はてなキーワード: 映画版とは
「AKIRAの中身がない」と感じる理由についてもう少し考えてみよう
この肩透かし感はすごい
だが鉄雄と金田の物語としては普通に成り立っているし中身がないとはとても言えない
強いて言えば金田側の物語が足りない。これは漫画版も同じである。
金田にはなんの葛藤も成長もない。物語の主人公としては感情移入しにくい存在である。
それを持って中身がない、と感じることはあり得る。
金田のキャラクターを説明するには自分で言っている通り「健康優良不良少年」という言葉に尽きる。
この特異なキャラクター設定、不良のリーダーなのにお坊ちゃんヘアという奇妙なキャラクター造形
ができた時点で作者は満足し、それ以上金田を掘り下げるつもりがなかったのだろう。
漫画版の序盤で金田の幽霊みたいなものが突然現れる伏線らしき描写があるが、
この伏線回収が全くドラマに関わってこないことは大友がドラマを語る気が当初から全くなかった
なんか使えそうな伏線を配置しといたけど上手く活かせなかった、というだけの気もする。
だとするとやはり大きな物語を作る能力がそもそもないということになる。
しかしながら、漫画版はAKIRAが登場して東京をもう一度吹っ飛ばすシーンが白眉だ。
最後に室井がなんかどっか行っちゃった犬を追いかけて行って凍死しておわるんだけどさ。
考察得意です面した映画レビュー系Youtuberでも「脚本家が犬が嫌いなのかな?」とか「犬死を表してる」とか
警察ドラマ内で出てくる犬って言ったら「国家権力の犬」のメタファーに決まってるし、
そこまでわかれば
最後の犬が勝手にどっか行っちゃってそのせいで室井が死んでしまう。犬だけ生きて帰ってくる。
っていう展開が何を表しているかは明白じゃんね。
織田裕二が勝手にいなくなっちゃったから、そのせいで柳葉敏郎が作品内から退場する。
そしたら織田裕二が帰ってくる。
そして実際に映画の最後の最後に織田裕二演じる青島俊作がスクリーンに帰ってきてこの作品は幕を閉じる。
織田裕二と柳葉敏郎の確執は有名で映画版の3では主役級の2人なのに共演シーンが数分しかなかった。
踊るプロジェクトを再始動するためには当然主役である織田裕二を復帰させないといけないが、
それには柳葉敏郎のプロジェクトからのパージが最低条件だった。
なんで室井さんが死ななきゃいけなかったんですか!という当然来るべき質問に対しての回答を
絶賛したい。
実写の正解を毎話叩き出しているゴールデンカムイ。
監督がひとりひとりにキャラ考察ノートのようなものを渡していると言うので(萩原聖人のように脚本自己解釈で挑みたかった役者のスタンスによるが)原作解像度が異常である。
ドラマでは映画より改変も結構ある。もともと映画脚本時点で原作をよく覚えていないと分からない程度の短縮が見られたが、そのカットに違和感がなく、前後につながりをもたせることに成功している。
漫画的嘘の表現を、リアルに落とし込んでいるのもまた違和感がない理由だろう。
もちろん、だからこそ期待値が上がり「あのシーンを実写で見たかった」という声も出てくるのだが…。
親分と姫回もよかった。大自然を味方につけた夕焼けのハイライトと無茶苦茶な耽美展開。なぜ実写化できているのかもはや分からない。
実写化して改めて気づくことも多い。原作やアニメのアイヌ描写は頭の中でリアルに変換しているのだが、やはり自分の中での解像度が低い。その分実写だと、多くの協力もあってリアルなアイヌ文化が伝わってくる。
毎話放送後にメイキングが公開されるが、最新話のアイヌ料理描写はとても面白かった。
役者たちもなにを食べてるのか分かっていない新鮮なリアクション。フキが足りなくなれば山に入って採ってくる。アイヌの食文化を引き継いだ人が、料理監修の人に一から教えていく。ぜひ劇中料理本を出してほしい。
そしてまた気づいたことがある。
二階堂は映画版では編成都合上クライマックスの敵役で、実写序盤でかなり目立つ位置にいる。
映画だとまだ正気を保っていたが、ドラマでは無事第二形態まで進んで、みんなの知っている二階堂になった。一つの作品で役柄をあんなに変えていくのはすごい。しかも原作から抜け出したかのような演技なのだ。
そこで改めて二階堂という人に注目してみることになったのだが、彼の哀愁と愛憎を見ていくうちに、二階堂は杉元に愛してほしかったのかもしれないと思うようになった。まぁ、この熱量の感想で触れる部分ではないのかもしれないが…。
勿論ここは実写違うんだよ、という原作ファンは居るだろう。でもそこで平和に話題ができる。こういう感じで原作読者が見ても楽しめる作品はあまりないので、ゴールデンカムイを見てしまった今、今後の実写他作品を楽しめるのか不安すらある。
おいおい、なんだよその愚痴!確かに気持ちはわかるけど、ちょっと冷静になって考えてみろよ。
まず、映画版『ルックバック』について言うなら、あの作品の本質は、「原作をどう再現するか」じゃなくて、原作を基にして、どう新しい視点を提供するかだろ。原作が持ってる「漫画の力」っていうのは、確かにすごいんだよ。例えば、手塚治虫が『ブラック・ジャック』で描いた「命の価値」だって、読者がそれをどう感じ取るかってところにこそ力があった。でも映画ってのは、原作に対する「解釈」を加えるものなんだよ。例えば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』だって、タランティーノが歴史のifを描いたわけだろ?実際の歴史がどうあろうと、映画としての「物語」が成立してるから、並行世界が存在する意味が強調されるわけだ。
それに、映画で「並行世界の扉を開く力が足りなかった」とか言ってるけど、それがそもそもズレてるよ。映画っていうメディアは、漫画のようにページをめくりながら無限の詳細を積み重ねることができない。だからこそ、映画は「映像表現」によって観客にインパクトを与えるんだよ。例えば、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』が革命的だったのも、彼が言いたかったのは「映画は映画でしか表現できないことがある」ということだからな。
それに、君が言ってる「インターステラー的な何か」が薄いってのは、もしかしたら君がその部分に過度に期待しすぎてるだけかもな。映画版『ルックバック』は、漫画と同じように時間軸や物語を複雑にしていこうとしたけど、そこに込めたテーマやメッセージは、むしろシンプルに伝わってきた方がいい。映画には映画なりの表現方法があるんだから、そこに深い解釈を求めるのは少し違うだろ。
それに、映画が「漫画の力」を再現するって言っても、漫画はやっぱりそのフォーマットにしかできないことがあるんだよ。『ルックバック』における一枚の漫画がどれだけ強い力を持っていたか、それは確かにすごい。でもその力を「映画で再現する」のは、根本的にメディアが違うから、どうしても限界があるんだ。
それにしても、お前が言うように「深く踏み込むべきだった」っていう部分も、俺は逆に言うと踏み込みすぎてなくて良かったんじゃないかと思うぞ。むしろ、映画があまりにも深くまで踏み込むことで、観客が原作と同じように個々の解釈を持ちづらくなったら、それこそ映画として失敗だろ。
まぁ、色々と感じる部分はあるだろうけど、映画を見て「足りない」って思うのは、そこに期待を持ちすぎたからだよ。芸術作品なんてものは、結局は鑑賞者の解釈によって完成するんだから、もうちょっと柔軟に受け入れてみろよ。
もう一つの可能性に対しての解釈多様性みたいなのが薄いんですよね。
漫画の世界においては「あの1枚の漫画によって世界は分岐した」というのが本当に確かな説得力っていうか、マジでそれぐらいの力があったんだと信じさせる何かがあったんだけど、映画だといまいち伝わってこない。
そもそもあの漫画はどこから来たのかについての解釈の余地というか、「インターステラー的な何かが起きた可能性」というのを感じさせるだけのパワーみたいなのがイマイチ薄いんだよね。
あの状況における作品世界自体で起きていることは「もう一つの世界が存在した可能性についての想像」なのは事実なんだろうけど、それが観客席からだと「本当にあったかもしれないもう一つの世界」として等価の存在として映る所がルックバックの醸し出す凄みの秘密だと思うんだよね。
「どこまでも都合が良いような世界、でもそれがもしかしたら本当にありえたのかも知れない」って事がより強い悲しみを生むけど、同時にそれが「いま自分たちが生きている世界はこっちなんだから前を向かなければ」という気持ちのトリガーになるっていうか。
元ネタであるワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドなんてまさにそういう映画だったと思うわけよね。
なんつうか「こういう空想の中で自分たちを慰めることも出来る。創作活動を続けるってのはそういうことなんだ。創作活動最高と言え」みたいなパワーがあるわけですよ。
そこがイマイチ足りてないっつうかさ、もっと深く踏み込めば、あの事件に対してどう向き合うかって話だった訳じゃないですか。
まあ映画版はそのへんについて「パクりやがってよぉ!」の言葉を入れてくれているので敬意は凄い感じるわけなんですけど。
それでもやっぱ足りないっていうか、根本的な構造としての「漫画の世界における漫画の力」と「映画の世界における漫画の力」だとやっぱエネルギー量に致命的なまでの差があるなと。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画が「映画の中で映されたハリウッドという土地の持つエネルギー」によってあの荒唐無稽さすらある並行世界を描いたことの再現は出来てないなと。
こんだけ頑張ってもらえるんだからタツキ先生も喜んでますよって感じましたよ。
でもやっぱちょっとだけ足りないんですよね。
観客の頭の中で「並行世界への扉」を開くだけのパワーが足りてなかった感じなんすよ。
なんつうんですかね、繰り返しになるんですけどワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドという映画の中においては、あの映画の中で起きたことこそが事実だったわけじゃないですか。
「俺達の住んでいる地球の事実」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの事実」はそれぞれ存在できていて、どっちが上か下かっていうのとは違ったと思うんですよ。
その等価性があったからこそ、「でも俺達の地球で起きている事実が俺達の生きる現実でしか無いんだよね」という読後感みたいのに繋がるっていうか。
ルックバックという作品のキモってどうしようもなくそのワンポイントに集約されていると思うんですよね。
「室井慎次 生き続ける者」の先行上映を見に行ってきたんだけど
終始(なんやこのクソ映画舐めてんのか)とイライラさせられっぱなしでさ、
ラストの室井が死んだところで、室井じゃなくて本広と君塚が死ね!と思って見てたんだけどさ。
隣の席からウーウー言ってる声が聞こえて、そりゃ怒りの声も漏れますわと思ってチラっとみたら
30代半ばくらいのお姉さんがビビるくらい号泣しててドン引きした。
えぇ・・・このクソ映画にそんな号泣するほど感情移入できるところあったか?
マジかよ。
終わった後のホールでエレベーター待ちしてるときには、マジでおもんなかった!って怒ってる人と
小学校が終わったら本屋の前でジャンプ回し読みしてたのが懐かしい。ベジータとナッパが襲来した時は本当に絶望してた
何か単行本を集めようと思って買ったのがジョジョ。3部から書い始めて今は全巻持ってる
仕事がうまくいかない時代にアックスの連載で読んでてなんかシンパシーを感じた
「この漫画絶対面白いから!」と友達に激推しされて買ったらめちゃ面白くてその友達には感謝
大学生の話が好きなので。げんしけんもいいけどこっちの方がリアルな気がして
色褪せない名作。あとコロコロコミックで一足早く大長編ドラえもんが読めたのがなんか嬉しかった
ここから読める。見た目に反して結構過酷な話だと思うhttps://omocoro.jp/kiji/241203/
作者の頭の中どうなってんだ!?と思ってしまうくらい解像度が高い作品。
みんなのも教えてね!
お会いした人は地方の県庁所在地の名前を冠した国立大学を卒業したさえない男性でした
(県の地方独法で働いてる。本庁から出向ではなく新卒でそこで働いてるらしい。←一体なぜ?出世できないよ)
私も少しは映画を嗜んでるので
(といってもキネ旬のベストテンを潰すのとミニシアターで好きな作家の特集に行くくらいで、年間6-70本くらいしか見ない程度ですが)
去年は「せかいのおきく」と「枯れ葉」がよかったって話をしました
するとその映画好き男性さん鳩が豆鉄砲を食ったような顔になりました
ええ!?その2つはどっちも有名ですよね?
もしかして邦画以外のアジア映画しかみない方なのかなあって思って「春江水暖」とか「はちどり」の話をしました。
するとどっちも知らずドン引きしたました😱😱
聞くと、映画を見るのは年に10本程度で最近見たのは「SPY×FAMILY」の映画版だと知ってドン引きしました。。。
(アンチャーテッドの映画版はあまり面白くなかった。派遣のおっさんが「はい死んだ!」とか一一突っ込みを入れてて白けた)
「お局さんは小塚舞子に少し似てる。名器度70」とか
「高卒新卒の女の子の住んでるマンショの近くのスーパーに帰りに行ったら、カゴに米を入れてた。3年前にカゴを覗いた時は2kgだったが、今回は5kgだった」とか
10時くらいになって派遣のおっさんと雑談しても得が無くなったことに気づいて寝ることにした
俺と派遣のおっさんとババア先輩の弟の2人でリの字に並んだんだが、派遣のおっさんが真ん中に陣取ってドン引きした…普通遠慮するだろと思った
履修済→有害無罪玩具・逆柱いみり・武装島田倉庫・黒史郎(未完少女ラヴクラフト)・殻都市の夢・EDEN・このサイテーな世界の終わり・GUNSLINGER GIRL・アンデッドガール・マーダーファルス・伊藤計劃・JUNK HEAD・バビロンまでは何光年?・堀骨砕三・君たちはどう生きるか・裏世界ピクニック・マルドゥックシリーズ・ディスコミュニケーション・ドラゴンヘッド・リンダキューブアゲイン・バトルロワイヤル・バビロン・岩明均(全般)・幸村誠(プラネテス)・沙村広明(ハルシオンランチ)・平野耕太(ヘルシング)・石黒正数(全般)・乙一(暗いところで待ち合わせ)森博嗣(スカイ・クロラシリーズ)・西尾維新(主にアニメ)・ガイリッチー・マイケルマン・タランティーノ・ニーア(レプリカント・オートマタ)・空が灰色だから・妄想代理人・OneShot・順列都市・エルフェンリート・ブラッドハーレーの馬車・メタリックルージュ・米澤穂信(アニメのみ)・堕天作戦・シャングリラ・フロンティア(漫画版)・イド・インヴェイデッド・タクティクスオウガ・詳説世界史B・ヨコハマ買い出し紀行・幻想水滸伝1&2・ブラックラグーン・刻刻・キャシャーンSins・わたしは真悟・レイジングループ・スチームパンクシリーズ・ウィッチハンターロビン・ウルフズレイン・ノワール・トライガン(漫画版)・十三機兵防衛圏・戦闘妖精雪風・メダリスト・ハコヅメ・ワールドトリガー・天国大魔境・ハイパーインフレーション・ヒストリエ・マージナルオペレーション・メイドインアビス・かくしごと・ORIGIN(アニメ版)・彼方のアストラ・ストレンジャー・シングス・大砲とスタンプ・ビューティフルプレイス・第三惑星用心棒・インターステラー・ファフナーシリーズ(TV版)・秘封倶楽部・ミルク クローゼット・ヒッチコック(サイコ・めまい)・7SEEDS・人類は衰退しました・幼女戦記(漫画版)・家栽の人・栄光なき天才たち(新含む)・NieA_7(アニメ・漫画)・タワーダンジョン・人間以上・グノーシア・八木ナガハル(無限大の日々)・ベクシンスキー・スペクトラルウィザード・不滅のあなたへ(アニメ版)・グレイプニル・究極のシェフは美味しんぼパパ・Fallout4・百万畳ラビリンス・月光の囁き(漫画版)・青の6号・諸星大二郎(全般)・マトリックス・リング(小説版・映画版)・クロス探偵物語・となり町戦争(小説版)・SOIL・アンブレラアカデミー・アメリカンホラーストーリー・オッドタクシー・オーデュボンの祈り(小説版)・ヴァルキリープロファイル・パンズラビリンス・Thisコミュニケーション・未来世紀ブラジル・ジェイコブスラダー・ガタカ・平山夢明・ダブ(エ)ストン街道・アラビアの夜の種族・銃夢・ファイト・クラブ・亜玖夢博士のマインドサイエンス入門・ビリーバーズ・エクソシスト3・夕闇通り探検隊・城戸光子の青猫屋・エイリアン9・グラン・ヴァカンス: 廃園の天使・オッペンハイマー・大いなる天上の河・勇者警察ジェイデッカー・侵略イカ娘・デュープリズム・ドラえもんギガゾンビの逆襲・ガラージュ・望郷太郎・パンプキンシザーズ・小田ひで次(平成マンガ家実存物語)・ニクバミホネギシミ・テクノライズ・エクスマキナ・CURE・CUBE・オールドボーイ(韓国版)・ウスズミの果て・世界が終わっても生きるって楽しい・ヴィンランド・サガ・ARMS・からくりサーカス・グローランサー2・86 エイティシックス・機動戦士ガンダムF91・サイコパス(2まで)・ コードギアス(TV版と復活)・さくらの唄・大日本天狗党絵詞・ぼくらの
未履修→ゆうやけトリップ・淵の王・キリンヤガ・サンティアゴ・戦時生活・パニシング:グレイレイヴン・ENDER LILIES・森博嗣(スカイ・クロラシリーズ以外)・サイバーパンク2077・カイバ・大図解九龍城・オクトローグ・リビルドワールド・ジェイムズ・エルロイ・バイオーグ・トリニティ・信長の野望天翔記・有栖川有栖・あえかなる世界の終わりに・シャドウラン・ハンザスカイ・白暮のクロニクル・一流シェフのファミリーレストラン・ザ・ワイヤー・ピーキー・ブラインダーズ・亜獣譚・悪役令嬢の中の人・マーダーボット・ダイアリー・elona・アンディー・メンテ・図書館の大魔術師・戸村助教授のアソビ・kenshi・ホーキーベカコン・腹腹先生・スケルトンダブル・ゼウスガーデン衰亡史・山尾悠子・愛と幻想のファシズム・シテール島への船出・城戸光子の青猫屋・壊音・ナポレオン(映画)・フライミートゥーザムーン・清水玲子・花見沢Q太郎・魔法少女消耗戦線
顔がぺしょぺしょになるくらい泣いてしまった。
原作をあまり好きじゃないので、映画の前評判がよくても観るのどうかなあ? と躊躇ったんだが、観てよかった。
映画版のどこが好きかというと、京本の藤野に対する感情が丁寧に描かれているところ。原作でも、京本は藤野に対して盲信レベルの好意や尊敬の念を懐いているのは解りやすくかかれているけど、映画版で良いと思ったのはそこじゃなくて(そこは原作に忠実にえがかれているが。)、いつも藤野に手を引かれ、彼女の背中を見つめていた京本の感情の大きさの描写だ。
自分のことを子供部屋から外へ連れ出してくれて、外の世界を見せてくれた藤野の背中が、京本の目にはどんなに頼もしく、そして眩しく映ってたのかということ。繋いだ手はやがてするりと抜けて離れてしまいそうになるが、指先だけが引っ掛かかっているだけになっても、藤野は京本の手を離さない。
だが、共に外の世界を歩きまわるなかで、京本は自分自身の興味関心ごとを見つけ、藤野の手を離れ立ち止まる。
原作を読んだとき、あまりこの話好きじゃないなーとおもった原因が、京本の気持ちがいまいちよくわからなかったことだ。彼女が藤野とは別の道に進もうとするのは、単純に絵が上手くなりたいという欲求だけでなく、心の底に隠し持ち燻らせてきた不満がそうさせるのではないか? と邪推してしまった。京本のそんな様子が藤野に寄った視点で描かれていたので、藤野の気持ちも天才肌な友人に対する嫉妬や支配欲の発露なのかと思ってしまった。
という、どこまでも交じりあわない、噛み合わせの悪い二人、という印象が、原作を読んだときには京本の得体のしれなさにより強化されたように感じた。
けれども映画では京本の感情よりクリアなので、藤野とは別の道を歩むと彼女が告白したとき、そこには藤野に対して何らかのネガティブな感情があるわけじゃなくて、本当に自分のしたい事が見つかったこと、そして自分も藤野のように自立し自由に歩いてみたくなっただけで他意はないということが伝わってきた。それに連れて、そのときの藤野の心情の解釈もかわった。支配したい、足を引っ張りたいというより、唯一無二の友人が去っていこうとしていることへの淋しさ、置いて行かれることへの不安。いつも自分の足で立ち果敢に前進していた藤野だが、京本なしには心もとなくて歩いて行けない。
噛み合わないと思われた二人だが、漫画という共通点で繋がり、共に漫画を描いた日々を過ごしたなかで、唯一無二の親友同士になっていた。その関係性の精緻な描写のお陰で、観ていて変な邪念が湧きづらかった。
藤野と京本、彼女たちが互いの持ち味でもって共同し漫画に打ち込んでいた日々。それは藤野はもちろん京本にとっても楽しく幸せな日々だった、というのが、作中のリアルの時間軸ではなく、思い出として物語の終盤で示されるのも、良い演出だった。
若草物語のジョセフィンの驚いた時に発せられる口癖。
姉からはお行儀が悪いわよと窘められるシーンもあり、「ジーザス・クライスト!」をもじっているのがわかる。
映画版では「すげぇな!」などと訳されていたりした。
この"Oh, Christopher Colombus!"はSOUL'd OUTのCOZMIC TRAVELから引用しているが
I love Elizabeth But 振る舞え like Jo = Josephin So, you say like this "Oh, Christopher Colombus!"
Elizabethは若草物語のベスのことで、内気で女性らしい人物。
Josephinは若草物語のジョー(Jo)のことで、活発で男勝りな人物。
私はエリザベスのような女性が好きだけど、ジョーのように男らしく振舞え、
そして叫べ。マジですげぇ!と。
くらいの意味合いになる。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080631
https://web.archive.org/web/20120129085815/http://ashihara-hina.jugem.jp/?eid=28
2011.07.08 Friday20:28
もう発売されてるみたいなので、紹介しちゃって大丈夫かな。
2011070800020000.jpg
この中の「思い出の品」のページに、当時私が夏帆ちゃんに差し上げた
サイン色紙を、なんと載せてくださっているのですよ。
数ある思い出の品の一つとして、小さく載るもんだと微塵も疑わず
ページを開いてみたら、半ページ大にどどーーんと大きく載っていて、
うわーびっくりした!
「砂時計」の「仁摩サンドミュージアム」「出雲大社」
そして、同じく夏帆ちゃん主演&島根舞台の映画「天然コケッコー」のロケ地、、、
この映画も、すっごい良いんですよ!
くらもちふさこ先生の原作漫画も大好きだけど、映画もとってもとっても。
私、何度も観ちゃった。
女優さんてすごいなあ。。
幼くも見えるのに、ふとした表情に妙に色気も感じる
隠し撮りしたんじゃないですよ。撮影後、スタッフさんにごっそり頂いたのです。
あげませんよー。多分、偉い人にいっぱい怒られるはずなので、
ここにアップも出来ません。自慢してみただけです。スミマセンm(__)m
俺は割と原作の漫画版が好きで買って読んでたんだけど、正直不満の方が多い。
SNSでは割と好評な意見が多くて今年ベストみたいな人もいてびっくりした。
1.品川ヒロシ節がウザい
これを現実に存在する人間が口に出して言うのに違和感しかない。
品川ヒロシの過去の映画でも頻出するコント文法というかなんというか。
A「なんかこいつキムチ臭くね?」
A「っていうか焼肉臭くね?」
こういう寒いコント風のやり取りをいきなり入れてくるので、何この場面?ってなりがち。
2.終わらせ方が紋切り型すぎる
今回の話は漫画の第一章にあたる「爆羅漢」編を映画化したものなんだけど、
元々の話は、敵対グループの爆羅漢とのタイマン3本勝負で決着がつく。
主人公と総長丹沢の"ヤバさ"を周囲のメンバーが思い知るという構図になっていたが
大乱闘→乗り込んだ先でバラバラになってタイマンという形に変更されている。
これはクローズ1、2もそうだったし、ハイローもそうだったし、東リベもそうだったし、
昨今流行したあらゆるヤンキー漫画が大乱闘→バラバラにタイマンの構図になっており
元々の流れを変更してこっちにしちゃうのかーと残念な気持ちになった。
3.アクションシーンは概ね良い
うーん、これは当ててませんねぇって一目見てわかるシーンがちょちょいと出てくるのは気になったが
パッと見て頑張ってるな!って思えるアクションシーンが多いのは品川作品のいい所だと思う。
ちゃんとバエるように戦う場所も工夫されているし、こういったカジュアル近接アクションを撮らせたら
実際頑張ってる監督はいっぱいいるんだけど、予算ついてアイドルも入れてこれやれるのは割と貴重。
暴走族のメンバーをラップで紹介するパートがあるんだけど、マジでダサい。
これに比べるとさすがにLDHが主導してただけあってハイアンドローの各チームのテーマ曲はかっこよかった。
あと、東リベのマイキーに激似のチビで金髪で長髪で喧嘩ゲキ強いけど飄々としてる総長が出てくるんだけど、
これってまぁ特攻の拓のマー坊時代からの系譜ではあるんだけども。
やっぱ演技させるとドラマ版池袋ウエストゲートパークの窪塚洋介のキング”風”でしかないなぁと思わされる。
・メトロイド(人気出ると思うんだけど。中身女だし)
・スイカゲーム(やるなら今しかない。ちいかわみたいに2分くらいでいいんだよ)
・ぷよぷよ(なってないよね?とても合ってそうなのに)
・ロックマン(エグゼじゃなくてね)
・ストリートファイター(これも映画版ではなくテレビでやってほしい。ネトフリでもいいよ)
・ファイアーエムブレム(人気でるでしょ?)
・クロノトリガー(今こそ!)