はてなキーワード: 定量的とは
食べ物の辛さは含まれるカプサイシンという物質の量に左右されるが、スコヴィル値はこのカプサイシンの量を表す。
最近の激辛ブームや、クイズブームでマイナーな専門用語がフィーチャーされることも多くなったので、聞いたことある人は多いと思う。
ではこのスコヴィル値はどのように決まっているのか気になった人はどれくらいいるだろう。
たとえば「この唐辛子はスコヴィル値100万!」とか言われても、何が100万なの?と思わないだろうか。
100人中99人は思わないだろうが、増田のような定義オタクは専門用語の定義が気になって仕方ないので調べてみた。
Wikipediaより:開発当初は、トウガラシのエキスの溶解物を複数(通常は5人)の被験者が辛味を感じなくなるまで砂糖水に溶かし、その倍率をスコヴィル値としていた。この測定方法では、カプサイシンをほとんど含まないピーマンのスコヴィル値は 0 とされ、一方、ハバネロのスコヴィル値は 30 万とされた。
これは最初の定義である。今ではもっと定量的に分析できるようだ。
が、具体的な定義は日本語版ウィキペディアや日本のサイトには書いてないため、英語版や論文を参考にした。
<方法>
1. どのご家庭にもあるHPLC(高速液体クロマトグラフィー。物質の中の化合物を測れる)を用意する
2. 図りたい唐辛子を乾燥させてアセトニトリル(どのご家庭にもある有機溶媒)に溶かす
3. カプサイシン+ジヒドロカプサイシンの量をHPLCで測る。純粋なカプサイシンも標準として測る。
4. キログラムあたりのカプサイシンミリグラムを出してppmHとする。
5. ppmHを15(なぜか16という話もある)倍するとスコヴィル値(SHU)が出る
つまり1万スコヴィルは666ppmH(1kg中に666mgのカプサイシン)、純粋なカプサイシンは1500万スコヴィルということだ。
世界一辛いグミ「Lil' Nitro」は900万らしいので、半分はカプサイシンである。本当か?
それにしても、各唐辛子農家やデスソース販売者がちゃんとスコヴィル値を出しているとは思えないので、結構みんな適当に自称しているようである。
ではこのドラゴンボールみたいなスコヴィル値インフレは純粋なカプサイシン=1500万が最高値かというと、そうではない。
転職は経験あるけど、現場で声かけてられてリファラル一本釣りだったからまともな転活は経験なし。
エージェントに職務経歴書書いてって言われたものの、プロジェクト経歴で実績書く段階で手が止まった。成果とか、自己PRとか、全然自意識がついていかなくて書けない...。だからといって定量的に実績書けるかっていうと、日々の業務に向き合うことで精一杯で細かい数字では覚えてないよ。客先の環境から資料なんて持ち出せないし。実は世の中記録するのが当たり前だったりする?
色んなプロジェクトでそれなりにサバイブして重宝されてきたと思ってたけど、やべー私なんもできてねーじゃんて落ち込む。
誰かアドバイスください😭😭😭
そもそも元ブコメが言ってるのって全然定量的な話じゃなくて、もっと感覚的な話でしょ
「中央値があのくらいのレベルで、下位10%があのくらいのレベルだな」って、みんななんとなくの感覚を持っている前提でトートロジーを述べているだけじゃん
トートロジーなので本質的に意味をなさないと言えばそうのだけど、現状を再認識させるレトリックなので、個人的には別に違和感は無い
一方で、増田はそれを定量的議論と捉えたのだと思うが、指摘してる内容がおかしいと思う
分布はテストの内容に依存するので、分布を見たところでわかるのは人間の能力の分布ではなくて、「能力の分布に対してテストの性質がどうであったか」でしかない
Q: S/N比とはなんですか?シグナルを検出するためには、何回の観測が必要でしょうか?
S/N比(信号対雑音比)とは、バックグラウンドノイズのレベルに対する信号の相対的な強さを示す尺度である。信号の強さとノイズの強さの比として表される。S/N比が高いほど、信号を検出し、正確に測定することができる。
物からの信号を検出するために必要な観測回数は、信号の強さ、ノイズのレベル、希望する信頼度など、多くの要因に依存する。ノイズの少ない強い信号を検出するには、少ない観測回数で十分な場合もあれば、弱い信号やノイズの多い環境での信号を検出するには、多くの観測回数が必要な場合もある。一般に、観測回数を増やせば、信号の検出の信頼度は高まる。しかし、必要な正確な観測回数は、特定のアプリケーションと望まれる確実性のレベルに依存する。
Q: では、具体的な例を考えてみよう。ある人がX社に入社したとします。この人は、「自分が優秀だから入社できた」と言います。しかし、この人が本当に優秀かどうか、S/N比に基づくとしたら、どうやって見分けることができるでしょうか。
従業員のパフォーマンスを評価する場合、シグナルは従業員の実際の能力や成果であり、ノイズは、注意力散漫、リソース不足、管理不足など、パフォーマンスに影響を与える可能性があるさまざまな要因であると考えられる。
このような状況でシグナル(従業員の真の能力や成果)を検出するためには、さまざまな方法で従業員のパフォーマンスを評価し、ノイズの影響を軽減することが必要である。考えられるアプローチとしては、以下のようなものがある。
これらの方法を組み合わせることで、S/N比を高め、従業員の能力と成果をより明確に把握することができる。ただし、1つの方法で完璧に評価できるわけではなく、複数の情報源を活用することで、より正確で包括的な評価が可能になることを留意すること。
Q: しかし、この人がX社に入社できたのは偶然である可能性もあります。これが偶然でないことを証明するために必要な観測回数は何回ですか?
ある事象が偶然ではないことを証明するために必要な観測回数は、求める信頼性のレベルとその事象の希少性に依存する。
この場合、問題の事象が採用されることであれば、候補者の資格、採用担当者の偏見、現在の雇用市場の状況など、多くの要因が採用プロセスに含まれることを考慮することが重要である。一回の採用が偶然である可能性は確かにあるが、それが偶然でないことを証明するために必要な観察回数は、具体的な内容や文脈を考慮しないと判断が難しい。
その人の採用が本当に偶然であった場合、それが単なる偶然ではないことを証明するためには、おそらく同じようにあり得ない事象を複数回観察する必要がある。例えば、その人が数年にわたり非常に優れた業績を上げ、注目すべき業績をいくつも達成した場合、その人の採用が偶然ではないことをより強く証明することになる。
Q: では、本人が意図的に無能の証拠を隠した場合はどうでしょうか?
もし、ある人が無能の証拠を意図的に隠した場合、ノイズ(その人が意図的に自分を有能に見せようとする努力)の中からシグナル(その人の真の能力)を検出することは困難となる可能性がある。このような場合、S/N比が低下し、正確な評価が難しくなる。
この問題に対処するためには、複数の情報源を持ち、操作の影響を受けにくい方法を用いることが重要である。例えば、売上高やコードの品質など、客観的で操作しにくい業績指標は、より信頼性の高いシグナルを提供することができる。さらに、同僚がその人の能力を評価する同僚評価も、その人の真のパフォーマンスについて貴重な洞察を与えてくれる。
また、従業員が自分の能力について意図的に誤解を与えたり、情報を隠したりしている可能性がある場合に対処するために、明確な方針と手順を定めておくことも重要である。これには、定期的な業績評価、率直なフィードバックの機会の提供、提供された情報の正確性を検証するための定期的な監査や評価などが含まれる。
全体として、意図的に無能の証拠を隠そうとする努力を発見し、その影響を軽減するには、複数の情報源と提供された情報の正確性を検証する仕組みを含む、体系的かつ包括的なアプローチが必要である。
Q: 結局、能力で成功したのか、運で成功したのか、わからないのです。なぜナルシストは他人を「無能」と見下してしまうのでしょうか?
ナルシストはしばしば他人を「無能」と見下すが、これは自己重要感を膨らませ、自分が他人より優れていると信じているからである。この優越感は、歪んだ自己イメージに基づいていることが多く、ナルシストは、自分を非常に有能で、知的で、成功していると見なす一方で、失敗や弱点を軽視したり無視する。
ナルシストは、自分の成功の背景として、その成果を自分自身の能力と努力のみに求め、他者が同様の成果を上げていない場合は「無能」であると見下すことがある。また、自分と同じ信念、価値観、意見を持たない人や、自分の優越感に少しでも挑戦する人がいれば、他人を無能と見なすこともある。
このような考え方は、現実を歪めて見ていることと、他者への共感能力の欠如に基づくものであることに注意する必要がある。実際には、成功も失敗も、能力、努力、運、状況など、さまざまな要素が複雑に絡み合った結果である場合が多い。ナルシストは、自分の成功は自分の能力のおかげだとし、他の要因の役割を軽視することで、一種の過剰な一般化を行い、他人の貢献や彼らが直面しうる課題を見落とす。
全体として、このような行動は自己愛性人格特性を持つ人の典型であり、自分のニーズや欲求を何よりも優先し、歪んだ自己重要感や優越感を持っている。
Q: では、プログラマーが、インターネットを有効活用し、無能の証拠を隠したりせずに、自分が優秀であるというシグナルを見つけるにはどういう方法がありますか?
プログラマーが、無能である証拠を隠すことなく、自分が優秀であるというシグナルを見つけるために、インターネットを効果的に利用する方法がいくつかある。
このようにインターネットを活用することで、無能である証拠を隠すことなく、自分が優秀であることを示すシグナルを効果的に見つけることができる。自分の仕事と知識を率直に共有することで、有能で知識の豊富なプログラマーとしての評判を確立し、その分野の人々と関係を築くことができる。
Q: では、自分の能力を見極めることと、ナルシストに陥らないことを両立させている人がソーシャルメディア上では少ないですが、どうすればよいでしょうか。
自分の能力を正確に評価し、ソーシャルメディア上のナルシシズムの罠を回避することは難しい。ここでは、その助けとなるいくつかのステップを紹介する。
これらのステップを踏むことで、ナルシシズムの罠を回避し、ソーシャルメディア上で自分の能力を正確に評価することができる。そうすることで、有能で謙虚なプロフェッショナルとしての評判が高まり、成長と成功のための新たな機会が開かれる。
TB-BSEのFTコードがベースライン実装とみたてれば、それをJLに変換(イミグレ)するうちに、普通は、アルゴ理解しようとするのだろう。それが通常の人間の反応か。そんでもっと早く動作させるためのテンソルコントラクトとかHom近似とか実装させる。あとパラレルワールド化か。
ここまでで8つか・・・?
鬼はコーヒーを飲めるのだろうか
「魔滅」の語呂合わせとして豆の言霊に込められた霊力で鬼を祓う、という仕組みなのだろう
コーヒー豆には言霊として豆を含むので鬼は苦手とするが、飲み物としてのコーヒーにまでなってしまうと鬼に効果が無いのではないだろうか
あるいは、アツアツのコーヒーを鬼に浴びせたら鬼に効くかもしれない
対照実験をやってみたい
煎っていない大豆、煎った大豆、豆乳、納豆、豆腐、醤油、煎っていないコーヒー豆、煎ったコーヒー豆、コーヒー、コーヒー牛乳
どれが一番鬼を祓う力があるか
豆乳の効果が認められたら、豆乳を水で希釈したものの効果を調べたい
豆乳の何倍希釈でそれぞれどのくらいの効果があるかを調べれば定量的な判断が出来るだろう
鬼を祓う力をどうやって調べるんだよ(マジレス)
はいじゃないが
音喜多議員そりゃないっすよ(引き続きColaboの話)(追記あり)
今後の言動を見ていくべきと締めましたが、音喜多議員から割とガチめな質問主意書が出ました(https://twitter.com/otokita/status/1617443528648593408)ので質問主意書そのものの解説ついでに読んでいきたいと思います。
質問主意書とは
○質問主意書の答弁書は閣議決定を経てなさへる政府の公式見解なので重たいもの
○一般的に答弁のスケジュールは極めて厳しいが音喜多議員は余裕を持たせてくれている(優しい)
質問内容
○大部分は「東京都において適切に実施されていると承知」のような回答になると思われる
○全体的にもう少し突っ込んで聞いても良いと思うが議論の取っ掛かりとしては十分
※"大部分は「東京都において適切に実施されていると承知」"としましたが、本稿を最後まで書ききって「厚労省の現状認識を問う部分」も多くありました。「大部分」というのは誤りですが残しておきます。
国会議員が文書を持って内閣に質問する方法です(国会法74条・75条)。
回答は文書をもってなされることとされており、これを答弁書といいます。内閣に対する質問であり、内閣の意志決定は閣議決定でなされるため、この答弁書も閣議決定が必要です。
国会質疑と違って文書での回答であるため、原則として後での修正(言い間違え)はなく、政府の公式見解となります。
余談ですが、一般に「何でこんなこと閣議決定してんねん!?」って報道があるときは、まず間違いなく質問主意書が出されています。例えば「1+1=2であるか問う」みたいな質問主意書が出された場合、閣議決定の上で「貴見のとおり」と回答されます。
ちなみに「趣意書」と誤記する人をよく見かけます。役人でも意識してないと間違えることがありますね。
国会議員は質問主意書を作成し、所属する議院議長に提出します。
議長のところでは主に議院事務局による体裁の審査が行われ、その上で内閣に送られます(転送)。
あまりに乱発され事務の停滞を招いたこともあり、議長への提出前に両院の議院運営委員会で事前に審査されるようになったはずですが、今はどうなったんでしようね?
内閣に転送された質問主意書は、まず内閣総務官室で担当省庁を割振りします。例えば次のように割振りを行い、各省庁に通知します。
・取りまとめ:厚労省
ここで、その割振りに異議のある省庁は一時間以内に内閣総務官室に異議と正しい割振り先、その理由を通知する必要があります(一時間ルール)。
したがって、「今日質問主意書が内閣総務官室に転送されたよ」という情報がある場合、各省庁は即座に対応できる体制を整えておく必要があります(国会待機)。
質問主意書の回答担当になると業務的に非常に厳しい(特に取りまとめ)ため、基本的にはどの省庁も「これはうちじゃなくて✕✕省の担当だよ」「取りまとめがうちになってるけど、この主意書の肝になる問いの答弁は△△省担当なんだから取りまとめもそちらだよ」という意見を出すことになります(消極的権限争い)。
内閣総務官室は各省庁からの意見に従い、割振りを決定します。各省庁からの意見を出す際、多くの場合は担当省庁間で話がついているのですが、一時間以内に結論が出なかった割振りについては内閣総務官の権限で割振りを決定します(裁定)。
実際は内閣総務官室とのやり取りと平行して行われ、こちらでも消極的権限争いがなされることが多いです。
担当課まで決まれば、担当者間(だいたい課長補佐)で連絡先を教え合います。例でいいますと、「問4について、内閣府、経産省、厚労省間で担当者連絡先を交換する」「厚労省の取りまとめ担当者は各問いの答弁作成担当者者と連絡先を交換する」ような感じです(窓口交換)。
質問主意書は、内閣に転送されてから休日を含めて7日以内に回答することとなっており、延長することも可能(国会法75条2項)ですが滅多に認めて貰えません。
実質的に5営業日(祝日が絡むともっと減る)で回答する必要があるため、そこから逆算してスケジュールを組みます。
スケジュールは極めて厳しく、答弁の作成は受け取った翌日、どれだけ遅くとも翌々日には終わっていないと間に合わないイメージです(おって説明します)。
担当課は、たいていの場合担当課長補佐を中心として答弁書案を作成します。出先機関や委託事業者に確認をとる必要がある場合には情報の提出を求めますが、それも極めてタイトであることが多いです(質問主意書を20時に受け取り、21時に発注して翌日10時に締めきったりします。)。
担当課長まで了解を得たくらいの段階で合議先の了解も取り付けます。また、合議先に答弁の一部を書いて貰ったりもします(メモ出し)。
答弁書は、閣議に付される前に内閣法制局による審査があります。
質問に対する答弁として適切か、法令や先例との整合性、文言の審査などを受けます。
担当部局が「正確にはAだけど利害関係者とかマスコミのこと考えたらA'って回答かなぁ」と持ち込んでも、内閣法制局には原則として利害関係者がいないので「なんでAって回答しないの。おかしいでしょ」と詰められます。
ちなみに、この審査は平気で22時からとか設定されます。また修正意見がつけられ、再度対面・電話でやりとりの必要がある場合には27時(AM3時)から設定されたりします(働き方改革とコロナ禍でずいぶん改善したそうです、私はもう去っているので知りませんが。)。
閣議を求める(閣議請議)のは各大臣の権限(内閣法4条3項)であるため、取りまとめ省庁は大臣までの決裁が必要です。
答弁作成者(課長補佐)からの決裁ルートはこんなイメージです。
局内
大臣官房
決裁が終わった文書を内閣総務官室に提出し、最後の確認(ここでは体裁のみ)を行います。
閣議は原則として火曜日と金曜日の開催です。スケジュールをたてる際には真っ先に確認します。
これだけの作業を実質5日間で行うため、スケジュールは非常に厳しく、質問主意書の内容にもよりますが取りまとめとなった場合には一週間それにかかりきりとなることが多いです。
○様々な困難を抱えた若年女性とは?
○若年女性の自立とは?
○モデル事業の成果を具体的に示されたい
⇒当然の質問ですね。ザルになっていないかのチェックです。定量的ってところがポイントでしょう。ただ、役人的にはモデル事業の成果について具体的かつ網羅的に示されたいと質問するところです。そうしないと具体例を一つだけ書いてかわされます。
○予算の透明性の確保
⇒議論の前提ですね。積算がザルっぽいのは都の監査結果を見ても明らかなので答えにくいと思いますが、たぶん「都(各地方公共団体)において適正になされたと報告を受けている」くらいにさらっと書かれると思います。
⇒「都において適切に行われていると承知」という回答の線引きをするための質問ですね。またどこまで補助金適正化法の対象かを確認する意味もあります。
○仁藤夢乃さんの政治活動と、そういった団体への公金支出について
⇒この質問だと、「政治活動は禁じられていない」とのみ回答がきそう。ここはもう一歩踏み込んで、「政治活動に公金は用いられていないか」「支援対象者を政治活動に勧誘していることを把握しているのか、またその勧誘は妥当だと考えているのか」「公金の使用や勧誘について把握していないのであれば調査するつもりはあるのか」などと聞いてほしかったところです。
⇒良い質問。
毎年同じ事業者が落札するような事業は財務省や総務省からかなり厳しく指摘を受けます。それを回避するための方策を考えろという議論に繋げるための質問と思います。
現在のところ「既存事業者による有償の研修による新規事業者の育成」を想定しているようで批判が大きそうに思います。身内でお金回してるだけやん?って。
⇒一般論としてお金を配る側と貰う側が同じなんてのは認められるわけがなく、当然の質問ですね。
⇒仁藤さん個人の政治的な活動は咎められるべきではないと考えます(それを言ったら例えば連合は有識者会議に呼べなくなる)。
⇒個別の検討会の内容まで踏み込む(質問27)のであれば、仁藤さんがヒアリング対象として推薦した者の適格性についても突っ込んでほしかったところです。
⇒優しい。
ただし、期間延長は議員の了解ではなく「内閣が、期間内にできない理由と期限を明示する」必要があるので、この記載をもって直ちに延長可能とはなりません。ただ、この記載をもって担当部局は延長を主張しやすくなると思います。
個人的には質問の数は多いものの内容はそれほど厳しくなく、大規模な調査も不要でと思われるため7日以内に回答可能と感じますが(長妻議員並感)。
全体として厳しく突っ込むというよりも議論の前提の認識を確認する感じですね。これからの深堀りを期待します。
○都の監査報告書読むと都が適切に監督できてるとは言えなそうだが、はてさて
○ふわっとした質問が並ぶので「各地方公共団体において適正になされていると承知」という回答が並んでcolabo弁護団が大勝利宣言する流れ?
【答弁書案】(現時点では、)各地方公共団体において適切に対応されていると承知している。(なお、御指摘のとおり、東京都においては住民監査請求の監査結果において再調査の実施等が勧告されたと承知しており、その結果に基づいて適切に対応がなされるものと考えている。)
ただ、大きく報道される可能性のある事案であり、幹部から書きぶりの指導が入るかもしれませんね。
また、東京都の再調査前結果公表前に答弁書が出されることになりますが、東京都から事前に実態を聴取して、事実と齟齬がない範囲で、さらに踏み込んだ表現にすることもあり得ると思います。
○こういうの見てて思うのって仮に「適切である」と回答したとして、適切じゃないことが後からわかったときに何が起きるの?ってことかな。
よくあるのが「…と承知している」「…と認識している」「…と把握している」という書きぶりですね。答弁時点ではその認識が正しかったので嘘ではない、という理屈です。
「その場所」にはパネルが置かれてるわけで、考えるべき問題があるとしたら、自然環境だった場所を人工物に置き換えた際の影響の方が重大。パネル設置による生態系の変化とか森林伐採問題とか山崩れとかそういうやつ。エネルギー云々は本質じゃない。
まぁ、地球の陸地全部をソーラーパネルで覆ったりするくらいの極端なことをしたら、地球のエネルギー収支が変化して地球気温が変化するかもしれんね。
・地球上のソーラーパネルの総面積をパラメータとして、エネルギー収支をモデル化(ソーラーパネルのエネルギー吸収率や光反射率などの数値を設定)して定量的に計算してみたら面白いかも(大学のレポートとかでありそう)
スカートめくりがマチ子で増えたのか元からあっただけなのか、何ら立証されてないんだよね。実例というのが本当に影響だったかどうかすら定かじゃない。
実体験ベースで語ってる人がいるけど、その一つ上の世代がスカートがめくり被害が少なかったかのデータや証言はあるわけ?無いでしょ。
もちろん、上の世代で語られてないは被害が無かったことを示すわけじゃないのは分かるよね。
性犯罪者ベースでいえば1980年代より昔のが更に多かったんだぜ?昔のほうが現代ではセクハラとなる事案が多かった方が自然な話。
反論としてはセクハラって言葉すら無かった時代でスカートめくりが性被害だって認知されだしただけじゃないか、
とかあるわけで被害者の証言がある、は明らかに影響があるかを直ちに決めるものではないんだ。
それを定量的に分析して示すのが社会学の本来の仕事だと思うけどね。
例えば、令和になってから宗教虐待って言葉が生まれたけど、これまでの宗教虐待の件数はほぼゼロ。
>表象の「悪さ」はもはや「何が描かれているか」だけを見て考えられるものではなくなる。
>それはむしろ、歴史的・社会的に女性が置かれてきた/置かれている状況との関連ぬきには考察することができないものである。
広告なんだから「何が描かれているか」以外に検討の材料はなかろうよ。
自分が相手にしていたのが実際に現存する広告であること、その適否について偉そうに語っていたことをすっかり忘却してどうするんだ?
で、
>「表象を作ること」が持つ意味をめぐる議論が深まることを期待したい。
とかも、寝ぼけているとしか思えんのよね。
そんなことはそれこそゾーニングされた閉じた空間でやってくれよ。
ただし現実の広告に文句を付けるなら、記号のカケラを必死でかき集めて女性差別に結びつけるような乱暴な振る舞いをやめて、最低限その広告がどう現実に悪影響をもたらすのか定量的な議論をし、その影響が認められないのなら問題にすること自体を思いとどまるのが真っ当な学者のやることではないのか。
例えば子供に暴力を振るう親や危険運転でひき逃げをする人なんかだね
でもそういうのは記憶に残りはするけど基本的には法律や規則といって大きな枠の中だけで解決されてしまうので、一般人が意見をかませる余地があまりない
池袋の母子がひき逃げにあった事件等も裁判が完結すれば基本的に内容に文句を言う人ってそんなにいないんだよね
ところがそういう規則とはちょっと外れた場所に対しては人間の感情が入り込む余地があるらしい
例えば池袋の事件は「犯人の男性が上級国民だから逮捕されなかった」という話で持ちきりだった
本人の罪の重さよりも逮捕されたかどうかの方がなぜか話題として大きいのは印象的だ
端的に逮捕する意味がないなら逮捕しないけど、人間ってのはなぜか「逮捕=刑罰」という印象が強く、それを実行しないことが不当だと思い込みやすい
論理的に説明してもなお人間は自分の気持ちが最優先になってしまう
逆に、その事件の被告を裁判員制度に参加して裁くという考えは起こりづらい
量的なものの見方より、気持ちや配慮と言った他人から見えづらく説明のしようがない部分で他人を殴りたいという人ってめちゃくちゃ多いよね
これはそういう気持ちを盾にすればあらゆる暴力が許されると考えているからではないか?
精神的苦痛とは少し違い、あえて定量的に示すことなく自分の気持ちを侵害されたことを強調すればあらゆる常識や法律をかいくぐれると信じる人が結構多いように見える
解釈の世界だけで全てを判断できるため、論理的な説明はいらない
全ては声の大きさと勢いだけで言いくるめられる
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
だから炊飯器は圧力釜の代わりにはなんねーし、たいして高温にもならないし、圧力IHとか意味の分からない売り方してないガス炊飯器であってもそんなに内部圧力は変わらないから、あの宣伝文句にはほとんど意味がありません。電気炊飯器の優れているところはそこじゃねーです。
以下に説明する。
圧力式をアピールしている炊飯器、多くは1.25気圧まで圧力を上げているとアピールしているが、この圧力は「絶対圧力」であることに注意。
例えばタイガーのページには以下のようにある。
https://www.tiger-corporation.com/ja/jpn/feature/rice-cooker/takitate50/18/
ごはんの炊きあげ時には1.25気圧の圧力をかけて、ねばりともっちりした弾力を引き出します。また炊きあげ後は1.25気圧から1.05気圧に圧力を下げながら高温で蒸らし
この1.25気圧というのは、暗黙的に絶対気圧(大気圧+圧力上昇分≒絶対気圧)を表している。
このとき、日本機械学会の伝熱工学資料によれば、沸点は105℃程度だ。
はっきり断言するが、この程度の差に意味はない。
むしろ、タイガーなどのこの技術のポイントは圧力調整と言うより精密に温度を管理し、電気弁で積極的に湯気の量をコントロールするところにあると思うんだが、それだとわかりにくいからこう言う宣伝文句になっていると思われる。
この圧力鍋の圧力表示は、ゲージ圧力という奴である。大気圧との相対圧力を表す。これはJISで規定があるためこうなっている。
家庭用圧力鍋は、概ね1気圧から1.8気圧(100kPa~180Kpa)の圧力をかけることができるが、これはゲージ圧力なので、炊飯器が採用している絶対圧力にそろえると、2気圧から2.8気圧となる。
これだと、沸点は120℃まであがるし、高圧になることによる他の効果も期待できるようになる。
だから圧力IHなんてキャッチフレーズであっても圧力鍋のような劇的な効果は期待できないと言える。
論文を漁ってもらえばいろいろ出てくるが、そもそも3つの事実があって
順番に説明する。
実験で簡単に分かるが(とはいっても危ないから家庭での実験は絶対にすんなよ!)
工作精度が比較的良い鍋と蓋をつかって、沸騰した鍋の蓋を押さえつけてやるだけでこれぐらいにはなる。
炊飯器はあふれ出したりしないように、この状態が常に保たれていると思ってよくて、これはガス炊飯器でも代わらない。また無水鍋のような蓋が重たくて、きちんと合わせ面を高精度に機械加工してある鍋は、ある程度は似たような効果が期待できる。
あ、土鍋はたぶん期待できないです。
ご飯に粘りを出すか、さらさらにするか、もっちりにするかと言った事は、高温にしている時間がどれぐらいかによって変化することが知られてる。
ここは好みではあるのだけれど、実はその時間はもっちりを目指す場合でもそんなに長時間じゃ無いので、最高温度はそれほど影響は無い。
実験してみたい人は、きちんとした圧力鍋でご飯炊いてみてほしい。すごく、普通な仕上がりになります。
一方で、お米の旨みだったりを引き出すには、どれだけ均等に、かつ素早くそこまで温度を上げるかにかかっていて、こちらの方は直接的に影響がある。
ここらへんがガス炊飯の方が原理的に電気に勝っていると言われる所以ではある。
まぁこれはおまけ。マーケティング戦略の結果か、思い出補正か、あるいは一時のショボい電気炊飯器に対しての比較で言われたことかは分からないけど、最も美味しいご飯はかまどで炊いたお米だと言われることがある。(俺はそうは思わないけど)
このかまどで炊いたお米、簡単に吹きこぼれることから分かるとおり、まぁ内部圧力なんて全然上がりません。
と言うことが発信されていたからだ。もちろん根拠が無い思い込み。
これ、元をたどってみると、その界隈でまだまだ非科学的な話が出まわっているようだからだ。
繰り返し比定されているが、これらは今、分かっている事実と異なるので注意してくれ。
最も分かりやすい実験をしたければ、きちんとした高圧をかけれる圧力鍋と、その対極に位置する保温調理鍋でご飯を炊いてみてほしい。
もし出まわっている説が正しければ、低温の方がパラパラになって、高温の方が柔らかくなるはずだが、実際には逆になる。
そして、それぞれのやり方を標準のスタイルから変化させるだけで、驚くほど炊き上がりに差が出てくる。
一見科学的に見える理屈があっても、そこで考慮されていない要素があったり、定量的に評価されていない部分があったりすると事実と異なる結果になるので注意していきたい。
後から来たとか先にあったとか関係なく、騒音には規制がありその範囲内であれば受忍限度内として判断される。(住宅と公園のどちらがが先だったかを重視する人も多いが、住環境に対して騒音が受忍限度を越えた問題を与えるかが争点であり、どちらが先かは意味のない議論。)
そして長野の件については弁護士の見解としては受忍限度内であるとしている。施設の開設当初は受忍限度を越えていたという主張もある(これについて定量的な根拠はなく、クレームを入れたのが1件だけだった)が、少なくとも現状の利用についても問題ない範囲であると読み取れる。またクレームを入れた老人は利用している児童に対して叱責を行っている旨も報告されており、これについては行き過ぎた対応だと言わざるをえない。
これらを総合して判断すると、公園を廃止して問題ない範囲の利用についてまで不可能にするのは行政側の行き過ぎた対応であるように思えるし、それを求めるクレーマー側の主張も行き過ぎた主張である。過去の受忍限度を越えた騒音や踏み荒らしについてはその分の損害賠償を請求すれば良いし、その後については受忍限度内であれば甘受すべきという話でしか無い。
問題を大袈裟にして老人を擁護する向きもあるが、現状を整理すると過大な要求をしているのは主に老人側であり公園の廃止に対してそれを決めた行政または過度なクレームを入れた老人に批判が集中するのはある程度仕方のない事象とも思える
要は不快と感じる人がどれくらいいるのか、定量的に判断ができないことが問題なわけで
ネット広告では「この広告が不快である」と一定回数以上クリックされたらその広告をそれ以上表示されなくする技術がある
同様に、交通広告のような公共性の高い広告は、事前にクリエイティブについての意見をネットアンケートして、「不快である」と一定回数回答されたら広告を出せなくすると良いのでは(この際子供も調査パネルに割り付けることを義務付ける)
勿論、
・色々な意味でギリギリのクリエイティブが出すリスクが高くなって表現の幅が狭まる
・広告情報公開前にネットアンケートすることで情報流出の危険がある
・審査期間が必要なのでスピード感のあるマーケティングができなくなる
・審査期間が必要なため広告制作から支払いまでの期間が長くなるので、運転資金が必要
・クリエイティブ制作後に広告を出せなくなるとそれまでかかったコストがペイできなくなって最悪小さな広告会社やデザイン会社、印刷会社は潰れる
といった懸念はあるが、この部分はどうするか、明日までに考えておいてください。そしたら何かが見えてくるはずです(本田圭佑)