はてなキーワード: 体操とは
Twitterで亜留間次郎さん(@aruma_zirou)が興味深いことをツイートしているのを知った。
以下引用。
ソビエトにもブルマーは存在していましたが、入手できたのはモスクワのような都会だけでした。
どうしてなかったのかと言うと、ソビエトにはレオタードや体操服に使えるニット生地が生産されていなかったので原料が無かったからです。
ロシア語にはブルマーに該当する単語は無いらしく、水着、レオタード、ブルマーは全てКупальникと呼ばれていたようです。
バレリーナのマヤ・プリセツカヤはソビエト国内に無いためフランスにレオタードを発注していました。
フランスのバレエダンサーで振付家でもあるローラン・プティは長年に渡ってソビエトにレオタードを供給していた人物でロシア連邦国家賞をもらっています。
どうしてソビエトにブルマーやレオタードに使える生地がなかったのかというと、ソビエトの工業規格でニット生地は防寒に使える厚手しか生産されなかったせいです。
自分が以前調べたように、ロシア語では水着もレオタードもブルマも区別しないとわかったのは収穫だった。
一方で、亜留間次郎さんはこの情報の出典がどこにあるかはツイートしていらっしゃらなかった。ロシア語なり英語なりの資料を書籍でお持ちなのだろう。
個人的には一度うかがってみたいが、普段持ちの、ブルマーについてはつぶやかないツイッターのアカウントで突撃するのは、照れくさいな。
【出典】
土台にしてた段ボールの古いセロテープが燃えたりはしないだろ、話盛ってる
とか言われたけど、事実なんだよなあ💢
教えてもらったレシピを増田カレーとして紹介して褒められたときに、メタブを追っていたら
とか言われたが、そっちは自作なんだよなあ💢
うまいのに。チェッ
みのもんたの体操の話! 目の前の増田が肩こりで困ってたから、教えてもらった体操を良かれと思って教えたら。
病院行け
とか書かれた。これでもダメなら病院行けって末尾に書いてるの読めないのかなあ💢
それとも体操で治るレベルのチョットした違和感で即病院行くのか? スター賛同者たちは。
あと、お化けなんてないさって話で
みたいに言われたとき。別に何も崩壊はしてねえ。動機が複雑なだけで読解力のないキミの頭が悪いんだよなあ💢
あとルンバの話! 寓話としてお話を作って、ルンバの上面の埃を掃除するのにルンバが必要って言ったら
「バカだなあ」
とか言われた。はあ?💢
でも綺麗に収まった話は反論を載せたくない。特に誰かに楽しんでほしくて書いた話はね。
それを解ってて突いてくるクズもいると思ってる。
ムスコが平均サイズを少し下回っているという。
毎度、旅先の風呂場にて遠山の目付で観察を行っている。
別に、本気を出したムスコでチャンバラするのに大きい方が都合が良い、などと思っているわけではない。
しかし、中流より上に位置していることで安心を得るのが一般人の性である故、これは必要な行為なのだ。
なお、これが当地における統計的平均を示すものではないことは予め断っておく。
地元ナンバーがほとんどのスーパー銭湯ではあったが、わずか一時間ばかりの間の観察結果に過ぎないので、俺のは例外だ、と異議申し立てされても困る。
目立ったのは、皮付きだ。
部活帰りらしい高校生大学生からおっさんじいさんまで、多くの人が皮付きなのだ。
いや、見栄なのはわかっている。
これは地域性なのか?
各地での観察の結果、日本人の7割は火星という説はアテにならんというか、わからんな、という認識でいたのだが、ここ上越では確かに当てはまる。
大きさ的には普通だ。
皮付きか否かよりも長さの方で見栄を張っているのか?
サイズの分布に関しても、わりと一般に出回っている統計通りな感じだ。
観察していた中では、やたら立派なムスコをお持ちの方は二人いただけだ。
本気出したら最低でも1.5倍か、恐ろしいな。
小さい方も、やはりそこまで多くはない。
太ると埋もれる、という通説も確かのようだ。
今まで目にしたことはなかったのだが、残酷な遺伝の結果を今回は観測してしまった。
オトウサンと呼ばれた個体のムスコさんは小さく、ドリル皮付き。
一方、息子のムスコはかなりご立派。
10cmは下らないだろう。
毛が無い、色素沈着も始まっていない。
にも拘わらずそのサイズ、その露頭。
これはあれか、世に言う、母による「むきむき体操」による結果か。
あれ、ムクことに快感を伴うことを知った時、息子としては死にたくなること間違いない体操だよなと思って以来、反対の立場を取っていたのだが。
幼少期からの英才教育の結果がこれだとするなら、安易に反対もできない。
オトウサン、泣いていいぞ。
それとも、連れ子だったり養子だったりするんだろうか。
托卵の結果であるとは、同じ男として思いたくない。
さあ、次はどこへ行こうかな。
・39歳。
・男。独身。
・北海道在住。
・彼女なし。
仕事はあえて探していない。社会に出てからこれまでたくさん働いたし、ちょうどいいタイミングなので長い長い夏休みをもらえたと思って、のんびりできてうれぴーと思っていたらいろいろあってこんな状態になっている。
いつもは他のプラットフォームで日記のような文章を書いているが、関係者に見られたくないのでここで吐き出す。
会話をしているうちに、頭が整理されて行き問題が解決することよくある話だが、話し相手がいない自分にとっては、こうして文章を書くことが何か解決の糸口になるかもしれない。
もし解決にならなかったら、みんなの知恵を結集してわたしを助けてほしい。
今の状態はおそらくセルフネグレクトか、もしくはそれに近い状況なのだと思う。
朝起きてもベッドから起き上がる気にならず、シャワーを浴びる気にもならない。ごはんも一日一食。
参加人数200人程度のオンラインサロンの、それもごく一部の仲が良いメンバーとの1日数十分程度の、音声チャットが自分と社会をつなぐ唯一の接点。
家の外に出なくても、失業保険は振り込まれてくるし、ごはんはウーバーイーツで頼むことは可能。
1週間前まではそれでもよかった。何も問題はなかった。
むしろ、「自分は自由だ」と思っていたし、毎朝出勤する人たちを見て、「お前ら朝からご苦労さんww、お前らが遅刻しそうになっている間に、俺はのんびり体操して、そのあと街の中をウォーキングして、余った時間で図書館に行って、のんびり時間を過ごすぜ!悪いな!」と優雅な時間を過ごしていた。
状況が変わったのは、ちょうど1週間前、オンラインサロンでお世話になっていた人から「自分のマネージャーをやらないか?」と言われたことがきっかけだった
その人は働いてはいるが出社はせず、リモート業務で生きている人だった。ただ、人生勝ち組というよりは、どちらかというと生きづらい側に属している人で、出社するのがしんどいから、仕方なくリモート業務をやっているという感じの人。昨今のChatGPTの流れに乗って経験値の少ないプログラミングに挑戦してみたとのことだった。
ただ挑戦してみたが、業務量がコントロール出来ないので、俺にマネジメントをお願いしたい。ついては、「朝、9:00、13:00。16:00 18:00」の4回、リマインドが欲しいとの依頼内容。実働20日間で、報酬は5000円。
のちに、この報酬額は20000円でも少ないよなと思うことになる。
毎日好きな時間(おおよそ8~10時)に起きて、体操をし、ご飯を食べ、散歩をし、その後に図書館に行って閉館まで好きなだけ本を読んでいた自分にとって、1日4回違う作業が入ることは苦痛以外の何物でもなかった。
「引き受ける前に想像できなかったのか?」という批判はこの際無しにしてほしい。
依頼をしてくれた、彼からはこの数年多大な恩を受けており、断りづらい状態にあった。
私は現在図書館に日常的に通っていろいろな本を読むことが出来ており、おかげで古典や新書など本を通じて情報を仕入れることが出来ているが、数年前は本すらまともに読むことが出来なかった男である。そんな自分、ましてや最終学歴が高卒である自分に読書の手ほどきをしてくれた人物の一人が彼であった。
頼まれたときは非常に迷い、LINEのメッセージを既読にもしない状態で30分程度保留にしておいた。
だが、彼がLINEのメッセージを送信取り消しにしたのを見て「しょうがないな・・・」という思いに駆られ、引き受けることにした。
あの時断っておけばよかったのかもしれないね。
これは決して彼には言えないので、ここで吐き出す。
彼は1日4回、決まった時間に「今日はこれから〇〇をやります!がんばります!」とか「今はここまでできました!進捗は遅れていますが頑張ります!」と報告してきた。
これが非常にしんどかった。文章を見るたび、そんなの勝手にやれよ。しらねえよっていう気持ちだった、このくそ真面目な文面を一日1回ならともかく4回も見るのが本当につらかった。
また彼はプログラミングの経験が少なく、業務量もコントロール出来ないため、業務はどんどん遅れて行き、当初の予定では19:00で終わるつもりが、気が付けば23:00でも終わらない状態になっていた。自分はなるべく、彼にかかわらないように関わらないように、最小限のコミュケーションで抑えるようにしていた。深く関わると、精神的に持っていかれるような気がしたからである。それに、こちらから介入すること彼は拒んだように思えた部分もあった。彼は、私に対してあくまで人間的なリマインダーとしての役割を求めていた。
それを行うことにより、一種の緊張感を作り出してほしかったのだと思われる(彼に聞いてはいないから、実際のところはわからない)
※彼はのちに、この開発を断念することになる。理由はスキル不足によるものだそうだ。
実のところ、彼のマネージャー業を引き受けて3日目にはもうやめたかった。
いや正確には2日目にはもう辞めたかったと思う。いや初日かな? でも、彼には多大なる恩があるし、近しい人間(オンラインサロン内)だから無下に断るわけにもいかない。これが問題を複雑にしてしまった。
自分のメンタルが日に日に病んでいくのがよくわかっていくのは面白かった。
4日目くらいからは、自分の体に鎖が巻き付くようなイメージがあった。ハンターハンターのクラピカのジャッジメントチェーンみたいな感じ(間違っていたらごめん)
この業務を始める前は気力がMAXに近かったが、たった1週間足らずで目に見えて不健康に近づいたのがよくわかって面白かった。
6日目。土曜日、彼がやろうとしていた開発内容が、実はWordpressの拡張機能を使えば実行することが出来る。要するにプログラミングなんて必要ないってことがわかったタイミングで「マネージャー業をやめます」といった。案外あっさり辞めることが出来た。
実は3日目くらいで、彼から「マネージャー業負担になっていませんか!?」と言われていた。私のあるツイートを見て、先回りして心配してくれたらしい。
正直それはそれで腹が立つ。ストーカーかよって思ってしまった。
今回はてな匿名ダイアリーに吐き出し記事を書いたのは、そういう理由もある。
おそらくいつものプラットフォームに書いたら、間違いなく見つけられるでしょう。
自分がセルフネグレクトになっている理由の大きな理由はここなのかもしれない。
本当は東京に遊びに行く予定だった。みんなは朝から仕事をしている中、自分は東京に行っていろんな世界を見てくるんだ。いろいろな人に会って、いろいろな世界を見てくるんだ。それを糧にして新しい仕事に就くんだ。それが、お前のせいでぐちゃぐちゃになったじゃねえか。スケジュールが台無しだよ。どうしてくれんるだよ。
おそらくこれが、わたしがセルフネグレクトに至ってしまった本質なのだと思う。
でもそんなこと言っても、何も始まらないし。これは会社をクビになった時と何も変わらない。
終わったことよりも、残っている日にちを考えた方がいい。 まだ100日以上失業の日にちは残っている。
と、さっきほっともっとのお弁当を買った帰りに気づいてえらいと思う。
だって一日中ベッドから起き上がれない。風邪を引いたわけじゃない。熱があるわけじゃないのに体がだるい。精神的なものであることは間違いない。
ただ、ウーバーなどに頼めば起き上がらなくったって、一応ご飯は届く。生活は成り立つ。でもたまに外に行ったらめっちゃふらつく。下半身の筋肉がとても落ちていることに気づく。
自分は無理やり友達?知り合い?にLINEをして予定を作った。これでもし無理ならもう無理なんじゃないかと思ってしまった。
とりあえず、気持ちの吐き出しと自分なりの解決策を書いてみた。文章を書いてよかったと思う。
なんかいい案があったら教えてください。
認可保育は教育じゃなくて、両親が働かないと生活出来ない恵まれない可哀想な子どものための児童福祉施設なの
児童の保育に欠けるところがある場合において、保護者から申込みがあったときは、それらの児童を保育所において保育しなければならない
だからある程度の金ある人は、金ある人向けの"教育"があるサービスを使うの
フツーは子どもにより良い環境をって考えるので、毒親・サイコパス/発達障害親でなきゃ『何故?』ってなる要素無いの
で、ある程度金あるご家庭は、私立幼稚園だけじゃなく、それなり教育させる保育園とかも選択肢にするの
その一例がプリスクールな?"教育"を行うが分類上は厚労省の管轄の保育園な?
などなど
何度も書きますけど、どう考えても元増田(anond:20230412145932)に選択出来る属性なくてクソ雑な釣りだし貧乏人だぞ
税の公平性考えたら保育ではなくて高等教育を全面的に無償化だと思うよ
『保育』は一部のDQNとサイコパスが、ガチで保育園のことを親が楽するためのものって捉えて、税金で贅沢(楽)しようとするが、
[見本]https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230412145932
『教育』はどんな奴が見ても親の贅沢品ではなく子ども本人のためのものだ
いますぐ所得上限を無くして国立大学を全面無償にしよう。ただしオンライン学部に限るでもまずはぜんぜん良いと思うよ
anond:20230412214438 anond:20230412234446 anond:20230412230055 anond:20230413071559
川崎市選挙管理委員会は、任期満了に伴う川崎市長選挙(10月10日告示、24日投開票予定)と川崎市議会議員幸区補欠選挙(10月15日告示、24日投開票予定)の投票を呼び掛ける啓発ポスターのメインキャラクターに、女優の莉子(りこ)さん=写真=の起用を発表した。
「一票(俵)には重みがある」−。七月十日投票の参院選の投票率向上につなげるため栃木県選挙管理委員会は、とちぎ未来大使を務めるお笑いコンビのU字工事を起用した啓発動画とポスターを作った。
「神戸の未来に意思表示を」。告示に先立って公開された同市長選のPR動画で、同市須磨区出身のタレント山之内すずさん(20)が、軽快なリズムに合わせて投票を呼び掛ける。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202110/0014770653.shtml
22日公示、7月10日投開票の参院選に向け、県選挙管理委員会は、今夏のリオデジャネイロ五輪に体操日本代表として出場する横浜市出身の白井健三選手(日体大)を起用した啓発ポスターを作製した。
https://www.kanaloco.jp/news/government/electiondata/entry-77234.html
静岡市長選挙・静岡県議会議員選挙(4月9日投開票)の広報イメージキャラクターに選ばれたのは、なんと、Vチューバー。静岡県のご当地VTuber「木乃華(このはな)サクヤ」です。
当方、30代後半になる。会社員男だ。現場の仕事で疲れた時、帰りに自分好みの居酒屋に寄ることがある。約一年前に、そこで珍しい体験をした。あんな気分になったのは初めてだった。懐かしいし、嬉しいけど、でもちょっと怖い。ツキがありすぎて、逆にツイてないんじゃないかと思った。
実をいうと、中学生の時に柔道合宿で知り合いになった女性と再会した。二度と会えないと思っていた。思い出が記憶の水槽に残っていたのを自覚した。
それは、居酒屋のカウンターに座った瞬間だった。どちらからともなく「昔会ったことあるよね」「増田君だよね」「Yさんだよね」という流れになって、しばらく話し込んだ。
少しばかり、昔のことを綴ってみたい。2000年代前半のことだ。
中二の夏休みだった。当時、広島県の海の見える田舎で柔道をやっていた。普段は中学校単位で練習しているが、隣の市にある工業高校で柔道合宿があるらしい。顧問の先生が是非とも参加したいと主張していた。それは6泊7日の長期合宿で、うちの中学は途中日程で二泊三日だけお邪魔させてもらうことになった。
当時は弱い方だった。黒帯には遠く及ばず、公式戦でも黒星が多かった。白星が増えつつはあったけど。不安だったのを覚えている。高校生にボコボコにされると思った。でも柔道は好きだったから、ちょっと期待もあった。
朝八時くらいに工業高校に到着したのだが、柔道場に入ると、すでに数十人の高校生と、県大会で活躍するレベルの男子中学生が畳の上でぐったりしていた(ランニングウェアで)。朝6時からの朝練で相当しぼられたらしい。
朝9時半に柔道の練習が始まったのだが、背丈が185、体重が90くらいある高校生が、「これから、午前の練習を、始めるッ!!」みたいに野太い声で開始を宣言した。今でも覚えている、とても高校生には見えなかった。『テニスの王子様』で、すごいおっさんの高校生が出てくるだろ。そんな感じだった。
準備体操や受け身の練習を終えて、中学生だった自分達は、いよいよ投げ技の打ち込み(二人組になって技に入る直前までやる。20本で交代で、組み合わせが順番にグルグル回る)に入った。高校生と組むことが多かったのだが、レベルの差がありすぎて向こうの練習になってなかった。こちらは、綺麗に受けてくれるお陰で練習になっていたが。
柔道場には女子が何人もいた。別に珍しくはない。工業高校があるのは大きい市だったから、柔道をやってる女子はたくさんいる。うちの地区には女子は数えるほどしかいない。
その中で、打ち込み練習で自分の前に立った女子(Yさん)は、ほかの女子とは違う気がした。体型は大きめで、上半身が丸っこい感じがしたのを覚えてる。
めっちゃ気が強そうだった。目の鋭さが違う、子どもって感じがしない。実際にそうだった。打ち込みで自分と組み合ったと思うと、真っ先に大外刈り(※技の解説はあまりしない。適当にググってほしい)に入り始めた。女子と打ち込みをしたのは、その時が初めてだった。なんか、男子と明らかに感じが違う。柔らかくて繊細で、リズムがあった。
残念ながら、リズムが良すぎて技の受けが噛み合わなかった。「んん~!!」という不機嫌そうな声とともに、Yさんは20本目を終えた。Yさんと交代して自分は、おそるおそる大外刈りの打ち込みに入った。
……やっぱり、男子とは明らかに違う。振りかぶった足で相手を刈る技なんだが、大外刈りは相手と胸を密着させる必要がある。男子だと問題なくできるのだが、どうしても胸が合わなかった。こちらの胸板をぶつけると、反動とともに弾き返される。何度もぶつけようとするが、うまくいかない。Yさんの方から、「チッ!」みたいな舌打ちが聞こえた。正直ビビっていた。
自分はナメられやすい見た目だった。あなたの周りにも、40代ほどで小太りで、中肉中背のマッタリとした雰囲気のおじさんがいないだろうか。その予備軍みたいな中学生だった。今の妻にも「おじさんみたいじゃん」「お腹触らせて~」などと言われることがある。※けっこうな頻度でぜい肉を握られる。
打ち込みでは、その子以外の女子とも組んだ。背負い投げは背丈の関係で入りにくそうだったので、全員大外刈りにした。でも、Yさんほど入りにくくはなかった。みんな、スッと胸を合わせて密着することができた。
そんなこんなで投げ技の乱取りが始まった。ここからは男女別に分かれた。男子は40人以上いて、女子は6~8人だったかな。女子は柔道場の端っこの方で乱取りをこなしていた。黒帯も白帯も一緒だった。やはりYちゃんは圧倒的な強さのようで、福山市では中二にして57kg級で優勝していた。
ところで、当時の日記には「強くなれる機会だ。でも、高校生に投げられたらめちゃ痛そう」と書いていた。実際そんなことはなかった。というのも、白帯は白帯だけのグループでの乱取りだった。黒帯のグループを見ると、自分がいる市で一番強い体重90kgほどの男子が、細身の高校生にボロ雑巾のように背負いで投げ飛ばされていた。
その時、見てしまった。その男子が体格を活かして大外刈りに入った――と認識した時、一瞬で空中二回転半する勢いで、その高校生のしゃがみ込む背負いで畳の上に叩きつけられていた。いや、あれはもう畳にめり込んでいた。「バァーーーンッ!!」という音がしたのを覚えてる。でも不思議かな、そんな勢いで強い人に投げられてもぜんぜん痛くない。
当時の自分は、柔道が強くなりかけていた。黒帯にはほど遠かったけど。黒帯の乱取りグループに入れてもらいたかった。だから、頑張って、頑張って、ひたすらに白帯の中学生や高校生を投げ続けた。そしたら、あっちのグループに入れてもらえるかなと思った。そんな気配はなかった。
午後は、寝技の稽古だった。初めの方は先生が模範の攻めパターンを見せてくれて、二人組を作って互いに掛け合う流れだった。やがて、小休憩を挟んで寝技の乱取りがスタートした。自分はやはり黒帯のグループに行きたかったので、必死で相手を抑え込んでいた。
それで、寝技の乱取りの三本目か四本目の終わりに「ビイイイイッッ!!」と電子タイマーのブザーが鳴ると、工業高校の先生と、もうひとりの先生(Yさんの顧問)に呼ばれた。ほかの白帯も二人ほど一緒だった。
「おみゃーらは、次はこっちに入ってもらうけえ。君らの先生に許可はもらっとる」
※標準的な備後弁(名古屋弁×広島弁みたいな感じ)だ。特に乱暴な口調ではない。
その時また、電子タイマーのブザーが鳴って――目の前にはYさんがいた。この時が、人生で一番驚いた。黒帯のグループを夢見ていたのに、反対に女子のグループに入ってしまった。
「お願いしまーす!!」
「……」
礼儀正しい方がYさんだ。自分は無言だった。「なんで、なんで」と心の中で思っていた。当時の感情は覚えてる。ウダウダしていて情けなかった。
Yさんや、ほかの女子との寝技の乱取りを回想してみる。当時の乱取りは確か、互いに両ひざをついた姿勢でスタートだ。Yさんはフツーに力が強かった。筋肉がある。男子と比べても劣らない。
で、ぐいぐいと畳に引き込まれて、コロッと転がされた。脇の下にサッと手を入れられて、そのまま横四方固めになった。こんなにあっさり決められたのは、言い訳になるがショックを受けていたからだ。
Yさんの身体越しに真上を見ると、さっきの工業高校の先生がこちらを観ていた。恥ずかしい気分になった。黒帯のグループに入りたかったのに、とまだ未練がましく思っていた。先生が「Y。ええぞ、逃がすな」と言っていた。
その瞬間、自分は空いていた右手でYさんの黒帯の後ろを掴んだ。左手の肘を同じく太ももに押し当てて、ブリッジをした。すると、Yさんの体がきれいにひっくり返って、そのまま横四方固めをやり返す格好になった。
「あぁーーーーーもーーーーーッ!!!!」
今でも覚えてる。Yさんは本当に叫んだのだ。横四方で抑え込まれたまま、わっせわっせと両手を互いの身体の間に挟んで、腹ばいに転がろうとするのだが、当時の自分の体重は65kgあった。女子の力で動かすのは困難だった。
しかし、女子を横四方固めで抑えると、両者の身体の間に空間ができることがある。Yさんの場合は特にそうだった。Yさんの顧問の先生も、ずっとこっちを見ていた。
先生の声が聞こえてきた。
Yさんの抵抗が激しくなって、指先を顔にぶつけてきて痛かった。人差し指が唇にぶつかって、「いてっ」と叫んだところで、ぐるりと転がって脱出された。
また、寝姿勢のまま組み合ったところで、Yさんが自ら背中をついて(いわゆるグラウンドポジション)、こっちを引き込もうとして、もちろん抵抗して――終了のブザーが鳴った。
「うん。次はこっちじゃ」
連れて行かれた先には、ほかの女子がいた。今度は白帯の子だ。小柄だった。自分と同じ市の中学一年生だった。
電子ブザーが鳴ると、両ひざを立てて組み合ったのだが、Yさんに比べると力がない。組んだ感じだと、その子の体重は40~45kgだった。指先をひねるくらいの勢いで押すと、真横にコロンと転がった。よいしょっと上に乗って、丁寧に上四方固めになった。
今度は余裕があったから、「両手をお腹のところに入れて」「押して押して、空間を作って回転して~」みたいに教えていた。教えるのはおこがましいかもしれなかったが、でも、その子の練習にならないから……と思っていた。
あと、一人か二人の女子と寝技の乱取りをした。Yさんと同じくらい力のある子はいたけど、本気でやると自分が勝った。男子と女子には体力差があるのだ……。その後、白帯のグループに帰された。
それからも立ち技や寝技の乱取りの最中に、たまに先生方に呼ばれて女子の練習相手をした。Yさんという例外を除いて自分が勝つので、ずっと相手の実力に合わせるみたいに柔道をしていた。周りの先生が、その女子にリアルタイムで指導をするのを聞きながら。
当時は、女子と組まされて悔しい!! と感じたけど、感覚としては間違ってない。今の自分は、柔道を教える人としては約十年目なのだが、あの先生方の気持ちは理解できる。あの時、あの場所ではこういう情況があった。
1.強い女子(Yさん)の練習になる相手がいない。男子と手合わせさせたい。
②Yさんと同じくらいの体格
3.白帯のグループから2.の傾向がある子を抜いて練習相手にする
こんなところか。要するところ、あの先生方からはこういう視線で見られていた。
・増田はほどほどに弱い
・体格がそこまで大きくない(164cm,65kg)
※Yさんは当時おそらく163cm,55kg前後
今では納得している。実際、2.の③④は特に重要だったりする(女子の保護者から言われるのだ……)。
よくない人間だと、指導とみせかけて女子選手の身体を触るとか、嫌な気分にさせるとか、そういうことが実際にある。一般的な寝技の練習風景だと、男子と女子が寝技の乱取りをすることになった場合、女子の仲間が数人単位で乱取りの様子をずっと見ているのが基本だ。「セクハラは見ています」というメッセージを暗に伝えている。
また、練習環境によっては、女子選手が自ら男子選手を捕まえて乱取りをせねばならないことがあるが、女子が捕まえる男子は、概ね2.の条件を満たしている(女子選手も人間なので、特定の男子が大人気で順番待ちということもある)。
合宿のすべての日で、Yさんと乱取りをすることになった。寝技の方はだいぶ慣れた。抑えたり抑え込まれたり、実力は拮抗していた。
立ち技が難しかった。はっきりってYさんの方が強かった。体力では勝っているが、Yさんの方がセンスがある。組み手争い(上手く組めると優位に立てる)について、Yさんは特にこだわるタイプだった。うまく組めなかった場合だと、「ああ、もおっ!!」みたいに怒り出してしまう。男性ホルモンが強いタイプの女子だった。
ところでYさんは、合宿所に自転車で来れるくらいの学校に通っていた。漫画やアニメに出てきてもおかしくない学校名だったのを覚えている。それで毎朝早朝、自転車で工業高校にやってくる。
当校にとっての合宿最終日の朝、柔道場がある体育棟の軒先でYさんと出くわすことがあって、「おはようございます」と言った。Yさんも「おはよ」と言って、ほかの女子数人と着替えに行った。
三日目もこれまでと同様、白帯グループと女子グループの間を行ったり来たりだった。だが、この日の最後にはなんと、黒帯のグループに入ることができた。もちろんコテンパンにされたけど、いい経験になった。
それで、最終日の夕方の部のことだった。この日は、ベテランの講師陣によるストレッチ講座があった。この日だけは、ほかの中学の女子は帰らずに参加していた。
講師が二人いて、ほかの生徒らはラフな格好で畳に座って開始を待っていたのだが、そこにYさんが黒いTシャツと、下はジャージ姿で現れた。入口のスノコが踏まれた時の音を覚えている。
あの光景は、当時男としては相当初心だった自分でも察せる状況だった。ほかの男子は皆、畳の上を颯爽と歩くYさんを観ていた。一応、いろんな人が読んでる場なのでサクッというけど、物凄い大きさだった。その膨らみが、真っ黒のシャツの中で踊っていた。自分は知っていたけど、柔道着なしのTシャツ越しだとさらに目立っていた。
しかし、当時の自分は関心がなかった。大きいなぁとは思ったが、すぐにどうでもよくなった。畳に視線をやって、ジャンプ漫画のジョジョ(第6部・ストーンオーシャン)のことを考えていた。
性の目覚めが遅いタイプだった。『いちご100%』を読んでも何が面白いのかわからない少年だった。初めて人を好きになったのは21の時だ。遅すぎる。
それで、ストレッチ教室の講師が説明を始めて、いろいろ体を動かして、いろんな部位がグキグキッとなって、1時間も経つ頃には終わって……うちの中学は解散ということになった。顧問の先生と一緒に、最後に工業高校の柔道部員みんなに礼をして、さあ帰ろうかというタイミングだった。
柔道場入口のスノコの前まで行ったところで、Yさんやほかの中学の女子が屯していた。Yさんがこっちを見ていた。声をかけようか迷ったけど、けっきょく声をかけた。あまり知らない異性に声をかけたのは、おそらくこの時が初めてだ。
「お、これはYさんではないですか。お疲れ様です!!」
「お疲れさま」
「修業になってよかったね」
「うち、今日で終わりじゃないよ。最終日まで。あと二日あるんよ」
「Yさんは近所の学校なん?」
「うん」
「俺は尾道」
「うん。知ってる」
「うん」
「絶対だぞ」
「……頑張る」
「多分もう会えんよ」
「うん、そうかも」
「どうやって帰るん?先生の車?」
「うちも歩くんよ。福山駅まで」
この日の夜、家族が泊まってる親戚の家に合流することになっていた。家族が柔道合宿に合わせてくれたんだと今では思ってる。親戚の家の最寄り駅まで、誰かが迎えにくる予定だった。
この時、Yさんに「じゃあ一緒に帰ろうよ」と提案した。
同じ中学の柔道部員は外に出ていたが、顧問の先生はこちらを見ていた。「ほかのみんなは先生の車じゃけえ。暗いから気を付けるように」と言って、スノコを踏んで体育棟の出口に歩いて行った。それから自分も、Yさんと一緒に工業高校を出た。
Yさんと駅まで一緒に帰る途中、いろいろ話はしたけど内容はよく覚えてない。柔道の話ばかりだったのは覚えてる。冗談で、Yさんにお腹のぜい肉を触られたっけ。最後にメアドを交換する話になったが、当時は携帯電話を持ってなかった。
あっという間に福山駅に着いて、Yさんと手を振って別れて(またね、とお互いに言ってた)、福塩線の電車に乗って、親戚の家の近くの駅で降りると、叔父さんと叔母さんが迎えに来ていた。
それから、Yさんと話すことはなかった。県大会の会場でも、中国大会の会場でも、お互いに姿を認めることはあったけど、別に話をすることはなかった。目は何度も合ったのだけど、こっちは試合前でピリピリしてるし、Yさんもそうだと思うと話しかけづらかった。
それで、高校になるとYさんを見かけることはなくなった。Yさんとの思い出は終わったのだ。
冒頭に戻る。
偶然、Yさんと居酒屋で再会して話が盛り上がった。確か、こんな感じのことを話した。
・お互いに1回離婚をしていること
・お互いにあまり変わっていないこと
・二人とも同じ市内に住んでいること
最後に電話番号を交換した。Yさんと話ができて一番よかったのは、当時の感情が脳裏に浮かんできたことだ。中学二年生の時の思い出が蘇るって、あんなにしみじみとした気分になるんだな。
そろそろ解消しそうなので備忘録で書き留めておく
辛いPMSにはセルトラリンはマジで全女子に知ってほしいと思ってる。
ただ薬も余り効かず我流の鍼とかでひたすら耐えた感じ。
連続投与のピル(自分の場合はジェノゲスト)とセルトラリンが黄金の組み合わせと思う。
婦人科は精神科の薬を出すのが余り上手くないため、心療内科もかかることをお勧めする。
ピル五種類飲んだからマジで長かった。ヤーズ嫌だって言ってるのにバカの一つ覚えの婦人科医師多すぎ。クッソ手こずった上に結局心療内科が治療のキーとなったため、婦人科にはあんまり信頼感がない。
◉精神症状
一番ひどい時は文字が読めなくなったり家から駅まで行けなくなったり、人間関係を生理ごとにぶち壊したりしてきた
ピル(ジェノゲストではない)で他害行為は良くなってからも空間把握能力がおかしくなり、料理中に気づいたら手を切っていたりして恐ろしいほどの能力低下していた
◉身体症状
だるい。これは今でもそこまで良くなってない。15時間寝るなどの過眠も良くなってない。その他の頭痛などはかなり連続投与ピルで改善した。
後は大食いムーブがあったりした。その後は生理で何も食えなくなるから痩せてたんですけどね。
◉月経困難症
排卵痛まで酷かった上、ピークの時はボルタレンロキソニンでも薬が効かなかったため3週間くらい痛みにずっと耐えないといけず何もできなかった。
→3ヶ月くらい続いた。
散歩もまともにできず、不眠になった。
最初はタケキャブ使ってもダメで、原因は生理止めるためのピルでの肝炎だった。婦人科ファッ●
肝炎良くなってからもたまにぶり返すのでタケキャブもらったりする。スッキリ良くなる。
●肝炎
→とあるピルが悪さして辞めた途端治った。全国の婦人科よ血液検査はちゃんとしてくれ。
●肥満
運動しまくってたのに痩せずに途方に暮れたところ、不眠治療し出してようやく痩せ出したところ。泣くほど嬉しい。
●不眠
→マジで毎日寝付けず頭が働かない生活を送ってた。睡眠外来の病院に行ったところ、指導が神がかってた。かなり良くなった。なぜか不眠治療したら食欲が減って痩せた。
●肩凝り
→整形外科で体操教えてもらったのがかなりよかった。急性期はリハビリしてもらったのも非常によかった。
その後教えてもらった体操、コリコランとオムロンの高い治療器でそこまで極端に凝ることは減ったが真冬はたまに弛緩剤のお世話になることがある。
●まとめ
→早く病院に行くほど簡単な病気の治し方はないと思った。ただ婦人科はなかなか当たりがないので大変。心療内科は予約取りにくいのでとにかく早めに。
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
・ アカウント作成時に不許可形式のメアドだと送信ボタン押しても何も起きない。「メールアドレスが不正です」とか「+は抜いてください」とかせめて表示すべき
・ ぱそこんがよわいとログイン画面が重い(ゲーム中のグラフィック設定が反映されてないっぽい)。ここからゲーム終了するんだけど終了し切れず固まる
・ 剣で木材や鉱石を収穫するのはがっかりだけどスマホで採取装備持ち替えてたら超めんどいのでこれでOK
・ とりあえず最初の城の周りを回って杉とナッツとたんぽぽの種を回収した。カメラ操作間違って滑落したり溺死したりして死ぬのはよいゲーム
・ 料理はミニゲームでいいけど、この副食材作るのにかかるリアル時間はこれは焚火の近くで体操でもしてればいいの?
・ 主人公の名前は普通に日本名とかひらがなとかでよい。兄がAlexander_MAXXで妹の名前が蛍とかギャグにもならない
再投稿更生学校は、一般的な学校とは異なり、厳格な規律が適用される矯正施設です。ここでは、はてな匿名ダイアリーの再投稿をやらせないための教育が行われています。
入所者は、まず厳しい入所手続きを経て、自分自身の過ちを深く反省することから始めます。毎朝早朝には竹刀で叩き起こされ、体操や冷水浴などの厳しいトレーニングを行います。また、独自の授業を受け、再投稿に至るまでの思考の過程や、適切な表現方法などを学びます。
さらに、学内での交流は禁止されており、外部とのコミュニケーションも制限されています。食事も質素で、厳しい規則に従い、体力をつけるための食事として提供されます。
再投稿更生学校は、刑務所に近い雰囲気を持ちながら、再投稿をやらせないための教育が行われる特殊な学校です。入所者は、厳しい規則とトレーニングを通じて、再投稿による社会的なリスクを深く認識し、再犯を防ぐことが期待されています。