ネタバレしてる
映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者と監督のアフタートークがセットになってたやつ。
今は本編はDICE+というサイトでレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。
https://diceplus.online/feature/94
映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。
原作は平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説「無垢の祈り」
とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱な雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽も雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。
スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえのレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。
あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画の祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作の祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。
でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないものの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品は時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。
時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公は犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。
なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものは「グロテスクな閉鎖空間でうつくしく光る小さな何か」だと思った。
ざっくり言うと映画は児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか。
あと、映画で刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事の台詞が原作とは正反対だから。原作の刑事は「ああいう人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画では「キチガイは早く捕まえないと繰り返す」である。
かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品のテーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作と映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。
そもそも主人公(虐待といじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。
原作は殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公も未来に希望を持っているけど、映画は殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から「自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公も希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。
「救い」という意味では、例え原作で主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。
それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。
原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。
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