はてなキーワード: 逆鱗とは
うちの会社で実際にあった話をする。
テレワークを推奨して現場業務以外の人間の9割をテレワークにして、業務日報の提出を義務付けた。
その業務日報を社長がチェックすることになったんだが、テレワークを行っている社員の業務日報のうちの実に8割以上が「社長にとって納得のいく業務内容」ではなかった。要するに「8時間もかけてこの程度のことしかしていないのか」という内容しか書かれていなかった。
もちろん、日報に不慣れでざっくりとした業務内容しか書いていなかった社員も多少はいたかと思うが、それでも社長の逆鱗に触れた。
社長は激怒して「テレワークをするとみんなサボる」とテレワークを廃止、日報も廃止した。
でも実際には「テレワークになったから業務量が減った」わけではなく、
「元からみんなサボりまくっていたのがテレワークによって可視化されただけ」なんだよな。
でも社長は性善説的性悪説の人なので「会社に来て監視の目があるならサボらないはず」と信じ切ってただテレワークを辞めた。
たぶんうちの会社は2年以内に潰れてると思う。
今回の仁藤氏、正直「温泉むすめ自体の是非」がメインで話し進めてるでしょ。
今までの論争であった「公的機関が」「公の場で」というのはそんなに重視してないと思う。
「性差別コンテンツがある!そのうえ!国が推奨している!」でしょ?「公的機関が」というのは一番ではないでしょ?
そんなに読み違えてないよね。これ。
いわゆる古のオタクで、艦これやらなんやらを「何でもに萌えに結び付けやがって」とか、「最近のオタクは作品を分析・研究しない」とか言ってた人は、
どこかのタイミングで、ツイフェミと古のオタクで乖離が起きるよ。
だって、いまセリフをいちいち聞いて「性差別!」って言ってるんだよ?
そんじょそこらのコンテンツで、逆鱗に触れそうな要素一つはあるよ。
今後はコンテンツごとぶっ潰そうとする動きが高まってくと思うよ。
古のオタクも「最近のお宅は萌えさえすればよいからレベルが低い」的なこと言ってるから、そんなに乖離しないかもしれないけど…
「もくりで痴漢被害にあった」という旨のツイートがタイムラインに流れてきた
https://twitter.com/0shiya/status/1434281696719867904
これがずっと心の中に引っかかっている。
mocriというのは、主に同人作家の中で流行っている通話アプリだ。その性質上、非常に女性ユーザーが多い。それに目につけたか、たまたま知ったかはさておき、そういった場に性を求めてしまう男性が発生し、女性がそれを嫌がるという、典型的なセクシュアルハラスメントが発生しているようだ。実際問題として都会にはずっとナンパしてる謎の生き物がいるし、こういった問題は根深く枚挙にいとまがないなとおもう。
だが、「この漫画」の話は少し違うような気もする。痴漢に見られる嫌がらせやスリル、または性欲の押しつけというより、毛色としてはむしろ「喋りすぎてしまうコミュ障」に種類が近いような気がする。知らない人と話してみたい、通話で面白いことに出会うかもしれないという期待をいだく人間はやはり一定いて(自分には理解できないけど)、それがディスコミュニケーションを起こすと「ナンパ」「チカン」「いやがらせ」と区別がつかないという事例に感じる。
スマートフォンの普及、通信環境の向上、様々なゲーム機の台頭により、「特定・不特定関わらず話しながら何かをする」機会が増えた結果、そして社会の大きな動きも相まって、この「喋りすぎてしまうコミュ障」の問題は鮮明に可視化され、より深刻にとらえられるようになった。
言ってしまえば、コミュニケーションが下手くそであるために痴漢呼ばわりされる世界がもうすでに到来している。我々は深刻にコミュニケーションの仕方について1からきちんと勉強しなければならない。コミュニケーションとは心の動きだけで行う動物的なものではなく、技術によって行われる理性的なものではならないというのを、もっと大きな声で警告していかなければならない。
■コミュ障側に向けての話
実際問題、「喋りすぎてしまうコミュ障」の被害は、残念ながら少なくなく、深刻である。「Among us」のプレイヤーたちなどは身近な話題じゃないだろうかと思う。特にこのゲームは制限時間内に話をまとめて人狼と思われる人を探し当てなければならない(人狼は必死にごまかさないといけない)という性質上「喋りすぎるコミュ障」が強い。したがって一方的に、「集団」や「会」の意図を汲まず、喋りたいだけ喋ってしまう人間がどうしても紛れ込んでしまい、時には誰かの胃をキリキリと痛めてしまう。「自分コミュ障なんで」と自虐できたのは残念ながら10年前のインターネットまでで、今後は確実に敬遠されていくことだろう。それだけネットワークは開かれたものとなってしまった。
コミュニケーションというのは料理における味付けの様なものだ。最初は薄味で出して、「好きな様にしてください」といってトッピングを持ってきてもらうのが無難だ。一口にカレーといっても、人の好みのからさはばらばら。だが我々コミュ障はここを見間違えてしまう。「私はなんでもいけますよ!」といって自分好みにめちゃくちゃ辛く味付けしたり、「自分は料理のこと全然わからないです!」といってレシピを無視して作ってしまえば、基本的には大変な事故を起こるのだ。
特にネットワークを介したコミュニケーションはその場にいる全ての人間に開示されてしまう特質があり、これはオフラインで行われる「会合」とはまた異なる。この点にも留意し、基本的には「発言に気をつけなければ」ならない。
第二に、とりわけインターネットで呼びかけられる「募集」に関していえば、そのお題目を厳格に守ることが求められるだろう。不安であればどういった主題に基づいて人を集めようとしているのか、それについてよく確認したほうがいい(後述するが、募集する側も極力明確にしておいたほうがいい)。そこに来る他の人々も「募集をする人」や「募集文」を中心にして集まってくるのだ。「建前」や「目的」というのはコミュニケーションにおいて一番上のレイヤーにあるべき便利アイテムだ。
これはゲームに例えると簡単で、「リオレウスから出る逆鱗が欲しくて出るまで行きたいのであと三人きてください」という募集に入ってきたのに、自分が行きたいのでといって別のモンスターのクエストを貼ったら、どうだろうか。募集主が気を使って「別に一度くらいならいいですよ」といってもその募集文をよんできた人は「別にリオレウスにしか用事なくてそのモンスターに行く義理はぜんぜんないんだけど」と思っているかもしれない。人が立てている募集で出しゃばるというのはそういうことだ。考えられないことかもしれないが、喋りすぎるコミュ障というのはこういうことをしてしまう。
あくまでも募集している人間が主役であり、自分が主役になりたければ自分で募集をかけなければならない。
■募集する側の話
インターネットというのはまさに「有象無象」と「玉石混淆」の象徴だ。悪意の有無を問わず、様々な人間がいる。知らない人が勝手にめちゃくちゃなコミュニケーションをふっかけてくる時もあるし、なんなら知ってる人間がその場合だって全然ある。嫌がらせだと思っていた行動がADHDの性質だった、悪意だと思っていたら単純に能力が低いだけだった、馬鹿にされていると思っていたら単純に生活レベルの違いだった。この様なことが平然と存在する(逆にいうと日常生活ではそういうものと自然と境界を置いていると思うとヒトの社会性ってすごい)。そしてもっと言えば、これらの事情が大衆の面前で明らかになってしまうことをが往々にして存在するのが、インターネットの恐ろしいところだ。「遅い!なにをやってるんだ!」と怒鳴りつけたら「すみません、実は生まれた時から足が不自由で…」と義足を見せられる様なクリティカルな状況を人がめちゃくちゃいる交差点でやる、みたいな現実ではあり得ないことをワンチャンやりかねないのがインターネットだ。
くだんの漫画で言うならば、「もくりは男性が使っているイメージがなかった」「知らない人が入ってくるとは思っていなかった」が正直に言えば甘い。運転免許の問題みたいなことを言うが、相手がボイチェンしている可能性もあるし、自分のフォロワーのコミュニケーション能力が最悪の場合もあるからだ。多様化する社会事情を鑑みれば、当然「性的被害は異性間に限る」という無意識も捨てたほうがどのみち安全だ。
正直に言えば、喋りすぎるコミュ障に対しての対処法は無に等しいと思う。基本的にこっちが強く出るしかないのに、彼らは出しゃばってくるからだ。
だが対処法といて、「建前を強く使うこと」と、それのために「建前をきちんと用意すること」は非常に大切だと思う。友達の主催するAmong usにいったときはギチギチに組まれたローカルルールのおかげですごく快適に遊べてびっくりした。これももちろん「ゲーム歴も付き合う歴もばらばらな人間と一緒に一つのゲームを楽しく正しく遊んでもらう」という強固な建前の上に成り立ったルールであり、その説明があるから納得がいくのだ。
この人の様に、自分のフォロワーがくるかもしれないという気持ちで待っていたら全然知らない人がきたというのであれば「初めて見る名前ですけど、ツイッターのフォロワーさんですか?」(ちがうなら)「ごめんなさい、フォロワーさんとやろうとおもってたので……」「これってフォロワー限定とかにできないんですかね、次からわかりやすくしますね」といかなんとかいってまず素直に追い出すべきだった(たとえ相手がチカンじゃないにしろ、男が入ってくるとは思っていなかったのだから)。それで食い下がってきてやっと「キック」というのが、やはり順序としても正しい。
当然だが、世にはきちんと「悪意」が存在している。この相手にすべきでない悪意を排除したい時に「悪意ではなかったケース」が邪魔するのが、最も避けるべきことである。また相手に悪意がないにしろ、自分が不快に思ったその感情自体はかわらない。そのためにはやはり「強固な建前」が必要だと感じる。「目的や趣旨と異なるため」「ルールに反するため」もちろん「私が主役の会なので私を不快にさせるなんて意味わからんでしょ」でもいい(言えるなら)。必ず作ったほうがいい。
作業通話相手や一緒にゲームをする相手を募りたいという簡単なことなのにそこまで覚悟しないといけないのか?と言われれば……「そうです!」としか言いようがない。なぜなら気の合う友達とわいわい話しながら何かをすると言うのは、通常ほとんどの人間にとっては難易度が高く尊いものなのだ。新しく得ようとすれば難しいし、すでにあるなら必死に抱きしめて大事にしなければならない。「知らない人とのやりとりがおもろかった」みたいな話は、当人、もしくは相手のコミュニケーション能力の上で成り立っている。この二つをどうかゆめゆめわすれてはならない。
戦争の原因について色々言われているが、当時の麻薬汚染の問題について書いている人が誰も居ないようなのでちょっと書いておく。
当時の満州国の歳入のうち、かなりの部分が麻薬の製造と麻薬取引で得た利益だったと言われている。
https://www.youtube.com/watch?v=lt7Hih8vpwU
これに味をしめた政府の人間が、アメリカから石油を買うためのドルを稼ぐ手段として、麻薬をアメリカに密輸しようとした。それがアメリカ政府にバレて、アメリカの逆鱗に触れた、ということが、アメリカがむちゃな要求を日本に突きつけるようになった原因の1つとして有力だ。そして日本が日米開戦に向かうように仕向けられた。
当時のナチスが麻薬汚染で酷い状態だったという話は比較的広く知られるようになってきているが、当時の日本軍・日本政府も五十歩百歩だったのだということは肝に銘じておきたい。
当時の従軍慰安婦も、この問題とセットなのであり、韓国や中国がいつまでも日本を責め続ける理由の1つもここにある。
その話を抜きで当時の戦争を語る事は不毛であり、有害でさえあると思う。
子供の頃は神童と呼ばれ、毎年東大100人出すような中学に入った。
それでも自分は自分のことが同世代で最も頭のいい人間の一人だと思っていたわけだ。
自分より勉強ができるやつは自分より勉強をしているからそれは単純比較にならないと思っていた。
スタートラインも全員一緒だから勉強なんかよりよっぽど自分の地頭に言い訳ができない
頭のいい中学だったとはいえ、まだみんな13歳かそこらだから、
戦略はというとガブリアスにスカーフもたせて逆鱗打つくらいが関の山なんだが、
俺より頭のいいやつというのはしっかり相性補完したPT組んで受け構築回してくるんだよね。
(今となっては受けループなんて当たり前だけど当時の中学生環境だとまだネットも普及しきってなかったからそこそこ珍しかったわけ)
こんなツイートをして批判を浴び、即削除したのは兵庫県知事選挙に立候補している維新の会 さいとう元彦。
兵庫県、恥ずかしいと発言した子どもたちは存在するのですか?しないのですか?
ずっとお聞きしてるのですがなぜ答えてくれないんでしょうか… pic.twitter.com/gwIGBgARmr— どうすのー (@7SJFw94Q9SIAPCe) June 21, 2021
どうやら実在しないようなんです。少なくとも「たち」ではないですよね。せいぜいが親が維新の信者で子どもに言わせた程度でしょう。
#兵庫県恥ずかしい
うさんくさしかない さいとう元彦
この斉藤候補は総務省から大阪市職員へ。「大阪とのつながりを密接にし、大阪の実績を実現できる」と息巻いていますが、大阪を上田と思っているのが痛いですよね。関西では兵庫も京都も「大阪とは一緒にせんといて」と言うのが普通ですから。それが分かってないあたりも痛いです。総務省時代も行った先々で現地の方の逆鱗に触れる発言を繰り返していたようです。
さらに時期も悪い 大阪と言えばコロナ対策で日本で一番大失敗した吉村知事と松井市長。死者は最悪で東京より多い2500人越え。自宅待機と言う名の放置になった方は一時期1万人以上となりました。メディアでは「医療崩壊の危機」と言っていましたが、実際に大阪は医療崩壊していたのです。定額給付金も大阪市は断然遅く、休業協力金の支払いも大阪府は非常に遅い。全国コロナ対応偏差値でも日本でワーストでした。その実績を生かすのでしょうか?
神戸新聞社主催の討論会でも「何の実績を生かすのか?」としつもんされると一言も答えられず。相変わらず橋下なみの維新クオリティでふわっとしたことしか言えません。維新の会は大阪では日本から独立するくらいの分権が党是ですが、東京都議選では「国政と連動したいから投票してくれ」と片山共同代表が行っています。そうです。片山虎之助元総務大臣。小泉改革・優勢民営化で「抵抗勢力」として刺客を放たれましたが、実際特定郵便局長会の支持を受けています。郵便局の利益が出ないのはどこの国もそれほど変わりませんが、日本では特に都心部で郵便局自体が多すぎるのが問題です。それも特定郵便局というフランチャイズのおかげです。これで自称「効率」最優先の維新の会の共同代表だというのですから、維新の会もとことんむちゃくちゃです。ちなみに、兵庫県の参議院議員片山大介も元NHK。総務大臣の息子がNHKへ、って利権のニオイがぷんぷんしますよね。
以前は、ワザと取材対象の逆鱗に触れるような質問をして怒らせて口を滑らせることを、取材対象の本音を引き出すための高等な取材テクニックと称して、誰よりもマスメディア関係者自身がそれを正当化していたように私は記憶している。
それが今回、高額賞金を争ってプレーしている著名なテニスプレイヤーが「うつ病」をカミングアウトした途端、いかにも「取材対象に精神的な負担を与えるようなマスメディアの質問のやり方には、問題が有ると自分も思っていた」と言わんばかりに「取材対象のメンタルヘルスを守れ」の大合唱が始まった。この有り様は、私の目には、とても滑稽に映る。
それでは今後、彼らマスメディアは、取材対象のメンタルヘルスを本気で守るだろうか?私の予想は悲観的、つまりNOである。
今回のテニスプレイヤーに関して「取材対象のメンタルヘルスを守れ」と言われているのは、マスメディアにとってのスポーツの中継や報道が、金銭的な利益のタネだから、また、マスメディアの大半が肩入れしている政治的ムーブメントにおいて、彼女がスポークスマンの一人になっているからという理由に過ぎない。要約すれば、オトモダチだから忖度しているということである。
金も地位も無い、マスメディアとのコネも無い人間に対しては、これからも変わることなく、メンタルヘルスを無視した取材手法を用いることだろう。これらに該当する人間は、マスメディアのオトモダチではないからである。
一例を挙げる。米国ナイキ社が関与した陸上選手を育成するプロジェクトにおいて、育成対象に選ばれた女性陸上選手に対して、彼女の人権や尊厳を踏みにじる行為をコーチ陣が行っていたことが、つい最近になって被害者自身の口から告発された。それらの被害は、わずか数年前の出来事である。
今、あのテニスプレイヤーの彼女のメンタルヘルスを思いやる発言をしている慈悲深いマスメディア関係者が、この女性陸上選手を取材して問題提起するかと言えば、十中八九しないことだろう。
何故ならば、彼女は無名の選手であり、また、大企業であるナイキから広告料として支払われる小さくない金を、マスメディアも失いたくはないからである。
テニスプレイヤーの彼女のカミングアウトも、それを支持するナイキも、我々一般人をエンパワーしてはくれない。それどころか「結局、金や地位やコネを持つ人間だけが得をする」という無力感を抱かせるだけだろう。
ついこの間話題になった冷やし同人誌の件を最初に耳にしたとき、「ああ別にこの炎上を受けても当のVtuber2人の人気は変わらないだろうな…」と思った。
僕自身も今回炎上した人達ではないがVtuberグループが好きでよく見ている。(特にここでは生放送中心の)Vtuberの活動内容はゲーム実況や歌、雑談が主でその他の企画もそれらの延長にある。じゃあ何が楽しくて見てるのかというとそのキャラクター自身の考えや振る舞い、そして所属するグループ内での関係性。配信内容は同じでもそういった人間的というか内から出てくるものが結構グループごとだったりVtuberごとに違ってそこに魅力があると思ってる。だからこそファンはゲームの上手さ、歌の上手さ、じゃなくて彼ら彼女らの人間性に対してファンになる。Vtuberファンに全肯定民と呼ばれる推しをどんな場合でも褒めるファンが多いのはこういった性質をよく表しているように思う。
そして、毎日の配信はそのチャンネル主であるVtuber自身の倫理観や信条を基準に行われるし、ファンもそれに魅力を感じている。
今回多くの人の逆鱗に触れた「冷やし同人誌」もそういった彼ら彼女らの価値観の範囲で行ったものであり、今まで応援してきたファンにとっても当のVtuber本人にとっても「いつものこと」なのだ。実際に冷やし同人誌を行った時点で配信で流れるコメントからはいつものように楽しそうな様子がうかがえる。
つまり、聞く人によっては嫌悪感を持つかもしれない事柄を含む内容であるかもしれないが、それを良しとする価値観や人間性で獲得した人気であるため、そのことで炎上しても既存のファンにとって推しのマイナスイメージには繋がらない。
こうした認識の差はVtuberファンとそうでない人の間で大きな溝を作っている一つの原因でもあると思っている。Vtuberは別にアイドルでもないし正しい行いを求められる存在ではない(という認識でやっている)ので人によっては過激な発言や行動をすることがある。そもそも彼ら彼女らは完全に企業の元で配信活動をしているわけではない。多くのVtuberの生放送では自分のことを個人事業主であるという発言があることから、アイドルのように所属事務所から活動内容や行動を制限されているのではなく、割と個人の範囲で自由に行っている。一方であまりVtuberに関心がない人には事務所があってそのもとで活動している配信者というのは一定の倫理観があると思い、度々タイムラインに流れてくるVtuberの炎上を見かける度にああなんだこいつらは?と彼ら本人とそれを律するはずである企業全てを含んだ”Vtuber”に対する悪いイメージを蓄えているように思える。
実際Vtuber自体はいち配信者に過ぎないのでその発言をいちいち受け取って腹を立てていてもしょうがないのだが、ここまでVtuberと炎上がセットで語られることが多いのは単純に無視するには影響力が大きすぎるからだと考える。
Vtuberの特性上、数十~百人が同じグループに属しているため一人の炎上もそのグループの炎上としてさらに大きく捉えられることがある。ひいては”Vtuberの炎上”としても大きく解釈されていると思っていて本人やファン達が考えているよりもずっと多くの人の耳に届きやすい構造だなというのはしばしば感じる。
Vtuberとそのファンである僕達は内輪ノリでは済まない規模になっていることを客観的に捉えて自覚する必要があるし、あまり興味のない人達はまたインターネットで口がでかいやつが何か言ってる...くらいの認識で済ますのが精神衛生上良いように思う。