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はてなキーワード: 映画版とは

2023-10-26

anond:20231025220911

コナンは、作者体調不良による休載が頻発するようになり、やがて完結することなく連載は終了した。

続きは映画版でということになった。

テレビアニメ版は、原作ストックが尽きたのちも、毎週のように米花町では殺人事件が起きるので、コナンくんは大活躍し続ける。

映画版は、いろんな監督が好き勝手に話しを作り上げるが、黒の組織が捕まることは決してない。

コナン君はどう生きるか?」「シン・名探偵コナン」「名探偵コナン 米花町の魔女」等々

賛否両論の奇作、怪作が登場してほぼ迷走状態

高山みなみ声優引退を発表し、それを機に、他の配役の人達も同時に世代交代となった。

新人声優は、「大先輩から引き継いだこの大役。ボクも生涯かけてやり遂げて、次の世代バトンを渡したいです」と宣言していた。

テレビ局コナンを終わらせる気が無いのは明白だった。

声優交代後のコナン君の声にどうしても慣れない元増田は、ひっそりとファン活動を終了した。(終

2023-10-17

ジャニー喜多川は「哀しきモンスター」〜を読んで

サムソン高橋さん寄稿された、

ジャニー喜多川は「哀しきモンスター」…55歳のゲイライターが考える高齢同性愛者の性欲と特殊性

https://mag.minkabu.jp/mag-sogo/21102/

こちらの考察が旧ジャニオタの私、特に、「哀しきモンスター」と言うキーワードがとても刺さってしまった。

読んで思うことがあったので、増田に流す。

ちなみに昭和のことはよくわからないので、基本平成ベースで、さまざまな事例を織り交ぜているので、悪しからず。


ジャニー喜多川小児性愛は間違いのないものだと思う。

例えば舞台映画化もされている、ジャニー喜多川プロデュースの「少年たち」。

ストーリー割愛させていただくが、彼のやりたいことがこれでもかと詰まった、いわばトンチキ物語

2018年に公開された映画版少年たち」のエンディングは、少年たちが踊り歌う舞台小屋が映し出されます

まさしく、ジャニー喜多川の夢が具現化された場面です。自分の好みの少年たちが歌い踊り続ける永遠に終わらない舞台小屋

さらエンドロール最後

子供大人になれるけれど、

大人は決して子供には戻れない。

からこの想いを、時計を止めて…』

これはジャニー喜多川ポエム

いろんな考察ができるポエムだが、

読んで字の如く、一生子どもでいてよ……

といった嘆きだと推察できる。

彼は気に入った子、オタクの間ではスペオキスペシャルオキニ)と呼ばれているが、

スペオキが見つかると、何歳だろうが、入所して半年だろうがなりふり構わずデビュー

スペオキを輝かせるためのメンバー編成、デビュー曲、演技経験ゼロの中のドラマの主演、

そして紅白舞台も用意し、謎にマジックさせたり、少年たちに合唱歌わせたりとやりたい放題にスペオキを輝かせる。

売れてないのに、紅白トップバッターで歌わせるから視聴者紅白離れの一旦はジャニーのせいだと思っている。

好きすぎて、12歳の男の子がいるのに、性器と言う名前グループ名をつけるほど。

スペオキを見つけた彼は誰も止められないのだ。NHKすらも。

しかし、当のアイドル最初超特急列車に乗せられて、行き先が分からないまま進み続けるのだけど、

変なグループ編成、突然の解体、トンチキソングなど、さまざまな与えられた試練に疑問を抱く。

ふと休憩で止まった電車を降りると、外

世界との乖離に驚き、愕然とし、そして些細な反抗を始める。

反抗し始めると、今度は少年たちの成長が始まる。

背が伸びる、男性的な顔になる、体躯が変わる、変声期が始まる……

その頃、怒涛のジャニープロデュース時期が終わっていくのだ。まるであの狂乱がなかったかのように。

そして成長し、逞しくなった元スペオキに久しぶりに会ったジャニーがこう言うのだ

YOU誰?」

サムソンさんの憶測の中に、

まりジャニー喜多川は、一生涯まともな恋愛したことがなかったのではないだろうか。愛し愛されて、という経験が一度もなかったのではないだろうか。


これはきっとそうだと思う。

というか、生涯何度か恋に落ちている。そして献身的に尽くし、愛し、金も労力もかける。

だけど、少年は心も体も成長してしまうのである



ジャニー喜多川はおそらく誰かの影を追い続けてたら、思いがけずに事務所が大きくなり、権力を持つようになり、そして、たくさんの少年たちが集まるようになったのではないだろうか。そんな環境が哀しきモンスターを生み出してしまったのではないだろうか。



ジャニオタとして、この問題を知っていて声を上げられなかったのは悔やんでいる。

しかサムソンさんの言うように、時代が変わったのは肌で感じている。

セクハラ問題女性だけのものでなくなってきた、男性特有の生き辛さにもフォーカスが当たるようになり、

少しずつジャニーに対する疑問や疑惑に対して声を上げられるようになってきた。

しかし、彼はその前に死んだ。



夢を持つ未成年が同じような事例に2度と合わないようにしないといけない。

もしメディアを通じて、新しいモンスターが出現したと感じたら声を上げたいと思う。

2023-10-14

指輪物語異世界言語問題完璧解決している唯一の作品

https://anond.hatelabo.jp/20231013133845

なぜなら指輪物語原本は「赤表紙本」であり、

「赤表紙本」は

ビルボ・バギンズホビットの冒険

フロド・バギンズ指輪物語

・サム・ギャムジー(西に去ったフロドから引き継ぎ)

の3人により主に書かれた冒険記や資料集となっている。

「赤表紙本」はその後失われたが写本が現在に伝えられている。

そしてトールキンが「赤表紙本」を英語翻訳し、我々が知る指輪物語誕生した。

原作者フロド・バギンズ翻訳者:トールキン

なんだから翻訳の結果言語英語に置き換わるのは当然。

そして、我々日本人が読む指輪物語では「馳夫さん」「ゴクリ」「つらぬき丸」等の翻訳があるが、翻訳翻訳をしているのだがら当然であろう。

悪評高い映画版指輪物語」もきっと戸田恵子が「赤表紙本」の写本をどこかで手に入れて参考にして自分翻訳したのかもしれない。

あなたがもし「指輪物語日本語版をお持ちなら、カバーを取ってみてほしい。版にもよるが「赤表紙」の本があるだろう。

「赤表紙本」のコピーに過ぎないが、我々がフロドが書いた本の写本を読んでいると思うと、楽しくないか

2023-10-13

anond:20231013233940

あざーす

あとついでというかこれは本当に勧める側がもうしわけないんだけど。

今だけだからおすすめするね、プロメアと同じスタッフがつくった「天元突破グレンラガン」の映画版の15周年上映会。

https://gurren-lagann15th.com/

今、全国各地のド田舎映画館で4DX上映やってるのね。

足を運ぶのが遠い映画館、上映が平日15時の一回だけ……。(映画館によっては20時~とか)

えっ……。ハードルが高すぎて俺もいけてない。(今日きづいたら15時すぎてて行きそびれた)

それに本当にみてほしいのは地上波テレビアニメ全27話。

テレビ版でさえすごい話が早いのね。

だけど映画版前後編たして6時間から16話くらいにきりすててて残り9話分がかなりもったいないのだ)。

前編19日まで。後編11/2まで。

けっこうリバイバルされるんだけど、全国映画館でみられるのここ5年でこの秋だけだから一応ダイマさせてね……

まあプロメア遺伝子ちょこちょこ入ってるからプロメアええんやけど。

2023-10-02

胸糞映画と名高い『無垢祈り』は原作小説テーマが違うんですねぇ

虐待性的虐待殺人についての話があります

ネタバレしてる

映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者監督のアフタートークがセットになってたやつ。

今は本編はDICE+というサイトレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。

https://diceplus.online/feature/94

映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。

原作平山夢明独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説無垢祈り

まずは映画のもの感想

 とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。

 スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。

 あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。

 でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないもの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。

 時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。

原作小説との比較

 なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものグロテスクな閉鎖空間うつくしく光る小さな何か」だと思った。

 ざっくり言うと映画児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか

 

 あと、映画刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事台詞原作とは正反対から原作刑事「ああい人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画ではキチガイは早く捕まえないと繰り返す」である

 かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品テーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。

 そもそも主人公虐待いじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。

 原作殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公未来希望を持っているけど、映画殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。

 「救い」という意味では、例え原作主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。

 それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。

 原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。

 原作小説では「Ωの聖餐」と「C10H14N2(ニコチン)と少年」が面白かった!

 今度は前に話題になってた『ダイナー』も見てみようかなと思う。

2023-10-01

anond:20230930203536

デューン砂の惑星の影響もありそう

あれも銃を無効化するためにシールドが標準装備になっていて

一定時間物理圧力をかけ続けないとダメージが通らない

砂に含まれるメランジという粒子が特別な力を持っている設定との合わせ技で

ミノフスキー粒子遠距離攻撃無効化という発想になったのではないか

最近出た映画版を見て思った

2023-08-23

映画版予告犯見たんだけどさ

原作のシンブンシ(予告犯)の犯行

 

ゴキブリ揚げ炎上バイトに揚げたゴキブリを食わせる

レイプ自己責任炎上男のケツにバイぶち込みまくる

食中毒逃げ切り食品会社放火

面接中に職歴なし男をバカにした実況した男をボコボコ実況

シーシェパードサイバーテロを仕掛け醜聞暴露し爆殺

政治家殺害予告をして、政治家醜聞暴露抹殺

 

という順番で進むので

さな犯罪から徐々に大きな犯罪に進んでいっているんだけど(放火暴行はどっちがって部分はあるが)

映画版ではなぜか

放火バイブ→ゴキブリボコボコ政治家になってて放火犯が急にスケール下がるやんってなるし

シーシェパード事件カットされてるから急に政治家殺害予告するやんwってなってるのが微妙だった

 

映画監督脚本家か知らんけど、なんでこういうディティールをないがしろにしちゃうんだろうか

 

原作では3番目の放火事件から物語が始まって、過去ゴキブリバイブもやってたことがわかる

まり警察がこれは重大な犯罪が起きてるんじゃないかと3番目の事件で気が付いて

ゴキブリを食わせる、バイブぶち込まれる程度は「事件として認識されていなかった」っていうのも

皮肉が効いていて、作者はこの展開もちゃんと考えて入れていたはず

 

別にハリウッド映画脚本上のツッコミどころがないとは言わんけど、

この程度の物語論理的構築くらいはプロ脚本家だったらちゃんとできてほしい……

2023-08-22

映画版バービー絶賛してるフェミって

テコンダー朴韓国礼賛だと思ってるパヨみたいなもんか

2023-06-27

anond:20230627125914

フランダースの犬最終回

誰も救われてないのが辛い

ネロは絵が見れて天国行けて幸せ、みたいな話なんだろうけど

残されたアロアが不憫すぎる

映画版ではシスターになってたし

今じゃ絶対作れないアニメだよなぁ

2023-06-23

ガンダムで「これだけは絶対に見なくて良い」ってクソ作品教えて

種死AGE、鉄血は体調崩すほどつまらないゴミって聞いたけど

他にもそういう作品があるなら是非教えてほしい

008308小隊

ありがとう

AGEの功績はまどかタイタスを生み出した事だけ

あのネタ別に大して面白くないけどな

AGEのもの下痢便みたいなつまらさなら納得だけど

ZZと00

WとXとGもいらんな

レコも優先度は低い

ほー

00とWとGは人気あるけど絶対見なくて良いのか?

AGEは「『強いられているんだ!https://nico.ms/sm16437226 → なんでここで集中線なんだよ演出おかしいだろwwwww → 公式悪乗りしてまさかキャラソン制作 https://nico.ms/sm18586346 」というのもあるので…

マジでゲロ以下の汚物だなAGE

Zは当時の空気リアリズムという名の迷走とか冨野作品連発後のガンダム回帰とか)コミでナンボなので、普通に見ようと思うと監督煮詰まり具合を味わう下世話な見方しかできないゴミです

Zは当時見たら面白かったけど今見たらゴミな奴か

レコンギスタもいらん

そうなのか

0083ネトウヨガンダム)G-SAVIOUR見直したら意外とよかった)

0083はクソでGセイバー面白いんだな

Z中盤でジェリドが新しいMSで来ては退散を繰り返すのと、Xで変なMS連戦するのと、0083の終盤でニナとガトーが後付けされるのと、UC最終回マリーダさんとネオジオング改悪がクソで、鉄血はクソじゃなくて皇国オチ

クソアニメばっかりだな

鉄血はほんと体調悪くなる。ネタになってるけど最終話まで完走できませんでしたわ…(面白くないというわけではなくて、内容の問題

ネタ抜きで面白くないしあれ見て面白いとか言ってる奴頭イカレてるから

宇宙世紀物はファースト以外は大体クソだと考えて間違いない

初代は至高って事だな

見なくていいガンダムなんてありません、と口では言ってるけどUCとかNTとかは一話も見てないんですよね

ガンダムシリーズをオナニー作家レイプしたゲボカスらしいなUCNT

プレリュード ZZ

アニメじゃない()

MSイグルー2 重力戦線NTトワイライトアクシズ、EVOLVE../9 ビルドトライダイバーズ基本完走してるがこの辺りは最後まで見て疲労と虚無感しか残らなかったから見て後悔した

クソみてえな作品ばかりなんだなガンダムって

意外とSEEDとか出てこないんだ。/08小隊面白いだろ!!!

やめてよね(笑)周知の事実すぎて今更言うまでもないだけだろ(笑)/08小隊面白いらしいな

少し意味は違うけど、Gレコのテレビ放送版かな。劇場版が出た後だとあれをわざわざ2クール分見る必要はないね

見る価値も無い失敗作か

ガンダム鉄血とオルフェンズガンダムの最終決戦は涙無くしては見れなかった!!!!!!

クソすぎて泣いちゃったんだな…

ガンダムXはスルーしていいんじゃないかな。

ガンダムXなんて居なかった

0083子ども心にかっこよさに夢中になったけど、911テロとかを経て印象が変わるという作品なので、ある意味見直す価値があると思うわ。テロというもの過去遺物だったからこそ、テロを美化できたんだなあ

テロリスト美化とか昔でも異常者扱いだったんじゃねえの?製作は頭おかしかったのかな

また血を見そうな…ZZ以降全部。

Zまでは良かったのか?ZZがクソなのは有名だが

見なくていいの定義というか意味次第。宇宙世紀さえ理解できればいいとか世間の人の話題に合わせられればいいとか有名ゼリフが出ないなら見ないとかいろいろあるでしょ。ガチゴミみたいな駄作はないのでは。

ガチゴミみたいな駄作名前がここまで挙がりまくってるな

0083AGEとG-SAVIOUR。鉄血は傑作。

ゲロカスだろ鉄血

SDガンダム三国志とかかな。SDガンダム系は別に・・・AGEネタにもならんし。鉄血はなにかとネタになるので履修はいるかなと。

SDって時点でガンダムでもないクソだからな。鉄血はネタでも見る価値ないだろ

ZZ一択富野監督記憶を無くしているほどクソだ。AGEとかオルフェンズは、作品の良し悪し以前にガンダムじゃないんだよ、あんなの。

三つとも見る価値ないクソって事だな

種死と鉄血は駄作つーか終わり方が問題/展開が使い回しなのトライMS使い回しなのNT

終わり方以外も全部クソだから駄作なのでは

宇宙世紀以外全部(ターンエー除く)かなぁ。正直Gガン10回ぐらい挑戦しても完走できたことがない。 <<

アナザーって時点でガンダムもどきから

まあ種死よな

0083セル画好きなら楽しめると思うけど。 自分的に本当にしんどいのはSEED DESTINY

言わずもがな種死はクソだわな。セル画で出来が良いアニメなんて0083に幾らでもあるんでは?

008308小隊おもしろいだろ!!/種と種死AGEゴミカスだと思っとる

008308小隊面白いのか。/種系とAGEゴミカスだわな

SEEDは売れたほう。SEEDデスティニーどうしてこうなった

売上で判断するなら種死が超名作になっちまう~!

好き嫌いはあってもクソと切り捨てれる作品はない。悪評高いAGEもアセム編とか最終決戦はよかったし、鉄血後期も「逆襲のガリガリ君」としてみると良いよ(鉄華団に寄せると心情的にしんどくなるので…)

好き嫌いとか関係なくクソと切り捨てられる作品から悪評高いんじゃないですかね、AGEと鉄血

SEED敬遠しているけど、「みんな違ってみんな良い」派なので別にクソっていう風に見たりはしてないかなぁ

SEEDは「みんな違ってみんな良い」が該当しないクソだから評判悪いんだろうな

鉄血、めちゃくちゃ面白いだろ。つまんない要素なんか一つもないぞ。問答無用ですげーつまんないのは水星一期と種死。あと、00劇場版は超面白いけど、あれガンダムじゃない

鉄血、めちゃくちゃつまらないだろ。おもしろい要素なんか一つも無いぞ。水星種死はすげーつまんないんだな。00はガンダムじゃない

観てないのを挙げるのもなんだけど、Twilight AXISは無理そうな感じがしたのでパスした

稀に見るクソらしいなあれ

私見で閃ハサ。サンボルみたいにパラレルです…でやってくれりゃ楽しめるが、Ξとペーネロペー正史に組み込んじゃいかんだろう?CCAからF91までの地球圏の動乱であるUCNTも要らん

ガンダムって後付けレイプばっかりなんだな

オルフェンズはアクが強めだけど終盤以外はそんなに悪くなかったと思うけどなあ。

終盤以外もドルコロニーとか地球支部とかクソだったんでは

種はともかく種死は話の筋や登場人物感情意味不明すぎるんだよなあ。つまりクソ

種も話の筋や登場人物感情意味不明すぎるんだよなあ。つまりクソ

GもWも傑作だろうがよ。Gはトンチキ師弟愛が美しい環境保護啓蒙モノ、Wは正義とは移ろい易く正義戦争など無いという諸行無常物語だよ。鉄血は前半2クール観て以降は打ち切りと信じるのが吉。

鉄血は前半2クールで打ち切られたら良かったのにな

Gレコ。富野節でなされる少ない説明に比して、宇宙世紀と地続きかつ最も後年という複雑な世界観。見たところで他のガンダムにも繋がらない。見るコストが高すぎる。

ガンダムって当たり前のように繋がってるのか?

概ね同意だけど鉄血は面白かったよ。増田は鉄血に恨みでもあるのか……?

これを素面で言ってるならイカレてんだろこいつ。頭鉄火丼

Gレコ見た後に初代みたからなんでこんな面白いの作れた人がああなっちまったんだ…ってなった。

ボケたからでは?

鉄血は面白かったぞ。ビーム兵器が使い物にならない設定でのガンダム戦はよう考えたわ。今やってる「水星」も割と根底からだいぶ鉄血に影響受けてる部分が目立つ。映画版Zは正直後にも繋がらないから見なくて良い。

ビーム兵器が使い物にならないなんて設定をわざわざガンダムでやる必要あったんですかねぇ。Zって映画もクソなんだな

鉄血はクソなん?確かに任侠ものっぽいけど面白いってかカッコいいなと思ってはしまう。ZZは前半のノリがあまりにツラい…それでも見とかなきゃと思って見てるが

どっちもクソだから見なくて良いんじゃね?

アニメオリジンの後半と映画版ククルス・ドアンの島」

オリジン系の作品ってクソなのか。

そんなスタンスなら全部見なくていいと思うけど、AGEだけは別格にクソなので見る暇あるならアンパンマンリピートの方がマシ。俺は種は好きだ。

AGEは別格の下痢便だろうけど種好きも汚物好きって明言するような物では?

1stいらんよ。いくら何でも作画が古すぎる

40年以上前のカビが生えた作品から

安彦良和監督作品全般

クソ監督

ガンダムは全部見なくていいか装甲騎兵ボトムズだけを見ろ。

ボトムズって面白いの?

種死NTAGEかな。

多分妥当だな

作った本人も言ってるけどVガンダム

その作った本人恥ずかしくねえのかな

トワイライトアクシズに決まってる。

そもそも名前すら滅多に聞かねえ

どれか一つ挙げるならAGEガンダムシリーズによくある、次の作品が出たら再評価されることもなく、存在忘れられてるレベル名前が出ない。一部のミームが残っただけ

評価しようがないカスなんだな

ポケ戦。最後までクソガキにイライラする。

昔のアニメって何かクソガキ出すよな

水星は見なくていい。ストーリーはつまらない、感情移入できるキャラが皆無。ただし作画は良いので、いろいろ残念過ぎる。

作画だけは良いクソアニメってアニメーターを無駄遣いしてる一番救えない奴だな

種だけは許さない。

今後未来永劫許されなくて良い

ナラティブかなぁ

ナラティブだな

ダブルオー2期はさすがに見なくていいんじゃない…?

1期は良かったパターンかな?

ここまで名前が挙がった作品一覧

1st、Z、ZZ、V、G、W、X、種、種死、00、AGE、Gレコ、鉄血、水星ビルドトライビルドダイバー

ポケ戦、008308小隊UCNTMSイグルー2 重力戦線トワイライトアクシズ、EVOLVE../9、閃ハサ、オリジンククルス・ドアンの島

ファースト以外の宇宙世紀ZZ以降全部、宇宙世紀以外全部(ターンエー除く)、安彦良和監督作品全般

SDガンダム三国志とかSDガンダム

「これだけは絶対に見なくて良い」ってクソ作品ばっかりだなガンダム

2023-05-30

anond:20230529195130

ディズニーリメイクとして作ってるのかもしれないけど実写化として見るから厳しいよな。

アラジン』『美女と野獣』、あとは『ライオン・キング』も実写化文脈で見れた。

デスノート映画版があるから日テレドラマ版もありになってるみたいな感じを映画版なしでやると厳しい。

2023-05-14

店で吐いた客にブチ切れて誓約書をかかせた


(少量のフェイク有)今年は一応コロナも明けてか、うちの店は大勢の客で連日てんやわんやだったのだが、連休中に計3回、店内の客席で吐かれた。

吐いたのはいずれも後先考えずに滅茶苦茶な飲み方をして滅茶苦茶に酔っぱらって滅茶苦茶に騒ぎ立てるのが楽しくてしかたがない、周囲の迷惑も顧みない、そういう年頃かつ属性人間だ。

役職的にもホールを回さなければいけない立場、この不快極まる後始末をこれまで幾度となく受け入れてきた。

だが正直、体調不良とかならともかく、暴飲暴食の当然の結果として嘔吐されたモノの始末を店側が当たり前のようにやるのはおかしいと常々思っていた。

連休も終わりにさしかかったある日の閉店も近づいた頃、3回目のそれに遭遇した時だ。

呼ばれた私が行ってみるとテーブル地獄が広がってた。ゲロガキは席の奥の壁にもたれて寝ていた。「いやまだ飲めっから」とかうわごとを言ってた。

ゲロガキの友人たちは誰一人片付ける素振りもなくヘラヘラした態度で「すいませんこいつホントバカなんすよね〜悪いけど片してもらっていいっすか?」と笑いながら私に始末を頼んできた。

詳細は省くが私は盛大にキレた。

同僚は止めに来なかった。

まりの剣幕で怖すぎて声をかけれなかったと後から言われた。

店全体がいっとき葬式ムードになるくらい怒鳴りまくった。同僚と、他のお客さんには申し訳なかったと思う。

私の剣幕に酔いが醒めたゲロガキとゲロ仲間たちはおずおずと謝ってきた。

彼らはゲロに至るまでも騒音など多大な迷惑行為があった。

営業妨害として警察を呼ぶ、故意にやったとみなして損害賠償をすると言ったら(バカバカしいがその時は半ば本気だった)それだけは勘弁してくださいホントにスイマセンといよいよ必死懇願してきた。

とりあえずそいつらに清掃道具を叩きつけて全員で後始末をやらせた。

その後は控え室に呼び、ゲロ仲間全員の身分証コピーをとって、自筆誓約文を書かせた。

こいつらの謝罪なんて信用に値しない。後になってガタガタと文句を言ってこないように事の経緯と反省文と二度と店に来ないこと、警察沙汰にしないかわりにこの件で後々一切文句を言わないことも誓約させた。

全員の署名母音を押させ、支払いをさせて帰すともう閉店の時間だった。

これを機に、うちの店では客席での嘔吐に関して罰金を設けることにした。

「客席で嘔吐した場合罰金として1万円を支払って頂きます。また清掃は本人もしくはお連れ様に必ず行って頂きます

注意書きはメニューテーブル一角、ほか店内の目につく所に掲示している。

もちろん、居酒屋である以上お客さんが吐いてしま事態ゼロにはできない。予期せぬ体調不良で吐いてしまうこともあるだろう。そういうお客さんを罰するつもりはない。

実際のところ、殆どの人はそんな飲み方はしない。もし気分が悪くなればトイレに行く。トイレで吐くのはもちろん構わない。1ミリトイレに間に合わないような飲み方をするなという話だ。

ただ、罰則に条件をつけては飲み方を心得ていない一部の人間に向けての抑止力にならないので、建前として例外はないことにしている。

お前のさじ加減で決めるのかと言われそうだが、店員としてホールに立ってれば注文した酒の量や種類、ペースに飲み方騒ぎかたなどで、シロかクロかは見ていれば判る。

今後実際に「そういう飲み方」の末に吐いた客には、断固としてその対価を支払わせるつもりだ。

ここで改めて他人ゲロの始末を当たり前のようにやらされる店員理不尽な思いを代表して言わせてもらいたい。

・客席で吐くような飲み方をするな。

・基本吐いた人間かその連れが片づけろ。

・与えた損害は何かしらの形で弁償しろ

本来それが常識じゃないのか?お酒が飲める歳になるってそういうことじゃないのか?

いい大人が暴飲暴食の上に吐いたもの店員に片づけさせて、それで平気でいられる神経が分からない。幼稚園児かお前ら。

給料もらって働いてるならそれも仕事のうちと宣う人間がいるが、ふざけるな。

その理屈は金払ってるんだからサービス受けて当然という思考の輩客と同等だろ。

「金払ってるんだから」とか「金もらってるんだから」とか、「金が介在してるんだから○○なのが当然」という考え方が私は大嫌いだ。

まあそんな私も結局その金を抑止力にしないといけないところが悔しいのだが。

私が言いたいのは、自己管理を怠って公共の場で吐き逃げするのは軽犯罪匹敵する行為ではないか、ということだ。

とくに営業中飲食店だと、どれほど迷惑を被るか考えてほしい。

毎日ゲロの後始末をするような前提で人を余分に配置してる店なんて無い。

始末する店員は、その間ほかの仕事ができない。

少人数の店なら店全体の営業に支障が出る。

臭いが周囲に与える心理的な影響も計り知れない。どんな美味しい料理台無しだ。

その場にいる全員に強烈な負のイメージを与える。居合わせた人の店へのイメージはうっすら悪くなる。再訪率にも影響する。

可視化できない損失がいくらでもあるのだ。

暴飲して店で吐いたことのある人は、あなたが思ってるよりもはるかに重大な迷惑行為だということを自覚してほしい。

個人的には、飲食業界全体で、客席での嘔吐には本気で罰金制度を設けていいと思う。

私有地での違法駐車に、「罰金○万円の上レッカー移動します」と書かれてるように、

お酒の席で吐いたら罰金が発生する】というのが常識として広まってほしい。

たとえ吐かなくとも、お酒と上手に付き合えないことがもたらすデメリットは今さらいうまでもないのだから、これがきっかけでお酒とのつきあい方も見直されたらと思う。

アルコールハラスメント糾弾されるのに、他人が吐いたものの始末を無償でやらされて吐いた人間に何のペナルティーもないのはおかしい。吐き逃げは許せない。

寿司屋のペロペロ小僧みたいなのだけがテロじゃない。吐き逃げもテロだ。今日日本のどこかで必ず起きてる。私の店だけじゃないはずだ。

これだけ書いても怒りがおさまらない。

最後に先日見返した映画版カイジ利根川セリフになぞらえて、日本中の吐き逃げ犯に言っておく。

「お前たちは皆まるで幼児のようにこの世を自分中心に、吐けば周りが右往左往して世話を焼いてくれると、臆面もなくそんなふうに考えていやがる。 甘えるな。 店 員 は お 前 ら の お 母 さ ん で は な い !」

2023-05-12

anond:20230508222214

映画版デスノートで例えると、

オタクが求めてるのって松山ケンイチのLみたいなやつだと思うんだよ。

だけど演劇役者って藤原竜也みたいな奴ばっかりじゃん。

かに藤原竜也はめちゃくちゃ上手いと思うよ?でもあれはもう夜神月じゃなくて藤原竜也なんよ。俺らが見たいのは夜神月なんよ。

2023-05-11

マーベルスタジオかいちょっと頭のおかし集団

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3が全米で大ヒット。

4月中一回も全米興行収入1位の座を譲らなかった映画版マリオを破って1位につけた。

 

監督は今はDCスタジオの共同会長CEOになったジェームズ・ガン

元々トロ映画というエログロナンセンス映画出身脚本をメインに行っていたが

SFホラー映画スリザーで(クレジット上は)初監督

この映画は1500万ドル予算に対して全米興行収入は800万ドル以下。爆死。

次に監督した映画がマイベスト映画の一つでもある「スーパー!

こっちがぐっと予算を削られて250万ドル製作費に対して興行収入は約30万ドル。大爆死。

面白い映画撮るんだけど売れない監督って感じだった。

 

その爆死男ジェームズ・ガンマーベルスタジオガーディアンズ・オブ・ギャラクシー監督に抜擢。

1億7000万ドル製作費を付けた。

そして映画は大ヒット全米で3億3000万ドル、全世界で7億7000万ドル稼いだ。

ちなみに日本での売り上げは10億円。日本、ほんまにアメコミ当たらんな。

つーか、これまでMAX1500万ドル仕事しかしたことなくてそれも爆死、

そんな男に1億7000万ドル仕事つけるかね普通

でも大成功だったんだよなぁ。

2023-05-08

映画版マリオ見てきた!

ネタバレしないように気をつけるけど、一切ヒント欲しくない人は読まないで!

というか、もうこんなタイトルな時点でネタバレが嫌なら開くな。

地雷原に足を踏み込んでおいてふっとばされてから被害者面するのまじでクソ。

それでも片足失ったなら同情するけど、対して傷ついてもないくせに他人に殴り返したいだけで被害者ムーブするやつには一切の同情はしない。

さて本題。

結論から申し上げますと、危惧していた通りの感じでした。

古来のオタクなら何度も味わってきてるであろう、後付ストーリー公式化されちゃうであろう危惧

正しい歴史よりも多くの人が信じやす歴史が好まれるのと同じ。

「あぁ、この映画以降は、マリオ公式ストーリーってこれになってしまうんだろうな。」って、隣で大はしゃぎする息子を横目に遠い目をしながら見てました。

もともとファミコンゲームなんだから大した公式設定もなくてほとんどが後付だということは認める。

でも、その中で原作者が自らのイメージ矛盾がないように大切に作り上げてきたストーリーというものがあると思ってる。

ファンもそれを理解した上で、二次創作二次創作としてのパラレルワールドで、オリジナル世界では原作否定NGっていうのが暗黙の了解でしょ。

今回の映画パラレルワールドの一つでしかないと思いたいのだけど、公式ライセンス映画ですって言われちゃうとそうも言ってられなくなってしまう。

ストーリーについてはネタバレになるから言わないけど、そもそもマリオの表情や性格のそうじゃない感がすごい。

これはCMや予告を見ていたときから感じていたことで、こいつらはマリオキャラスキンかぶっているだけのハリウッドキャラクター(ミニオンとかグルーとか)だとしか感じられなかった。

俺と一緒に育ったマリオはそんな顔しないし、そんなリアクションもしない。

あいつはもっと淡々と何事もこなしていって、痛み以外には関心がないような男だよ。

こんなに表情豊かにあれこれ語るような男だったら、俺はマリオなんて好きになってない。

それこそがキャラ作りで本当はこういう人間でしたってカミングアウトするならかまわないけど、それならそれでその辺りをはっきりさせてほしい。

そういう意味ではファンムービーとしてはこの上ないほどよくできていて、なんならそのままゲーム化しても楽しいだろうなって思えるくらいの完成度。

でも、ゲーム化するにしても正式ナンバリングではなくて、「スーパーマリオブラザーズ ザ・ムービーシリーズとして展開してほしいと切に願う。

だって、これはスーパーマリオブラザーズハリウッド解釈版でしかいから。

これからもサブキャラつかってスピンオフたくさんつくりそうな勢いすら感じられて、第二のアベンジャーズになってもおかしくないくらいには面白かったよ。

でも、それが公式ストーリーにはなって欲しくない。

欲を言えば、どうして日本で作らなかったんだよと文句を言いたい。

いや、確かにイタリア系アメリカ人生活シーンなんて日本人に描くことはできないかもしれないけど、リアリティ求めるところってそこじゃなくない?ネタバレ?すまんね!

シリーズ揃えたりグッズ買ったり、家族分の映画チケット買うくらいしか貢献できない男だけど、悲しさくらいは吐き出させて。

俺は悲しかったよ。そういう意味では羨ましかったよ。

ここまで好きなようにマリオを飛び回らせることができることに対して。

みんなに愛されたキャラ自分色に染めていく作業はさぞかし楽しかったろうなぁ。

結果的に、マリオファンにとっても、そうでもないけど今後もマリオシリーズを楽しむつもりがある人にとっても、この映画は見るべき映画だということは申し上げておきます

この映画前後マリオストーリーに対する歴史が変わってしまうことはほぼ回避できないから。

そういうこと抜きにしても映画としてはとても面白かったよ。

できれば全人類に、マリオに対する解釈の一つとして見てほしいけど。

ただ、自分みたいにこうやって受け入れる覚悟がないと、めちゃくちゃ細かい設定の矛盾とか気になって楽しめないかも。

そもそもそういうところじゃないからっていう映画なんだけど、そういうマウント取りたいだけマンに揚げ足取られやすそうなシーンは結構多かった。

これもネタバレはいはいサーセンサーセン。

あと、チコについてはみんなが言及しているからあえて触れないとして、個人的に気になったのはキノピオ

一緒に行った我が子もダウン症なんだけど、彼ら特有の目つきに見えちゃうシーンが結構あった。

みんなデリケート過ぎて口にできないだけで俺じゃなきゃ見逃しちゃう案件ではないと思う。

息子はキノピオが痛く気に入ったようなのでそれはそれとしてよかったねという感じではあるのだけど、もうちょっとキャラデザどうにかならなかったかなとは思った。

以上、いちマリオファンによるお気持ち表明でした。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-17

映画版ソニックといい、映画版マリオといい

評論家と観客の評価割れすぎるな。

 

ソニック評論家60pt 観客93pt

マリオ評論家53pt 観客98pt

 

100点満点でこれなので、今年のマリオは観客評価クソほど高い。

今公開されてる映像だけでも楽しそうなのわかるしな。

 

たぶん観客の「映画マリオ見るんならこれ!!!!」っていう期待をすべて打ち返してくれてるところを高く評価してるんだろうけど、評論家は「映画として見なら」という視点評価すると点が辛くなるって感じなんだろうな。

特に、こういうファンムービーはこういう風に評価割れがちな気がする。

MCUとかはそうでもなかったけど、子供向けだとちょっと評価を辛くつけがちなんだろうか。

2023-04-01

特殊設定サバイバル映画ドラマお薦めを教えて下さい。

普通だった世界が突然一変してしまい、そこで人々がサバイバルする様子を描いた実写の映画ドラマお薦めがあったら教えて下さい。

例えばゾンビものが一例です。ソンビもの大歓迎です。

以下、自分の好みを書きますので、それを踏まえてお薦めして頂けると幸いです。

ウォーキングデッド』は序盤こそ面白かったが、途中からはクソつまらんです。

ウィル・スミスの『アイ・アム・レジェンド』(映画版)は結構良かったです。あれくらいのクオリティがあれば満足です。

ゾンビワールドへようこそ』は面白かったけど、ああいコメディ系は今回は求めていません。

もっとリアリティのあるやつをお願いします。

漫画ゾンビのありふれた世界で俺だけが襲われない』はとても良いです。あれくらいリアリティがあれば理想的です。ただ今回は実写の映画ドラマでお願い致します。

アイアムアヒーロー』(漫画)は途中から意味不明な展開で、ああいファンタジーに偏る感じのは対象外でお願いします。

2023-03-02

ネタバレ有】映画エゴイスト』を観に行けないので原作小説を読ん

そもそも映画館くそ遠い&しかも上映時間が観に行ける時間帯とずれていたので。


映画の評判やネタバレ回避出来る範囲で読めたレビューから、ある程度の重さは覚悟していたけど、思いもよらない方向性で辛かった。だってこれおそらく完全なフィクションではなく著者の本当の懺悔じゃん……。


過去自分馬鹿にし虐めた同級生復讐するかのように都会でイケイケな暮らしぶりをしていた主人公・浩輔。彼が出会い恋に落ちたのは、ちょっと訳ありで美しく純真好青年の龍太。実は龍太は病身の母親を養う為に売春をしていたのだ。


という、あらすじだけ書くと陳腐BL小説のような感じだし、受けの方の性別女性に変えると更によくある話って感じだ。だが、浩輔と龍太の出会いと恋は物語の序章に過ぎなかったのだ。


浩輔はよかれと思って、悪くいえば自己満足で、龍太に救いの手を差し伸べる。そして龍太の母親も交えて家族のように過ごし幸せ時間を共有することになる。ところが、それが結果として龍太を追い詰める事になってしまい彼の早すぎる死を招く事になってしまったのだ。


文中では浩輔の懺悔が切々と語られるけど、俯瞰してみれば浩輔だけでなく龍太も龍太の母もそれぞれのエゴや愛で行動しており、誰が悪いって話でもない。

著者本人であろう浩輔は等身大人間として描かれている一方で、彼の恋人の龍太という人物は、美しい過去の思い出として徹底的に純真無垢存在として描かれている。

けれども、私が思うには、龍太の死は浩輔のエゴのみが引き起こしたんじゃなくて、龍太自身エゴというか、自分意思で・望みであえて命を縮める方へ邁進してしまったのではないだろうか。

恋人」という肩書きに龍太は囚われてしまったのではないかと。浩輔が龍太とその母親金銭的な援助をしてくれた、それをビジネスと割り切って、浩輔のことをビジネスパートナーくらいに思っていたら起きなかったであろう悲劇恋人から、出来る事なら対等になりたい、正面から向き合いたいって思うあまり背伸びをし過ぎてしまったのだろう。けれど、そうして頑張ったお陰で得た幸せというのが、彼にはあったんじゃないかなあ。

男女の愛人関係にもあり得る話のようでいて、男同士の恋愛だったから起きた悲劇のようにも思える。対等でありたい相手が手の届かない高みにいる事に、女だったらそこまでプライドが傷つけられはしないのではないだろうか。女ならば社会的に男と圧倒的な差があるのは自明の事として渋々でも受け入れられたかもしれない。

なんて。浩輔が悪いんじゃなくてこれはどうしようもない事だったんだよ、と、作者にとってはミリも慰めにはならないだろう事を考えた。


浩輔と龍太との出会い死別までは三年の年月があるけれど、その蜜月描写はあまり多くない。ページ数でいえば龍太が死んでからエピソードが全体の四割くらいを占めていたりする。一人の人間が死んだくらいで世界は終わらないし残された人達にも容赦なく明日はやってくる。


しかも、龍太は人知れずあっさりと死んでしまうけど、その死をすぐには受け入れられず、でも受け入れるしかない浩輔の悲歎に暮れるシーンがけっこうな分量があって物凄くしんどかった。非常にリアル心理描写なので、読んでいて自分が今まさに体験しているような気分になった。この場面、作者はどんな気持ちで書き綴ったんだろう。過去のこととして他人事のように冷静な目で書いたりとか……私だったら無理かな、つらい……。

龍太が死んで後の話。龍太の母親と浩輔とで残された者同士で実の親子のように孝行したり心を支えたりっていう話は、エピローグでもおまけでもなくむしろ本題かなっていうくらいのものだった。だからといって龍太の存在が軽い訳じゃなくて……浩輔が龍太に援助を申し出たモチベーションになったのが浩輔自身の母への思いで。それを龍太の母親が汲み取ってくれて、浩輔がこの親子を救ったと同時に浩輔もまた彼らに救われていたのだと。


だが同時に明るみになる残酷現実というのもあって、龍太の母親は息子を喪って始めて生活保護を受けられるようになり、無料治療を受けられるようになったという。なまじ側に扶けてくれる人がいると社会福祉は遠ざかりがち。浩輔にしろ龍太にしろしなくていい努力をしてしまったともいえるのだけど、そうしたからこそ得られた愛と幸せがあったわけで。


それを外野からエゴ」と呼ぶことは私はできないなぁ。

文庫版後書きの鈴木亮平文章が胸に沁みた。あー、映画版、めちゃめちゃ観たいー!

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