はてなキーワード: 函館とは
コロナのことは置いておいて過去の知見をここに残しておきます。またコロナ落ち着いたら再投稿するためにも今書いておきます。
1.北海道は非常に広いので2つ以上の都市をめぐりたいなら一日の半分は移動に費やされることを頭に入れてください。例えば札幌と函館なら、
札幌(新千歳空港)着→札幌観光→一泊して起きたら4時間弱移動→夕方に着いて夜にかけての函館観光→
一泊して札幌(新千歳空港)へ4時間弱で帰るということになります。二泊三日で2都市ですね。でもツアー旅行と同じくらいの忙しさになります。しかしこのくらい目まぐるしいのも楽しくていいかもとも思います。
2.11月からは寒いです。本州から来るなら薄手ダウンかアウドドアブランドの上着が最低条件で、ヒートテック系下着は必須です。屋外が寒く屋内は暖かいようにされているので上一枚脱いだらある程度涼しくなるようにしておくと快適です。居酒屋ついたら脱ぐみたいな。下半身はそれなりの厚さのあるボトムを履いてください。薄いボトムで長時間歩くと骨が寒くて痛くなります。下半身はかなり大切です。靴下は長いものにして靴は暖かいある程度厚めのものを選びましょう。女性はタイツの上に靴下一枚はくとかなり違います。
3.雪についてですが大体11月の中旬から降り始めて12月は車道歩道が雪に覆われます。12月後半は踏み固められ凍結した部分がかなり多くなります。スニーカーは最も滑りやすく、登山靴チックな靴でないと道民以外はまともに歩けません。ある程度底のごついブーツで来てください。北海道で雪が降ったあとにコンバースで歩く人は道民にはいません。グリップかきく靴なら札幌の繁華街を移動するスピードがかなり上がります。女性の方はローリーズファームやレプシィムで売っているヒールのあるレザーショートブーツもおすすめです。かかとで硬い雪を削って踏ん張れるので下手したら登山靴より歩きやすいかも。
4.雪まつりについて
インフルエンザの温床です。でも相当楽しいです。おすすめしたいのですができないのが辛いです。
札幌市の大通公園のものが一般的です。巨大で精巧な雪像が飽きるほど作られます。企業や市民が作るのもあれば自衛隊が作るのもあるし、カナダ、北欧、まさかのハワイの方がつくる雪像もあります。飲食屋台は温かいものがほとんどですが提供されて一分後には口内体温より低くなります。なので限界まで楽しんだら予約した居酒屋に飛び込んで暖を取りましょう。飽きてくるととたんに寒くなるのは道民もそうです。
ホッケが美味しくなります。居酒屋でたのんでください。じゃがバタてきなお芋料理も全然違います。芋は全然違うと思う。観光者向けの居酒屋でもこれだけは同じです。とりあえずホッケはたべろ!
次に北海道回転寿司の話。なごやか亭、トリトンという2大巨頭回転寿司が回らないお寿司より美味しいのでぜひ行くべき。駅前にないからちょっとタクシー使うかも。高いネタもそれなりに食べて一人3500円くらいです。函館朝市もいいけど色んな種類のお魚食べるならこういう回転寿司のほうが満足度高いです。
でもウニ決め打ち、イクラ決め打ちなら函館朝市の海鮮丼屋さんで頼むべきですね。まじで満たされる。
味噌バターコーンのいわゆる札幌味噌ラーメンは期待しすぎないでください。そんなに美味しくはないような…まあバター美味しい地域なのでそれを楽しむのも一興なのかなあ。札幌で人気のあるラーメン店は味噌味にバターもコーンものせません。
私は味噌ラーメンというよりはえびそば一幻というラーメン屋さんを推します。あとは旭川系列の山頭火とか。
6.景色
雪に覆われるとどこもおんなじです。山は違うのかもしれないけど、雪山登山なんておっかなくてよっぽど好きな人以外はやりません。
北海道らしい美しい景色をみたいなら、7月に十勝に来てください。レンタカー借りてドライブするだけで楽しいですよ。そのためだけにバイカーが十勝に押し寄せるくらいです。
本州にはどこまでも平らな土地ってあんまりないですけど北海道にはあります。豊かに繁ってる平らな土地っていいですよ。
以上です!
結論から言うと、やや勇み足だったのではと思う。お前誰だよって話だが、ただのしがない一町民である。
美瑛町によると、実際は町の病院を経ずにドクターヘリで旭川の病院に直接搬送することがあるという。放送後、町議がフジテレビに「実態と異なる」と電話で指摘したところ、12日に番組関係者が来町。角和浩幸町長が「フィクションとはいえ、医療過疎、住みにくいという印象を与えて残念だ」と抗議したという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/52f840229039f3f4f4caff46e37bef41e950a2e7
そんなに適当なもんを作ったんか、まああってもおかしくねえよなフジだし(偏見)と思って、試しに一話を見てみた。
指摘部分に係わる話の流れはこう。美瑛のロケ地で体調を崩した子役の女の子。救急車を呼ぶか迷うも、最寄りの病院までは一時間の距離。救急車が来るにも時間がかかるということもあり、女の子とその母親はスタッフ(?)の運転で町の病院(美瑛記念病院、モデルは美瑛町立病院だろうか?)に車で向かっていたが、その途中で嘔吐、さらには吐血と容態が悪化した。焦った母親は町の病院に電話をしたが、母親は気が動転していて情報を伝えられず、電話を受けた若い医師も、母親を落ち着かせるような話術の訓練が足りていなかった。一旦は町の病院に運ばれ状況をみたが、大きい病院に運んだほうがよいという判断がなされ、道北医科大学病院(おそらくモデルは旭川医大だろう)に搬送され救急が行われるが、小児専門の外科医がいないために根本的な治療は行えなかった。ドクターヘリで北海総合大学病院へ搬送されるも、そこのPICUは救急を受け入れられず、残念ながら女の子は亡くなってしまう……。これが数年前の話。
美瑛旅行中に車中で苦しむ女の子を偶然目撃していた主人公は、小児科の医師として働いていたが、突然の辞令で丘珠に新設されるPICUに配属になり……という風にお話に関わってくるのだが、そこは割愛。
まず指摘からいくと、美瑛町内から町の病院まで1時間というのは、ロケ現場がかなり奥地だったとしても、ちょっと盛っている。北海道の車で一時間はだいたい道のりで50kmぐらいである。美瑛町内だとほとんどの場合ぶっとばして30分以内だと思う。が、まあフィクションの範疇で済むかなと思う。(追記あり)
ただ、それを別にすれば、別に話として破綻はしていないと思った。たしかに、初手から救急車を呼べていればドクターヘリを現地まで呼ぶなり別の対策があったかもしれないが、当初は救急車を呼ぶかどうか迷っていた程度の容態だし、救急車を呼ぶのに躊躇した理由についても「救急車を呼ぶと結局倍時間がかかる」と言及があり、(それが本当であれば)車で送ることを選んだ理由になっている。町の病院に運ばれるまで大きい病院に送る判断ができなかったのも、母親と医師とのコミュニケーションがうまくいっていなかったことで説明がつくし(ここで原因を医師の腕のせいにせず、情報の伝達がうまくいっていなかったとするのも巧いなと思う)、そもそも全てが上手く行っていたとしても、道内に救急を受け入れるPICUはなかったのだから、結果が大きく変わらなかった可能性は高い。登場人物全員が全員なりに良いと思う選択肢を取ったが、それでも救えなかった、という理由付けがかなり丁寧になされていると思う。
町の病院まで一時間は盛っていると思うが、そこから旭川の病院まで20分というのはかなり正確な数字で、ちゃんと北海道の地理を調べて設定を作っていることが伺える。美瑛からちょっと車で走ったら函館に着いたどこぞの映画とは大違いである。
なので、"町の病院を経ずにドクターヘリで旭川の病院に直接搬送することがある"という町議の指摘は、この話への指摘としては不適当だと俺は思った。そういう選択肢があったとしても、この事例では結果として使うことができなかったのだ、という理由がしっかり説明されていると思うし、見ている人にも伝わると思う。実際の地名使っておいていい度胸してんじゃねーかと見る前は思ったが、見終わったあとではべつにそういう感想は出なかった。つーか普通に良いドラマだ。みんなフジの月9だと思って毛嫌いしないで見た方がいい。安田顕がかっこいい。
まあ、でも、コレを見て、「美瑛って旭川の隣なのにクソ田舎でろくに病院も無いんだな」と思われる可能性は大なので、そういう意味で「医療過疎で住みにくいという印象を与え」という町長の言はまぁわかる。実際俺もこれが地元だったから違和感を覚えただけで、アメリカの話だったら「アメリカってそうなんやー」って思うもんな。まあフジテレビも「住みにくいと思われるだろ」と言われても困るだろうが。
あとこれは余談だが、美瑛は意外と医大も日赤も近く、それでなくても旭川の隣なので、道内でも医療へのアクセスはかなり恵まれているほうではある、という事情があるし想起できるところなので、女の子の一件の舞台(兼、主人公の旅行先)として美瑛を選んだのは単純によくわからない。知床とか、それこそ離島あたりにしとけばツッコミの余地もなく最寄りの救急病院までも遠い、という状況は作れた思うが。それだと最初からドクターヘリ出動に考えが及ぶから逆にリアリティに欠けるとか、単純に映える景色が欲しかったか、ロケが楽だったとか、そういう事情なのかな(旭川空港に近く、羽田からのアクセスが良い)。
と、ここまで書いて、こんな記事も見つけた。
こうした声を、美瑛町はどのように受け止めているのか。あらためて美瑛町役場総務課に聞くと、フジテレビ職員との話し合いがあったことは認めたが「報道では抗議という表現されているが、フジテレビ様のほうから、うちのほうにご来庁されて、その話(ドラマの内容について)の説明があった」と、報じられているほどの苛烈な声明ではなかったという旨の返答があった。
道新とsmartflashどっちを信じるかは難しい問題だが、これが事実なら、町議がやや暴走しただけで、フジの人はわざわざ説明に来てくれた誠実な人で、町長は建前上否定的なコメントを出しただけで、道新がそれを恣意的に美瑛がキレてるかのように記事を書いただけの可能性が高いな……。フジを叩くつもりでこの記事を書き始めたが、道新の株が下がる結果となったとさ。ちゃんちゃん。
【追記】
「美瑛町の1次救急体制として、救急車が到着するまでに2時間もかかるということはあり得ません。さらに、救急医療に関しては、ドクターヘリの運用も含めて、旭川市とも連携しており、美瑛町内の病院を経ずに、旭川の病院に救急搬送する体制があります。フィクションとはいえ、子育て世代などの移住定住政策を推し進めている中で、実態とは違う表現で、美瑛町の小児医療体制が整っていないかのように描かれ、マイナスイメージを持たれてしまったことは残念です」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e4a71eefb3d01a78af41868147aea1bce2f2427
記事内にもあらすじの説明があり、前半はまっとうな指摘であると思う(ただ、救急車が到着するまでに2時間というのは不正確な表現で、劇中での説明は、片道一時間だから、救急車が来て病院に患者を運ぶまでに往復で2時間、ということだろう。救急車が一般の車の半分の速度で走るわけがない。ただ、どちらにしろ1時間かかることもまずあり得ない)。コメントにもあったが、俺はフィクションで済むと判断した部分だったが、誤った印象を与えるとして、町として抗議したのだと思う。
後半の指摘については的はずれだと思う。どれだけ体制が整っていても、母親とスタッフは救急車を呼ぶという判断をしなかったのだから、病院にできることはない。そして、片道一時間という設定を受け入れてしまえば、大人たちが救急車を呼ばなかった理由にも一応の理屈は立っているのだから(あくまで理屈が立つというだけであって、正確には容態が急変した時点で車を止めてでも119して指示を仰ぐのが正しい判断だろうと思うが)
「ドラマにおける町の描写は医療過疎、住みにくいという誤った印象を与えかねず、現実と乖離しているため、遺憾の意をフジテレビ側にお伝えしました。町から隣の旭川市の病院までは車で30分まで移動ができ、1時間以上かかることはありません。町としても医療体制や救急搬送には力を入れています。ドラマであった患者のたらい回しみたいな事は起きておりません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0edd3e9afa7f989125e0eac6303a312fecf5ee9e
こっちの記事はひどい。
「旭川市の病院までは車で30分」については、上で言及した通り、「美瑛記念病院から道北医科大学病院まで20分」とあるのでむしろ正確である。
「患者のたらい回し」についても、女の子の症状は最初は体調不良かと思われたのだが、どんどん容態が悪くなりPICUの必要があることがわかってきた、という筋書きであって、たらい回しにされたわけではない。
なんで2日続けてこんな内容の違う記事が出るんだ。担当者のコメントの内容がまるで違うので、同じ人物が書いた記事ではありえなく、どっちかは(あるいはどっちも)ろくに取材もしないで書いたんだろうと思う。たぶん記事のペラさから見て下のほうなんだろうなあ。一応ソースもあたってみたが、記者名は当然書いてなかった。日刊ゲンダイも信用できねーなぁ。
あとは余談だけど、この記事で(おそらくただのいちゃもんとして)あがってる、稚内の医者を訪問するとき普通列車で行くか?という指摘。西稚内駅は架空の駅なので、稚内まで飛行機で行ってから、駅弁買って宗谷本線(的な架空の路線)に乗ったという理屈は、まあ普通に立つ。こういうところを見るに、ちゃんと架空の地名を作る配慮が無いわけではないんだよなあ。なんで美瑛は伏せなかったんやろ……?それで全部丸く収まったのに……
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
横だけど、創価学会の通話記録窃盗事件と個人情報窃盗恐喝事件貼っとくわ
創価大グループによる携帯電話の通話記録盗み出し事件で電気通信事業法違反に問われた、創大出身でドコモシステムズ元社員嘉村英二被告(28)の公判が二十一日、東京地裁で開かれました。同被告は同法違反で二〇〇二年十一月に有罪判決を受けたのにつづく二度目の裁判。前回裁判のさい、今回の事件も調べられたのに隠し通していたことが、この日の証言で明らかになりました。
嘉村被告には前回と同じく、創価学会副会長らが弁護人につきました。実行犯の嘉村被告や、同被告に犯行を指示した創大副学生課長らが有罪になった前回裁判で弁護人は「私的で一過性、偶発的事件」と主張、執行猶予つき判決になりました。
この日の公判で嘉村被告は、波多江真史裁判長から「前回の取り調べで今回の事件のことを聞かれなかったのか」と質問され、「警察に聞かれた」と証言。「そのさい本当のことを話したのか」との問いには「話さなかった」とのべ、犯罪を隠していたことを認めました。被告弁護団も以前から今回の事件を知っていた可能性も濃くなりました。
起訴状や検察冒頭陳述によると、同被告は〇二年三月と四月、東京・江東区にあるNTTドコモの端末を操作し、学会脱会者の福原由紀子さんとジャーナリスト乙骨正生氏の通話記録を不正に引き出しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-22/15_01.html
ところが、好事魔多しで、契約者情報が大量に流出してしまった(最終的には04年1月時点の全顧客情報660万人分が流出したという)。流出した情報の内容は、加入者や申込者、解約者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスなどで、不幸中の幸いというべきか、クレジットカードの番号など個人の信用情報は別に格納されていて無事だった。
しかも驚くべきことに、この不祥事を材料にソフトバンクからカネを脅し取ろうとしていた男3人を警視庁が恐喝未遂容疑で逮捕していたというのである。3人は、ヤフーBBの二次代理店を務めるコンサルティング会社エスエスティー(SST)の竹岡誠治社長、湯浅輝昭副社長、それに右翼団体の森洋・元代表だった。ヤフーBBの取引先という〝身内〟と右翼団体元代表という組み合わせには意外感があった。
〜〜〜
彼ら容疑者の素性が明らかになると、事件は別の顔を見せ始めた。SSTの社長の竹岡と副社長の湯浅はともに創価学会の幹部だったのである。
竹岡は創価学会副男子部長や創価班委員長、聖教新聞広告局担当部長などを経て創価学会豊島戸田分区の副区長だった。湯浅は聖教新聞の販売店主などを経て函館五稜郭圏の副圏長だった(ともに事件発覚と同時に辞任)。しかも、竹岡は共産党の宮本顕治委員長宅盗聴事件の実行犯の一人でもあったから大騒ぎになった。もはや、単純な個人情報流出という事件ではなかった。ソフトバンクの広報担当者も「政界を揺るがすかもしれません」と興奮気味に話していた。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2021092300001.html?page=1
犯罪に合われた方には同情を禁じ得ない。
同じグループで2件被害とのことだが、同一犯の可能性はあるのだろう。下記で検討したように犯人にも難易度の高い犯罪と思われる。今回の犯人が捕まればしばらく安心して新幹線改札を使えるのではないか。
前提として、「在来線」「出口」での自動改札突破はかなりの件数が発生しているのではと思う。
1.入口
自動改札犯罪で多いのは出口だ。突破して駅から出れば闇の中。物理的確保は不可能に近い。監視カメラから追うしかないが顔を隠されたら?入口は違う。先は閉鎖地域。在来線巨大駅の改札入口はラビリンスの招待状、群衆に紛れ、ホーム多数、発着も頻繁。新幹線は違う。東京駅は最大だが東海道とそれ以外の新幹線改札は分かれおり規模は知れている。駅員の密度は高く、客の密度は相対的に低い。警察もいる。泥棒と叫ばれ追跡されれば逃げ場はない。ホーム上の捕り物はダイヤを荒らし危険も招くのでできれば階段下で抑えたいところだ。換金目的なら乗車予定はないし可能だろう。
2.新幹線
そもそも不正乗車目的か、換金か。まず不正乗車を考えよう。犯人は目的地までの切符を見定めて強奪するのが困難だ。ツイート主も書いているように今回は東京駅。一方向のみ。新大阪など両側来るところは反対方向を強奪したら目も当てられないので相対的に起きにくいだろう。また新幹線は匿名性が低い。検札がくる。指定席券を奪っても指定席に座れば犯人ですと名乗っている状況、ほかのシートに座っても怪しまれる。自由席を見極めて強奪?それでも在来線と違い車掌が往来するし鉄道警察も頻繁に乗っている。駅間も長い。袋のネズミである。在来線の改札犯罪は費用対効果で一定見逃されている可能性はある。新幹線のチケットは高価で、かつ既に犯罪中の者が乗っている状況は危険である。次の犯罪に進む可能性もある。安全管理上注意される状況なので是非連絡して、監視して、下車を待って逮捕して欲しいところである。実際に駅から車内に連絡が行く可能性はあるだろう。特に警察乗車便なら。
換金はどうか。この可能性のほうが高かろう。だが払い戻しは御用一直線だろう。また指定券の払い戻しは出発時刻までで困難だ。もし払い戻すならカード購入ではカードを出せと言われるので現金購入を狙うのだろう。乗車券をなんとか改札の外に出て乗車券を金券ショップに持ち込む。有効期限は距離に応じて当日から数日。函館か博多の自由席が狙われるリスクが高い。金券ショップでも足がついて御用の可能性があるし、買取金額を考えると骨の折れる犯罪だ。
3.駅員の対応
事情を言っても証明できないからと再購入。本当なら駅員の対応に問題はないか。新幹線の切符は領収書出ない?希望するボタンを押した場合のみだったか。在来線改札では繰り返し襲来する酔っぱらいや詐欺対応でつっけんどんな対応もあると理解しているが、新幹線改札で犯罪被害者に門前払いがもしあったなら良くない。東京駅新幹線改札内には警戒中の警察がいるはず。駅員側も犯人が他の犯罪を起こす危険からすぐに警察を呼んで対処すべきである。被害状況の聴取や協力の時間が発生する、予定上許容できない場合自腹再購入で乗らざるを得ないことはあるだろう。被害者も犯人も同じ電車に乗るならお互いに気が気ではないが。
4.あえて手を出さない?
新幹線の運行上の安全や運行への集中を考えてあえて走行中の列車と連絡を取ってまで犯人を追い詰めない考え方もあるだろう。もしそのような方針で、かつ対応が見破られているとすると、不正乗車目的で一定件数発生している可能性はある。その場合でも泥棒と一言叫ばれれば改札内に逃げ場はないので犯人にとってお縄のリスクが非常に高い犯罪であることに変わりはない。NYは知らないがパリやローマの地下鉄の自動改札では不良集団が悠々と突破していく。駅員はいても手を出さない(私の観察範囲では)。他の乗客は言うまでもなく。危険だからだ。治安が一定以上悪化すると係員も一般人も見て見ぬふりになる(長距離列車では改札自体なく社内検札ですべてカバーするのでチケット強奪は起きない)。日本がこうなるとは今のところ思えないが、念を入れて割れたそばから窓の修理を続けてほしいものである。
見落としや仕組みの理解誤りがあったら教えてください。
ブリクセンーッス
1869年の今日に江戸幕府が五カ国との間に結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・函館の各航で自由貿易を開始したことにちなんでおります。
とはいえ現代社会において貿易を意識するってことはなかなか、いやかなりある気がしますね。
戦争が行われたり諸外国が天災に見舞われたりしたら特に買い物をする時に打撃を感じますね。
あとパソコンとかもそうですね、パーツがお互いの国の情勢しだいで値段が上がったり下がったり。
他国の雰囲気次第で首が絞まるってのはなんだか微妙な気もしますけれど、せめて首の縄が引っ張られないところだったりしれっと懐からおにぎり取り出して食べたりしてめんどくさい出来事をやり過ごしたいものですね。
ということで本日は【備えの確認よいか】でいきたいと思います。
Twitterでトレンドに上がっていた「年収200万でも豊かに暮らせる本」。
年収200万で豊かに暮らせる事は「絶対に」ありません。200万円で豊かに暮らす事を強いているのなら、それは欺瞞であり、強権であり、詐術です。
貴方がおかしいのではなくこの国のシステムが異常なのだ。貴方が200万しか手に入らないのは、貴方の能力が低いからでなく、この国の労働環境が異常なだけ
「年収200万でも豊かに暮らせる本」ってのは本当に年収200万円の人には買えない。
あれは「年収200万になったとしても楽しく生活できるんだ」って中間層(300万円から800万円)の読者に安心させる娯楽本に近い。
こういうマインドを下方面に引っ張る風潮って上を見させて詐欺を行うやつらと同じくらい悪質だと思うわ。
今の日本で常識的に考えて年収200万で「豊かに」暮らせるわけがない。そこには必ず、心の持ちようとか考え方って要素が入ってくる。それはもう洗脳だしプロパガンダ。
この様なツイートもあり、物議を醸しだしている。
都会だと年収200万円辛いけど、北海道だと余裕で暮らせるので、辛いと嘆いている人は北海道に移住(札幌、旭川、函館、小樽、帯広以外で)してきてほしい。
定期的に北海道の広さを舐めんなって話題が上がってるけど、鉄道で旅をすると無茶をしながら北海道を回れるから、舐めた北海道旅行ができるからオススメ。なにせ、鉄道の強みは寝てれば着くことと、時間が正確であること、そして特急なら割とスペースに余裕があること。移動中に北海道グルメが楽しめるのも強いぞ。
ちょうど「HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス」というJR北海道のフリーパスが安価でまた発売されてることだし、2年前にこれを使って北海道旅行したときの工程を書くから、まあ参考にしてくれ。
Peachで関空から釧路空港への便があるから、それを使って初日はまず釧路へ。前述のフリーパスは買った当日は使えない注意。
釧路湿原の観光がこの日の目的。昼は和商市場で勝手丼を食い、夜はスパカツを食う。
ノロッコ号はまあまあ混むから、釧路湿原は細岡展望台で観光するんじゃなくて、バスで釧路湿原展望台へ行ったほうが良かったかも。
釧路駅前の寂れ具合はガチのマジでやばくて、駅前で時間を潰すのが結構大変だった。
花咲線に載って根室へ。電車に乗ってる人はほぼ釧路から根室まで通しで乗る人ばっかりで、途中に本当に何もないことを思い知らされる。
途中、浜中町の駅でルパンのパネルを眺めつつ(時間待ちで数分間止まることも多いので、一旦駅に降りることもできる)、3時間ほどで根室へ。そして1時間バスに乗って、納沙布岬へ。
納沙布岬から北方領土まで一番近いところでは3.7キロほど。普通に肉眼で見えるし、国境の最前線であることを思い知らされる。
あとは最東端の駅の東根室駅を見たり、エスカロップを食べたり、タイヨーで焼き鳥弁当を買ったり、街中をうろついて明らかに生えてる雑草の種類が関西とは違うなと思うなど、五感で根室を満喫して、花咲線で釧路へ戻る。
なんとか座れたが、結構混んでる。立つ人も出るほど。間違いなくフリーパスのせいなんだろうけど。よく晴れていたから車窓から見る釧路湿原や、網走の手前のオホーツク海が本当に綺麗だった。
網走といえば、監獄ということで、監獄の博物館、本物の監獄、あとオホーツク流氷館に行く。
監獄の博物館は広く、見どころも多いので最後に回したほうがいい。出るタイミングがわからなくなる。
駅のそばのコンビニが潰れてて、晩御飯の確保に困った。前もって準備しておいたほうがいいかも。駅前にはすき家もあるので、北海道らしくない晩飯を食って、特急に乗って旭川へ。
旭川から特急宗谷に乗って稚内へ。そして稚内からバスに乗って、宗谷岬へ。
その後はノシャップ岬の方に行っても良かったが、南稚内駅辺りで市街地を練り歩く方を選ぶ。歩いてると思ったが、意外と稚内って栄えてる。ゲームセンターや、大きめのスーパーもあったし。稚内駅には映画館も併設されてるから、娯楽は案外充実してそう。
富良野線に乗って、ファーム富田へ。ラベンダーの時期とは微妙にズレていたので、臨時駅のラベンダー畑駅がなかった。だから、中富良野駅で降りて歩く羽目になるんだけど、何せ旭川へ折り返すの電車が1時間10分後、そして中富良野駅からファーム富田まで1.7km。その電車を逃すと2時間後まで来ない。
だから、駅からファーム富田までひたすら早足、ファーム富田でも早足、帰りも早足。まあファーム富田では20分は楽しめたと思う。ラベンダーの時期じゃないから、ラベンダーはほとんどなかったけど、それ以外の花も多いから、見どころは多い。
昼からは有名な旭山動物園へ。有名なだけあって、見ごたえがあり、夕方まで4時間くらい入り浸ってた。頭上をペンギンが泳ぐ、展示が凄い。
あと、園内が広いこともあって、動物の臭いをあまり感じさせないようになってると思う。
特急北斗の始発に乗って札幌から函館へ。札幌⇔函館って、札幌⇔旭川くらいの距離感と思ってたけど、倍以上かかる。直線距離で結ばれてるわけでもないからね。
まずはラッキーピエロを昼めしを食って、ハセガワストアで焼き鳥弁当を買う。根室で買ったタイヨーの焼き鳥弁当と違いがあるのかはわからない。
五稜郭やトラピスチヌ修道院なんかを観光して、「函館どつく」という関西人なら「え?」も思うような駅を見つつ、夜は函館山で夜景を見る。
朝は函館朝市で食べて、土産に海産物を買う。土産屋よりは安かった。
再び特急に乗り、最後の目的地の室蘭へ。最終日は函館と新千歳空港の間ならどこで良くて、登別や旅行中に宣伝を散々見た白老のウポポイ辺りと迷ったけど、地球岬の景色がキレイと聞いたので室蘭へ。
地球岬行きのバスは無くて、坂の下にある地球岬団地までしかバスが通ってない。そこから坂道を15分も歩くのはかなりキツかったけど、景色がたぶん旅行中に見た中で素晴らしくキレイだったから大満足。
室蘭には母恋という駅があり、そこの駅弁が旨いと聞いていたけど、売り切れで買えず……。室蘭駅の近くにあるスーパーで遅めの昼めしを買って、再び特急へ。そして新千歳空港からPeachに乗って関空へ帰る。
関ジャムの若手アーティストが平成の曲を選ぶアンケート企画が話題になっている。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
そういえば昭和から平成に変わった当時でも同じような企画をNHKがやってたなと思い出しちょっと調べてみた。
無作為抽出の2000人に対する電話アンケートで思い出の曲を聞くという当時のNHKらしい力強さを感じるが平成になったばかりなんでこんな曲が何故そこにというのもゴロゴロ。
NHK昭和の歌・心に残るベスト100(1989年10月10日発表)
Best 1位~100位
2位 ◇影を慕いて(1932_昭7)藤山一郎
5位 ◇悲しい酒(1966_昭41)美空ひばり
6位 ◇柔(1964_昭39)美空ひばり
8位 ◇岸壁の母(1954_昭29)菊池章子/二葉百合子(昭和51年カバー)
13位 ◇お富さん(1954_昭29)春日八郎
16位 ◇有楽町で逢いましょう(1957_昭32)フランク永井
19位 ◇矢切りの渡し(1983_昭58)細川たかし 他(競作)
22位 ◇北国の春(1977_昭52)千 昌夫
25位 ◇襟裳岬(1974_昭49)森 進一
30位 ◇アカシアの雨が止む時(1960_昭35)西田佐知子
31位 ◇君恋し(1929_昭4)二村定一/フランク永井(昭和36年カバー)
37位 ◇銀座の恋の物語(1961_昭36)石原裕次郎&牧村旬子
39位 ◇くちなしの花(1973_昭48)渡 哲也
40位 ◇涙の連絡船(1965_昭40)都はるみ
41位 ◇黒い花びら(1959_昭34)水原 弘
42位 ◇この世の花(1955_昭30)島倉千代子
44位 ◇せんせい(1972_昭47)森 昌子
45位 ◇さざんかの宿(1982_昭57)大川栄策
48位 ◇ブルーライトヨコハマ(1968_昭43)いしだあゆみ
49位 ◇娘よ(1984_昭59)芦屋雁之助
50位 ◇月がとっても青いから(1955_昭30)菅原都々子
52位 ◇いつでも夢を(1962_昭37)橋 幸夫&吉永小百合
53位 ◇長崎は今日も雨だった(昭和44年_1969)内山田洋とクールファイブ
57位 ◇与作(1978_昭53)北島三郎
59位 ◇湖畔の宿(1940_昭15)高峰三枝子
60位 ◇夜霧よ今夜も有難う(1967_昭42)石原裕次郎
61位 ◇誰よりも君を愛す(1959_昭34)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
63位 ◇氷雨(1977_昭52)佳山明生/日野美歌(昭和57年カバー)
65位 ◇異国の丘(1948_昭23)竹山逸郎
71位 ◇酒よ(1988_昭63)吉 幾三
72位 ◇三百六十五歩のマーチ(1968_昭43)水前寺清子
75位 ◇二人は若い(1935_昭10)ディック・ミネ&星玲子
76位 ◇夢追い酒(1979_昭54)渥美二郎
79位 ◇おもいで酒(1979_昭54)小林幸子
80位 ◇潮来笠(1960_昭35)橋 幸夫
81位 ◇人生劇場(1938_昭13)楠木繁夫/村田英雄(昭和34年カバー)
82位 ◇見上げてごらん夜の星を(1963_昭38)坂本 九
84位 ◇てんとう虫のサンバ(1973_昭48)チェリッシュ
87位 ◇かえり船(1946_昭21)田端義夫
90位 ◇喜びも悲しみも幾歳月(1957_昭32)若山 彰
93位 ◇ブルーシャトー(1967_昭42)ジャッキー吉川とブルーコメッツ
94位 ◇みちづれ(1979_昭54)牧村三枝子
96位 ◇おふくろさん(1971_昭46)森 進一
97位 ◇もしもピアノが弾けたなら(1981_昭56)西田敏行
98位 ◇骨まで愛して(1966_昭41)城 卓矢
99位 ◇浪花節だよ人生は(1984_昭59)木村友衛/細川たかし
102位 ◇啼くな小鳩よ(1947_昭22)岡 晴夫
106位 ◇別れても好きな人(1979_昭54)ロス・インディオス&シルヴィア
107位 ◇昔の名前で出ています(1975_昭50/昭52年ヒット)小林 旭
109位 ◇東京ナイトクラブ(1959_昭34)フランク永井&松尾和子
111位 ◇星はなんでも知っている(1958_昭33)平尾昌晃
120位 ◇花街の母(1973_昭48/昭52年ヒット)金田たつえ
124位 ◇いとしのエリー(1979_昭54)サザンオールスターズ
130位 ◇祝い酒(1988_昭63)坂本冬美
131位 ◇青春時代(1976_昭51)森田公一とトップギャラン
133位 ◇夜霧のブルース(1947_昭22)ディック・ミネ
134位 ◇東京のバスガール(1957_昭32)コロムビア・ローズ
135位 ◇九段の母(1939_昭14)塩 まさる
142位 ◇時には母のない子のように(1969_昭44)カルメン・マキ
145位 ◇夢は夜ひらく(1966_昭41)園まり
147位 ◇白い花の咲く頃(1950_昭25)岡本敦郎
148位 ◇北上夜曲(1961_昭36)多摩幸子&和田弘とマヒナスターズ
149位 ◇嫁に来ないか(1976_昭51)新沼健治
151位 ◇時の流れに身をまかせ(1986_昭61)テレサ・テン
154位 ◇ジョニイへの伝言(1973_昭48)ペドロ&カプリシャス
155位 ◇ガード下の靴みがき(1955_昭30)宮城まり子
163位 ◇お座敷小唄(1964_昭39)松尾和子&和田弘とマヒナスターズ
166位 ◇おひまなら来てね(1961_昭36)五月みどり
167位 ◇好きになった人(1968_昭43)都はるみ
168位 ◇知りたくないの(1965_昭40)菅原洋一
169位 ◇東京の花売娘(1946_昭21)岡 晴夫
170位 ◇圭子の夢は夜ひらく(1970_昭45)藤 圭子
171位 ◇浪花恋しぐれ(1983_昭58)都はるみ&岡 千秋
175位 ◇黄色いさくらんぼ(1959_昭34)スリー・キャッツ
177位 ◇夜明けのスキャット(1969_昭44)由紀さおり
181位 ◇蘇州夜曲(1940_昭15)霧島 昇&渡辺はま子
182位 ◇ダンシングオールナイト(1980_昭55)もんた&ブラザーズ
187位 ◇高原の駅よさようなら(1951_昭26)小畑 実
190位 ◇僕は泣いちっち(1959_昭34)守屋 浩
191位 ◇島育ち(1966_昭41)田端義夫
194位 ◇港町ブルース(1969_昭44)森 進一
北海道へ詳しくなくてもロシアがどうやって北海道へ攻め込むのか解説していくね!
ロシアは北海道へ船で兵員を輸送することが予測されるよ!
北海道は島嶼だから当たり前だね!
でもロシアは大陸国家で軍隊は基本的に陸軍を中心に構成されていて、どっちかと言えば海戦はそこまで得意じゃないんだ。
日本は島嶼国家なので海軍というか海上自衛隊が陸上自衛隊よりも重視される傾向にあるよ。
ちなみに軍事へあまり詳しくない人にとっては意外かも知れないけどアメリカも海軍が重視されてるよ。
陸と比較してあまり海が得意でないロシアは海上自衛隊とアメリカ海軍の隙きを突いて北海道へ兵員を輸送揚陸する必要があるよ!
ロシアはこの2つのルートから同時侵攻を掛ける可能性が高く、陸上自衛隊第7師団(本拠地札幌市)は2つのルートを同時に相手しなくちゃいけなくなるよ!
ここで下記の資料を見てみよう!中身は北海道の起伏データだ。
つまりどこに山があるのかわかるデータだね!アドレスからわかるようにgo.jpなので出処はちゃんとしてるよ!
ロシアが北ルートで攻めるところを想像してみよう!
あれれ〜?すぐに山があって進軍速度が落ちちゃうね!
自衛隊はここに陣地を築いたら良いんだね!
じゃあ次はロシアが東ルートで攻めるところを想像してみよう!
あれれ〜?そもそも知床半島ってほとんど山じゃない?これじゃ北ルート軍と連携が取れないじゃないか!
そもそも北海道の中央に大きな山があって中央に自衛隊が陣地を築いたら自衛隊だけ補給線引き放題じゃないか!
増田少年「そうだ!東ルート軍は知床半島なんか無視して知床半島の北側のオホーツク海沿岸へ攻勢を掛ければ北ルート軍とも連携取れるんじゃないかな?」
道産子ハカセ「増田クン良いところに気付いたな!しかし残念じゃのう・・・知床半島以北は冬になると流氷で埋もれるんじゃよ。つまりロシア軍は冬季に補給不全となるんじゃ」
増田少年「砕氷船とか使えば・・・」
道産子ハカセ「おぉ!砕氷船をよく知っとるのう!じゃが砕氷船をどうやって守るんじゃ?攻撃能力の高い軍艦は砕氷機能ないぞ?」
増田少年「自衛隊はもちろん本州から補給受けられるんだよね?」
道産子ハカセ「その通りじゃの。北海道の西から東へと代表的な港を挙げると石狩、小樽、函館、室蘭、苫小牧、釧路、根室と港がある。もちろん流氷はほとんど来ない」
増田少年「自衛隊は北海道の中央に陣取るんだよね?」
道産子ハカセ「そうじゃの。北海道のどこへでもアクセス出来る上に、さっき挙げた港もそれぞれがほぼ同じ距離になるしの」
増田少年「自衛隊は自然の要塞に守られ自由に補給得られて、ロシアは兵員を北海道へ送るだけで大変で更に攻めても山があって冬は流氷で補給不全になる」
道産子ハカセ「そうじゃの」
増田少年「ハカセ、どうやってロシアは北海道を陥落させるの?」
道産子ハカセ「わからんのじゃあ〜・・・」
みんな、近親者生きてますか~~~~
今日は葬式で貰ったお弁当の内容物をランキングにして紹介したいと思います
実食!!!!
葬儀料理にタイ入ってるのかな……? わかんないけど白身魚の昆布締めが美味しかった!
汁ジュワ~でまるで高野豆腐のごとく! 高野豆腐みたいで美味しかった
おにぎりには海苔も黒ごまも振ってないナチュラルスタイルだけどいい塩梅で美味しかった!
むさしのむすび食べたい
まるで函館で食べたのを思い出すような新鮮さ!
ラッキーピエロ行きたい……
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わー美味しかった!
みんなも元気に1日過ごしてね