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はてなキーワード: 帰省とは

2024-03-31

anond:20240330141247

40代1馬力年収700万で世帯貯蓄5000万はかなり優秀だなあ。

もっとも、子供がまだ小学生みたいだからこれから大きな支出があるけど、それでも貯蓄が半減することはないだろう。

運用継続すれば子供独立結婚する時点で同額程度を維持できるんじゃないか

ワイ40代前半のときは1馬力年収900万で世帯貯蓄は1500万ぐらいだったけど、それから10年で倍になった。

子供は3人だけど全員独立した。

旅行家族旅行が年1回、一人旅が年3回。家族旅行はそれなりの宿に泊まるけど、一人旅YH車中泊夫婦ともに親なしだから帰省費用ゼロ・将来の介護費用ゼロというのが地味に効いてる。

同級生や友人との飲みは月1回。

車は15年20キロ乗って、オーバーホールを推奨されたら乗り換えている。いまは軽自動車

住宅ローン意図的に60歳まで払うようにしている。条件はあるけど稼げなくなったらローン支払い免除なので、借りているほうがメリット大きいと考えた。

2024-03-29

anond:20240329065208

自転車パンクしてから放置しっぱなし、クルマなんてたまに実家帰省して年に一回も乗れば多いほう、バイクはもう二十年くらい乗ってない、そんなワイちゃん歩行者ふくめて全交通者を敵認定して雑踏の騒音に紛れて小声で毒づきながら元気にやってるやで🥰

2024-03-26

ついに実家新聞の購読をやめた

実家スペック

・(自己認識では)絵に書いたような中流階級。困窮はしていないが、決して上流階級ではない。

中小企業で働く父と、パートで働く母。

都内に家は買えないので、ベッドタウンにローンで一軒家を買う。

物心ついた頃から毎日ニュース7を見る、比較的(多分)ニュースには関心がある家庭。

・両親とも完全なネット音痴ではないが、スマホより本の世代の人。LINEGoogle Map食べログを中心に使っており、SNSはやっていない。

・少なくとも祖父母の代も朝日新聞を購読していた。

※俺は、もう社会人になってしばらく経つが、一人暮らしなので、新聞は取っていない。

本題の通りだが、この前実家帰省したら、新聞の購読をやめていた。

結構衝撃だった。まあ、改めて思えば家族時事ネタ議論するでもなし、仕事ニュース必要なわけでもなし、確かに新聞なんて読まなくても全く困らない生活はしている。

でも、スペックに書いたとおり、ニュース日常的に確認するのが当たり前だった実家で、新聞がないというのは、かなり新鮮だった。

理由を訊いてみると、なんとなく朝日新聞報道の質が、年々下がっているような気がしていて、遂に購読料金を払うに値しなくなってきたと思ったから、だそうだ。

輪をかけて衝撃だった。両親とも、スマホは使うものの、簡単な調べ物程度で、Twitter(X)もやってなければ、当然増田なんて読んでるわけもない。そんな両親が、購読をやめたのだ。

ちょっと、俺自身は、もうしばらく朝日の紙面を読んでないから詳しいことは言えないけど、ちらほら記事を見かけるに、ぶっちゃけ別に相変わらずじゃないか?って気もする。

もちろん依然イデオロギーは強いが、それは、もう朝日カラーであって(俺は好きではないが)、新聞とはそういうものだと思うし、「報道の質が下がった」というほどのことではない気がする。

正直、俺は別に新聞に対して、公正無私な報道を求めてるわけじゃあない。もちろん、限度はあるが、通信社のようになってもらっても困るし(役割が違う)、党派性が出て然りだと思うしね。

ただ、強いてこの感じを表現するならば、なんというか自己認識が歪んでるというか、過去高級紙としての栄光を捨てきれず、党派性結構強い紙面なのに、自分たちが公正で正統だというブランディングをしてる感じがする。

これ、結構やばいんじゃないだろうか。

質が下がっているかはともかくも、信頼度が下がっているというのは、肌でも感じる。

https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/nonewsppr.html

まぁあと、もちろん、少なくとも報道の質が上がってきているという雰囲気はないし、朝日は定期的に、やってはいけないレベル誤報を繰り返している。

最近は、Xでコミュニティノートが付くことも少なくないしね。

https://www.financepensionrealestate.work/entry/2023/07/09/115839

ここでもわかるとおり、朝日は、事業規模ベースならともかく、営業利益ベースでは、本業不動産デベロッパーになりつつあり、もちろん発行部数減少については自覚しているだろう。

ただ、やばいのは、そもそも朝日新聞」というブランドが、傾いていることだと思う。経営陣は、それに気づいて、本気で対策を打ってるだろうか。


出羽守みたいであれだが、英米新聞は、もうそもそも、党派性がある前提でみんなが購読してる気がするし、だからオンラインでも成功してるところも多いんだと思う。

その党派性範囲内で、専門性を際立たせて、調査報道とかも組んでる感じするし。地方紙は軒並み死んでるけどね。

まあ、その結果社会の分断を助長してるって感じもするが。

そういえば、高校生とき社会科(政経)の先生が「五大紙全て購読し、可能な限り毎日、全てに目を通している」と言っており、自分も将来はそういう「知識人」になりたいと思ったことを、今書いていて思い出した。けど、社会人になった今、そもそも新聞を取ろうと思いさえしない。時間に余裕がないからとかではなく、そもそも新聞媒体にそこまで魅力を感じてないなと思う。

とりあえず、朝日は、新聞事業の存続を望むなら、マジでいろいろ一から見直したほうがいい。

2024-03-25

anond:20240325225924

これは年末年始ぐらいしか帰ってきませんわ

帰省したあとXに「実家帰ると、出て行った理由を思い出すよね」ってポストしてTogetterでまとめられます

2024-03-20

帰省してた姉ちゃんから「もし婚約者の子供が出来たとして母親のような親になりそうで怖い」と言われてたのだが俺はなんて答えればよかったんだろう。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2024-03-14

10年以上話してない家族ともう一度話すにはどこから始めたらいいんだ

ずっと誰にも言ってなかった話、インターネットからこそ打ち明けると、高校生の時にお父さんと喧嘩して以来一言も喋ってなくて、そのまま27歳に突入した。

10年経ったわけだしそろそろ雪解けの時期かと大人になってから初めてお父さんに向けたお土産買った。

今度帰省する時渡すつもりだけど、10年以上話してない家族ともう一度話すにはどこから始めたらいいのだろうか?

前に祖母葬式で会ったのが最後で、その時にコース料理最後に出てきたデザートを私に渡そうとしてきたのが印象に残っている。たぶん私が喜ぶと思っての行動。断ってしまったけど、不謹慎だがこのまま私かお父さんのどっちかが死んだらこのことをずっと後悔する気がする。断られた時の切ない顔が忘れられない。

2024-03-11

躁鬱の人とTRPG

人を一概に嫌うことは正直どうかと思う。

躁鬱の人はその人なりに苦しんでいるのだろうし、改善しようとしている、人もいる。

から自分は、せめて嫌悪を表に出さないように、面倒だ嫌だと口に出さないように努めている。

ただ、自分と受け入れられない立場の人はどうしても居る。嫌だと思うに足ることもある。

から、躁鬱の人が嫌いだと思うことを許して欲しい。

ここからはかなり長い自分語りになる。



友人が躁鬱だ。

TRPGを始めてから繋がった友人。

はいいが、場合によってものすごく苦手になる。

たまたま話をしている最中話題に出たから知ったのだが家が近い。

から時間が合えばご飯も行く、映画を見に行ったりショッピングしたりもするようになった。

こうして実際に対面して遊んでいる時は楽しいのだが、問題は繋がった理由でもあるTRPGをする時のことである

この記事における躁鬱について

追記

人によって症状が様々なものであり、類似した病気の症状や、友人の性格が重なって躁鬱の症状だけではないだろう、いうことは承知している。

以下に記載する具体例にもこれは躁鬱が理由ではないとなる箇所があるかもしれない。

書いている人のただの知識不足のため、不適切な文があればご指摘いただければと思う。

この記事におけるTRPGについて

先に言っておくが、これを書いている人はCoC

メインにやる。プレイスタンスは

クラシック流行りのエモも好き。

地雷と言われるものほとんどない。

・人と関係性を組むのも好き。うちよそもできるならする

野良の人とやると、誰が聞いてもヤバい人によく当たる。セクハラとかダブルブッキングとか...

上記のため、それなりに信頼できる人としかプレイしないようにしている。

である

ヤバい生き物見たり有り得ない現象に面食らうの楽しよね。

クラシック野良勢とは毛色が違う、有り体に言えば最近よく見るTRPGプレイヤーの愚痴だと思って欲しい。

(以下、主語が大きくなりそうな箇所は『セッション』と記載する。全部のTRPGシステムCoC卓でこんなふうになる訳ではないだろう。)

人との縁

話は戻るが、この友人やたら踏ん切りがいい時がある。

多分躁の時...だと思う。詳しく知らなくてごめん。

この踏ん切りの良さで何かい決断が出来ればいいのだが、「人と縁を切る」ということにこの潔さを使ってくる。

これをセッションをする際やられて何が嫌って、その縁切りで自分を含めた仲間内に亀裂が入ることだ。

私は先述した通りある程度信頼してる人としか遊ばない。そのためコミュニティも固まりやすい。

例として

学生の時なんかによく見られただろうが、

Aさん、Bさん、Cさん、自分で仲良くしていた

→AさんとBさんが喧嘩して絶交した

→Cさんと自分はA・Bそれぞれと仲が悪いわけではないからどうしたもの

という状況。

これが「遊びとしてやっているはず」の「ゲーム」を「一緒に遊んでいる仲間」でやられるのである

生活の中、それこそ学生生活の中でやられたら今後のためにも話し合いなどが必要だろう。否が応でも顔を合わせるのだろうし。

実際は

遊びの範疇にある関係では話し合いは必須ではない。当の本人たちがもう連絡しない、とXなりdiscordなりをブロックすれば全て終わる。

まり縁を切ったら最後、余程のことがない限りその関係の修復はほぼ無理だ。

そのためただただ周りの人間が困るだけなのでガチ迷惑行為である

そしてこれに対して、悪いとは思ってるけどこれ以上耐えてたら自分が苦しくなる...どうしようもなかったから...と言ってくる。

からないわけではない。

縁を切りたくなる気持ちぶっちゃけ分かるが、縁を切った原因などを聞いていると、そこまでしなくていいのではないかと思う。

遊びのスタンスとか性格が合わなかったからこれからは遊ばないかも、でも今までのは楽しかたから今までのことを話したりはするかもしれないね、とか言ってぼんやり自然消滅を待てばいい。

(今までのゲーム体験がまるで少しも楽しくなかったのであれば対処のしようがないが、そうでは無い様子のため今回は省く。)

そうすれば周りの人間は、過去シナリオの思い出話について口を噤まずに済む。多少気は使うが、このあと自分たちどうする?と巻き込まれ人間たちで困惑するよりよっぽどマシだ。

地雷を踏まないように話すのも、自分の聞きたい話が聞けないのも、話したい話ができないのも、なんで遊びにこんなに労力を使っているのかと馬鹿らしくなってきてしまった。



日程問題

そして他にもでてくるTRPG遊び方の話として、よくXなどでも話を見るが、遊ぶ日の話である

ゲーム特性として話し合いなどで時間が変動する上、そもそもの話が長い(ものが多い、最近は...)せいで、予定を先に数日確保しないといけない。

まして自分社会人なのだが、仕事の繁忙期で予定を入れられなかったり、帰省する予定を入れていたり、会社の付き合いがあったり...などの『外しづらい用事』がある。

それは数ヶ月前に言われるものではなく、良くて数週間、悪くて数日前に聞かされる。

セッションに関わる人が多いほどこの『外しづらい用事』がパズルのようになって予定が入れづらくなる。そのため先の日付を話し合って何日分も押える事になる。一朝一夕でこの日が偶然みんな空いているからそこで、と決められるのはまぁまぁ稀である

しづらい用事

今これを書いているのは3月だが、既に同年10月からしか予定が入れられないとのたまう人がいる界隈において、この『外しづらい用事』は何故か足枷になる。当たり前だと言うのに。

自身は『外しづらい用事』を除けばそれなりに日に空きがあるのに、他の人間セッションの予定を詰めすぎているため、全員が合うところを探した結果セッション予定が何ヶ月も先になったりする。

まぁ俗に言う卓修羅達の日程取り合いというものだ。

先見

話は戻り、その友人は気が乗っている時にすぐ先を先を、新しい予定を入れたがる。そして渡された情報(昨今は秘匿シナリオが多いため秘匿情報など)で、躁鬱で波打つ気を紛らわす。

ひとりで勝手に色々予定を入れるのは構わないが、ここでおおごとになるのが先程の『外しづらい用事である

この用事が入って先に決めていた日を少しずらして欲しい、という話を出した瞬間「前から決めてたよね」と言われ不機嫌になるのである

そっちは実家暮らしながら融通の効く仕事をして躁鬱をコントロールしているのだろうが、こっちは日々を生きるために仕事をしないといけないし、仕事でうまくやるために付き合いもしないといけない。

「急用なら仕方ないけど」と言われるが、そもそもの話そっちが自分の気を紛らわすために各所から予定を入れているせいで、自分の空きがこんなにあるにもかかわらず、先に予定を入れないといけなくなっているのである

出来ることなら1・2ヶ月先に約束をするだけでありたいのに、4ヶ月ほど先を見据えないといけない。

自分場合数ヶ月他のプレイヤー同士の予定が合わなくて何も無かった月がある。)

趣味と日程

私は版権アイドルなどのジャンルも好きだ。

イベントがあれば行きたいし、ライブはできる限り全通したい。

配信だって見たいし、グッズの通販サーバーが落ちる前に時間速攻で入って買いたい。

ただこういった版権用事セッションをするに都合がいい『土日祝日』『夜20時以降』などに入りやすい。

先述した『外しづらい用事』にさえ苛立ちを見せてくる人間にこの版権用事で日をずらして欲しいなんて言ったらどうなるか、想像に難くない。

自分が行きたいライブで、ほかの人たちと合わせた予定を潰すのか」「たか配信通販とき時間を遅らせるのか」と行ってくる。

そう思うのは勝手だし個人思考によるから口を塞ぎはしない。

だが、自分仕事をしているのは日々の生活を送るためでもあるが、版権趣味があるからこそでもある。

TRPG趣味だ。版権趣味だ。

どちらかに重きを置くかは自分が決めるもので、他人にこっちを優先しろなんて指図されるいわれはない。

しかし他の人も巻き込むわけだから当然失礼だ申し訳ないなとは思う。だから代わりにたくさんある空いている日を出せるとも言っているし、全員の空いている日がわかっていれば代わりにこの日はどうかと提案もしている。

それで受け入れはするものの納得はせず、その挙句自分趣味で日をずらしてくる人の気が分からない」と言ってくるのが本当に嫌なところである



人との関係

おそらくこの友人の性格でもあるのだろうが、特定の人に依存やすい。

この特定の人に依存やすい人がいる複数人セッション絶妙に楽しくない。

依存対象人物メンバー内にいる可能性が多いし、その人が作ったキャラクターに対して執着することが多いから。

この人が作ったキャラが好き、と無意識に関わりに行っているのをよく見る。

からAとB、CとDで仲がいいと指定されているのであれば構わないが、そうではなく全員で仲がいいと言われてるものに何故か関係性を持ち込んでくる。そしてその2キャラ可愛いと猫可愛がりするわけだ。

そしてゲームシナリオ内で依存対象人物以外のキャラと仲がいいと指定されると、その2キャラの組み合わせに対して特に何も言及しなくなる。

言わば学校などでペアを組む際に自分が組みたかった人と組めなくてペア行動にやる気がない、といった様子だ。

こっちは円滑に話を回すために仲がいい体で話をし、動いてくれるように機嫌をとらないといけない。そうしないと周囲に迷惑がかかるためだ。

何故そうまでしないといけないのか。

自分の作ったキャラがちやほやされないとやる気をなくすその友人の性質も相まって一つ一つの場面にいらない気を使わざるを得ないのがストレスで仕方ない。



まとめ

疲れた。こんなのの相手いつまでもしてられない。

病名がついている人に気を使わないとこちら側が悪い人になるのか?自分は何もしてないのに?ただ巻き込まれているだけだというのに?

この友人が他人と縁を切って巻き込まれるのも複数回経験している。なんでこんなに毎回私が嫌な思いをしないといけない?

その人が自分自分の機嫌を取れなくて周りに迷惑をかけるのを、リードを引っ張る役目なんてない。

なんで遊びにおいてきょうだい児みたいなことをしないといけないのか。


でも

ここまで読んだ人は恐らく「そんなに嫌なら縁切れば良くない?」「距離置けば良くない?」と思うかもしれない。

しかし先述したが縁を切るとほかの周囲に迷惑がかかる。自分経験してるからこそ、そんな事はしたくない。それなら我慢してこうやって時々毒抜きをするだけの方が余程いい。

距離を置こうにも、その人に対して適切に対応が出来ていたのか「複数人で遊ぶならセッションに呼びたい」と判断されているせいで距離が置けない。

お誘いも断ればいいと言われそうだが、既に誘われているメンバー自分と仲がいい友人だったりすると断れなくなる。自身性格のせいかもしれないが、そこに好きな友人たちがいるなら1つの嫌な事情に目を瞑れば円滑に進む。

それに何より、1番最初に言ったが普通に遊ぶ分にはなんの支障もない良い友人なのだ


最後

TRPGをしていて、今まで書いたきたことに少しでも心当たりがあるなら周囲のためにも少し自分の様子を見直して欲しい。

辞めろとは言わない。そんなことを言う権利はない。

から、予定を見返してみたり、人様が言ったことに過剰に反撃してないかとか、そういうのを見てほしいなと思う。

躁鬱は盾にはならない。

対人ゲームをしている、ということを忘れてくれるな。

画面の向こうにいるのは人で、自分のためにゲームをしてくれるCPUじゃない。

理不尽な事を言われれば腹が立つし、軽んじられれば情をなくす。それを忘れた時が縁の切れ目だと今一度自覚して欲しい。

追記

この記事自分が満足したら消す。

毒抜きのためのものであり、もしこの長い文を読んでくれた人が居て、なにか反応があって、自分の中の認識が改められたらと思って書いたから。

気が済んだら元より消すつもりである

ありがとうございました。

2024-03-05

anond:20240305121805

元増田一人暮らししている

祖母急逝したので帰省した

実家ゴミ屋敷になっていた

・父母も妹も臭い

ニートの弟は失踪しており警察は弟の居場所を知っている、妹もニート

一家揃って精神疾患持ち父母(掃除できない障害持ち)・ニート弟(パニック障害の疑い)・ニート妹(不安障害の疑い)

これ弟さんはどういう状態なんだろうな

家族辟易して独立してて肉親との連絡を断ってる状態なんかな?

2024-03-03

実家の犬が亡くなってさあ

たまに帰省して元気してるかなあって顔見るくらいだったけどさあ

目え開けてダランてした犬みてるとさあ

親もいつかそろそろなんだろうなあとかさあ

自分もいつか元気で幸せだけど死ぬんだなあとかさあ

飯食いながら見てる呑気な配信者もいつかは死ぬこと考えてんのかなあ

人生っていつか終わるんだなあ いろんなこと考える

2024-02-26

揚げ物惣菜をいっぱい買ってくるな

連休帰省した

実家がど田舎なので周りとの距離感が近いので、物々交換的な事はよくやってる

で、帰省した時にばあちゃんの知り合いからもらったのが…



中学生か!

家族を高血圧で殺すきか!

(お返しは自宅で作った豆腐。本当にこういうので良いんだよ…)

で、結局食べれないからって結局自分に回って来た

2個づつだから食べきれず自分が持ち帰ることになった

仕事なのに朝から揚げ物が続いていて胃もたれしてる…

お返しは相手のこと考えろよ…

ビールを箱で送ってくる人も大概やぞ…このご時世誰が飲むんだよ…

2024-02-25

BSSを実際に食らうとかなりきつかった

エロ本にはBSS(僕が先に好きだったのに)というジャンルがある。

NTR(寝取られ)は現在付き合っている彼女をほかの男に奪われることに対してBSS一方的片思いしていた相手が後から出てきた男と付き合って「僕が先に好きだったのに!早く告白していれば僕が付き合えたかもしれないのに!」といった要素を含むものである。これが実際に自分の身に降りかかってかなり精神的にキているのでここに書く。

共通友達もいないし相談できる相手もいないのでここで吐露させてくれ

大学の友人で卒業以来3年以上片思いをしていた相手に久しぶりに会ったら相手には彼氏がいた上に同棲も始めていた。

彼女とは大学サークルで知り合った。

お互いオタクだったのとコミュニケーション能力もそれなりにあったのですぐに仲良くなってサークルの間はだらだら話してコミケがあれば一緒に行くような仲だった。

自分パーソナルスペースが狭い自覚はあって彼女も同じように狭いのかたいして気にしていないのか異性なのに肩を寄せ合う、膝枕をする、肩を組んで同じスマホを見るみたいな、まぁ傍からみたらおかし距離感だったと思う。

それが大学4年生になると二人でデートにも出かけることもあったし、出かけるときは手を繋ぐレベルまでになっていたので、当時彼女にその気があったのかもしれないと当時の自分も感じてはいたが卒業就職のことで手一杯だったので「まぁこのままの関係でいいか」となんらアクションは起こさなかった。

結果特になにもなく卒業を迎えて俺は都内就職彼女就職に失敗したのか地元に戻って実家暮らしていたらしい。

卒業して最初の1年くらいはぽつぽつとメッセージのやりとりがあって、彼女イラストを描けたので個人で依頼を受けたりアルバイトをして暮らしているということを聞いていた。

そのころから彼女Vtuberになる目標ができたようでセルフ受肉するためにキャラデザインやらLive2dやらの進捗をたまに用事があって連絡したときに知らせてくれた。俺もLive2dモデルを何回か作ったことがあるのでツールの使い方でわからないところがあれば相談に乗っていた。

卒業から1年半くらいが経った頃にモデルが完成してVtuber活動が始まった。

1年半の月日と俺自身ソロプレイゲームしかやらない人間なので共通話題もなくなりこのころには特に用事もないので連絡を取ることはなくなっていた。

自分Vtuber配信を見ることも趣味の一つだったのでもちろん彼女配信もちょくちょく見ていた。

実際彼女以外にもリアルの知り合いが何人かVtuberを始めていて知り合いの近況を知ることもまた楽しいので彼女以外の配信も見ていたしあくま彼女もそのうちの一人という認識だった。

ただこの頃からかそのちょっとからか、正確にはいからかはわからない。

基本的自分はあまり人と遊ぶ趣味を持っていない。アニメを見るのが好きで映画を見るのが好きでゲームFPSよりはシミュレーションゲームパズル系のゲームの方が好きだった。アニメ映画もとにかくいっぱい摂取したいので人と予定を合わせて見るなんて選択肢は眼中になかった。ゲーム大人数のなかでチャットコミュニケーションをとるのが億劫MMOはやらなかったし命が軽いAPEXやvalorantもやらずもっぱらソロプレイ専用のゲームをするぐらいだ。

から大学卒業した途端に友達がごっそりいなくなった。

友達、というか知り合いを作るのは得意だったので大学いたころはたくさん知り合いがいた。

大学のどこかに行けば誰かしら友達か知り合いがいる程度には大学孤独を感じることなんて一度もなかった。とはいえ大半が知り合い程度なのでLINEを交換しても一度もメッセージを送らないなんてのはざらにあった。頻繁に連絡を取っていたのはサークル友達か同じゼミメンバーくらい。その友達とも別に趣味が合って一緒に遊んでいたわけでもなくだらだら飯を食ったりたまに大学終わりにアキバに出かけたりとかその程度。結局は同じ場所にいたから一緒にいただけの関係しか築けていなかった。

から卒業した途端に友達がごっそりいなくなった。かつては覚えるのも大変なくらいいた話し相手も、頑張れば両手の指を使って数える必要があるよね、ぐらいに減った。

彼女はそんな中で残った数少ない一人だった。唯一残った女友達だった。

今までの人生で数少ないデートにも行ったことのある彼女。Twtterで楽しそうなところや美味しそうなところ、一人で行くにはキツいところを見かけるたびに気が付けば彼女と行く想像をしていた。

わかってる。これは女っ気のない自分がそういったところに行く妄想をしたときに唯一残った彼女を当てはめているだけだってことは。だからこれは恋じゃない。実際同じオタクではあるもの彼女とは趣味が合わないので付き合っても大して楽しい関係にはならないだろうという予想は(付き合ってもいないのに)した。

から彼女配信を見てはいたが連絡を取るようなことはしなかった。したとしても遠方にいる彼女に話すようなことはなかったし付き合ってもいないのに会いに行くのも気持ち悪いだろうと会うこともなかった。

配信をしている彼女は楽しそうだった。もともと同人女だった彼女はそこ経由でインターネット上に友達がたくさんいたようでVtuberを始めてからも同郷のVtuber友達ができたりと活発に活動していた。

最初お絵描き配信フリーゲーム実況をしていたが、デビューから3ヶ月程度経った頃その新しくできたVtuber友達の影響か某MMOと某FPSを始めるようになった。

特にMMOにはドはまりしたようで配信MMOの実況と攻略が大半になりVtuberを含めた固定メンツでの攻略配信は実に楽しそうにしていた。

自分MMO系に興味がないのでゲームの内容自体には全く興味がなかったが楽しそうにプレイをする人間を見て楽しんでいた。

彼女MMOのリアイベにも行ったりして、自分も好きなゲームのリアイベに行っていたので「楽しいよね~~」と首肯するなど連絡は取らないながらも一方的彼女活動を眺める生活が続いた。

就職から3年ほど経って自分生活に余裕が出てきた。

今までおしゃれなんぞには全く興味はなく、興味がないので人生優先順位におしゃれが上がることはなかったが、社会生活を送るうえで普通恰好、いわば「まともな人間」「電車で隣に若い女性が座って許された気がした」ような恰好をすることの重要性はひしひしと感じていたので余剰のお金を使って身だしなみを整えるようにした。 眼鏡をはずしてレーシックの手術を受けた(人生で一番QOLが上がる買い物だった)。 髪を伸ばしてパーマをかけた(一番芋臭さから脱却するのに有効だった)。 ソシャゲデザイン知識から服を選んで周囲から最近おしゃれになったね」と複数人に言われる程度にはなった。

時を同じくして大学時代の友人・先輩たちから久しぶりに遊ぼうとの誘いを受けることとが多くなった。 自分就職したときコロナ第一世代だったので卒業してしばらくは人と会って遊べるような雰囲気ではなかったため久しぶりに友達に会うのがすごい楽しみになった。

そして俺がおしゃれを始める少し前あたりから彼女東京に戻ってきていることを配信で知った。

とはいえ3年近くも会っていない相手にいきなり「配信で見たけど東京に戻ってきたんだって?会おうぜ!」なんて言えるはずもなくただただ一方的配信を眺める、それだけだった。

そんな折にかかってきた旧友からの遊びの誘いである。しか複数の人から立て続けに。

「俺は見捨てられていなかったんだなぁ……」などとすこし感動もしたがそれと同時に「今なら彼女と会ういい口実になるのでは?」という気が湧き上がった。

言うは易し行うは難し、3年も会っていなかった相手にそんな気軽に連絡できるだろうか。否である

結局彼女に連絡はできずにほかの旧友に会うことにした。

おしゃれをする前の自分を知っている友達に会うのは少しだけ勇気必要だった。

初めておしゃれに目覚めた中学生オカンに「あ~ら、おしゃれなんてして。ませちゃってぇ~~」と言われるみたいな反応をされたら心が耐えられない。

実際その心配杞憂に終わった。みんなオーバーリアクションを取るわけでもなく「ええやん」みたいな反応をしてくれたので俺は傷つくことなく少しの自信を持ち帰ることができた。

それから自分でほかの旧友を誘って会いに行き、皆一様に茶化すことなく接してくれたので自分の今の恰好は何ら一般人としておかしくない普通恰好をできていると改めて確認できた。

少しの自尊心を持ちえたこの機を逃すまじと彼女に連絡を取った。

「今度これ食べに行かない?」

彼女は二つ返事で承諾をくれた。

よーしよし! 二人の関係は昔となんら変わってない! 久しぶりになんなんだと悪印象を持たれているようなことはなかった!

OKをもらえた喜びと久しぶりに会える喜びで自分の恋心を自覚した。

まさか、いやそうだよな。自分気持ちはつまりそういうことなんだよな。

まぁまずは会ってみよう。 実際に会ってこの気持ち確認しよう。 また昔みたいに出かけてこの気持ち確信に変えよう。

当日はだいぶ浮かれていた。

会う前に店で眉毛を整えてもらい、柄にもなくリンツチョコを買い、1時間以上早く現地について店の場所とあわよくばの二件目の場所を下見した。

余った時間スタバで茶をしばきながら何を話そうかと考えていた。

3年4年ぶりだしな、彼女の近況は配信で知ってるけど俺の近況は知らないしレーシックの話でもしようかな。そういえば最近引っ越して猫を飼ったって話をしていたな。猫飼いは自分の猫の話をしているときが一番楽しそうだしな。今何の仕事をしているのかな。いろいろ聞きたいこと話したいことがたくさんだ。

時間になって待ち合わせ場所に行くときさながら初めて銀座シャネルに行った時のように鼓動が早くなった。

待ち合わせ場所彼女がいた。

……彼女だよな? マスクをしてるからわからん人間1年も会わなければ顔を忘れてしまうので自信はなかったが背格好は彼女のものだったので声をかけた。

彼女だった。なにも変わっていなかった。

マスクを外して見えた顔はいもの見慣れた顔だった。

変わらんなぁ…… と思っていると。

「な~に、こじゃれてんじゃん 笑」

こじゃれてるは誉め言葉なのか……?

プラス意味で受け取ってもいいのだろうか。 オカンなのだろうか。

まぁ細かいことを気にしても仕方ない。こじゃれた格好を会話の切っ掛けにして店に移動する。

色々話した。美容のこと、今の仕事のこと、そして猫のこと。

昔と同じように話すが昔とは違ってパーソナルスペースは人並みに取るようになったようだ。まぁ数年ぶりだしな。

ことさら猫について話す彼女は楽しそうだった。いわく人生で最高にQOLを上げる存在だと。

へぇ、じゃあ実家帰省するときペットホテルかに預けてるんだ?」

「ううん、彼氏が見ててくれるから

彼氏!?!?!?!?!?

彼氏!?!?!?!?!?!?!?!?!?

彼氏ぃ…… ???

彼氏いるんだ…… どれくらい付き合ってるの」

震え声にならず平静を装えていた自分助演男優賞をあげたい。さながら名バイプレイヤーとして各TVドラマの表番組裏番組に出演するような名俳優だったろう。

曰く2年ほど付き合っているらしい。MMOの固定メンツが切っ掛けだったと。

2年、だいたい彼女東京に戻って来たかそのころだろう。

MMOを始めたのがその半年くらい前だから東京に来てすぐ付き合ったことになる。

なるほどなぁ……

俺がうだうだ連絡を取らずにいた間、彼女共通趣味出会った相手よろしくやっていたのである

会う理由がなかったとはいえ知り合ってから数年あってそういう関係にならなかった自分と知り合って半年でそういう関係になった彼。その事実に心が揺らいだ。

理由なんかともかく東京に戻って来たと知ってからすぐ連絡を取っていたとしても俺が付け入るスキはなかったのだ。

頑張って平静を装いながら話を聞くと彼女が今住んでいる場所家賃相場彼女収入釣り合わないことに気が付いた。つい最近まで自分もその近くに住んでいたので「案外近くに住んでたんだね」とかなんとかいいつつ家賃のことを聞いてみると、

彼氏同棲して折半してるから全然払えるんだ」

同棲!?!?!?

同棲!?!?!?!?!?!?

どーせーぇええええ???

ここ最近よく目にした言葉アラサーになった周囲からよく耳にする言葉。 それをまさか今ここで聞くとは思わなかった。

しかし考えてみれば自分アラサー彼女アラサー、将来のことを思えばなんらおかしくはない。

しかして同棲である

今さっき彼氏がいることを知ったのにそれに加えて同棲していることを知った自分は完全にキャパオーバー、見るからに動揺していたことだろう。助演男優賞剝奪である

そこから彼女仕事愚痴を聞いていたが正直気が気ではなかった。

猫の画像Twitterに上げたときも、普段配信そばにも彼氏がいたのである

きっと恋バナ配信の時も占いをしてきたと話した時も彼氏のことを思いながらしていたのだろう。

下手な下ネタを言うと不機嫌になった彼女彼氏とは笑顔で話すのだろうな。

それらを思うと卒業してからの3年間が、大学時代からの7年間が崩れていく音がした。

彼氏の話は多くは聞けなかったがそれでもその端々からいい男なのだろうと思わせてくれる。

自分には可能性などなかったのだと自覚させられる。

中学生の時告白して振られたことはあったがここまでの衝撃はなかった。

今までの人生受験就職もなんだかんだ最後には丸く収まったのでこのような衝撃は、可能性の途絶が目に見えるような経験をしてこなかった。

ああも喉が渇いてたまらず酒で潤したのは初めてのことだった。

店を出て隣を歩くと今日違和感を決定的に自覚した。

昔のように手を繋がなかったのはパーソナルスペースうんぬんではない。彼氏いるからほかの男と手を繋がないだけ。当然のことだ。

分かれて、電車に乗って家に帰って、寝ようとして眠れなくて、気絶するように寝て起きてしばらく経った今でも咀嚼しきれていない。

会う前に買ったリンツチョコを店に忘れたことに気が付いた。今度取りに行ってくる。

わかってる。

から距離が近かったのは男としてではなく弟として思われてたことを。

わかってる。

もし付き合っていたとしても趣味は合わないし甲斐性もない自分では彼女を楽しませることはできなかっただろうと。

わかってる。

ここで「もし」なんて仮定想像の話をしても負け惜しみしかならないことを。

それでもこの思いを酸っぱい葡萄にしたくない。

あくまで行動に移さなかった愚かな自分のせいであることを噛みしめたい。

彼女はいい女だった。

異性として好きだった。すらっとした見た目もタイプだった。大声で笑い決してヒステリックにならない自分をしっかり持った人だった。自己実現のために努力できるところも好きだった。数少ない友人の中でさらに少ない尊敬できると明言できる人間だった。

このことは彼女には話すのかな。いつか心に整理がついて、俺にもほかに大事相手ができたら話せるのかもしれない。

それまでは1年に1回くらいあって近況を報告しあう友達でいたい。

つかこ失恋も「そんなこともあったね」と笑い飛ばし酒の肴にできるようになったらうれしい。

とはいえ出会いがないので何かを始めたいけど何しようか。

俺もVtuberを始めたりして

2024-02-23

家族無意識差別的発言がきつい

実家から離れた大学に行って、それなりに良識のある仲間たちと勉学に励んでいる。

そんな中、久しぶりに帰省すると、「ジジイババアは早く死ね」「女は愛嬌大事からね」「不登校になるような子はもともと頭の問題がある」「デブ努力が足りない」等の差別的発言が飛び交っており、驚いた。

今まではなんとも思ってなかったのに、一つ一つの言葉に傷つき、なんて想像力のない人達なのだろうとがっかりしてしまう。

2024-02-20

「高3限定」っていうBL漫画が怖かった

怖すぎて読み直してないかうろ覚えだけど

高3の主人公イケメン担任教師恋愛するっていうBLとしては普通の展開ではじまる

でも次第におかしくなっていく

主人公(攻め)には担任(受け)が絶世の美男子に見えるが、友人にはそうではない

友人には担任は、歯は明らかに入れ歯で片目は義眼なのかどこを見ているかからず皮膚があちこち引き攣れた不気味な障害者に見えている

授業の内容も他の教師と違ってひどく幼稚でみんな内職をしている

なにか訳アリの障害者恩情採用しているのだろうけど迷惑だし気持ち悪い、というのが大抵の生徒が思っているところ

その高校があった辺りはかつて因習村で、選ばれた子供を痛めつけ、その子の苦しみが深いほどに村が神から得る見返りも多いみたいな信仰があった

先生はその因習が密かに残っているせいでボロボロにされた子供だったとか、大昔の因習で死んだ子供の霊だとかなんかそんな存在

主人公先生に魅入られてしまったので永遠に高3のまま先生と恋をして、普通卒業しておっさんになった友人は帰省した際に少年のままの主人公を見かける

ちょっとエグい過去を持つ先生陽キャ主人公が支えるとかそういう程度のダーク要素かと思って読んだらグロかった

BL、「ヤクザ愛人だった」「借金のかたに男娼やってた」みたいな悲しき過去キャラを扱ったものあるからそれぐらいはあるかな

因習村だしオカルトだし面白かったけど読みながらなんでこんな仕打ち受けてるんだろう(読者が)って気分になった

2024-02-18

妹(44)が糞な話

私には3歳下の妹がいる。妹とは私が大学進学する18の春まで実家で過ごした。

妹は学校でも仕事でも嫌になればすぐ辞めた。だから定職はない。今は週一でアルバイトしているらしい。ちなみに現在妹は実家暮らし

2年ほど前、結婚相談所出会った相手半年くらいの付き合いで結婚結婚生活半年破綻実家に戻ってきた。妹の言い分は相手アスペルガーであると言うもの自分カサンドラ症候群になったそうである(某

正直、42から婚活って遅すぎやしないか20年何をしてきたのだろう。

高校卒業後は専門学校に行っていたが親も私も知らないうちに辞めていた。その後自称アルバイトだったが風俗で働いていたのを私は知っている。私が既知だと言うことはおそらく妹は気づいていない。

昼の時間に働く正社員に一瞬なった時もあった。この時は保証人必要から年金暮らしの親に代わり私が保証人になった。ところで就職するにあたり保証人必要なのか私は聞いたことはないが、就職先は時々CMもしているホームセンター。一応まともであると思う。

しかしそのホームセンター半年程で辞めていたのを後から知る事になるのであるよ。保証人とは?

辞めた理由コロナ禍で接客は無理とのこと。なら何の仕事も無理なのでは?単純に嫌になっただけだろう。コロナ云々はテイの良い言い訳しかない。

その後妹の目標結婚になったようで結婚相談所に入会。出会った相手スピード婚andスピード離婚するのである

スピード離婚した後はさすがに私の堪忍袋の緒が切れて

お前は何にしても続いた試しがない。とにかく男に頼るのは辞めて自立せよと伝えた。加えて結婚相談所出会うのはどうか。お前も含めて実生活相手を見つけられない集まりなのだから難ありと了承すべきと言う主旨の

内容をLINEした。これが一昨年の秋。

夏が来てコロナ禍ではあるが人々の移動にも多少寛容になった頃、私は娘たちを連れ四年ぶりに実家帰省する予定だった。

出発一週間前、母から実家には来てくれるなと理由を告げず連絡が来た。既に飛行機キャンセルすると半分くらいしかお金が戻らない時期だった。理由いくら聞いても母はこちらの都合でごめんなさいと謝るばかり。埒が明かないので帰省は諦めた。きっと妹が会いたくないとでも訴えたのだろう。久しぶりに祖父祖母に会うのを楽しみにしていた娘たちには行けなくなった事を伝えた。これが一番苦しかった。娘たちには私と妹の確執なんて関係ないのに申し訳なく思った。

しかし。妹に苦言を呈したのは間違いだったのだろうか。母にも腹が立った。私が妹に伝えた事はド正論であるストレート過ぎたのだろうか?だとしても母は親として妹のふるまいを諭したりしないのだろうか?

後で知る事になるのだが、やはり夏の私たち帰省は妹が会いたくないと言う理由から断られたものだった。

姉にもう結婚は諦めろと言われたからと言うものだった。

私はまずは経済的な自立を促したのだ。女が40過ぎで結婚相手を見つけるのは厳しい市場である、それでも結婚相談所での出会いを望むなら相手にも難ありを了承すべきで寛容でなければ、そりゃ成功しないだろう。

こんなド正論本来なら親が言え。

思えば結婚する時も母は私に

あなたから背中押してあげて

等と発言していた。きっといつまでも娘の世話は出来ない、いい加減手を放したかったのだろう。

昔、妹が20代でフラフラしている時に母が私に言った。

の子公務員とでも結婚して安泰な暮らしをして欲しい、と。

ドン引きだった。

相手経済的にぶら下がるつもりで結婚するものなのか?まずは自身経済的に自立することが先決なのでは?ど真面目に生きてきた私はそう思った。男側だって全力で体重かけられたら逃げたくなるだろう。母は前時代的な考え方で結婚したら妻を養うものであると本気で思っているんだなと感じた出来事だった。

こんな考えだから令和の時代結婚観についていける筈がない。私自身は大学で知り合った同級生と長く付き合った後に結婚した。夫も一馬力ではストレス大だろうし私も不安なので今でも仕事は続けて勤続25年が過ぎた。

結婚相談所で妹に出会った相手たかだか半年で知り合った相手をただただ養うのは荷が重過ぎたのではないか?何年か付き合いがあり、その相手を養うのとでは情に違いがあり過ぎる。

そんな訳で私は親との連絡もなんとなく避けて今に至る。親と絶縁に近い状態になるとは思わなかった。

元凶は妹なのである

2024-02-17

久々に帰省するの怖いんだが

あそこにあったバーミヤンが今は無いと思うと・・・

2024-02-14

田舎婚活増田読んでメンタルホラーを味わった

都会で婚活してたけど、帰省の時に実家のほうでもお見合い組めないか検索したことがある

その時の人数から、割とリアリティあると思った

大手DB自分ですら10人いない、くらいだったか

20代増田ではさもありなんという

そんでお見合いする喫茶店ちょっとデートする場所も車移動が大前提なのも、それなという感じだった

anond:20240214180414

今はそこから更に段階が進んでいて、義両親に気を使うのも孫を見せるのも嫌だ、

正月旦那実家帰省したら台所で働かされたのでこれは人権侵害だ、

年賀状も送りたくない、面倒だしお金がかかるからお墓もいらない、という所まで来てる

会社飲み会を憎む人が増えてるのも似たような原因で、自分に不利な人間関係コストしかないという認識が広まっているのだろう

2024-02-12

anond:20240212203814

あー そうかもしれん。

自分は県外にいるから、たまに帰省ついてに食べるとしたら矢場とんになる。なるんだがや。

実家にいた時はカツに「つけて味噌掛けて味噌」をモリモリかけて食っていた。両親はソース派で寂しかった。

2024-02-10

いとことわたしのおしり

海の近くに住んでいたいとこは私と数日しか誕生日が違わなかった。毎年 冬休み夏休みになると

親が帰省するのでついでに遊んでいた(中学の終わりぐらいまで?あまりはっきりと覚えてない)

とにかく気性の荒い奴で、会うと必ず私のおしりを叩く。真っ先に叩く奴だった

教える遊びもろくなもんじゃなくて坂から自転車で下るとかエアガンだとか種飛ばしだとか冬にはスケートしたりもした。

1年ぐらい前にその海の近くでいとこのことを聞いてみたら、都会に行ったとしか教えてくれなかった。とにかくどこに行ったか不明らしい

しかし、奴は今も誰かの尻を叩いてるのだろうか

それは異性なのか同性なのか

いや、叩かれてるかもしれない

一度ぐらい、叩き返してやりたかった

一人称が「僕」から「俺」に代わるぐらいの時期で

令和の少年少女東京実家帰省する

新しいマンションが建ち続ける街

2024-02-08

anond:20240208131344

毎年年賀状やり取りして、帰省の度に会ってるよ。

成人式で再会した子も。

みんな小中学校の頃の友達と会ったりしてるの?

2024-02-06

飼い猫は昔ちょっとブスだった

猫といえば「かわいい」だろ、と思う。

自宅で飼っている猫でも、他人が飼っている猫でも、私の場合、分け隔てなくとにかく「かわいい」と感じる。

だが、猫や犬、ペットの「かわいい」を無闇に、無理やり他人押し付け行為はなんとなく苦手だ。SNSでも、そんな目で見られないようになるべく心がけている。

しか特定の誰かに読ませる目的のないスペースで、宛てもなく猫の話をするのはセーフだろう、と個人的に思っている。

特に私は猫好きなので、ネットに転がっている猫についての文章は大抵ありがたく享受している。

そういう人は多いはずだ。

自分一人が考えていることは、世間で百人以上が同じことを考えていると思う。

ので、増田では好きなだけ猫の話をしたいと思う。

で、飼い猫は昔ちょっとブスでした。

あんまり飼い猫についてこういう話をする人を見かけないので、どこかに同じ体験をした人はいないだろうか、という考えもあってこの話を書き始めている。

いや、猫はかわいいんですよ。

猫はずっとかわいい。フワフワしていて、よく眠るし、たまにニャンと鳴いて、夜に見つめ合うと目がギラギラ光っている。ずっとかわいい

しかし、写真に撮ってもなんだかやけにかわいく見えない時期があった。

自分で撮った写真自分で見返しても、他人に見せても

「なんだかムスッとしている」「不機嫌そう」「ブスに見える」

と、等しく不評だった時期があるのだ。

「昔」ブスだった、とわざわざ言うのにはもちろん理由がある。

なんだか最近やけにかわいく、撮った写真は誰からも好評だ。

「目がきゅるきゅるしている」「人懐こそう」「ハンサムだね」

と、昔と比べると随分な褒められ方をしている。

それはなぜか。思い当たる節はある。

猫は二年前、我が家にやって来てからやけに可愛くなったのだ。

猫のことは二年前まで、典型的人間嫌いの猫だと思っていた。

この増田記述している猫は、もう十歳を超えるじじいキャットだ。

じじいキャットは元々実家で飼っていた猫で、いろいろな事情があって二年前に我が家へやってきたばかりだ。

そのため、じじいキャットの性格は、帰省したときに見せてくれる一面しか知らなかった。

実家帰省した際にひと撫でさせてもらえるかな、と近寄ると、ササーッと遠くへ逃げていく。

撫でさせてもらえなくとも近くで観察させてほしい、と近寄っても、尻尾ブンブン振って無言の抵抗をする。

布団に潜りこんできたり、人間の後ろを着いて歩いたりするなどもっての外だ。

威嚇をするほどではなくても、人間には近寄らない、媚びない。そういう性格の猫だと思っていた。

だが二年前、じじいキャットは十年以上暮らし実家を離れ、我が家暮らし始めた。

それ以降、じじいキャットの行動が全て逆転したのだ。

名前を呼ぶと耳と尻尾をピンと立て、撫でられるために近寄ってくる。

寝姿を近くで見つめていると、「そうか」と言うように薄目を開け、喉を鳴らす。

人間が眠ろうと寝室へ行こうとすると、なんと先回りして布団の上に座って待っている。すごく賢い。

しばらく相手してやると飽きてポテポテとどこかへ歩いていくが、起きていると十分置きくらいに布団へ遊びにやってくる。

別の猫じゃないか?と思うときもある。

だが、じじいキャットは基本的に十年前に実家で飼い始めてから今まで、彼の美学を貫いて生きているのかもしれないと、最近思う。

別に実家で粗末に扱われていたわけではない。むしろとても大切に飼われていた猫なのだが、実家ちゃんとした人間が暮らす家だったので、ちゃんとした猫の飼い方をしていた。

ごはんも、おやつも決まった時間に与える。夜間は寝室を締め切り、猫と人間の夜の時間は完全に区別していた。

この「人間生活別にする時間」が、じじいキャットにとって少し寂しかったのではないか、と私は推測している。

我が家にじじいキャットが来てからは、ごはんおやつも、お腹が空いたであろうとき、食べたいと思ったであろうときにあげている。寝室も開放し、夜間も昼間も部屋を自由に行き来できるようにしている。

人間と似ている。お腹が空いたとき、食べたいとき食事を摂り、家の好きなスペースを自由に行き来できる。わざわざ意識しているわけではないが、我が家では人間と猫の行動に隔たりがそんなにないように思える。

我が家のじじいキャットは、ずっと人間と同じ暮らし方をしたかったのかもしれない、と思う。

目がきゅるきゅると輝き、人懐こさが表情から滲み、生き生きとしている。

なんだかムスッとしていないし、不機嫌そうに見えない。

ブスに見える要素が二年前から、すっかり全部取り払われたのだ。

こんなにブスじゃなくなったのは、二年前から生活の変化が大きいと、不満が少なくなったからだと、私は飼い主として認識している。

もちろん、ペット人間時間区別する育て方も、ペットの心身の健康のためには重要なこともある。ペット人間時間をきっちり区別する方が丁寧だと感じるし、ちゃんとした飼い主だからこそできる飼い方だと感じる。

あくまでこれは我が家だけでの話だということを留意されたし。

我が家のじじいキャットの場合暮らし方が変わったことで本当にブスではなくなったのだ。

この事実を子細に記しておきたくて、個人的に忘れたくないと思ったので、私はこの増田を書いた。

ずっとかわいい猫が、暮らしぶりが変わったことで、もっとかわいくなった。

新しい一面を、十歳を超えて尚見せてくれた。

猫ってすごい。生き物ってすごい。成長ってすごい。

もっともっと、かわいくなるポテンシャルを持っている。

もっともっと、かわいく見える暮らしになるよう人間として努力する。

あと、私が単純に写真を撮るのが下手だった可能性もある。

写真も、もっと上手くなろうと思う。

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