──どうして人と人は分かり合えないのだろう。
真田氏 (twitter:@sanada_jpexit )の創作漫画に登場する、絶大なる二次小説作家『綾城』。
ここについては最早語る草もにべもないので、読者の考察に任せたい。
だが私の中でどうしても腑に落ちないものがあるのだ。
否、理解できないわけではない。私自身腐女子だ。芸歴も15年ほどで息も長いほうだと思う。
一人目の主人公は「作家:綾城」と関わりを経ち、二人目はツイッターのフォロー等少し関わりを持ち、三人目に至ってはきちんとイベント会場で顔を合わせ会話もした。
しかしこのステップアップが、実は現実の腐女子に足りていない行為ではないのだろうか。
普通に考えると感想を貰って嫌がる創作主──筆者はいないだろう。
そこで筆者が怒ったり、悲しんだりするのであればそれは読者との間に『認知の歪み』があるからなのだと思う。
感想を送る立場側が最善の言葉を選んでいたとするのであれば、筆者は何に怒ったのか擦り合わせをしないといけない。
怒ったら、怒りのまま返事はせず、「私はそうは思いませんでした。」と素直に言っていいと思う。
何故なら、二次創作だったとしても、その世界を作ったのは筆者であるのだから。
感想を送る立場側が不遜な態度を取るようであれば「そのような言い方は失礼かと思いますので、やめた方がいいと思いますよ」
と窘めればいいと思う。普通の人間なら「すみません、そういうつもりで言った訳ではなかったのです」となると思う。
色々なパターンが想定されるが「じゃあ感想を送る側ばかり損じゃないか!!」と思う人もいるだろう。
だから、私は、言いたい。『最善の言葉を選んで伝えよう』それ以外は何も考えなくていい。
思ったまま、素敵だと思ったことを並べるだけでいい。
その解釈が間違っていれば、筆者から「そいうつもりで書いたんじゃありません」という言葉が返ってくるだけだ。
それは筆者に同じで、受け取る側が誤解をするような描写が無かったか、何をどう読み間違えたのか、情報を精査する必要があるだろう。
人と人は、話し合えば分かり合えるのなら、読者と筆者、相互の言葉を重ねる事で
きっとよりよい腐界が作れると私は思いたい。
今の腐女子たちに足りないのは、コミュニケーション能力なのだ。
このSNS時代を生き抜くには、言葉を交わし、交流し、今一度『私たちは同じ二次創作を愛する人間同士』
友達と呼べるかは、それは実際に交流をしてみないと合う合わないがあるから分からないけれど
少なくとも主人公たちは、同じ作品を愛するもの同士くらいには、なれるのではないだろうか。
きっと、おけけパワー中島は、そんな主人公たちがステップアップした最終形態なのではないだろうか。
何も恐れないでいい世界が訪れることを願いたい。