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はてなキーワード: 憧憬とは

2021-07-10

anond:20210710165623

それは何をもって「表面的な利用だ」としているの?

80年代アニメ海外に届いていたことはそうした映像的なサンプリングを「レトロ」として使用していることからも分かるじゃん。

そして、そうしたアニメ主題歌ヤマタツの影響下にあったことは誰かが前述していたよね。

であるならば、「アニメ主題歌と一緒にケーブルテレビかなんかで先に届いていてその憧憬がvaporwaveの発生とヤマタツ海外での再評価につながった」っていう可能性を否定できる根拠がなくない。

もちろん可能性の一つでしかないわけだけど、だからこそ、音楽評論の場でもっとアニソンの影響力について議論されるべきだって話じゃないの。

2021-06-18

はてなやめるので10000ブクマ見返した+ブクマカの名(迷)言まとめた(終)

anond:20210618213844

id:vlxst1224

体験し得たかもしれない情景を精緻に描いた作品を代償行為的に楽しむことで 空疎な己を超克したかのように振舞うと決まって漏れる溜息がある これは俺の心の嗚咽 人類よ覚えておけ これは枷 名を憧憬という - id:vlxst1224

ブコメページ - 漫画「恋がわから大人共」の恋人同士の関係性が可愛すぎて尊さの極みを感じる人達 - Togetter

おああーーーっ。あーっ。いけない。いけないやつだこれ。あーいけない。すごい幸せオーラ。光属性。弱点突かれてる。んんっ。死ぬ死ぬわこれ。ああーっ。もうあかんか。あかんな。闇属性やっぱあかんな。ああーっ - id:vlxst1224

ブコメページ - ご飯食べて、旦那の布団(ほんのり旦那香りつき)に寝っ転がって、旦..

時代が違えば国語教科書に載る詩人俳人になってたと思う。羨望を誰も傷つけることなくかと言って己を責めることな表現する才能は見事という他ない。(別増田id名指しで批判されたか自分id名指しで称賛してやるぜグフフフフ)

おわりに

ブコメをまとめたらなんか人生教科書~はてなブックマーカーから言葉~ みたいなものになった。各自適当人生に役立てたらいいと思う。名(迷)言って書いてたけど、ほぼ名言ブクマカ表現センス拍手👏

そのうちid消してこの記事も消えると思うのでブクマするなら魚拓にどうぞ。

IT系社会人として生きている(今は会社辞めて無職だけど)のは、ブクマ始めた頃にわけのわからないプログラミング系のサイトホットエントリーにあって、よくわからんけどカッコいいって憧れをもったから。そこはブクマカ感謝してる、ありがとう。(仕事どうしよう…)まだまだブコメおもしろコメントたかったという気持ちがないと言えば嘘になるけど、Twitterはてブアカウントは見てるので適当コメ欄は見に行くかもしれない。

あ、あとはてな運営さんはabout:blankブックマークを削除できないバグがあるので暇だったら直したほうがいいと思いますよ。

それじゃあはてなのみなさんお元気で!

2021-06-07

アニメドラマに出てくる「パンティ」が嫌い

いや、他作品パンティだかおパンツだか知らないが、クリエイターならば100%オリジナルのものを被れよ。

元ネタ作品への憧憬リスペクト

視聴者からすれば、製作者の心情など知った話ではないので、視聴者に魅せるのなら誰も創ったことのないものを創れよ。

パンティの要素を演出などで入れたのであれば、最後クレジットでその作品引用部分を書けよ。

それをしないってことは、やっぱり「後ろめたい」気持ちなんでしょ。

なぜこんなことを書いているのかと言うと、古畑任三郎パンツが「刑事コロンボ」の劣化コピーに過ぎなかった事を知って失望たから。

anond:20210607112019

2021-03-16

anond:20210316023723

いや、読ませる。

そして読みやすい。

2ちゃんや別のところに断片的にコピペされていた前田随筆集も読ませるものがあったが、ブログアーカイブも残っていたとは。

今となっては文章自体が晦渋になり読解が難しくなってしまったが、数学への憧憬法学への不信自体は当時から一貫していたことが分かった。

2021-03-06

ネット右翼いわゆるネトウヨ本質左翼である

彼らにとって体制側とはリベラル思想世界であるので、それに反発しているわけだ。

だがこの反発の正体は社会革命などという大それたものではなくもっと家庭的な問題に起因している。

もともと日本戦後左翼自分の親(この親も戦争PTSDなど抱えていた可能性もあるが)と折り合いがつけられなかった子供たちによって構成されており、

ゆえに主に父親への反抗の一環として革命運動を行って来た。

現代見方で解析するなら恐らくはアダルトチルドレンに属するだろう人々だ。

それと同様、トラウマ治療することな自身の家庭問題を逃避する形で、怒りだけを社会に持ち込んで居場所を作り出した、それがネトウヨコミュニティ

では俗にパヨク支流には俗流フェミニズム弱者男性論も入る)と呼ばれている人々は何かというと、これはネトウヨコミュニティが異なるだけで本質的には同じなのだ

彼らもまたアダルトチルドレンである。だがこちらはもう少し複雑な状況である

ネトウヨコミュニティ男性が先に作り始めたが故に基本的に男社会なので、男性的でない男性女性には入りづらい。

から周縁的な人々がしばしば行きがちな外国への憧憬に寄り集まり海外流行っていた「リベラルっぽい」集団形成した。直接向こうでリベラル思想を学んできた人々としばしば正反対言動を取るのは彼らが学問として体系的に取り込んでこなかったかである

まりパヨク世界ネトウヨに対するカウンターカルチャーである

だがどちらも確固とした社会思想も信念も持ち合わせていないうえに、そもそも本当に社会をよくしたいとは思っていないため、同じ相手と同じ問題についていつまでも解決しない論法によってぶつかり合い、非建設的な言い争いで延々と絡み合い続ける。傷のなめ合いや互助を反転させた関係だ。

彼らはいつまでも社会の周縁で幻想の父母を求めながらのた打ち回るだけの存在なのである

anond:20210306103933

いや、一部の支配階級に成れる層以外は中国国家制度憧憬なんて抱かんだろ。

様々な弊害はあっても民主主義の方がよほどマシ。

二大政党制がもてはやされたのは大国の米英が二大政党制だったからに過ぎない説

この説知ったら、「民主主義」も米英が民主主義だったからに過ぎず、大国化した中国を見て世界民主主義憧憬の念を抱かなくなるのは当然だと思った。

2020-12-17

追記あり人生の先が見えない

深夜の勢いで書き散らかすので長文乱文に目を瞑って欲しい。

日記を書くのも初めてなので粗相があってもご容赦願いたい。

——

もう30代も後半。結婚適齢期はとうに過ぎた。

付き合うと長続きするタイプだったので10代の後半から20代のうちは常に恋人がいる状態だった。

でも付き合う人付き合う人、みな暴君と化した。原因は多分私。

所謂機能不全家庭で育った。父親からの日々の暴力母親は見て見ぬふりしつつ父親への愚痴とも悪口もつかない黒い感情を私に注ぎ続けた。

母は父の従順な所有物だったので後から降って湧いた私には幼少期から家庭に居場所がなかった。

何故生まれてきてしまったのか、小学校低学年の頃から漠然死にたいと思いながら育った為、自己肯定感バイタリティも皆無な人間に育った。メンタルを病んだ時期もある。多分今でもどこかおかしいんだと思う。

それが影響しているのかは分からないが他人に興味が持てない。他人様のことを知ってもどうせ惨めな気持ちになるだけだし、増して自分理解してもらいたいなんぞ烏滸がましいと思っている。それだけでなく、単純に「知りたい」という気持ちが湧かない。

から、好きだと言ってくれる人を好きになった。私みたいな人間を好きだと言ってくれる人を大切にしなければと思った。大切にされる為には相手要求を満たせる「いい子」で、従順であらねばならないと思った。

みな最初は優しかった。しかし私が従順であればある程、全てを受け入れようとすればする程、彼らの要求は大きくなり、期待値は高まり、それを満たせなかった際の落胆ぶりは激しくなっていった。そして落胆は怒りに変わり精神的・肉体的暴力で私にぶつけるようになっていった。

そういう状態に陥ると、私の中に私を責めるヤツが出てくる。彼を落胆させ怒らせるような事をするお前が悪いと。生きる価値のないお前を大切に(冷静になれば全く大切にはされていないのだけれど)してくれる人を失っていいのか、お前の努力が足りない、忍耐力が足りない、と。

相手の顔色を伺い、精神的にボロボロになりながらも、恋愛初期のような優しい彼を取り戻す為の苦行だと思って耐えた。この先に何があるか分からないけれど、耐えた先にはきっと輝かしい何かがあると。だからどうにか耐え忍ばなければならないと。最終的には耐えられなくなって別れを告げるのだけれど。

別れを告げると殆どの人が泣きながら去らないでくれと懇願した。自殺を仄めかして引き止める人もいた。情にほだされて撤回することもあったが、結果全員と別れてきたので今がある。

30そこそこの時に最後の恋人と別れて初めてゆっくりフリー」というものを味わった。

最初は一人でいることが不安だったが、自分時間を全て自分の好きに使っていいこと、誰かに何かを強制されず自分意思で好きなことが出来ること、顔色を伺うことや他人呪縛から解放されて生まれて初めて「自由」を味わった。新鮮だった、楽しかった、いや、過去形でなく毎日自由楽しい、好きなことをしていていいってなんて幸せなんだろう。ここに来て仕事も上手く行き始めた。出来の悪い私はまだまだ「平均」には遠く及ばないだろうけど。

でも心のどこかで結婚して子を持たねばならないとも思っている。家庭を持ちたい気持ちもある。家庭を持った周囲を羨ましく思う自分もいる。

ただ、気持ちが追いつかない。婚活だの恋活だの、今の世の中溢れているけれど、他人に興味を持てない私にはメッセージのやりとりですら、相手の反応や見えない顔色を伺ってばかりで接待のように感じられ何も楽しくない。無理矢理会ってみても自分から好きになる感覚が全く分からない。ただただ面倒で、今の幸せを壊されそうで、また同じようになるのではと少し怖くて、すぐ音信不通にしてしまう。

どうしてこうなってしまったんだろう、どこまで戻ればまともになれるんだろう。

どうしたら私は「みんな」と同じようになれるんだろう。

もう、どうしたらいいかからない。

もう、どうしようもないのかもしれない。

もう、なにもかも、とっくに手遅れな気がしてならない。

私は私を救ってやれない。何故ならこの気持ちをどうしたらいいのか皆目検討がつかないからだ。自死して迷惑を掛ける勇気もない。誰か私を助けてくれないか、それが無理ならいっそ殺してくれないか

自由を楽しむ反面、仄暗い気持ちが常にまとわりついてきて、毎日気持ちがぐちゃぐちゃだ。

——

追記

独り言のつもりで吐き出したら存外に反応があって驚いています

暖かい言葉を投げかけてくれた方、ありがとう

同じような境遇の方もいて同じように苦しんでいると知って私だけではないと少しほっとしました。難しいよね。「俺が正しい、君が間違っている」定型文で笑いました。あと「何故俺の言うことが聞けないの?」もあるあるな気がする。

私みたいな状態から抜け出した方もいたみたいで、私もそうなれたらいいな。

どうしたら人から好かれるのか、愛されるのか、という点で悩んでいる訳ではないんです。正直そこはもうどうでもいい。

恋愛に縋る気もなくて、というより恋愛はもう懲り懲りだし、生まれて初めて親や恋人から呪縛から解放されて、一人で居ることが楽しくて満たされていて、この幸せ自分から取り上げたくないのだけど、まさに規範意識に囚われていて結婚せねばならないと考えてしま自分との狭間で苦しんでいます

義務感で無理矢理相手を探しても興味が持てなかったり恋愛に対する嫌悪感や面倒臭さや先立ってしまい、にっちもさっちもいかないこの状況に困っています

親が死んで完全に一人になったら辛いだろうとは思うけど、結婚したら死ぬ時は一人じゃないなんて保証はどこにもないし、歪んだ家庭で育ったので良好な家庭を築く自信も正直あまりない。私みたいな思いをするのは私だけで十分とも思ってる。

でも、それでも、「普通」に対する強い憧憬の念が払拭出来ない。私にとって30代の「普通」というのが、結婚して子を持っているマジョリティの方々にあたるんです。

幸い仕事楽しい年収もまあまあ貰っているのでこのまま一人で生きていくこと自体は出来ると思う。

先述の通り、自分の中でも色々な気持ちが入り混ざり矛盾しまくっていて、取り止めもなく綴ってしまったけれど、私は自由を楽しんでいる私をもう少し認める努力をしようと思う。出来るかどうかは分からないし、こう書いている間にもそれを否定する自分を殺せずにいるけれど。

クソみたいな長文にお付き合いいただきありがとうございました。

2020-11-22

チキチキ、クソデカ述語チキンレース

 なんか「ないものはない」とかい深淵からやって来た命題ホッテントリに上がってたけれど、ブコメ欄で言及されていた「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」はオーストリア哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの言である。我々が想定する哲学的真理の多くについて、我々は「ある」とか「ない」とかそのほか如何なる述語も設けずに、沈黙を守るべきなのだ――というのがこの発言の主旨だと思われるが、僕は学生時代ヴィトゲンシュタイン代表著作である論理哲学論考を第四章だか第五章の論理式の辺りで投げ出してしまったので、正確な解釈がどうなっているかは分からない。もし貴方が正確な知識を求めるならば、岩波版の『論理哲学論考』を書店に探しに行こう。


 ヴィトゲンシュタインは、ケンブリッジ大学にて当時の哲学大家であるバートランド・ラッセルの元で学んだ後に、ラッセルへとこの『論考』のアイデアを書き送り、激賞を受け出版へと至りました。この『論考』の主旨は、簡単に言えば「世界は言葉でできている」といったものです。極めて凝縮された文体で書かれたこの異形のテキストは、当時の哲学界に激しい影響を与えたと言われています

 さて、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」の一節はこの『論考』のラストを飾る言葉であり、また彼は「梯子を用いて障害を乗り越えた後は、その梯子を投げ捨てなければならない。即ち、この書物もまた投げ捨てられねばならない」とも同書において語っており、彼によれば同書によって哲学界における諸問題は「完全に解決された」とのことでした(後年、彼はこの意見を覆すことになります)。


 ヴィトゲンシュタインは極めてその人生に謎の満ちた人物で、ユダヤ系の影響を大きく受けた裕福な家系に生まれ、本人はカトリック教徒として一生を過ごしました。学業において非常に優秀な成績を収めた彼は、イギリスケンブリッジ大学に進学し、当時の学壇を占めていた哲学ほか様々な学問大家と対面し、議論思索を深めていくことになります

 彼の人物史を巡ってしばしば取り沙汰されるのは、彼が人生殆ど全てに渡り自殺への欲求に苦しんでいたというエピソードです。彼は、兄四人、そして姉三人の八人兄弟の内の末っ子として生を享けるのですが、彼の人生において四人の兄の内、四男のパウルを除く三人は自殺しています。そのため、ヴィトゲンシュタインの心には、常に死への憧憬が巣食っていたというエピソードは有名です。彼は、自分の死に場所を求めて第一次世界大戦従軍したとも言われています。その過酷戦場で、彼はトルストイ福音書解説を紐解きながら、砲声に震える塹壕の中で『論考』の原型を模索し、そして戦場の死に接する中で生への意欲を切り開いた、とも言われています


 さてタイトルの「クソデカ述語」に関してですが、いや、要するに「ない」って何なんですか? って話です。「ない」っていう述語なんなんすか、っていう話です。

 とかくこの世の中には意味のない述語というのが多数存在していて、その内の一つがこの「無」だと思うんですね。つまり、「無」っていうもの言及できないから「無」なのであって、それに対して「ないものはないですね」とか平然と言及しているダ○ソーの店員ほかその他の店員存在は一体なんなんすか? という話なのです。

 要するに、「無」なんてものは「無い」のだから本来であれば我々は「ありません」とか、「無いです」といった述語の使用基本的には控えなければならないのであり、つまり、我々は沈黙しなければならないわけです。それでも、我々が何かについて「無い」だとか、「ありはしない」とか語れるということは、本質的に我々の言語が、その意味対象との関係性に混乱を来しているからなのであって、要はこんな言葉のやりとりなんか単なるゲームのようなものに過ぎないんじゃねえか、みたいなことを考えるわけですね。クソデカ述語。

 世界は「ある」? コップはここに「無い」? もっと正確な記述方法があるはずです。空は青い? 空は青く「ある」? 「無い」について我々が多くのことを語ることができないにも関わらず、何故我々はその対義語とされている「ある」について雄弁に語ることができるのですか? もっと正確な記述方法があるはずです。正確には「コップは移動している。あるいは、コップは現在別の形状を取っている」が正解なのです。クソでけえ述語は投げ捨てろ、梯子を下ろせ。お前らはもっと沈黙しろ

2020-11-08

夏が懐かしくなってきた

あれだけ早く終わって欲しいと思ってたはずなのに、いよいよ寒くなってくると突然夏が魅力的に思えてくる

夏っていうか、俺の人生には存在しなかった「青春の夏」への憧憬がモリモリ湧いてくる

夏期講習の帰りにあの子と一緒になって、信号待ちをしているときにジっと横顔を見ていたら目があって、何見てんのと言われる、そういうやつ

あるいは夏休み中盤の何もない日にひとりチャリを漕いで近所の山腹にある神社に出かけて、蝉時雨を聞きながら水筒お茶を飲む、そういうやつ

ファンタジーの夏じゃなくてもいいな

普通にあれだ 教室がメッチャ暑いってことをクラスみんなで愚痴ったり、体育から帰ってくるなり教室扇風機を回し始めたり、着替えの時にシーブリーズ股間にぶち込んでる奴がいて不快だったり、そういうリアルな思い出も懐かしい

というか、30〜40人の同世代と同じ教室で一日中勉強してたんだなあと思うとなかなか感慨深いものがある

台風近づいて超天気悪い日に、窓に吹き付ける雨粒を見て帰り道のことを考えてブルーになった記憶がある

ぼちぼち皆が夏服に変わるくらいの時期のなんともいえない清々しさを覚えている そこから2週間も経つとガチで暑くなって何もすがすがしくはなくなるんだが

登校日、昼ごろに帰ると普段の通学路が妙に眩しかったな ちょっと通学路を外れたTSUTAYAを冷やかして帰ろうと思うが、あまりの暑さに断念する そういう妥協もよくあった

ああー高校生活 高校生活が俺にもあった

高校生の夏 もっかいやりてえな……

2020-10-25

サザエさんマスオさんはどのようにセックスしているのか?

昨日とある増田に書き込んだところ、他の増田に「セックスのことばっかり考えてるんじゃないの?」とコメントいただいた。

かに本当にそーで、最近セックスのことばかり考えている。

よく、高度経済成長以降に近代家族制度が変容したことが語られる。

鶴見俊輔だったか見田宗介だったかも書いていたはずだ。

1961年農業基本法趣旨の一つは、大家族による人数をかけた従来の農業経営機械化のメスを入れるものだった。

こうして農村部を中心に最後まで残っていた江戸時代以来の大きな家族というもの解体され、教科書で習うような核家族化が進む。

はてなでよく家族形態婚姻形態の変化や現状の課題俎上となるけど、その淵源の一つにこの法律位置付けられる。

私はよく、こうした大家族から家族への変化を「サザエさんのような家」からクレヨンしんちゃんのような家」への変容と紹介する。

何と無くイメージできると思うが、一つ世帯三世代が住みさらには「オジオバ」「オイメイ」が同居する形態は、近年かなり少なくなったと思う。

サザエさん時代はまだこれが一般イメージやすかったのだろう。

クレヨンしんちゃん時代になると、みさえは熊本ヒロシ秋田からやってきて埼玉家族を作る。

郊外住宅が広がって平成狸合戦ぽんぽこみたいになる世代ニュータウン時代


さてセックスの話であるセックス!!!

大家族の中でのセックスは如何に行われたか

オマセなカツオくんや多感な年頃のワカメちゃんに、サザエさんマスオさんはどう対処するのか。こればっかり考えている。

こうしたとき波平さんやフネさんがいるってことはとっても重要だ。

きっと波平フネは、それぞれの立場子供達に姉のしていることを時に上手く見せないようにしたり、時が来たらしっかり教えたりとかしていたのではないか

少なくとも、大家族形態ではそうした機会を持ちやすいのではないかと考えている。

一方、クレヨンしんちゃんの家庭ではなかなかこういうことは難しい。

初期クレヨンしんちゃんで、みさえとひろしが夕食の時に今晩セックスしたいかどうか子供にバレないように特定サイン符丁を出して確認し合う場面がある。

しんちゃんがこれに気づいて乱入してきてギャグになるのだが、非常に象徴的なシーンと思う。時代は変容していることがここからはわかる。

核家族では、子供への教育や性生活といったものが、夫婦に集中して責任としてのしかかるのだ。

もちろん家父長主義的な家族形態に戻るべきという主張をしたいわけではない。

大家族デメリットを克服しようとして現代がある(とナイーブかもしれないが信じたい)。

ただ、平成狸合戦ぽんぽこに一抹の寂しさを見るように、個人的にはここにはかつてへの憧憬がある。だからサザエさんマスオさんセックスばかり考えてしまう。


今を生きる現代人として、現代にとってより良い、より楽しい、よりポジティブな、より効率的な、より費用対効果のある家庭像あるいは地域社会像というものを常に思索しながら、自分家族と日々を過ごしていきたい。

2020-10-13

冬休み

「ボクのなつやすみ」とか夏休み共通認識というか憧憬みたいなのって

春休みはともかく冬休みにはありそうなもんだけど

それをテーマにした作品なくね?

2020-09-29

anond:20200929162640

それはビッカビカに美化した理想っちゅうか憧憬やね、騎士道の負の一面とか紳士協定みたいな

2020-09-15

ゴン動機

トイアンナさんにマウントを取って訳知り顔で

父親に会いたい」だと思ってる人がいるけど、違うぞ。

ゴン自身がこう言っている。

ジンに会いたいって思ってたんじゃなくってジンを見つける事が目的だったんだって…」(HUNTER×HUNTER 33p90)

第一話でゴンハンターカイトに命を助けられた。

カイトはいきなり殴って不見識を責めたが、教育しているべき父親がいない事情を知って謝罪した。

ゴンはこのとき初めて父親ジンが生きていることに気づきカイトジン凄さ説明した。

その後にカイト自身動機を語った。

ジンさんに認めてもらうための最終試験が『彼を探し当てること』なのさ これがどんなハントよりも難しい」

この時点では、幼いゴンカイト凄さについては分かっていなかった。キツネグマを一蹴した程度の能力しかみていない。だからジン凄さもわからなかったはず。おそらくゴンカイトの口調から彼の抱くジンへの憧憬を感じとり、それに共感したんだと思う。

ゴン動機は「恩人が憧れる凄い親戚の人に認めてもらいたかたから」だと推察する。

トイアンナさんが困惑するのは当然だ。これは、確かに分かりにくい動機だ。ありがちな自分ルーツへの好奇心ではないし、家族の温もりを求めていたわけでもない。言うなれば力への意志」みたいな感じか。

2020-09-12

永吉昴と『ビギナーズストライク』が好きだという話

永吉昴と『ビギナーズストライク』が好きだ。けど語り合える友達がいない。からここに書き散らそうと思う。

わざわざこのためにはてなの垢も作った。えらい。

最初に断っておくがわたしミリシタ2周年ぐらいかミリオンに触れ始めたにわかPだ。グリー時代全然知らないし、なんならミリシタ内でも未読のコミュもある。

しかすると先輩Pからすると「こいつ何言ってんだ?」「解釈おかしすぎワロタ」的なところもあるかもしれない。

でも全部知らなきゃ語っちゃダメか? いやそんなことはない。はずだ。不快なところがあったらごめん。

あとはてな記法とやらもよく知らん。読みにくかったらごめん。

永吉昴と『ビギナーズストライク』の魅力について語る前に、ここまで何を言ってるのか全然わからんという読者(いるのか?)のために、まず少しく基本的情報を共有しておく。

有識者の同僚諸賢におかれては★印あたりまでスキップしていただくとよろしいかと思う。

 〇永吉昴とは?

 バンダイナムコエンターテインメントの展開する『アイドルマスター ミリオンライブ!』に登場するアイドルのひとり。

 15歳。一人称は「オレ」。趣味野球で特技は変化球

 すぐ「すっげー!」って言う素直でボーイッシュキャラクターかわいい。尤もアイドルはみんなそれぞれにかわいい

 〇『ビギナーズストライク』とは?

 永吉昴ソロ曲野球モチーフに、全体的に元気な曲調で瑞々しい恋心を歌った曲。

 ミリシタ内でしかいたことのない方にはぜひフルで聞いてみてほしい。フルを知らないとこのエントリ全然わからんと思う。

 〇ミリシタとは?

 『ミリオンライブ!』のスマホゲー。詳細はググってほしい。9月からフェスから始め時だよ☆

他、わからない単語適当検索してほしい。ていうかわかるPしか読まんだろたぶん。

そろそろ本題に移ろう。


  ★


ビギナーズストライク』の魅力は、ズバリ次のフレーズに凝縮されている。

  "素直にならなくちゃ なんにも変わらない ホントライバルは ヨワムシわたし"

      (出典:http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=k-140430-185

この部分がわたしはもーほんと素晴らしいと思う。この1節のためにこの曲はあるといってよい。

尺の都合があるとはいえ、この部分がミリシタに実装されなかったのは残念至極というほかない。

さあではこのフレーズの一体どこにそれほどの魅力を感じているのか?

先述のように、ミリシタにおいて昴は基本的ボーイッシュキャラクターとして描かれることが多いが、そればかりではなく、実はかわいらしさ・女性らしさといったものへの憧憬を持っている。

例えば4コマ『あとひと押し』ではかわいい服に惹かれながらも自分からはなかなか一歩を踏み出せない姿が見られるし、オフショットかわいい必要もの』ではまさにド直球で「かわいいってなんだろう…」と思い悩む。

(少し話がそれるが、わたしの思うに『かわいい必要もの』は、一見安易性的ネタに逃げているように見えて実はしっかり昴の心情を表現している見事な一コマだ。おふざけでなく真剣に眉を寄せているのが肝だ。

例えば亜美真美ならおふざけ全開で胸に詰め物をするだろう。この違いは亜美真美が頭空っぽとかそういうことではなく、昴がボーイッシュ自分と風花さんのような女らしさとの間に乖離を感じていることに起因するものだ。

『あとひと押し』は正直なところ4コマ目が若干解釈違いで、わたしが作者なら「そ、そこまで言うならしかたねーなー!」みたいなセリフで喜ばせるところだ。「入ってみたかった」とはっきり言わせるのは違う。『あとひと押し』というタイトルならなおさら

このボーイッシュさと女らしさのせめぎあいというのが、永吉昴の大きな魅力のひとつだとわたしは思っている。このせめぎあいはすなわち子供らしさと大人らしさの葛藤であり、15歳の彼女の成長痛といってもよい。

アイドルとしてのみならず、一人の人間として女として、子供から大人へ成長しつつあるアイデンティティの揺らぎが描かれるところが、多くのアイドルの中で昴を昴たらしめている大きな特長である

翻って『ビギナーズストライク』の歌詞を見ると、全体としては「いま観戦してる試合に出てる”彼”、前から思ってたけど素敵だな~…でも告白する勇気は出ないんだよな~…でも…思い切って告白しようかな…!」みたいな歌詞なわけだが、つまり言いたくても言えず、心の中でつぼみのように大事にしている恋心をいざ伝えんと歌ったもので、要するにいままさに子供から大人へ一歩踏み出そうという歌詞なのだ

とはいえ勇気を出して告白しよう!」という曲ならぶっちゃけいくらでもある。が、『ビギナーズストライク』の場合、もう一つ注目すべきところがあって、それがさきほど引用したフレーズなのである

思い出してほしい。昴はボーイッシュキャラクターで、普段一人称は「オレ」であるしかし『ビギナーズストライク』に「オレ」は登場しない。昴が、曲中たった一度だけ心情を吐露する一人称、それが「わたし」なのである

この「わたし」のおかげで、『ビギナーズストライク』は、ボーイッシュではあるのだけれども決してそれだけではない、「オレ」ではない、恋する女の子としての昴を見事に表現することに成功しているのである

「こっそり隠したラブサイン」→「欲張りなオモイが泣き出しそう」→「告白してみよう…かな?」→「ホントライバルは ヨワムシわたし」なのである。ここに至るまで「わたし」は登場しない。ぜひフルで聞いてみてほしい。


正直に言うと、ミリシタ内で初めて『ビギナーズストライク』を聞いた時には、まあありがちな自己紹介曲だな、くらいにしか感じなかった。なんだか歌詞もわかるようなわからんような、まあ野球を恋の歌に落とし込むとなると難しいんだろうな、程度の認識だった。

初めてフルを聞いて『ビギナーズストライク』の良さに気づけたのは6月ライブ一挙放送でのことで、まあそんなわけで何が言いたいかっていうとその節は運営さん素敵な企画ありがとう可能ならまた一挙とかやってくれると嬉しいです。あとマスピ実装待ってます。あの大団円感が好きです。歌い分けもお願いします。おわりです。

2020-09-09

性欲の霊圧が消えた

病気を患ってホルモン剤を飲むことになったんやが、これが男性ホルモンを抑えるもので、もう見事なくらい性欲が消えたのや。

それまでは毎日最低でも一回、痴漢性奴隷妄想で抜いてきたが、今じゃ見る影もない。痴漢性奴隷への圧倒的な憧憬が消えて、うっすらキショイとすら思っている。

幸いにも妻や彼女はいないので、性欲がないことで困ることはない。性欲がないことでアイデンティティを失い鬱っぽくなる人もいるそうだが、自分場合セックスオナニーは湧き出る欲望の解消手段というだけだったので、欲望自体が消えたことでどうにかなる感じはない。むしろちょっと快適かもしれん

2020-08-18

anond:20200813021204

明治大正の頃の男子学生同士の、「生涯にわたるような篤い友情」と「女性への限りない憧憬欲望」が同居する様を見ると、決してバイセクシャルというのではなく、両者を完全に切り分けるところがあって興味深いですね。たとえば夏目漱石こころ」における先生の、Kとお嬢さんそれぞれへの気持ちなど。

一般的には、社会的規範に沿って整理されていくとは思うのですが、本来人と人との間に通う気持ち名前を付けるというのはなかなか難しいことだと思います

2020-08-13

anond:20200813021204

友情はともかく、他人忠誠心を持ったり服従する関係が不可解なんでしょ

女は男に服従するものとされてきた、父に兄に旦那

女が女に服従する理由憧憬や恋でしかない

女は縦社会から排除されてきた、女が服従するのは「男」であって上司の女ではない、上司立場になれる女などいないか

男が女を排除して勝手に作り上げたカースト制度ホモソーシャル。そこでの力関係は女には見えない、同性=愛も友情も何もない相手に心底から媚びる関係理解できない

2020-08-10

恋人がいるが、たぶん私はアセクシュアル

アセクシュアル(無性愛者/Aセク)って知っているか

他人性的魅力を感じない、あるいは恋愛感情を抱かない(アロマンティック)性的嗜好のことを指すらしい。

あなた他人性的魅力や感じない、あるいは恋愛感情を抱かないということを想像できるだろうか。

私は想像できない――自分他人性的魅力を感じたり恋愛感情を抱いたりすることが。

誰かとセックスするとき相手の何に欲情しているのか、何に愛しさを感じるのか、教えてほしい。そこに充足感は、あるんだろうか。

 

私には学生時代から3年半付き合いを継続している恋人がいる。週末に会えばセックスをする。セックスは好きだ。気持ちいから。感じやす身体をしているし、相手気持ちよくさせることも好きだ。

それでも時々強烈な違和を感じる。場に合わせて自分が口にした「好き」という言葉がひどく空々しく聞こえる。慣れないだけかもしれないと思い何度か繰り返したが、むなしくなるだけだったから今はもうやめた。恋人欲情した目を見て、すごい目をしているな、と客観的に思う。重なる手や唇の感触が、思春期の頃に感じた離人症のように、画面越しの他人事のように思えた。とめどない身体的な絶頂と息の荒さだけが現実的だった。

恋人ハグをするのは好きだ、温もりや匂いを感じて安心するから。寝顔を見て愛おしいなと思う。

だけど、キスセックスをするときに、自分を見つめて触れてくる相手に対して、何を感じればいいのかわからない。

 

この日記を書こうと思った理由は、一昨日ある記事を読んだからだ(恋愛的・性的に惹かれない人たち――「アロマンティック/アセクシャル」にとっての恋愛結婚像/https://news.yahoo.co.jp/articles/c716935ea75a5eea8369ceae4b01406148ddfd1e?page=1)。

「性行為一般的愛情表現としてのコミュニケーションとなることに理解共感ができず、多幸感を感じない、相手アクションに対し感情が動かない」という文章を見て、ああこれが自分違和感の正体か、と思った。

アセクシュアルという単語は以前から知っていたが、それを自分ラベリングしようとは思わなかった。自分性質ラベリングするのはアイデンティティ確立させるため、ひいては自己承認欲求を満足させるためだと考えているが、私は自己価値アイデンティティ考慮する際に恋愛性別にその重きを置いていない。他人と接するときにも性別を強く意識することはない。

 

メタ的に計測すると、街ですれ違う人の容姿仕草好意を抱く回数は、男性相手より圧倒的に女性の方が多い。メイドカフェに行ってかわいい女の子にどきどきする。生涯、この人以上に好きになることはないだろうと、諦めにも似た憧憬を抱いた相手女性だった。だから昔は自分のことをレズ寄りのバイなのかもしれないとぼんやり思っていた。セックス男性しかしたことはないが、おそらく女性ともできる。

魅力的に映る他人の肌の質感を想像することはある。でもその誰に対しても、触れたいだとか、服に隠れた素肌を暴きたいとは思えなかった。その肌の感触を確かめるのは私でなくていい。

 

他人恋愛感情を向けられると驚く。付き合うとか、そんなこと想像していなかったから。

付き合って知ったのは、私は嫉妬することが少ないこと、独占欲がほぼ存在しないということ。恋人関係とは男女関係におけるファストパスの進呈で、そういう契約関係から、期限も終了時の条件もある程度決めておくものだと思ってた。友人にそう話すと計画的すぎると笑われて、みんなはそうじゃないんだと知った。

創作物を読んで相手恋愛感情を抱いたりの欲情したりすることへ共感はできた。

実感だけが、いまだに手元に降ってこない。

 

不義については触れずに、話を聞いてほしい。

事情があって、顔が最高にタイプ男性の友人と何度かセックスをした。布団に横たわって、相手の体温を感じると心臓おかしくなったのかと思うくらいどきどきした。

触れ方が優しくて、ゆっくりから、すごく気持ちよかった。セックス最中、暗がりの中で相手輪郭を視認して、唇を重ねて、高い鼻がぶつかって、快楽を感じて、抱き合って背中を撫でて、試しに耳元へ「好き」とささやいてみて、その後「きみとセックスするのが」と付け足した。何度目でも変わらなかった。

顔が好きな男に抱かれていると意識してみたが、そのことに特別何かを思うことはなかった。ハグをしたときの方がよっぽど滲むような充足感を感じた。

 

いまだに恋愛感情恋愛感情でない好意区別がわからない。

男女問わず魅力的な相手にはどきどきする。でも肌を暴きたいという感情理解できない。

たぶん私は誰とでもセックスできるから相手限定するように気を付けている。そこに"特別"を付与しようとしている。

 

他人性的魅力を感じない、恋愛感情を抱かないと恋人に告げたら、きっと恋人を傷付ける予感がしている。

ただ、相手尊重することができれば恋人関係を維持することに問題はないから、打ち明ける必要もないと考えている。

 

それでも、教えてほしいと思うことがある。

2020-08-09

東京人憎すぎる(追記

恵比寿とか目黒とか日比谷とかさあ

知らねえんだよてめえらの住んでるところのローカル地名なんかよお

なんの留保もなくバンバンバンバン書きやがって

日本人なら全員山手線各駅の街についてザックリ知ってると思ってんのか?

知らねえよ

池袋金玉袋の町で新宿は地面がジュクジュク、田園調布の田園、超深いw 渋谷名物ブイヤベース八王子には王子が8人、くたばれ!

まず俺が東京のクソどうでもいい地名粒度で言えば立江とか羽ノ浦とか土崎とか川尻とか、何?どこ?って感じの、市ですらねえようなのの名前を知っていること、知らざるを得なかったことがおかしいんだよ

気持ちわりいしゃべり方の東京人がテレビで延々クソどうでもいいローカル地名をさも当然のような顔で垂れ流しやがったせいで俺ははじめて東京に行ったときあたり中知ってる地名ばっかりでびっくりしたんだよ

あの時だ あの時はっきりとした東京への憎悪を覚えた

つか東京だけじゃねえんだよな 関東人間はとにかく傲慢、表情がキモい、口調が嫌、性格が悪い、センスが悪い 最悪

ニコタマ川崎横浜、あと何だ、知らねえけどとにかくいろんな地名を知ってて当たり前って態度で語ってくるその姿、許せん

そんでさあ鹿児島ってどんなとこなの?とか言ってくんだよな 殺すぞ・てめえの街には何があるんだ・俺は知らねえぞ・知っていてやらねえぞ

東京近郊に生まれておきながら弱者ヅラする人間もウザすぎる 都心まで2時間かかるよ〜wではない、俺は飛行機に乗らねえといけねえんだよ都心によ、つか人生で2回しか行ったことねえんだよ東京、嫌な街だ、滅んで欲しい

テレビつけてさあ、「皆さんにも是非おすすめスイーツ」つってるその店の所在がまあ東京なんですわ ここは東京じゃねえの まあそりゃマドリードでもモンテビデオでもうまい店があるなら紹介はするんだろうけどさ、そういう紹介ってどこかリモートな感じというか、慎みがあるというか、世界にはこんなところもあるんです、行けたらいいですね、っていう、憧憬にも似た感情の篭ったものじゃない

東京の店の紹介は下品なんだよ、当たり前に週末いける、なんなら今から行っても間に合いますよ、ここで紹介しちゃったからには明日から行列かもね!そういう俗っぽさが滲み出てくんだよな しかもそれを全国ネットでやっちゃったりしてもう恥を知れ!!!死ね!!!!!!

知らねえんだよ1000kmも離れた街のベーカリーパンが美味いからなんなんだよ買えねえんだよ一生いかねえよそんなとこ女将の人柄がいいからなんなんだ嫌味かぶっ殺すぞ

と思うからグルメ番組なんてもう見られねえわ

番組つうかネットですらヒドイ

全国ネットどころか全世界ネットのところでいち都市ローカルネタを知ってて当然の前提知識みたいな扱いにするな ホンマにゴミ

「どこにでもある」とか言って関東にはすげえ数あるけどこの辺には全然ないチェーン店名前出されるとガチ叫びそうになる お前のどこでもドア関東圏でしか使えなさそうですね 俺は謙虚さを知ってるから「どこでも」の意味も正しく理解できる

東京神奈川埼玉は俺にとって不倶戴天の敵でありそこ出身の奴がいたら本能的に嫌ってしま

まれついての貴族かつその自覚がないようなやつばっかりで最悪

トンキンなんて言葉があるが、ありゃペキンに失礼だぜ 東京なんかと一緒にされちゃあ可哀想だ 東京東京って呼ぶしかないんだよ それ以下の存在はないんだからねえ 

 

(追記)

テレビは持ってないぞ!

でも彼女の部屋にあるからつい見ちゃう

そして憎悪をかき立てられる 

つかテレビだけじゃなくてネットダメつってんだろ DPZとか好きだけど、東京ネタが出てくるたびにキレ気味になってんだ俺は

2020-07-26

F欄中退した学歴厨の妄言

自分は、自分のことをとても頭の悪い人間だと思っているし、実際どう考えても賢いほうではない。

そんな人間でも一応「大学」と呼べる機関に一瞬だけ籍をねじ込めていた時期があって、その頃が人生で最も楽しかった。友達はいなかったが、日々、図書館の本を片っ端から読み、大学契約している論文サイトから気になるトピックを拾い、学生証を使ってたくさんの博物館美術館を訪ねた。楽しかった。

大学は本当に典型的しみったれた私文で、偏差値うんこだったが、同期はみんなとてもクレバー好奇心旺盛で、専攻分野への野心に燃えていた。みんな僕よりずっとずっと賢かったし行動的だった。ゼミ先生普通にその分野でブイブイ言わせてる凄い人だった。なので、こんな底辺校ですらこんな素晴らしい学生教授が在籍しているのだから、「頭の良い」大学楽園のような場所なんだろうなという憧憬をずっと抱き続けて生きてきた。

自分は、大学卒業できなかったのでいわゆる就活もできず、適当仕事転々としながら生きている。それでもまぁ幸せと言っていい生活を送ることはできていると思う。

からインターネットでいわゆるKKO議論若者貧困なんかが話題になっていたとき、その当事者たちに旧帝大卒や、それでなくとも国立大卒がゴロゴロいるのを見て、頭を後ろからぶん殴られたような衝撃を受けた。

彼らはそんなに頭が良いのに、頭が良いのにどうして幸せじゃないのだ。おかしい。頭の良い人には幸せになる権利がある。この世界という本に書かれた文字を読むことができる人間にはそれ相応の見返りがあるべきだ。

そして何より、彼らに対して「学歴がないからだ(旧帝だぞ!?)」「努力を怠ったツケが来ただけ」みたいなバッシングが出てくるのに本当にびっくりする。

彼らに「学歴がない」のならクソみたいな大学しか行けず、それすら卒業できなかった僕はなんなんだ。なんなんだよ畜生

そもそも大学の格なんかどうでもいいんだ。どんな大学でも、どんな学部でも、それぞれに万金の価値がある。

日本で一番つよい大学東大京大だと思うが、先進分野では筑波のほうが強いように、考古分野では東北大のほうが強いように、偏差値ブッチギリであることそれ自体意味はないんだ。ネットの一部で有名な国士舘だって中東に発掘調査に行くくらい地力があるんだぞ。

正直ここまで書き連ねてきて自分が何を言いたいか全く分からなかった。けども、とりあえず憤りと虚無感のようなものをいっぱい感じているのは分かった。

たくさんの興味を持って大学に行き、たくさんのことを学んできた人達が、大学名前とか幾つかの数字だけでジャッジされているのを見ると凄く凄くつらいということ。彼ら一人ひとりの頭脳にそれぞれ互換性のない価値がある。忘れないでほしい。それは偏差値に関わらずきっと大切なものから

あと、やっぱり僕は学歴厨だから自分より良い大学に入れてちゃん卒業できた人達にはみんな幸せになってほしいんだよ。そうじゃなきゃおかしいじゃん

2020-07-15

陳腐感想じゃ喜べない腐女子によるお気持ち表明


「『最高でした』の一言でも感想もらえたら嬉しい」という主張をTwitterなどでたまに見かける。

感想ほしい」系の話題になったとき、「シンプルに『読みました、良かったです』だけでもめちゃくちゃありがたい」とツイートしているフォロワーもいた。

私はそう思わない。

「最高でした」とか「良かったです」とか、ほんの一言しかコメントがこなかったら、がっかりする。


2015年から2017年ごろ、私はpixiv小説を書いていた。漫画もたまに描いた。

覇権というほどではないけど、その時期放映していたアニメの中ではかなり人気のあるジャンルだった。

流行さなか、投稿した小説は最高5,000、漫画は4,000程度のブックマークがついた。

もちろん流行ジャンルの力があってこそだけど、それにしても、かなり読んでもらえていた方だと思う。

たくさんの人に読まれるのは素直に嬉しかった。

目にとめてもらえるだけでもありがたいのに、気に入ってブックマークまでしてもらえるなんて、書き手冥利に尽きる。

たくさんのブクマがつく中、感想もたくさんもらえた。

ただその多くが

「最高でした」

「良かった…」

尊い…」

といった、ほんの一言コメントだった。

いやぁ……

これがねぇ、驚くほど嬉しくない。



オタクならわかってくれると思うけど、アニメで好きなキャラ達が動いて喋っているのを見ると、うおああああ…と悶絶してしまう。

愛しさとか憧憬かいじらしさとか切なさとか、ありていに言えば萌えとか、いろんな感情が胸にきて、どうしようもなくなる。

そんな気持ち昇華するために小説を書いていた。

うんうん頭をひねって、自分の中のあらゆる引き出しを開けて、ぴったりくる表現を探しながら書く。

ああでもない、こうでもないと試行錯誤する。思うように表現できずに苦しい時もある。

「なんで私、苦しんでまでこんなことしてるんだろ…」と冷静になりそうな自分を「好きだからだろ!」と激励して書く。

書いているうちに「死ぬほどつまんないな」と思って、ダーーーッと文章を消して、また1から書き直したりする。

そうやって原作へ抱いた情熱を、粗削りながらも形にした作品

時には3万文字だったり5万文字だったり7万文字だったり、本が出せるほどの長文になった(本も出した)。


そんな感情の塊を投稿して、返ってくる反応が

「最高でした」

「良かった…」

尊い…」

…………。

なんていうのかな、肩透かしって言ったらいいのかな?

pixivアクセスして、通知が届いてて。

「(作品名)にコメントがつきました」って表示されて。

クワクしながら確認したら、安っぽいコメントが、たった一言しか書き込まれてない。

えっ?それだけ??? と思う。

もっとこう…あったでしょ? って。

何も400字詰め原稿用紙3枚以上の感想文をよこせって言ってるんじゃない。

長文感想以外認めない!ってわけでもない。

ただ、もう少し具体的に

「あのシーンの〇〇のセリフにこれまでのすべてが詰まっていて最高でした」とか。

ハッピーエンドで良かった…最後に2人が結ばれて本当に良かった…」とか。

「読み終わった今、胸がいっぱいで言葉にならないです…。尊い…」とか。

せめてそれくらいほしい。

マジの一言しかないと、「あんなに必死で書いたのにそれだけかい」と思う。

さらにひどい場合pixivコメント欄で使えるスタンプだけポンと送って来られたりする。

一時期本当にスタンプしか送ってもらえない時があって、ゾウが鼻血出してる絵を見ると未だにげんなりする)


「神」「最高オブ最高」「てえてえ(尊いを崩した言い方らしい)」など、オタクが使いがちなネットスラングが便利なのはわかる。

昂った気持ちを端的に表せるから使いやすいんだろう。

でも、あまりにも脳みそ使ってなさすぎる。

あちこちで使われすぎて手垢まみれだし、薄っぺらくて陳腐だし。

そもそもそれって、自分言葉じゃないでしょ。


オタク各位、創作物を読んで抱いたご自身お気持ちは、もっと大切にされた方が良いかと思います

感想を送ろうと思い立った際には、そのお気持ちを、もう少しだけ丁寧に言語化していただけないでしょうか。


気持ち言語化するのが苦手」という人もたくさんいるだろう。

言語化はできるけど、情熱込めた感想送って、気持ち悪いと思われたら嫌」って人もいるはずだ。

でも、使い古された脳死コメントや、pixiv運営が万人向けに用意したスタンプを送られるくらいなら、

Twitter作品リンク張って「これ最高だった!読んで!」って宣伝してもらえる方が、私はずっとずっと嬉しい。


感想もらえるだけありがたいと思え」と言われればその通り。

世の中、一言コメントどころかスタンプさえもらえない創作者がいるのはわかってる。

だけどやっぱり、

コメント欄に気持ちのこもった感想を書き込んでもらったり、

1万文字まで送信できるメッセージからビッシリ長文で感想を送ってもらったり、

イベント会場で感想がつづられた手書きのお手紙を対面で渡してもらったりして、贅沢を覚えた身としては、

一言コメントを送られると「それだけかよ…」と思ってしまうわけだ。


しかし「一言しか感想もらえないとがっかりする」なんて発言したら普通に引かれるだろう。

こいつ性格悪っ!誰が感想なんて送ってやるかよ!となって、一言コメントさえもらえなくなるだろう。

あまつさえ陳腐コメントよりしっかりした感想送ってくれ」「スタンプ送るくらいならTwitter宣伝してくれ」なんて言おうもんなら学級会案件になってしまう。

拡散力のある人が拡散してつるし上げられたら大炎上して、ジャンルにいられなくなるかもしれない。

そんなわけで今回、匿名でのお気持ち表明とあいなりました。


インターネットを使い慣れたオタクの皆さんなら承知の上と思いますが、念のために言っておきますと、この記事に記した内容はすべて個人的意見です。

冒頭に書いたとおり、たった一言コメントでも嬉しいという創作者さんの方が多数派だと思われます

こんな贅沢でワガママなヤツもいるんだな~くらいの気持ちで受け取ってください。

ここまで読んでくださってありがとうございました。




~以下余談~

そのジャンルでの二次創作には区切りをつけて、2018年現在、別のジャンル活動している。

2010~2013年ごろ流行していたけれど、今はピークを過ぎており、公式から情報が途切れて久しい。

ストレートにいうと斜陽ジャンル(そのためか年齢層もやや高めに感じる)。

このジャンル小説投稿すると、驚くほど濃密な感想文が送られてくる。

「〇〇の場面で××が△△したのは伏線だったんですね」とか

「この行動には□□に対する作者の皮肉が込められていると思う」とか

ラストシーン安易に〇〇にしなかったのが逆に感動的だった」とか。

感想だけじゃなく、考察評論コメント欄で交わされていて、とても面白い

ブックマークは多くても300~400程度だけど、コメント率がとても高い。こうなると書き甲斐が段違いだ。

感想をもらえると創作意欲がメラメ燃えるタイプオタクにぴったりのジャンルだと思う。

相性のいいジャンルにはまれ幸せだ。

2020-06-20

安倍首相原動力

確固たる思想を持った保守派ではない。

祖父岸信介憧憬を抱き、祖父が目指した道筋をたどることで「認められたい」

その一心なのではないか


安倍晋三 沈黙仮面」より

 晋太郎戦争体験を「思想形成に影を投げかけていた」とネガテイプに捉え、岸の青春時代大正期)を「日本が大変飛躍的な前進を遂げた〈栄光時代〉」と憧憬を隠さない。安倍歴史認識の原点がここに読み取れる。しかし、よく考えれば祖父青春時代も父の戦争体験も、安倍はもちろん直接知らないし、恩師や学友が言うように歴史書物を繰って勉強した形跡もあまりない。それでも「祖父は正しい、父は間違っている」と断を下したのは、おそらくは「パパより、おじいちゃんが好き」というようなパーソナルな体験によるのだろう。

 安倍新人議員時代読書も、純粋意味での知識の吸収というよりは、幼心に刻まれた「おじいちゃんは正しい」という思いを確認する作業だったように思える。「おじいちゃんのやったことは間違っていなかった」とする「岸史観」が、首相に就いた安倍をして憲法から安保教科書に至るまで、戦前回帰とも思える戦後体制否定にひた走らせているのではないか


2020-04-30

anond:20200430132047

元増田です。これは確かにわかるなあ。

なんでだろうって考えてみたけど、おそらくアロマンティックでない異性愛者の男性女性比較したとき一般的女性のほうが寝た相手に情が湧きやすく、男性のほうが気になってた相手でも一度寝るともういいやってなりやすい傾向があるからなのかなあ。

(ほんとは男がこう女がこうってカテゴライズは好きじゃないんだけどあくま経験から一般論ってことで許してね。生まれつきの違いというより社会生活していく中で後天的に獲得する男性性・女性性なのかなって気がする)

『一部の』異性愛男性からしたら付き合わなくても寝られる性的対象(=女)は歓迎すべき存在だしセフレと遊んでる同性をうらやましいと思うけど、異性愛女性からしたら付き合わずに寝る性的対象(=男)は自分の心を傷つける存在になるしセフレと遊んでる同性はだらしないビッチに見えるから忌避する。

あとは女性って全体的にまだあんまり他人性的対象として露骨に客体化することに慣れてない気がするから露骨な性描写のない客体化については女も大概だと思うけどね。少女漫画とか)、実態を知らないままに「性を積極的に楽しむ女ってかっこいい!」って憧憬を抱いちゃう人も結構多い気がするな。これは自分オタク界隈ど真ん中にいるか相対的に数が多く見えるだけかもしれないけど、特にオタク女性に多いなーって実感している。実生活性愛に触れる機会が少ない人の比率一般人に比べて高いからかな?

男とか女とか関係なく、恋人がいらない人はいらない人だけで納得ずくで遊べれば誰にも迷惑からないんだけどね。我慢の利かないおバカな人が恋愛を求める人にまで手を出して自分欲望のために弄ぶのはほんとうによくない。

私は当事者じゃないけど、一度に複数人間関係を持ちたい(特定パートナーとだけ関係を持つことに違和感がある)人にも言えるよね。ポリアモリー関係を築くって全員の同意があればいいけど、片方が主張してもう片方が納得してなければただの浮気だし。

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