強いて言うならグラフィックデザイナーだ。
世間一般にはデザイナーもアーティストも似たようなもんだと思われているかもしれない(私自身もまあ近い存在だとは思っている)が、私は自分の立場としてアーティストは名乗らない。
私は仕事で様々なものを作る傍ら、時々SNSに自主制作として作品を投稿したりしている。
この作品というのも普段の案件でデザインするものと同等の物を目指して作っている。つまりは、その作品が仕事の成果物としても通用するレベルの物だということだ。
あくまで自主制作なのでクライアントは自分(笑)だが私はネット上の不特定多数をクライアントとして見ることにしている。
ではそれらの人々が満足してくれるには何が必要だろうか。
私は、「理解し納得できること」だと思っている。
例えば「牛乳」をテーマにあるロゴマークを作ったとする。そのロゴには商品名に加え牛乳を感じさせる要素(牛、牧場、牛乳瓶、みずみずしさなど)を含めたい。
それらをすべて網羅してまぜこぜにして図案化すれば確かにいろんな要素を含んでいてリッチそうではある。この段階においては入れたい要素を盛り込んだただのアートである。
まず何を一番伝えたいのか。商品名か、おいしさか、それとも牛か?それを決定する。次に付随する要素を厳選し、先の要素を打ち消さないように追加する。
といった感じで取捨選択しながら図案に落とし込んでいく作業が必要だ。
これが難しい。要素を入れすぎれば複雑怪奇になるし、逆に減らしすぎれば伝えたい事が伝わらない。なおかつそれを一つの図案に集約し、見た目が破綻しないように形を整える必要がある。ただ形を整えるだけではダメで、インパクトを与えるためにある種特徴的な意匠が必要だし、何より不特定多数が見て説明を受けたときに理解できるものでなければならない。
こういった「人に理解してもらえる意匠を設計する」プロセスがデザインである(と私は考えている)。
まあ簡単に言えばデザインは制約付きのアートといったところだろうか。
ここまで作業の流れをざっと説明してきたが、私のデザイン自主制作はまだ終わりではない。
作品をネット上に投稿し反響を見る。(←これ大事、テストに出る)
おもにTwitter, Tumblr, Behanceなどに載せるが、いいねやRTやその他のアクティビティを数字として見る事ができる。時には見た人から感想(賛否両論)をもらえることもある。「数字なんて関係ない」と反論されるかもしれないが、数字は正直である。そもそも最終目的に「見た人の満足」を挙げているので私にとってここまで含めてデザインである。
私のやたら細かいデザイン観についてご理解いただけたところで先日起こったある事件のお話をしよう。
先日Twitterにてこんなメッセージをもらった。送り主をA氏とでも呼んでおこう。(ちなみにFF外から失礼された)
「あなたの作品をよく拝見しております。いろんな作品を作っていらっしゃいますが、結構〇〇(とある技法、素材やジャンルではない)を使ったものを投稿しておられますよね。△△△(私の作品名)や▲▲▲(私の作品名)は良かったのですが、最近のXX(私の作品名)はちょっと〇〇としては面白くないというか正直〇〇の作品には相応しくないのでこういった使い方は遠慮してほしい」といった次第である。
はぁ〜そうきたか
少し想定外であった。私は〇〇をデザインの一部(前述した特徴的な意匠の一つ)として利用していただけなのであるが、どうやらA氏は〇〇のそういった使い方が気に入らないようであった。A氏とは面識も交流もなかったので、いろいろ調べてみたのだが、どうやら〇〇界隈では有名というか第一人者で積極的に〇〇の研究や界隈のつながりに寄与されているらしい。
〇〇界隈について調べてみた。〇〇を使った作品を制作している方々が多数いたが皆一様にこの作品は〇〇です、と言っているのである。
〇〇と明記することで界隈のつながりは広がるかもしれないが、ただの技法に固執するのにはすこし疑問をいだいた。
(念のために書いておくが、〇〇は技法であって、素材やジャンルではない)
絵に置き換えてみればわかるが、要は遠近法使ったよ。遠近法すごいでしょ。俺らの遠近法を見てくれ。と言っているようなものである。ちょっと違和感を感じた。
試しに〇〇界隈の作品を眺めるとどうも洗練度がたりない。なぜだろうか。デザイナー目線になってしまうのだが手法に固執するあまり他の要素がなおざりになっているようである。
これは面白くない。〇〇は表現上の単なるテクニックに過ぎない。界隈の人には悪いが、手段を目的化してはいないだろうか。
大事なのは何を作るかである。アートだろうとデザインだろうと、どこに出しても通用する作品としてきちんと完結していることが大切だし、未熟だとしても目指すべきところである。別に最初のうちは技法にこだわっても良いかもしれない、そうしているに作品自体の質が大事だと気付けることだってある。しかしどうも〇〇界隈を注視して見た限りではそういう発展が見られない。むしろ私にメッセを送ってくるあたりからしてだんだん閉鎖的になっているのではないかと心配になってきた。
私は別に〇〇が嫌いなわけではない。むしろ好きだ。だから積極的にデザインの中に取り込んだり応用して独自の表現方法を考えたりしている。
そしてそういった技法を適材適所に使ってもっと広めていきたいと思っている。そのためには前述したような「誰もが理解し納得できる」形のものをデザインする必要がある。
美を追求する点においてアーティストもデザイナーも違いはない。だがデザイナーには確実に人に理解させ納得してもらえるものを作るという使命がある。