はてなキーワード: 最期とは
その可愛さを維持しているのはまさに奇跡。
少しずつ足がおぼつかなくなってきて、僕が帰ってきても玄関に迎えに来てくれるまでの時間が少しずつ少しずつ長くなってきたね。
それでも君の可愛さは年を経るほどに増していくように思える。
僕が結婚できなかったのも、君っていう彼女がいたからかもしれない。
妹であり、彼女であるそんな君との日々はかけがえのないものですよ。
今日いつものように父をデイサービスに送り出して、君も玄関まで見送ったね。
部屋の掃除をしているとふっと視界の端に君の姿をとらえた。
君は不自然にへたり込んだね。まさにペタッと音がしたように伏せた。
体をこわばらせて、痙攣したと思ったら力がなくなり、体を支えられなくなってしまっていた。
正直覚悟はしていた。
君もいい年だしね。
でもあまりにも急だよ。
このお盆の期間を選んだのは、昨日の迎え火でうちの母親が帰ってきたからかな?
母を一人でまた送るのが忍びなかったのかな?
そう考えると君らしいと言えば君らしいかな。
死ぬ前っていうのは、僕にはまだわからないけどきっと苦しいんじゃないかな。
それでも僕の近くまで歩いてきたのは、最期のお別れに来てくれたのだろうか。
君の兄として、彼氏として恥じないようにこれからも生きていくよ。
また何十年後かに頭ナデナデ、お腹ワシャワシャしてやるからな。待っててな。
でもまだ涙がとまらないよ。
先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。
家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。
先によかったことを書いておくと、母親はホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力で風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。
自分は家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。
うちは3兄妹の5人家族と雑種の犬が1匹で自分が長男。当時高校生~大学生。スマホはまだ持っていない時代。
自分は闘病期間中に大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。
海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルでマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。
生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。
ここからが本題。
この10年でよく思い出す後悔は2つ。
母親からの最後のメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だった。
スーパーでの買い物帰りに母親からのメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司のツナがなく、三角おにぎりのツナしかなかったため自分はおにぎりを買って帰らなかった。
帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。
その翌々日、母親は亡くなった。
自分に最後に来たメールが「ツナのおにぎり買ってきて」だったこと、
それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。
だから私は今でも墓参りに行くときは手巻き寿司のツナを買っていく。
当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりとしか上れない程になっていた母親に対し、
次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。
やっと乗り込んだ母親が椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。
大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。
乱暴に支えた母親の腰周りの感触、スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。
母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。
しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、
目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシをおろしてあげたりすればよかったとか、
そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。
幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。
このお盆を節目にしたいと思う。
先日書いた記事に色々とコメント(トラバいうんか?)がついていてなかなか楽しかった。
娘のうんちパンツがキツイとかこんなに赤裸々と「イヤでたまらない」気分を吐露するのは新鮮だった。夫を憎むネット垢の人達の気持ちが何となく分かった。
「ガイの子供はガイ」という「普通」ではちょっと考えられない無神経炸裂なご指摘もあれば、「病院及び児相を試してみたら?」という建設的なご意見も頂いた。
精神医療にはもう既に7歳の息子を除き家族皆でお世話になっている。
私は昔から考えすぎる性分だったので子供の頃は人生に絶望していたし今でもちょっとしたことでイライラが昂じるので「うつ」だという自覚はある。薬は嫌いなので飲んではいないが、俗に言う心理療法に通っている。
娘は8歳から児童精神科のお世話になっている。投薬なしの遊戯セラピーでどんぐりの孤児院を作っているらしい。
旦那と二人でカップルセラピーも試した。「合う」人に中々巡り会えなくてセラピー難民になったが。
病院に行けば即問題解決するものではなく、行くことで問題と取り組む機会が与えられるくらいなので色々と試行錯誤している。
別に増田で問題解決を求めていたわけではなかったが、コメントで「とりま病院へ。。。」とか「どこかに預けてみたら。。。」というご意見がちらほらあったのは興味深い。
助けになりたい。
と思って頂けることはウザいと同時に有り難いものだ。
「思春期女児を理解できない未熟な親」みたいなコメントもあったが、思春期もクソもない。娘のことは生まれた時から理解不可能だった。
「おっぱいがなければ生きていけない」オーラを出す孫娘を見て、私の母は羨ましそうに言った。「貴女はおっぱいが嫌いで口に含ませてもペッと吐き出されてがっかりした。」グラマラスな母や祖母とは違い、父の家系の女性に似て胸も尻もペラペラな私は「おっぱいでなかったらどうしよう。。。」と不安だったが、授乳は大きな問題もなくすんなりできたし、離乳も3歳を過ぎた頃には、「吸っても吸っても何もない。。。ぺっ」って感じで自主的に止めてくれた。徳川家康みたいに6歳まで吸われたらどうしよう。。。と思っていたのでホッとした。
おっぱいが嫌いな赤ん坊だったことは流石に覚えていないが、子供の頃から「生きるのだるすぎ。。。死んでみたい」くらいに思っていた私には、3歳くらいから夜になると死ぬのがコワイとシクシク泣く娘が理解できなかった。喘息がちで息をするのが「痛い」思いをした私は、6−7歳位から「いきすることがこんなにキツイなら死んだ方がラクだろう」と思い始めていた。
暗くなると心細くなるのか、「眠ったら死んでしまうかもしれない」とか「寝てる間に何か楽しいことを逃してしまうかもしれない」とゴネる娘は、とにかく風呂に入りたがらず、歯ブラシもパジャマもちゃっちゃとしてくれず、おねんねタイムがバトルだった。寝付きも悪かった。学校も小学校中学年くらいまでは朝ごはん、お着替えのバトルを繰り広げた挙げ句、家をでる直前になって「行きたくない」と玄関先ですったもんだすることもあって「詰んだな。。。」となることもしばしばあった。
学校で先生に死ぬのがコワイと言って、カウンセリングを推められたこともあり、児童精神科に相談した。良い先生にあたったので遊戯療法を始めてかれこれ4年目になる。友達と遊びたくても「行きたくない」とは言わないのでかなり楽しいのだろう。
パンツにうんすじも困ったが、幼い頃から家具に性器をこすりつける癖があった。3−4歳の頃、お泊りに行くほど仲良いお友達の家でもやっていたそうだ。一番最初に気づいたのは生後1年目くらいだったと思う。授乳が終わって娘を膝にのせてうとうとしてたら脚にまたがって「これは。。。?交尾されてるのか?」と思ったことがあった。
またまた比較してしまうが。。。息子は「泣くな」と言ったこともないのに、2−3歳くらいから歯ぎしりをして涙を堪えたり、爪を噛んだりもしていたし、お風呂の時にちんをいじることはあっても「交尾されてる?」と感じたことはない。
娘が2−3歳くらいから爪を噛み始めた時は、こんな赤子でも爪かむのか。。。?!とびっくりした。育ってからは貧乏ゆすりや爪を噛むところは見なくなったが、娘の足の爪は伸びても手の爪は切る必要がないくらい短かったのでああ、噛んでるんだろうな。と思った。学齢期には家で宿題をしてると椅子と交尾することが目立つようになったが、そのことで娘に嫌悪感を抱いたことはない。
というのも、私も物心ついた頃から保育園のお昼寝が苦手で、退屈を紛らわせる為にすまた方式の自慰行為をしていたからかもしれない。小学校に上がってからは家の外で自慰をしたことはないが、先生にヒステリックに怒鳴られた時には自慰衝動を感じた。真面目で気弱で優しそうな若い先生で第一印象は好きだったのでショックだった。
自分にそういう経験があったので、娘の自慰行為に対してもああ『こんなことやってられない』と絶望感を感じてるのだろうな。と思っていた。
幼い頃は旦那も私も何も言わなかったが、友達の家でやっていた、と聞いてからは椅子と交尾している時は「椅子がダメになるから止めて。」と言って止めるようにした。注意するようになってからも長いこと続いていたけどいつの間にか見ないようになった。
前記事の整体の先生の話は興味深い。というだけでだからどうだ。という話でもない。人恋しい気持ち、不安、絶望、憤りを自分で慰めるとという「自慰」という言葉はよくできてると思う。
自分が経験したことは「理解」可能なので「何でやねん」と嫌悪感や批判的な感情も抱かないですむので気分がラクだし、寄り添うこともできる。保育園のお昼寝は大嫌いだったが、夜は早く寝たかったし、思春期以降は寝るのが大好きで授業中でも机につっぷして寝てた。6時間睡眠な娘は理解できない。
娘は今でも寝付き悪いし寝言が多い。数日前には夜中に「足が痛い。」と叫んでいた。
学校の成績は中の中くらいで先生や友達とも問題なくやっている。コロナの遠隔授業も課題も自分一人でちゃんと予定表を作って頑張ってこなしていた。
コロナで友達に会えないことや、先が見えないことがキツいと愚痴をこぼすこともあるが、ラインやインスタでなりに楽しくやってるようだ。
ここ2−3年「全て面倒みてあげなければならない」切迫感がないのはラクだが、喧嘩ばかりしていることがキツい。
前の記事でも書いたが息子に意地悪な気持ちになるのは予測できた。男の子のことは理解できない。と思っていたからだ。女同士分かりあえるはずの娘に対してこんなに嫌悪感を感じるとは意外で「自分はこんなはずではなかったのに」感がキツイ。事更にうんちパンツがキツイと書いたが、うんちの扱いは布おむつで慣れているハズだ。前回の記事に汚くて不愉快だ。という感想を頂いたので尾籠な話が嫌いな人はここで止めて欲しいのだが、私は生理用ナプキンが苦手で布を使っている。どんなにサラサラを謳われてもカユイ感じがして嫌いだ。あんなものでお尻を包まれるのはイヤだと思って布にした。おむつの洗濯は苦ではなかった。
娘がパンツについたうんちをまるで存在しない物であるかのように「パンツを変える必要はない」と頑なに抵抗することや、臭いを指摘する私に怒りを顕にすることがキツかった。憎悪すべきはパンツについた臭いうんちなので、ちゃっちゃとうんちを排除できたら良いのだが。。。メッセンジャーの私が憎悪されるのは余りにも理不尽だ。
初潮がきたらどんなことになるのだろう。お赤飯なんて炊いたらめちゃくちゃ怒られそうだ。
私は娘に自分の体や体から出る汗や臭いを嫌悪するような女性になってほしくない。
だから胸がふくらんできた彼女に「ママも大きなおっぱいがよかった」と言ってる。
12歳にもなったのだから自分が汚したものは自分で洗って欲しいのだが、彼女にしてみたら「私はまだ子供なのに何故全部自分でやらなければならないのか」と絶望的になり憤りを感じるらしい。
コメントで娘に無力感が伺われる。と言った人が居た。どこの誰か知らないが、娘のことをよく分かっておられると感じた。
「ママと仲良くできないのが悲しい。」発言はどこから出たのか。。。とつらつら考えていたらその晩の、直前の出来事を思い出した。
弟が「ママとお姉ちゃんが一緒じゃないとしっこに行かない」と言うので何があったのか聞いたら姉ちゃんと二人でコワイ動画を観た。という。
「そんなもん観てコワくなるならネットを使うな」みたいなことをイラ立った声で言ったら
娘が明らかにムスっとして何も言わず、息子に携帯で動画を見せ始めた。
「なるほど。そうやってカワイイ動画観たらコワい気持ちもどっかに行っちゃうね。流石はお姉ちゃん、いい考え」
と褒めたら彼女はびっくりしていた。
「ネットを使うな」という私への反抗心丸出しの行動だったので、私が怒らなかったのが意外だったのだろう。
私としては「コワくてトイレに行けなくなるようなもんは見るな。」という意図での発言だったのだが「いらんでモノをまた見せてくれて。。。」とイラついていたし、娘はむっとしてたし「キーキー煩いぞ。」と、戦闘態勢に入りかけていた。息子が一人でトイレに行けるなら万々歳なので苛立ちがどっかに行った。問題解決できるカシコイ娘は嫌いじゃない。
そんなこともあったからか、今朝、開口一番娘が
「ママ変わったね。今週まだ一回も喧嘩してない。まだ水曜日だから先が長いけど。意地悪なことを言いたい気持ちを頑張って我慢してる。」
と言ってきた。黙って弟に動画を見せてた時、むすっとしていたけど何も言わなかったのは頑張ったってことだろうな。と思った。
私が変わったのではなく、変わったのは娘の方だと思うのだが。。。
そういえば旦那も先ごろ似たようなことを言っていた。
と言われた。
「私が変わったのではなく君が『メガネがない。家が汚いから何がどこにあるか分からない』と他責口調で怒鳴ることがなくなったから私も下らないことでイライラしないだけだ。」
と言ったら「僕は今までそんなに怒鳴ってばかりいたのか。。。」と悲しそうだった。
旦那が「怒鳴ってばかりいるので私もイライラする」と言っても「僕は怒鳴ってなんかない」という不毛な会話を繰り返し、私達の話を聞いてた子供に「パパ、いつも怒鳴ってるよ」と横入りされても「そうかなあ。そんなつもりはないのに。おかしいな。」とトボケたことを言っている人だったのに。
娘にも
「娘やパパがきーきー怒鳴らないからママもイライラしないだけ。」
と言いたかったけど、それでは角が立つと思って
とだけ言っておいた。
けど、今から考えるとご指摘にもあったように自分が無力であるという重さに耐えられず逃避行動に耽り、イライラや不安が昂じて感情的に爆発し他責する傾向を示す娘や旦那には
「君が私にムッとしても怒鳴らないで我慢したら私も意地悪な気持ちになっても怒鳴る様なことはしないよ。私が変わったのは、君が変わったからだよ。」
と言えばよかった。と思ってる。
既に見えてる風景でも他者の視線が入ることで見え方が変わった気がする。どこの誰かは知らないが、増田さん、ありがとう。
あと、ネットは好き勝手に何でも言える自由な場所ではあるが見ず知らずの相手に「気持ち悪い」とか「頭も心も悪い」とか「飯も時間通りに食わせられない母親に子供を育てる資格はない」とかいう無神経な暴言を吐くのは止めておけ。リアルでもどんどん自己規制心が緩んでキレ散らかす困った老人になって孤独な最期を迎える可能性を大きくするだけだと思うよ。
不躾な増田達には、どうしても暴言を吐きたいのならせめて何故自分がそう感じるに至ったのか自省し、言語化する努力を見せろ。と言いたい。
ということで、長々と書き綴ったが、気持ちの整理がとりあえずついたのでおしまい。
見ず知らずの増田達よ。私の気分悪いお話にお付き合い下さり、コメント書く時間も費やしてくれて、ありがとう。
またどこかで会う日まで。
リン、飼い犬のリンが今日死んだ。いや人気者過ぎて神様だか上位存在のもとに出張してやったのか、あるいはグルメだったから今の世界に飽きてちょっと三千世界だの並行世界だのを渡り歩きに行ったのかもしれない。
感情が高ぶっている。だからこの高ぶりが残っているうちにこうして文章を残す。
ただ今人生で一番の悲しみが、哀しみが、非常に緩やかに、それでいて確実に風化してしまう、過去になってしまう、忘れてしまうことが恐ろしい。
そう、全部昔のことになって、リンのことが、お犬ドッグ、猫ドッグの痕跡がすべて消えるのがたまらなく恐ろしい
ごちゃまぜにしたまま
整理もせずただ出力する
誰かの目に当たることを前提としてはしていない。もしかしたら自分からあてにいくことはあるかもしれない。
もしこれを誰かが見ているのだとしたら、恐らく自分は自分からこれを公開したのだろう。恥ずかしいやつだ。
だけどこれは、この感情が風化してしまう前に、本当にあったんだぞと。この喪失は、悲しみは確かに此処にあったのだぞと歴史に傷跡を残したい一心で残すだけの文である。
いや文ですらない、言葉っぽい何かが連なっているだけだ。いつか赤ら顔で悶絶しながら読み返すのかもしれない自分、それ以外の不幸と幸運の数奇の嵐の
旅路の中でここに立ち寄ったあなたにこれだけは忠告しておきたい。ここから読んでも何も得るものはない。
その時のことは割と覚えている。確か小学校入学を控えた私が出先でペットショップをみかけ、そこで売られていたチワワに一目ぼれして買って!とせがんだ数日後、
母親がケースに入れて
家にやってきたのがこのダックスフントロングのリン様である。えぇ・・・となったものだが
それ以前に「犬を飼うなんて!世話とかできんやろ!」という兄弟たちの猛烈な親への抗議に押されてそれどころではなかった
話は変わるが私の小学校入学までの歴史はうんこである。なんだったか、親がアメリカで真剣争いしただの外国人雇って私を誘拐しただのろくでもないワードが飛び交っている。
そのせいでPTSDだのなんだのを幼くして発症した私は家に引きこもることとなり、入学までに備えておくべき社会性だのなんだのというものはまるでなかった。
当然、学校が始まってからというものまったく馴染めなかった。なんなら字もかけなかったし口もきけなかった。
当然、つらい
そんな私を救ってくれたのがお犬様のリンだった。
何せこいつは素直だった。ごはんがあるとわかるやすり寄ってくるし、おもちゃやらなにんやらを取られるとか不快な思いをするとすぐ威嚇してくる。一般的にはワリとクソ犬の類だったと思う。
だが、やたらとクソみたいな口撃でマウントを取ってくるDQN同級生、肝心な時と肝心じゃないときにまったく役にたっても味方になってもくれない家族、クソみたいな気づかいぐらいしかできない新興宗教にハマってる女性の担任の先生。
本人がクソなら周りもクソが集まる中、お犬はストレートに感情を示してくれたし見た目も人畜生より何倍もよかったから目の保養にもなった。本当にこれだけが私の支えだった。
支えの代価としてドッグフードではなくミンチ肉を要求され続けることになるとは思ってもいなかったが。いやマジでドッグフード単品だと食べなかったよあいつグルメかよ。
んでそんなお犬様を連れて散歩などをしていると、公園に生息している同級生たちはその可愛さにつられてホイホイ♂やってくる。そして当然散歩してる自分との会話になる。こうして私は犬から社会的立場まで与えられたのだ。お犬様バンザイ。
こうして私とお犬ドッグの日々は続いた。日々飽きるごはん!(日替わりじゃないとやだ)テコでも動かない散歩!(俺はこっちの方向に行きたいんだ人間風情が決めるな)
途中で良性の腫瘍で手術することになったり、悪性のがんで手術したりしたがなんか生き残ってた。すごいなリンちゃん
これが2015年ぐらいのお話。当時大学受験を控えていた私は大層メンタルを乱されたがお犬はケロっと生きていた。だからだろう。なんとなくお犬はずっと一緒に居続けるなんて幻想を無意識のうちに抱いていた。
お犬自身はへーきそうに日々を過ごしていた。
18年19年ごろにはぴょんぴょんはねていたような段差が登れなくなった
それでもごはんはいっぱい食べてたし、まぁ多少はねという気持ちだった
20年に入ってからごはんを食べなくなった。元から飽き性だったので中々気が付かなかったが、肝臓が半分ダメになってた。それでもお肉はちょこちょこ食べてたし、大丈夫だろうと自分をいいきかせつつ、注射器でミルクを与えるなどをやっていた
お薬はもらったし、容体も安定してるからまだ
8月に死んだ死んだしああ駄目だ。
16年だ。16年以上一緒にいたのに思い出せない。楽しいと感じてたはずのあの日々が思い出せない。いや大まかにはわかる。でもディティールがわからない。あのとき具体的にどんなことがあってどんな気持ちだったのが、リンと何したのか、リンはどんな顔してたか、リンとどんなことしたのか、リンは、リンは
思い出してやりたいのにずっと最近の畳みかけるような悪化の一途の記録だけが頭をよぎる。
つらい。悲しい。ひどい。
あいつは走るのが好きだった。それはもうべらぼうに早くて、当時ディープインパクトなんて馬が流行っていたからディープコンパクトなんて親が呼んでた。近所の小学生の自転車すらものにしなかった。昨日までだって散歩してたぐらいだ
でもだんだん走ることはしなくなった。ジャンプだってしなくなった
あいつは食べるのが好きだった。しかもグルメ。ドッグフードを与えたところまったく口にせず、苦肉の策の一環でミンチ肉を混ぜてやったらバクバク食べた。以降、それが彼女の常食になった。医師からも適量であればと言われ、犬自身もそれじゃないと食べないのだからこっちは懐痛めてお肉代も出さねばならなかった。それを食べてなお、台所で何かをあさったり、おやつや野菜の切れ端をやると飛んでやってきて全てをかみ砕いて食べていった。さながらブラックホールだった。
でもだんだん食べなくなった。大好きなミンチ肉も、ささみも、きももいらないとそっぽを向いた、おやつだって途中で残した。
耳がよかった。あいつの前で隠れても物音を立てればすぐ見つかった。
聞こえなくなった。
目もよかった。遠くから俺を見つけた瞬間しゅばばばばっと風のようにやってきた
昨日まで生きてた
生きてなくなった
できなくなった、なったなったなった
老化というのは、時の流れというのはあんまりに残酷ではないだろうか
あいつにはいろんな楽しみがあった。色んな特技があった。色んなやりたいことがあったはずだ
でも全部時の流れに奪われた。挙句の果てにまだ生きられたはずなのにみんなが寝てる間に布団が絡まって呼吸困難になったのが原因で死んだ。
きっと、病魔に蝕まれたりするよりは楽だったのかもしれない
それでもあんまりじゃないか。もうちょっと穏やかな死でもよかったじゃないか。
何故私の血肉は、命は、寿命は分け与えるように、捧げられるように作られていないのか。
だから忘れられていく。いつか痕跡もなくなって、私の中からも過去になってしまう
5年前、がんと最初に診断されたときからリンが死んでしまうこと、リンが忘れられてしまうことがたまらなく恐ろしかった。恐ろしかったから、目をそらし続けた。
逸らし続けた結果がこれだ。感情を抑えきれず、認められず、八つ当たりのように何かを打ち続けてないとおかしくなりそうだ。
嘘。半分嘘
何かをやってないと狂いそうなのは本当
でもそれは全部じゃない。
書いている間。ちょうどこの欄をかいてるあたり、気持ちが落ち着いてきた
落ち着いてしまった。
まさしく上に書いた通り過去になろうとしてる。まだ知らせを聞いて数時間しかたってないのに。亡骸みて2時間程度なのに。私の悲しいとやらの感情はそんな程度だったのか。16年とはそんなに軽かったのか。自分への失望が、時の流れへの絶望で砕けそうだから、それからまた目をそらすために、文として意味を成すかも怪しい文章をつづり続けている。
話はここで終わり。
オチなんてない。きっと明日はもっと落ち着いてしまっている。過去にしてしまっている
だから、この感情の迸りだけは、残しておきたかった。その100文の1でも、読んだ誰かに伝わればいいけど。いや無理だなこりゃ
犬が死んだことについてLINEで知人に送りまくった。
天に召されたようちの犬、時々でいいから思い出してやってね。と
さながらスパムメールだ。忘れられてしまう恐怖に勝てずにありったけの種を無造作にばらまいたのだ。
そしたら、結構な人が反応をしてくれた。前から連絡のあった知人についてはすごい心のこもったであろう言葉と、忘れないという宣言をいただいた。
無理やり引き出したような感じではあるが、とても、とても救われた。クソな環境だのなんだのと一番上で言ってたが、今ではいい知人・友人に恵まれてる。というかこの知人友人みんなリンをきっかけにできたやつらばかり。また犬に救われてしまった。
あと、もう一つ。緊急されたって連絡が来たその時間、自分はまだ夢の中だったわけだけど
夢の中でそのリンが出てきた。
ケージの中に入れられてるリンが目の前にいて、おやおやと思って出して撫でてやるとすごい喜んで、顔を擦り付けてくるし伸し掛かってゴロゴロしてくるしでおおどうしたどうしたと、なぜか感じたリアルな重みと温かさを感じていた。そしてメールが着て目がさめて、あとはご存じのとおり。
あいつの人生ならぬ犬生の後半は特にだが、私は飼い主として至らない点が多すぎた
今回死んだのだって、私が交通云々を考えずに実家にいれば防げたかもしれないのだ。
でも、でも、夢に出てきたんだ。それっぽい挨拶をしていきやがったんだ。
きっとあいつ的には、私は及第点だったんだろうか。そう思いたい。
こうして書いてると、ディティールのつぶれた思い出がちょっと輪郭を取り戻してくる。
なんというかあいつはもふもふで、何かとみんなを魅了していた。
それでいて家では猫のようにそっけなくふるまうし、膝にのって寝てくる。ネコドオオッグ
気ままなやつだった。だから入れ込んだ。
あいつは老化と共にできないことばかりになっていった
それでも、それでも、私はこんな都合のいい夢にすがっている。救われてしまっている。
お前にしてはまあよくやったのだとあいつに言ってもらえてるような気がして。崩れ去る寸前のところで踏みとどまれてしまっている。
嗚呼リン。俺がお前にしてやれることはもうないけど、たぶんお前はいっぱいいいことをしたから、あの世やら並行世界やら生まれ変わりやら、どのルートでも幸せになれるよ。
あんなに人を笑顔にして、俺も救ったんだもの。誰も文句はいわないって。
だから、俺がソッチに逝ったときはまた気が向いたら顔見せてほしい。
いやどうせお盆だ。夢の中にでも出てきておくれ。
これから俺はお前の居ない世界で生き続けていくんだけど、さすがにつらいから。
もうちょっと、お顔見せてほしい。
いやしめくくりとしてこの執着はちょっとあれだな。
とにかく、また会ってもふもふさせてくれる日を待っている。
特に現代では、科学がめざましく発展して、死に伴う肉体的・精神的苦痛を軽減する方法が存在している
その人類の知の蓄積は、我々のために使われるべきなんだよ
それなのに、いつくるかわからぬ死に怯え、死の瞬間は全くの運任せ、どんなに高度な治療を受けても、発作に苦しみながら、肺を水浸しにして溺れ続けながら、ガンの痛みをドラッグで誤魔化しながら死んでいくしかないなんて馬鹿げている。
例えばこうだ。あなたの命はもって一週間。もう長くはないことはわかりきっている。家族がそばにいて別れの言葉を口にできるうちに死ぬことは可能だ。しかし、許されない。そして1人真夜中の病状でナースコールを押すことも出来ずにあなたは死ぬ。死を一週間先延ばしするためだけに、ベッドで横になり苦しむ時間を伸ばすためだけに、あなたは誰にも看取られずに死ぬのだ。その延命になんの意味がある?
健康な人だってより良い死を選べるようになるべきだ。人生の良い在り方は生きた長さに左右されるものではない。自分の人生に満足した、見切りがついたと思う人は死んでもいいじゃないか。
より良い安楽死の方法があるにもかかわらず、それにアクセスできないばかりに様々な苦痛が生まれている。無駄に悶え苦しんで死ぬ者、成功率の低い自死法を選び後遺症が残る者、火・ガスによる自殺で他者を巻き込む者、他者を殺すことで死刑になろうとする者、その被害者達……。我々は、自らこの世を去ろうとする者に対し、最期ぐらい安らかに逝かせてあげるべきではないのか。
死の問題は我々全員にとっての問題である。決して他人事ではい。今、この地球上に生きている70億人にも必ずいつかは死の瞬間が訪れる。死は避けられないライフイベントだ。結婚など比ではない。我々はもっと死と向き合うべきだ。
最後の一秒まで苦しみながらの死を望むのか、愛する人に囲まれての安らかな死を望むのか。どのような死を望むあなたも尊重されるべきだ。
飼い犬(17歳)の命がそろそろなのだが、家族のみんな「死」という言葉を使いたくなくて代わりに「最期」「終わり」とか言ってる。今日はついに「終末」て言ってて壮大でちょっとウケた。この犬は愛されてる。泣きそう。
_
地方都市の大学をまあまあの成績で卒業した自分は、「顧客から『先生』と呼ばれる職業」に就いた。ちなみに、学校教員ではない。
学生時代はそれなりに注目された人間で、というのも、自分には生まれつき特異な能力がひとつだけあった。それを以て、良くも悪くもほんの少しだけ特別扱いを受けて生きてきて、仕事もその能力に関わるものを選んだ。
ところがその特異な能力とやらは発達障害によってもたらされた偶然の産物であり、社会に出た瞬間に自分は無能と化した。特有の段取りの悪さ、睡眠障害、虚弱体質、感覚過敏、これら要因により溜まったストレスを引き金とした定期的なパニック発作。それまで「生きづらさ」に自力で折り合いを付けてきた自分が精神科のお世話になるまで、一年と経たなかった。
明らかに仕事の能率が落ちて、上長と相談して少しずつ雇用条件を緩くしていったが、気がついたら精神障害者保健福祉手帳が交付され、今では正社員を諦めて週4日の勤務。ボーナスも手当も全て消え、手取り月収は半減した。これを機に障害者雇用枠に収まって合理的配慮を受けようかと思っていた矢先に、どこぞのお偉いさんから、発達障害を悪く言うメールが回ってきた。そういう訳で同僚にカミングアウトする機会を完全に失い、現在の自分は「よく分からないが体調の悪い人」という扱いになっている。
それでも自分は今の仕事をやめられない。この能力を活かせる瞬間に、自己肯定感を完全に依存しているからだ。ハローワークで求職者登録をして、色々な求人を見ても、顧客の顔が頭をよぎる。転職したら自己肯定感を保証してくれるものが無くなってしまう、という恐怖に、今も苛まれている。
_
仕事に自己肯定感を依存しているということは、私生活は思い切り虚無だ。
_
自分も趣味と呼べるものを持っているのだが、最近はそれに興じるのが怖くなってしまった。表現に関わる趣味だったが、時が経つにつれてSNSのタイムラインは、より潤沢な資金と時間と能力、そして社会性を持つ人ばかりの世界となり、筆と心が折れてしまった。孤独に生きている横で、仲間達は別のことで盛り上がっている。それに興味を持てるような精神力は、最早残されていない。
自分にしかできない表現、なんてものも無い。これでも当初は自らの表現するものに需要があると思っていたのだが、明確にそれを覆す出来事が、つい最近あった。いや実際の所は分からない。「嫌いなのは作品ではなく、社会性に欠けたお前自身」という可能性もある。どちらにせよ活力が削がれることに変わりはないのだが。
そして、こうしたことに気付く頃には、他の趣味に没頭する気力が無くなっていた。今の自分は、余暇に何をするにも義務感を伴う。
_
こんなとき、病んだ人間を救うのは家族や恋人の愛というのがテンプレートだ。一応、自分には家族も恋人もいる。
家族は、私が手帳持ちで正社員を辞めたことを知らない。彼らがイメージする自分は、いつだって明朗快活、何事も気合で乗り越えられる精神力を兼ね備えている優等生だ。それは一体、誰のことだろうか。
そして家族は、自分に何も喋ってくれない。気付いたら父母は事実上の離婚状態だったし、気付いたら自分の教育費は両親ではなく親戚が支払っていた。私の知っている一般的な家族とは何か違う、謎の共同体だ。
恋人のことは心から愛しているが、その人は自分と一緒にいるときよりも、友人と語りあっているときや、趣味に入れ込んでいるときの方が余程幸せそうに見える。と言うと、「人の感情や好みを他人が勝手に判断しないで」「好きだと何回言ったら信じてもらえるのか」といつも怒られるのだが、それほど好きならばもっと向き合ってほしかったことが色々あった。
しかしながら今思えば、お互い身内でも何でもないのだから、これで良かったのかもしれない。これ以上他人に負担をかけて生きたところで、何も楽しくないのだ。
_
20代半ばにしてこんなにも空っぽなのだから、限りなく婉曲的に表現すると〝損切り〟をした方が良いと思った。
転職をして自己肯定感を得られなくなる前に。働き続けて家計が壊れる前に。恋人から「そろそろ結婚を」と言われる前に。趣味仲間が大成する前に。心がすれ違った家族の最期に向き合わされる前に。
_
こうして自分は今日、書店でエンディングノートを買った。とても残念なことに、おそらくここ一ヶ月で、最も行動力に満ちあふれた瞬間だったと思う。
これ程までに精神を病んでも、まだ「立つ鳥跡を濁さず」の精神は一丁前に残されていて、使っていない銀行口座や家族が見てもどうしたらいいか分からない物品がそれなりにあることに負い目を感じた。なまじ責任感が強いと困るばかりである。かといって責任感が強いところで、その責任を果たすことはしないのだ。本当に社会の穀潰しである。
実家の裏山を散歩していたら、鳥が襲われた痕跡があった。キツネかイタチ、いや野良猫の仕業だろうか。
雑草の緑色と枯れ葉の茶色が続く獣道が、突如として散り散りになった羽毛の白と黒に覆われ、独特の生臭さが漂っていた。
雨天のせいか、まだ乾き切っていない血痕の赤は所々鮮やかで、数本の骨が残っていたものの胴体や頭部といった原形は残されていなかった。
血液の臭いを嗅ぎ付けたのか、辺りには大量の蚊が舞っていて、その下をシデムシのような黒い昆虫が数匹うろうろしていた。
鳥の羽は最大でも15cm程度で、色はカラスのそれに似た黒と灰色だったが、形のしっかりしたものは少なかった。
それよりも2~3cmの小さな反り返った羽が大量に残されており、遠目に見ると、その辺りだけ雪が積もったようだった。
若くて才能のある、それも容姿端麗な人が死ぬとみんな好き勝手に言う。死んじゃ駄目だとか、私たちは助けてあげられなかったとか。
「この思いが天国に届いてますように」に対して「きっと届いてるよ!」と無邪気に返す人たちを見て目の前が真っ暗になった。
まだ訃報を耳にしたばっかでもうそんなこと言ってしまえるのか。
届いてるって何だよ。なんですぐにいい話にしようとするんだよ。自分たちのために物語を作るな。死にたいとも思ってない自分が救われたがるな。こんな悲しい決断をするところまで追い詰められた人を消費して、自分に酔うのはやめろ。
もうみんな黙ってくれ。頼むから何も言わないでくれ。
今ものすごく悲しいから静かに悲しませてほしいのに、自分の話をしたがるやつが多すぎて嫌になる。 ツイッターで散々いろんなことを言われてるのを目にしてめちゃくちゃに傷ついたから、日曜の晩から今までツイッターもインスタも一切触れてない。 SNSに依存気味だからすぐに癖で開きそうになるけど堪えてる。
死んだら駄目だって言うやつ山ほどいるけどあんたは何なの?どんなに悲しくても生きてればいいことあるよ、じゃないんだよ。
じゃあそれは具体的にいつなんだよ。いつまで我慢したらいいことがあるんだよ。他人の人生に責任なんか持てない癖に、薄っぺらな正しいっぽい言葉すらすら吐いて気持ちよくなってんじゃねーって思う。
いいこと起こるまで耐えられないくらい今がどうしようもなく辛いっていうのは、そんなに理解に苦しむ話なの?少しも我慢せずに死ぬ道を選んだって思うの?耐えて耐えて耐えてきて、それでもやっぱり辛かった結果だとは思わないの?あんたそれ想像力と思いやりが足りてないんじゃないの。
死にたいって思う人に、死ななくても済む理由を見つけさせられなかった世界が負けたんだよ。
残された側は悲しいけどね。本当に辛いけどね。でも私たちの悲しみ苦しみは問題じゃない。いちばん大事にされるべきなのは、死んでしまった人の感情だから。
せめて今もう辛くなければいいなと祈ることしかできないのは、目眩がするほどやるせなくて何もかも投げ出してしまいたくなる。
でもそれしかできないよ。あとは素晴らしい出演作をときどき観て、やっぱり素敵な人だったなあと懐かしむのが精一杯だよ。それ以上に何かできると思うのは傲慢です。あの素敵な人のことを全部悲しい思い出にしてしまわないように、今はまだ胸が痛くて難しいけど、定期的に作品を見返していきたい。
去年なんとか取れたチケットでキンキーブーツを初めて観た。そのパンフレットを開いて眺めていたらブワッといきなり涙が溢れてきた。まだどこか受け止められていなかった現実を脳が唐突に理解して、涙腺が壊れてしまった。
最高の舞台だったな。悪くもないけどあまりよくもない席が当たったのだけど、微妙な座席であることなんか気にならないほどのめり込んだ。
あの舞台に救われた。辛くて苦しくて塞ぎ込んでいた時期だったけど、踏み出す勇気をもらった。自分のありたい姿で生きるのは困難で勇気がいることだけど、そうやって真っ直ぐ生きる姿が格好よかった。また何としても観に行くぞって思ってた。
また、はもうない。日曜日から胸を占めていたぼんやりしていた悲しみが輪郭を持って、感情が今になって追いついてきた。タイムラグがあった分、勢いが凄まじくて止められなかった。泣いても泣いても止まらない。
あの素晴らしい舞台の記憶を綺麗に保存しておけたらいいのに。忘れたいことに限って忘れられないし、覚えていたいことは次々と思い出せなくなってしまう。
忘れたくないな。覚えていたいな。悲しい最期だけを記憶に残すんじゃなくて、きらきら輝いていた瞬間のこともちゃんと私の中に残しておきたい。
そうかなあ?
マン・イン・ザ・ミラー戦を経ても尚、最期の最期までアバはジョルノを毛嫌いしてる感じだ。
「嫌い」という気持ちが強すぎる感じ。新人だからとかそんな理由じゃない気がする。
ブチャラティとは別の意味で心の虚に何かを流し込むのがジョルノなのかもな。
権力を持ってないガキなのに異常なカリスマ性があるから…とか?
でもジョルノってディオの息子の割にカリスマ性は感じないよな。
頭の切れる小器用なガキって感じがする。
ジョルノは「命令」してくるわけじゃないのに、強い意思を覆すことなく他人の心にも影響を与える。
その辺が気持ち悪くて嫌いなのかもな。頭が良くて我が強すぎるガキは嫌なもんだよな。
言及しようとしたエントリが消えてたので供養。鬼滅の刃終盤までのネタバレ含む。何度も読み返したわけじゃないから間違ってたらすまんな。一読者のお気持ち感想文です。まじめに読み始めたのが遊郭編前くらいからなのでそれ以前についてはほぼコメントしてないです。
鬼滅は主人公側の挙動に対して、人間がススメバチにマジになって煽ったり説教しているのを見るような違和感をおぼえることがあった。鬼を人間の延長か別の生き物と捉えるかの違いなんだろうけど。だから主人公側(鬼殺隊)に全然感情移入できなかった。玄弥は結構好きな気がする。健気ブラコンしか勝たん。
機械的に黙って鬼を倒しつづける柱がひとりでもいたらな…縁壱が一番近いかな。最期もしずかだったし。
作中現行の柱は終盤みんなどこかで喚いてたからな。そこが好きな人がいるのもわかるけど、早めに退場した煉獄さんが個人的には一番良い。
上弦の鬼の造形は良かった。ただ上弦の伍みたいな強いはずの敵を主人公勢のわかりやすい踏み台にしてるのはちょっと…。上弦戦は陸、肆くらいがちょうどよかった。
あとは上弦の弐の設定が戦闘には全然生きてないとこも、は〜???ってなってしまった。絶対あそこは鬼殺隊vs鬼信者の人間をやるところだっただろ。路線変更を疑った。
新上弦の陸は最悪だった。あの対戦カード自体は虚無があって良かったけどアイツを新上弦の陸にした理由が意味不。ただの鬼で良かっただろ。鬼には認められた、ってのがやりたかったんだろうけどそのために“上弦”の価値を落とす必要あった? 旧上弦の陸を好きになって鬼滅をまじめに読み始めたからほんとにきつかった。欠員の穴埋めだからあの立場に前ほどの価値はないとわかっていてもきつかった。
上弦の参戦は猗窩座の伏線回収が秀逸だったのですき。煉獄さんや炭治郎の発言がことごとく猗窩座にとって最悪だったのも好き。
上弦の壱戦。兄上(上弦の壱)はこじらせてんなぁ…という感じだったけど、忌み子の弟に構って父親に顔ぶっ叩かれたのに、腫れた顔で笑いながらまた弟に構う幼少期をのちにお出しされて全てを許した。ブラコンしか勝たん。優越感からくる哀れみかもしれないけどそれはもう立派な優しさだ。
最後の無惨戦はどう考えても鬼滅の“刃”じゃなかったのでくそ。どんな擁護されようがあれはクソ。上弦参戦や直前の上弦壱戦は気合入ってるようにみえたのにな。上弦弐も肩透かしだったけど地獄前のやり取りはおもしろいなと思ったし。
猫が都合よく生きてたのもクソ。なんなんだよ徹底的にやるところだっただろ。そんなご都合が許されるなら玄弥も無一郎も死んだ柱も、みんな適当な理由つけて生かしとけばよかったじゃん。
無惨の天災煽り以降の展開は尻すぼみにしか見えなかった。無惨のおもしろ挙動を見るだけの漫画になった。
見どころ、縁壱の過去くらいか。お前人間だったんだな! でもなんで珠世を逃したのかがぜんっぜんわからんかった。無惨を殺すために世界が作り出した装置なので未来予知ができてた可能性はある。でもだったら兄が鬼(上弦の壱)になる前になんとかして差し上げろ、装置かもしれないけどその前に弟だろ。ああ鬼滅は妹弟に期待したらあかんかったな…玄弥は弟だけど兄のためにやることはやってるだろ!
傷のマーキングなんて時空を超える永続デバフ使えるなら索敵して無惨殺せるだろふつう…。
できることとできないことの線引きが全然わかんないので縁壱について考えるのは無駄。
禰豆子もなんか知らんうちに鬼化治ってるし。
鬼が人間の延長という扱いなら最後の炭治郎は半分鬼として生きるとかをやるのかなと思ったけど、別にそういうわけでもなく。断絶したまま。むしろ無惨のほうが最後は自分の認識改めて人間に歩み寄ったよね、くっそ自分勝手にだが。
鬼とのケリの付け方には「へーそうするんだ」と思っただけで感情は無です。快も不快もないです。
「追い詰められて死を選ぶしかなかった人の気持ちを考えろ」と叩かれるのですが、
あの人は死を選ぶくらいツラかったんだぞ!!!と、人の死を武器にする外野がとても多くて、
「死んだら皆が相手を叩いてくれるんだ」
「死んだら救われるのかな」
というような感じで、
最期の力を振り絞って、誰かを頼るのではなく、
もしかしたら止められたかもしれない命を結果的に見逃す事に繋がるかもしれないから、
SNSで変に騒ぐのはよくないな、と、
未来ある若者の、特に表舞台に立つ方達の「自殺」というニュースを見て思いました。
身近な人がそれに感化されて後追いした事もないので、
はっきり言ってしまえば、私になにか不都合があった訳ではないのですが、
これ以上どんよりしたムードになったら楽しめるものも楽しめないし、
誰かに迷惑をかけない範囲で、何かしら楽しめるものを見つけて楽しんでる人達が白い目で見られるのも嫌なので、
なんというか、
私は今日、でっかい鼻くそが取れて、鼻の通りがスッキリしました。
皆さんは、どうですか。
最近、アンパンマンのマーチが仏教的だとかアンパンマンの思想は釈迦を表してるだとかよく見かけるようになりました。ちょっと前はアンパンマンはキリスト教だ!っていう話も上がったりしてました。
分かるけど・・・うーんって言う気持ちもあります。その、うーんっていう気持ちの理由を今回はつらつら書きたいと思ってます。
※私は仏教に関してはそんなにあかるくないです。どちらかと言うとキリスト教の方にはあかるいのですが、それもその宗教を実際に信仰している方ほど完璧、という訳ではありません。ですので、そのような方がお読みになった際は「これは違うぞ!」と思うところもあるかなと思いますが、どうかお許しください。
ちょっと前に、「やなせたかしはクリスチャンだった!」という話があがってました。しかし、色々解析すると仏教徒なのでは?という反論があり、結果クリスチャンでは無いのでは?となっていたような気がします。
しかし、宗教は本来タブーな話で誰が何を信じてようとそこには踏み込むべき話題ではないので、自身が明言したり、それ以外の人間に分かるほど「熱心な仏教徒」だったり「熱心なキリスト教徒」だったなら話は別ですが、そういう訳では無いのに「作者は仏教徒だから、仏教が関連しているんだ!」とか言うのはステレオタイプかなと思います。
わかりやすい熱心な仏教徒の話を上げますと、宮沢賢治とかですかね。彼は熱心な仏教徒でありながら、キリスト教にも興味関心を持っていたそうです。なので、作品にもそれが存分に生かされてる、というのは納得のいく話しです。
対して、やなせたかしさん自身は「私は仏教徒の家系に生まれです」とかは言ってないし、周りの人物も「彼は熱心な仏教徒だった」とは言ってないわけです。キリスト教に関しても一緒です。そりゃ、今と違って家系が仏教なら仏教の教えを信じるとか、キリスト教ならキリスト教の教えを信じる家系だった可能性もあるので、そうなるとやなせさん自身の作品にも生かされてる可能性はあります。自身が信じてきたものが作品に無意識的に反映されるものですので、有り得なくはないです。でも、断言ができるものでは無い、ということだけは事実です。
2.アンパンマンができた経緯
アンパンマンはやなせたかしさんの正義が込められたヒーローです。
やなせさんは戦時中、兵隊として敵国と戦っていました。その時に怪我などよりも、飢えが1番苦しいということが分かったそうです。それがアンパンマンの顔がアンパンである理由でもあります。
国に帰ってきた時に、今まで正義だと信じてきた「敵国を倒すこと」が間違いであると、叩きつけられます。その時に、やなせさんは「正義と悪なんて、ある日突然、逆転するんだ」と実感したそうです。
戦後、アメリカなどから多くのヒーロー達が輸入されてきました。そのヒーロー達は皆、設定された悪役を倒すだけ、当時日本に多くいたような困ってる人やお腹を空かせてる子供達には目もくれず、ただ悪役を倒すだけだ、でもそれは違うのではないかと感じたそうです。
以上の経験から、やなせさんが正義の味方、ヒーローを作ろうと思った時に悪役を倒すだけではなく、困ってる人やお腹を空かせてる人に手を差し伸べるヒーローを描きたいという思いで、アンパンマンが出来たそうです。やなせさんは「逆転しない正義は献身と愛だ。それは難しいことに聞こえるようだけど、簡単に言えば、お腹を空かせてる人にパンを差し出すこと」と述べてます。(一字一句覚えているとは言いきれませんが、印象的だったので覚えていた言葉です)
この辺りの「献身と愛」がキリスト教的に引っかかるのかなと思います。キリスト教も献身を大事にしていますから・・・。
その、やなせさんの考える逆転しない正義を体現してるのがアンパンマンだというわけです。
ちなみに初めにできたアンパンマンはパンを作り、戦争下でお腹を空かせる人々に敵味方関係なく、空を飛んでパンを届けるふくよかで到底イケメンとは言えないおじさんだったそうです。彼はいつものようにパンを届けている時に、砲弾に当たり、命を落とすという最期を迎えます。そのようなおじさんの姿から、土台は一緒ですが、アンパンの顔をしてお腹を空かせてる子供にアンパンを与えるヒーローに変わり、今のアンパンマンが出来ました。
3.やなせさんの考える正義の味方について
正義の味方はかっこよくないというのがやなせさんの考えです。だから、アンパンマンもどこか情けない感じですよね。顔が濡れたり、歪めば力は出ない。彼自身、顔をよく分け与えてますが、それをやってもやはり弱くなります。それはやなせさんが考える正義を行うものは必ず傷つくというのが体現されてるからだそうです。だから、アンパンマンは人を助ける時に弱くなる。マントがちぎれて飛べなくなることもあるし、命を落としたこともあります。(明確な死の描写はないものの、映画では2回ほど死んでいると思います。いのちの星のドーリィという映画では確実に命を落としてます)
それでも困ってる人を助けるためには身を投げ出す自己犠牲の考えがどこか仏教を感じるところなのかもしれないですね。
アンパンマンは作中にこんなことを言ってました。
「初めて人を助けた時に心が暖かくなって。その時わかったんだ。なんのために生まれてきたのか。何をして生きていくのか。何が僕の幸せなのかってことも」(いのちの星のドーリィ参照)
彼自身が困ってる人を助けることが自分の幸せだと答えています。仏教の自己犠牲って他者の利益を得るためにやるものだけど、自分の幸せまで含んでいたかな・・・という疑問を感じたりしてます。キリスト教でも自己犠牲は出てきますね。宗教で、割と自己犠牲は取り上げられているので、そこでアンパンマンの生き様に引っかかるのかもしれないな〜と感じました。
4.バイキンマンについて
やなせさんはアンパンマンという物語に本当の悪役はいないと言っています。前述の通り、やなせさんは悪役を倒すヒーロー達に疑問を覚えていました。なので、バイキンマンは悪役という物語に出てくる少しの毒として存在はしていますが、どこか抜けてるというか悪役にしては可愛げがあるのが印象的です。
加えて、バイキンマンとアンパンマンは2人が一緒にいることでバランスがとれてる状態で、どちらが欠けてもダメだと言っています。
だから、バイキンマンも何故かアンパンマンにとどめを刺す時にさっさと倒せばいいのに毎回隙を作るし、アンパンマンもバイキンマンのことをパンチひとつで許します。
それでもバイキンマンは「アンパンマンを倒すこと」が目的なので(もちろん、腹が減れば人からパンを奪うし、ドキンちゃんのワガママに付き合わされる時もあります)、アンパンマンを倒すためにメカを作ったり、パン工場自体をどこか変なところに移動しようとしたりと工夫を凝らしています。ちなみにアンパンマンの方はどうかと言うと、アンパンマンはみんなのことが大好き(映画の勇気の花がひらくときを参照)で、みんなと仲良くしたいので、バイキンマンとも仲良くしたいし、バイキンマンがお腹を空かせていたら普通に顔をあげる男です。なんて言うすれ違いでしょうか・・・。
余談ですが、アニメ第1話ではアンパンマンは襲ってきたバイキンマンをジャムおじさんとバタコさんと共に洗剤の入った水の中に突っ込んでいました。下手したらアニメ1話でバイキンマン死す!って状態だったのに、バイキンマンは小さくなりながらもしぶとく生き延びて今に至ります。昔の方が彼は容赦ないです。
4.さいごに
長くなりましたが、つらつらと書きました。
別に仏教と結びつけるな!とかキリスト教と結びつけるな!とは言いません。それは1つの考察だとは思います。ただ、「アンパンマンは仏教と関係がある!」とか「アンパンマンはキリスト教に沿っている!」と断言するのには少し違うのでは?という気持ちでした。
この文章は、「やなせさんの正義の考え方とかは彼自身が生きて得た境地で、それがアンパンマンに生かされてるんだな」と思っている1ファンの考察です。これが正しいという訳では無いです。なんせ、考察なんてファンの想像の域を出ないですので。
なので、あまり真に受けず、なるほどそうなんだ〜と軽く受け取っていただければ幸いです。
------------
参考文献的なもの(興味がありましたら見てください)
【本】
【映画】
いのちの星のドーリィ
※これらはやなせさんがご存命の時で、監修を受けていると思いますので参考にあげさせていただきます。いのちの星のドーリィは「なんのために生まれて、何をして生きるのか」がテーマで子供向けにしてはかなり壮大です。
------
【追記】
色々とコメントがついてたりしてましたので、読みました。なるほどと思ったりしてます。
一つ、信者様という言葉を訂正し「信仰している方」という風にしました。決して揶揄っていた訳ではなかったのですが、揶揄っているように見えてしまったようでしたので、訂正しました。
「アンパンマンはアンパンマンという宗教」というのは納得してしまいました。幼児はアンパンマンが目に入るとすぐに見つけますからね・・・。
自己犠牲については、仏教にあかるくなかったのもあって色々と漁っている時に、仏教にもそういう考えがあるというのが分かったので、書きました。でも私もあまり印象はなく、どちらかと言うとキリスト教のイメージが強いかな、と思ってます。
キリストのパンの話が元になってるのでは?という話ですが、やなせさん自身が著書で書いていたのですが、アンパンを選択した理由が「アンパンは手軽に手にできて、あんこがぎっしり入っていて甘く、食べるとすぐに元気になれる(おそらく、糖分摂取できるという意味でしょう)」ということらしいのですので、キリスト教の話が元になってると断定は出来ないなと思ってます。
アメコミは勧善懲悪の話ではないという件については、私自身、その時代のものがどういうものだったのか分からないのですが、やなせさん自身の目には、ああいうようにうつったそうです。(『わたしが正義について語るなら』参照)
バイキンマンとアンパンマンの関係性に関しては、私もアニメの流れは「勧善懲悪の流れだなあ」と感じたりしてます。最近のアンパンマンはバイキンマンが悪役に回らず誰かを図らずも助ける立場に回ったりもしてますが、やはりアンパンマンにアンパンチを食らってバイキン城に戻るのが大半だったり、食らう前に退散したりしてます。
この話に関しては、深く入り込めるほどまだ、2人の関係性について飲み込みが足りないので、これ以上書けないです。申し訳ないです。
色々な視点を見ることが出来て良かったです。
恋に落ちてるとまだ言えるの?
誰かのことじゃないよ
違うよ
恋に落ちてるとまだ言えるの?
君の世界を誰かが変えたの?
願うよ君が孤独じゃないと
願うよ思い出は偽りじゃない
洗いざらい許してよ
まだ白旗あげないで 君は今まさに
孤独に謝り続ける
あぁ 散らかっている人生
あぁ 心乱れて死にそう
愛がすれ違ったときを思い出す
調べ求めた真実を見つけた
あぁ 散らかっている人生
そうさ 心乱れて死にそう
愛がすれ違うときを思い出す
探し続けた真実を見つけた
最悪だった でも今よりいいや
試練や苦難が 僕を正した
良いや悪は 全て感じて思うんだ
僕らの周りは 僕らを包むものは
見失った愛の見失った理由だ
僕のせいでなくても僕らは痛めつけられた
そんなとき君を見つけた
世界がひっくり返ったんだよ
それでいいんだよ
孤独に謝り続ける
あぁ 散らかっている人生
あぁ 心乱れて死にそう
愛がすれ違ったときを思い出す
調べ求めた真実を見つけた
あぁ 散らかっている人生
そうさ 心乱れて死にそう
愛がすれ違うときを思い出す
探し続けた真実を見つけた
Life's A Mess - Juice WRLD ft. Halsey
「Life's A Mess」はRex Kudoプロデュースで生前Juice WRLDが収録していた音源にCharlie Handsomeがアレンジを行い、
The Chainsmokersの「Closer」への客演や「Without Me」のヒットで知られるHalseyがコーラスを重ねた。
7月6日に突如Juice WRLDのニューアルバム「Legend Never Die」の発売(アメリカでの発売日は7月10日)とリードトラック「Life's A Mess」のMVが発表されました。
GeniusやYoutubeのアメリカチャートではすぐにトップになって死後も人気が衰えてないんだな、すごいなと思いましたよ。
人気かつJuice WRLDは早録りで有名で未公開音源が1000曲以上あると言われているので当分リリースは続くんでしょうね。
哀愁漂う浮遊感をまとったメロウなビートセンス、内省的なリリックとそれを体現するようにぼそぼそとしたフロウ、その陰鬱さを補うかのように織り込まれるメロディアスな旋律、
これらの特徴を持つラッパーは主にSoundCloudで楽曲を発表していたことから「Cloud Rap」と呼ばれ、Juice WRLDはその決定版といえる存在でした。
Juice WRLDは恋愛を主なテーマとしており、ラッパーにしては独特な詩世界を展開していたのがひと際人気だった一要因なのかもしれない。
自分は「Lucid Dreams」で知ったにわかだけど、オリジナルアルバムは二枚ともすごく気に入ってたのでああいう最期になったのはすごくショックでしたね。
USラッパーが日本語話者だったらというイメージで原曲の押韻の語感をなるべく崩さないよう意識して訳しているんですけど結構違和感残るんだよな…
日本でこういう内容のリリック書くラッパー珍しいので、イメージが次第にRadwimpsの歌詞にずれちゃってたんですけどね。すんません。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 95 | 12788 | 134.6 | 50 |
01 | 55 | 7201 | 130.9 | 50 |
02 | 64 | 11112 | 173.6 | 61 |
03 | 41 | 3405 | 83.0 | 54 |
04 | 20 | 6687 | 334.4 | 78.5 |
05 | 56 | 3411 | 60.9 | 46 |
06 | 75 | 6597 | 88.0 | 65 |
07 | 68 | 6235 | 91.7 | 53.5 |
08 | 64 | 7847 | 122.6 | 64 |
09 | 97 | 7727 | 79.7 | 42 |
10 | 112 | 22330 | 199.4 | 83 |
11 | 168 | 16790 | 99.9 | 56.5 |
12 | 201 | 15833 | 78.8 | 35 |
13 | 217 | 23045 | 106.2 | 46 |
14 | 164 | 17424 | 106.2 | 39 |
15 | 158 | 15275 | 96.7 | 38 |
16 | 157 | 20459 | 130.3 | 43 |
17 | 129 | 13289 | 103.0 | 45 |
18 | 119 | 14598 | 122.7 | 48 |
19 | 116 | 19999 | 172.4 | 49.5 |
20 | 128 | 13935 | 108.9 | 40 |
21 | 160 | 19011 | 118.8 | 43 |
22 | 160 | 23682 | 148.0 | 43 |
23 | 168 | 30661 | 182.5 | 58 |
1日 | 2792 | 339341 | 121.5 | 47 |
lukesarmy(8), publishers(5), espa(8), dias(4), ダンスパーティー(3), 動く歩道(3), GOTO(10), 喪中(4), 日本画(4), 七分(3), GoTo(11), キャンペーン(30), 恨み(26), en(9), パンティ(7), 承認欲求(19), 選別(8), 損害(7), 復讐(10), バーカ(7), 👁(8), イオン(12), 長文(28), 会計(8), 都民(8), 九州(7), 役に立つ(8), 原作(20), 二次創作(16), 予算(19), 科学(17), 同人(13), 表明(14), 腐女子(18), 実家(30), 捨てる(13)
■他人への恨みが忘れられない人へ贈る言葉2選 /20200712090100(40), ■アニメに詳しい方に教えて欲しい /20200712161517(22), ■上野千鶴子の不倫肯定は一世代前の進歩的発想のに、それがわかってない人いるんだね /20200710030004(21), ■一生油絵やらないと思い込んでる人へ /20200711235534(18), ■「実家は大丈夫?」がつらい /20200712131522(16), ■祖父が死んだら大量の百円ライターが出てきたんだけど、どうすんのこれ… /20200711214754(14), ■貧乏人にオタクは難しい /20200712103445(13), ■そこそこのポジションなのに名前がないキャラ /20200712144012(12), ■「根に持つ」という事が本当に理解できない /20200712090402(10), ■とある商業漫画家からBL二次創作同人の民へ告ぐ /20200712141747(9), ■裸で何が悪い! /20200712152040(8), ■なろう小説の変遷と現在のトレンド /20200711005458(8), ■特盛の人 /20200712124137(8), ■ /20200712165407(7), ■いい加減女性向けならOKという考えを改めてほしい /20200711112347(7), ■ /20200712111209(7), ■インターネット最期の希望、はてな匿名ダイアリー /20190712192340(7), ■教えてはてな /20200712022417(6), ■ /20200712154559(6), ■星井美希は生きていない /20200711193631(6), ■オタク女は何で増田でお気持ち表明するのか /20200712142444(6)