はてなキーワード: 誰にも言えないとは
私は今年35歳になる。
人生でただの一度も他人に「母親が統一教会信者である」と言ったことない、言えるわけがない。
今回の安倍元首相の事件の話でフラッシュバックしてしんどいのでせめてここで吐き出そうと思った。
母親は多分、結婚後の私が生まれるかその後か、1990年前後に入信している。
きっかけは知らない。
ただ、限界集落のようなド田舎出身で、結婚して街に出て友人もいなかった母にとって、統一教会の存在は心の拠り所だったんだろうなという想像はできる。
物心ついた頃には教会と呼ばれる施設へ連れて行かれ、ビデオを見せられたり、お祈り場に参加させられたりした。
そのせいでお経?のようなものを覚えてしまい、うっかり父の前で唱えて怒られたことを覚えている。
ちなみに教会ではよくメッコールを飲まされていた。同じ経験をした人はあれをそんなにマズく感じていないと思う。
ある程度自我が強くなってからはそういった場所には行かなくなったが、母は教会へ足繁く通い、献金や水行や断食をしていた。
高麗人参のエキスを買わされていたり、姓名判断ができたり(多分印鑑を売るための手段の一つ)、ハングルを覚えたりしていた。
そういったことがバレるたびに父とはよく揉めていて、深夜にDVや家具の破損はよくあった。
朝起きて、物が壊れたり部屋中に暴言が書き殴られていたり、顔を腫らした母をみる日が定期的にあった。
いつだったか、母が私を含めた兄弟を祖母の家に預けどこかへ行こうとしたことがあった。すぐに父に見つかって、また大変なことになっていた。
献金がとにかく大変だったようで、借金をしたり、定期契約の集金のパートをしてそのお金を回したりしてやりくりしていた。
父はもちろん母にお金を渡さず、切り詰めた生活を強いられていた。ご飯が足りないということはなかったけれど、贅沢や外食は一切なかった。宿泊するような旅行も帰省以外ほぼなかった。
高校生になるまで両親の喧嘩は絶えず、母の信仰も続き、早々に家を出られるよう努力した。
無事国家資格を得て、21歳で就職と一人暮らしを始めることができたが、家を出る直前まで両親の喧嘩は続いていた。
家に残っていた兄弟たちからそれ以降どうだったのかは聞いていない。
私がお金を得るようになってからは、貸してほしいと言われることが何度もあった。
献金のためとわかっていたので貸さなかった。父か自分の親に頼めと言い続けている。
先祖の行いが現代の我々に降り掛かってくるから祈らなきゃいけないだとか。(祈りには献金が必要らしい、なにそれ。)
サタンがどうだとか、酒はサタンのおしっこで、タバコはサタンのおならだとか。あほか。
家庭連合ということもあり、結婚しろとよく言う。天国は二人で行く国だから、独り身でいることは未熟な人間でいることだと言う。
両親の喧嘩を見て育ってきた私が結婚にいいイメージがあるわけないだろうに、無責任に言ってくる母が嫌だった。
今両親だけで住んでいるが、今回の事件で実家がどうなっているのか怖い。
そういえば選挙のたびに母が自民党に投票してと言っていたことを思い出した。
今回の事件で、ああそういうことかと納得できた。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
(結論からして、具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。
ただ、他の人の経験を聞ける、自分も経験を話せると言う点では自助グループは有意義だとも思う。個人的な感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。
なので、病院やカウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。
友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。
そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
~~~~~~~~~~
その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。
それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師やカウンセラーと相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
①全体的に否定される
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
②繋がりを否定される
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったから否定されたのかもしれない。)
③傾聴が機能していない
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
~~~~~~~~~~
それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。
あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師やカウンセラーと相談して探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。
ブコメの皆さん。
へそ周りの毛はそっていきます。
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ふふふ、、、
3桁ブクマ行くのは知ってたよ。
だって朝確認した時には3ブクマされてたし、はてなーはこういう話好きだもんね。
でも200ブクマ超えはやりすぎですよ。
びびっちゃうでしょ。
今は、今日の出来事や早く明日にならないかなーみたいなラインを送りあっています。
すいません。
楽しいです。
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本文ここから
当時読んでくれた人まだここにいるだろうか?
あれから約3年の月日が流れました。
元増田も41歳になりました。
プライベートで会うのは初めてです。
でもこんなこと、リアルで誰にも言えないからここに書きました。
大丈夫かな。。。
心配です。
あ、ちなみに相手のデリヘル嬢は当時からシングルマザーなので、デートといっても未就学児の子供もついてきます。
子供も一緒にお泊りです。
心配です。
でも楽しんできます!
【質問】
おそらくプールに入ることになるんです。
この出っ張ったお腹は明日までには間に合わないとして、へそ周りと乳首周りの無駄毛は処理していったほうがいいかな?
【追記】
三年前も見てくれた人、覚えてくれてた人、ハジメマシテの人、ありがとう。
ちなみにハッピーエンドになるか、残念エンドになるかはまだ全然わかんないからね。
■お泊りについて
プライベートで実際に会うのは今回が初めてなんだけど、それがいきなりお泊りな理由について。
会うことになったのは先週くらいのことで、思い付きと勢いだったんだけど誘ったらOKもらえました。
当初は普通に動物園やら遊園地やらを計画してました(小さな子供がいるからね)
そこで急遽、室内遊技場とか映画(クレヨンしんちゃん)とか提案しましたが、提案しつつ自分でも「これは微妙だ。。。」と思ってました。
そこで思い切って、アミューズメント性の高い遊べるホテル(プールとかあるとこです。ラブホじゃないよ。)に泊まらない?と聞いてみました。
日曜日の夜に泊まるので、翌日は平日。
あまり期待しないでいたのですが、デ嬢も予定をつけてくれて、なんとOKもらえました。
おかげでお泊まり誘えてたよ。
夜ご飯食べて一晩ゆっくりして、朝ごはんまで一緒に過ごせます。
そして、ついでに僕の急な有給申請にもこたえてくれた会社もサンキューです!
■今までについて
当時、デ嬢から教えてもらったLINEは、「まぁ、どうせお店のやろう。」と思ってたら、アイコンが子供の写真だったりして妙にリアル感があって。結果的にはデ嬢個人の本物のLINEアカウントでした。
その後はそれまでと変わらず、お店で予約してデリで会うってことを続けてました。
変わったのは、お店を予約する前と終わったあとに個人LINEでやりとりするくらいで。
でも、デリの頻度的には平均して月1くらいだったと思う。
ただ、「ブコメで3年間、月1を続けたのすごい」みたいなコメもらってて申し訳ないのですが、
どうやって感染するかもわからないウィルスでしたから、デ嬢もデリヘルへの出勤を控えていましたし、僕もそういう遊びは自粛していました。
デリをはじめ、風俗嬢は身バレを防ぐために地元ではないところで働いている子がおおいです。
そのデ嬢もお隣の県(といっても車で1時間くらいのところ)から越境して出勤してました。
最近まで県をまたぐ往来は例え近くでも許されない雰囲気でしたので、それもあり会えなくなりました。
2019年の日記のコメントでも書いていましたが、収入を上げてデ嬢のより良い養分になるためです。
出鼻をくじかれた感がありましたが、そこはたまたま在庫はあまり持たずスキルを売るような仕事でしたので、贅沢をしなければギリギリ赤字くらいのペースは保つことができました。
本当にコロナにくし!
(これ以下 6/4 22:35追記)
ただ、以前はデリ出勤日だけの個人LINEだったのが、会えない期間のおかげかわかりませんが、何となくたわいもないやり取りをするようにもなりました。
「大丈夫?」とか「気をつけなきゃね」とかから始まって、お互いの近況を送りあうようになりました。
奥手な僕には連絡の口実として(本当に心配もありましたが)助かったなぁという気もします。
でも、やはり初デートにこぎつけるまで3年以上もかかってしまったのはコロナのせいだとも思いますし。
今となっては何がいいのか悪いのかよくわかりません。
ちなみに、お慕いしているデ嬢さんですが、このコロナで出勤できなかったことや子供が大きくなったことにより、1年以上風俗の仕事はしてません。
コロナのおかげが実力かは分かりませんが、収入を上げるはずの起業でしたが仕事も上手くいかず。
これではデリで会うための、養分の養分たるマネーがありません。。。(コロナでどうせ会えないけど)
でもここは元来の楽天的な性格で「支えなきゃいけない家庭もないKKO。一人で生きていくぐらいならなんとでもなる。」という気持ちが自分の根底にあって、
「事業が上手くいかないならそれに固執することないじゃん。」という気持ちが芽生えてきました。
その結果、午前中は時給で働くパートタイマー。
午後から夜にかけては個人事業主という今の生活スタイルが出来上がりました。
そして不思議なもので、パートタイマーとして働き始めたら、事業の方も少しずつ収入が増えていきました。
正直つらいこともありますが、現状で手取りも10万以上アップしました。
おそらくこの地方では平均か少しうえくらいの稼ぎにはなってそうです。(起業初期に貯金なくなったけど)
もともとお金も使わないですし、KKOひとりには過ぎた金額なのでコロナがあければ立派に養分になれると思います。
(ただこれ、1日の総仕事時間14時間越えの連続です。毎週の休みはありません。個人事業主には労基は関係ないので、いくらでもブラックになれます。次のテーマはいかに働く時間を減らしていくかです。。。)
■これからについて
ただね。
人間とは欲深い生き物みたいです。
諦めていた結婚です。
今なら自分一人だけでなく、もう少しだけ支えられるんじゃないか。
そう思ってしまっているんです。
でもこればっかりは相手があってのこと。
今回、結婚を視野に入れたお付き合いに発展できるかどうか、それは今はわかりません。
そんなことを告げる度胸もないまま帰ってくるかもしれません。
この続きが報告できそうなら、またさせていただきます。
それではまたどこかで。
普通に足りない人間に生き辛過ぎるこの世の中、「泣きました、僕は~」のコピペじゃないけどLGBTで発達障害の黄色人種は普通に人権ないんだよな。綺麗事言ってるフェミニストは須らく私の生きやすいスペースを奪っていることに気付いてないし結局のところ女性じゃなくてお前が周りに居場所を作れなかっただけの不適合者だろ!ってなってしまう、まあそれは私も同じなんだけども。
私は現代社会に適応できない人間はxんだほうが良いと思ってるし、前述するような似非フェミニストもそれらを扱き下ろしながら社会に順応できない私も同様に淘汰されるべき遺伝子だと思ってるからいつでも道連れにしてやりたい気持ちでいっぱいになりながらギリギリ社会の水面で浮き沈みしてる。この思想をCOした瞬間に上記の妄想を実行に移してしまう確信があるから誰にも言えないけど、私の人生が詰んだ瞬間にいつでも一緒にxんであげるからね。
殴る蹴る、胸ぐらをつかまれる、風呂に顔沈める、食器を投げられる、理不尽な怒号、否定しかしない、死ねと罵られる…さまざまな暴力を受けてきた。今では何もかも忘れてニコニコ接してきて、いっちょ前に子育てしましたみたいな顔して生きている父。
一生絶対に許さないと思う反面、育ててくれたことに関して感謝してる。しかしいなくなったら清々してしまうと思う。家族にも誰にも言えないが、ずっとその感情が心から消えない。この憎しみの記憶がなくなればいいのに。
「結婚しないと」と言われても、女は虐げられ尽くすものだと思うばかりで幸せな家庭が想像できない。それに、自分があの血を継いでいると思うと人を不幸にする気しかしない。いい大人になった今でも呪われてるみたいだ。
父、母、元気に長生きしてね。でもいなくなったら喜ぶかもしれない。ごめんね。
コロナになって非正規の仕事しながら就活をしている。かれこれ90社くらい落ちている。もう疲れた。吐き出させてほしい。
40代の女だ。
これまではほぼ正社員だったが、リストラや家族の引越しなんかの理由も含め、転職回数は多いほう。今は「辛うじて収入ゼロではない」状態であり、薄給と貯金を食いつぶしてどうにか生きている。当然リミットはある。最近持病で入院したりもして、空白期間まである始末だ。今後の医療費も稼がないとならない。
ハロワも行って担当さんについて貰って定期相談している。応募書類も見直して貰った。転職サイトも複数登録した。そこからの求人メルマガにも目を通している。隙あらば普通に検索して求人を探している。友人知人にも仕事探していると伝えている。
エージェントと派遣会社は登録したけど無理そうなので放置。年齢が高い、経歴が多いと歯牙にも掛けられないからだ。
公的な氷河期支援は正社員経験者だと受けられなかったりする。氷河期対象の公務員試験は受けたが、自分のような無能が上位極少数の上澄みになど残れるはずがなかった。
今のスキルだけではどうにもならないので、別分野の勉強もしている。ただし習得には年単位がかかる。学んだところで高齢の業界未経験者が出来上がるだけかもしれない。面接では「向上心があるのは結構なことですが…」などと皮肉を言われたりする。よく言われる「意欲があれば年齢なんて」など、ただの美談に過ぎない。現実はこんなものだ。キャリアの一貫性とやらから見ると邪道なのだろう。が、スキルひとつでは現に食い詰めているのだ。
やれる仕事はなくはないが、生活出来る給与水準の仕事につけない。食べていけなければ現状と同じなので、こなせるだけではダメなのだ。歓迎されるのは、今までのスキルを安い労働力として使いたい企業だけ。「この分野には投資してないんで」とか「複数職種の正社員募集ですがあなたの応募したこの職種だけはまず非正規です。正社員登用制度はありますよ(ただし条件無理ゲー)」とかさ。未経験は応募しても全く通らない。年齢だろうな。
あと何をすれば世間に認めて貰えるのだろう。何をしなかったら良いのだろう。わからないから自分はダメなのだろう。
生きてるだけで年齢と職歴という罪状が積み上がっていく。自分は悪いことをしたんだろうか。どうして他の人は生きられるのだろうか。その差は何だったのか。考えても答えはない。疲れた。
更に生きているだけで損失も膨らむ。新卒時に入った生命保険の死亡保険金、この先自分が生きても同額稼げる気がしない。「死んだ方がマシとはこのことか」と絶望している。いっそ病で死んでいればこの苦しみも家族への迷惑もなかったのではないか。なぜ治療してしまったのだろうと後悔することがある。
ほんと消えてなくなってしまいたくなるが、そんな勇気もないから生きている。
メンタルは病んでいるのかもしれない。「しばらく休んだら」だと? 現状が改善されない限り治らない。もう休息や空白は作れない。これ以上不利になりたくない。金もない。
もう友人知人に愚痴も言えない。ずっと同じこと言い尽くしているから。「悩み過ぎじゃねえの」とかウザがられている。知ったこっちゃないよな、そうだよな。
けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。
来月辺りに広瀬すずと松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。
著者の凪良ゆう先生はBL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。
主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女は放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛けて読書をして時間を潰すようになる。
公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。
更紗が伯母の家での暮らしに限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。
ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまうストックホルム症候群にしか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語。
なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。
ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実は真実とは違うということがわかりました。わたしも無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳の時間の小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。
まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児の可愛い言動や性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児と誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為そのものは生々しく描写されはしないので、虐待描写のオカズ化は防がれている。そういう意味では安心。
未成年者略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。
現実にも起こりうる、子供が被害に遭う犯罪とその冤罪。当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者・加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏な日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語のネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。
個人的な好き嫌いのことをいえば、センシティブなネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年者略取の罪を犯したと思ったら実はそいつは小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。
『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまり好きじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せに暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実と真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。
だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。
事実と真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。
たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身の母親や、同僚の子持ち女性の自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分の恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽に辛酸をなめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い、精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分の人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから、最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしまう余地が読者には与えられている。
一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解も共感も彼女は拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランス。DV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。
また、他人の無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。
後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意やちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写が妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。
にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説が安易な共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分の意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。
さて、以下は凪良ゆう先生のBL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。
主人公の平良は吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト最底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメのターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。
そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境をものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。
凪良ゆう先生のBL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズである。イジメの被害者と加害者のカップリング。主人公の平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手の人間性や共通の体験についての見方ががらりと変わる。事実と真実は違うとはまさにこのこと。
幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親が鉢合わせたことにより、にいちゃんは逮捕されてしまう。
数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃんの行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈な性的虐待を加えるのだった。
ほんものの小児性愛者でしかも性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群な高校生のカップリング。虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写がゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である。
腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父と性的な関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。
そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語。最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。
はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児の物語だが、やはりこれも事実と真実は違う系。ところが真実は事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。
第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章は家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。
私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。
映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまり好きじゃないな。
酷暑の真夏、若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手に糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女の祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。
小説にしか描けない現実があるとして、実際に起こった事件をモチーフに書かれたフィクション小説である。
児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプの社会的弱者の物語。著者の山田詠美先生は自由な女性の恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品。
サークルで秘密の関係だから誰にも言えないので、ここに書かせてほしい。
私と彼氏の出会いは大学のサークルだった。同期だが接点は特になかったので仲良くはなかったが、なぜかゲームを一緒にやることになりそこから仲良くなった。
元々相談を聞く人間だったので相談するという選択肢がなかった私だが、なぜかその人には相談できた。今考えると好きでもないやつから病んで電話来るとか普通にきもすぎる、相手には感謝しかない。
サークルで活躍する彼を見て私は気づいたら好きになっていた。自分の中で恋愛感情というものがよくわかっていなかったので、それが好きという感情だと名付けるのにはずいぶんと時間がかかり大変だった。本当に去年の11月くらいに恋だと自覚した。
いし、大切にしたかったから手も出さなかった。だけど浮気されて恋愛に奥手になってしまったというのをゲーム中に聞いたので、付き合うのは無理だろうなと感じていながら1〜2年が経ってしまった。
大学3年生の11月に、このまま自分の想いに踏ん切りを付けなくていいのか疑問に思い、告白するという決断に至った。私は彼と恋愛関係になりたいのではなく、一緒に過ごしたいだけだった。正直振られても一緒に過ごしたいという気持ちが伝えられればお出かけとか外食とか誘いやすいなって思っていたので、結果にはあまりこだわらなかった。
結果はOKを貰った。彼は恋愛感情がわからないから違うなって思ったら別れたいとちゃんと最初に言ってくれた。正直に言うとかいいやつー!
付き合って3日で彼のことが好きだとちゃんと自覚して改めて告白をして、人生で初めての本気の恋愛をした。私からは向こうが私を好きになるまで絶対に手を出さない(触れない)という自分ルールを決めて、大切にしようと頑張った。
まじで何もせず週1で会って夕飯を一緒に食べるくらいの関係性を1ヶ月したときに別れ話をした。
このまま付き合っていても私のことを好きになれる自信がないと言われ号泣し、色々と彼のあまり良くない性格?特性?を指摘し、治すためのサンドバッグとして使ってもらっていいということで別れ話は延長した。延長した後も変わらずご飯をたまに食べ、たまに出かける関係が続いた。
進展があったのは2月の終わりだ。
サークルがコロナで停止し、先輩との最後の活動が中止になるという連絡が来たときに泣いてしまった。先輩達が大好きな私はショックでしかたなかったが、たまたま彼とご飯を食べている日だったので彼が側にいてくれた。泣いてる私を優しく撫でてくれた。彼が私に触れるということが考えられなかったのでショックと困惑で頭がいっぱいになり、意味がわからないままこたつで二人で寝たことを覚えている。
次の日も彼は一緒にいてくれたし、私を撫でてくれた。そして、抱きしめてもいい?と聞いてくれた。初めて異性、しかも好きな人にハグされ、ときめきと困惑でやっぱり意味がわからなかったが愛おしさが増した。
その後2週間ほど、ハグしてくれる日が何度もあった。だが彼は私を好きと明言しなかったので、訳のわからない関係性が続いた。私は察しが悪く、明言されないと色々と変に考えてしまう性格なので彼は私のことを好きなのか?????みたいなことを考えてた気がする。彼は彼で確定的なことはあんまり言いたくない性格らしく、それのせいでめちゃこじれた。なんやねんあいつ。
うちに泊まった日、私のこと好きだよねと私から聞いた。流石に言わなすぎや、はよ言えやと思って聞いたのだが、それがよかった。私のことを好きだと言ってくれた。蛙化現象が怖くて、関係性を壊したくなくて告白できなかったと言っていた。言わないほうが関係性壊れるだろ...。
その後彼は私にいっぱい好きと言ってくれるようになった。かわいいっていっぱい言ってくれるようになった。激ハッピーエブリデイだったのだが、彼が県外の大学院に進学を考えていることを知った。彼には私と同じ大学院に行ってほしい。でも、いつ別れるのかもわからないのに彼のやりたいことは邪魔できないし、彼の進む道は全力で応援してあげたいという葛藤と今戦っている。
まだ私達は4ヶ月しか付き合ってない。周りから見ればいつか別れるだろう、初めての彼氏だか浮かれていると思われているかもしれない。でも私は彼と一生を共にしたい。離れたくない。この幸せな状態のまま生きていたい。私が彼に告白した最大の動機は彼の人生のパートナーとして生きたいと思ったからだ。
今私は、小目標の彼が私を好きになるを達成したばかりだ。私はメイン任務である、彼と一生を共にするを全力でクリアしようと思う。
そこそこの高齢でガラケーを使いこなしてメールを送れていた祖母が、最近変わってしまった。
ガラケーのサービスが終了するようで、これを機にらくらくスマホへ変えたところ、操作誤りが多く母にすぐ電話をかけてくる。
前から祖母が母に電話することは多かったが、最近特に多い。夜に何回もかけてくる。
スマホがどんな状態かわからず、結局母が祖母の元へ行き原因究明をしている。サポートデスク状態だ。仕事帰りでも母は呼び出され、1時間近く帰ってこない。
また、姪に対してもよく思っていないらしい。
うちにたまに遊びに来るのだが、母が姪の世話をしているときに母宛に電話がかかってくると出れないことが多い。
そういうときに代理で電話に出ると(母から許可済)、「どうせ姪ちゃんに構ってるんでしょ、こんな面倒なおばあちゃんなんてどうでもいいのよね」などと自虐を言う。
自分でそれなりに面倒が見られるかつその場にいない祖母と、未就学で目の離せないかつその場にいる姪とではどうしても違いがあるだろう。
姪が祖母の家に遊びに行ったときは慣れない場所で緊張したらしく、あまり懐かなかった。
自分よりもそんな姪に構っているのが面白くないのかもしれない。
何でこんなこと書いてるかというと。
こないだ祖母からの電話に出たときにこちらの相づちがおざなりで、祖母が「もういいよ、またね」とすねて電話を切ってしまった。
後日、謝りたいので電話番号を教えてほしい、という連絡が母宛に来たが、父母ともに「教えない方がいい」という結論に至ったからだ。
優しくされるのが心から面倒
なぜなら優しくしてくれた人へのお返しに時間を割かなきゃいけないから
優しくするのが嫌なんじゃなくて、お返しに優しくしないとダメだから嫌なの
すべての人が見返りゼロならこんなに悩まなくて済むんだけど、残念ながら優しくした見返りは求める人のほうが多い
誰かに優しくされたいなら誰かに優しくしなさい、みたいな風潮なくなってほしい
優しさってのは、本当に心に余裕があるときや楽しみたい気持ちがあるときに気まぐれに発揮されるからいいものなんだよ
で、自分も100パーセント返すんじゃなくて気が向いたらお返しするくらいならできる
例えば気乗りしない旅行に誘われたときとか、その日は無理だから後日会おう〜!みたいな会話するのダルい
気乗りしないから無理だわ〜だけで済ましたい
あ〜〜〜〜〜
めんどくさい
それでゆるしてほしい
(だけどそういう奴ってカラオケは歌が苦手だから無理ってこっちの誘いは平気で断ってきやがる…ようは自分の気にしすぎなのである)
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
医学部やめたい。ついてけない。友達とか先輩には恵まれたけど、勉強むり。
ここまで無理なんじゃ人の命に責任負うなんてそんなことできるはずがない。やめたい。
でも2浪した手前やめたいなんて親に言ったらクソデカため息で僕の自尊心なんてぴゅーと飛ばされて残るのはクソカスな惨めさだけ。
半年前からバイトを始めた。そのバイトは楽しい。責任小さいし覚えること多くないしやることは決まっている。商品を並べて、レジに通すだけ。
それさえできれば一緒に働いてるおばちゃんたちは優しく接してくれるし、なによりお金がもらえる。柔軟な対応とかそういうの求められない。最高だ。
一生このバイトやってたいな~とか余裕で思う。たまに嫌なことあるけど。
いっちばん最初は確か教職目指してたな。友達に教えて分かってもらうのが嬉しかったから。でも子供叱ったりすんのめんどくせーと思ってやめた。
その次は物理学科目指してたな。方程式ですべてを予測できる古典物理学が面白いと思ったから。でも仕事ねえぞって言われてやめた。
んでそのあとは化学科。親が化学系だったから、なんとなく。でも化学科落ちちゃったんだよな。んで濃度計算とかあんま好きじゃないしやめた。
その次は官僚。官僚ってなんかかっこいいじゃん。縁の下の力持ちって感じで。でも外務省はほぼコネって聞いてやめた。
その後は医者。なんかその頃医療系の新書読むのにハマってたんだよね。んでそのまま日赤かどっかのお偉いさんの著書に傾倒した。
急性期で働くとかすげえじゃんって思ってた。受験をするにあたって目標を医学部にすればもし進路変えても理系なら対応できるしってことで目指すことにした。
そこからずるずるいって結局2浪しちゃった。なんかこう書いてみると自分の行動基準ってかなり希薄だね。なんというか、人生舐め腐ってるって感じだ。
自分の人生なのに恐ろしいほど当事者意識がない。どうしてこうなっちゃったんだろう。何もしてこなかったからかな。
ああ、大学やめたいなあ。でもやめられるほどの勇気もないし、やめたら今度こそ詰む。自分が嫌になるよ。誰にも言えないからここに書く。
彼氏が転職する事になり生活時間が合わなくなる為、少しでも一緒にいられるようにと同棲を始める事にした。
その当時私は元々の自分の仲良しの友だちとはお互いの引越・仕事・結婚で少し距離があり、彼氏公認で都合よく遊べたのはその彼氏の仲間達だった。
飲みや他の遊びにもくっついて行った。
その人とは二人でも飲みに行ったり休みが合えばちょっと遠出したりした。
ほかの仲間内の誰よりも踏み込んでお互いの話をしたけど、私もその人も彼氏の存在が大きかったので何も起きなかった。
でもその時は本当に1番仲良かったから、
「私達はもう友だちだから、もし今後彼氏と別れても仲良くしてくれるよね?」
って聞いた時、曖昧な笑みだけだった。
あ、やっぱりこの人にとって私なんかより彼氏の方が大切な仲間だ。調子に乗ってた。って恥ずかしくなった。
そう思ったからそれ以上は求めず、
そして彼氏の事は大好きだったし付き合った当初から結婚も考えていて月日と共に順調に進んだ。
そのうち私達を筆頭に仲良くしていた全員が結婚出産を経て集まりもほぼ消滅。
年に数回集まるにもなかなか休みが合わないような状況、そして私も子どもの面倒があるから集まりがあっても行けないことが多かった。
私はお手伝いは色々したけど、ちゃんとしたメンバーではないし男同士で集まる方が自然で楽しいだろうと、仕方ないなって思ってた。
3年前、夫が浮気してる事が分かった。職場の事務員、そして未遂だけどtwitterで会おうとしてる人がいたり、エロ垢ともやりとりして画像貰ったりしてた。
夫は嘘がつけない人で多忙で時間もないと思っていたし大好きだったから全く疑ってなかった。
その日で夫に対しての信頼は消えた。
浮気が分かったときは私の育休明け1日前。次の日から仕事復帰だった。
当時の私の職場は夫と出会った場所だったからほとんどの人は夫の事を知っていた。
夫は何年も前に転職しているから、浮気発覚の次の日にも関わらず夫の近況など色んな人に聞かれた。
辛かったけど別れる事は考えられなかったから結婚生活を続ける為に周りに言わない事を決めた。
一人だけ本当に信頼してる高校時代からの男友達だけに聞いてもらって他の親友や家族など誰にも言わないことを決めた。
周りの人達は皆優しくて心から信頼してる。私が決めた事には口出しせず話を聞いて味方してくれる事はわかっていた。
それでも『浮気されたかわいそうな女』のレッテルを貼られる事が嫌だった。なけなしのプライド。今でもこれは変わらない。
変わらず仲良くすると決めたから今も仲は良い。他の夫婦よりもきっと仲良し。
セックスもする。昔から相性がよかったけど、10年以上たったらもっとよくなった。
浮気発覚後は夫から触れなくなったけど、自分からめちゃくちゃ求めた。
それでも、された事は忘れられなくて今も思い出すし、もっと以前のことも信じられなくて疑う気持ちもある。
平気なフリで冗談めかして残業や出張の時にホントに仕事だよね?って言ったりはたまにする。牽制程度。
でもうまく隠されたら結局あの時みたいに分からない、一度バレたから今度はもっと気をつけてるのかもしれないって思う。
関係だって一見対等だけど、対等じゃない。夫は私に負い目があるし、私も何かあればお前は浮気をしたくせに、って気持ちが湧き上がって見下してる。
それでも夫のことは変わらずいまでも大好きで良い夫で良い父親で一緒にいて飽きないし楽しい。
秋、地元に帰る事になったと私も含めた仲間のラインに連絡がきた。
コロナ禍で2年近く会えてなかった。
長男なのでいずれは帰ると随分前に聞いてた。
勝手にもっと先だと思ってたけどもう出会って10年以上たっているし将来を見据えたらちょうどいい年齢だと気づいた。
この何年も私は皆の中ででしゃばらない、と決めていたけど、最後に何かしたい、と思いすぐに夫含む仲間達に呼びかけて私達なりの盛大なお別れ会を開いた。楽しくて懐かしくて最高の時間だった。
お酒が飲めない私は皆を家に送っていく事にした。
一杯位は飲めるけど終電で帰れない可能性が高かったし、飲まないほうがいいだろうと思って飲まなかった。
夫は潰れていたので家で待ちたいって言った。
他の人は比較的家が近かったから先に送って欲しいって言うから送った。
少しの時間だったけど、最後に二人きりで話せた事が純粋に嬉しかった。
いいよって車内で抱き合った。
ダウン越したったから肌のぬくもりとかは感じれないけどそれがちょうどいい距離間だったと思う。それだけでもよかった。
腰に手をまわされて首すじにキスされて、
あ、やっぱり勘違いじゃなかった。
たぶん、この人も私と同じ気持ちだったんだと感じた。
私もマスクを外した。
10年前、私達は若かった。
あの時に何かあってもいいなって思ったりもしたけど、何もなくて良かった。
たぶんズルズルした関係になって自然に終わって、夫に対しても罪悪感が芽生えてうまくいかなかったと思う。
いま、お互いに家庭を捨てて一緒になりたい思いはない。
でも何もないだけでは終わりたくない、
一度で良いから触れ合いたいと、
何度か深く唇を合わせた。
でもまだ私の心の準備ができてなかった。
夫と同じになっていいのか葛藤があった。
後日酔ってない時に時間を作ってでもやっぱり会いたいと思ったら連絡して。とズルいけど委ねた。
予定が合わなかったら仕方ない、むしろその方がいいのかも、と思った。
後日、私達は年明けに会う日を約束をした。
その日セックスするんだと思う。
最後のいい思い出、ともなんだか違う。
夫と付き合ってからは他の人とすることはないと覚悟していたし特別不満もなかった。
結婚後、夫にはもっとセックスしたいって訴えたりしていた。浮気されているとは露知らず。
でも、そのぐらい夫とのセックスは最高だと今も思ってる。
日にちを約束してからこの日にセックスをするんだと思うと、疼いて仕方ない。
単純に夫以外とのセックスが楽しみなのかもしれない。
でもこの人はどんなセックスをするんだろうと1X年前に少しの期待を抱いた相手であるのは事実で。
純愛なんかではない。たぶん最後の火遊びのようなものだし、誰にも言えない悪い事だと自覚もある。
終わったあとは後悔と自己嫌悪でいっぱいになるかもしれない。
発達障害の次女を授かった(&ちょうどその時期に増田=夫が仕事で鬱になった)のが、夫婦関係の亀裂の始まり。
元嫁は長女の赤子の頃からのママさん教室的なのの先生のいう事しか聞かなくなった。それは夫が役に立たないから仕方がない。
なんだかんだ(元嫁が数千万円貢いで、タダ働きさせられて、増田親にも内緒で金借りてたり結果揉めたり)あって、離婚して。(娘どっちも元嫁が親権とった)
理由聞いたら、元嫁の先生界隈の教えが理想論(と、まだ長女は気づいてないが反ワクチンとかの似非科学)で凝り固まってて、それを赤子の頃から刷り込まれてるから、一般の高校生活は送りにくいと。(友人関係とかで性善説とか性悪説とかの根本的なところで揉めまくって折り合いがつかない)
一時長女を引き取って一緒に暮らしてたんだけど、学校を行って休んで休んで行って、休んで休んで休んで休んで……ってカスタネットのおじさんにすら劣る出席率で、一旦元嫁のところに送り返してしまった。
そしたら、元嫁が先述の先生のところに不登校プログラムがあるから、そこに入れるから、それには費用が掛かるから……と言って、3桁万円要求してきた。
ギリ貯金はあったけど、無償では払う気がなかったんで養育費の先払いでいいかと聞いたらOKらしい。(これで次女含めて2年分くらいの養育費)
長女の悩みの一つには、元嫁が仕事もせず、無料奉仕でその先生のためになんだかんだ動いてて、それをひた隠しにして(増田も長女から聞いて初めて知った。元嫁からは普通にフルタイムで普通の会社で事務員的なのやってるって聞いてた)るってのもあるってのがあったり。クレカとかもブラックリスト載せられてるし、スマホも契約できないって状況だし、毎月弁護士事務所から封筒届く(不払いのやつって、5年ぐらい無視できたらチャラになるらしいね。)貧困があったりする。
増田は粛々と養育費を払うだけで、親権もってるあっちの世界には口出せない。まあ言っても聞いてくれないから離婚に至ったわけで
あー、謎の壺を買う人って現実に存在してるんだと、それが身近に、普通に出会って交際して結婚して子供も出来て、子供に問題なかった時はごく普通の人だとしか思えなかった人とかがそうなるんだーっと。
こういう愚痴というか、重い悩みというか、誰にも言えない文句をかけるとこがあるっていいよね。
なんかリアルで相談乗ってくれるとかいう人もちょいちょいいるんだけど、「鬱病で」「障害児が生まれて」「数千万払って」ぐらいで、なんかトーンが変わって痛々しく扱われるもん。
ここだと、ク○ニの人とかがかまってくれるからまだ救われる。