はてなキーワード: 学級崩壊とは
自分も小学校6年の2学期から学校に行ってない。卒業式も出てない。
きっかけは学級崩壊で、真面目に教室で教科書読んでるだけで「いい子ぶっている」という理由でトイレに呼び出されたり、キモいって無視されたりして、こんなところで時間を潰している場合じゃないなと自分から親にお願いした(両親は快諾してくれた)。
その担任も学校に来れなくなり、もう学校も教師も何にも頼れなかった(ちなみにそのあと担任は7人変わったらしい)。
その代わり、塾にってめちゃくちゃ勉強して私立の中学に行った。
やりたいことができて、大学も行けて、今はやりたいことをそのまま仕事にしてる。
そんな感じで今なんだかんだ普通に過ごせているので、お子さんにやりたいことがあれば、それを応援してくれるような存在でいてください。
自分が通っていた中高一貫の学校では生徒が生徒にするいじめより
それは暴力や持ち物の盗難・破損を生じるものでは無かったけど(そんな事する奴がいたら即停学・退学だし)
普通の学級崩壊といえる私語だけでなくわざと教師の答えられない質問を何度もぶつけたり
あと「授業を受けなくてもいいんだぞ」って言ったときは堂々と図書室へ自習しに行った奴らもいた
当然授業は殆ど成立しないのでその科目が得意な奴によるテスト対策も行っていた
点数が取れている限りは学年主任も何も文句言わないからクラスでそれだけは頑張った人がいたと思う
結局生徒が生徒を標的にするのは問題だが
好かれてない教師が標的にされるのは学校としても進学実績に響かなければOKってドライさがあったのだろう
とても酷い話である
はてなーには耳が痛い話系。
こんなタイトルなのだが、けっこうなページ数を父親を育児の世界に引き込むことに割いていた。あと、お堅いタイトルだが論文の類いというよりは筆者の心の叫び的な内容で、主張の根拠となるようなデータとかは出てこないし、なんならたまに間違えたこと言ってる。日本は年々犯罪が増えてるとか(減ってるよ!)。
国策によって日本の保育が雇用政策の為のサービスと化してしまった。それにより、保育園と親が協力して子育てをしていく伝統が崩壊し、親が子育てをする機会が失われ親として育つことも子供と共に生きる喜びを感じることも出来なくなりつつある。そんな現状に著者は警鐘を鳴らす。欧米では既に半数の子供達が実の親に育てられておらず、親による虐待、近親相姦や少女の妊娠、学級崩壊やいじめなどの問題が深刻化しているというのに、日本はその欧米の惨状に目を背けつつ無批判に追従しようとしているという。
半分くらいは規制緩和で改悪されて行く保育制度への嘆き。虐待同然の非人道的な保育が現場でなされていることの告発なのだが、後半は子供と共に生きることの喜びとか保育士という仕事から得られる幸福、親の幸福、そして最も大切な子供の幸福について書かれていた。
読み始めは眉に唾つけてこ、と思ったけど案外共感できる部分もあった。自分の子供達の小さい頃のことを思い出して涙した部分も。シンプルに、子供という存在は人に生きる喜びを感じさせる。決して子供は邪魔なお荷物でもない。子供と暮らすということは人を不自由にさせるが、その不自由さを補ってあまりあるものをくれるのも子供であり、人を前を向いて生きようと立ち上がらせてくれるのだ。
もう3,4年の段階で各クラス様子がおかしくてクソ荒れまくってた。
そこで学校はかつて様々な問題児クラスを受け持ってきたベテラン有能先生を5,6年の担任に着け、
きっと彼なら、彼ならなんとかしてくれる。
なーんともならんかった。
暴力、窃盗、当時は珍しかった陰湿ないじめ、授業ボイコットが吹き荒れ
学級崩壊という言葉が大流行したのは俺が卒業した3年後くらいだったから、
時代を先取りした学年やったんやね。
なぜかそのクラスに混ぜられたワイはなんとか目立たんように立ち回りながら
あいつをイジメろと言われれば従い、こいつを殴れと言われれば殴った。
有能先生はその後、8年くらいその学校にいたそうだが一度も担任は持たなかったそうだ。
妹も同じ学校に通ったがワイ君の妹だということを聞いた有能先生は引きつった笑いを浮かべていたという。
よっぽど怖い思いをしたんやね。
なんかズレてはいるけど愉快な先生でワイは嫌いじゃなかったよ。
今でもたまに当時のことを思い出す。
悪夢だ。
小学校中学校は保健室登校や不登校を繰り返していた。今振り返ると親に相当申し訳ないことしたしメンタルが相当弱かったのだと思う。
詳しく話すと
小5 クラスで学級崩壊&暴力に合う→保健室登校&転校
小6 自分の空気の読めない性格が災いし女子からハブられる&ある男子からよく身体的ないじめをうける→不登校
中学 中受して中高一貫校に通う。発達障害を持った子に付き纏われる&性被害のフラッシュバックで保健室登校不登校を行ったり来たりして、勉強についていけなくなり中学卒業のタイミングで高校を外部受験して偏差値40台の高校に進学。学費無駄にしてお父さんお母さんごめんなさい。
高校の時は流石に自分の人生このままでは詰んでしまうと思い皆勤で学校に通って、中学でろくな学校生活を送らなかったコンプレックスがあったから部活や生徒会も加入して我ながら高校はかなり充実してたなとは思う。
現在は二浪した後、大学2年生をしている。大学での勉強も楽しいし仲の良い友人もいて楽しい日々を送っているが、時々小学校中学校で歯を食いしばって学校に行っていたらよかったと思う時がある。男女間や先輩後輩間での人付き合いの距離感がおかしいのではと不安になるし、あの時の感性や感覚はあの時でしか手に入れられず、ちゃんと教室に通う学校生活を送っていたら手に入れられたのではないかと思う。
この間、グループワークの打ち上げで友人に「二浪してなきゃこの大学入ってここで飲んでないんだよ??」と言われた。確かに今の生活は否定するものでは決してないし中学を辞めて進学した先の高校で出会った友人や思い出、浪人時代に出会った友人や培ったものもかけがえのないもの。
だけどちゃんと学校通っていて高校にも内部進学してたら二浪もせずに済んだ気がするし、色々捻くれずに済んだんじゃないかなーーって思う深夜2時。
いじめが何故起き、そして何故黙認されるのか、それは学校という空間が異常だからだ。
個人的背景も経済的背景も違えば勉学に対する意欲も成長の度合いも違う人間を集めて管理するなどそもそも無理がある。
その無理をどうにかするために行われているのが学校の治外法権化である。
治外法権となれば当然「外の世界」の法律は適用されなくなり、中の都合によって法は定められていく。
多くの教師が考えているのは生徒を管理下に置くことであり、分かりやすいヒエラルキー構造が教室に広がるのは管理するのには都合がいいのだ。
端的に言えば教師にとってはいじめは程度さえ大きくなければ歓迎してもいい状況である。
個人が個人の感情で暴力を奮っても、力関係が強いものがやったのであれば黙認されるべきであるという風潮は、教師が体罰をするにあたっても都合がいい。
クラスのリーダー的な存在が生まれれば、教師が機嫌を取るべきはそのリーダーと取り巻きであり、下位層にいる生徒は卒業までの間に壊れないかだけを注意しておけば良くなる。
社会が教職者に押し付けた無理を、教職者は学校という空間の法とモラルを歪めることで解決しているのだ。
もし、その歪んだ法を正そうとすれば何が起きるか?
「いじめ問題だけを隠蔽することを辞めさせれば良い」なんて簡単に考えているのだろうか?
そんなことを生徒や親が許すはずがない。
生徒が法によって裁かれるなら教師も同じでなければならない。
逆を言えば、生徒が法で裁かれることを免れているという後ろめたさが学校の治外法権化を支えているのである。
鎖はどれか一つの輪が断ち切られれば全体が意味を為さなくなるという話である。
学校とはそもそも教育施設を兼ねた監獄であり、現代の社会が抱える無理難題を無理矢理に押し込めた地獄の釜である。
この状況を生み出しているのは教育の現場であり、そこに子供を預ける両親たちであり、子供というものを無知な獣としか思っていないこの社会全体である。
そもそもをして全く違う背景を40人の人間に対して1人の人間が監視を行って管理するということ自体が容易ではないのだ。
これはなにも相手が子供だからではなく、大人であっても同じだ。
免許の更新、職場における集合教育、失業保険目当てで通う職業訓練センター、そういった所で後ろ側に席をとって周りを見渡せば話を聞いているフリをして寝ている大人やバレないようにスマホを弄っている大人が如何に多いかを目にできるだろう。
大人か子供かではなく、意欲もないのに教育の場に参加させれば自然とそうなるのである。
だが多くの大人たちはそういった場面で見かけ上はマジメに聞いている。
彼らには、免許を更新したいとか、教育を受け直しになりたくないとか、失業保険が欲しいとか、そういった極めて直接的な理由がある。
だが、小学校や中学校においてはこういった要素が薄く、それこそ出席をしなくても卒業をして次のステージに進むことが出来てしまう。
学校という空間は如何にして1人につき40人を真っ当な報酬系統も存在しない状況で監視するという異形をなしているのだろうか?
答えはシンプルだ。
教師と生徒という関係に超巨大な傾斜を設けて、教師が白を黒といえば生徒はそれに従うほどの力関係を用意するのだ。
これにより教師が与える体罰、精神的苦痛、各種のハラスメントは教育という概念として昇華され、一生傷が残る行為と物理的な接触を伴うセクハラ以外はあらゆる行為が黙認されることになる。
そもそもをして、強制的に集められた40人を1人が管理するなど、こういった異常な環境下でなければ容易には実現し得ないのだ。
もちろんキチンと環境を構築するという容易でない道を選ぶことも出来るが、それを実行しようとしたものもゆくゆくは燃え尽きていく。
25歳で教職についたとして定年までは40年、個々人の意欲のみを報酬とするには長すぎる時間なのである。
かくして学校という空間は独自の法によって運営される出島、監獄となる。
ではこの監獄島に外の世界をルールを真っ当に適用したらどうなるだろうか?
教師と生徒が平等になれば、暴走する生徒を止める手段は通報のみとなる。
教室において教師が出来るのはハラスメントにならない範囲までの注意、いわば善良な管理者の注意義務までである。
その範囲は決して広くはなく、今までであれば先立って体罰によって躾けることで無理やり予防できた数多くの人災に対処が及ばなくなるだろう。
教師は超人ではないので、人間としての限界を超えることは出来ないが、法の縛りを逸脱することを許可することで擬似的に半超人化していたものがなくなるのである。
授業や生徒の管理を妨害された時、今まであれば超法規的措置によって体罰をして解決していた。
だがそれが不可能になったらどうなるか?
証拠を集め、公務執行妨害を適用し、少年院に送られてもらうことを選ぶしかない。
他の生徒のことを考えればそうならざるを得ない。
生まれついての犯罪者として真っ当な職業に付く機会は、少なくともテレビで名前を聞くような企業に入る機会は場末のアルバイト以外では望めないだろう。
今までであれば鉄拳制裁を受け、顔の腫れが3日後に引けば終わったものが、これからは一生消えること無い履歴書の傷を引きずって生きることになるのだ。
そしてこれは何も極めて救いがたい悪童に対してのみ行われるのではなく、多動性を持つ生徒、注意力散漫な生徒、偶然虫の居所が悪かった生徒、いわばほぼ全ての生徒がそう言ったリスクを背負って通学するようになるのである。
元からそうだったと言いたい人にはこう言おう、もし治外法権がなくなれば通報されるリスクが10000000倍になった学校に通うことになる、と。
我々が声高に「いじめをなくせ。隠蔽を辞めさせろ」というのは簡単だ。
だがそれは「学校への治外法権の適用をやめろ。これからは学校で起きたありとあらゆる犯罪行為が法的措置の対象となるべきだ」ということなのだ。
さて、貴方の家の子供は悪戯の一つもしないで今日まで生きてきただろうか?
悪戯とは、相手が許さなければ犯罪になる行為であり、犯罪歴がつけば人生の可能性が半分以上消えるということを理解できているだろうか?
そんな自信は自分にはないなあ
したらなんかギラギラしたほんとにカタギ?みたいな風体の保護者が「これだけ酷いと通常の指導ではコントロールできない、もうすこし教師に権限を与えて厳しく指導してもらってもいいのでは」と、暗に体罰かそれに近い厳しい指導も認めるべきでは?という発言をした。で、なんか周りの保護者からもパチパチとまばらな拍手が起こる…みたいな
はぁー?親がしばいて良いつって教師判断でしばける訳ないやろー?
そもそも授業中に歩き回り廊下にでて他の生徒にチョッカイを出し教室後ろの棚によじ登ってるのはお宅のお子さんなんだがー!?
ならおまえがおのれの子供をおまえの責任でしばけやー?いやあかんけどー
こちとら学級崩壊の話を聞いてたまに授業を見に行き、歩き回ってる児童に声をかけたりしとるんだがー?てめえの子供が主犯なのに顔も出さないで、俺の代わりにしばけってー?
って、直接言う勇気はない
医療崩壊とか、学級崩壊、なんて話は結構前から言われていたことだ。
しかしそれは、大元をたどれば優秀な医師が大量の高齢者を抱え込んだり、
あるいは優秀な先生が少子化で質の落ちた学生を受け入れたりすることで起こるミスマッチのようなものだ。
ところが、この現象を確認できる今の学生たちは、優秀であればこそ安易に崩壊寸前の職場など選んだりはしない。
僅かに残る名門校や大病院を目指すか、そうでなければ別の仕事を選ぶか、それさえ叶わなければ
人材不足だなんて言っていられるのはいまのうちで、これから本格的に質の低下が起こるだろう。
いじめられている、という申告が生徒から出た場合、学校はどうするか。
その作業は担任にしかできない。日ごろからクラスをみてるのはその担任一人だけだから。
専科の先生たちや教頭・校長はなんとなくはみていても、クラスの内部での細かい人間関係までは把握できていない。
軽度のいじめの場合、問題があると認識したらまずその生徒に注意する。ほとんどのケースはそれでおさまることが多い。
それ以上の深刻な問題の場合、担任が教頭・校長と相談し、必要であれば保護者を呼んで面談することになる。
いじめに絡んでいるのが複数人の場合、複数人の保護者との話し合いを重ねる。
保護者が比較的まともな親のみであった場合はそのプロセスを経れば解決することもある。
が、保護者がまともな親ではなかった場合(自分の子どもがしたことを客観的に判断できない場合とか)はスクールカウンセラーや教育委員会をはさみ、家庭相談員などを介して問題解決をはかることになる。それはすごく時間も手間も精神力も削られるし生徒側も学校側も相当しんどい時間を過ごすことになる。(余談だがそんな重役を仰せつかる家庭相談員はパートの非常勤であることも少なくない・・・)
そんなプロセスを経るのだが、いかんせん通常の教師の仕事が激務すぎて、それ以上のことが起きたら時間的にもリソース的にも対応しきれないような現状。
そうなるとどうなるか。精神面で相当タフな教師なら持ちこたえられるが、まともで真面目な普通メンタルの教師はだいたい精神を病む。その結果、突然職場に来れなくなるなどの症状がでる。長期休暇コースである。それでも立ち直れず、あるいは教職に絶望し、教職を離れてしまう人も少なくない。
担任がリタイアしてしまった場合は教頭と校長で引き継ぐのだが、如何せん人間関係や日頃の様子はそこまで把握できていないのでその状態での引き継ぎになる。
すでに残っている教師は精神面で相当タフな人か、相当マイペースな人か、問題を見ないですませてしまうタイプの人か・・・というように現時点で何パターンかにある程度ふるい分けられていると思ってもいい。もちろん地域差による生徒数の格差や各自治体のコミュニティの傾向などもあるが、生徒数が多い学校ではトラブルが起きないことはまずない。
最近は教師の威厳も権限もまるでないから子どもも先生を見下してたりする。頼りない新米教師の場合、学級崩壊も簡単に起こったりする。
俺が通った小学校は誰も彼もが、学年をこえていじめるいじめられるがある超荒れたところだった。
そしに赴任してきた、熱血教師ではないがいじめや偏見を許さないタイプの教師が隣のクラスの担任になって学級崩壊を止めようとあれこれ言ったり対策したところで、学年関係なくスクールカーストがあるような学校で通用する筈がなかった。
ある時学年の保護者向けの月報で、この学校には互いを認め合う力が弱いように感じます。人を認めるのは親と子が認め合うことから始まります。もう一度親子や家族の関係を考えてみて下さい。子は大人を見て成長します。と、今でいう多様性みたいなことを書いたら、PTAが
と激怒しちゃって、その先生を囲んでの話し合いと言う名の吊し上げをした。
子も子なら親も親だけど、今だって子の問題の根源には親の態度や振る舞いがあると指摘したら狂う親は沢山いると思う。
あと小さいネタ2つ。
俺を増田菌!呼んで、寄らない触らない、俺に暴力を振るうのには上履きや靴で蹴ったりボールを投げつけたりしてくるのが、コロナ対策にすごく几帳面なことに反映されてるなと去年感じた。
あと、入学式や転校生が来たりクラス替えがあった時とか俺がいじめられてることを知らない奴が出た時。
と呼びかけて、言われた側は最初はキョトンとしてるけど、呼んだ奴が親切とか優しくしていくにつれて俺に侮蔑するような目で見て最後には蹴り飛ばすようになるの、あれは完全にカルトの洗脳の手口だわ。