はてなキーワード: 泣き虫とは
どうしても心が落ち着かなくて、精神的にもかなりギリギリのところにいるので、書くことにした。
正直にハッキリ言えることも多くないため曖昧な表現になることで、何が言いたいのか分からない文章になるだろう。
つまり、ただのはけ口であることを前提に、長文を垂れ流すつもりだ。
気が付けばもう40を超えて、「人生80年」と言われてた時代を考えれば、折り返し地点である。
しかし現在「人生100年時代」との声があり、自身の祖母も102歳でこの世を去った。
確信めいたものはないが、私もよほどのことがなければ長生きする気がするほど、健康だ。
人付き合いは変化したなとは思うが、それは周囲の人がそれこそ、結婚・出産・転勤・転職等で生活環境を変えたことが要因だと言える。
さて「何も変わらない」と言われる私であるが、実際自分でもそう思っていたのだが、それは違った。
環境などと分かりやすい面ではなく、『感情』という部分が大いに変化していた。
例えば、であるが、私は非常に泣き虫であった。人目をはばからず涙を流す恥ずかしい子であった。
割と思うがままに感情を表に出していた気がした。
感情の起伏はさほど激しくはないが、笑って泣いて怒ってを繰り返して、ある意味「分かりやすい人」だったと言える。
でもこの数年で、それを失っていた事に気づいてしまった。
怒りも悲しみも寂しさや煩わしさ、楽しいとか嬉しいとかどこかへ捨て置いてきてしまったようだった。
人はそれを「平穏」というのかもしれないけど、私に至っては「無機」という言葉で表現したい。
若い頃、勝手気ままに自由にはちゃめちゃに生きていた私が、年を取ることによって、落ち着いてきたと言えば聞こえはいいかもしれない。
でも多分そうではない。「幸せ」とか「安定」とか「平穏」という周囲の言葉に惑わされて
「何もしちゃダメなんだ、深く考えちゃダメなんだ、変化を求めてはいけないんだ・・・・しなくていいんだ」
そしてその無気力状態を作り出したのを、敢えて人のせいにしようと思う。
もちろんそこに甘んじて維持し続けた私が一番の罪であることは、頭の片隅に置いておこう。
年数は省略させてもらうが、私には長付き合っている恋人がいる。
それゆえ、「結婚しないの?」という外野からの声は数えきれないほど聞いている。私が一貫して返す言葉は「しない」の一言だった。
少子化時代を騒がせる昨今、私は曰く非生産的な存在であり、政治家たちにとっては国家に貢献しない存在であるのだろう。
…話が逸れたので戻そう。
彼は真面目な人である。聞いている限りでは育ちが良さそうで、家族に愛され家族を愛してきた男である。人当たりがよく、女性に対しても丁寧で優しい人だと思っていた。長年浮気の気配もなかった。
そんな男に好意を告白されたときは「何を血迷ってるんだ?」と思い躊躇したものの、結果的に押しに負けてお付き合いをすることにした。
私は当時、非常に流されやすい女であった。
恋愛感情はなかったけど、彼の人となりと、そして周囲の猛烈な後押しで私は川の流れのように流されたのだ。
そんな私に一生懸命に接してくる彼に、徐々に好意を抱き始めた。
彼との付き合いは、最初はとても楽だった。
彼は束縛をしない男だった。
私は、彼と付き合っても人間関係が特別変化することもなく、友人とも大いに遊んだ。私が普段何をしているのかもしつこく聞いてくることもなかった。メールや電話を強要することもなかった。
いつも私の意見を尊重してくれている、理解ある男を存分に発揮していた。
一度だけ、私はある問題に対して彼にお願いをしたことがある。後にも先にも彼に要求を突き付けたのはそれ一度きりである。
「分かった」という言葉は消え、時間がたつにつれて要求は破棄された。
この頃から私の中で「諦め」が生まれてきた。何を言っても無駄。
時は過ぎ、その放置度合いはさらに拡大していったが、いつしかそれが「おかしなこと」と思わなくなっていた。
そう、完全に麻痺してきたのだ。
不満は消えた。怒りもない。寂しいとか悲しいとかもない。楽しい嬉しいと思うことも減った。
彼自身には諦めを持ち続けながらも、波風立たせることなく付き合い続けた。
彼の愛情が冷めることはなかったが、私の愛情の温度は「常温」まで下がっていた。
束縛をされず私の時間を自由に使え、煩く言ってこない存在は「恋人」という肩書を持っていても邪魔にならなかったのだ。
尚且つ、自身がさほど恋愛体質ではない上に、趣味もあって友人もいて毎日に不自由を感じなかった。
そして既に何年も付き合い続けてきた結果、彼はそれを「安定・平穏」だと思い、周囲からも諭され続け、考える能力を失うまでに至った。『感情』が消えた。
そんな私が一度だけ、常温の恋人との関係を考えたことがあったらしい。
「らしい」というのは、数か月前「他に好きな人がいないから」というような事を記してあったのを見つけたからだ。
おそらく「別れる選択をしない理由」を探し、そこに行きついたのであろう。
なぜ?と考えたときに、
というマイナスにしかならない理由に勝てる、他の理由を探した結果だと思う。もちろん、そのあと何か行動を起こしたことはない。
そう「他に好きな人」どころの話ではない。失っていた全ての『感情』という感情が一気に動き出したのだった。
長年憧れ続けた人のたった1言で、今まで抑えられていた想いが、一瞬にして溢れるように噴き出したのだった。
「憧れ」というものが変化した瞬間だった。
40歳にもなって何を恥ずかしいことをと思われるかもしれないが、私にしてみれば多分人生で初めてかもしれない感情が生まれたのだ。
あまりに遅咲き過ぎる「恋」に私の感情のタガが外れたと同時に、頭のネジもどっかに飛んで行ってしまったのか、私はその直後に、人生で史上最悪な事をしでかしてしまうのであった。
人生史上最高に後悔している。死にたくなるほど後悔している。精神的にギリギリなのはこのせいである。
私は今の恋人と別れたいのだろうか?
理由を探して別れてこなかったとはいえ、別れたいと本当に思っていたのだろうか?
それはいまだに私への愛情を見せる常温の恋人との、この長年の付き合いを捨ててまですることなのだろうか?
実は正直、史上最悪な出来事が表に漏れないのは、常温の恋人のおかげでもあるのは否定できないのだ。
それに新たに生まれたこの「恋」が一過性のものではないとハッキリ言えるのか?
可能性がゼロではないにしろ、それを自分は本当に手に入れることができるのか?
万が一全てを失ったとき、後悔しないと言えるのか? 耐えられるのか?
動き出した感情が、困惑、切なさ、嬉しさ、不安、後悔・・・さらなる要素をプラスして一日中動き回っている。独り言が増えて夜が眠れない(朝辛い)。
40年間、それなりに付き合ってきた人はいたのだがいずれも好意を受けての付き合いだった。好かれてなんぼのイヤな奴だった。だから、自ら好きになった人と付き合ったこともなかった。
私は、今までまともに「恋」をしてこなかったのだ。
この年になってその結果がこの体たらくかと思うと、情けなくて涙が出るし、みっともなくて誰にも言えない。
書き連ねたところであんまり解決にはならんが、でもまずは頭のネジを詰めなおす必要があることだけは理解した。
--------------------------------------------------------------------
<追記>
気が付いたらなかなかの反応に、正直少しビビっています。色々どうも。
いくつか書かれていますが、「恋」の人は既婚者じゃないです。不倫だけはしません。これは絶対に。
人生史上最悪な出来事は、何とか自力で方向修正しました(多分)。少しだけ気が楽になったという自己満。
常温の恋人は、急にああしようこうしよう言い出して(まだ行動はされてないけど)、何か私の変化に気が付いているのか。
新しい恋の人には、関係が先に進むことへの行く先を不安視され、足踏み中。でも、別れてまでという話がでないってことは、そういうことだと思う。
ただ、こうやって人の言葉を聞いて整理していくと、常温の恋人とはどんどん温度が下がっていくような気がする。でもずるくてビビりなので、決心がつかない。
あ、あとネジは詰めなおす、ではなく、締めなおす、ですね。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
三連休中、タヌキックマスターの二次創作(超大作)を書いていたんだけど、完全に、タヌキックマスターをキックの達人として描いてた。
それが、そうではないらしい。
私が(一部の)腐女子だったら、長文でお気持ち表明しているところだが、そんな才能はない。
代わりに、考えていたネーミングを晒しておく。
高速放火魔 チャーリー・チャッチャット・チャッカニン(自転車)
タヌキックマスターのライバル コンバットマスター(狐のバット使い)
禁忌の変態(キンキー)科学者 "泥被り"マッド・"サイエンティスト"・デイネー
集団のなかで何かモメたりすると、「あいつ(男)にイヤなことされた」とかって責任者に泣きつく女の人っているじゃない。そうすると相談された責任者の人は「女の子が泣いてるからきっと悪いことをされたんだろう」ってことで、名指しされた男が悪いって決めつけて一方的な処分が下される。
でも、いい大人の女の人が泣くから男のほうが100%悪いってことはなくない?ケースバイケースでしょ。なのに「女の子が泣いてるから」とかって……それも男女差別ではないの?
そもそもいい大人が泣くってことの意味がわからない。こちとら「男が泣くなんてみっともない!」「男なら泣くな!」って子どもの頃からずっと教育されてきて、頑張って、それで人前で泣かなくなったのよ。でも、なんで女の人は、大人になっても人前で泣いていいのだろうか。
「男を悪者にする」ためには「女が泣く」ってのはめちゃくちゃ使える武器なんだけど、そういうのだって暴力だし、そろそろそういう暴力行為に対して社会がもっとフェアに向き合っていくべきじゃないの?そもそもなんで大人なのに女だけ人前で泣いていいの?
で、ここで「男も泣いていいんやで」みたいな話も出てきそうだと思うんだけど、別に俺は「男も泣いていい」なんて社会を求めてない。「人前で泣かないようになる」って、大人になるうえでふつうにクリアできるハードルだと思うし、「大人」と呼ばれるためにはそれぐらいのハードルだってあっていいでしょ。「女だから泣けば何でも許されると思ってんじゃないよ!」ぐらいの厳しさが、社会の基準として、あってもいいんじゃないかと思うんだけど。
「涙は女の武器」ってのはたしかに男女間の関係のときに使われることが多いフレーズかもしれん。ただ、ここでは「集団内でも武器として使ってる奴いない?」「それに『おおう、女の子が、かわいそうに』『(加害者として名指されてる男は)けしからん!』ってすぐなる現象ってどうなの」という話がしたいのです。
kerokimu 大体は泣いたらみっともないって怒られるよ……武器にはならんて。感情をあらわにすることが許されるのは20代前半くらい。 それくらいの子が泣いたら男性でも女性でも、大丈夫かちょっと落ち着こうなってなる。
ryuzi_kambe まあ、男も泣いてみたら?意外と武器になるかもよ
→僕は嫌だ!
ikarino-ikaring たぶん女性の方が涙腺緩い。泣きたくないから頑張って堪えてもどうしても涙が出て来てしまう。立場が変われば「いい大人が汗かくな!」と言われるのと同じくらい理不尽な話である。
→ソースくれ。
smowl そもそも涙のコントロールってすごい難しくない?私泣き虫だからみんななんであんなに辛いことあるのに泣かないのか不思議。昔から不思議。みんなもっと泣こうよ。私も会社じゃ泣かないけどさ。
→そうなの?子供の頃はよく泣いてたけど、泣く男は女子にモテないから、モテたくて、小五ぐらいから我慢できるようになった。(なんかこれ違う話だな)
夢の中にドラえもんが出てきた。どんな表情だったかは思い出せない。ただ、子供のころから馴染んだおばあちゃんのような声で、「君ももう僕から卒業しないと」と、彼は言い、僕から去っていった。
起きたら泣いていた。どうしようもなく悲しかった。
僕は30になる。毎週末ドラえもんの、昔の映画を見る。同じ話を繰り返し見て、週が明ける。
小学生のころ、週末はよくドラえもんの映画を見た。僕と姉と両親と、母方の祖母とで。見ている最中父はよく居眠りしたし、母は家事のため離席した。姉は中学に上がると部活で家を空けた。そのうちテレビを眺めているのは僕と祖母二人だけになった。幼かった僕は祖母に抱かれながら、飽きもせずドラえもんたちの冒険に心を弾ませていた。
同じ話を繰り返し見る僕に、父も母も呆れていたように思う。それでも僕はドラえもんに釘付けだった。そんな僕に祖母は何も言わず、ただにこにこと笑って頭を撫でた。
ドラえもんが大好きだった。ドラえもんはいつでもポケットの中にいて、ポケットの中で果てしなく広がる世界を、いつでもいっしょに旅してくれる。いつでも僕のそばにいてくれるから。
だから、話の筋が分かっていようとも、僕は楽しかったし、安心できたんだ。ドラえもんを見ている時間は、何よりも心が安らぐひとときだった。
けれどもその時間は、ずっとは続かなかった。学年が上がるにつれ勉強が忙しくなったし、何より祖母と別離することになったためだ。病気を患った僕の伯父、つまり祖母の長男と暮らすことになり、祖母は家を出た。それから数年後伯父が亡くなるが、前後して母が亡くなったため、祖母は別の伯父の家に引き取られた。
祖母は子供を二人も先に亡くしてどんなに悲しんだことだろう。今でも母の話になると涙ぐむ。僕はそんな祖母と一緒にいられないことが悲しかった。
それでも年の割に体が丈夫だった祖母は、その後もよく家に顔を見せに来た。シルバーパスがあるから、と笑う祖母は、出不精の僕よりもよほど元気だった。ちなみに余談だが、祖母には外来語の発音が難しいらしく、パスとバスをよく言い間違える。ティッシュのことはテシュという。敵性言語だったから仕方ない。
大抵は益体無い話をするだけだったが、祖母と一緒に「おばあちゃんの思い出」を見たことはよく覚えている。
そう、祖母は元気だった。頭も耳も目もしっかりしていて、90に差し掛かるころには水泳に通っていたほどだ。本人が言うにはプールで歩くだけというが、それでも凄いことだと思う。プールで出来た友達のこともよく話し、みんな自分より二回り若いと笑っていた。
そんな祖母だったから、僕にはどうしても祖母が居なくなることなど考えもつかなかった。永遠に生き続けるのでは、という気がしていた。そんなことはありえない。祖母は今年98だ。まだ頭も耳も目もしっかりしている。だが、足がかなり衰えた。
祖母は今ではいっさい部屋の外から出なくなった。以前とは逆で、僕のほうが祖母を見舞いに行く。するととても喜んでくれて、ベランダに出ては帰路につく僕にずっと手を振ってくれていた。だが、それも今年の初めまでだ。今ではベランダに出るのも難儀らしく、大事に育てていた花壇の花もすっかり萎れてしまっている。
僕は30にもなって、どうしようもなく幼いのだ。昔の思い出を、ただ昔のこととして切り離すことができない。
主観だから、個人の考えに影響して欲しくはないけど1つの刺激になればいいかなっつーレベルです。基本ミリシタのメインコミュから拾っていきます。
昨今、カップリングとでも言えばいいのか。色々あるじゃないですか?あんまり追い求めちゃいけない分野だとは思うけど、例えばその2人である意味だとか、その2人がどのように影響し合うのか、考えたくなって書いた。言語化すんの難しい。
割と共通であって欲しい考えなんですけど、カップリングはどこまでいっても自分はカップリングだと思っているし相方が居なければそのアイドルが成立しないかと言われればそんなことは無い。
強いて言うならこの52人の誰かひとりが欠けたらきっと一人一人のアイドルが別物になるのかな。というのは最初に言っておきたい。
それで、巷で言われてるめぐかれの話をサラっとします。めぐかれの歴史は2014年(...歴史必要?)温泉スキンシップ 百瀬莉緒の背景にバスタオル姿の恵美と可憐がいたのが始まりですね。いや、この頃からこの2人良いよねって話してる人まず見た事ないし、多分かしましガールズトークか肝試しのコミュ辺りで好きになった人が多いですよね。気になる人はグリマスのまとめとか色々見てくれると僕は嬉しい。めっちゃ可愛いよ。
2人のプロフィール(一部省略)。
所恵美 16歳 159cm B88 W56 H85
篠宮可憐 16歳 159cm B90 W59 W90
ここまで歳とスリーサイズとか近くて、それで性格が対照的...っていうと怒られるかな。まあそういう要素が噛み合って、みんな好きになってるんだと思う。それもいいんだけど、個人的にはもっと中身を知りたいと思う。
めぐかれの中身を考えるにあたって、メインコミュの話見ていきましょ。
メインコミュ
所恵美のメインコミュに、可憐、エレナ、まつりが登場します。めぐエレの話も、まつめぐの話もここでは割愛します。
恵美は、Hearty!聴くと分かるんですけど、劇場のアイドルと絡みが増えれば増えるほどどんどん魅力的になっていくアイドルだと思ってます。(書いてるこの時点ではまだ5th円盤にあるHearty!のオーコメを見ていないので解釈違いは許して)その彼女がメインコミュ時点で既に篠宮可憐の背中を押していて、可憐も恵美のために動いてくれた。可憐は助けてもらった恩なんて関係なくだれかのために動ける子だけど、いつも誰かを気にかけていて他人のために動ける恵美だからこそ、可憐もみんなも全力で助けてくれるんだと思います。
そんな恵美はなんでも出来る女の子なんだけど、でも仲間を見る力が強すぎて自分に自信を持てないタイプなので、仲間を後押しして、さらに仲間から返ってきたお返しで支えてもらうことでより魅力的になれる女だと思う。
いい女ですね。
めちゃくちゃ飛んで39話。篠宮可憐のメインコミュに、恵美、紬、美希、風花が登場します。かれつむ(あるの?いや、ある)、かれみき、ふうかれについては割愛...。
このメインコミュの可憐かっこいいですよね。そもそもこの話、きっとViの話も混ざってるというか、篠宮可憐がどれだけVisual高いのかよく分かる。上記4人のVisualって異常に高いと思うんだけど、可憐が自信ないだけで...いやもうメインコミュ見た方がいいですね。何が重要かって篠宮可憐は変わるために一歩踏み出す勇気があること、本当は才能が美希にも劣らないくらいあって今はまだ支えが必要なんだけど、誰にも負けないくらい輝ける凄いやつなんだって話ですね。
この話は関係ないけど、可憐のファンって、最初ライブだけ見るとあんなに綺麗で歌上手い女の子だと思ってたら握手会やバラエティだとちょっとおどおどしてるのを知って、そこから変わりたいって勇気振り絞ってステージ立ってるって知ることになると思うと応援しちゃうでしょ。守ってやらなきゃって気持ちと尊敬が同居して爆発してそう。あと女性ファン多そう。
これ書くの結構疲れるな。
ここまで僕がメインコミュから読み取ってきた主観でずっと考える恵美と可憐。
で、僕が思うめぐかれってなんだろうなぁってまとめる。
所恵美は、可憐が踏み出したくて勇気を振り絞ろうとしてる事に簡単に気付けるし、可憐が実はどのくらい出来るか、可憐自身が分かってない魅力に対して分かってやれる、背中を押してあげれるアイドルだと思う。別に恵美は意識しなくともそれができる凄いやつ。
逆に篠宮可憐が所恵美にしてやれることって、恵美が可憐にした事と遠いようで近いことだと思う。
Pとの紆余曲折はあると思うけども、篠宮可憐はみんなを勇気付けることが出来るアイドルになると思う。自信がなくても言い出せない所恵美は、臆病ながらも勇気を出して前に進もうとする篠宮可憐を見て、その姿に背中を押されると思う。恵美は、仲間のいいところを見つけられる天才だからわかるはず。
言いたかったのはこの2つ。僕はこの2人はすこぶる相性が良いと思う。プロデューサーの出る幕が減りそうだなと思うくらい。互いに互いを補って支えあって成長出来る。尊重し合えるし仲も良いしあとどっちも泣き虫だしめちゃくちゃ可愛い。
ということです。相性の良さって感覚的なもんが1番大きいから言語化して見るとなかなか整理が出来て良い。
一応締めると、やっぱりどこまでいってもめぐかれはカップリングに過ぎないです。そして僕が好きになったのは、カップリングではなく、所恵美と篠宮可憐だし、出来ることなら色んな子との絡みを見て、楽しんで欲しい。その上で個人個人のアイドルの魅力ってなんだろうなぁって考えられるのがミリオンライブの楽しみ方のひとつだと思うので、僕の戯言は気にせず。カップリングよりコミュ的な意味で、プロデューサーとアイドルだけでは発展しない部分があるから凝り固まらず視野を広く見ていきたいですね。ミリオンライブのアイドルはみんな魅力的だ。
解釈違いなどについてはだいぶ恵美と可憐の相性良いとこをピックアップしたつもりだからあるかとは思う。言ってくれると僕も視野が広がるのでありがたい。
生きてりゃ色んな人間を知るもんだけどドラえもんに出てくるのび太くんって平均以上のスペックを持った人間だったんだなって思う
勉強はできない、運動もできない、怠け者で泣き虫で色んな人から馬鹿にされてドラえもんの道具ですぐに調子に乗る…とはあるけど射撃の天才であやとりという趣味も抜群、馬鹿にされてるとは言え大人になっても関係が続く一緒に喧嘩してくれる友達がいて結婚できてその親から「人の気持ちを理解して共に笑ったり泣いたりできる優しい人」って評価を受けてる
現実で流石にテスト全部赤点とか不良以外でそこまでヤバい人はなかなかいないけど勉強も運動も平均以下で特技なし、趣味も下手で性格も良いとは言えない人ならいっぱい見てきたな、流石に最悪でも友達はいたりするけどね(馬鹿にされてることは置いといて)
何かもダメだけどある一点は天才みたいな人は実はほぼいない。だいたい何かもある程度できる万能かだいたい何かも平均以下の凡人以下。凡人って実は少ないのかもね。
小学一年生の頃から2歳上の姉に虐待されてた。毎日のように叩いたりつねられたり蹴られたりして、サンドバッグ同然の扱いだった。姉は幼い頃からいつもニコニコして、大人からも子供からも好かれる明るい性格だった。バスケ部に入っていて、友達も多く、クラスの中心にいた。一方で、ひどい癇癪持ちで、自分が気に入らないことがあると暴言を吐きながら壁を蹴って穴を開けたり、物を投げつけて壊したりする子供だった。妹に暴力をふるうときは決まって二段ベッドで仕切った子供部屋か親が見ていない時にやっていた。暴力の理由はいつもくだらないものだった。字の書き方を真似した。母がお下がりに私に与えた服を見て、勝手に自分の服を着た。顔がむかつく。いつも嘘泣きをする。やめてって言ったのに泣きながら謝ったのに、お腹を蹴られた。痛かった。辛かった。いつも死にたかった。死んでやってこいつがいかに酷い人間かみんなに分からせてやりたかった。泣いても叫んでも、仕事中の母に電話しても、笑われただけだった。帰ってきたら父と二人で笑いものにされた。いじめられるからいつも泣いていた。姉は嘘泣きするな!と激昴してもっと叩いた。母は最初のうちは姉を注意していたが、その内いつまでも泣いている妹にいらいらしていた。母はふざけて私を泣き虫星人と呼んだ。すぐ泣く星人は、泣き虫星に帰れ!いつの間にか、親が家にいないときは泣かないようになった。誰も助けてくれないのに泣くのは意味がなかった。自然とそうなった。親がいる時にしか叫ばなくなった。姉はますます嘘泣きだと言って怒った。買ってもらったばかりのきれいな勉強机にマニキュアで死ねと書かれたことがいちばん悲しかった。姉を殺したかった。どうやったら姉に復讐できるか考えていた。それ以来、辛いことはすぐ忘れてしまうようになった。小学三年生の頃には私がクラスの男子を虐めるようになった。クラスの中心にいる男女6人くらいの仲の良いグループで一緒に、みんなから嫌われている不潔な男子を虐めるのは最高に楽しかった。楽しさには2つ理由があった。第一に、純粋に暴力が楽しい。第二に、クラスの嫌われ者を、人気者たちと協力してやっつけることが楽しかった。私は自分が虐められていたことなんてすぐに忘れて、数か月虐めに熱中した。先生に怒られても平気だった。みんなで一緒に先生から怒られて、この遊びもそろそろ飽きたし普通に遊ぶか!wってすんなりやめた。ここまでの記憶を小学生の頃の日記を見て思い出した。マジでお育ちがゴミ底辺すぎて笑った。今でも悲しい気持ちは思い出せるし、楽しくて狂った気持ちも思い出せる。いじめとか虐待関係なく思うのは、自分以外の人間に期待しても無駄。あいつらに何言ったって分かるわけねえんだよな。人を頼ったって自分が痛い目にあうだけ。お前の気持ちなんぞ誰も知ったこっちゃねえんだ。死ね。
未読の方に紹介することを前提にしたものなので致命的なネタバレは勿論ですが、魅力的で多彩なキャラの紹介はしません。
ただ、アニメ派の方は些細な説明も今後のネタバレに繋がりかねないので、この文章を読まない方がアニメを楽しめると思います。
また、ちょっとのネタバレにも触れたくない方は読むのを止め、是非からくりサーカスをお読みください。
からくりサーカス。皆々様はご存知でしょうか。
週刊少年サンデーにて1997年〜2006年まで、計9年間連載され、全43巻で完結したお話でございます。
私はというと「ほんのちょっと」聞きかじっていました。
たまに読むサンデーにからくりサーカスが丁度載っていて、途中から読んだものだから話はよくわからない。
ただ、「しろがね」という美しい人形のような女性と、人形たちと、「鳴海」という強い青年、そして「勝」という少年がいることはわかってました。
それくらいの「ほんのちょっと」です。
さて、そんな私が何故からくりサーカスという漫画を読むに至ったのかというと、「アニメ化」がきっかけです。
アニメは10/11(木)の22:30からTOKYO MXなどで放送開始しています。
私の先程の「ほんのちょっと」の情報はアニメで綺麗に繋がりました。
父の莫大な遺産を相続した少年「勝」、彼が助けを求めたサーカスのビラ配りの青年「鳴海」、そして「勝」を助ける使命を帯びた麗しのひと「しろがね」、彼女が繰り出すあやつり人形「あるるかん」、襲いくるは「自動人形(オートマタ)」たち。
物語はそんな彼らの出会いから始まり、様々な出会いと別れを経て、彼らの関係性は始まりから大きく「変わり」、そして終わるべくして終わります。
泣き虫で逃げてばかりだった少年「勝」は、「鳴海」との出会いで諦めずに笑って立ち向かうことを学び、失ったものを心に抱きながら成長し「変わって」いきます。
人を笑わせないと死ぬ奇病「ゾナハ病」にかかった青年「鳴海」は、世界中にいる同じ病気で苦しむ子供たちのため、彼らを守るためにと強くより強く「変わって」いきます。
人形のように表情を変えない女性「しろがね」は、心が揺さぶられる出会いと別れを経て、家族と呼べる仲間を得て、自然に微笑むことができるような人間らしいひとへと「変わって」いきます。
34巻60・61ページの「勝」の言葉を引用するとわかりやすいでしょうか。
「勝」はいいます、「人間」は変わっていける。「自動人形」は変わることができない。ただ繰り返し命じられたことをなぞるだけの機械人形。
「変化」こそが人間に与えられた宝であり、それがある限り人間は立ち止まらず、前へ歩んでゆくのだと。
「変われない」のならば、それは人間であっても人間とはいえない。
「変われた」のならば、それは人間でなくともきっと人間なのではないか。
初登場時はあんなに憎たらしかったアイツも、嫌悪感を抱かせたアイツも、どうしようもないと思わされたアイツも、懲りないと呆れてしまうアイツも、みんな「変わって」いく。
では、何故変われるのか。
強い男の背中を見たから、一目惚れをしたから、守ってくれる優しい腕があったから、叱り飛ばしてくれる母親がいたから、家族のような仲間たちと出会えたから、逃しがたい敵を見つけたから。
運命的であり、偶然のものであり、愛する人であり、憎い相手であり、敵であり、味方であった。
誰しもが誰かと出会い、変わり、前へと進んでいく。
是非、1巻から大きく「変わった」彼ら三人と、その仲間たちの活躍をご覧くださいませ。
私はアニメをきっかけに当時無料開放されていた5巻まで読み、最初は耐えていましたが続きが気になって仕方なくなり、全巻まとめ買いしました。
でも、そうでなくとも構いません。
勿論原作漫画に触れることを推奨したいですが、人の「出会い」は千差万別。漫画を試しに1巻だけ買っても、漫画喫茶で読んでも、友人から借りても、アニメを見るのでもいいでしょう。
無理に漫画を読むものではないし、絶対に触れろとはいいません。こういうものは自分の中で「触れたい」と思う気持ちが大切だからです。
ただ、この私の文章を読んで、少しでも興味が出たのなら、ちょっとくらい触れてみようと思えたのなら、心にとめておいてください。
変わった彼らの今に泣き、成果に泣き、辿り着いたもの、得たものに泣かされました。
私はおかげさまで、とてもとても、愉快で心躍る、胸が張り裂けそうになる素晴らしいサーカスを見ることができました。
エイリアン9の作者だーってので手にとって、えっあのバトロワのマンガなの!?と驚いた
1巻のあとがき(なんと高見広春のあとがきである)によれば、映画バトロワ2の宣伝のためにマンガを連載するという企画だったらしい
一応かなり駆け足でまとめてはいるけども
そもそもバトロワの基本ルールを前提にした場合に、生徒同士の殺し合いじゃないゲームになった時点でもう失敗することが決まってるようなもんなんだよなあ・・
内容は、プログラムには選ばれなかったけど、海軍がやってる軍隊学校に入れられちゃう中学生の話
テストに合格すれば抜け出せるけどそんなやつは今まで誰もいない、という代物
んで本編と同じようにお偉いさんの賭け事の対象にもなってたりする
主人公はエイリアン9と同じような泣き虫うじうじの女の子だからイライラさせられる
あとエイリアン9より断然キャラも多いのにかき分けがあんまりできてないのが致命的
顔みんないっしょ
母は自分を産むのにそりゃ大変な思いをしたんだろうけど
成長していくにつれて「こんなはずじゃなかった」って思ったんだろうな。
きっとつらい思いをして産んだ直後くらいは
親の言うことをなんでも聞いて
素直で優しく気が利いて
いつも静かでにこにこ笑っている
そんな子供を期待したのだろう。
性格は歪んでいて
頭は良い方だったけど1位を取れるほどでもなく
運動はまるでできず
気が利かないうえにすぐ目が悪くなって眼科と眼鏡代がかさむ。虫歯多い。金かかる。
親の言うことには逆らう。すぐ「なんで」って聞く。
せっかくあんなに痛い思いをして辛い育児を乗り越えてやったのに
成果物がこれかよと思うとそりゃぁ腹も立って毎日悪口言いたくなるだろう。
気持ちはわかる。
だからつらい思いをして出産したんだって事をアピールするのも結構だけど
とても感謝なんかできないわけですよ。
別に産んでくれなくても良かったわけですし。
一生無縁だと思っていた。
だって同担と入るコンサートが一番楽しいし、同担と飲む酒が一番うまいから。
前置きしておくと、私はリアコの気は一切ない。ファンサ厨でもない。
ファンサは貰えたらそりゃラッキーだけど、自担が生きてるだけでファンサなので別にそれ以上望むことはない。
だからそういう同担拒否ではないんだけど、この最近のしんどさは、同担拒否というやつなんだろうなと気づいてしまった。
私は「興味が絶えないから」という理由で、気が付いたら自担を自担にしていた。
私の言う興味が絶えない、というのは要するに、自担のことがまったく分からないっていうこと。
彼は、強くて、やさしくて、揺るがない芯を持って、綺麗な画を背に、孤独に立っている。
でも本当は泣き虫で、甘えん坊で、弱くて、それを見せないように必死で隠している。
その弱さも、陰の努力も隠そうとするから、彼はあんまり自分のことを話したがらない。
でも本当は自分のことを知ってほしいと強く思っている。とか、そういうのは分かる。
だけど、本当に見えないところっていうか、見せないところでどうかは分からない。
なにもかもが私とは正反対で、自分にないものをもって輝く彼に惹かれたわけだけど、正反対だから、彼の行動や発言の意図がまったく分からない。
眩しくて、悔しくて、だけど薄暗くてねちっこい感情がアホくさくなるほど魅力的で、君を見てると救われる気がする。
ずっと興味が絶えない。正反対で一番遠い君のことをもっと知りたい。見えないところ、分からないことを理解したい。
そんなときに、そんなときに、現れてしまった。分かるんですというオタクが。彼が自分と似てるんですというオタクが。見えないところ、彼の深いところ、全部が分かってしまうんですというオタクが。
確かに、わかるかもしれない。似てるかもしれない。
たぶん、本当に似てる部分が多いんだと思う。
だけど、あなたから教えてもらいたくないんですって、思ってしまって。
いや教えてるとかそんなつもりないのは分かってるし、ていうか全然その人は悪くないし、いろんなオタクがいていいと思うし、全部を肯定したいですよ。いいえ、肯定します。
肯定しよう。だけど、とにかくなんかもう、めちゃくちゃしんどかった。
解釈違いとはまた違う、オタクとしての価値観だなんとやらというものが違うんでしょうね。
そしたら堰を切ったようにどんどんどんどん、主に概念を語る同担が厭になってきて
バカなので昼休みに「同担」「嫌悪感」「価値観」「心理」とか、浮かぶありとあらゆる単語を組み合わせてネットにぶち込んだ。
何回やっても、一番認めたくなかったレッテルが毎回出てきて、ようやくわかった。
こういうところがいいよね、とか、こういうとこがすき!とか、ちっちゃいとこまでそういう話ができるのは他担じゃ限りがあるので、やっぱり酒を飲む相手は同担に限る。
だから、本当に多分、言葉の選び方とか、ニュアンスとか、文字しか読めない分、その文字がつづる文章に嫌悪感を抱いたら止まらない。
自担の概念という部分の核という核を、第三者からビラビラと見せつけられるのがたまらなくしんどい。
そういう同担とは関わり合いになる前に避難するのが賢明、という同担拒否。
お宝を探す作業が楽しいのに、ほらこれ、あ、これも、と横からぬるっと差し出されてもうれしくない。
自分の力で掘り当ててーんだよ。
だけど、どうしても自担のことになると、わかったようなこと言わないでと思ってしまう。
わかりやすく例えると、超おもしろくて展開が読めないマンガの結末をばらされるような感じというか、
もうこれを書いてるうちにどんどん自分がいやになっているんだけど
そういう人たちの言葉を受けれたくないんだよな、限りなく正解に近いって。
実際のところ正解とか誰もわかんないんだけどさ。
負けたって思ってるじゃん。だから尚更いやなんでしょ語るオタクが。
負けたくない、ってなに?負けたくないってオタクが言ったら独占欲のはしりじゃね?
えっじゃあもうわたしも独占欲側の同担拒否なの?うっそマジでめちゃダサいじゃん
こんなはずじゃなかった。ゆる~いオタクになるはずだった。
これ、どうしたらいいの?
自担をただ見ていたいだけなのに。
なんでしんどくなっちゃうのかな。
ここまで言っといて罪滅ぼしじゃないけど、いろんなオタクがいていいと思うよ。
俺は自分の顔がかっこいいと思っている。そしてそんな自分が気持ち悪くて仕方が無い。
これから、そうなっていった過程の話をする。それが良かったとか悪かったとかの話ではない。過程の話をする。要するに、自分の過去をだらだらと綴る。
俺は小さい頃、具体的には中学にあがる前後くらいまで、親や周囲にかわいいかわいいと言われてきた。そして俺はそれを「自分の顔がかっこいい」のだと解釈していた。わかっていると思うが、一応言っておくと俺は男だ。
幼稚園の頃、俺はモテていたらしい。幼稚園の頃の記憶などほとんどないが、お前はモテていたと親から聞いた。
そして、小学校にあがったとき、俺は全く、微塵もモテていなかった。なぜか。それは、俺がかっこつけていたからである。
俺が運動が苦手だった。そして、泣き虫だった。ついでにいえば、性格が暗かった。そのくせ、妙なところでかっこつけていた。なぜかっこつけていたかというと、この頃からすでに自分の顔がかっこいいと思っていて、顔がかっこいい奴がかっこいいことをすればそれはとてもかっこよくなると思っていたからだ。
妙なところというのは自分でも説明しがたいのだが、具体例をひとつ挙げるとすれば、昼休みに朝礼台の階段をかっこつけて上り下りをしていた。何を言っているのかわからないと思う。自分でもこの行動はほんとうに意味がわからない。なんかそれがかっこいいと思っていたのだ。要するに、俺は小学校の頃からキモかったということだ。
中学にあがった。その頃俺は泣き虫な自分が嫌いで嫌いでしょうがなかった。さすがにまずいと思った。このままではずっと馬鹿にされて生きていくことになると思った。顔がかっこいいのに泣き虫だからずっと馬鹿にされて生きていくことになると思った。そしてどうしたら泣かなくなるか考えた結果、俺は周囲の刺激から守るため自分の心に蓋を被せた。自分が傷つかないように、心の感覚神経を鈍くした。ように自分自身に見せかけた。そんなことはできるはずがない。めちゃくちゃ強がって周囲の刺激が、人に言われた嫌なことが心に響いていないフリをした。この話はあまり関係ないか。脱線してしまった。
高校にあがった。入学当初、俺はモテた。小中学校はほぼ変わらない面子だったが、高校では俺のことを知っている人間が少なかった。だからモテた。なんかクラスの女子からやたら話しかけられた。気持ちよかった。これがモテるということかと思った。だが、二学期にもなればそれは冷めた。授業中も休み時間も机に伏せている男には、いくら顔がかっこいいといえどよって来る女の子はいなかった。当たり前だ。あと、俺はモテたいとは思っていたが、顔がかっこよければなんとかなるとだけぼんやりと思っているだけで、女子と(男子でもそうだが)うまく話せるでもなく、自分から女子に(というか人に)寄っていけるでもなく、モテるためのなにかしらの努力をするでもなかった。
この「顔がかっこよければなんとかなる」という考えはモテるということに限ったものではなかった。人生に対してもそうだった。俺は顔がかっこいいから人生なんとかなると思っていた。紛れもないバカ。何も考えていない証拠である。一応言い訳しておくと、全面的にそう思っていたわけではないが、心の隅にこの考えが常にあった。そして、だいたいこの中学高校あたりから、客観視というものが大分できるようになっていったので、「自分の顔がかっこいいと思っている自分」が気持ち悪くて仕方がなくなった。
大学。バイトを始めた。ミスをしまくる。仕事が全く覚えられない。顔がかっこいいことはファミレスのホールに全く役に立たない。非常にバカな話だが、バイトのときも、心の隅に「顔かっこいい」の考えがあった。結局店長に怒られまくって2ヶ月でやめた。その後もいくつかバイトをしたが、どれも長続きせず、大学生活後半は全くバイトをしなかった。勉強もあまりしなかった。
そんなこんなで今に至る。書いていてすごく恥ずかしかった。自分でもよくこんなことやったなと思う。何回顔がかっこいいって書いたんだ。語彙力の無さを実感する。
ここまで読んでわかったかもしれないが、俺には自分の顔がかっこいいと思っていること、すなわち、自意識過剰が過ぎること以外にも多くの人間的な問題がある。そしてそれは仮に自分の顔について何も思わなくなったとしても解決するわけではない。現在俺は一応就活中の大学4年生だ。が、今はそんなことをしている場合ではない。している場合といえばしている場合だが、今はそれよりもやらなければいけないことがある。俺は変わりたい。自意識過剰をどうにかしたい。誰かアドバイスをください。あとよければ自意識過剰以外の問題のアドバイスもください。お願いします。
虐待などされていないのに、物心ついた時には愛着をミスった虐待された子供のような人だった。
長じて距離を置いてから両親と向き合っても、幼い頃の思い出や周囲との関わりを思い出しても(アルバムをめくっても)、私の両親は、そりゃあ完璧な理想の親ではなく人並みに失敗や未熟さはあれど、普通か、優しく暖かい両親だ。
でも5歳の時には既に私は、母が私を叱ろうとすると、母が語気を強める前に、ごめんなさいごめんなさい怒らないで怒らないでと、勝手に盛り上がって勝手にどんどん大泣きする子供だった。泣き虫だったから母親は大いに困ったし、今思えば、だいぶ母を傷つけていた。
ちょっと空気を読むのが苦手な方だったり、自意識過剰だったりで、私は浮いた子供だった。今では少し浮いた大人くらいにまで落ち着いて普通にフルタイム正規雇用社会人を普通にやれている。
けれど、どうやら、心根がめちゃくちゃに卑屈だ。自意識過剰で情緒不安定なところがある私だけれど、元を辿ると、とにかく物凄く、異常なまでに、自分の存在を後ろめたく思っているところがスタート地点なので、色々ゆがんでいる気がしてきた。
まるで親から幼少期に十分な愛情を注いでもらえず心に穴の空いている人間のようだ。
いや、そんなこと、全然ないんだけど。
だいぶ普段は、一般人のふりも板についているけれど、メンヘラというほどメンヘラではないけれど、心を許した親友に「卑屈すぎて疲れる」と距離を取られたこともある。
仕事をしていないときは原罪に押しつぶされそうになる。呼吸をして二酸化炭素を増やし、営みで電力と自然環境を消費し、化石資源を食いつぶし、食料品を排泄物に変換する自分が後ろめたい。
仕事は、まぁ上手くモチベーションを持って積極的にこなしていると思う。失敗しなくもないけど、よくやってると思う。周囲とも、飲み会で愚痴を言ったり言われたりくらいで、そこそこだ。それなりに疲れるけど。
家庭環境が主な原因だった!!
そりゃそうだ。当たり前。
書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、
こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。
言いたいことはこの後に書いてあるので、
面倒くさくなったら飛ばしてください。
生まれてから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、
こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。
女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格の人間は苦手すぎる。
本当に家庭は選べねえなあと思った。
仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、
その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。
周りのように旅行に連れていけという姉が言う。
金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。
姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。
自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。
毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。
翌日には忘れ、繰り返す。
感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いかに自分の精神に影響し、
自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。
小学校3年までは小説や子供向け科学雑誌を学校でよく読んでた。
将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。
そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。
誰からも肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。
小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。
そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。
感動するものもあったが、自分の環境を見直したときの絶望感が怖くなった。
誰も何も誰しも自分の気持ちなんてわからない。他人を理解しようとしない。
そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。
文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。
中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。
自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、
ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。
全てがくだらない。
絶望的な気持ちを査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。
でも、周りと馴染めなかった。
何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?
人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。
自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。
うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。
満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。
そんなことをしながら、何のために勉強しているかわからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。
勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。
難しい話は通用しないことはわかっていたので、
家から出て、高校の延長線上の分野で、大学でしかできない勉強をしたいというが、反対される。
金がないから、心配だから、不景気だから、あんたのために言ってるから。
は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?
大卒の就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。
お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?
ニュースで得た情報と自分の身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。
めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。
お前じゃい!
その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、
勉強は続けたが、やはり高1のときに高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。
何より自分の大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、
何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、
もうなんだかよくわからなかった。救急車も警察も呼ぶ気になれなかった。
30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。
パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。
恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。
もう何がなんだかわかんなかった。
自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。
悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。
自分が違うのか?田舎に生まれた自分は田舎に埋もれなければいけないのか?
精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。
自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、
正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。
もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。
周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。
子離れできない親から親離れできない。
毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。
頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。
さらに自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。
実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。
あーもう何もしたくない。考えたくない。
人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。
悩まない人間にとって悩んでいる人間の気持ちなんかわからない。
逆もまた然りだ。一生分かり合えない。
自分は具体化しすぎなのだ。人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。
記憶を消し去りたい。
昔からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。
降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。
この問題は解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか?
わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか?
なんでこんなこと考えるようになったんだ?
最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、
自分の性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。
納得いく解釈を探しつつけてたのは、
親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである。
でもこうするしかなかった。
こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。
自分の気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、
早々に自分の気持ちに蓋をして、自分の気持ちに嘘をついてきたということだ。
頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。
気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。
他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。
俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。
でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。
そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。
「自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。
皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分の表現をするのだ。
それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。
素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。
だからこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。
ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。
結局こうするしかなかった。
よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。
最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。
その場しのぎで余裕がなかった。
これに関しては納得行くようになってきた。
書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。
これは終わったことだし仕方がない。
見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。
原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、
自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、
と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。
何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。
学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。
本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。
あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。
自分の気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。
やっと人間らしさを取り戻した気がする。
今までどこか、頭を何かのタイミングでリセットできると期待していた。
まあ解決しようにもできないもんな。
わからないから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。
自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。
自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。
環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。
初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。
時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。
見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。
苦しいとは思うが、自分の内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。
対面して初めて分かるものは自分だけの発見であり、自分で掴んだものだから信頼できる。
こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。
あと、外部の情報に目を向けるべき。
漫画喫茶で見たことのないジャンルの漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。
まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。
そうすれば外部に注意が向く。
自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、
そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。
結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体が自分のためになっていると思うこと。
そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。
とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、
人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。
書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。
そのことを忘れないでおきたい。
(追記)
終わりに
(内面の気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)
全体を見ると、自分の内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、
気になるものを自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。
ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。
趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。
湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。
これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。
どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。
ブコメには鬱病だから病院行けっていう意見が複数あるけど、すぐ泣く人の全員がそうとは限らないよなあ。
私の妹が赤ちゃんの頃からものっすごい泣き虫で、高校生になってもよく泣いていた。
家では遠慮する必要がないから手放しでギャーギャー泣きわめいていたんだけど、学校では一応顔を覆って泣いているのだと、妹の友達から聞いた事がある。私は四学年離れているので、小学校時代でも学校で妹がどんな風に泣いているのかその現場を見たことは無いのだが。
妹の友達が言うには、妹はすぐにしくしく泣くのだけれども、元々性格が凄くキツいし表情が常に不機嫌そうで迫力のある面構えなので、すぐ泣く事が原因でいじめられる事は泣く、頭の回転が速いので涙を武器にして上手く立ち回っては人間関係を支配してしまうのだという。
そんな妹が社会に出てからどうなったのかは、妹と顔を合わす機会があまり無いからよく知らないのだけれども、初めて就職した会社が凄くストレスフルな職場だったせいで、毎日定刻になると下痢をしてしまうようになったという話は聞いた。
それを聞いた時に「昔みたいにえんえん泣いたりしないの?」って聞いたら、「バーカ、いい大人になって人前で泣ける訳ねえだろ」って妹は言っていて、もしかして泣くの我慢したら下痢になったんだろうか?と思ったがよくわからない。