はてなキーワード: 賛否両論とは
最近ツイッターとか見てると、”e-sportsは体を動かさないからスポーツじゃない”という主張に対してスポーツはもともと競技という意味だから問題ないんですよ!という話題が流れてくる
まあ実際問題、職業の地位向上を目指すという点でこの反論は大事だし、論理としても通ってると思う
しかしツイッターの闇というか、一度話題が上がるとハイエナのごとき人々がこぞってツイートを始めるんですね
「私の知り合いの外国人が」「英語圏に住んでる友人に」「俺今アメリカにいるけど」などなど
何よりもイタいのが日本人を馬鹿にしているような言い方をしてるツイート
辞書とか翻訳とかが溢れてるから忘れがちだけど、そもそも違う言語ではどうしても齟齬が生じがちなわけ
先人たちが見える範囲で単語を理解して、教えてもらって、その単語を使ってより難しい単語を説明してもらって、徐々に感覚を近づけた結果にあるのが今の言語理解なわけで、絶対的に意味が同じの状態ってまあないわけでしょ
なのに偉そうに「そもそも」とか原理主義的な話をしてもそれは逆に普及は遠のくじゃん、言われた方は気悪いし
ていうかそもそも論ならオリンピアの祭典がクッソフィジカルで始まって今に至ったこと考えるとe-sportsオリンピック採用に関して違和感生じてもしょうがないでしょ
ていうか!そもそもe-sportsオリンピック採用に関しては外国でも賛否両論だからな!googleでe-sports olympics comments とかreactionsで検索すれば色々出てくるから!
あれって聖戦(特攻)的な意味合いで理解されてるけど、本来は「努力」って意味らしいのよ
どっかの記事で見かけたんだけど、最初は近所の人から白い目で見られてたモスク運営してたイスラム教徒の人ができるだけ地域交流して受け入れられるようになった
さらに震災の時にはいち早く駆けつけて炊き出しを100回も続けた
この記事を見てああ、これからは軽々しくジハードだとか言わないようにしよう、とかイスラム教徒ってだけで身構えるのは良くないな、とか思ったんですわ
でもこれを例えばイスラム教徒でもない、ていうかお前誰みたいな奴に日本人は遅れてる、ジハードって別に特攻って意味じゃないしwww的な言われ方したら
「はあ?でも911とかテロとかで奴らがジハードとかいって何人も死んでるねんぞ調子のんなハゲこら」ってなるじゃん
なんていうか、外国では〜とか一面的なこという奴に限って英語できないし外国人の友人(一人か二人レベル)な気がする
そして別に日本人のe-sportsへの意見を変えようとか思ってなくて、単にrtが欲しかったり上から目線でモノ言いたいだけだと思う
いつだってことをややこしくするのは当事者ではなくて、調子乗ってる外野だったりするんだよね
題名からして気づいてる人もいると思いますが推しの出番についての話。長いです
某アニメのオタクをして今年で四年目。アニメが始まったのは五年前。二期から入った所謂新規だからあまり偉そうなこと言える立場じゃないだろうなと思ってたしこうして表現することが苦手だったから避けてきたけど、今年アニメが始まることに不安があった。
私の推しはメインだけどメインじゃない立ち位置にいる。メイングループにはいるがライバルグループを取り上げられてしまって言い方が良くないが疎かにされている立ち位置というか。
一昨年くらいに過去、幼少期の話が映画化されたが、原作では推しの話も少しだけどあった。美化しすぎかもしれないが、推しが幼いながらに家庭の事情と自分の意思の相違、主役の彼に対する思いがわかるであろう話があった。推しだからという贔屓目はあるがこの映画は二部構成で二部目に推しの話が来るのではないかと考えていた。二部目で今までメイン以外の立ち位置の子たちの過去話がオリジナルで付くのかなと信じて次回作を待とうと思った。この話で原作を読んだことのない人たちにも推しのことを少しでもわかってもらえる良い機会だと思った。
話にするほど長くなかったのかレートが低いと言われていたからか客は来ないと見たのか円盤が売れないと思ったのか知らないけれど願った話ではなかった。レートが低いと言われていたから当然、主役じゃないんだから当然と言われて仕舞えば当然だったのかもしれない。でも原作の名前をかたっているのだから推しの話も映像化されると願った人は少なからずいたんじゃないだろうか。レートが低かろうがファンはいるし原作に忠実にしてほしかった人もいたのではないだろうか。
以前からなんとなく差は感じていた。アニメでは推しがメイン回のときは今までの推しとはキャラが違うと言われ賛否両論、手抜きかとも思えた。去年、推しのフィギュア化が決まったがメインがフィギュア化されてから四年もかかった。四年もかかった事に疑問を抱いていた
過去作の次の作品の前売り特典で久し振りに推しのグッズが出た。とても嬉しくてたくさん見に行こうと思いたくさん前売りを買った。いざ行ったものの新しい映像は一瞬。次の作品の前売り特典では主役と二人で一つ。推しのほうが小さく描かれていた。この作品はライバルグループがメインの話だし まとめられるくらい だから出番もないのだろうと思ったから観なかったし前売りも買わなかった。
他のキャラクターとセットにされることは以前からあったがそれも納得がいかなかった。二人描かれていることによって私とは別の価値観で見られるような気がしたから。決してその「別の価値観の人たち」が嫌いなわけではないし下げるつもりも一切ない。ただわたしは単推しであるからこそ二人描かれることが好きではなかったし納得がいかなかった。メインじゃないとこうして纏められて小さく描かれてしまうのかと改めて思った。
少しの不安が重なって重なってきて今年新作が放送されるがまたこうして推しがおざなりにされたらどうしよう、あとから出てきたキャラクターたちの話ばかりで霞んでしまったりしたらどうしよう、不安ばかり。新作が発表された時はそれはもうお誕生日並みにお祝いしたのに近づくにつれて不安の気持ちが押し寄せてきてならない
もちろん推しが大好きな気持ちは変わらない。ただ主役じゃないキャラクターにもスポットライトをあてることはあるのかなと疑問に思った。推し以外にも深掘りされずに終わってしまうのかと思うキャラクターがいる。
主役のことが嫌いなわけではないし主役級に全員を深掘りしてほしい、過去のことをやってほしいと言いたいわけではない。でもアニメでは出ていなかったキャラクターを映像化する時間手間があるのであれば既存のキャラクターのことをもっと知りたかった。知ってから増やしてほしかった。新しいキャラクターがいなければこれから先に進まないというのであれば増やしてからでも構わない。同じことを述べるようだが目新しいものばかりではなく既存のキャラクターにもっとスポットライトを当ててほしかった。
この作品には長い間たくさん楽しませてもらっていたが推しへの気持ちとたまに出る新規グッズや新規絵柄好き!というノリで付いてきた今に疲れた。自分の解釈違いやきちんと追えずに勘違いしているところがたくさんあるのかもしれない。でも自分の中ではこう捉えてしまうことが多くあって苦しかった。ただ純粋に好きな気持ちだけで追えなくなってしまった自分にも問題があるのだとはわかっている。でもそれを見て見ぬふりしてまでも推しに対して好きという気持ちがあった。だから自分の好きという気持ちを信じて不安な気持ちもあるけどアニメは見る。
自分の中にある違和感が消えなければもう追うことはないと思う。
長くなったしおかしいところもたくさんあると思うけど推しの出番とレートに対する疑問と推しに対する思い。レートは少ないし公式に文句みたいになっちゃったけど二、三年溜めてた思い
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制服が高い、高くない以前に、新しい制服を着させたい保護者と本人の意思で新しい制服を着たいという子供たちがいる事実は置き去りになったままですが、制服云々の前に…
この報道が加熱しすぎて、毎日毎日学校には報道陣が押し寄せています。
学校帰りに『今日は楽しかったね』とか話も出来ないで厳戒体制の中、下校している子供たち。
警察からも子供たちの身の安全確保についての連絡がありました。
学校の電話は回線がパンクして、欠席の電話も緊急連絡も通じなくなり本当に困っています。
子供がかわいそうとか言うのであれば、子供たちが1日も早く元の学校生活に戻れるようにして欲しい。
そして大好きな校長先生が責められている姿を見て悲しんでいる子供たちもたくさんいる。
悲しすぎます。
万が一、子供たちの大好きな校長先生が学校を去ることになった場合は誰が責任を取ってくれるのでしょうか?
私たちは和田校長先生がいるから学校に安心して預けられ、子供たちが伸び伸びと楽しく過ごしていることも忘れないでください。
1日も早く元の生活に戻してあげたいです。
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https://www.facebook.com/junichi.den.tanaka/posts/1808096515890791
よく賛否両論になる男性絵本作家のぶみ、おかあさんだからの歌詞も賛否両論だ。
ママのスマホになりたいという絵本では、元になった作文のパパとママのスマホになりたいからパパだけ消えて、ママに見てもらいたい息子の心情が語られる。
母子家庭で息子が「ママと結婚する」と言うので、散らかった自宅でドレスを着て母親と息子が結婚式をし、その後ママが死んでおばけになり息子の成長を見守る。
大人になった息子の結婚式で、お嫁さんはママのウエディングドレスを着て、昔のママとの結婚式の映像が流れお嫁さんと息子は感涙、息子は大好きなママに届け僕の声と号泣する。
その後産まれた娘がママにそっくりで、驚く息子は何故か三歳に戻っており、それからママのおばけは出なくなりハッピーエンド。
読んでいて母親としてもお嫁さんとしても、背筋が寒くなる程に母親が重かった。
パパが娘に結婚式をプレゼントして、立派な教会に牧師や招待客達を集めて綺麗なドレスを着てパパと結婚式をし、忙しいのに結婚式ありがとうと感謝する娘に感動して仕事から早く帰るようになったと言う粗筋。
娘がドレスアップしたりキスをする横で招待客の男の子が「俺も娘と結婚したかった〜」とずっと悔しがっているのがパパの欲望丸出しっぽかったが、ママに比べたら情念が薄い内容だった。
何故こんなに母親愛が重いのか不思議だったが、このインタビューを見て納得した。
『ママがおばけになっちゃった!』作者・のぶみが語る、32年越しの母との和解
https://wotopi.jp/archives/36431
強いて言うならグラフィックデザイナーだ。
世間一般にはデザイナーもアーティストも似たようなもんだと思われているかもしれない(私自身もまあ近い存在だとは思っている)が、私は自分の立場としてアーティストは名乗らない。
私は仕事で様々なものを作る傍ら、時々SNSに自主制作として作品を投稿したりしている。
この作品というのも普段の案件でデザインするものと同等の物を目指して作っている。つまりは、その作品が仕事の成果物としても通用するレベルの物だということだ。
あくまで自主制作なのでクライアントは自分(笑)だが私はネット上の不特定多数をクライアントとして見ることにしている。
ではそれらの人々が満足してくれるには何が必要だろうか。
私は、「理解し納得できること」だと思っている。
例えば「牛乳」をテーマにあるロゴマークを作ったとする。そのロゴには商品名に加え牛乳を感じさせる要素(牛、牧場、牛乳瓶、みずみずしさなど)を含めたい。
それらをすべて網羅してまぜこぜにして図案化すれば確かにいろんな要素を含んでいてリッチそうではある。この段階においては入れたい要素を盛り込んだただのアートである。
まず何を一番伝えたいのか。商品名か、おいしさか、それとも牛か?それを決定する。次に付随する要素を厳選し、先の要素を打ち消さないように追加する。
といった感じで取捨選択しながら図案に落とし込んでいく作業が必要だ。
これが難しい。要素を入れすぎれば複雑怪奇になるし、逆に減らしすぎれば伝えたい事が伝わらない。なおかつそれを一つの図案に集約し、見た目が破綻しないように形を整える必要がある。ただ形を整えるだけではダメで、インパクトを与えるためにある種特徴的な意匠が必要だし、何より不特定多数が見て説明を受けたときに理解できるものでなければならない。
こういった「人に理解してもらえる意匠を設計する」プロセスがデザインである(と私は考えている)。
まあ簡単に言えばデザインは制約付きのアートといったところだろうか。
ここまで作業の流れをざっと説明してきたが、私のデザイン自主制作はまだ終わりではない。
作品をネット上に投稿し反響を見る。(←これ大事、テストに出る)
おもにTwitter, Tumblr, Behanceなどに載せるが、いいねやRTやその他のアクティビティを数字として見る事ができる。時には見た人から感想(賛否両論)をもらえることもある。「数字なんて関係ない」と反論されるかもしれないが、数字は正直である。そもそも最終目的に「見た人の満足」を挙げているので私にとってここまで含めてデザインである。
私のやたら細かいデザイン観についてご理解いただけたところで先日起こったある事件のお話をしよう。
先日Twitterにてこんなメッセージをもらった。送り主をA氏とでも呼んでおこう。(ちなみにFF外から失礼された)
「あなたの作品をよく拝見しております。いろんな作品を作っていらっしゃいますが、結構〇〇(とある技法、素材やジャンルではない)を使ったものを投稿しておられますよね。△△△(私の作品名)や▲▲▲(私の作品名)は良かったのですが、最近のXX(私の作品名)はちょっと〇〇としては面白くないというか正直〇〇の作品には相応しくないのでこういった使い方は遠慮してほしい」といった次第である。
はぁ〜そうきたか
少し想定外であった。私は〇〇をデザインの一部(前述した特徴的な意匠の一つ)として利用していただけなのであるが、どうやらA氏は〇〇のそういった使い方が気に入らないようであった。A氏とは面識も交流もなかったので、いろいろ調べてみたのだが、どうやら〇〇界隈では有名というか第一人者で積極的に〇〇の研究や界隈のつながりに寄与されているらしい。
〇〇界隈について調べてみた。〇〇を使った作品を制作している方々が多数いたが皆一様にこの作品は〇〇です、と言っているのである。
〇〇と明記することで界隈のつながりは広がるかもしれないが、ただの技法に固執するのにはすこし疑問をいだいた。
(念のために書いておくが、〇〇は技法であって、素材やジャンルではない)
絵に置き換えてみればわかるが、要は遠近法使ったよ。遠近法すごいでしょ。俺らの遠近法を見てくれ。と言っているようなものである。ちょっと違和感を感じた。
試しに〇〇界隈の作品を眺めるとどうも洗練度がたりない。なぜだろうか。デザイナー目線になってしまうのだが手法に固執するあまり他の要素がなおざりになっているようである。
これは面白くない。〇〇は表現上の単なるテクニックに過ぎない。界隈の人には悪いが、手段を目的化してはいないだろうか。
大事なのは何を作るかである。アートだろうとデザインだろうと、どこに出しても通用する作品としてきちんと完結していることが大切だし、未熟だとしても目指すべきところである。別に最初のうちは技法にこだわっても良いかもしれない、そうしているに作品自体の質が大事だと気付けることだってある。しかしどうも〇〇界隈を注視して見た限りではそういう発展が見られない。むしろ私にメッセを送ってくるあたりからしてだんだん閉鎖的になっているのではないかと心配になってきた。
私は別に〇〇が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。だから積極的にデザインの中に取り込んだり応用して独自の表現方法を考えたりしている。
そしてそういった技法を適材適所に使ってもっと広めていきたいと思っている。そのためには前述したような「誰もが理解し納得できる」形のものをデザインする必要がある。
美を追求する点においてアーティストもデザイナーも違いはない。だがデザイナーには確実に人に理解させ納得してもらえるものを作るという使命がある。
元々、とにかく誰かの文章を読むのが好きで、小説とかニュースとかジャンル問わずに暇さえあれば本やネットを読み漁ってた。
なろうにこれでもかというくらいに溢れている異世界系も、特別好きでそれ目当てにアクセスするというわけではないが読み始めればそこそこ楽しんでいる自分がいる。
小説に限って言えば、本当なら少しお硬めの文体の人が好き。だから可能な限り好きな作家や文豪の本は持ち歩くようにしている。
それでも、たまーには気分転換としてプロではなくアマチュアの不完全で危うく緩い文章を読みたいなと思う時もあって、そういう時は投稿サイトなどを巡る。
すると、内容が好みドンピシャのもの(上記の通り、お硬めの作品が好きなのであまちにふざけすぎているものは好まない)に出会っても、とにかく改行が多くて読む動作自体がストレスに感じてしょうがない。
あれもネット小説の文化だと割り切ってはいても、気になって調べてみると、作家側の意見としても「入れたくもない改行を、読者のために入れている」といった意見が数多くあることを知った。
横書きネット小説の、あの改行多用は一体何のためにあるのだろう?
読みにくいと感じてしまうのは私だけなのか?
極端な話、あの無駄な空白があることで、文章自体の魅力が半減以下になってしまう気がしている。折角ステキな題材なのに。そう思うことが多いのだ。
ネット小説文化の歩んできた歴史について、私はそこまで詳しくもないが、改行については昔から賛否両論だったらしい。
であれば、一度くらい、ネット上にアップする作品を「改行多用バージョン」と「通常バージョン」とで、二種類アップするようなやり方が流行ったことはなかったのだろうか?
個人的な意見として、文章が読めない・読みづらい・読むことが好きでない人は漫画を読んでいればいい。ただ、文章を読むことを幸せと感じ、誰かに書いてもらえた文章にありつけた時にこの上なく贅沢をしている気分になってしまうような私のような人間のために、せめて「文章を書くことを愛し、且つネットの改行文化に首を捻っている人」には(もしも周りに合わせなければと思って無理に改行を含ませているのなら)我慢してほしくないし、我慢しなくても良いような空気ができればいいなと思わずにはいられない。
愚痴垢とは「本垢では言えない」本音を呟くアカウントであり、本垢で呟いてしまうとフォロワーさんに不快な思いをさせてしまうため作成されたアカウントです。
愚痴垢は最近どのジャンルにも見られ、ハロプロ界隈にも愚痴垢というものが最近発足しました。
かく言う私も、ハロ界隈ではありませんが愚痴垢を持っています。
しかし、ハロ界隈の愚痴垢の皆さんに共感する事も多いし、ちょっとこれは駄目なのではないか?と思う事もあります。
現在ハロ界隈において、1つのはてなブログをキッカケに愚痴垢と愚痴垢に叩かれているメンバーのファンとの対立が多く見られているのでこのブログを書こうと思いました。長いです
⑴ 主に愚痴垢が呟いてる内容について
(検索除けの為伏せ字を利用しています。また、今回はモーニnグ娘。の内容を中心とします。)
13期メンバーの加g楓さん
その他、太っているメンバーに対しての呟きが多い印象です。
kgさん
stuさん
・kduが卒業したのにm-do-をひっぱりすぎ、kduを解放して欲しい
・態度を直して欲しい
太っているメンバー
・痩せて欲しい
他にも事務所に対して
⑵ ファンが思っていること
しかし、kgさんやstuさんのファンからしたら愚痴垢のツイートはいい気分ではないと思います。そんなファンの皆さんの意見を(私なりに)纏めると
・鍵をかけて呟いて欲しい
・努力してるからステージに立っているのであって努力してないわけがない
・どうせ愚痴垢は在宅
癒しを求める人、憧れの存在であって欲しい人、恋愛対象として見ている人…人によって様々だと思います
その「求めるもの」によりアイドルに対して思うことも変わってくると思います。
例えば憧れの存在であって欲しい人なら、アイドルに美やスキルを求めるかもしれません。
癒しを求める人は、アイドルにありのままでいて欲しい。と思うかもしれません。
愚痴垢の方とファンの方(厳密に言うとどちらもファンですが、長くなるのでここからはファンの方と書きます)はその「アイドルに求めるもの」が違っていると私は思いました。その求めているものが違う以上、意見が分かれてしまうのは仕方がないことでお互いにその意見を押し付け合うことは無駄な事ではないか?と思います。
求めているものが違うなら、ファンをやめればいいのでは?と思う方も沢山いると思います。でも、どちらも「モーニnグ娘。が好き」という共通点があって、その上に求めているものがあるのではないでしょうか?
これは他のメンバーとぶつかる危険性があるというのは本当ですよね。
態度も、ファンではない方が見たら「うわ、態度悪……」と悪印象を持ってしまいますし改めた方がいいと思います。
ビジュアルや歌唱力の向上も、「アーティスト」ではなく「アイドル」である以上、顔や歌を仕事にしているので多少は気にかけて欲しいという方もいますよね。
体型管理も同様に、プロである以上、確かに気を付けて欲しいと思います。
私はこうやって愚痴垢が意見をするのは、「人気になって欲しいから」だと思います
「人気になって欲しいから」衣装を可愛くしてファンじゃない人に気に留めてもらいたい、悪印象を与えないように態度を改めて欲しい、デブやブスがいるってファンじゃない人に笑われて欲しくない。
こう思うのはファンのエゴですが、愚痴垢の皆さんが意見する気持ちもわからなくもないと思いませんか?
でも、愚痴垢を全て肯定できるのか?と言われると肯定できない部分ももちろんあります
・他メンが休業や卒業発表をすると、○○も卒業しろ などのツイートをする
・映像の一部をスクショして、ブスwwwと騒ぎ立て、映像の一部のスクショをアイコンにする
・根拠もなく叩く
などの点は私も改めるべきだと思います
映像の一部をスクショすればそりゃどんな美人であってもブサイクになりますし、それを使って叩くのは卑怯ですよね。
それに卒業しろ!などは言うのは自由ですが、ファンの方が不快に思うのも当然ですし改めるべきだと思います。
・愚痴垢を在宅と決めつける
(この日ライブに行ったなどとツイートすれば身バレする可能性もあるので、わざわざアカウントを分けている愚痴垢の方は呟きにくいのでは?)
でも、確かにダイエットの強制、化粧を頑張るアピールなどはしなくてもいいでしょ!という気持ちもわかります
しかしここは、先程言った「アイドルに求める事」の違いに関する問題なのでこれ以上議論することは無駄だと思います。
努力も確かにしてるとは思いますが、人によって努力の基準が違うのでこれもなんとも言えません。
⑷ 対策
私が思い付く対策は
・検索除けを徹底する
愚痴垢がなくなればいい!と思う人は多いと思いますが、愚痴垢というものはハロ界隈だけに収まるものではないのでそれは不可能だと思います
消しても消しても愚痴垢は現れますし、その度に騒いでも時間の無駄です
⑸まとめ
お互い、「モーニnグ娘。が好き」という共通点があるファンです。
自衛して、検索除けを徹底する。ということを気を付けて、ツイッターライフを楽しむ。ということを私は提案します
私は今の「同意する意見だけを述べなくてはいけない」という風潮は良くないと思っています。
ダメなところはダメであり、それを不快に思うことは悪なのでしょうか?
わざわざアカウントをわけてまで呟いているのに、それを消去させることはもはや宗教のようなものだと思っています
メンバーが好きでやっているのに否定するなんて!と思う人もいると思います。
確かにプライベートはグループに迷惑をかけなければメンバーの好きにすればいいですよね、交友関係や私服など
でも取材などで写真を撮られる、となったらちょっとオシャレな服を着て着て欲しいなあ……と思い、呟くこともいけないのでしょうか?
メンバー内でドッキリをして、それが酷いドッキリであったら、「それはやめたほうがいい!」という事もダメなのでしょうか?
言ってはいけないラインを超えないように愚痴垢も配慮し、そのラインを超えない不満は多少目を瞑ることは必要ではないでしょうか?見たくないならブロック、ミュートし、愚痴垢の方も酷い意見を言う時は鍵をかける。などの配慮が必要だなと思います
まとめると、片方を悪だと決めつけないで、一定のラインを超えない限りお互い干渉せずにいる、ということが重要だと思います。
もう一つのブログがファンの方よりの意見なので、少し愚痴垢の意見よりで書いて見ました。賛否両論あると思いますが、個人の意見なのであまり気に留めず、楽しいオタクライフを!
imgurなど多くのアドバイスに、賛否両論のコメントありがとうございます。
長文に拙い文章お付き合い下さい。
今回は写真付きで私が体験したこと思ったことや芸能界の裏側の繋がりの一部を書きます。
338になった由来詳細は下記の2記事に書いてくれた方がいます。
①https://osakaking.net/makura-manabe
元カレ関東連合で、グラビアの手越と3pしてた子→http://girlschannel.net/topics/10285
②https://osakaking.net/takabeai-morishitayuri
https://imgur.com/gallery/XKzTE
ハワイにて故長良プロダクション会長や、※第3弾リンク先で沢山登場していた内田裕也さんたちとの写真です。
各事務所の社長大集合、色んな芸能人が集まり、夜はお馴染みのクラブ(夜のお姉さん達がいる方)を貸し切りで遊び酒池肉林三昧。ワイドショーの記者たちから見つからないように、いかに遊ぶかがコツなのです。ガードの固いカハラ、ハレクラニ、別荘などに色んな事務所から美男美女が集まるので、ハワイは出会いの場でもあります。
私はSPの方と仲良くなり、2人で銃を撃ちに行ったりしました。
ルパンとリボルバーの扱いをめちゃくちゃ詳しく教わり、今でも覚えています。
所属している事務所が大きければ大きいほど権力を持っています。
別会社の事務所所属タレント名無しの338が、他の系列の芸能界で力を持つ会長に気に入られ、連れ回されても文句は言えないのです。むしろめんどくさい奴だから枕営業はさせられない扱いにくい子になる。
※後に他の暴露に繋がる、
を覚えておいてください。
■338とalifeと某ダンサー。
https://imgur.com/gallery/BT62H
頬のこけ方からお察し下さい。
今はやってなさそうですけどね。
■338と不倫は文化の人。
https://imgur.com/gallery/gv9eS
大変可愛がって頂きました。
山ほど女の子を紹介してあげました笑
本当に悪気なく女好きなんですよね。
石田さんの著書にも登場している、成田空港に土地を貸していて先祖代々スーパー金持ちのタニマチさんにタクシー代やらたくさん頂きました。
https://imgur.com/gallery/dQNtz
ご存知ない方はぜひググってみて下さい。
マカオに逃亡し、フライアウェイして国際指名手配になったアグレッシブな方です。
家でサメ飼ってるんですよ。
遊び方が豪快で300万円を店でばら撒き、拾え〜〜クズどもが〜〜とリアルカイジでした。
その時私は参加せず、目先の金すら拾い集めなかった姿を見初められ親しくなりました。
夏の歌の人はめちゃくちゃやっぱり歌上手い!雑wでも本当に女癖が悪くて、なんでこんな人が結婚できたのか謎です。苦手です。
■388、現職大臣をジャニーズ事務所に殴り込みに行ったやくざが接待
https://imgur.com/gallery/YpI6b
ツイキャス配信のなんでも暴露凸待ちに出したネタです。赤坂の高級しゃぶしゃぶからの、六本木で待機していた女性芸能人総勢20人で接待です。
流石に賢い先生だけあってハニートラップには引っ掛かりません。
大臣がご帰宅した瞬間、スーツを脱いでロールスロイスファントムでパーリーピーポーです。
この男性の愛人だったグラビアアイドルの妃今日子が、V6の森田剛と浮気をして芸能界初ジャニーズ事務所にカチコミに行った人です。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/11263315/
おぉ、、、なんか以前語られていた内容と違う記事ばかりです
この事件がキッカケで、長良会長から氷川きよしを預かっていたが取り上げられたと聞いていましたし、カチコミに行ったやくざの名前も明記されていました。
以前は森田剛レイプとかの記事も沢山あったのに、如今日子の売名だったで片付けられているのが怖いです。
ご期待に添えない結果になってしまった読者さんにはごめんなさいです。
ジャニーズ関連の写真はやはり出せないし、そもそも写真への警戒心が強いため使えるものはありませんでした。
その代わりのネタになればなんですが、この記事初期に出てきた#ハワイに別荘を持っている芸能人。
ジャニーズと仲が良くて、加圧ジムやスパを経営していて、いまいい人キャンペーン中の男性芸能人。
永遠に16歳の奥様を持たれている方いますよね。ヒロミさんですよ。
彼の経営する加圧ジムビル地下飲食店の個室で芸能人がよくお食事会という名の合コンをしています。
オリスパの近くにもそういった隠れ家があるので、ブログやツイッター報告でオリーブスパ等している人に裏があるかもしれませんよ!
ショボネタですみません。カモフラージュには最適ですよね。SMAPの解散打ち上げも芸能人のお店ですしね!
今夜は画像も下手くそながらうpできたのでこの辺で失礼いたします。
おやすみなさい。
ぷよぷよのプレイヤー、通称【ぷよらー】は今、ネットプレイヤーがゲーセンプレイヤーに進出するなどリアルを求めた活動を行うようになりました
それは、ぷよぷよ2ちゃんねるのような対戦相手が【匿名の存在】という概念から外れるとともに、SNSの利用によってこのゲーム以外の交流・中には結婚される方もいる等【現実世界の知り合い・友人】への変化も見られるのです
貴方にとっては単なるネットプレイヤーの一としか思っていないぷよらーであっても、貴方の周囲のぷよらーにとっては【現実の知人ぷよらー】かもしれません
このように、ACグループとSNSグループの垣根が曖昧になってきている事を前知識として説明しましたが、ここまで説明したにも関わらず、周囲に攻撃性を撒き散らす危険な性格のぷよらーがTwitterには潜んでいます
矛先が向けられたり、炎上の飛び火を浴びないためにも2つの例を紹介します
Twitterは140文字の制限があり、140文字間近まで文章を詰め込む事には賛否両論があるかと思います
しかし、ただひたすらに
「あの戦略は成長しない」
ビジネス心理学によれば、こういう体系の方々は、ドリームキラーに分類される方です
これらの方々は貴方の上達等気にはしていませんし、批判により自身が上位の立場であろうとするプレイヤーです
この手の人は、このゲームの強さを頭の良さと相関関係があると主張する癖があるので発見しやすいです
批判オンリー、名指しで他者へのネガティヴな発言を繰り返すプレイヤーをフォローしますとやる気の低下にも繋がりますし、楽しむためのゲームで余計な心労を抱えかねません
このような方には、貴方のツイートを読ませない方が賢明ですのでこっそりブロックをお勧めします
冒頭に説明しましたが、ネットぷよらーは匿名の存在ではなく、他のプレイヤーを経由すれば何処の誰かまで判明しかねない現実の相手なのです
それを踏まえた上で、真剣な場で「〇す」などと発言できてしまうプレイヤーがいるのです
アカウント削除される程のペナルティを受けても、まだ自身の凶暴性に気付いていない人がいます
このような暴力的な性格を制御できないプレイヤーは、ネットの相互フォロワーやACメンバー、他のAC団体、リアルの知り合いにも容易にその牙を向けるでしょう
何故なら普通のプレイヤーは、冗談でも真剣な話し合いの途中で【脅迫】など考えもしないからです
1はやる気に関わる話、2は説明不要かと思いますが命に関わる話です
もしもこういう方がACに参加しているなら、表面上だけの交流に留めTwitterでもフォローバックせず放置で良いです
この文章を読んで顔真っ赤にしている方がいたら、読んでる貴方にはその覚えがあるのでしょうね
批判し続けた相手や「○す」をリプライした相手ぷよらー達が、近い内地元の大会に遠征してくる事になった時、何が起こるのか、どこまで一般人を巻き込むのか気になってたまりません
ちょっと面接で疲れたので愚痴がてら書いてく。
面接してる数はそんなに多くないけど
「え、そんなこと言っちゃう、書いちゃうの?」みたいなのが場面にちょいちょい出くわす。
経歴書は結構華々しく、○人月のプロジェクトを無事障害なくリリースした、という記載があったので
「どういった動き方をしたんですか?」と深掘りします。
するとどうも歯切れの悪い回答が多い。
で、訊いていくと本人の活躍によるものではなく他の人の動きによって成功していたパターンだったり
その○人月のプロジェクトのごく一部だけを担当していたりする。
確かに間違ってはいないのですが、大きく見せて面接で突っ込まれてしどろもどろになるのはいかがなものかと。
よく見る度:★☆☆☆☆(1名だけ)
残念度:★★★★★(期待値が上がってたぶん、落差が…)
これについては賛否両論あるかも。自分の人生だから自分のスキルを磨き続けたいという気持ちはわかります。
でも転職理由で「前職より御社のほうが成長できると思い」とか「御社に入ってもスキルアップをして…」と言われると、あなたを育てるために採るわけではないですよ、と言いたくなります。
20代とかなら成長枠としてはありかもしれないですけど、30後半くらいでこれを言われるとちょっと残念な気持ちになります。
たぶん言い方の問題で「こういった技術を身につけて社会貢献をしていきます」と、あくまでもスキルアップは手段なんですよ、みたいなオブラートに包んだ形にしてくれればいいのですが…
よく見る度:★★☆☆☆
残念度:★☆☆☆☆(40半ばの人が「あと5年はスキルアップに専念したい」って言ったときはさすがに脱力した。ライザップじゃないけど結果にコミットしてほしい…)
前職の社員数が2桁規模の人にありがち。
これを一番最初に言われると安定を求めてるのかな?という気持ちになってしまいます。このご時世、大きい会社でも安定してるとは限らないんだから
大きい会社で何をしたいのかってことを言ってオブラートに包んでほしいです。
無理がある(それ大きい会社じゃなくてもよくね?みたいな)場合もありますけど。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★☆☆
素晴らしいことです。休みの日は1日寝ていたい私と大違いです。
でも自己学習してると言えるレベルが面接官側と大きくズレてることにより学習の内容が薄いと見なされる可能性があります。
「意欲はあるけど行動が伴っていない」と判断される諸刃の剣、期待値が上がったぶんマイナスに働きます。
もちろんこれも年齢や成長枠採用の場合なんかではアリですが…
相手がその自己学習をしている技術のプロの場合でも見せられるレベルかどうかは一考したほうが良いかと。
これは前職が受託開発系かつ転職経験がない人にありがちです。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★★☆(ドキュメントを見てフレームワークをインストールしただけの人、それはアピールしないほうが良い)
このパターンが一番多いです。年齢、前職問わず。
これを言う人に「最新技術というと例えばどういうのですか?」と当然聞きたくなります。
これについて答えられない人もいます。バズワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
「クラウドとかIoTとかAIとか」と答えられる人もいます。(最新技術と言われてクラウドを挙げられると「おや?」という疑念がわきますけど)
「それらの中で特に興味があるのは?何か最近試したりしてますか?それを使ってどんなことをしてみたいですか?」とさらに質問をすると、だいたい中身がありません。
バスワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
自己PR欄に「最新技術に興味がある」的なことを書くんだったらなんかしら試してたり実現したい世界みたいなのを期待するわけじゃないですか。そうじゃないなら書かないほうが良いですよ。
よく見る度:★★★★★(落とした人の半数くらいこれ)
残念度:★★★★★(Web界隈ってたぶんテクノロジーの進化だとかアーキテクチャの変遷のスピードが早いと思うんです。他業種にいたことないので知らんけど。そんな界隈に来ようとして「最新技術」とか言うならちゃんとキャッチアップしてほしい)
職務経歴書に書くということは、面接で深掘りされること、そして期待されていることなので安易な気持ちで書かないでほしいなぁというのが採用側の意見です。
あと慰めってわけでもないけど、採用されなかったからと言って卑屈になったりしないでくださいね。採用する側になって初めて気付いたんですけど、転職って本当に巡り合わせだなぁと思っていて、採用したいポジションに収まるかどうかなんですよね。結構いいなぁと思う人がいても、オーバースペックだったり、今いる人のポジションとかぶってたり、数ヶ月前だったら空いてたのに!みたいなのがちらほらあるので。転職活動頑張ってください。
てっきり大震災のおかげで原発神話に終止符が打たれるかと思ったら「稼働させないと電力が!」
どんな先進国でももはや原子力発電所は「発電施設として妥当ではないし検討する価値も無い」って段階になってるのに(中国と韓国除く)
まだ原発利権の言うことを信じて稼働を支持する国民に目まいがする
未だに福島原発の処理も済んでないしメルトダウンしたのもそのまんまなのに
そもそもコストにしたって廃炉と燃料廃棄でトントンどころか石油燃やすより大赤字なの知らないってどうなの
除せんコストでこれはもうコスパがいいなんて口が裂けても言えなくなったわけで
というか安全に捨てる場所すらないっていう話にもならない状況なのにまだ廃棄出すのって
事故った時点で廃炉一択で代替するエネルギーを早急に開発して設置していかないといけない段階
原発以上にミスったらダメなことってあるのかっていうことをミスってるようなレベルにまで安全管理が低下した国に
これから先何十年の安全管理が万全を期して行うという想定をするほうが甘すぎる
そもそも原発に関する事故は福島だけじゃない、過去にも「甘すぎる」ミスがあった結果がこれ
東京のど真ん中に原発作れば関東平野に住む人間も実感として理解できるんだろうか
こないだ年末年始に実家に帰った時、親が映画館に連れてってあげると言ったので暇なのでついて行ってスターウォーズの新しいのを見た。
最近映画を観るといえばAmazonプライムビデオとかを家でタブレットを寝転がりながらスマホ触りながら全然集中せずに見ることしかしてなかった。
スターウォーズは上映時間が3時間近くと聞いて長すぎるでしょって思っていたんだけれど面白かった。今回のスターウォーズは賛否両論と言われていて、私はどちらかというとストーリーに対しては否定的。でも戦闘シーンとか巨大動物が街を駆け抜けるシーンとかがすごく興奮した。
映画を見ながら、「これくらい興奮する映画って実はたくさんあって今まで見逃してきたのでは…?」と思って後悔した。映画は公開時期が決まっていて、それを逃すともう映画館の大きなスクリーンで観る機会というのはほぼない。
十年近く前の今更感のある話だが思い出したことがあって。
テニミュ1st全国立海の2nd、幸村vs越前戦のナンバー、天衣無縫の極み、について。
私はリアルタイムで追っていたオタクではないから、てんてーあたりからなぜその演出なのか語られていたとしたら申し訳ない。
天衣無縫の極みでは、幸村以外のコートにいる全員が歌うパートがある。
私はここで、敵ながらあっぱれ説を推したい。あそこでの越前リョーマの天衣無縫はそれこそ会場のみんなを圧倒するものだったのだと思う。幸村が冷静になれ精市というところがあるが、幸村はあの場所でその越前の天衣無縫を何が何でも否定しなければいけない人間だったのだと思っている。勝つために。天衣無縫にのまれては勝てないから、必死に、常勝にこだわったんだと思っている。だからあそこで幸村だけが歌わない演出は正解だと思っている。
天衣無縫の極みめっちゃ好きなので、今年のドリライは15周年だし、また10周年のときみたいにキャスト呼んでやってほしい。
と言っても、りゅーきは引退しちゃったし、まっすーも舞台はほとんど出ないから難しいかな。
テニミュはどこまで続いていくんだろう…
意外に伸びててびっくりしてるんだけど、ブコメ見てると賛否両論って感じかな
つまり一応知り合いという程度の人との繋がりを維持するのに年賀状は有用って考え方
それに対して年賀状に否定的な人達の考え方を大きく分けると2つに分けられると思う
①今の時代に年賀状の様に紙、つまり物理媒体を使った通信で年始のあいさつをする必要なんてないという考え方
②年賀状を出さない事で失われる程度の繋がりなど人生に不要という考え方
考え方は人それぞれだから反論という訳じゃないけど①、②共に思うところはある
まず①の方
俺も将来的には葉書や封書での年賀状はなくなっていくと思ってる
ただ、メールやLINE、各種SNSなどが年賀状の代替を果たせるか? というとちょっと疑問がある
手間がかからなすぎるかなって気がする
お歳暮なんかもそうなんだけど、あなたのためにこの程度は手間をかけましたってのが結構大事だと思うんよ
あくまで俺の経験則に過ぎないんだけど年一回の年賀状と同じ程度の人間関係をメールで維持しようとすると、3ヶ月に1回くらいはメールのやり取りが必要になると思う
SNSだったらもっと短期スパンでの定期的なやり取りが必要なんじゃないかな
メールにしてもSNSにしても、メッセージのやり取りをするツールとしては年賀状をやり取りする相手より親密度が高い人向けって感じがする
もちろん将来メールを送ることが今、年賀状を送るのと同じくらい手間をかけてると感じる価値観が主流になる時がくるのかもしれない
でも今はまだそうじゃないと思う
個人的には今後、年賀状を代替していくサービスは電子年賀状的なものになるんじゃないかと思ってる
スマホやタブレットで年賀状をパラパラめくるように見れて、返事を書くのもそのままスマホやタブレットでできる
あいうえお順などでソートもできて、職場の同僚や同級生などのタグをつけての管理もできる
一枚一枚手書きでも書けるしテンプレートやイラストを引っ張ってきてお手軽にもできる
手作りのスタンプを取り込んだり、写真を貼り付けたり、おみくじシールやキャラクターのイラストを貼り付けることもできる
作るのにそれなりに手間がかかって、なおかつ更に手間をかけようと思えばいくらでもかけられるサービス
多分、すでに似たようなサービスはあるんだろうけど年賀状を代替するほど普及してるとは言えないと思う
お年寄りでも簡単に使えるか? っていうとそうでもないところあると思うしね
それに普及したらしたでスパムメールみたいな悪質な広告やウイルスの感染源にされたりといった事への対策も必要になってくるだろう
ただし、ただめんどくさいとかいう理由で年賀状一枚で維持できる人間関係を捨てちゃうのはもったいないかなって思う
言ってしまえばコネとか人脈って呼ばれてるものってそういう緩い繋がりのことだと思うんだよ
人生の中でそういう緩い繋がりに救われる事ってたまーにある
そういう時の為に手間を投資してると考えればそこまで大損してるって訳でもないと思うよ
ウーマンラッシュアワーの漫才が賛否両論で話題になって大変結構なことだ。
政治ネタ、際どいネタがたくさん入って刺激的だったのは良いが、一方で面白くは無かった、という声も多く聞かれる。
なぜ面白くなかったのか、いくつか理由はあるが、おもに漫才の構成の観点から指摘したい。
序盤は良かった。軽い吉本批判、芸人批判からの自虐。緊張と緩和、高慢さと滑稽さの落差が大きく笑いの量も多かった。
続いての原発ネタも同様に社会批判的でありつつ、福井で夜間に電気がついておらず電気が必要ないという発電量とのコントラスト。背景に発電地と消費地がなぜ違うのかという社会問題はありつつ、それが気にならないほどの落とし方。ここが一番笑いの量が多かった。
その後は、そこに住みたい人はその地に対する愛情を示せ、そうでなければ住ませない、というやり取りのミニコントが繰り返される。ここからがややこしい。
始めは福井。新幹線かがやきが福井に来る30年後には福井の高齢者は星になって輝いている、というかなりブラックなオチ。ブラックであることもだが、これを言うことが福井愛を示していることになっているのかわかりにくい。「輝いている」と言うことを肯定的に捉え、褒めている、と言うことなのだろう。まずここで少しつまづく。が、それほどは気にならない。話芸の達者さと勢いで笑える。
次に、東京。都民ファーストが自分ファーストになっている、と言う都知事批判がオチ。これも東京愛になっているのか非常にわかりにくい。都知事は東京のためになっていない、それを指摘することが東京愛になっている、と解釈するのか。かなり好意的な解釈をすればそうなる。この辺りからほとんど勢いだけで進む。
沖縄、熊本に関しては、最も社会派発言として評価されている部分かもしれない。ここは構造的に地方への配慮を訴えることが地域愛に繋がり先述の戸惑いはほとんどない。その代わり、正論になってしまい笑いの量もあまり多くない。とはいえ、ここは次の展開へのネタ振りパートとも言えるので勢いで押し切れば十分と考えて良いだろう。
突然のアメリカ。これ自体は話の飛躍があり面白い。しかし、日本はアメリカにとって都合の良い国、と表明することがオチだが、これもアメリカ愛なのか疑問。
次に北朝鮮。ここも地域のチョイスは面白い。しかし、キム総書記の「単なる太った動物」という悪口は自分のことだろう、というオチは、それこそただの悪口で北朝鮮愛になっていない。体制に反対している北朝鮮国民目線、ということかもしれないが、説明なしでその設定はかなり無理がある。
最後は日本。この展開は綺麗で良い。ここもこれまで同様だが、ニュースの内容が悪いのは国民の意識が低いから、というオチ。もはや愛でもなんでもない。
後半は当初のコントの構造がほとんど崩壊しており、メインは二人で社会批判を勢いよく言い切る、ということだけが目的化されている。そこを面白さと捉えるなら面白いが、それにしては社会問題の切り取り方に偏りもあり、真面目すぎるようにも見える。この場合、意見に対する賛否や見る側の個々の問題に対する距離感で面白いかどうかはかなり変わる。
そして一番最後に村本が、「お前たちのことだ」と観客に指をさしながら批判して去っていく。ここでそこそこ大きな笑いが起きる。
これが笑いになるということは、つまりこれまでの社会批判は芯を食っていない、ということを示している。早口でまくし立てていること自体がやりすぎであり、ある種の道化となっているわけだ。視聴者には、このような少しぶっ飛んだ人に少々批判されても笑えるという余裕が生まれている。一段低いところからわあわあ言っている人。そのようなポジションを村本は意識的に作り出している。だからこそ、社会批判が全体として笑いに変わっているわけだ。
これは逆に言えば、社会批判が軽くなってしまう、ということでもある。
上述のように、笑いの構成として整合性にやや無理がある。それはおそらく、強引に社会批判をねじ込んでいるからだろう。その強引さ自体が笑いでもある。
つまり、社会批判の強さ、正しさと笑いの量は相反するものとなっている。
そうなると、一部で熱狂されているような、よくぞ言ってくれた、という賞賛は笑いの量の少なさ、つまり面白くない、ということの象徴とも言える。
とは言え、これも含めて計算通りなのだろう。笑いの量を減らしても話題性、あるいは自分の言いたいことを言う、と言うネタなのだ。その意味では、大いに成功していると言える。一方で笑いが多少犠牲になってしまったことも否めない。
今後、同じようなスタイルは難しいだろう。今回は話題性としては非常に良かったが、この先同じようなことを繰り返せば、笑いの量が減っていくか、道化として批判のインパクトが失われるか、どちらかに収斂して行かざるをえない。同じ社会批判の道化には爆笑問題太田がいる。彼はかなり道化よりだ。
まあ、もともと村本も同じことを繰り返す気もないだろうから要らぬ心配なのだが、一部の賞賛者が期待するような、お笑いに変革が起きて社会風刺が増える、というような形には良くも悪くもならないと思われる。
ネタバレなし
「過去築いてきたスターウォーズ世界を冒涜した!」っていう否定意見と、
「新しいスターウォーズが始まってワクワクした!」っていう肯定意見が、
でも、
俺はどっちかというと否定派なんだけど、スターウォーズ的伝統だったりお約束をぶっ壊すのは全然アリなんだよ。大賛成なの。
単純に、たとえば、意味ありげな演出がストーリーをただミステリアスな雰囲気にするためだけ以上の意味がなかったり、なんでもかんでも台詞で説明する演出だったり、映画としてのクオリティがかなり低いんじゃないのって、そういう点で否定なのよ。
燃える志、テーマ、美しいシーン、格好いいシーン、良い要素いっぱいあるのに、なんで、なんであんな脚本にしちゃったのって、そんな気持ちなのよ。
レイの素性があれだと許せないとか、
個人的には、そんなこと言ってるやつは黙ってろって感じなんだけど、