2020-08-07

母親が死んだ

享年47歳、子宮頸がんだった。

数年間の闘病生活のうえ死ぬまで懸命に生きた。

先日10年経ったが、いくつかの後悔が折に触れて思い出されるためここに書いて供養したいと思う。

家族の形や関係性は多様だと思うので、一個人の感想だと思って読んで欲しい。

先によかったことを書いておくと、母親ホスピスなどに入らず死ぬ前日まで自力風呂に入り、自分の布団で寝て、そして自宅で息を引き取ったので幸せだったと思う。

自分家族全員で最期の看取りができて本当に良かったと思っている。

うちは3兄妹の5人家族雑種の犬が1匹で自分長男。当時高校生大学生スマホはまだ持っていない時代

自分は闘病期間中大学生になったこともあり、長期休暇には病院への送迎や入院中の見舞いなど介助をする時間がたくさんとれた。

海を見にドライブに行ったり、浮腫んだ足をオイルマッサージしたり、手をつないで病院を歩いたり、寝る前に話をしたり、たくさんの時間を過ごせた。

生前母親も見舞いに来た友人らにそのことを話していたらしく、四十九日で来訪した母の友人からそのことを聞いて泣いた。

ここからが本題。

この10年でよく思い出す後悔は2つ。

一つはツナおにぎり

母親から最後メールが「ツナおにぎり買ってきて」だった。

スーパーでの買い物帰りに母親からメールを受信し、コンビニに立ち寄った。その日は母親の好きな手巻き寿司ツナがなく、三角おにぎりツナしかなかったため自分おにぎりを買って帰らなかった。

帰宅しそのことを告げると残念そうな顔をしたが、柔らかく煮たうどんを作ったら美味しそうに食べていた。

その翌々日、母親は亡くなった。

自分最後に来たメールが「ツナおにぎり買ってきて」だったこと、

それを叶えてあげられなかったことがのどに刺さった小骨のように引っ掛かっている。

から私は今でも墓参りに行くとき手巻き寿司ツナを買っていく。

もう一つは車に乗るのを急かしてしまたこと。

当時階段を上るにも、介助をしたうえで手すりを使ってゆっくりしか上れない程になっていた母親に対し、

次の予定があった私はノロノロと車に乗り込む母親につい大きな声を出してしまった。

やっと乗り込んだ母親椅子に座ることも確認せず、スライドドアを叩きつけるように閉めた。

大した予定でもなかったのに、どうして優しくできなかったんだろう。

乱暴に支えた母親の腰周りの感触スライドドアの重みがまだ手に沁みついている。

母親が死んだらもっと楽しく美しいことばかり思い出すと思っていた。

しかし実際は、もっと若いころの話を聞いておけばよかったとか、色んな料理を作ってあげればよかったとか、

目的のないドライブに行ったり、犬をなでさせてあげたり、新しい歯ブラシおろしてあげたりすればよかったとか、

そんな自分を責めるようなことばかりこの10年思ってきた。これじゃ母親もうかばれないだろうと思う。

幸せだったと死んでいった母親に、自分は今こんなに幸せなんだと子を紹介する。

このお盆を節目にしたいと思う。

  • 10年前は既にスマホあるぞ 2010年はiPhone4の時代やな [internet.watch]iPhone、iPad、Android……2010年のスマホ&タブレットを振り返る(2010/12/21)https://internet.watch.impress.co.jp/docs/index/414861.html

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん