はてなキーワード: 梯子とは
中華ポータブルオーディオがすごい。
有識者に言わせれば、それこそ「何を今さら」な話題だと思うが、2000年代日本国内で興きたポータブルオーディオブームから数えて二十数年離れていた筆者からすると今の中華ポータブルオーディオは本当にすごい。
ここでさっそく筆者の年代を挙げれば現在30代であり、青春の10代を振り返れば「iPod」が登場し、日本国内で大きなシェアを持っていた「MiniDisk(MD)」が徐々に斜陽化していっていた。
筆者も例に漏れずMDプレイヤー、そしていわゆるiPodに代表されるMP3などを中心に扱った「シリコンオーディオプレイヤー」という遍歴を辿る。
ただ、筆者と同年代であり同時期に青春時代を過ごした者であるならば、Webメディアで語られるポータブルオーディオの歴史とは些か違った遍歴を歩んだという者も少なくないのではないか?(※HDD搭載iPodは厳密にはシリコンオーディオプレイヤーではない)
世の成人したアーリーアダプターたち(主にApple系コミュニティの人たち)がiPodへ熱狂するそのとき、日本で青春時代を過ごした我々が熱狂したのは「Playstation Portable(PSP)」だったのだ。
もしかしたら年代が10歳前後離れているだけで当時のPSPの勢いを肌で感じることは難しかったかも知れない。
一部の成人ゲーマーなどは「モンスターハンターポータブル」あたりでPSPを頻繁に持ち出していた可能性はあるが、実はそのときの学生世代の間ではPSPはiPodと肩を並べ、用途によってはiPodを凌駕するポータブルデジタルメディアプレイヤーとして運用がなされていたと聞くと驚く人も居るかも知れない。
何せ「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」くらいなのだ。
これは当時のiPodでは起き得ないことであり、陰鬱としたオタクというイメージが現在のオタクのイメージへ転換していく過渡期の中でPSPは少なからず影響を与えたハードウェアとして記録していく必要があるように思う。
筆者と同世代のオタクであれば「2ちゃんねるニュー速VIP」ブームを経て、YoutubeからのBANや動画の違法アップロード祭りなど古今東西どう考えてもアウトな「ニコニコ動画」のローンチなどを経験したと思うが、怒られ叱られ叩かれ裁かれ逮捕者を出しながらも独自と言って良い文化を形成できた。
当時の動画の違法アップロードで一番の被害者であった角川書店とドワンゴが今では同じ会社になるとは時代の変化とは恐ろしいものだ。
そういった独自の文化の中心にあったのは「東方」「アイマス」「ボカロ」のいわゆる「ニコニコ三大ジャンル」ではあるが、それらとほぼ同時期に萌芽するのが「歌ってみた」「踊ってみた」である。
そして歌ってみた、踊ってみたの興隆を後押しするのが「涼宮ハルヒの憂鬱」であり「ハレ晴レユカイ」なのだ。
先に挙げたPSPが当時の若い世代に支持された理由がMP3のほか、大画面でMP4動画を再生できたからで、しかもPSPの動画プレイヤー機能はコマ戻しコマ送りが物理ボタンで可能だったこともあり、特に踊ってみたジャンルで練習するためのハードウェアとして選択された。
更にPSPには別売のRCA(赤白黄)変換ケーブルによってPSPの画面をTVなどのディスプレイモニターへ出力することも可能で、アニソンや電波ソング、ボカロソング、ゲームソング、同人ソングなどの配信が乏しかったカラオケ店へPSPを持ち込んでカラオケ機材へPSPを接続しカラオケ配信楽曲以外を歌うという手法が現れた。
これへ呼応するように登場したのが勝手に字幕を付けてカラオケ用動画とする「ニコカラ」だ。
特にアニソンやゲームソングでは無許可で版権素材を活用した高クオリティで手のこんだニコカラ動画も存在しており、JOYSOUNDがその需要に気付くまで人気を博していた。
稀に「なぜあんなにPSPが売れているのかわからない。モンハンだけじゃ説明付かない」というガジェット好きが居るが、ニコニコ動画を中心としたサブカルという背景があり前述したように「当時のPSPはゲームソフトを持っていないのにPSP本体は所持していたという女子学生が存在した」ほど売れていたのだ。
PSPは当時のSONYが夢想したマルチメディア戦略の中でほんの一部界隈(ほぼサブカル界隈)でだけ成功を収めていた事実は周知されておくべきだろう(UMDやPSP Goとかで失敗してるけど)。
そしてその需要をiPod Touch、iPhoneが奪っていくというのは知られたとおりだ。
多くの人々が音を聴くようになれば良い音質で聴きたいという需要が生まれるのは必然。
iPod登場当初その付属イヤホンの品質の低さが取り沙汰され、MD Walkman派やアジア系ポータブルオーディオプレイヤー派から揶揄されるたびApple信者が「あのイヤホンは音が鳴るか確認するためのオマケ。欧米ではそれが普通。付属品にまでケチ付けるのは日本人だけ」などと言い訳し擁護していたらAppleが競合他社と同等品質まで付属イヤホンの品質を引き上げるというお家芸の梯子外しがあったこともあり、その煽り合いが起きた前後で音の良いイヤホンへ注目が集まり始めた。
最初期に評価されたのはバランスドアーマチュア(BA)型ドライバー本家本元であるEtymotic Researchからリリースされていた「ER-4」だった。
BA型ドライバーは従来のダイナミック型ドライバー(DD)と比較して小型軽量に製造することが可能で、音を発生させる振動板の質量も小さかったため慣性の法則的に非常に反応が良く、iPod付属イヤホンの低品質さも相まって高い評価を受けることになる。
続いて注目されたのがマイクで有名なShureの「E5c」だ。
こちらもBA型ドライバーを何と2基も搭載したリッチなモデルで、BA型ドライバーはその構造上音域が狭くなりがちなのを高音域〜中音域用と中音域〜低音域用に2基とすることで欠点をカバーした製品だった。
更にER-4は現在主流の耳栓型イヤーチップとは形状が違う長めのイヤーチップを採用していたこともあり装着者を選ぶ傾向にあったが、E5cはSONYが売り出して大流行を果たす現在主流の形のイヤーチップを採用しており広い範囲の装着者をカバーできた。
しかしこれら評価の高いイヤホンは学生の懐には大変厳しいという問題があった。
ER-4は約4万円、E5cに至っては約6万円でとてもとても学生には手が出ない高級品であり、着メロの打ち込みから端を発したDTM小僧だった筆者はなけなしのお年玉をはたいて有名ミュージシャンがレコーディングでよく装着しているヘッドホンSONYの「MDR-CD900ST」を約2万円で購入し愛用していた(ちなみにこのMDR-CD900STは修理しながら今でも現役)。
しかし流石にいつでもどこでもMDR-CD900STを常用というのは辛くあり、当時評価の高かったSONYのイヤホン「MDR-EX90SL」を常用するようになる。価格は約1万円。
しかしMDR-EX90SLはBA型ではなく従来どおりのDD型、無論MDR-EX90SLには評価されるだけの音質があり十分に満足していたのだが、BA型イヤホンへの想いは募るばかりであった。
それから二十数年、社会人としてもそこそこ経験を積み、ちょっと頑張ればBA型イヤホンも買えるようになりBA型イヤホンをいくつか購入した後にポータブルオーディオからは距離を置いていたが、何故かふと近年話題の中華ポータブルオーディオへ興味を持った。
調べてみると本当にすごい。技術の進歩と大量生産により当時憧れだったBA型イヤホンが当時のMDR-EX90SLと同等価格どころか下回る価格で販売されているではないか。
これはもう実際に入手して試してみる他ないとさっそく動いた。
最初に入手したのがKZの「AS16 Pro」で、これは以前に「AS16」というイヤホンがありブラッシュアップして登場した製品。価格は約1万円。
AS16 Proはこの記事を懐かしく読んでいて今まで中華ポータブルオーディオへ触れてこなかった読者は驚くはずだ。
なにせAS16 ProはBA型ドライバーを搭載しているが、その搭載数は片側8基、LR両側で合計16基というとんでもない搭載数を誇っている。
これが約1万円で買えるのが中華ポータブルオーディオの世界。
その音の傾向はBA型ドライバーのみを多連装しているだけあり全音域がハイレスポンス、機敏に発声し無駄な余韻なく消音する。音と音がよく分離しており違いをはっきりと聴き分けることができる。
低音域と高音域が少々強調された弱ドンシャリ型のチューニングがなされていて現代のイヤホンでは派手な鳴りが好まれる傾向にありAS16 Proも例に漏れず弱ドンシャリの派手な鳴りだ。
ハイレスポンスで音の分離感が良いと言っても音楽制作用のMDR-CD900STのような分析的な鳴りではない元気でエネルギッシュ、タイトなサウンドの多い電子音楽を聴きたくなる鳴りだ。
ただ逆に言えばレスポンスの良さは空間表現の苦手さにも繋がっており、MDR-CD900STでは継続する余韻がブツ切りするかのように消えてしまうことがあるのは気になった。
ホールの残響感も音楽の一部と捉えるようなオーケストラなどは少々苦手な音楽ジャンルと言って良いだろう。
本当に鳴りがハイレスポンス&タイトなので筆者はボカロソングが多数収録されるリズムゲーム「プロジェクトセカイ」や、電子音楽も多数収録される定番の「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ(デレステ)」、なぜサ終してしまうのか「東方ダンマクカグラ」をプレイし、思った通りリズム隊がよく聴こえる事を確認。
現代のポピュラー音楽リスニングに、リズムゲーム用のイヤホンとしてAS16 Proは非常にオススメだ。
ハイレスポンスなBA型ドライバーだが欠点がないわけではない。
その構造上の制約でBAドライバー単体ごとの音域が狭くなりがちで結果としてBA型ドライバー複数基を多連装することで欠点をカバーしているのだが、音というものは低音域ほど大きく空気を動かす必要がある。
小型軽量のBA型ドライバーは小型軽量であるが故に低音域になればなるほど鳴らすのが苦手という制約を持っており、非常にタイトな低音域を持つが深く沈むような表現が不得意なのだ。
それをAS16 ProとMDR-CD900STの比較でしっかりと認識した筆者が次に手に入れたのがTRNの「VX Pro」だ。
AS16 Proと同様に片側8基、LR両側計16基のBA型を多連装しつつ、従来のDD型を片側1基、両側2基を搭載する、全ドライバー18基ハイブリッド多連装という化物スペックなイヤホンである。
このスペックでVX Proも価格は約1万円。とんでもない価格破壊。
VX Proは高音域から中音域にかけてまで非常にハイレスポンスでありながら、低音域を担当するDD型のお陰で低音が発音する際に大きく空気を動かせてAS16 Proと比較して低音域がよく沈む。
耳が従来のDD型に慣れているというのもあるだろうが、この低音域の感覚は非常に好ましく、万人へAS16 Proとどちらをオススメするか?と言われると筆者はVX Proを推す。
AS16 Proのハキハキとしたタイトな低音域を好む人も少なくはないだろうが、迫力ある豊かな低音域のほうが万人に好まれる傾向があるのは確かだ。
VX Proも現代イヤホンらしく鳴りは派手、高音域と低音域が少々強調された音楽的な弱ドンシャリ型のチューニング。
キラキラと分離感のある高音域と、しっかりと空間を感じられる低音域はあらゆる現代ポピュラー音楽を聴きたい衝動に駆られる。
昔話も絡めて話しているのだからココは様々な楽器音が飛び交って音域も広い「ALI PROJECT」はどうだろうか?もちろん最初に再生するのは「禁じられた遊び」「聖少女領域」だ。
音楽制作でミキシング経験がある者ならばわかるだろうが、別々の楽器であっても担当音域が被ると両方とも目立ちにくくなってしまうことがある。
例えばそれが現代ポピュラー音楽では重要なボーカルと、そのボーカルを支えるバックで流れる楽器の音域が被るとボーカルも聴こえにくくなってしまう。ミュージシャンはそれを経験則的に知っているのでミキシングの時点でイコライジングして聴感上のバランスを取る。
それと同様にミュージシャンが例えイコライジングしていても音域の分離感が悪いイヤホンだと各々の大事な要素が被ってしまい聴こえにくくなるのだが、VX Proはそれがほとんど無い。
ボーカルはボーカル、ブラスはブラス、ストリングスはストリングスとしっかりと"書き分け"ており、オーケストラサウンドをフューチャーしたプログレッシブロックALI PROJECTが誇るバックバンドを聴かせつつ、宝野アリカの表現力のあるボーカルを損なうことがない。
特にDD型によるベースラインの深さは特筆に値する。底がしっかりしているおかげでALI PROJECT全体の音楽が世界観が明確になる。単に目立つ派手な高音域ばかり推せば良いわけではないのだ。低音域の支えによる相対的なコントラストが輝くような高音域を演出するのだとVX Proは教えてくれる。
欠点がないわけでない。
やはりDD型の宿命か、タイトさが求められたときフルBA型構成であるAS16 Proの歯切れの良さが勝る。まさに得手不得手の問題だ。
同時に2つ紹介しているのはKZの「ZAS」とCCAの「CA16 Pro」はハウジング筐体デザインが違うだけの姉妹製品だから。CCAはKZのサブブランドのような立ち位置であるらしい。
実際に購入する場合はハウジング筐体デザインの違いや販売価格を吟味して購入すると良いだろう。
ちなみに1万円以下8千円前後くらいの価格の安さも魅力だ。
筆者が購入したのはKZのZAS。
箱出しで早速聴いてみたが何と音がスッカスカ。事前のレビュー調査では低音域が非常に豊かであると触れ込みだったのだが・・・。
実はZASには罠がありZASの性能を十分に発揮するには付属のイヤーチップが低品質過ぎる。これも多くのレビューで触れられているので筆者も先人の導きによって神奈川県所在の株式会社Finalが販売しているイヤーチップ「TYPE E オールサイズ」を別途購入した。
ZASの優れたコストパフォーマンスがサードパーティイヤーチップを別途購入することで少々損なわれるのは口惜しいが、自身に合ったイヤーチップのサイズ感を調べるきっかけにはなったので良しとする。
Final TYPE Eイヤーチップへ交換し再度ZASで聴いてみると派手を通り越した大げさと言って良いチューニングだ!事前のレビューで読んだ通り低音域は前へ出ており深く深く沈んでいく。
ZASのドライバー構成はBA型が片側7基でLR両側計14基、DD型が片側1基でLR両側計2基、合わせて16基ハイブリッド多連装構成で当然ながら低音域はDD型が担当し、BA型が高音域〜中音域を担当するという仕様だ。
前述した通り、もう本当に低音域がすごい。
試しにTVアニメ「アイドルマスター XENOGLOSSIA」のオープニング曲「微熱S.O.S!!」を聴いてみる。
冒頭一発目から入る超重低音が特徴で、曲中もキックやベースが非常に目立つのだがZASで聴くともうブルンブルンだ。
BA型よりも大きく重いDD型の振動板がこれでもかと震えているのが感じられ、そのせいで耳たぶも一緒に振動してるんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。これは笑うしか無い!
続いてはアニメ「魔法先生ネギま!」からオープニング曲「ハッピー☆マテリアル」だ。
冒頭のバスキック三連打が気持ちよく、そして低音域だけど思われがちなZASだが14基のBA型がタイトにハキハキと高音域〜中音域を発音し、豊かな低音域を更に深めてくれるように感じた。ZASは低音マニアへ是非とも奨めたくなる非常に面白いチューニングになっている。
父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代のアメ車の代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故。
娘を探して霧にけぶる古いリゾート地、サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。
やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。
車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。
娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。
娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔にしか見えない。
主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公。
開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海は静岡だからサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。
サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画『ジェイコブスラダー』が元ネタ。
死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。
異常世界の景色は登場人物の精神が投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロと悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。
その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。
強迫観念のメタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。
ホテルで主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護に疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。
過去が判ってくると妻の手紙は白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害を咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。
カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖をボートを漕いでいく。
JKがイオンに居ると異世界に突入し白髪の三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。
家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。
JKは自分の輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。
落ちていた週刊誌から、JK転生前の娘’が居たのはカルト二世を収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待と洗脳が行われていた事を知る。
錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルトの教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。
神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明もメシアだ。神をぶっ殺してJKは輪廻の運命を自分の意志で断ち切った。
たかがホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。
例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公の輪廻を表している。
日本のTVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。
グラフィックは大変悪趣味なグロで、懐中電灯で廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子を素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。
ストーリー的には自分の意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。
件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別な関係はないんじゃないか?
ただ、美術史には図像学(イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。
ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。
ただ、2→3と連続でやると、強迫観念のメタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。
また運命を断ち切る当為の最中にカルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。
2では底が見えない穴に落ちるという行為が連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムやテロルっぽいところもある。
ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。
その時は強いカードが何なのか分からないし、ルールも全然知らなかった。
僕が持ってたカードといえば『バーバリアン1号』や『死の4つ星てんとう虫』みたいなノーマルカードばっかりで遊戯や海馬が使ってた『ブラック・マジシャン』や『青眼の白龍』は持っていなかった。それでも『人喰い虫』や『寄生虫パラサイト』みたいにキラキラ光ってるカードを当てた時は嬉しかった。
当時、自分からせがんたのかそれともお父さんが見つけてきてくれたのか忘れてしまったが、ストラクチャーデッキが2つ入った『EX-R』を買ってくれた。
そのデッキには『ブラック・マジシャン』や『青眼の白龍』も入っていたのだが、僕が一番カッコいいと思ったのは『クロス・ソウル』だった。
どうしてかっていうと光り方が当時の自分が初めて見たシークレットレア仕様でキラキラと光っていたこと、海馬がこのカードを使っていたことを覚えていたからだ。
でもデュエルする相手もいなかったし、当時の僕はルールも分からなかったからしばらくすると遊戯王以外のカードゲームを遊んだり、ゲームを遊んでいたのでしばらくは遊戯王から離れていた。
もう一度遊戯王カードで遊び始めたのは高校生の頃、友達みんなと夢中になって遊んだことを覚えている。きっかけは何だったのか全然覚えてない、でも周りの友達が一人、また一人と遊戯王にハマっていき、気づいたらクラスの友達で固まって遊ぶようになってた。
学校帰りに少ないお小遣いで新しいパックを買ったり、週末は僕の家に集まって何時間もデュエルして遊んだ。新しいパックに入ってる強いカードの情報が出るとこのデッキは俺が組む!とかこのカードの効果おかしいだろって教室で騒いでた。
本当に色んなことがあった。
スーパーで1台しかないデュエルターミナルに友達と一緒にしがみついてようやく目当てのカード『氷結界の龍 トリシューラ』が当たった時は本当に嬉しかった。友達のスキドレ次元にボコボコに負けたり、テキストを勘違いして『パイナップル爆弾』を使うと全てのモンスターが破壊されるデュエルを観戦して笑ったり、アニメで遊星がイリアステルと戦ってる時はバイクと合体してるってゲラゲラ笑ってた。遊戯王wikiと自分のカードを睨めっこしながらどんなデッキを作るか悩んだりした。カードショップのストレージコーナーに何時間も張り付いて目当てのカードを探したり、流行ってたゲームのスリーブをデッキにつけて自慢したり、VJUMPの特典カード目当てに色んな本屋を梯子したりした。思い返せばあの頃の遊戯王に関わる全てのことが僕の、僕たちの青春だった。
当時の友達とは全員ではないけれど今でも連絡を取っている。お互いに遊戯王は遊ぶことはほとんどなくなってしまったけど、あの頃の思い出をよく語りながら通話したり、気まぐれで買ったパックのカードを見せたりしている。通話で話すたび、何回同じ話をしてるんだろうって思うこともあるけれどそれだけ僕らにとって楽しかったんだと思う。いくつになっても楽しかった思い出は色褪せない、それが僕にとって遊戯王に関わる高校時代の思い出だった。
この文章をここまで読んでくれた人の中にはきっと遊戯王の思い出がある人がいると思う。それをTwitterでもLINEでもどこでもいいから書いて、昔の友達と話して『遊戯王』って楽しかったなって気持ちになってくれたら嬉しいです。
https://o-itoma.jp/zyoshi-kirai-genkai/
などを読んでみたが、上司の上司は社長しかおらずあてにできない(基本的に自己保身を優先する事なかれ主義だから「下から不満が~」なんて事実は何としてでももみ消そうとする)し、人事部門に相談しても、人事部門からはその嫌いな上司を通って社長に必ず話が行くので、同様にあてにできないか、人事部門が面倒事を忌避して動くこと自体を拒否する可能性もあり、やはりあてにできない。
よしんば配置換え検討となっても、小さな組織だからそもそも配置換えできる余地もない。
社内に私の味方というか、話を聞いてくれるくらいの人はいるが、具体的に直接間接に何かできるわけでもなく、過剰に頼ることもできない(逆に相手にとって負担になりかねない)。
有休は取っても仕事がたまるだけで根本的な解決にはならないし、退職しても収入が途絶えるだけ。
心療内科は既に通っているが、診断書をもらって休職などできたとしても、有休同様仕事がたまるだけで根本的な解決にはならない。
本人に直接…下手なことを言えば言質や揚げ足を取られて吊し上げにされることは火を見るより明らかだ。
パワハラと言えるほどのことは…俗にいう「梯子を外す」(一旦指示・命令・承認はするが都合が悪くなると保身のために「知らない、聞いていない」などと言って逃げる)のはパワハラに該当し得るのか。
(6/21 1:15 追記)
なんか元増田とかこの増田で「リン酸鉄系電池のせいでリンが枯渇する・枯渇が近づく」って言う内容を読み取ってる人がいるみたいだけど、そんなこと書いてないよ。元増田では追記で「枯渇が見えてる資源を使ってたら価格が下がっていくとは考えづらい」って書いたし、ここでは「問題は消費量じゃない」って書いてるよ。書いてないことを読み取られても反論のしようがないからね。
(追記終わり)
書き方が悪くてEVアンチだと思われている節があるんですが(ただこれは完全に私が悪いです。すみません)、あくまで現状の電池技術ではコモディティ化は難しいだろうということを資源という面から書いたつもりでした。いい加減なことを書いているとまで言われてしまったのは心外だったけどね。
korilog 埋蔵量はその時点で経済的にメリットの出る採掘量なので、採掘技術の進歩や価格の高騰で増える。自分が子供の頃にはお前らが大人になる頃には石油が尽きるからなって言われてたけど、寧ろ尽きるまでの年数が伸びてる
そうだね。でも価格が上がってしまうとますますコモディティ化からは遠ざかるよね。
muchonov 電池技術開発の弾込めは日本含め世界中で高密度化とレアメタルフリー(=廉価化)を目指して突き進んでるので自分は楽観的。次世代Li系は概ねコバルトフリーだし、本命はほぼ無尽蔵のNa・K系。リンは→https://bit.ly/3b1rPGk
そうだね。でもね、リチウムイオン電池って30年前には実用化されてた(1991年、ソニー)んですが、EVとして普及し始めたのはこの10年ほど。あくまでタイムスケールを感じてもらうためにこの例を出したので、そのまま当てはめることはできないけど新しい電池を車用に実用化するとなったらそれなりに時間がかかるのは覚悟しておくべきだろうね。多分今のEVブームが盛り上がっている間(今のインフレ退治の後の景気後退が来るまで)には間に合わないだろうな。でも、多分EVを一般的に普及させるのは全固体電池なり金属空気電池だろうなとも思うから、投資は惜しまないでほしいなとも思うね。
リン酸鉄系について色々ブコメや増田があったんだけど anond:20220620101253 に答えるのが手っ取り早そうだから答えるね。
あのさあ、LFP電池が使うリンの量なんて、農業利用される莫大なリン量に比べたらタカが知れてるというか、はっきり言って誤差のレベルでしょ
そうだね。でもね、問題は消費量じゃないんだ。リン酸塩の値段は今後も続くリンの採掘によって上がっていく。「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ。現にウクライナ侵攻後にFertilizer prices indexの値段は2倍になってるからこの影響は半年もしたら出始めると思うな。あとね、個人的に心配してるのがこのあと天変地異なりでリンの値段がさらに急騰した場合に安全保障を名目に中国政府が梯子を外してくるんじゃないかということ(四川大地震の時に似たようなことが一回あったみたい)。リンはレアメタルよりも大事な、人間にとって生きていくのに絶対必要な元素なのでそれを電池に使い続けるのは政治的にも難しいと思うな。
そもそもLFP電池自体がNMC系のLiBに比べて長寿命なうえに、最後までバッテリセル内に滞留してて100%リサイクルできるからね
これは違うよ。調べてもらったらわかるけど二次電池の正極活物質のリサイクルって実は難しくて、今やってる電池のリサイクルって実は負極に使う銅箔など肝心の正極以外のものが多いんだ(実は三元系でもまだそんなにできてないんだ)。リサイクルがビジネスになるかどうかを無視したとしてもリン酸鉄のリサイクルなんて今出回り始めたEVのリサイクルをするわけだから10年後に軌道に乗るビジネスだよね。もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
元増田みたいな主張に対して「EVオワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする」って思う人はむしろ増えると思うよ
これはその通りで、書き方がよろしくなかったと思っています。すみません。あと書き方が悪かったのは承知の上で言ってるけど自分はEVアンチでもテスラアンチでもCATLアンチでもないです。CATLは本当に世界一の電池メーカーだと思ってるしめちゃくちゃ期待してます。
以下はその下の部分に対してのコメントです。
市場原理の話はまあ定性的に理解できるんだけど、さっきのタイムスケールの例からもわかると思うけど電池の進歩って半導体みたいに速くないんよ。レアメタル使わないのは結構なんだけど、それが使えなかったとしてもみんなEVなり蓄電池が欲しかったらレアメタルを使ってる電池を使わざるを得ない(後、電池の新技術って声高に宣伝される割に実際実用に耐えるのが出てくるのってそんなに多くないんだよね)。個人的なところを言うと新自由主義的な市場原理で技術革新を説明するのは開発者がちゃんと儲かる仕組みを作ってからにしてほしいとおもうね。
自動車の電動化についてはおそらく業界の人はみんな避けられないと思ってるよ。でもね、100年ほどの自動車の歴史を振り返ったらわかるんだけど先進技術がほぼ100%で不可逆的に普及するタイミングってほんとわかんないんだよね。100年前のアメリカの例で考えてみよう。
1900年代ー1920年代のアメリカって蒸気、ガソリン、電気自動車が鼎立していて、蒸気はPWRの面で、電気は航続距離の面で難があった。だから当時の人もこれからの主流はガソリンになるんだろうなって思ってて、実際ガソリン自動車会社の創業ブームになって1900年代はアメリカ全土でおよそ300もの自動車会社が存在したんだ。ガソリン車っていうのは既存の自動車に比べて
という利点があった。だからたくさん参入してきたんだ。でもね、結局ガソリンエンジン車の普及とBig threeの隆盛が決定的になったのは自動車の技術の問題じゃなくて、世界恐慌とその頃にテキサスで大油田が発見されてガソリンが安くなったからなんだ。その頃にはもうアメリカ全土にあったガソリン車に群がった中小企業は世界恐慌でもう潰れてる。だからその後のアメリカ自動車市場は生き残ってたクライスラー、GM、Fordの寡占になったんだよ。
この例から見てもわかるんだけどね、みんなわかってるんだよ。次に来る技術は。でもそれが決定的に普及するのは外部的要因に依存することが多くて時期は本当に読めない。だからそこまで体力を温存するという戦略もできるし、むしろ自分でその変化を起こしてやろうという戦略もとれる。どちらが正解なのかは正直分からない。でもね、技術的な側面だけじゃなくて社会的な側面から見ても現状の技術でのリチウムイオン二次電池は電池をコモディティ化させるゲームチェンジャー足り得ないだろうというのが正直な感想になる(将来的にもないとは言ってないよ!あくまで今の技術ではという話)。ただしその答え合わせは10年後かもしれないし、もしかしたら30年後かもしれない。もしかしたら水素なりアンモニアがゲームチェンジャーになるかもしれない。だから、日本人としてはトヨタの戦略が正しいと思いたいけど、そうではないかもしれないとは思っています。でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな。
別にやっかみとかじゃないんだけど
隠してるのか、盛ってるのか、なんかありそうなんだよなあ
参考
https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/dju06m/
てことだから
配信で30億円、コンテンツで45億円ってことなんだよ、あわせると75億
たとえばユーザー数で見るか
ANYCOLOR IDアカウント数(熱心なファン)が43万アカウントらしいんだよね(22年Q3)
1人で年間平均17500円使う計算なんだよ
ねえ
ないって
熱心な太ファンならそのくらい使ってるだろうけど
43万人が?
年齢構成見てみてよ
〜19歳が26%だよ?
20代が56%
〜19歳を無視したら、32万人だよ
配信で9500円、グッズなどに14000円という計算になっちゃう
月にしたら785円と、1180円
うーん
配信で見るか
総再生回数、59億回
これでもにじさんじ始まった以降なんだよね(4年くらい)
1再生あたり0.1〜0.3円と考えると、約6億〜18億くらい、4年でね
うーん
UUUMの再生回数は、月に約40億回らしいよ、年間480億くらい?
んでUUUMの売上は244億円なんだよ
1再生あたり0.1〜0.3円と考えると、年間48億〜150億くらいだから、まあわかるよね
実際動いてるのって半分くらいなんだよね
1位130万人 2位108万人 10位66万人 50位37万人 70位30万人 100位21万人
結構上位の子でも1日再生回数10万くらいだから、年間3650万回、広告収入300〜900万円くらい
50位の子だと1日再生回数3万くらいだから、年間1000万回、広告収入100〜300万円くらい
数字大好きな厄介オタクたちはこういう計算しまくってるから100億に違和感を持っちゃう
2019年、2020年、2021年、2022年ですげー売上がってる(8億→34億→76億→100億)んだけど
ファンならこの2年停滞してたのわかるよなあ?
もしかしたらBtoBでも受けてたのかと思ったら、売上構成は80%くらいがtoCなんだもん
いや何の魔法使ったんだよ
いつから売上がバグり始めたのか、って考えると伊藤忠に(実質)買われてからだよね
言いたくないけどさあ
壱百萬天原サロメ(ひゃくまんてんばらさろめ)が上場日にちょうど100万登録者数達成ってさあ
さすがに粉飾ってことはないだろうから、「え、それ売上に入れるの??」ってのを売上に入れてるのかなあ
わかんねーな
そこらへん素人だし
一応、ここらへんの「売上への違和感」ってベンチャー企業だとあるあるなんだよ
ベンチャーに長く居るとそういう「強烈に違和感あるけど、実際ちゃんと売り上げてた」ってパターンが結構ある
なぜかと言うと、ユーザー数10万人と100万人でサービスの質ってあまりかわらないから、何ならアーリーアダプターはユーザー数10万人くらいで脱出するから
盛り上がってない感じがして、違和感になる
ただ、今回のは数字がモロに公開されてしまってるから、えー??ってなっちゃう
まあでも俺はベンチャーに居るから、経営者が盛るのは別にいいと思うんだよね、それくらいの利益得て良いと思うし
ただ今回はなんかやだ
ちなみに俺の好きなにじVは美兎と詩子です
『天冥の標』が好きならこれもどうでしょう
気候変動後の地球を舞台に、陸上民と、遺伝子改造された海上民との確執などを描くシリーズ。
それから短編がいくつかあるけれど、短編は同じ世界を舞台にしたスピンオフ作品なので、どれから読んでも大丈夫。
長編の方を読んで気に入ったなら、短編の方にも手を出す感じになるかと思います。
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作は、ややホラー・怪奇系の作品が多い
表題作の1篇が、オーシャンクロニクル・シリーズ。ほかの収録作も、ハードSFとまでは言わんかもしれないけど、しっかり目のSF
アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を挙げていたけれど、日本SFでアンディ・ウィアーに近いのは藤井太洋とかなのではないかなあ、と
実は自分も藤崎作品をあまり多く読んでいないので、これ! というのを出せないのだけれど、現実の科学に近い感じのSFという意味で
2010年以降にデビューしているSF作家による書き下ろし宇宙SFアンソロジー
アンソロジーなので、収録作の方向はそれぞれ違っていて、増田の好みではない作品もあるかなと思うのだけれど、
宇宙SFが好きなのであれば、全般的にクオリティの高い作品がそろっているアンソロジーだと思います。
既に多数推薦の声が挙がっているけれど、改めて。
イーガンは、初期は「アイデンティティ」ものと言われたりする、自己同一性とか意識とかがテーマになっているような作品が多く、この時期の作品の人気が高い。また、読みやすいので、とりあえず初期短編集からという薦め方がされやすい。
ある時期から、物理学分かってないと分からんみたいな、かなりハードめなSF長編を書くようになっている。でも、分からんなりに楽しめたりするし、ハードSF・宇宙SFが好きなら、最近の作品から読んでいくのも悪くないのかもと思う。
また、わりと一貫して、科学的探求に価値を置く主人公が出てくる作品が多い気がする。
長編。宇宙ものとアイデンティティものの両方をもった作品。データ化された人類が宇宙進出していく話
超ハードSF長編。そもそも主人公が地球人類じゃない。とある天体の知的生命体が作りあげていく物理学をみていく作品
我々の宇宙とは異なる物理法則が支配する宇宙が舞台。なので、当然登場人物たちはみな地球人類ではない。
自分たちの住んでいる星に危機が訪れることがわかったので、それを回避するために世代間宇宙船を作って飛ばして、また戻ってくるという話
これまた、地球人ではない彼らの物理学の進歩を見ていく話だけれど、一方で、ジェンダーSFにもなっていて、地球人とは全然異なる生態の彼らの社会問題を扱った作品でもある。
イーガンは、この作品に限らず、結構社会派なテーマも扱っている。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を読んだみたいなので、わざわざ改めて挙げる必要はないのだけど、『火星の人』『アルテミス』も面白いと思う。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』『ブルー・マーズ』の三部作
2026年から2225年までの200年間にわたる火星植民の歴史を描く物語。
なお、90年代に書かれた作品なのだけど、当時あった火星探査計画をベースにしていると思われるところがあったり、かなりリアリティを追及している作品
登場人物たちにクセが強いので、最初読み始めた時はそれに慣れるまできついかもしれない。
長編『へびつかい座ホットライン』、短編集『汝、コンピュータの夢』『さようなら、ロビンソン・クルーソー』
ハードSFというわけでは必ずしもないのかもしれないけれど、太陽系の各惑星に人類が拡がった世界を舞台にした諸作品
性転換などの身体改造が自在にできるようになっている世界で、そうしたことをテーマにした作品が多いが、
とにかく色々な惑星などを舞台にしていて、それらの風景が印象に残る
元増田です。
私自身も理解ある彼くんエンドに苛立つメンヘラだった訳で、書くかどうかは迷ったわけだけど手軽なハッピーエンド感に妥協してしまったんや、ごめんね
学生時代は彼とはただの友人で、当時他の女の子に片思いしてたのも知ってるから、私のことはマジで何とも思ってなかったと思うよ、好きでもない女のつまらない愚痴を延々と聞いてくれる底無しのお人好しだった。
彼と深い仲になったのは、社会人になったあと彼がメンタルやらかして休職中だった頃で、彼目線なら私は理解のある彼女ちゃんかな?まあ、客観的に見ればメンヘラ同士の共依存。
その後お互い転職して、今はなんとか元気でやってる。彼は私がいてくれて良かったなんて言ってくれるから、多少は心の支えになれてたのかな。全然何もしてあげられなかったどころか、彼の負担になってただけな気がするんだけど。
結局、メンヘラから立ち直るには他者の介入が不可欠で、周りからの支援の受けやすさに性差はあると思う。
恋愛的・性的な部分を抜きにしても、所謂「愛嬌」みたいな部分は、傾向として女性が得意だったりするよね。人に甘える、とか弱音を吐く、とかも。生来的なものなのか、後天的に獲得したものかはさておき。苦手な女性も得意な男性もいるけどさ。
助けを求められずに弱っていってる人に気づいて味方でいてあげられる人間でいたいな、と思うけど、恋愛的関係になる気がない相手にそれをやると、結局最後の最後で梯子を外すような感じになってしまってやるせない。
恋人になってあげられないならメンヘラに手を出すな、となってしまうんだよなあ……私も彼が大事なので、今後は目の前に悩んでいる人がいても依存されそうな気配がしたら距離を取らなくてはいけないんだろう、冷たいけれど
彼が私を好きになってくれて良かった、私が彼を好きになれて良かった
好きな人に愛されるという究極の他者承認の効能を実感してしまったあとだと、恋愛に癒しを求める気持ちを悪く言えない
みんな愛されて元気でいてほしい