虐待などされていないのに、物心ついた時には愛着をミスった虐待された子供のような人だった。
長じて距離を置いてから両親と向き合っても、幼い頃の思い出や周囲との関わりを思い出しても(アルバムをめくっても)、私の両親は、そりゃあ完璧な理想の親ではなく人並みに失敗や未熟さはあれど、普通か、優しく暖かい両親だ。
でも5歳の時には既に私は、母が私を叱ろうとすると、母が語気を強める前に、ごめんなさいごめんなさい怒らないで怒らないでと、勝手に盛り上がって勝手にどんどん大泣きする子供だった。泣き虫だったから母親は大いに困ったし、今思えば、だいぶ母を傷つけていた。
ちょっと空気を読むのが苦手な方だったり、自意識過剰だったりで、私は浮いた子供だった。今では少し浮いた大人くらいにまで落ち着いて普通にフルタイム正規雇用社会人を普通にやれている。
けれど、どうやら、心根がめちゃくちゃに卑屈だ。自意識過剰で情緒不安定なところがある私だけれど、元を辿ると、とにかく物凄く、異常なまでに、自分の存在を後ろめたく思っているところがスタート地点なので、色々ゆがんでいる気がしてきた。
まるで親から幼少期に十分な愛情を注いでもらえず心に穴の空いている人間のようだ。
いや、そんなこと、全然ないんだけど。
だいぶ普段は、一般人のふりも板についているけれど、メンヘラというほどメンヘラではないけれど、心を許した親友に「卑屈すぎて疲れる」と距離を取られたこともある。
仕事をしていないときは原罪に押しつぶされそうになる。呼吸をして二酸化炭素を増やし、営みで電力と自然環境を消費し、化石資源を食いつぶし、食料品を排泄物に変換する自分が後ろめたい。
仕事は、まぁ上手くモチベーションを持って積極的にこなしていると思う。失敗しなくもないけど、よくやってると思う。周囲とも、飲み会で愚痴を言ったり言われたりくらいで、そこそこだ。それなりに疲れるけど。
うんち
楽しいと思えることがあるなら、それをおもいきりやるといい。 自己責任で。誰かが言ったからとか、**さんが楽しそうだったからとかじゃなく。 誰かのためとかじゃなく自分のた...