はてなキーワード: 学級崩壊とは
最近ニュースで連日報道されているように、公立学校教員の労働環境はブラック企業顔負けなことで有名だ。
月給の4%(2024年時点)を上乗せする代わりに、勤務時間外は残業代どころか給与を一切出さないというものだ。
とはいえ給与が支給されなければ法的には職務に従事する義務はない。これは公立学校教員も同じだ。
言い換えると、法的には部活動など勤務時間外はボランティアと同等。
それにもかかわらず、教師の皆さんはマジメな人が多く、責務と思ってそのままやってしまう。
管理職側や同僚も同じ経験をしてきたからか、普通に命令してくる。
なお、この命令が職務命令なのか拒否可能なお願いに過ぎないのかは、文部科学省も教育委員会も明言を避けている。
給与特例法を何とかしようと多くの人が立ち上がったが、法律として成立している以上実現できていない。
となると現状は上記の通りなのだが、唯一の例外がある。それが「勤務時間の割り振り」だ。
校外学習の引率や職員会議など、校長がやむを得ず勤務時間外の職務命令を出したときは、その分他の日の労働時間を短くできるというものだ。
最もどの職務が割り振りの対象になるかは地域や勤務校によって差が出やすいことも問題だが、ここではおいておく。
となると、勤務時間外に職務への従事を命令されたのであれば、勤務時間の割り振りを出すか、自由に拒否できる状態でなければならない。
ここでは、私が勤務時間外に職務をさせられることになったため、勤務時間の割り振りを勝ち取った話をしたい。
私の勤務校は、校長いわく「課題のある学校」(=小学校で学級崩壊したため、生徒指導で無理やり押さえつけないと荒れる可能性のある学校)だそうだ。
また勤務校はある委託研究をしており、職員会議でもよくその話が出る。
また「非常にやる気のある先生」が多く、始業時間1時間以上前から出勤し、終業時間から3時間以上残るだけでなく、休みも仕事をやりたがる先生が多い。
こだわりの強い先生や気の強い先生も多く、色々めんどくさいことも多い。
(これも地域や学校によって異なる。このようなところもあれば、残業時間を引け目に思っており毎日原則定時退勤せよと言っているところもある)
私はできる限り時間外在校時間を短く、休憩時間はしっかりと休み、長期休業期間は年次休暇などを連続して入れてバカンスを楽しめるようにしていた。
それでも急な雑用や昼休み・放課後の生徒対応などで休憩時間を潰されることがしばしばあった。
なので、休憩時間に職員室を離れてはならないと管理職より言われる状況だった。
むしろ「給料が出ないからといって周りを手伝わないのはどうかと思うよ」「ビジネスライクにやりたいならこの仕事は向いてない」とまで。
一応違和感を感じながらもできる限り気にしない方向でやってはきた。
が、教務主任より夜遅くの家庭訪問を命じられた時、ついに堪忍袋の緒が切れた。
どんなやり取りだったかはっきりは覚えていないが、こんな感じだったと思う。
教務主任(以下、教)「私くん、(生徒)さんの家に電話して。保護者の方が帰宅する今夜にね」
私「今保護者の携帯に電話したり、明日の対応じゃダメですか?」
教「今日じゃないとダメ。それに生徒と一緒になるべきだから今夜しかないね」
教「あ、やっぱり電話より家庭訪問の方が誠意があるからそっちにして」
教「打合せするから別室に来て」
別室へ。
教「~というわけ。私くん、よろしくね」
私「成長なんていらないんですけど」
教「え?」
私「金ももらえないくせして何が成長だ!!」
教「いきなりどうしたの?話聞かせて」
私「大体休憩時間に雑用押し付けて、勤務時間外も拘束して、休みの日に電話してきて、何様だお前は!!」
私「1分1秒でも取られたくねぇよ!!なんの法律があるんだよ!?」
私「社会人としての責任を果たさなければいけない法律はあるのか!?」
教「子供、嫌いなの...?」
私「さっき成長とか言ってたけど、押し付けがましいんだよ!!気持ち悪いんだよ!!二度としてくんな!!」
教「...」
校長(以下、長)「何を騒いでるんだ?」
教「(事情を話す)」
私「本当は教員になるつもりなんかありませんが、選択肢がないので仕方なくなりました。志望動機も面接は嘘をつかないと採用されないんで」
私「あと私は金のためだけに働いてます。というか話をそらさないでください」
長「わかった、職務命令とする。割り振りはつけてくれていいから家庭訪問行ってきて」
私「ならわかりました。何時間つけるんですか?」
長「家庭訪問の30分で」
私「待機時間は教務主任に拘束されたんですが、それは含まないんですか?」
長「...」
教頭と2人きりに。教頭は「ん~ボク?今日はどうしたの?」的な顔でこちらを見つめている。
頭「結局校長先生は君の割り振りを認めてくれたけど、同じことをしても僕にはないんだ。なんでだろうね」
私「(は?こいつ罪悪感を感じさせて割り振り獲得をあきらめさせる気か)そういうものは校長先生に聞いてください」
頭「いやだから君はどう思う?」
頭「...」
長・頭「了解」
私「はい」
長「さっきの割り振りだけど、どのくらいにするかは後日話し合おう」
私「あとでやっぱやめたとか忘れたふりをするつもりですか?」
長「(曇った顔で)そんなことしないって言ってるでしょ」
私「じゃあ帰ります、お疲れさまでした」
こうして、遅い時間の家庭訪問をさせられたものの、職務命令と認めさせることで勤務時間の割り振りを獲得することに成功した。
とはいうものの、引っかかるのが割り振りを後日話し合おうと言ってきた点だ。
好意的に解釈すれば、在校時間がこれ以上伸びないための配慮だが、本当にうやむやにしないだろうか?
教育委員会の人とかを連れてきて諦めさせようとしてくるのだろうか?
それとも、形式的に割り振りをくれるだけで、使わせずに消滅させる(割り振りは年次休暇より時効がとても短い)気だろうか?
校長、どうにかして割り振りは出したくないというか、無給労働させたい感じに見えるんだよね。
そんな疑念を抱えながら出勤したところ、
長「教育委員会からの通達も来たし、定時からの待機時間含めて割り振りを出すことにした」
私「(今回の件、教育委員会に上げたのね)」
一応は割り振りをもらえたものの、少し気になる点があった。
・この割り振りは有給休暇と異なり、放課後にしか使えないこと。
・放課後の行事練習があると、その使用が制限されたり、割り振り時間に食い込んでの職務を要求される可能性がある。
・裏台帳を使っての申請になった。つまり、割り振りそのものは勤怠記録には記載しない(勤怠記録をいじってフルタイムで勤務したように見せる)。
→不公平に思う同僚がいるからか?だとしても権利を主張すればいいだけの話なのだが。
今回のことをいろんな人に話してみると、反応は様々。
懇意にしてくれる先生は「割り振りもらえてやったぁじゃなくて教務主任に感謝しなよ」
出身大学の助教は「こうなったらいたたまれなくなって退職する人が多いのにメンタル強いな」とほめてもらった。
とりあえず、条件付きとはいえ待機時間含めて割り振りを獲得することに成功した。
休憩時間や勤務時間外の無給労働は他にもあるので、今度から同じようにしてみよう。
「法律ですか?職務命令ですか?そうであるなら割り振りを出してください。違うなら拒否します」
と。どちらに転んでも旨味が大きい。
なお、これは勤務時間外であり、犯罪ではないので人事評価が下がることも懲戒を受けることもない。
結局、一番の原因は「直接の給与にはならないけどこれも仕事のうち」というグレーな考えなんだろうな。
恥だとか責任だとか悩んで何もしないと上司の思うつぼ。何も言わないからいい気になって無給労働させてくるだろう。
(それはそうと、権利を主張しないだけならともかく、足を引っ張ってくるのが同じ立場の労働者というのが、ニッポン七不思議のひとつでもあるが)
とにかく、権利を主張することが権利獲得の最短ルートに他ならない。これだけは断言できる。
はてな界隈では大学進学、東京で正社員就職、が人生の既定路線として語られています。
しかし現実には大学進学率は60%、東京の昼間人口は日本全人口の13%に過ぎません。
社会の底辺を占める人々をはてな民が認識していないのは社会の階層化が進んだ結果でしょうか。
底辺層も日々普通に暮らし、納税し、選挙では一票を持っています。人生の夢や目標があります。家族がいて子供を育てています。
と、大上段で書きましたが、本音は奨学金をめぐる小泉進次郎氏や河野太郎氏の発言を聞いて底辺層が理解されていない現状・軽んじられている現状に苛立ち、一旦吐き出したい気持ちで書いておきます。
他の党首候補の皆さんも同じですが、奨学金を借りる層を最底辺と思われている節がありますが、その下には借りることを諦める層もいるという話です。
先祖は父方母方共に学がありません。
明治から大正にかけては博打打ち、物乞い、自転車修理などをしており、ホームレスもいたそうです。
昭和に入ると建設作業員、工場労働、トラックドライバーといった職業に就いていました。
戦災や仕事のために西日本を転々とする中で、1991年(平成3年)に中国地方の片田舎でわたしが生まれました。
通っていた公立小学校は治安が悪く、男子生徒が徒党を組んで女性教諭に暴行を働いていました。いじめも多く、暴行や、習字の墨を顔にかける、アルコールランプで服を燃やすといった事件が頻発しており、小3から小6は学級崩壊状態でした。
わたしはイジメが怖いのでなるべく不良に関わらないように逃げ回っていました。昼休みは校舎の裏の木陰に隠れていました。
小6の算数は教科書が半分くらいしか終わりませんでした。この傾向は中学まで続きました。
地域には公営団地が多く所得の低い世帯が多かったため、半袖半ズボンがトレードマークとなっている生徒はわたしの他にも数名いました。
学級崩壊が継続していました。不登校が学年の一割ほどにのぼっていました。
中2の頃に母が体を壊して働けなくなり、経済状況が一気に悪化しました。
1日3食食べられなくなったので、給食のパンを持ち帰り夕食にしていました。土日やパンがない日は近所のミスタードーナツのゴミ箱から廃棄のドーナツを拾って食べていました。
栄養不足のためか、朝礼や体育の授業で倒れることが頻繁でした。
父が電気部品組み立ての内職を持って帰ってくるので、毎晩手伝っていました。ノルマは1日500個で、2時間ほどかけて作ります。家電メーカーに納入されていたとのことなので、皆さんのご自宅のエアコン、冷蔵庫などにわたしが組み立てた部品が入っていたかもしれません。
同級生のあいだではワンピースやハンターハンターといった少年漫画、マリオカートやポケットモンスターといったテレビゲームが人気でしたが、わたしは33歳の現在に至るまで一度も触れたことがありません。
給食がなくなったためミスタードーナツのゴミ箱あさりが毎日のルーティンになりました。なぜミスタードーナツなのかというと、家が近いことと、完成状態で捨てられていたためすぐに食べられたからです。たまに廃棄を入手できなかった日は別の飲食店をあたるか夕食抜きです。
「大学」という施設があることを高校1年生のときに知りました。当時知っていた大学は東京大学、慶應大学の2校です。なぜ慶應かというと当時「学校へ行こう!」というテレビ番組でco-慶應という学生ラッパーが活躍していたためです。
わたし自身が大学に行くかは分かりませんでしたが、文系・理系の選択で文系コースを選びました。
高校2年に上がると学校で全国模試を受けることになりました。毎回全国で2500番〜3000番くらいにランクインし、成績優秀者の冊子に名前が載りました。
模試を受ける際には志望校を記載することになっています。そのときに初めて知ったのですが、大学というものは全国各地に数百校あるらしいと分かってきました。
担任の先生は大学進学を熱心に勧めてくれました。「もしかしたら東京大学や京都大学にさえ進めるかもしれない」…と。大学進学すべきかわたしは迷いました。
担任や、数学の先生、英語の先生が私を放課後に呼び出して、食べ物や飲み物をくれながら、大学進学するように勧めてくれました。
しかしわたしは大学進学しないことに決めました。理由は一点です。
ましてや、実はわたしは既に借金を背負っていました。貧乏で公立高校の学費を支払えないことから、親が銀行から毎月1万円借りており、計36万円を私が将来返済することになっていました。
加えて、担任が試算してくれたプランでは学費(減免の可能性あり)、実家を離れて暮らす生活費が合計毎月10万円ちかくにのぼり、本当にわたしが想像できない金額でした。
学費は減免の可能性がある、最低でも半額は狙えるだろうとか、大学進学により生涯所得がうんと大きくなるといったことを教えてくれました。しかし中学生の頃からミスタードーナツのゴミ箱をあさったり電気部品の内職をしているわたしにとっては現実感のない話です。
想像できないほどの金額を返済できるのか。大学進学したとして就職でつまづいたらどうなるのか。この展望を全く持てないために大学進学しないと決めたのでした。
大学進学しないことを決めると、担任の先生が表計算ソフトの教本を無料で与えてくれました。放課後に情報室のパソコンで練習しました。
高卒の就職活動はなぜか一社しか志望できないというルールが当時あり(現在も「一人一社制」という名前でルールが残っているようです)、わたしは地元の和菓子屋に接客・兼・事務として就職しました。1学年440名中就職は2名で、他438名は大学等への進学という比率の高さに驚いたことを覚えています。
その後父母が鬼籍に入ると、わたしは実家を離れていくつもの会社を転々としています。今では全く別の職業で生活しています。
身軽になった今、あのとき大学進学していれば違う人生があったのだろうかと想像することがあります。
わたしに借金を背負う覚悟がなかったといえばそれまでですが、やはり当時のわたしには覚悟は不可能だったと思います。未成年ができる決断ではない。
河野太郎氏は大学教育費を親負担ではなく本人負担に変えよと述べましたが、貧しい世帯は既に生活費も含めて全額本人負担です。むしろ本人が負担しきれないことが問題なのです。
小泉進次郎氏は必ずしも大学進学の必要はなく手に職を付けよと述べました。しかし転職の多いわたしが言うことでないかもしれませんが、手に職系の仕事も簡単ではありません。
大抵のひとは5年〜10年も同じ仕事を続ければ成長が止まります。しかも年齢を重ねると体に無理が出てきます。かといって独立して料理人が自分の店を経営するとか、建設作業員がひとり親方として営業していくには「手に職」と別種のスキルが必要となり、現場の人間のうちそれができる者は一握りです。
残された道は若手・外国人材・機械化との低賃金チキンレースです。
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ところが調べれば調べるほど、考えれば考えるほど差別肯定派になった
「理由」を記した文章なんてまったく出てこない、びっくりするよ
パーソナライズド俺環だが、トップはアグネス・チャンのページが出てくる
文章の中で「なぜ」は書かれていない
フワっとした抽象論
他のどのページも「理由」を明瞭に解説した言説にはたどり着かない。
「他人を尊重できないなら出ていけ」米空軍士官学校校長のジェイ・シルベリア中将のスピーチは有名だが
これもお涙頂戴の感動スピーチなんだが、冷静に聞くと
好意的に解釈するなら「多様性が強さの源泉」とダメな理由を語っているように受け取れるが。
バシバシ差別やってた時代の方が経済も科学も文化も猛烈に進歩してたやん
結局ね、誰も差別がダメな理由を論理的に構築できてねぇのよ、だって嘘だもん
考えてみりゃ、差別イクナイと言い出してから世の中がおかしくなり始めた
こんなもんいくらでもある
それが現実だ
一人の生徒を犠牲にすれば他の数十人の幸福度は上がる、学習効果も上がる
ストレス抱えたやんちゃ君がはけ口が無く学級崩壊してクラス全員がバカ
どっちがいい?
しらんがな
理由になってない
差別する俺はちっとも可愛そうではない、はい論破で終わってしまう
純日本人と喧嘩になったら「黙れ敗戦劣等国民の分際で戦勝国の血を引く俺様に逆らうとは生意気だ、もう一度メッタメタのボッコボコにされたいか?ああぁん?」
言うたれと教育している
親が教えたからだと思いますし、教えてどうにか出来ない年齢を連れ回すべきじゃない
開き直ってもいいけど、公立校は動物園とか、学級崩壊とか言わないでね
テンション上がって声が大きくなると『シーッ』ってやって周囲に気を使う子どもと、
そういう風に周りに気を使うように育ててるんだなって言う親御さん(ちゃんと注意する)と、
文字通り完全放置の親(青年誌系のザマァシーンでは確実に死ぬタイプ)
強いて言うならば犬嫌いを建前に犬を蹴り殺す基地外とかもいるので、
公共の場で大騒ぎするのはやめた方が危険の遭遇率はぐっと下がると思いました
なお、ワイくんガキの頃、変なオッサンがいたのでガン見してたらマジ蹴りされたことあるわ
オッサンの基地外レベルは控えめだったので今もフツーにワイくん生きてるけど
そのおっさんおまわりさんに捕まってないで
別に開き直っても構いませんけど、
それから、いつでもどこでも騒がせておけを肯定する人は、元気があってよろしいなお子様がたが通う公立校に、自分たちの子どもや孫を当然通わせるんですよね?って思う
まさかとは思うけど、可能な限りそういう学校に通わせるのを避けたり、学級崩壊とか騒いだりしませんよね?って思う
体調が悪い時も、公共交通機関を使った自分が悪いと、騒いでる奴がいるの我慢するんですよね?って思う
夜中に公園で子どもが騒いでても、元気があってよろしいってするんですよね?って思う
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240719021935
anond:20240719022914 anond:20240719144636 anond:20240719143812 anond:20240719152310 anond:20240719024755
anond:20240719163820 anond:20240719164236 anond:20240719192702 anond:20240719204009
単なる便所掃除だって腰を悪くしてたら激務だし、紙データをOCRして間違っている所を打ち直す仕事だって老眼にはマジで辛い。
生まれつき言語コミュ力が低い人間にテレアポさせると毎日のように炎上させてくるし、子供の頃からやってたっぽいから取った現場職が仕様書ガン無視で自己満足作業ばっかする上に話聞かなかったりする。
「誰でもこれぐらい出来るだろ」なんてねーから。
皆色んな分野において得手不得手がある。
得意だと思ってるからこそ人の話聞かない奴もいるし、苦手意識のせいで勉強や訓練サボって20年ぐらい一本指でキーボード打ってる爺さんとかもいる。
普通は「40人クラスだったら、20人に1人は出来ないことを出来ない子が2人ずつ各分野に出てくるわけで、それがやたら集中してる子と何でも出来ちゃう子が衝突したりもするけど納めるとか簡単じゃねえよなあ……」みたいなのを事前に想像して教員にならない道を選ぶもんなんだよね。
それを考えずに教員になるってのはさ、結局どっかで「100mを11秒代で走るまでなら人類全員ガチれば余裕っしょ?」みたいな考えが前提にあるんだと思うわけよ。
つーかまあ俺がなんとなくそうなんだろうなとずっと思ってたらさ、まさにお前だよ。
お前みたいな奴が教員になるんだなあやっぱ。
いやまあ教員が全員そうだってわけでもないだろうし、中には「昔そういう風に思っていた俺だからこそ、出来る子と出来ない子の間に立てるんじゃねえのか?」みたいな方向に行ったりする人もいると思うんだよ。
でも大部分がそういう人なんだろうなってなんとなく思ってた所に、お前だよ。
辞めたあとも同じ気持ちを引きずってるっていうか、未だに不満たらたらなその感じさ。
なんか結構いるじゃん「ガキ共が無能ばっかなせいで俺はいらん苦労してて俺が可哀想すぎるぜ」みたいに被害者ヅラして学級崩壊放置なクソ教員。
そういうのってこういうメンタルなんだろうなと思ってたところに、お前だよ。
俺のみたかった答え合わせだよ。
お前が生きた人生、赤の他人である俺的には十分な価値があったよ。
俺が人生で見ておきたかった答え合わせベスト1000ぐらいに入るのが一つ埋まったよ。
お前だよお前。
いいね、お前。
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
発達障害で普通に生きられなかったわたしが交際0日で結婚するまで
https://www.shobunsha.co.jp/?p=5734
生きるのがつらいから、
「養ってもらいたい」ってダメですか?
幼少期より社会に適応ができず、学校ではいじめにあい、大学に入学するも通学ができなくなり発達障害との診断を受け、家では過干渉気味な母親の言う通りに生き……常に不安と絶望にまみれていた著者が、SNSをきっかけに様々な人と出会う。そして、交際0日で結婚。結婚したことにより様々な生きづらさが解消され、幸せを感じられるようになったという。「自己責任」や「人様に迷惑をかけないように」などと自立して生きていくことが喜ばしいとされる中で、そこからこぼれ落ちてしまう人はどうしたらいいのか? 生きづらさに対して「結婚」という選択肢を伝える、体験エッセイ。
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【目次】
まえがき
就職しないと生きていけない/はじまりは学級崩壊/大好きなミルクティーとおにぎりがまずい/なくなってしまった私の居場所/精神科の先生にさじを投げられる/ぶり返した強迫行動/嫌がらせがはじまる/みんな同じじゃないと不安/予想だにしなかった高校受験「なんで学校来ないの? 意味分からないんだけど」/学校は来るのが当たり前/普通のレールに乗らないと生きていけない
大学さえ卒業できれば普通のレールに乗れる/初めて知ったADHDという発達障害/ADHDとの診断を受け、安心する/人生を変える大きな出会い/えらいてんちょうと初対面、5分でお見合いが決まる/しょぼい喫茶店に行く/生き延びるために結婚したい/はじめて自由を求めた結果、家出したい/夫との運命的な出会い
内見の2日後、家出決行/月に2日働くだけで生きていける/夫を意識し始めたある雨の日のこと/1回目のプロポーズ/夫の好意に気付けない私/プロポーズまでのカウントダウン/交際0日でプロポーズされる/「家事も何もできないけど大丈夫ですか?」
指輪づくり、新居探し/入籍と同居と家族旅行/両親に彼氏ができたと伝える/トラブル続きの家族旅行/両親と人生最大の修羅場/父親から出た言葉「娘をよろしくお願いします」
第5章 はじまった結婚生活
ようやくおとずれた幸せな日々/長年の呪いがとかれる/はじめて感じた「自分の気持ちをわかってほしい」/母の毒にやられる/「良い子」であり続けた人生/母のヒステリー/大学生になっても帰宅は19時半/母の幸せと私の幸せ
妊娠発覚後の母/「母親」だから嫌いになれない/母の突然の変化/病気や障害は環境がつくる/しょぼい幸せを感じて生きていく/愛されていると感じる日々/結婚し、困っていたことが改善する/「まなさんならできるよ」/セーフティネットとしての結婚/生きて、幸せをもとめる
なぜか中学受験したことない親って私立中学が荒れてなくていじめもない素晴らしい場所、だってお金かけてるから!って盲目的に思いこんでることあるよね。
私立中学にもエグいいじめも学級崩壊もあるし教師がやばい奴ばかりなところもあるよ、援助交際してる女子もいっぱいいたしね〜
なんなら公立中学みたく高校受験の目標もないからみんな中だるみしてるし勉強サボっても進学できちゃうから勉強サボりがちになるし
遊びざかりの子供に無理やり勉強させて大金払ってそんな場所に行かせたいの?
金をドブに捨てるだけ、もっとよく考えろよ
あと地元の同窓会にも参加できなくて子は地元に居場所作れないけど大丈夫?疎外感やばいよ
自分は親の期待に答えるように私立中学行きたいって嘘ついたけど本当はみんなと公立中学行きたかった。
一生後悔してる。
大人になった今でもみんなと公立中学へ行けるようになる夢を見る。
死んでももう戻れない。
学歴だの将来だの安定だのの前に子供の声をちゃんと聞いてほしい本当に
聞いてるつもりでも子が合わせてくれてる場合なんていくらでもある
もうこわれてるかもね^^
大谷選手にはリスペクトしかないし俺だって大谷モデルを見たいし触りたい。
だが、現場の慌ただしさは理解できるしその嘆きは共感を覚えので俺も書いてみた。
課題は4点あると感じた。
(1)どこでグローブ保管するのか
(2)どうやって児童に触れさせるのか
(1)どこでグローブ保管するのか?
できればトロフィーなどと同じように飾りたい。
都市部は教委単位で警備会社と契約していると聞くが全ての自治体がそうとは限らない。
(2)どうやって児童に触れさせるのか
できれば自由に触らせたい。
学級崩壊しているクラスを除けば子供は大人よりもよほどブレーキが利く。
子供は賢いのだ。
小規模校なら100人未満でも大規模校となれば1000人近くの児童が在籍している。
もし破損させてしまえば?
全学年回ったら校長室に保管だ。もう一度見たい子は校長室へ行けばよい。
体育の授業で使う?そんな恐ろしいこと俺ならできない。
保護者といっても色々な人がいる。
ものすごく腰の低い人もいれば連絡帳数ページにわたり連絡してくる人もいる。
コロナ全盛期には貸与した情報端末機器を売り払ったケースがあったとも聞く。
とりあえず職員室前にショーケースを置いて飾りフリーで見てもらうようにすればよいのではないか。
さすがにショーケースが壊されたら日中は気が付くだろう。
自治会長や民生委員、小学校はさまざまな立場の方々に支えられている。
その方々が「見たい」と言えば断ることはできないだろうよ。
こちらもショーケースで見てもらい、軽く管理職と世間話をしてもらうきっかけにすればよいのでは?
おわりに
元増田が書いたようにグローブへの対応は教委が一括して決めることもある。
しかし基本ラインだけ決めて「詳細は各校で決めてください」となる場合もある。
おそらく今頃「どうする?」と悩ませている管理職は多いだろう。
クラスから飛び出す子、クラスに入れない子、学校にしか居場所がない子。
DV等で避難している保護者、服役している保護者。そして保護者がいない子もいる。
対応できなければ「学校は何していたんだ」と言われることは間違いない。
なんせ俺にも「知り合い紹介してください」と電話がかかってきたからだ。
「大谷選手、グローブのついでに、管理運用してくれる人間もセットで派遣してくれませんかね?」
この一文なのだと感じた。
昔の話だが、息子が学級崩壊を扇動して騒動になったことがあった
当日息子が通う小学校では、男子の間で流行している、とある遊びがあった
息子たちはその言いつけを守り校庭の隅でやっていたのだが、女子が「男子がまたあの遊びをしている」と言い出し、それを受けて担任は息子たちを叱責しその遊びを場所を問わず禁止すると言い出した
それに息子がキレたらしい
「俺たちはルールを守って外で遊んでいた。(屋内での遊びを)禁止されてからは一度も校舎の中でやってない。なのに怒られて、遊び自体を禁止と言われても納得がいかない。だからもうルールは守らない。校舎の中だろうが構わず遊ぶ」と言い出し、日頃から女子のこういった言動に鬱憤を溜めていた男子の多くが賛同
教室は大混乱に陥った
TOKYO MXで放送されていたドラマ、反町版GTOが先週最終回を迎えた。
松嶋菜々子ロスを感じつつ、そういえば、なんだかんだ最後までGTOを読破したことがないと思い、読んでみた。
知る人は多いと思うが内容は、教師に裏切られたことをきっかけに、すさんだ中学生が教師をイジメ、次々と廃人化させていたところ、他の教師とは明らかに異なる主人公が担任となり、学校生活の中で一人また一人懐いていくというもの(1997年~2002年)。
たぶん、当時は学級崩壊やイジメが割と問題になっていた時代だったのだろうと推察されるけれど、当時の現実の生徒もこんなにエネルギッシュだったのかなぁ?と思い出すことができなかった。
今の生徒は、きっと、当時よりも手軽な娯楽が増えているので、いちいち熱くならないか、イジメをやるなら、ネットや携帯端末等駆使し、陰湿にやるのではないかと思った。
ただ、内山田教頭の長ボヤキの中には、当時の社会情勢に触れる文言も散りばめられているのだが、2023年でも言われていることが割とあることにやや驚いた。
失われた30年とはよくいわれるが、マンガ連載当時から約20年、大人の世界はさほど変わっていないのかもしれないということに、何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱いた
(反町や松嶋や生徒の演技を見ていると、現代のドラマの演技の方が格段に進歩しているのを感じた。中尾彬は現代の目で見ても良い演技だと思った)。
個人的には13巻の、パンツを脱がすレベルで散々イジメていた男子のことを、吊り橋効果でガッツリ好きになってしまう上原杏子が良かった
(当時、アニメも見ていたが、やっぱりこの場面が良かったと思っていたことを思い出した)。
今連載されていたら、ネットでそれなりに叩かれるのだろうが。