラは常に生き方を探します。ユウキは戦時でも生かすことを見出し、ゲイルも孤児を引き取りながらメンバーを活かすことを考えて行動します。イザナの子は戦争の途中で父の死と引き換えに生まれてきます。このように戦争状態という皆が嫌々参加している状態からもキャラクターたちは生きることを見出します。このため前項における全体的な利益のために死ぬ武人、という自己犠牲的な生き方は重視されていません。そんな意味でユウキというキャラクターは最も自己犠牲的であるにも関わらず、最後まで両軍を生かすために我を通した、という意味でコンセプトは一貫していました(戦争中にあんな指揮官いたら嫌ですけど)。反面帝国は死を利用してプロパガンダを行い、分隊の隊長の死など気にもとめません。このへんの対比はやりたいことが出来てるとは思います。
ただ、視聴者的に言えばハロルドとゲイルという二大キャラがなぜ衝突しなかったのか、と思うことしきりだったでしょう、参謀的なイザナがモブに撃ち殺される、というあっけなさもよくありません。
タイトルのエガオノダイカは自明で、沢山の笑顔が犠牲になって平和が訪れた、あるいはたくさんの犠牲により笑顔がもたらされた、という意味です。
戦争をやめる=科学を否定する、という流れになりがちなのは、多分脚本家がアレルギーなのではなく、おそらくそう見せたほうが演出として開放的だからでしょう。実際にそうなってしまえば作中でステラが疑問視したように文明自体が後退してゆきますし。
というエントリにあったような読み方は流石にまずいかなと。一応コンセプトと設定とキャラクターの持つテーマはしっかりつくっていってるのでそこは読んだ上でケチつけたほうがいいかなと思いました。
id:pratto さん、謎のタグを全部削除して普通のブクマカになる
全ての関係ない記事にまで「中世ジャップランド」「企業内不祥事」「うそ大げさまぎらわし」という謎のタグをつけてジャップジャップとブコメしてた銭湯好きの id:pratto さんがこの度それらの記事を全部削除、狂気を感じさせるサムネはそのままに新たに普通のブクマカとしてリニューアルした。
関係者の間では、うっかりつけたブコメが誰かの逆鱗に触れて怒られたのではないかとの憶測が広がっている。
なお、Twitterの凍結は解除されていない。
id:LiberalDemocraticParty さん、あらぬ嫌疑をかけられて手斧を投げに行く
いわゆる左方面のアカウントながら自民党を名乗る id:LiberalDemocraticParty さんがこの度増田で晒され、安倍晋三の顔写真をサムネに用いた事で怒られて画像を変えたのではないかという疑惑を否定した。
その上で、実在の団体名をidにしてその団体に関連が深い人物の画像をサムネにする事の是非はブコメが穏当だからセーフとの見解を示し、 id: aa_R_waiwai さんにメタブで増田の正体はあなたですねと名探偵ぶりを披露した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4687112483107206658/comment/LiberalDemocraticParty
本人ですしばらく前に自分でもどしました.この増田は tetora さんか waiwai さんかな?この方々を批判したことがあるので心当たりがあります.ブコメ内容は穏当なのを心がけてる為顔以外で批判される理由がわかりません
有識者の間では、「 id: aa_R_waiwai さんは直接手斧を投げるバーサーカータイプなので、全くの見当はずれではないか」との指摘がされている。
海外のアダルトサイトを「vagina」タグをつけてブクマしまくり、時折ゲームのネタバレブコメをしたり独特の文体でガチ煽りをしてた id:bisuta さんが、404で発見された。
関係者の間では垢消しではなくおそらくはBANされたのではないかとの噂が広がっている。
id:BadApple さん、復活後も華麗にヘイトを撒き散らす
2020年5月に作成されて岡村隆史の失言関連でイキのいいブコメを連発してた id:BadApple さんが、このたびプライベートモードから復活して健在な姿を現した。
「ジャップオスの変態性癖」「チー牛顔」「ピュ様」等、その節回しは健在なため、BANまでの残り時間が懸念される。
なお、同時期にほぼ同じ内容のブコメをしてた id:beluna さんは既にBANされており、複垢でなければ全く同じ傾向の人間がはてなブックマークに集ってることになる為、運営の今後の動向が注目されている。
どのブクマカか忘れたけど、「何もしてないのにサムネイルがなぜか黒川検事長になった」という怪現象に襲われて悲痛な叫びを上げている人をブコメで見かけました。
そのブクマカのidをご存知の方か似たような現象が発生してる人はブコメにて情報の提供をお願いします。
→ブコメで情報をいただきました。ありがとうございます。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4686980087429703746/comment/avictor
追記2
id:grdgsさん
貴方のブコメはワンパターンで全然おもんないので…ごめんなさい。
勃発した。迂闊だった。
2人でテレビを見ていて渡部の不倫の件がTVでやってたさいポロっと
「全番組自粛するって急に言ったから何かと思ったら唯の不倫なんだね」
と言ってしまった。
この発言が妻の逆鱗に触れた。曰く「不倫は悪いこと」「全ての仕事を自粛するのは常識」
「まるで処分が軽いかのような発言をするあなたは不倫を軽いものみてる」等々
汚いものでも見るような目で見られながら言われた。
俺としては「そもそも芸人なんて不倫とかしそうだし」「過去に不倫発覚した人の中でも今回の自粛対応は規模がでかい気がする」
「不倫自体民事の話で家庭内の問題なんだし、最近の世間がやいのやいの過剰にいう風潮には少し疑問」
「芸能人が不倫しようがどうでもいい」といった考えからでた言葉だったと説明したが全く聞く耳をもたず。
不倫を肯定したわけでは全くないんだけど妻のなかでは不倫を肯定する人という整理になってしまった。
倫理観と常識のおかしい人みたいな言われ方をしてしまって自分がおかしいのかという気すらしてきた。
同じような考えの人いない??