はてなキーワード: レジャーとは
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
わいの情報
・初めての車購入
・レンタカーやカーシェアで運転歴はそれなりだが小さめの車がほとんど
・2人の幼児がいる
・なのでレジャーはそこまでアウトドア的な積載が求められるやつじゃない
・立体駐車場に入る
・W1840ならすれ違いや駐車時もそう不便なさそう
・予算的にも程よい
車に詳しい増田、近しい感じで車使ってる増田、なんかこれ見て思うこととかアドバイスあったら教えてちょ
ブコメ含め想定外にたくさんアドバイスをもらえた。ありがとうございます
・ミニバンについて
今は駐車場の高さ制限で無理だけど、やはり子持ちならメリット大きそうだなと
・車幅の懸念について
生活道路が全部一通エリアなのと基本郊外に出かけてて駐車も気にならなかったけど
所有するとなると近場や都心部に出かける機会も出てきそうで軽く見すぎてたかも
そういえばマザー牧場へ向かう道とかすれ違い多くてちょっと嫌だったのを思い出した
・車種について
車種は決めた方が具体的なアドバイスもらえるかと思って自分の中で検討して決め打ちしたけど
書いてもらった中で気になるのもあり、経験がないので積極的に試乗してみようと思う
・嫁について
運転しないし車とかよくわかんないし何でもって感じ
今想定している使い方に凝り固まりすぎていて、
嫁の運転や都心方面へのお出かけなど車を持つことで広がりうる部分への想像が抜け落ちてたかも
とにかく試乗してみて家族含め車に乗ることや出かけることが楽しくなれるように決めようと思う
同じ様に他の家族連れも多くいました
ひと休みにとシートを敷いた場所に戻ると、30センチくらいの距離に知らないテント知らない家族
近い
すごい近い
な~んでこんなに広くて余裕があるのにこんな近くに?
なんか向こうも気まずそうにしてるし、なんでやねん
こっちが先に敷いてた所に君たち敷いたんじゃん
旦那は、スルー対応でしたが、やだよ我慢出来ないよ誰だよ君たち
こういう事例、初めてじゃない
【悪意があるパターン】
大勢で来てる輩が「はいはい私たちここで騒ぎますよーごめんなさいね〜」とばかりに寄せてくる
【悪意がないパターン】
多分発達障害。だいたい妻に「近過ぎや」と指摘されて場所変えていく
(ちなみに増田は「どんな年度でも東大現役合格2桁は維持できている」レベルの中高一貫男子校出身だったけど、レジャーとしてクラスのオタクからカツアゲするとか鼻血が出るまでタコ殴りにするとかの事件はちゃんとあった)
・加害する前に「お前表出ろ!」的な予告やコミュニケーションがない。武士の「やあやあ我こそは」的なそれが平成不良には全く欠落していた
・不良のなかで、自分らならず者たちの世界と非不良連中との世界との間に境界線がない。
それゆえに平成不良は見ず知らずの女性や子供や老人や障害者や街の小動物さえも当たり前に加害の対象だった
・加害行動が単なるレジャー。
平成不良の加害行動にはある種の人格障害的な突飛さがあった(例えば、青色の靴を履いて駅前を歩いている人間がいたら人気のないところへ連れて行ってタコ殴りにする、など。理由は「青色の靴を履いていたから」で、因縁つけるとき、暴行するときに怒って叫んだりとかは一切しない。)。
彼ら昭和50年代生まれ60年代生まれの平成不良を育成した親世代も人格障害揃いだったとか、あるいは現代基準だと極めて異常な子育てをしていたのではと睨んでる。
日本の都会と地方の若者の違いについての興味深いエピソードを共有してくれてありがとうございます。都会と地方での生活環境や文化の違いが、若者のメンタリティや行動にどのように影響しているのかを明確に理解するのは重要です。
ご説明によると、都会の若者、特に京都市のような都市部の若者は、競争が激しく、高い協調性と社交スキルを持っているようです。一方で、地方の若者は比較的競争が少なく、リラックスした環境で育っていると感じられるようです。
この違いは、都会の方が社会や職場での競争が激しいため、若者が自己表現や対人スキルを磨く機会が多いことに起因しているかもしれません。一方で、地方ではコミュニティが密接で、人々がお互いを支え合う文化が根付いているため、競争よりも協調が重視される傾向があると考えられます。
また、地方の若者は、都会の若者に比べて、仕事や日常生活においてゆとりを持っているように見えます。これは、地方の方が生活のペースがゆっくりで、人々が互いに深い関係を築きやすい環境であることが影響している可能性があります。
さらに、都会と地方の若者の違いは、教育、就職機会、レジャー活動、さらにはメディアやテクノロジーへのアクセスにおける格差からも生じているかもしれません。これらの要素が、若者の価値観や生活様式に影響を与え、都会と地方で異なる文化やメンタリティが育まれています。
結局のところ、日本の都会と地方での若者の違いは、その地域の社会経済的な特性や文化的背景に深く根ざしており、それぞれの環境が若者たちの生き方や考え方に大きな影響を与えています。
正確に数えた訳ではないけれど、多分200〜250万だと思う。正確に数えるのが怖くて数えていない。
メイドカフェに通い出すまでは風俗や夜の世界とは無縁で、好きなアイドルはいたけれど、のめり込むほどではなかった。
そんな自分がなぜここまでハマっててしまったのか、たくさんのお金を使ってしまったのか、自分への戒めとしてまとめておこうと思う。
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本題に入る前に、メイドカフェの用語や文化を軽く説明しておく。
またメイドカフェやコンカフェで働く女性店員の呼び方は色々ある(メイド、コンカフェ嬢、キャスト、女の子など)が、ここではメイドで統一する。
メイド服を着た店員が、運んできた料理におまじない(美味しくな〜れ萌え萌えキュン!など)をかけたり、オムライスにお絵描きをしたり、チェキを撮ってチェキにお絵描きをしてくれたりするアミューズメントがある店を指すのが一般的。(それ以外にも様々な形態の店があるが説明が長くなるので割愛)
コンセプトカフェの略。
メイドカフェと似ているので一緒にされることも多いが、キャスドリ(詳細は後述)がある店はコンカフェ、無い店はメイドカフェとされることが多い。
メイドに限らず店によって様々なコンセプトで店の内装や女の子の衣装がデザインされている。
メイドカフェのようなおまじないや、オムライスのお絵描きがある店も多い。チェキもある。
値段帯はメイドカフェの方が安く、コンカフェの方が高い。因みにガールズバーになるともっと高い。
店に通う客には大抵「推し」がいる。お気に入りの子、贔屓にしている子を指す。
推しがいない客もいて、DD(誰でも大好き)や、箱推し(その店自体が好き)などと言われる。
シャンパンは誰に入れると指名してメイドのためにいれる。メイドの誕生日や周年(メイドになって◯周年)など、お祝い事で入れることが多い。
値段も高い。値段は店によるが大抵は、安いもので1万前後、モエシャンは2万円以上。
「キラキラコンカフェ嬢」の証とされるエンジェルは15~20万。箱がついたものだと30〜40万くらいだろうか。
シャンパンには基本的にバック(売上の◯%がメイドの給料になる。割合は店によって様々)がつく。
メイドにドリンクをあげることができる。このドリンクを飲んでいる間は基本的に自分の目の前にいてくれる。メイドとじっくり話したい時に注文する。
値段は1杯800~1000円が主流。
またこれもメイドにバックが入り、メイドはキャスドリを何杯も飲むことになるので、キャスドリは客が注文するドリンクより高いし、量も少ない。
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メイドカフェに行くきっかけは友達の誘いだった。友達も自分もメイドカフェに行った事が無いから行ってみようぜという、たったそれだけ。
コロナがちょっと落ち着いてきたくらいの時期で、レジャー的な遊びに行くのは久々だったのもあり、こんなに楽しい場所がこの世にあるのか!くらいの衝撃を受けた。
1回だけより何度も通うともっと楽しめそうだなと思ったので、何回か通ってみることにした。
見栄とチヤホヤされる快感と、夜の世界の独特な空気にハマってしまったんだと思う。
メイドカフェでただ座っているだけなら大してお金はかからない。席料とワンドリンク合わせて2000円弱で1時間座っている事ができる。
しかしそれだとメイドとほとんど話せず、メイドカフェの醍醐味が味わえない。
メイドカフェといえばでイメージするオムライスやチェキはもちろんメニューにあるが、それを楽しむだけなら、1回3~4千円ほどで済む。それだけで1年で200万はなかなか行かない。
大きく4つあるので順に書いていこうと思う。
まず最初にハマったのはメイドの歌ったり踊ったりのパフォーマンスだった。
通っていた店にはステージがあり、特定のメニューを注文すれば、ステージで歌ったり踊ったりのパフォーマンスをしてくれた。
アイドルのライブはあちこちにファンサをするが、メイドはファンサをほぼ全部、そのメニューを注文した客にだけに向けてしてくれる。とびきり可愛い決めポーズや、一緒にするポーズも、全部独り占めできる。自分だけのアイドルのように思えた。
周りのメイドも一緒に盛り上げてくれるし、居合わせた客も手拍子してくれるので、メイドと客の2人だけの世界過ぎず適度に盛り上がっていてそれもよかった。
最初は手拍子しかできなかったが、周りの常連の客を見て作法を学び、またメイドも次何をするか促してくれるので、振りや一緒にするポーズ、コールなど覚えてくるとより一層楽しくなった。
ただ見るだけじゃなくてメイドたちと一緒に盛り上がれるのが楽しかった。
このパフォーマンスが見られるメニューが1曲4千円弱で、1曲では足りず、毎回2~3曲お願いしていた。
メニューにあるのは知っていて、気になってはいたが、それなりに高いので最初は手を出さずにいた。
シャンパンの価格は数千円〜(安いのは正確にはスパークリングワイン)あったが、シャンパンに付随するサービスを全て受けようと思うと2万円以上のものを頼まないといけない。
通い出して1ヶ月ほど、たまたま臨時収入があったので1本くらいならと軽い気持ちで入れてしまったのが全ての始まりだった。
シャンパンを入れると、店全体で盛り上げてくれる。
シャンパンの提供が始まると、店内が暗くなり、特別な音楽がかかり、ピカピカ光るライトをつけたシャンパンをメイドが持って来てくれる。
そしてこれでもかというほど喜んでくれる。
開栓も掛け声をかけて、店の他の客も巻き込んでみんなでカウントダウンして開ける。
開けた後は①のような歌ったり踊ったりのパフォーマンスが始まる。
①と違うのは、遠く離れたステージではなく自分のすぐそばで、至近距離で、そして店にいるメイド全員が踊ってくれる。
もちろんファンサも全部独り占め。たくさんのメイドのファンサを独り占めできる。
それが本当に楽しくて楽しくて、初めてシャンパンを入れて踊ってもらった時の光景が脳裏に焼き付いている。
シャンパンを入れた時の興奮が忘れられず、何度もいれてしまい、もう臨時収入分は使い切ったはずなのに、何かと理由をつけては入れ続けていた。
入れていたシャンパンは2万円台のがほとんどで、エンジェルやアルマンドなど高額なものは開けたことがない。
メイドカフェにはお祝い事がたくさんある。
大きいものだと誕生日はもちろん、メイドになってから◯周年、昇格がある。
メイドの誕生日や周年はメイドとそのメイドを推してる客たちにとって、とても重要な日だ。
お祝いの日はメイドにかなりのプレッシャーがかかる。誰にも祝われなかったらどうしようと不安になるし、どれだけお祝いの品が贈られたかで人気が如実にわかり現実を突きつけられる。エンジェルなど高額シャンパンがもらえるチャンスでもある。
客は推しのメイドを喜ばせるため、また恥をかかせないためにできる限りお金を使う。客にもプレッシャーがかかる。
因みに、推しの祝の日の少し前から来なくなる客はよくいる。推してるとか好きとか言いながらお祝いを渋る客はまあまあいて、そういう人はお祝いの日が来る前に姿を消す。
メイドも、プレッシャーに耐えきれず、また推してくれてるはずの客も消えて病み、祝の日の前に飛ぶ(突然辞める)メイドもたまにいる。
お祝いというと、自分はよく花を贈っていた。メニューにお祝いの花があり、お花がいっぱいあると店内も華やかでお祝い感が出るし、チェキのネタにもなって好きだった。
値段もピンキリで、2万弱のものが1番よく贈られる。大きくすれば10万や30万もある。
10万以上のものは同じメイドを祝いたい客数人で出し合ったりがよくあり、実際自分も連名で何度か贈った。
1人のメイドを推していたなら、頑張らなければならないお祝い事は誕生日と周年の年に2回だけでそこまで負担にならないはずが、
推しと言うにはちゃんと推せていないと思っていたので、推しは1人、それ以外にお気に入りのメイドが複数いると公言していた。
他の常連客もメインの推し1人とお気に入りが1~2人いる人が多く、店もそれを推奨するような空気があったので珍しいことではなかった。
しかし、お気に入りのメイドがたくさんいると、それはもうお祝い事が盛りだくさんになる。
月に2〜3人の何かをお祝いしていた。
普段お世話になってるからとか、いつもよくしてもらってるからとか、なんだかんだ理由をつけて気前よくお祝いしていた。
お祝いが多くて大変だなんて口では言いながら、
お祝いという口実でシャンパンや花などの贈りものができ、たくさんのメイドに感謝されチヤホヤされて気持ちがよかった。
1人のメイドだけに良くしていると、他のメイドからは構われないのではないか、できれば色んなメイドに構われたいという邪な考えで色んなメイドをお祝いしていた
(実際は自分を推してくれてる人以外には話しかけないような極端なメイドは見たことがない)。
色んなメイドにお金を使う客アピールしていたので、たくさんのメイドから良くしてもらえていたと思うし、話しかけられることも多かったと思う。
そうして話しかけられるとすぐ好きになってお気に入りのメイドが増えていった。
自分が通っていたメイドカフェではイベントがたくさんあった。毎月恒例のイベントもあるし、年に数回の特別なイベントもあった。
イベントではメイドの写真がプリントされた様々なグッズが出る。
グッズは正直、あまり欲しいと思わなかったし、処分に困ると思って手を出さないようにしていた。
グッズを買わないようにするにはイベントに行かないのが1番だ。
イベントでは特別な衣装を着ることが多い。例えば季節ものの浴衣やサンタ衣装、なんらかのテーマに合わせたコスプレなど。
イベントのコスプレにはあまり興味はなかったが、たまに好きな衣装のイベントがあったりして、どうしても一目見たくて行ってしまうこともあった。
またイベントにはその月にお祝いがあるメイドたちが主役になるので、推しが主役のイベントには行かないといけない。
イベントに行くと、推しをイベントで輝かせたいがために①のパフォーマンスもたくさんいれるし、②のシャンパンも贈り、もちろん③のお祝いの花も贈り、
最後に推しのグッズを枯らして(残り全部買って)帰ることになる。それが「推す」ことの責任だから。
イベントに行くと毎回予算以上に使ってしまって、5万とかそれ以上使っていた。
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一気にドカンと高額を使ったことはないのに、数万の積み重ねが200万円になっていた。
国立大学工学部を2年留年し、修士課程を無事2年で終えて社会に出た20代後半の男。
いや、その頃から兆候はあったかもしれないが自覚することも指摘されることもなかった。普通に友達に囲まれ普通に部活で活躍し普通に大学入試を突破した。先生の指示通り、周りに合わせていれば良かった小中高は人によっては地獄だったかもしれないが俺には天国だった。
俺の問題点は「やるべきことに取り組めない」ということ。
大学を2年留年したのも、研究室の問題児だったのも、職場で問題児なのも全てこれが原因。
やるべきことに取り組めず、時間だけが過ぎ、抱え込んでもうどうしようもなくなって塞ぎ込み、直前も直前の土壇場になってそれを周囲に吐露して、なんとかなったりならなかったりして来た。
学部では講義を履修する教員から散々叱責され或いはバッサリ切り捨てられて来た。小中高では殆ど怒られることのなかった(甘やかされていたのではなく怒られる理由がなかった)親に毎日叱責されながら2年の留年と半引きこもりを経て学部事務所経由で連絡をくれた研究室の教授に迎えられた。その研究室で教授や先輩や年下の同期に引っ張られ怒られながらなんとか学部を卒業し修士課程を2年で終えられたのだ。
職場で問題児でありながらもなんとか食い繋いでいられるのは我が社が巨大企業であり、人財も役割分担もしっかりしているからに他ならない。現在の労働法は俺のような問題児を大手企業がバッサリ捨てることを認めていないのだ。ありがたいような申し訳ないような複雑な気分。
今やらなければならない仕事を抱えていると、それにどうしても手がつけられずライブのスケジュールや好きなファッションブランドのサイトをチェックして時間が過ぎる。
いざ友人とライブに行こうと思えば、どうしてもライブスケジュールがチェックできず仕事の書類を作成したり調べ物をしてしまう。
いざ服を買いに行くとなると店舗に行くのもオンラインショップを見るのも憂鬱で、なんとか店舗まで足を運んでも結局試着が億劫で何も買わずに退店。
仕事納めも近いここ最近大問題を起こした。抱えていた仕事に取り組めず相談もできず放置。その間、受験日まであれほど憂鬱で手がつかず結局人生最低点を更新したTOEICの勉強をノリノリでやっていた。そしてデッドラインの前日、線路に飛び込みたい衝動を必死に堪えながら出社して爆弾をカミングアウト。叱責され泣きながら周りに土下座し、同僚や上司を業務過多に追い込んでなんとか仕事を完了させた。
俺はどうすればよいのか。
社会全体の効用を考えれば仕事を辞めて引きこもることが最善だろうが、やはり親のこと考えてしまうし自分の人生を捨てることができない。
かと言って今のままでは周囲に迷惑をかけ続ける。
メンタルクリニックや病院に行ったとして「あなたは障がい者です」と認定されても、治療によってどうにかならないなら受診する意味はない。障がい者認定されたことを踏まえて仕事を割り振られたり、或いは「そういうあなたに理解のある職場」みたいな所に行って規則やマニュアルに沿った作業をして生きるのは、引きこもったり自殺するのと同じくらい嫌なんだ。
周りの同僚みたいに普通にやるべきことを期限までにやって、休日には週明けに暴露しなきゃいけない爆弾なんか抱えずレジャーの予定を立てて生きたいんだ。
もうどうしようもなくて年を越せる自信がない。
その文章がどんなだったかはもうほとんど覚えていないけれど、挿絵として載っていた漫画でチャーリーブラウンが言っていたことは今でもふとしたときに思い出す。
大雑把にまとめると、「安心」とは車の後部座席で眠れる状況のことで、そしてそれはある日突然、永遠に失われる、みたいな内容だった。
私は昔から車に乗ればすぐ眠れる性質だったので、これを読んだ当時はなるほどなぁとすごく共感した。
家族で遠出した際、一人っ子だったために独占状態だった後部座席で横になり、夜のラジオを聴きながらブランケットにくるまってうとうとする時間が大好きだった。
でも、高校生の私も、横になれこそしないもののまだまだ車内では眠らせてもらえる存在で、それが「永遠」に失われるとはどういうことなのか、実感としては分かっていなかったのだと思う。
免許を取って数年は、まだ両親の運転する車に乗る機会が多かった。
通勤時もついでだからと送ってもらっていたし、そもそも自分の車がない。ときどき家族の車を借りて練習程度に乗るくらいだった。
それでももう、その頃には後部座席でも助手席でも意識的に起きているようにはなっていて、移動中に眠るのは専ら夜行バスや電車、新幹線だけになっていた。
それから更に数年。母が持病の関係で運転できなくなったので、職場への送り迎えや日々の買い物の際、ハンドルを握るのは私になった。
車も自分のものを買った。両親に加え祖父母を乗せることもあるので、幅の広い乗用車。通勤でもレジャーでも、当然自分で運転する。誰かの飲み会の際はタクシー代わりになることだってあった。
しかし、この頃から父の運転する車は私にとって居心地のいい空間ではなくなっていて、おそらくこのとき私の安心は永遠に失われたのだろう。
ある日、父が同居していた祖父母たちを追い出した。元々折り合いは悪かったのだけれど、私にとっても母にとっても非常にショッキングな出来事だった。
私は祖父母に育てられたようなところもあるので、経済的、社会的立場が弱い祖父母の味方についた。それ以降父とはほぼ絶縁状態である。
母の病状も悪化する一方だ。進行性の病気なのでどうすることもできず、父の居ない隙に様子を見に行くことしかできない。
祖父母と母。この二つを訪ね、二つ分の病院に通い、二つと一つ分の買い物をして、出社日には私を職場に連れて行く。それが私の車の仕事。申し訳ないが、美しい景色を見に遠出……とか今はちょっとできそうにない。
さすがにちょっと疲れてしまって、帰宅後リモートワークを再開すれど、進捗はあまりよろしくない。終業後もぼんやりとして、そろそろ夕飯の支度をしなきゃなと思っても立ち上がれない。眠ろうにも眠れないのでこうしてうだうだと日記を書いている。こんな日が本当にたまにやってきて、そのときふと後部座席の話を思い出すのだ。
私はもう大人で、運転席に座る側の人間で、たとえこれから恋人やパートナーができたとしても、やっぱり私はドライバーかもしれないし、助手席であっても事故が起きないよう常に気を張っていないといけない。
後部座席で眠っていた頃には戻れないんだな、と。今は実感としてよく理解できる。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shinshinohara/n/nc5b879384537
バスってるこれは子どもの教育の話だけどさ、大人も同じだよね。
結婚とか分かりやすい。結婚してない人間は社会的信用を得にくいけど、それは結婚を通して得られる体験がその人には欠乏しているから、体験を通して育つモノを持っていない可能性が高い。
他にもろくに海外に出たことの無い人間、偏差値60以上の社会に触れていない人間、多様なレジャー・スポーツにチャレンジしてない人間、異性を知らない人間、こういった人間は体験欠乏症で、それらを経て形成される情緒や知能が発達できていない。