はてなキーワード: ももちとは
あまりにホットクックに感動しすぎて全体的にステマ?ダイマ?みたいになってるけど許してほしい。
私は30年間実家暮らしで仕事と趣味に明け暮れてたのでもともと食事にさほど興味がなかった。
どれくらい興味がなかったかと言うと、中学生の時は夏休みに菓子パン+母の作った夕飯だけで一月に5キロ痩せてもなんとも思わなかったし、
同棲はじめてとりあえずキッチンの形作りのためだけに買った炊飯器がほんの3000円の激安品でも「まあ米のおいしさは変わらん」とまったく気にせずに使いまくってるほどだ。
さすがに同棲初期の頃に考えていた共働きの食事の問題の解決策として「そのへんのホームセンターで買った大鍋でカレーを常に作りおいて毎日食べる」作戦は旦那がいやな顔をしたので即ボツになった。
さてここに当たって問題が発生した。
カレーはスパイスの味しかわからないから気にならなかったのだが、それ以外の料理を食べると、あまりにも母の作ってくれた料理と味が乖離しすぎていてマズいのだ。
思えば昼に菓子パンしか食べなかった私でも夕飯は母のご飯を食べていた。
大人になり社会に出て金銭的にも余裕が出ても食事に興味のない、つまり外食で何かを食べたいという欲求のなかった私は、仕事から帰ってきたら当然のように母のご飯を食べていた。
同棲を始めて親元を離れ、外食も惣菜も弁当も食べた私は唐突に理解した。
母の料理が一番おいしいからそれ以外の食事に興味がなかったのだ。と。
完全に想定外である。まさか同棲しながら毎日母親にご飯をもらいに行くわけにはいかないし常識的に考えておかしい。
当然の帰結として母にLINEの通話でレシピや料理法を聞きながらの週末ワンツーマンレッスンになった。
しかし平日は働いて週末は料理は大変すぎた。旦那ももちろん作り置きに一品二品は作ってくれるがそれでも大変だった。
趣味のゲームも友人とのオンラインゲームもやってられない。なにせ掃除に料理に作り置きに洗濯にとくるくる動き回ってるうちに貴重な休日の半分は細切れにされてなくなってしまうのだ。
それでもおいしい料理は食べたい。母レシピを食べたい。できたら簡単に。
そんな折にTwitterでホットクックをめちゃくちゃ宣伝してるツイートを見つけた。
私は何も考えずに購入した。旦那には事後報告だったが快くOKしてくれた。
約三日後、届いた箱を開封するとレシピ本と無駄に横にでかい炊飯器のような真っ赤な鍋が箱から出てきた。
説明書を読んで簡単に手入れ方法を理解すると、ホットクックを説明書に書かれているとおりにセットして、次にレシピ本を読む。
レシピ本には写真付きでかなり詳細に料理を完成させるために必要な食材と調味料、そしてホットクックに命じるための番号が書かれていた。
そもそもお互いにどんな料理がこの世にあるのだというリサーチも不足していたのだ。私たちはレシピの写真を見ながら「あれを食べたい、これを食べたい」と会話し始めた。
そしてそこに書かれているままに食材と必要な調味料から我が家になかったぶんをメモすると、すぐに買い物に出掛けた。
アラームが鳴ったら料理を耐熱の保存容器に移し、軽く中を洗って、また食材を放り込んで趣味に戻る。
夕方までに簡単に3〜4品をゲームをやりながら作ることができた。
最初のうちはレシピ通りにつくったりしたらあまりのマズさにびっくりしたりもしたが、以前の模索時期に母に聞いた調味料配分を元にホットクックようにアレンジしたらほぼ解決した。一言で言うとダシとめんつゆは偉大だった。企業努力を信じろ。
そして我が家の平日のご飯の選択肢から外食と惣菜と弁当はほぼ消え去った。たいていそれらよりホットクックから出来上がる料理のほうが美味しいから当然である。
平日は見事リモート業務にうつれた旦那が鍋をセットしてホットクックの再度あたため機能を押すだけなのだから作業も簡単。私は家に帰ると悠々と自分好みに味付けした暖かい晩ご飯を食べられるという次第である。
それから半年、同じものが連続すると静かにいやな顔をする旦那にはレシピ本を追加で買って与え、「この中で食べたいやつを選んでくれたら作るよ」と聞くようにしたら、いい感じのを選んでくれるので私が選んだやつも合わせてすべての食材の買い出しまでやってくれるようになった。
私がやるべきは用意された食材を書いてあるとおりにカットし、書いてあるままに(たまにアレンジしつつ)調味料を入れるだけである。あとは料理後の片付けと洗い物くらいか。
発熱の話。最近は皆コロナでナーバスになってるからただ熱が出たってだけで受診したがったりするんだけど、主に若い女性がよく言うフレーズが「私平熱低いので37度でも高熱なんです!」ってやつ。あとは小児科でよく聞くのが、「40度もあったら頭おかしくならないですか?」ってやつ。みなさんあの体温計の数字に絶大な信頼を置いて振り回されているようで。
こちらから言えることは、あまりあの数字をあてにしない方がいいということ。便宜上37.5度以上を発熱と定めてるけど、じゃあ37.4度は熱じゃないとか変な話じゃないかい? 体温計の数字なんて寒い部屋で測るとか脇の挟み方が甘いとか朝なのか夜なのかで全然変わっちゃうもんだ。老人なんて熱自体出なくなるしね。
あと、平熱低いとかこちらとしては関係ないんですよ。本人は辛いんだろうけど、平熱35度の人の37.5度イコール平熱36.8度の人の39.3度、とはならない。別に数字だけ見て「37.5度? はい軽症ね」なんて雑な診断はしないから、だから平熱低いアピールは正直いらないんですよ。それくらいしんどいんですって言いたいんだろな、と受け止めるけどカルテには微熱って書いてる。
統計とかまだわからんしごく個人的な範囲でコロナ患者を見てると、一日だけ風邪っぽくて翌朝は平気だったから出かけたみたいのが多い印象。熱っぽいからコロナ?と思って測ったら37度なかったから安心して飲み会行きましたみたいなやつ。かと思えば39度近くが続いてインフルエンザ疑ったけど陰性で結局コロナ、って人もいる。年齢や基礎疾患、元々の体力や体調によるんだろうけど、わかりやすく高熱関節痛が出るインフルエンザよりもっとわかりにくい経過を取るようだ。今思えば数ヶ月前の「37.5度が何日続いたら保健所相談」ってやつで見逃された人いっぱいいたんだろな。
40度で頭おかしくなる? の例に戻るけど、体温が何度だから重いとか軽いとかそういうもんじゃない。43度とかあればたんぱく質が変性して死ぬらしいがそこまでは出ないでしょ。大事なのは、発熱そのものよりも他の症状と全身状態。40度あってもミルク飲めて元気ありゃ大丈夫だし平熱でも飲めなくてぐったりしてりゃ非常事態だ。コロナで言えば熱よりも呼吸器症状。なんだか息がしにくいなあ、程度でもこのコロナ流行期ではおかしいと思ってくれ。息苦しいから寝るより座ってる方が楽とか、胸や肩が上がり下がりするほど呼吸が荒いとか、唇の色が悪い、だるすぎてスマホすら見れない、家族が話しかけたら返事が遅いとか、そういうのももちろんやばい。一つ一つ徴候を上げたらキリがないけど、とにかく体温計の数字より自分や家族の「いつもと違うな」を信じて。熱があるんだから呼吸苦しくて当たり前だよね、とか楽観視するな。
逆に熱しか症状無いけど受診すべき? って聞かれるけど、答えはノーです。コロナは有効な特効薬がないから、受診が早ければ治療間に合うとかも無い。望むままPCR検査を受けられるとも限らない(これは病院や自治体の方針で違う)。受診の行き帰りで他の人にばら撒くリスクを犯して得られるメリットがほとんど無い。上に書いた症状に注意しながら家族から離れた部屋で寝てるしかないと思う。インフルエンザだったら困るから受診したい、ってのも聞くけど今はインフルエンザ検査も絞ってます(検査をすること自体が医療者へのコロナ感染リスクだから)。ちなみにタミフルは特効薬だと思ってる人いるけど、抗インフルエンザ薬はウイルスを退治するんじゃなくて増殖を抑えるだけだから発熱期間を一日くらい短くするだけなんですよ? タミフルなくてもちゃんと治る、飲まなきゃやばいのは重症例だけ。
でも一人暮らしの人とかは熱がある中家で寝てるだけって不安ですよね。わかるわかる。でも辛い思いして受診しても検査受けられなくてがっかりしながらとぼとぼ帰る、ってのも可哀想なので受診タイミングはしっかり見極めましょう。この年末年始、救急外来に「コロナかも? 」の発熱患者がわらわら集まっちゃったら非常にまずいことになる。そこでいらんコロナもらったりうつしたりしないようにお願いしますね。
心が満たされない時は、美容院。
大事に扱ってもらえる感覚が私にはすごく大事。シャンプーもカットももちろん接客も良くて、服や持ち物にお金かけないけど、髪の毛もこだわりないけどわざわざ格安ではない美容院に行くのはその1時間のため。
普通に暮らしてて頭洗ってもらったりマッサージしてもらったり話し聞いてくれて髪もいい感じにさっぱりしてくれるなんてないよ。
同じ価格帯がそれ以上でも美容院にはたくさんあるけど、男性にしてもらうのは、女性の美容室のおしゃべりがうるさいから。聞き役に回るか黙ってカットして欲しいです。
いろんなとこ通ったけどだんだんおざなりになるところがほとんど。私みたいにこだわりがない人間だとカットのやりがいもないんだろうけど料金はずっと一緒だからねえ。
毎回カウンセリングちゃんとしてくれて、丁寧に最後まで仕上げてくれて心地よい接客してくれる
私にとっては高級ホテルに泊まった時の接客もよかったけど、滞在中ずっと良い接客をしてくれる美容院の方がコスパがいい。
たった4000円そこらでこのサービス。
今年の所謂年末年始は半分以上勤務予定で、丸一年田舎に帰れていない者の取り留めのないつぶやきである。
患者さん(以後患者)は感染予防の意識があるのかないのか、しゃべりにくいという理由で高確率でマスクをわざわざ外して話そうとするのを毎回マスクをつけてくださいというのにも疲れてきた。正直あなたのために言っているのではなくこちらを濃厚接触者にしないでほしいという気持ちだけである。個室の患者にマスクなしの状態で泡をとばしながら詰め寄られ二重の意味で怖かった。高齢者とはいえ大柄の男性に詰め寄られることがどれだけ怖いか想像してほしい。高齢になればなるほど理性の箍が外れるのか威嚇や恫喝は当たり前で、何度も詰め寄られたり物を投げられた。コロナ患者はベッドを長期間占有するので経営と人員が圧迫される。医療機関への例の20万円はまだ…?コロナ病棟に関わる時の緊張は言葉に尽くせない。どこの病院も面会謝絶で患者はストレスが溜まっているのかスタッフに対する当たりがきつい。そしてすごく絡まれる。病気というストレス要因にさらに負荷がかかっているからしょうがない。
ただ、前からだけど正直男の人に夢が持てなくなった。女性も獰猛な人がいるので性別に限らないけれども。やっぱり筋肉量の差というか物理的な差は大きい。大柄な人を見ると将来介護大変だな…せん妄の時の抑制とか薬剤の調整難しそう…とか思ってしまう。そういえば記憶から抹消していたが、以前男性患者に言葉のセクハラ受けたことが何回かあったな…。とめどない不快感と予後不良な患者だということ、こういう心理状況だから言っているんだろうなっていう予測と。でもやっぱり気持ち悪さが渦巻いて、一瞬絶句した後受け流したけど、今思い出してもやっぱり気持ち悪い。今まで誰にも言ったことないけど気持ち悪かったよ。どの接客業にも有り得る話。
医療従事者でも危機意識はばらばらだとは思う。なぜ三世代同居の同僚の方が一人暮らしの自分より危機管理が甘いのか(食事等)疑問である。自分が感染していても自分が一人で苦しむだけだが、あなたが感染すれば祖父母を殺す可能性があることに意識が向かないんだろうか。我慢しているから…みたいなことを同僚が前に言っていたが、家族と同居してごはんを食べ、昼は他の職員と一緒にご飯を食べ、年始は家族旅行に行くと言っていたあなたのどこが我慢しているんだろうか。なったらなったときに考えるという他の同僚の言葉にボロボロに傷つけられながら一人でご飯を食べる。一般の人の無理解や行動にはそこまで傷つかないが、同職種の言葉や態度にはこんなに傷つけられている。クラスタ発生の医療従事者を断る医療機関のどちらの気持ちもわかるから辛い。友達からの食事の誘いを断るのにも疲れてきた。
少し前は所謂コロナ鬱だったんだろう、食事が食べられなくなって一か月で5㎏痩せた。体重が10%以上減少するのは正直危険だとはわかっていた。ここまで追い詰められたのは国試の時以来だったと思う。心の中をよくわからない不安が渦巻いて食べ物を見ても食べ物と思えず、ずっと動悸が収まらなかった。寝ることもできないし、這う這うの体でいつも通りの仕事をしていた。同期にも友達にも家族にも誰にも言えなかった。恐慌状態に陥って混乱していた。縋る思いで行った産業医に薬(ジプレキサっていう抗精神病薬)を飲んだ方がいいといわれて突っぱねて数か月、なんとか回復してきた。だって心が弱っている医療従事者に誰も世話してもらいたくないでしょう?別に薬を否定するわけじゃないけど、もう少し踏んばりたかったし、負けたくなかった。正直自分はあまり心が強くない方なんだと思う。夜な夜な色んなこと思い出してワーッとなるし、消えたくなる衝動が何回もある。生きたい人がいるとかもっといいことがあるとかそういうことじゃない。自分というものを飲み込んで、思考が覆われて身の置き場がない衝動。今は若さというか理性が衝動をねじ伏せているけど弱った時や理性が働かなくなった時が怖い。家族が死んだときの「もう逝ってしまった」という親の慟哭が耳に残って離れない。自分の患者が休み明けにいなくなっていることは何度もあった。老いも若きも関係なくあっという間に、少しのことで人は死ぬ。わかっているし、患者の死にももちろんダメージを受けている。それなのに家族というだけで死というものがこんなにもつらい…このダメージは何だろうか。ずっと前に祖父母がなくなったときに親がポツリと呟いたもうこれだけになっちゃったねという言葉が心に迫る。
当直明けのぼんやりした頭でこれを書いている。ずっと今年の頭からため込んできたよしなしごとをどこかに吐き出したかった。これくらいは守秘義務を逸脱しないし個人を特定されないと判断する。今年のボーナスは厳しいかもしれない。奨学金も家賃も待ってはくれないから働かないと。ほしいのは感謝でも賛辞でも卑下でもなく切実に金や資材だ。いつまで続くのか、そして出会いもないままこのまま独り身なのかはわからないが、だらだら頑張っていきたい。医療の基盤のお金も経済活動から生まれるので経済を回している皆さんには頭が上がらない。うまく言葉にできないが頑張ってくださいと言いたい。とある団体(グループ)のファンをしているが推しが楽しそうにおいしいものを食べて好きなことをしているのを見て救われている自分もいる。忙しすぎて机の上で突っ伏して寝ていたDrは、途中で何回も電話が鳴って起こされていた。その後食堂でスマホでドラマを見ながらご飯をかきこんでいる光景を見て好きなドラマをめいいっぱい見てくださいという気持ちになった。現場に差し入れというか製品を寄付して下さる企業もある。人が生み出すいろいろなモノに支えられている。ありがとう。
患者さんにはよくなってほしいし、予後が悪い人には少しでもいい時間を長く過ごしてほしい。自分が接する人は元気になって帰るというより完治しない病気とどうつきあっていくか、そしていつか訪れる最期を楽にするかという人が多い。痛みや苦しみをやわらげてあげて、ご飯を食べられるのならお楽しみレベルの好きなものをたべてもらって、お家が好きなら最期はお家で。家族の心の準備も大事なので少しずつ心づもりをして、家族も本人も穏やかに最期が迎えられるように。
この気持ちは嘘じゃないのに。
【はじめに】
この文章は拡散を目的としているため、注目を集める場所を狙い、こちらで文章を書いています。
内容を大きく変える以外の文言の修正などを行う可能性はあります。
この人は数年前にホームレスの方との交流をネタに炎上して以来、時々チェックしていた。
https://twitter.com/Miyamo_H/status/1325084151142232064
やりたいことをやって失敗して敗北者になって貧乏になって、それゆえに飢えてホームレスになったとしても、それはそれ。
それも一つの生き方。— サンガーノ🔥走る芸術家 (@Miyamo_H) November 7, 2020
やりたいことをやって失敗して敗北者になって貧乏になって、それゆえに飢えてホームレスになったとしても、それはそれ。
あなたと交流のあるホームレスの方は敗北者。PVを稼ぐために彼らを利用したと誤解されても仕方がないのではないか。
そう思い、彼にDMで以下のメッセージを送り反応反応を待ったが、今だ連絡は来ない。
【経過】
「あなたの中でホームレスは敗北者としか受け取れない印象ですが、どの様にお考えでしょうか?」
彼にDMを送信したが、数日待っても返信をもらう事が出来なかった。
もちろんツイートも削除されていない。
同日 10:51
https://twitter.com/Miyamo_H/status/1340112392923934721
本心を打ち明けるのってとても勇気がいる。
だけど、それだけ勇気がいる行為だからこそ価値があるし、意味もあるのだとおもう。— サンガーノ🔥走る芸術家 (@Miyamo_H) December 19, 2020
だけど、それだけ勇気がいる行為だからこそ価値があるし、意味もあるのだとおもう。
このツイートより、既読にもならないが確実にこちらのDMは見ていると考えられる。
ふざけるな。あなたが本心を打ち明ける事と、他者に対する差別発言がどうして許されるのだろうか。
10団体ほど連絡を行ったが、指導を行う活動を行っている団体はなかなかない。
・法テラス
法テラスにから「公益財団法人 東京都人権啓発センター」を紹介してもらう。
現在、書類を作成していて、費用が掛かるのであれば身銭を切る準備はしている。
・勤務先
Uber Eatsは近日中にレイシストと契約を結ぶ企業なのかを質問
普段サンガーノさんはCAMPFIREでファンクラブを作成し、皆様より月5万程の援助を受けている。
自分も他者から援助を受ける側がどうしてこの様な発言を行うのか気になる。
近日中にCAMPFIREにもレイシストを支持する企業団体かを質問します。
【皆様へ】
他にこのレイシストを通報ならびに裁ける団体・機関などがあればお教えください。
自分はいつも友達の間で自虐的にシャレにしているが、生まれた地域は最悪だった。
実家も周りの友達もべらぼうに貧乏どころか間違いない貧困層だし、そのためにいろんな差別を受けた。
家に何もないので辞書しか家になく、そのため漢字だけ強い友達とかそういうエピソードは数えるときりがない。
生存性バイアス?みたいなもので、その環境を知らないとなかなか理解してもらえないが、フランスで問題になってるらしい、文化資本の問題も同様で、生まれながらにして持っている人と、持っていない人との差は人生に大きな影響を与えるし、人間って環境は大きな要素だと実感している。
自分が昔からテレビで観たような、ドラマの中の幸せな家庭は物語なので、都会に出て普通の家庭はテレビとそんなに差が無いを知ったときにに死にたくなった。
このURLからも分かるように、一定数精神疾患をお持ちの方々がいる。
みんな好きでホームレスやっていないし、何度か炊き出しの手伝いをしたことがあるが、結構稼いでいた人とかいるのと、上にも書いたが、人間環境であっという間に大変な事になる。それは自分にももちろん起こりうるし、ホームレスは敗北者じゃない。
ちなみにこれを書いている2020年12月22 7時現在、彼からは何の反応もない。
1.先日もDMしましたが、無視されている様なのでこちらに記載しました。
私が送ったDMを無視し、ツイートも削除されない理由をお教えください。
2.ツイートの
先に書いておきますが、私個人の考えとしては、M-1決勝に上がった方々は皆さん「漫才」をしていたと思っているし、どのネタもとても面白かったと感じています。
このエントリーは、マヂカルラブリーやおいでやすこがを「漫才ではない」と断定し、「ちゃんとした漫才をした見取り図が優勝すべきだった」とする意見への違和感をきっかけとして書いたものです。
2020年のM-1終了後、Twitterトレンドに「見取り図」が上がりました。その中で多く散見されたのが、「見取り図が一番面白かった、優勝してほしかった」というもの。
その気持ちはとてもよくわかりました。笑いの感性は人それぞれ。自分のツボにハマった人が最も面白いし、勝って欲しいと思うのも当然です。
ただ、その中で気になる意見がありました。「最終決戦に上がった3組の中で、『ちゃんとした、正統派の漫才』をしていたのは見取り図だけだったから、M-1と冠するなら見取り図を勝たせるべきだった」というものです。決して少なくない方々がそのように呟き、トレンドを盛り上がらせる一端を担っていました。
ですが、その感想は的を射ていないと思うのです。
なぜなら、その方達が言うように「漫才」の定義にこだわるべきなら、見取り図はそもそも最終決戦に上がれなかったことになるからです。
寄席演芸の一種。2人で一組になり,滑稽な話題を掛合で聞かせるもの。
https://kotobank.jp/word/漫才-137921 より
漫才(まんざい)は、2人ないしそれ以上の複数人による寄席演芸の一種目。通常、コンビを組んだ2人によるこっけいな掛合いで客を笑わすものを言う。
(中略)
漫才は基本的に、演者が「演者自身」として発話し、その会話の流れによって観客の笑いを呼び起こそうとする演芸であり、その点で、何らかの役柄や舞台設定を、扮装や簡単なセットによって提示するコントとは異なる。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/漫才 より
複数の人間が、演者自身として滑稽な掛け合いをすることが漫才なのです。会話の掛け合いでなくてはならないとは書いていません。
マヂカルラブリーは野田さん自身としての動きと村上さん自身としてのツッコミ。おいでやすこがは、こがさん自身としての歌と小田さん自身としてのツッコミで、しっかり掛け合いをしていました。
対して見取り図は、最終決戦では盛山さんとしてのツッコミとリリーさんとしてのボケで掛け合いをしていましたが、1回戦では挨拶もそこそこにマネージャーと大御所としての設定に入り、締めまでキャラクターを演じ続けていました。「ちゃんとした漫才」という定義にこだわってしまえば、1回戦のネタは正統派とはいえず、決勝の決勝には上がれなかったことになります。
ただ、上記のようなスタイルの、いわゆるコント漫才というものは、サンドウィッチマンやパンクブーブーなど、過去の王者達も採用しており、漫才の1つのスタイルとして確立されています。ほとんどの人が、漫才であるということに異論はないでしょう。私ももちろんありません。
私が言いたいのは、漫才に正統派なんてないんじゃないか、ということです。
コント漫才が、本来の漫才の定義とズレながらもスタイルの一つとして定着していったように、これからも多くのスタイルが生まれ定着していくことでしょう。
サンドウィッチマンの伊達さんの言葉を借りれば、「センターマイクに向かって舞台袖から出てきて『どうも』と始まれば、それは漫才」なのです。
演芸としての枠が大きいからこそ、時代ごとの芸人さん達が新しい発明をしていき、内容を進化させ、思いもよらなかった角度で私たちを笑わせてくれるのだと思います。
改めて書きますが、2020年のM-1では、マヂカルラブリーもおいでやすこがも、見取り図も、もちろんその他のメンバーも、内容やスタイルが違っただけで、皆間違いなく素晴らしい漫才をしていました。
私は人間が嫌いだ。
人類という生き物が嫌いだ。こんなにクソ最悪な生き物が世界にいてたまるかと思っている。私も含めて。
さっさと人類は滅ぶべきだと思う。
理由なんかは増田やTwitterをちょっと漁れば一瞬でわかるのではないだろうか。
私は興味本位で病み垢やらフェミやらの界隈にいたことがあるが、まあこれが醜い。
まあ私はその界隈を、自分が優位にあるというクソ最低な目線で見下しているので多少色眼鏡がかかっているのかもしれないが、これがまあクソだ。
青識なんかがマシに見えるレベル。フェミとかそのあたりを見て、正直、女も男も等しくみな最低なんだから全員滅べと思った。
病み垢なんかは「自分は可哀想でしょ? 慰めて? みんな見て?」の集まり。誰もてめえらの可哀想(笑)な加工ゴリゴリの姿なんて見たくねぇわ。
エロ垢は欲望剥き出しなだけマシに見えた。自撮りあげてるババアとそれに群がるジジイ。草。
浪人はみんなTwitterやってないで勉強しろアホか。何かが嫌いだと呟いている人間は偉そうだな。天皇かお前? 坊主とか深田とか、もうリプ欄のお前らつまらないからやめろよ。ってつぶやくお前らも同程度につまらないからな。歌い手とそれに群がるマンコ共は滅べと思ってる(これは私怨)。
一番笑ったのはオタク垢(とも違うか)。女は全員喋るオナホくらいにしか思っていない(まあ実際そう)、けど結婚とか彼女ができないのは他人のせいだと思ってるクソども。まあ笑った。
あれで始まる学級会(笑)とか、自分はこんな増田書く人間よりいい人間だと思うがためにやってるただのクソ。そのくせクソだって自覚ないんだからただの馬鹿だな。全然関係ないけど馬鹿を🐎🦌って書くやつも嫌い。馬鹿って言う覚悟もない小心者なら人の悪口言ってないでTwitterやめろ。
Twitterとか増田なんて掃き溜めの鶴を殺して喜ぶようなクソの集まりにいるのに正義感ぶるやつも嫌い。
だからこの増田は何らかの正義感を求めるわけではない。上記のように人類は一部とはいえクソだし、一部のクソを消したとしても将来クソが生まれる可能性が高いので人類はさっさと滅んでほしい。以上。
(と、言う私ももちろん滅んで構わないと思っているという弁明)
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
上記の記事は、おそらく女性と思われる人物が、道ですれ違う時の回避行動の男女での違いについて個人的に検証した結果である。
元増田は記事の中で女性が道で回避行動を行わない(または遅い)理由について、
「女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」のが理由と考えられると述べている。
・男性はたいてい20~30m手前の段階で0.7避ける。たまにこちらを睨みつけたまま肩を張って直進してくるのもいる。
・女性は残り2~3mとギリギリのところでやっと0.3避ける人と、まったく避けない人が半々くらい。
この結論も上記記事の増田と変わらないのだが、私が男性だからか、女性の回避行動について元増田とはまた少し違った特徴を発見した。
それは私がガードレールの無い道で、20mくらい手前でより安全な方向(車道とは逆の道の端側)に回避した場合は、数秒遅れて、女性も道の端側に進路変更した後、直進してくることがかなりの頻度であったということだ。
元増田のいうように女性がただ避ける気がないだけなら自分が端側に避けた時点で、進路変更をする必要はなくなる。にもかかわらず、わざわざ自分と同じ方向に進路変更する。これはどういうことなのか。
思うに、女性は対男性に関しては、避ける気がないだけでなく、「男がより危険が側(車道側)を歩くべき」という考えがナチュラルにあるのではないだろうか。
だから、私が安全な方向に避けた場合は、それが気に入らず、「お前は車道側を歩け」と進路変更してきたわけだ。こうでも考えないと明らかに不自然な行動だ。
(ちなみにその時、車道に車が来ているかどうかにかかわらず、このような行動の変容は発生する。)
空間認識能力が低く、ギリギリまでこちらに気づかないタイプの女性ももちろんいるだろう。ただ、そういう女性は20m手前ではまったく目が合わないので、こちらを認識してないのが大体わかる。
上記に述べた女性のタイプは20m手前から明らかにこちらを認識したうえでそういった行動をとっている。
女性と思われる元増田も、最後に「女性が避けない結果ぶつかるのはわかるけども、男と女がぶつかったらダメージが大きいのは女性だから、男性が避けてほしい」と述べている。
このように女性の道での回避行動には女性の男性に対するジェンダーロール意識もかかわっているのではないかと思った。
この結論は自分の考察に過ぎないが、それはそれとして、男性が危険な役割を背負うべきと考えるジェンダー規範は糞だと思う。さっさと廃れてほしい。
別にこのような結論が出たからと言って、私は行動を変えるつもりはなく、相手を問わず人ととして車道側に0.7避ける人間でいようと思う。
服のセンスがないと言われて30年経った。
興味がない訳ではない。ファッション雑誌もたくさん読んだしブランド知識もそれなりにある。
高い服から100円の服、ユニクロからしまむら、ハイブランド、ゴスロリからコンサバまで片っ端から着た。
腰ぐらいまで髪がある時もあればベリーショートと呼ばれるぐらいの時もあった。金髪の時も茶髪の時もあった。
別段特異な服を着ている自覚はない。黒、グレー、茶、白とかもう大抵誰でも似合うような服を選ぶ。
マネキンを上から下まで買った事もある。全身無地のことだって多い。標準的なMかSサイズの服。身長も標準。
それでもどうしても「服が変」「ダサい」と言われ続けて過ごしている。
もちろんファッション誌の服をそのまま着ても人間合う合わないがあるんだから正解じゃないのはわかっている。
でもこれだけ色々通ったんだからどこかに自分の似合う服装があるんじゃないのか。
でも、ない。ないというか、わからない。私は何を着れば一体一般的な人間になれるんだろう。
顔が云々、体系が云々、ではなく「コーディネートが悪い」「服の選択が悪い」と言われ続けている。ここまで来るとあからさまな欠点が見当たらないだけで顔や体系の問題なんだろうなと考えてはいるが。
誰かに見立ててもらおうにも、何を着せても「似合わないね……」と苦笑いされて終わる。
繁華街に出ればみんなオシャレな服を着て過ごしているように思える。
自分はそれなりに努力というか、理論的に考えて服を選んだり着たりするけど、世の中の全員がそれをできるとは思えない。それほど語っている人を見ないので人生に必須スキルではないと思う。(あったほうがいいのには違いないが)
というか理論的に考えた上で「ダサい」と言われる私がいる訳だからますます世の中の人間が普通に服を着れているのがわからない。
どうしてみんな、自分に似合う服を着れるんだろう。どんなに考えても努力してもダサいって言われ続ける。つらい。一生一人前の人間になれない。
もう好きな服を着たいだなんて思いは微塵もない。普通に、「変」って言われずに生きていたい。笑い者になりたくない。恥ずかしくて外に出られない。どうしてなんだろう。
皆色々ありがとう。ちょこちょこ返してるけど返信しきれないので聞かれてる事まとめて答えておきます。
>パーソナルカラー診断した?
しました。それ自体はものすごく有益な情報しかなくて誰もにおすすめしたい。
ただ結局似合うとされる色を揃えて身に着けても「組み合わせが微妙」「違う」って言われるのでもうわからんわい!と増田を書きなぐってしまった訳です。
>姿勢が悪いのでは?
自分もそうじゃないかと思って半年前ぐらいに矯正に通って治しました。
治した事はとても良かったんだけど今まで「比較的ヨシ!」とされていた服の印象が変わってしまい1から自分に似合う服の形を探す羽目になった訳です。で、混乱しています。
>周りが悪いのでは?
その可能性もありますけど、実際集合写真とかで見ると自分だけ浮いてる・・・って思う事が多いんですよね。結局自分で良し悪しを判断できないから人の意見を鵜呑みにするしかない部分もあります。
>お店の人に聞いたら?
よく聞きます。お店の人と話すの好きだし化粧品とかにおいては1から10まで揃えて貰った事もあります。でも服で同じことすると、家に帰ってから「いやこれ変な服」ってなる事多いですね。(化粧品も稀にある)
あと何故か結婚式とかでヘアセットしてもらう時もやたら一人だけ奇抜で難解な頭にされてる事が多いですね。何も言ってないのに。周りは普通なのに。謎です。
>ゴスロリは着ないだろ
中学生とかの頃の話なんですけど周囲の友人が全員コテコテのゴスロリ女だったんですよね。
私は基本的に接する相手に合わせて服を選ぶので、周りがいい!というブランドを無心で身に着けてただけなんです。今もそうです。でもいい!と言われるブランドから購入しても致命的にセンスがないらしいです。
まあ全身グッチでもダサい(と言われる)人いますからね。その思考自体がダサいって事になるんだろうなと思います。
>好きな服着れば?好きな服がないのがよくないのでは?そもそも思い込みでは?
これは私が大学生ぐらいの頃の事ですが、ファッション雑誌のトップに虎が力強く大口を開けているセーターが載っていたんです。私はいたく気に入って3枚色違いで買いました。
なんとなくお気づきかと思いますがこの服を着ている私を見た人間は口を揃えて「関西のババア」と爆笑した訳です。
なんてひどいことを!雑誌のトップに載ってたんだぞ!と私は反論した訳ですが100%笑われるので悲しいというより「本当にこれは駄目なんだ」と認めざるを得ませんでした。基本的にこんなのばかりです。
それでも若いうちは個性的なぐらいがいいじゃん、なんて思えましたがさすがに年を取ると年相応で身の丈にあった服を着るべきだと考えるようになります。
でも未だに自分がいいと思う服は虎が強いセーターとか馬がつよいワンピースのままです。
虎が強いヤツ、着なよ!とそれでも言われるかもしれません。でもいくら好きな服でも「関西のババア」と言われたり「隣歩きたくない」と言われるような服を一人でも着る勇気はないですね。
そもそも似合わない人間が無理やり着るのも服に失礼かなと思うんですよね。だから結論的には好きな服を着たいなんて気持ちは微塵もないです。
一昨日くらいから興味本位でマッチングアプリを始めたんだが、もう疲れた。
見た目は良くないが、それでもマシに見える写真を登録し、年収がそこそこあるから20個くらい一気にいいねをもらえた。
サクラ臭いヤツとごめんなさいな人以外には、大して返事も来ないだろうと思って計10人ぐらいにまとめていいねを送ってマッチングした。
そこからが地獄だった。止まらないメッセージ。返信が滞ると送られる追撃。
なんか炎上したプロジェクトにいた時を思い出すレベルでメールが溜まっていく。
その中にサクラももちろん入ってると思うが、それより本気の人がこの中にいるかもと思うと気が滅入る。
今は無料期間だから返信することもできるけど、正直課金はしたくないと思っているので、あと1週間で本気の人ともサヨナラだ。
そう思うと申し訳ない。
まぁ他にもメッセージを送ってる人がいるだろうからそこまで問題ではないと思うが。
ただ、マッチングした相手の中で自分が一番になってしまったら、そう思うと怖くて返事も遅くなる。
返事が遅くなると追撃が来てメールボックスが溜まっていく。
地獄だ。
もうやめたい。
アメリカ議会に対するロビー活動が伝わってから、また少し旗色が変わってきてる。
今の支持派の主流意見は、良いところは褒めて悪いところは批判しようみたいな感じの落としどころを狙ってるっぽい。
けど、この場合は難しい。
あのCMが伝えるメッセージと、聞こえてくるNIKEの実態は両立しない。どちらかが嘘だ。
嘘という言葉が強すぎるなら虚飾でもカッコつけでも何でもいいけど。
それでもまだ、日本社会に差別はあるんだって強弁する人もいるだろう。
うん、そうだね。日本社会にももちろん差別はあるね。楽園じゃないんだから当然だね。
でも本当に解決したいのならNIKEを持ち出すのはもうやめとけ。
40歳からのこの10年は、老化を感じることの多い10年だった。
30代までは何かあっても、最近不摂生だったしなあ…とか、運動不足だしなあ…で済んでたが、40代では不可逆な老いが確実に始まっていることを痛感する。
まだ20代30代の人間は、以下のことを覚悟しやがれください。
ほぼ確実に来る。
遠近両用メガネマジ快適。
普通にシャワー浴びても落ちなかったりするので、マジで落ち込む。
対策は、お湯の温度をギリギリまで上げること、風呂に入ってすぐと、暖まって出る直前の2回シャンプーすること。
出先ではアルコール入りのボディペーパーで後頭部をガシガシやるとリカバーできる。
加齢臭対策のシャンプーやらなんやらは、ある程度しか効かないので期待しすぎないこと。
自分は遺伝的にはハゲないはずだが、はっきりと頭頂部のボリュームが減った。
サイドはそうでもないので、中途半端に紙が伸びると、おっさんとしか言いようのない髪形になる。
なんとなくで同じ髪形を続けている人、たまに美容師に相談・確認しよう。
これもかなり泣ける。
リビドーはめちゃくちゃ減り、気が付くと何もせず1週間とか経っている。
快感のピークはぐっと低くなるのに、長持ちするどころか早くなっている感がある。
量も飛距離もめっちゃ減るので、まとめると、弱い、飛ばない、少ない、気持ちよくない、早い、だ。
寝る前に冷たいものをガブ飲みすると、内臓が止まるようになった。
朝起きると、胃袋の内容物が食後1時間ぐらいしか経ってない感じ。
脂ものがあまり食べれなくなる、酒に弱くなるのは言わずもがな。
煙草も美味しく吸えなくなってやめた。
色々な数値ももちろん悪化していくが、これはさほど急激ではないように思う。
これは努力で何とかなる割合も多いけど、運動不足による影響があっという間に出てくる。
ぎっくり腰もあるし、驚くほど体が動かないし、関節が固くなる。
開脚しても鋭角にしか開かない、頑張って直角ぐらいなんですよ。
ハイキックを出そうとしても、ローキックもどきにしかならないと言えばその情けなさかがわかるかしら。
俗に、老いていく順番は目鼻チンという話があるそうだが
また、歩くだけだなら長時間でも意外と老いは感じないが、ちょっと全速力で走ると、本気で命の危険を感じる。
ただ、思った以上にショックだったことがある。
一応自分は起業をもくろんでいるんだが、この先起業がうまくいって、それなりに金持ちになったとしても、体力的に、もはやアグレッシブに遊ぶことができないだろうと思うようになった。
例えば、ゴルフだったら、金が出来たらしょっちゅうコースに行ってシングルを目指そうと思ってたのが、もう無理だなとなる。
自転車だったら装備整えて海外遠征とか、他にも車やバイクだったらレースとか、ログハウスを自分で建てるとか、全部無理。やれたとしても低レベルになるだろう。
女遊びをやったとしても、せいぜい風俗。たとえ若い女が向こうから寄ってきても、もう自分が情けなくて逃げ出してしまうだろう。
哀しい。
リスク許容度が人によって違うこともわからないで金融リテラシーとか笑わせるわ。自分のリスク許容度を正しく測るのは難しい。コロナショックは乗り切れたけど次のショックを本当に乗り切れるか今から不安だ。投資の未来は確率的にしかわからない。アメリカ市場が日本のようにならないとも言い切れない。インデックス投資は年利7%のきれいな指数関数にはならない。リスクを避けるのも一つの選択だ。一瞬でも未来の利益が約束されていると思ったらその瞬間に退場の危険がすぐそこまできている。常に下落時のシミュレーションをしておかなければならない。そのストレスを避けるために投資しない選択ももちろんアリだ。未来が確実ならGPIFはなぜ全力VOO投資しない? idecoもNISAもないよりはいいし利用価値はあるが、本質的には国が責任を回避して個人にリスクを取らせるための制度だ。アメリカの金融政策に日本人の年金が左右される未来で本当にいいのかと思う。
日本学術会議の件でいろいろと炎上しているが、学界の片隅に身を置く人間として言っておくと、学者は公正中立でもなんでもないからね。
もちろん特定の政党にどっぷりコミットするような学者は学界でもあまり評判は良くないけど、それでもみんな何らかの「政治的」なポジションを持ってる。
政治的っていうのはどの政党を支持するのか、どんなイデオロギー的位置づけなのかということももちろんそうだけど、学界内での力関係という意味もある。
例えばこんな話がある。
今から50年くらい前、とある権威ある大学で優秀な成績を修めた学生がいた。この学生は学者になろうと思い、その大学の教授の研究室に入った。そこで真面目にコツコツ研究していたが、その生真面目さが災いして教授と衝突することもたびたびあった。月日がたち、研究業績も残したその学生はアカデミック・ポストを教授に斡旋してもらうことになった。学界内でも研究室内でも当然、あれだけの優秀な学生なら教授の後を継ぐために大学に残るのだろうと思っていたが、教授は遠くの地方の大学への就職を斡旋した。生真面目な彼はその話を受け、一生その大学で務めた。しかし、彼の恨みは燻り続け、彼の門下生にまで波及した。さらに門下生の門下生、、、と連綿とかの教授に対する恨みは受け継がれている。彼の生真面目な性格もあり、門下生を多数輩出し、その中には彼の出身大学に並ぶ有名大学の教授にまで登りつめた人物もいる。その人物の論文も、かの教授に対する怨念のようなもので書かれている。その門下生の論文も同じ…そしてさらなる世代交代を迎えつつある今も…論文だけではない。怨念に憑りつかれた教授たちは学内運営や人事でもその力を存分に発揮している。業績があれば採用されるわけではない。
こんな感じで、公正中立に学問をする研究者なんて実はいない。学派的な対立や怨念から論文を多数発表する学者の方が実は多い。あまり優秀でなくても門下生を多数輩出する教授がいるのはそんな事情がある。税金から研究費をもらっているのにおかしいじゃないかと思う向きもあるかもしれないが、しょせん人間がやる以上、どうしてもこういうことはなくならないんじゃないかな。そもそも税金が公正中立に使われることを強く求めること自体、自分たちの首を絞めることになるわけだし。それくらい割り切って考えた方が世の中生きやすいですよ。
で、「元更別」という地名があるんだが、実は現在は「元更別」は更別村にはない。
開拓の昔、現在の中札内と更別は同じ幸震村(大正時代には大正村)という自治体に属していた。
大正村にあった市街地から次第に開拓が進んでいったわけだが、当時は中札内と更別には村の境界はもちろんなかった。
大正時代、第一次大戦の好景気に湧くころ、島根県からの移民団が更別村の語源になったサッチャルベツ川水系で開拓を始めた。
昭和4年にこの地域に鉄道ができると、現在の更別市街が発展し新市街が誕生した。
そして、もともと開拓団が入植して市街地があった旧市街が「元更別」と呼ばれ、次第に「元更別」市街は寂れていった。
昭和22年に大正村から中札内と更別が分村した時、「元更別」は中札内に所属するようになった。
こうした歴史的経緯をみるとき「元」という言葉は非常に輻輳するニュアンスを持つと感ずる。
増田がいうような「もともと何かだったもの」というニュアンスももちろんあるんだが、元ちとせの「元」を「はじめ」と読むことが示すように、物事の源をさし示すことがあるだろう。
おそらく「元」という言葉はニュアンスをシークバーみたいに切り替えることができる。
源に近いところから、変わってしまったその先を想像させうる。「元」は言語としてそんな守備範囲を持っているような気がする。
今は「元更別」の地名を訪ねる人は少なくなった。
現在では鉄道に近い形で高規格道路が走っており、自動車で十勝南部を通ろうとすると元更別は通過しない。
しかしかつては、中札内村上札内〜元更別〜大樹町尾田へ抜けるルートこそが主要交通路であった。
これは完全に個人の見解だし、匿名でここに書いても何も変わらないとは思うけど、こういう見方もあるんだなと知ってくれる人がいたら。
正直チラシの裏だし無駄に長文なので、あんまり読む必要もないです。
なんだか最近、これは自分のタイムラインの激選が間違っているだけだと思うけど、よくツイッター上で喧嘩しているのを見かける。
その最たる例がやっぱり政治なのだけど、なんだか見ていて疲れてしまった。
色々と自衛策はあるけど、好きでフォローしている人がそういう発言をしていると結構ツラい。
ツイートなんて自由にすべきだと思うけど、やっぱりそういうのを見て、あって思ってしまう自分にも凹む。
結構、こういう些細なストレスから病んでいく人は多いんじゃないかなぁ。
そもそもそのくらいで病む人間がツイッターなんてするなって話かもだけど、ツイッターは議論アプリじゃないんだから、みんなもっとしょうもないことたくさん呟けばいいのに。
イラストレーターなんかでR18作品とかを投稿する人は、センシティブ設定だとか名前に🔞とか付けている人が多いから、嫌ならブロックなりなんなりで避けやすいけど、変な人は趣味垢とかでも唐突に現れたり噛み付いてくるから本当に怖い。
どうせ拡散するなら好きなアイドルやらお笑い芸人やらそういうのを拡散していったほうが絶対有意義だと思うし、本人の心の健康にも良いんじゃないかと思う。
心当たりある方はぜひ、一週間だけでも好きな話題だけ呟くとか試してみてください。
リプで喧嘩したりするよりも嫌な気持ちになることは少ないんじゃないかと思います。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」みたいなことわざがあるけど、今のツイッターの状況はまさにこれで、それぞれ主義主張が違うのは当たり前なんだけど、意見がぶつかるの過激な言葉で罵り合ったり晒したり粘着したりなんてことが日常茶飯事に起きている。
コロナ禍でのストレスもあるのかもしれないけど、そのコロナ関係でも色々と経済or人命だとかでしょっちゅう戦っている。
こういう話に自分も思うところはあったけど、もう逆に思考を放棄したくなってしまうんですよね。
政治でもコロナでもそうだけど、なんか人が争っているのをずっと見ていると、もうどうでもいいというか、議員でも専門家でもない一般人はもう馬鹿みたいに推しがどうだのメシが美味いだの言っといた方が幸せなんじゃないかと。
あまりに極論だしそれじゃダメなのももちろん分かるけど、けど、最近のツイッターは特に鬱屈としている気がするし、そうも思ってしまう。
結局何が言いたかったのかというと、もしリプで喧嘩してたりして嫌な気分になる人は一度そういう話は控えてみよう。