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2015-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20150516024947

トラバついていたのに気がつくのが遅れました。ごめんなさい。届かないかもしれませんが、お答えさせていただきます

なんで中長期的に見れば増収になるって言えるの?
俺の考えでは、消費税というのは消費の度にうんざりさせられるものから、消費が冷えるのは自明だし、その効果は永続的に思えるのだけど。
それとラッファー曲線右側にいるか左側にいるかって、何か実証されてるのかな?
あんたの主張は日本左側に居るってことなんでしょう?言い出したのはあんたなんだから、先にそれを論証するのが筋なのでは?
もっと言うと、ラッファー曲線って消費税関係ないのでは?消費税100%でも税収はゼロにはならないんだから、当てはまらないでしょ?

確かにラッファカーブのものじゃないですな。短絡しました。ごめんなさい。

他方、消費額×消費税率で、税率の伸びを消費額の減が相殺してなお余るから税収が減る、ってのはラッファカーブの考えの敷衍とは言えるんじゃないかな。ラッファカーブの眼目は、どこかに税収の極限があって、その左側では税率が低いゆえに税収が下がり、右側では課税標準が低いゆえに税収が下がるってことなので。

で、日本左側にいるってことの論証は、日本国民負担率が世界的には低い方(消費税だけで言うなら、付加価値税の税率が低い方)だ、ってことでとりあえずは足りませんか?

BIなんて財源が絶対に確保できないと思うから考えるだけ無駄だと思うんだが、それは置いといて、
宇宙人の謎の技術を駆使してなんとかBIを導入できたとしたら少なくとも生活保護年金は廃止できるんでしょ?
じゃあ、それで良いのでは?

BIで「采配の仕事」とやらがなくなると書かれていたので、なくならないと指摘しただけですので。財源が確保できないから現実的でない、というのには同意です。

ここが一番よくわからなかった。逆に元増田意見はすごく理解できた。
大企業の方が中小企業より国際的な取引が大きくて、輸出も当然大きいよね?
この時点で日本消費増税されても大企業相対的ダメージは少ないと思える。
さら中小企業からすれば大企業お客様なんだから消費税価格転嫁しずらい。
(下請け企業増税分を値引きさせられてて辛いって話は誰でも知ってるよね?あんたは知らないの?)
でも大企業輸出戻し税を受け取れるから実質的には仕入れ値が値引きされる分だけ安くなるってことにならない?

輸出分は、「転嫁しずらい」どころか制度的にまったく転嫁できないから戻し税があるわけで。続くトラバでも指摘されてたと思うけど、戻し税がなかったら下請けイジメもっとひどくなるよ、きっと。うちがまったく転嫁できないんだから、お前らにだってびた一文払えん、って。

まれ、元の文章でも書いたけど、どっちも払うか、どっちも払わないかが理屈から世界中のどこの付加価値税を見たって、輸出戻し税的なものは必ずあります日本だけなくすの?

あと、消費税ベンチャー企業イノベーションを阻害して大企業の緩慢なペースに世の中を合わせる効果があるってのは、
かなり斬新な意見で感心したんだけど、あんたはどう思う?

国際比較付加価値税率と起業率の関係を調べるのでもなんでもいいけど、何かしらのエビデンスが伴ってからですかねぇ、まともに取り合うとすれば。元々の話は、大企業生活必需品を扱っているから云々ってものだったけど、バズワード的にいえばコモディティ化してるというかレッドオーシャンというか、その手の分野だということになるんで、一般論としていえば、完全競争市場に近くて生活必需品の方がしんどいんじゃないんですかね。ついでにいうと、消費税には悪名高い免税点制度があるんで、他国付加価値税に比べるとベンチャーに有利だと思うよ。

2015-05-04

偏差値が高くなるほど文化人が増える

http://anond.hatelabo.jp/20150504103119

音楽文学映画演劇、世の中には様々な表現行為がある。

偏差値が高い大学ほど文化人を輩出している。

学習と才能は相関関係がある。もちろん「才能=学習」は絶対ではない。

しかし様々な表現行為学問化している。

まり技法を学べば誰でもある程度の作品は作れるようになる。

表現行為で失敗する人は学ぶことが出来ないだけだ。

例外的に中卒死刑囚作家ギターコードすら知らない天才ギタリストが世に現れる。

彼らは"その分野"に関してだけは学習出来ただけだ。

しかし、大概の人の成績は平均的になる。オール5に近い人や、オール3に近い人、ほとんどオール・・・

ほとんど成績はオール1だけど、体育だけが5だったり、数学が5だったりする人もいる。

その人はサヴァンだったりするのだろう。不思議なことにそういう人は才能があると持て囃されたりする。

しかし、世の中には文武両道の上に表現行為でも成功を納める人がいる。wikipediaなどで文化人著名人出身大学を見ると一目瞭然だ。

平均してオール3の人はそれだけの学習能力だし、平均してオール1の人は知的障害の可能性があり、平均してオール5の人は高い学習能力を持つことになる。



余談だが世の中に敷衍している自己表現イメージ自分の好きなことを好き勝手表現し、そして運良く他人に伝わればいいのだろうと。もちろん学問化していることを無視してだ。

"自己"表現であるが故に自己満足を繰り返す。本質学問を学び社会有益な何かを残していくことだと思うのだが多くの表現者はそれが出来ずに死んでいく。

もしくはまんしゅうきつこさんのように学ぶことが出来ても勇気を出せずに死んでいく人も多いのだろう。

2015-03-15

反差別多様性を殺す

http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/14/231545

これとそのブコメを読んで考えたことを書く。


反差別を掲げる人たちは、自分たち多様性を認める世の中を作るのだ、と言う。

行政や、電波を寡占するテレビ局などを相手にそれを言うなら、まだわかる。

彼らは権力でもって(極端には選挙権制限したり)、価値観多様性存在し得る基盤自体破壊することができるからだ。


だが同じ批判を、ネット上の、ひとつ漫画サイトに向けることができるだろうか。

ウォルターブロックという人が、"Defending the undefendable"という著書で次のようなことを書いていた。

黒人がバーに入店することを行政が禁じたら問題であるしかし、バーの経営者が、自分の店を白人以外お断りにすることには問題がない。

というのは、黒人以外お断りのバーや、何人でも自由に入れるバーも同時に存在することができるのだから

万が一、すべてのバーが白人以外入店禁止になったとしても、その場合、他の種類のバーを起業することで、その需要を独占できるのだから

チャンスに目敏い起業家はこれを逃すはずはない。結果として行政が何をせずとも、多様性が失われることはない。

しろ行政白人以外お断りのバーを禁止した場合白人だけでバーで飲みたいという人たちの楽しみを奪うことになる。


これは人種差別が例であるから、極端な考えに思われるかもしれない。反射的に拒否感を覚える方もいるだろう。

私はこの例自体には賛成とも反対とも述べるつもりはない。だが理屈としては、私が今回言いたいのはこれと同じだ。

comico同性愛表現を自らのサービスから排除したところで、それらがネットから排除されるわけではない。

一方で同性愛表現を認めないサービスがあり、もう一方では認めるサービスがある。それでいいじゃないか?多様性とはそのようなことだろう?

冒頭でURLを記したブログの主張を敷衍した先にあるのは、ヘテロ性愛作品は(あるいは同性愛作品は)ちらりとも見たくない、といった種類の要望抹殺された世界である

その世界では、ヘテロ性愛作品同性愛作品も同様に扱うサービスけが残る。性愛だけではない。

暴力表現も、障害の表現も、社会問題視され得るおよそ考えられる限りの表現の扱いは、全ての漫画サイトで同様なものになるだろう。

その世界はある種の人たち(おそらくはリベラルと呼ばれる)だけにとって健全化された、その意味価値観の一様な世界だ。

反差別多様性を殺すのだ。

2015-02-10

ラノベを読んだら負けかなと思っている」

中学高校時代自分ラノベに対し「生ゴミ以下の代物」と見下していた。

そしてそれを読む人々に対しても「(アドルノの指摘した)文化産業に籠絡された可哀想な人」というまなざしを向けていた。

しかラノベを好んで読んでいた人々はほぼ全員阪大や九大、お茶大といった一流大学合格

一方自分は関○○院や○○館といった三流私大しかからなかった。

それ以降、「ラノベを読む人=知性が高い」というイメージを持つようになった。

勿論身近な事例をそのまま社会全体に敷衍するのはおろかなことである

しかしごく一部で指摘される「ラノベを読む人=頭が可哀想な人」という図式は必ずしも正しくないといえよう。

ついでに自分ラノベを読んだことはない。

なぜなら三流私大しか引っかからない程度のおつむでは到底理解できないと推測されるからだ。

2015-01-23

エロ漫画における絵の巧さが押しつける異常性癖のおぞましさについて 追記

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。

汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。

面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。

自分の精いつぱいの物を。

然し、必ず、こはれるものを。

然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。

それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。

私が、私自身に裁かれさへしなければ。

たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

坂口安吾著「余はベンメイす」

序論

自分前回、少なくとも今の自分が"そうである"と信じる所を書いた訳である

批判こそあれど、撤回をする事で偽るべきではないと思う

しかし、いくつかの指摘には自らの答えを以って表明とするのが正しいと信じ、追記をする

前回の記事を書いた後の指摘にて自分が後悔したのは"欲望がどこから来るのか"という部分だ

タイトルだけに反応すれば、自分のスケベさを絵のせいにするなよ、と。

性的嗜好覚醒とは外から来るのか自らの内から来るのか。それはあたか信仰に似ている。

それは押し付けられたのではなく、もともと潜在的に有していたモノが開花しただけかもしれない。

人間は欲望が渦巻くスープであり自然は際限なく冷酷なものであるから

クジラックスが好きだけど異常性癖になった事はない、ただ少女愛は元々備わっていて偶々手に取ったのがそういった趣向のエロ漫画だったというだけだ。


これらの指摘は、全く正しいと思われた

そう、自分自分パスカルの「パンセ」を引用

"人はエロ漫画の持つ力で屈服させられ、目覚めさせられ、開発され、汚染される"といった趣旨の事を書いたように思う

私は私の体験を文章として切り取ったにすぎず、故にこれを撤回しない

しかし、人は自らの体験を真実、伝えきることはできない

ここにおいて自分象徴界限界を知る事になる

しかし、自分自分表現し得る辺縁の部分まで突き詰めてみたく思う

本論

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

フリードリヒ・ニーチェ著「善悪彼岸


まり、ここでは"力を振るうのは誰か"と言う事が問題となる

自分を屈服させ、従わせ、駆り立てるのは誰か

エロ漫画によって異常性癖になった」などとは言わない

それは私の作品への投影に過ぎない(※1)

あくまで「自分が選び、自分が惹かれ、自分決断し、自分が選んだ」に過ぎない

決めたのは自分自身に他ならない

然しそれでも、私の主観としては「作品によって、自分は屈服させられたのだ」という感覚を捨てきれない

春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。

そんなことは、きまりきつてゐるよ。君達自身、猥セツなことを行つてゐる。

自覚てゐる。それを夫婦生活の常道だと思つて安心てゐるだけのことさ。

夫婦の間では猥セツでないと思つてゐるだけのことですよ。

誰がそれを許したのですか。

神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。

許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我

坂口安吾著「余はベンメイす」


では、自分自身意識は何によって駆り立てられたか

ジャック・ラカン提唱した概念対象aと言うものがある

「明らかに自分が選んでいる筈なのに、屈服させられていると感じる」という主観

主体と客体の逆転がここで生じることについて、このエピソードが近しいのではないか

若きジャックは、よくいる活発で利発な青年の一人として、

自らのインテリとしての優遇された生活に疑問を覚えてか、

荒い海で漁師として働いたことがあったという(一夏のアルバイトであったと想像しよう)。

この時、船の上で、彼の同僚である教養な男が、海上を指差した。

そこにはどこから流れてきたのか、一つの空缶が浮かんでおり、

強い陽射しを反射して、キラキラと輝いていた。男は次のようなジョークを放った。

「こっちからは向こうが見えてるけど、向こうからはこっちが見えていないんだぜ」。

しかしこの時、ラカンは、「違うのではないか、むしろ向こうこそがこちらを眼差しているのではないか」と直観した。


対象a

人間が一生を通して追求するもので、想像界象徴界現実界中間にあり、欲動が求める対象

他の精神分析学派の主張する部分対象や移行対象自己対象との関連性が指摘される。

経験として象徴化された世界の背後の示唆、亀裂、欠如としてのみ経験される。

単なる事実以上の何かを孕んでいるという不確定な過剰さを喚起するもの

自らの世界の中に象徴化された欲望の対象痕跡

満たされない欲動の向かうところ

詳しくはこれを参照して欲しい





幼児期において、人間は万能であるという錯覚がある

求めれば完全に満たされ、不快なことはすぐに排除され、自分意志によってすべてが好転する

世界には他者などおらず、自己しか存在しない

しかして、その世界には終わりがある

聖書にて失楽園があったように、人間にも楽園からの追放がある

自我の芽生えである

世界には自分以外の存在があり、すべてが自分の思い通りなるわけではない」という事が分かるようになる

絶対的依存や信頼、母子密着状態からの脱却、対象との関係性の生起である

しかし、人間はこの時の愛着を忘れない

例えば、母親との絶対的な密着を忘れられない子ども

母親の代わりに毛布を肌身離さず持ち歩くようになる(※1)

成人した後は、形を変えて残る

人は過去の幻影を追って止まないし、追わないで居られるほど聖人君子でもない

「夢を追う」「面影を探す」「憧憬する」「焦がれる」「つい見てしまう」「どうしてか同じ行動をしてしまう」

幼児の頃の万能な世界や、絶対的幸福、真理や真実表現されるもの探し求める

しかし、それはみつからない

絶対的愛情存在しないし、絶対的幸福存在しないし、絶対的絶望存在しない

完璧文章などといったもの存在しない。

完璧絶望存在しないようにね。

村上春樹著「風の歌を聴け



しかし、人はそれを求める

逆説的であるが、人がそれを追いかけるときに初めて真理は存在することとなる

然し、真理といふもの実在しない。

即ち真理は、常にたゞ探されるものです。

人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。

探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。

真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。

人間人間の形をした豚ですよ。

真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

坂口安吾著「余はベンメイす」



結論

自分が信じた正義(今回で言えば、緑のルーペ氏が描いた人間尊厳冒涜するエロ漫画否定する事)は

主観としては作品のものの力によって屈服させられたように感じられる

しかしその実、それは作品の力という要因だけに帰属しない

自分自分の力によって自分正義破壊したに過ぎない

自分を駆り立てものはいだって「ガラクタ」、「吊るされた人参」、そして坂口安吾の言う所の真理である

欠如の象徴としてのそれらを埋めるため、自分は「人の倫理破壊する作品」に惹かれる

それと同時に、自らの正義がそれを許容せず「自分が望んでいるのではない、望まされたのだ」と投影させる

氏は「宇宙人の冬」を業の深い作品と説明した

それは、こうした葛藤を生じさせることに意識的であったからだろうか



脚注

※1:投影

投影(projection)とは、自分のなかにある受け入れがたい不快感情性格他者が持っているかのように知覚することである

たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者投影して逆に他者自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である

※2:俗に、ライナスの毛布と呼ばれる。移行対象のこと

ラカン

現実界

フロイト現実原則や、カント命題"ein leerer Gegenstand ohne Begriff"(「掴み得ぬ空虚対象」。独語

などから敷衍した概念で、空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実を言う。

以下に記述する想像界にも象徴界にも属さな領域であり、例としてはトラウマ不安現実における体験などで言及される。

象徴界

人間存在根本的に規定する言語活動の場のこと。

また数学などもこれに含まれる。

ラカン言語活動によって形成される人間のつながりを大文字の他者と名づけている。

これは自己他者をつなげる共通の第三者としての言語を指している。

大文字の他者言語活動の一部であることから象徴界に属するものとして考えられている。

想像界

想像界とは、たとえば「日常」平和」「不幸」といった、

人であれば誰しも漠然イメージできるけれども、

その正確な描写となると大変な労力を要するような対象世界を指しており、

かつわれわれが頭で思っているものを言う。

2014-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20141207173216

あなたの話を敷衍すれば「日本なくせ」ってことになる。こんな火山地震ばかりの島に住む人間の気がしれない、と世界には思われてるだろう。東日本大震災の後、世界中の誰一人それを思わなかったとでも? その言葉を呟かなかったとでも?

でも、そんなこと公にはどこの国も言わない。普通。そりゃ「あたまわるい」意見からだね。文化多様性人間自由、可能性、いろいろなものを閉ざすことになるから。たとえ分かりにくくても、たとえ敵対していたとしても、人間世界は「関わり合い」で出来ているのであって、一つの文化が消えるとその影響は大きく、それは世界全体の可能性を狭めることになるということがわかっているから。そして、自分たちが中心にいるというのは、思い上がりにすぎないということを、誰もが理解しているから。世界は「お互いさま」でできているから。……そういうもろもろの「共通認識」が、世界にはある。「正論」という名前の。

そういう「正論」を聞きたくないくらい疲れているときもあるだろう。だから、ついそういうことを言いたくなることもあるかもしれない。それは理解する。だが、あなたが吐き散らかした「あたまわるい呟き」という小石につまづいて嫌な思いをする人もいる。たとえばここに。だから、こちらとしても正論の一つもレスしたくなるわけだ。

あなたが呟くことやあなたの感慨を否定はしないが、その考え方について「間違っている」と発言する権利は、わたしにもある。

2014-10-31

病みやす人間は、怠惰を含めてしまう悪い癖がある

http://buzama-www.hatenablog.jp/entry/2014/10/30/%E7%97%85%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AF%E3%80%81%E6%80%A0%E6%83%B0%E3%82%92%E5%90%AB%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%86%E6%82%AA%E3%81%84%E7%99%96%E3%81%8C

うつ病会社退職し、現在療養中の俺がいう。

この人は自分に当てはまることをすべてのメンヘラ敷衍してるだけ。

精神病の人がみな怠惰なわけがない。

しろうまく手を抜けないやつのほうがうつ病とかの精神病にかかりやすいと思われる。

問題精神病理由怠惰になってしまうことじゃねーんだよ。

精神病の状態では、どこまでが病気による不具合で、どこから自分怠惰さなのかの判断

自分を含め誰にもできなくなることだっつの

っつーかそれよりなによりこのブログ

「僕にも、人混みが怖くて引きこもったり、一日中掃除していなければ発狂してしまうほど病んでいた時代がある」

「今回の記事も含め、最近攻撃的だなと自分でも思う」

とか予防線をはってるのがむかつく。

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829153327

君の意見敷衍すると「女性とお付き合いしたことのない人」は永久にお付き合いできないってことにならないか。

2014-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20140820154312

メッセージ大勢に向けられてても主語自殺者、自殺志願者を指してるって書いてあんじゃん読んでもいないのか低脳

あのね。そもそも大元記事には「自殺」は出てこないんだからね。記事内を検索してみるといいよ。

主語最初から自殺」。The suicide is a kind of murder, that's all.

そこから自殺殺人者」と最初敷衍して持ってきたのはお前だから。つまりお前の自意識過剰なんだってば。

自殺殺人なら論理的に言って自殺を行う者は殺人を行う者なのでそこは否定はしないけど、それこそ被害者ぶってキイキイされても困るなあ。

そこでヒステリックになるくらいなら自殺殺人でないということを論理的証明してくれないと。

ロックに始まる所有権概念ロック信仰による自殺への価値観はなんら関係ないな馬鹿過ぎ

ロックの主張のうち自分に都合のいい部分だけ切り離して使えると思ってる方がよっぽどバカだと思うけどw

少なくともロックの論では自殺肯定され得ないんだから、あんたにゃ所有権をどのように定義することで自殺肯定できるのか説明する義務がありますよ。

感情もひたすらもおまえの主観しかないよね。その理屈で言うとやつあたり説も成り立つと認めていいとしか思えない。冒頭2つの自分意見ロジカルだと思っていたのか。なるほどロジカル理解していない人なら仕方ない

開始早々あれだけ短いパラグラフ二つ分の文中に馬鹿だの低能だのの罵倒語をちりばめておいて「自分感情的ではない」と言い張るわけか。

八つ当たり説ってナニよ?w突然オリジナル説を説明なしに持ち出すのやめてくんないかな。無駄に話が錯綜するじゃないか。

少なくとも俺の主張には「まあ確かに自殺者は加害者だよね」と肯定するトラバがつく程度の正当性はあるぜ。俺の主張が感情的ではあったとしてもね。

所有権決定権同一性への意見スルーして事情が〜とか俺が書いてない主張勝手に組み立てて反論してるバカ否定されてないと救えないな

病的でないのに同一性を認めない乖離社会において適用しようとする時点で殺人には当てはまらないは成り立ちませんその理屈だと自殺特別な△△なので私の理屈は当てはまるんです!となんでも言えることになる学のある人のセリフじゃないまぁ学じゃなくて傷ついた俺の中ではこうなんです!だから俺の死んだ遺族は殺人犯です!ということなら許してやらなくもないかな

何を言ってるんだか分からない。句読点を使えよ。どこで区切って読めばいいのかも分からん

同一性」ってどういう意味で使ってるんだ?自己同一性のことか?それとも被害者加害者が一致していること?

逃げ道として防げてないけど逃げ道として正当化されるという考えは防いだ!言葉遊びにも程があるな笑 殺人からやめよう!が論理的破綻してることも指摘されてるし、仮に破綻してなかったとしても自分に対する殺人、だから?それだけだな笑 全然正当化も防げてない

まず「殺人からやめよう」とは言ってないよ。そりゃやめてくれると嬉しいんだけど、「やめよう」でやめたら警察要らんしな。

俺はただ「自殺殺人である」と言っているだけだよ。あとは受取手勝手に「殺人犯として扱われるのは屈辱的だ」とでも思って自発的にやめてくれりゃ儲けものだけどさ。

ただ、実際に自殺を逃げ道として正当化する考え方は潰せているんだよね。だからこそ「『殺人からやめよう』と言っている」という読み方が成立する。

「正当でないことはすべきでない」というのは大体の人間常識的前提として刷り込まれていることで、それに照らし合わせて初めて「自殺否定自殺回避の推奨あるいは強要」という話になるんだから

から俺の話を自殺回避強要と読んでくれること自体否定しないが、それだけが主意だと思われても困るな。特に自殺殺人ではないと思っている人間には、自殺回避強要の是非を云々する前にそっちを証明してもらわなくっちゃ。

司法所謂殺人」として罰を科していない、だから殺人ではない、というのは成立しない。ってのは、既に説明した通りだがな。

一番最初記事の主張になにか言わないといけない理由は?笑一貫して言い続けてるならどっちにしろ一緒じゃん笑たまたま見たトラバ論理おかしさを否定してはいけない理由は?笑

こういう概念、こういう理由で〜って言ってばかりなのにロジカルじゃないらしい笑

やっぱり前も書いたとおりだな。

自ら主語対象としている人へ憎しみを持ってるからだねと指摘されたらおまえはその対象に当てはまるに違いない!とはさすが自殺遺族常に被害者気分で自殺したザコな身内へのいらだちをヤツあたりでぶつけるのが上手いなぁ

一番最初記事の主張に対して「自殺遺族」というレッテルを使わずに反論できないのだとしたら、お前は「自殺遺族」への物言い目的であって論の正当性はどうでもいい人間である。という話になるってだけだよ。

別に「言わないといけない」わけじゃない。ただお前がとにかく自殺遺族というだけで気に入らないという短絡的な考え方をする阿呆だと証明されるだけさ。

たまたま見たトラバ論理おかしさ」なんて、お前の最初記事ではこれっぽっちも触れられていないじゃないか。とにかく「自殺遺族」「自殺遺族」「自殺遺族」だ。

自殺遺族は黙ってろ」というタイトル通り、「自殺遺族」の口を塞ぎたいだけで論理の是非なんて二の次だったくせに。概念論理を持ち出してると思ってるみたいだが使い方もわかってないからまるで的外れで、とにかく「自殺遺族」を否定したい一心で都合のいい話をかき集めてきてますってのが丸わかりだ。

そして、顔も知らない「自殺遺族」をそこまでして黙らせたい人間というのは限られてくるんだよ。俺に思いつけるのは「いつか自殺してこの世の苦しいこと全部から逃げ出すんだ」ということにすがって生きている自殺志願者ってとこだったんだな。そうでもなきゃただでさえタブー的な話題だ、ここまで我が事のように感情的になる物好きなんてそういやしないよ。

口先だけの中傷論ばっかりだな笑

お前にだけは言われたくねえwww

うんその通りだから自殺についての法律はどう定められているのかなおまえの自殺=殺人論は所有権同一性決定権を無視批判したら法治国家なので制限されるとお前は返した法によって制限されるのはそのとおりだが無視していい法律がないとおかしい、法律がないのに所有権同一性決定権を無視していいならそれは法治国家ではない理解できたかな?はい雑魚

悪いけど全然理解できない。というか読めない。区切り方がわからん。何?ガラケーから書いてるとかなの?小さい画面では上手い事区切られるの?

自殺殺人でないならば自殺関与罪自殺幇助罪同意殺人罪は成立しない。これらはすべて殺人罪の減刑類型だ。つまり自殺特殊殺人」であり、それに手を貸したのだから殺人だという理屈が成立しているわけだ。

自殺(未遂)者本人という主犯が罰されないのは先述した通り、罰しても誰も得しないというだけにすぎない。極端な話、「自殺しようとした罪で死刑」とか本末転倒過ぎてわけがわからんしな。

「究極の自己決定権行使」として自殺肯定する向きもあるが、日本国憲法に限れば自己決定権とは幸福追求権の一端として是認されるべきものであって、死ぬ事で生じ得る幸福っていうのは「不治の病であと三ヶ月苦しみ抜いて死ぬ事が目に見えているのでその苦しみから逃れるために〜」みたいなパターン以外には認められないだろう。今ちょっとwikipedia見たら最高裁が正面から自己決定権を認めた判例存在しないとか書いてあったし。

ちなみに日本国憲法に限らないとすると例えばアメリカでは自殺ははっきり犯罪とされている州もあるそうだ。

あぁ家族ですねで秋葉原の一例だけなの?そして秋葉原殺人家族と同じに扱われた!と叫ぶの?笑 殺人加害者一族への叩きと同じような叩き方をされているのは自殺殺人から!←叩き方が同じでも自殺殺人加害者一族への文脈はまるで異なる、しかも異ならなかったとしても自殺関係者への対応問題であって自殺=殺人にはつながらないてんで論理的でない単なる結論ありき

少なくとも一例あったんだから自殺遺族について口を極めて罵るお前の文脈殺人者家族に対するそれと同じものだと認めたまえよ。

「まるで異なる!」って根拠もなくお前が言ってるだけなんだからさ。

殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺=殺人にはならない に対して唐突にお前が持ち出したんだろ単細胞↓おまえの発言を俺の発言だと捏造すんのはやめてくれな

俺が書いたというだけで俺の意見だと思うのはやめてくれよな。俺はお前の考えをお前自身にも分かるように整理して、それがいかにおかしいかを見せてやってるだけだよ。

殺人を犯した家族と同様に扱われたとしても自殺殺人にはならない」と言いながら、しかしお前は実際に自殺遺族を殺人加害者家族を罵るのと同じ言葉で罵っているわけですよ。

まり自殺殺人ではないけれど家族殺人を犯した家族と同様に扱われる場合がある」っていう理不尽体現して実現しちゃってるわけ。で、「そういう場合も実際あるけど、でも自殺殺人ではない」という具合に、お前の主張とつながっちゃうわけね。

もうこれさ、外野から見たら言い逃れのできないレベルだよね。ちょっと自分の言動を省みて整合性をつけるってことをしたらどうだい。いや今は今で嫌な方向に整合性ついてるけどさ。

説明する必要すらないくらい当たり前だからバカにはわからないらしいが笑 推論の前提をすっとばせる脳みそはさすがだよ殺人犯家族バカだと言われている、私はバカだと言われた、だから私は殺人犯家族と同様に扱われているこんな論理的でない主張するバカいないのは自明だろ被害妄想激しい一家かよ

同じ叩き方=同じに見られているこの間違った前提で推論をしているに他ならないなぜこのような推論を正当なように思い込むのかというと自殺殺人と同じだから殺人と同じ論調は殺人と同じに見ているに違いないという前提をむりやり生み出すスキルロジカル勘違いしてるバカ所業

殺人犯家族(と俺)が言われている台詞は「被害者ぶるな」だってば。勝手「バカ」すり替えんなよバカ

結局これだけ長文書いてて「同じ叩き方だけど同じ文脈ではない」って証明全然されてないじゃないか。

殺人場合はこうだけど自殺遺族の場合はこうだからっていう差異を示せなきゃ証明にならないんだっつの。もちろんお前が脳内で考えた差異じゃなくて実際の差異ですよ。

今のところ用いられるフレーズが等しいという「むしろ差異とか無いやん」っていう証拠しか出てきてないんだから、誤魔化しを頑張ってないでちゃんと説明してみせろよ。

で、また主張を捏造するんだな笑 異なるとするのは自明

所有権同一性決定権から他人を殺す犯罪自殺は別物である。この言葉の周辺ばかりにいちゃもんつけてこの言葉自体には反論がなかったしな。それは世の中も理解している。たとえもし仮に同じ言葉を向けられたとしても殺人犯への文脈とはまるで異なる。

ああ、やっとちょっとそれっぽい主張が出てきた。でもやっぱり的外れだ。

所有権同一性決定権から他人を殺す犯罪自殺は別物である」というのは、「他人を殺す犯罪自殺同等の量刑が科されるものではない」というだけの意味にすぎない。

自殺殺人ではない」という証明にはなってない。「殺人」とは人を殺すことで、「人」には当然「自分」も含まれる。自分だって人だからな。

特殊殺人から罰が科されないというだけのことだ、という俺の主張をひっくり返すどころかかすりもしない反論だ。

2014-07-17

個人の好みを社会論に敷衍するマスダーたち

2014-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20140628164514

あなた個人が、不細工でもモテタ、美人になって困る。などと書いてもまったく説得力ないです。知的障害がある低IQでも東大いけましたなんて言われてもだれも信じないんですね。

一般論で考えれば、不細工は男から見て100%ゴミなので、よっぽど幼馴染とかでないと相手しないです。男は女より遥かに見た目でしか判断しません。セックスだけは別腹なんですが。私は男なので100%いいきれます

  

嘘90%だろうなとは思いますが。仮に事実しか言ってないとしても、「ゴクゴクまれな確率で引いたタカラクジを、さも何らかの努力で引き当てたかのように言っている」という結論にしかならないんですね。美人どうこうはまったく関係ない話です。逆に、たかが1個人の個人的な体験を一般論敷衍しようとするのはおかしいと思わないのは異常と感じないはずないじゃないですか。だから嘘っぽく感じます、あるいは現象が努力のたまものと誤解してるのかなと。

  

AV女優みたいな整形でのメリットがでかすぎる」という、「化粧でも女はかなり化けるが整形には全然適わないくらい極少」、「ファッションはまったく関係ない」このあたりのゴクゴク当たり前の事実をあっさり認めないあたり、論理的にも内容の真偽にもという感じです。

  

  

流石に、おかしいですよ。こんなので美人になるうんぬんと書くのは。

株でも、たまたま当たってしまえば億万長者になれますが、それは何千人と試した人がでれば1人は確率的にはでるでしょうよ。だけど、じゃあそれが正しいなんておかしいでしょう。そしてそれを語った詐欺無限にあるわけで。それとの違いがまったく分からないし、あなた自身も説明できないでしょう?

2014-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20140609113055

思うに、「馬鹿おもちゃにしていい」と「クズは死んでもいい」は、「AはBしてもいい」という論理構造上の共通点があるので、こういう主張をしているのではあるまいか。

論理構造を無制限敷衍しているわけだから同意できない主張、もっと言えば頭の悪い主張ではある。理系だったら「外装はしちゃダメって言ってるでしょーが!」と叱られるタイプだな。

2014-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20140603182610

風俗店は「風俗店警察を呼ばれること自体社会人にとってやばい

っていうのをよく理解してるので

面倒なときはサクっと呼ぶ。つーか、呼べと指導されてる。

ヤクザモドキの出現が多いから生まれた文化だけど、

これが面倒な一般客にも敷衍される。

まぁ、ヤクザと揉めたのを警察呼ばずに解決すると後が怖いしね。

逆に警察呼ぶリスクほとんど無いからね。

税金払ってんだから呼ばんと損だ」てなもんで。

お巡りさんも慣れたもんで、すぐ来て適当仲裁で済ますこともあるし

刑事になりそうなら引っ張ってくよ。

所轄のお巡りさんには定期的にご挨拶に行くので、お互いよくわかってる。

ちなみにこれ、警察ヤクザ資金の断ち切りを目的にやってるんだよ。

所謂「守り代」のシェア警察ヤクザから奪ってるわけ。

2014-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20140602125526

話題の変更って基本会話してる人間の両方が理解してて

初めて進むもので、「俺は話題を変えてるんだ!」って後から説明しちゃってる時点で

いやー、コミュ障さんだなーとしか思えん。

この話題の一番最初に出てくる「話の流れを考えず言いたいことだけ言うコミュ障」の

サンプルみたいな奴だな。まぁ、雑談嫌いなんだろうし

家に篭ってネットだけでコミュニケーションして暮らしてるんだろう。

きもちわりぃ。

ママとコミュニケーションは一般には敷衍できんよ。

2014-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20140528183057

年食ってボケてくると

日増しに我侭になるし、話も通じなくなるし

今想定してることなんて何一つアテにならんよ。

親が「老後の蓄えを投資信託中国株)で吹っ飛ばした」って

聞いて、俺は親の援助は間違っても受けられんと決心した。

認知症の祖母+両親がトリプルで要介護なんて事態はザラに起きるしね。

誰もが65~70くらいで後進に道を譲ってくれるなら

世代毎に自分の子を援助する」っていう考え方も成立しないでもなかったけど

今90くらいまで楽勝で到達するからね。祖母が認知症ってことは

結構確率でご両親も認知症になるわけじゃないですか。

死ぬまで金が足りる保証ある?無ければ、普通はそんなこと出来ないんすよ怖くて。

いや、もちろんこれは「援助を受けたからには介護を受け持つ」っていう

人間として当然の前提が敷衍された話で

「援助は受ける、介護はしない生保にブチ込む」って思ってんならそんな心配無用だろうけど。

大抵の人はその恐怖を感じてるわけよ。おたく大丈夫

今「老後の心配は無い」と言っても、ホント心配ないなんてことはありえないからね。

花畑に「みんなどーして親の援助受けないのー?」って言ってるけど

その辺想定してる?ボケたジジババなんて平気で「ホームは嫌だ自宅で死にたいお金はどっか消えた」って暴れるよ。

経験者は語るけど。

2014-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20140525021517

彼女体験談なんですが。

ずっと職場では天然キャラバイアスがかかってたらしい。機械の誤作動を自分のせいみたいに言われるとか。

あなたちょっと抜けてるからそうなっちゃったんだね~って上司から一言添えられることに腹を立ててた。

つのバイアスを他の要因から起きた結果に敷衍するような誤謬はけっこうありふれてる。

なにか不都合が起きた場合、その要因をなるべく説得力をもたせて説明するように心がけていたら、彼女は抜けてるとは言われなくなったそう。

趣味嗜好の話でも、俺フィルターってのは結局そいつ脳内の話なので、ぼやっとしたイメージしかない。

その相手の理想から外れたときに、相手に得心のいくような説明とかがあればいいのかもしれない。

さすがに甘いものダメとかっていう生理的な話に説得力持たせろなんて無理だと思うけど。。

こういう話は環境を変えるか自分を変えるかの二択になりがちで、環境を変える方が楽な場合が多い。

そういう人が多い環境から抜け出るほうが、自分変えるよりもストレス少ないと思います。なんだかズレたアドバイスすみませんが、頑張ってください。

2014-04-18

付き合うにはどうすればいいのか20歳男性なりに考えた

最低限容姿に気を遣う

かわいいを作ってるブスと作らないブスのどちらと付き合うかと考えたら、前者だなあと。

一緒に歩いていて恥ずかしくない相手なら、基本は付き合う射程に入る。もちろん基準は人それぞれだけど、僕はあまり格好を整える労力が好きじゃないので、

そこそこ髪型や服に気を遣うくらいの程度を意識している。常にお洒落をしていないと付き合えない相手はこちらから避けてしまう。

汚い言葉を使わない

一行目からかわいいを作ってるブス」とか書かれてイラッとする人もいるだろう。僕は比較中傷に鈍感な方だが、ほんとうに些細な言葉で傷ついてしまう人もいる。

派手目な女の子とかはけっこう男の子のノリに慣れていて、バカとかキモいとか直截な言葉で軽めのコミュニケーションを取っている。羨ましいなあとか思うけれど、

人をからかったりいじったりするときには、なるべくきれいな言葉のほうが、からかいの内容を周りも受け入れやすく、冗談が円滑に回ったりする。


考えに多面性を持つ

よく女の子共感型の話をして、男の子は結論を求める話をするとか言われる。けど、女の子だって勿論色々な考えの人がいる。結論を出して納得する人だっている。

ちょっと敷衍すると、デートしたら男の子女の子にこういう面で気を遣うべき、とか。そんな杓子定規で態度を決められたら、誰だっていい気持ちはしないだろう。

会話の際には、なるべく態度や考えを固定せずに話を聞くことを意識している。非常に難しい。でも、自分常識論理と一切別のもので動いている他人も居るんだと理解できれば、

異性だけではなく、幅広い年代男性女性と話ができる。

人とよく会って、よく話す

異性との出会いを増やしたほうが、付き合える可能性は高まる。同性と会って話すのでも、その人の友だちの異性と知り合える。

ほんとうに色んな人と話すと、だんだん人間類型が見えてくる。自尊心をくすぐると仲良く慣れるタイプ、キツ目の冗談を言わないと向こうから心を開いてくれないタイプ

相手にばかり喋らせておけば勝手に仲良くなったと勘違いしてくれるタイプ、友だちの線引が意外と厳しいタイプ。話すことで、自分の考えの多面性や、話の種が増える。

とにかく多くの人と会えば、いい人嫌な人が自ずと見えてくるし、仲良くなるのもだんだんと楽になる。


とりあえず告白する

僕の対象としている異性は年代が近い。つまるところ若いので、色んな可能性を試したい人が多い。学生をしながら社会人恋愛している人もいる。夜な夜なお店で働いて、そこで知り合った人と

付き合ったりする人もいる。要は、付き合うなんてことは大逸れたことではなくて、至極当然にみんながしていることだ。付き合えない人は、付き合うことを重く感じている。

責任感の強いタイプや、人間関係固定化を嫌う人が多い。あるいは、単に自分に自信がない。でも、とりあえず告白してみればいい。他人に好かれることを悪く思う人はいない。

2014-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20140409010816

いくつかまとめて反論したい

まず最初に言っておきたいけれども、僕自身はHaskellが大好きな関数型言語大好き人間である、ということを先に述べておきたい、それを踏まえた上で以下をお読みいただきたい

最初の「オブジェクト指向 v.s. 関数型プログラミング」や「ふたつのアプローチ比較」はまあ問題ないかなぁという感じ、問題があれば他の誰かに任せます

問題は「関数型プログラミングの利点」と「関数型プログラミングの得意分野はなにか」

関数型プログラミングの利点」に対して

まず「関数型プログラミングの利点」だけれども、ファンクタが云々、モナドが云々、これは「関数型言語の話」ではなく「Haskellの話」である

そこを引いてあくまでHaskellの話だと割りきって見たとしても、「たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて」? モナドはそんな限定的用途のものではないし、パーサの理解とは無関係だ(単にライブラリ設計の問題)。それにApplicativeスタイルのほうがパーサが書きやすいという人もいるだろう、パーサの理解モナドの知識はあまり関係がないと言っても差し支えないのではないか

「書きやすい」に対して

「書きやすい」に関してはこれはもう「主観の問題だよね」以上の言い様がない、僕自身はC++Haskellの両方を書く人間で、確かにC++Hakellの方が「短く書ける」と「感じる」ことは多い、がしかしそれはあくまで個人の主観であり、更にはなにか明確な基準を取ったとして、やはりこれは「関数型言語」ではなく「Haskell」の話である、わかりやすく言えば「関数型言語であるLispを僕は読み書きできない」、特定言語の、主観に大きく左右される特徴を関数型言語一般の話であるかのように敷衍して話すのは感心できない

「静的型付け云々」に対して

「静的型付け」云々もこれはもう完全にHaskellOCamlの話であるLispErlangとは何だったのか

関数型プログラミングの得意分野はなにか」に対して

数値計算」に対して

多くの数値計算アルゴリズム逐次的に定義されている、関数型言語で扱いやすものではない、簡単にいえば「それFortranの前でも言えるの?」である

遅延評価はこれまたHaskellの特徴であり関数型言語一般の特徴ではないし、別に他の非関数型言語エミュレートできないものでもない、更に言えばこれが何か数値計算に対して有利な何かをもたらすかといえばそういうわけでもない

分数虚数が扱えます」、に至ってはむしろ近頃の言語で扱えない言語何かあるんですか、である、大抵の言語にはその手のライブラリはある、関数型言語に限った話ではない

テキスト処理」に対して

お前それShellやPerlRubyPythonの前でも言えるの?

「並行処理」に対して

この手の話は「ライブラリ」の話になり、言語パラダイムにより議論されるべき問題ではない、もちろん自動並列化などの問題で数学モデルに基づいていることが多いHaskellなどは有利かもしれない、が、やはりそれは特定言語特定ライブラリの話になり、関数型言語一般の話ではない、並行処理の扱いにくい関数型言語設計など容易だろう

レシピ」に対して

言語の話でも言語パラダイムの話でもライブラリの話でもない、個人の技量の話だろう、関数型言語でも下手にしか書けない人は上手には書けない

GUI」に対して

GUIライブラリ設計にもよるけど、GUIってOOPの強い分野だと認識していたのだけれど、さてはて

まとめ

最後に要点をまとめると

記事そのもの価値基本的にないっぽい、こういう記事撲滅されないかなぁ

http://anond.hatelabo.jp/20140409010816

Haskellの話を関数型言語一般の話みたいに敷衍して話すのやめてもらえませんかねぇ(困惑)

2014-03-17

STAP小保方

専門性の高い分野だから、「博士」だとか「nature」だとかを信用して、成果を信じてしまうのはある程度仕方がないだろう。

その分野にとっては多くの人間素人だ。だからそう報道されれば額面どおり受け取るのが素人ってもんだ。別に悪い意味じゃなく。

だが問題なのは、STAP小保方の業績をダシにして、自分思想信条社会思想敷衍させようとする言明があったことだ。これは明らかに時期尚早だった。

例えば若年層の研究職への就業の問題。女性就業(それも科学者として)の問題。日本人世界活躍することについて。細かい点で言えば、STAP自身のいでたちやヘアメイクなどについて。

もともと議論されそうな話題なうえに、その本体の評価が180度変わってしまったことで大変ややこしいことになってしまった。

そして180度評価が変わったことで、その業績をダシにして評価していた思想信条社会思想への個々人の意見のあり方も見えにくくややこしくなってしまった。

如上の動きはまさに時期尚早で、素人ならば言明をグッと控えるべきところだった。

いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ、グッと控えるべきところだった。

いろんな人間が気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ(意見言いたくなっちゃうけど)、脊髄反射しないようにグッとこらえる部分もあった方が良い。

そして様々な分野に素人たる私たちは、知りたいと思うこと、興味を持ったことに対しただブクマコメ悦に入るのでなく、腰を据えて学ぶ姿勢も持たなくてはならないだろう。

気軽につぶやいたり言明できる時代からこそ、ある程度勉強して発言しなきゃならないし、勉強の成果として知識だけでなく行間も読めなきゃいけないし、リテラシーも持たなくてはならないし、自重すべき箇所も知らなくてはならない。

STAPの一件からそんなことを考えさせられる。

2014-02-21

はてブ家の俺が思うはてブの弊害

お前らはてブしろ

はてブすれば、視野が広がるし語彙力がつく。

アイディアは途方もなく出てくるし、プレゼンスキルもつく。

多分、世の中の◯◯力といったものは、大半ははてブ敷衍できる。

その辺にあるホットエントリ100くらい読めば、自分の成長ぶりに驚愕するぞ。

でもな、はてブするとTwitterの奴らが滑稽に見えてくる。

ブコメに自惚れて、素コメが許せなくなる。

そんな無行動人間社会には受け入れられないんだよ。

からさ...社会で生きたいなら、はてブするな。

http://anond.hatelabo.jp/20140221132243

2014-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20140212163639

自分も割と似た環境だったのでよくわかる(国内だけど)。勉強はいい。

独学で取れる資格であっても、スクーリングにするとなおいい。

テストレポート等、日単位・週単位課題が目の前にあれば、将来だの生活だのについてとりあえず考えずに済む。

上手くいけば、その資格を活かして就職もできる。

あと、

環境変化による鬱傾向も手伝って何も手に付かない。

これ、自分が鬱傾向にあるな、と気がついたときは、とにかく日中散歩するようにした。

意識的日光に当たらないと、てきめんに気分が落ち込むので。特に冬は日が短いので…。

10分でもいいし、何も買わなくてもいいから、とにかく外の空気に当たると多少は気分がマシになる。

自分経験で言うと、ひとたび「この街つまんねー」と思ってしまうと、何もかもつまらなく見えてしまう。

認めたくないから、気に食わないところをわざわざ見つけてまで「この街つまんねー」と言いたくなる。

お嫁さんも一年「つまらない」と言い続けてるなら、そろそろそんな自分に疲れてるんじゃないだろうか。

何かきっかけがあれば、意外と受け入れそうな気もするんだけどな。まあ自分経験を他人に敷衍しちゃいかんのでしょうけど。

http://anond.hatelabo.jp/20140212113833

http://anond.hatelabo.jp/20140212000510

人間以外の何らかの知的生命体について考えてしまうのは、思考上のトリックに過ぎない。

「慣れ」と言ってもいいのだが、過剰な敷衍が発生してしまっている。

それは死後の世界について考えてしまうのと同様で、存在しないものについて思考しようとしている。

…という前提で言うと、そういった慣用的な思考を真似することによるフィクションというのは確かにちょっと面白いところはあって、

追求していくと幽霊神様のような存在に繋がる。

ただし、あくまでも物事の本質ではなく影のような存在であるので、囚われすぎると元々の目的を見失う危険性は常にある。

(どう転んでも「人間以外の知的生命体」はただの手段でしかない)

元々の目的

フィクション目的エンターテインメントであってそれ以上ではない。(が、君は他人を楽しませようとは思っていまい)

人を楽しませる以外の目的があるとすると、メッセージ性だが、

メッセージ性は社会全体についての問題意識が土台として必要で、君にはそういう問題意識はないように見える(のでこの方向性お勧めできない)

あるいは芸術家という位置づけならば、単に自分衝動に従っていいと思うものを作ればよい。

だが、この道は険しい道で死屍累々製作を続けることのできる財力と時間がなければ早晩潰えるし、個人資本ではクオリティの向上が見込めない。

死ぬまでがんばってもしょぼいものしか作れない。(新海誠みたいに自分で絵が描けるとちょっと違ってくるんだけど)

個人でできる創作活動とすると小説家もっとコストパフォーマンスがよいのではないか。

狂った幻想をどんどん撒き散らせる職業としては漫画家なんかもいいんだけど、これも画力要求されてしまう。

だいたい読んでいて頭痛がしはじめる作家で言うならば、新井素子筒井康孝が君の考えていることに近い。

山田正紀なんかもかなりイカれている。

70年代くらいの日本SFを読むといいんじゃないか。

2013-12-29

LLF』と『果実』を比較検証する(1)

はじめに

中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され一部で話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』に続いて『天帝のはしたなき果実』を読了したので、前回(http://anond.hatelabo.jp/20131221141558)に続いて比較検証していきたいと思う。ちなみに私が読んだのは講談社ノベルス版(通称「旧訳」)である古野まほろとしては全面改稿した幻冬舎文庫版(通称「新訳」)を決定稿としたいようだが、諸事情から旧訳を参考とした。以下の比較検証おいて新訳では違ってくる部分があることをあらかじめ了承いただきたい。

古野まほろの指摘

12月7日Twitter於いて古野まほろが「関係性の説明」をした。それは大きく分けて【学校の設定】【死体発見時の言動等】【推理合戦】の3点である。今回はその中から死体発見時の言動等】について検証していきたい。古野まほろが挙げた「同一性」は以下の通りである

死体発見時の言動等】

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

被害者は、成年男性1人である

被害者は、クローズドな施設において殺されている

発見者は生徒である

警察への通報を拒否する生徒が現れる

警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

警察通報すべきだ、と反対意見を述べる生徒が現れる

・結果、その場にいる生徒による、多数決が行われる

警察通報しないことを、倫理的糾弾する生徒が現れる

通報するかどうかの多数決が、可否同数になる

最後の一票により、イベントを優先して通報しないことが決まる

・生徒たちによる、実況見分等の捜査が行われる

現場に留まるのは危険、との判断から、無人の室に移動する


1つ1つの要素の問題ではありません(要素で見ても厳しいかな、とは思いますが・・・)。私が問題にしているのは、これらすべての要素の「組合せ」です。このような「組合せ」が、まったく別個の作家により、偶然に案出される可能性は、ゼロです。死体発見時の言動等もまた「同一性」の問題です。

被害者は、「世界史倫理担当の教師である

古野まほろ(作者)は「死体発見時の言動等」と銘打っているが、前半は被害者の特徴についてである。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、メインとなる密室殺人事件被害者となるのは「灘瀬朝臣(なだせあそん)」である。灘瀬について記述してある部分を引用したい。

ねちねちとした口調、ねめつけるような視線、四十代半ばにして既に注意信号の頭髪、加えて誰が言い出したかセクハラ疑惑まで併せ持った社会科担当教諭、灘瀬――なんとか。失礼、フルネームは存じ上げない。専門も世界史だったか倫理だったか


ロジック・ロック・フェスティバル

灘瀬朝臣社会科担当教諭であり、専門が世界史なのか倫理なのかは本文中で特定されていない。高校世界史を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状地理歴史)」であり、倫理を教えるのに必要なのは高等学校教諭一種免許状公民)」だ。それぞれ別ではあるが、実際は両方を取得しどちらも教えるというケースが多い。

天帝のはしたなき果実』におい殺人事件は何度か起こるが、メインとなる首無し殺人事件被害者となったのは「瀬尾兵太(せおひょうた)」である。瀬尾兵太は世界史担当教諭である。本文中に世界史以外の社会科科目を教えているとの記述はない。

黄昏音楽室に入ってきたのは、我が県立勁草館高等学校世界史の教師を勤めるとともに、同校吹奏楽部顧問に任じる瀬尾兵太だ。


天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、23

「要素」で判断する限りは「社会科担当教諭(専門は世界史倫理か不明)」と「世界史担当教諭」を「同一性」と表現するのは厳密な意味おいては正確ではない。だが、少なくとも数学英語のように全く関係がない教科ではなく、非常に類似している「要素」であるといえる。

被害者の特徴は、理不尽質問悪態である

ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の特徴が「理不尽質問悪態であることは、さきほど引用した文のすぐ後に書かれている。特筆すべきなのは、実際に灘瀬朝臣が生徒に理不尽質問をしたり、答えられない生徒に悪態をつくような場面が一切登場しないことだ。設定として生徒に恨まれる理由があることを示す以上のものはない。

根も葉もない噂には同情を禁じ得ないけれど、彼を生理的に受け付けない生徒は多そうだ。授業も理不尽質問を当てるし、答えられない生徒には悪態もつく。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の特徴が「理不尽質問悪態」と断言していいものかは迷う。『ロジック・ロック・フェスティバル』の灘瀬朝臣がただの記号として描かれているのに対し、瀬尾兵太ははるかに血の通ったキャラクターで、特徴として挙げるべき点が複数あるからだ。主人公たちの所属する吹奏楽部OBであるとか、東京帝大法学部出身であるとか、胸に大きな緑色宝石を付けているとか、語学の達人であるとか……。

そこで、まずは「理不尽質問悪態」に該当しそうな部分を探してみることにする。第一章から瀬尾兵太が生徒に質問するシーンを抜粋したのが以下だ。

p、って何だ」

「『弱く演奏する部分に付いた強弱記号』」

阿呆(ドゥラーク)かお前! 確かにfは『強く』でもいいが、pは『静かに』。(後略)


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、34頁)

「あと峰葉、お前は腕立て二セット追加だ――理由は?」

「歌口(マウスピース)を押さえすぎるから、です」

「唇に歌口(マッピ)の跡が付きすぎて興を削ぐな。何でそうなるんだ?」

右手の小指を深く引っかけて持っているからです」

「それは何でだ?」

ペット左手だけで支えられていないからです」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、36頁)

(前略)音がボケてる。どうしてだ?」

「舌遣い(タンギング)が柔かすぎたからでしょうか(はふう、想定の範囲内)」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、37頁)

瀬尾兵太が吹奏楽部の録音を聴いて指導する場面である。「理不尽」かどうかは判断が分かれるところだが、「質問」をすることによって生徒にどこがよくなかったのか自ら考えさせるのが瀬尾兵太のやり方のようだ。そして適切な答えを返せなかった生徒には、「阿呆かお前!」と悪態をついている。「悪態」については具体的にその言葉が出てくる箇所がある。

「まずは誰も口論当事者だって名乗りでてこないからです。瀬尾先生悪態というか音楽に関しての辛辣かつストレートな要求は今に始まったことじゃありません。誰だって何度もボコボコにされてます


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、582頁)

この発言をした登場人物は瀬尾の言動は「悪態」そのものではなく、「悪態」と表現してもいいような「音楽に関しての辛辣かつストレートな要求」と認識しているようだ。

被害者は、成年男性1人である

これまでに記述したとおりメインとなる殺人事件比較した場合、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「被害者は、成年男性1人」で間違いない。しかし『ロジック・ロック・フェスティバル』は日常の謎を解く場面がいくつかあったのち、メインとなる密室殺人事件が描かれるのに対し、『天帝のはしたなき果実』は連続殺人事件を扱っている。その被害者男子生徒、女子生徒、教師(これが「成年男性1人」に当たる)である。つまり、メインとなる事件だけを比較対象にした場合同一性」に該当するが、比較対象を物語全体に敷衍した場合同一性」には該当しないことになる。

被害者は、クローズドな施設において殺されている

クローズドな施設」という表現が、含みを持たせている。ミステリーおいては「密室」と「クローズドサークル」というふたつの閉鎖状況がある。『ロジック・ロック・フェスティバル』において描かれるのは密室殺人事件だ。文化祭開催期間中に、密室となった社会科研究室死体発見される。

「……密室

 ぼそりと言ったりり子の言葉に僕は哀しいかな反応してしまう。

 僕らが入ってきたドアは確かに鍵が掛かっていた。もう一方のドアは元よりガムテープでがちがちに封鎖されて閉め切りになっており、出入り口としての役目を完全に放棄させられている。四つある窓全てにしっかり施錠されているのが確認できるし、廊下側の壁の上部・下部にそれぞれ設けられた換気用の小窓もご丁寧に施錠がなされていた。

 現場は完全なる密室だと認めざるを得ない。


ロジック・ロック・フェスティバル

高校敷地建物文化祭期間中で一般にも広く開放されているので「クローズドサークル」ではない。しかし、社会科研究室を含む四階は、唯一の階段ふたりバスケットボール部員によって監視されている。

はい、そうみたいでした。なのであたし、立ち聞きする気はなかったんですが、会話の内容が耳に入ってしまったんです。彼女たちはこう言ってましたよね、『私たちがいる間にここを通ったのは、会長副会長、あと実行補佐の四人で全部です』って」


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、メインとなる首無し殺人事件が起こるのは、アンサンブルコンテスト大会が行われている姫山市文化会館の第7楽屋である。この第7楽屋には死体発見時に鍵が掛けられていたが、オートロック式で関係者が鍵を持っていたこともあり「密室」とは呼べない。

ここの楽屋オートロック式で、カードキィを持っていなければ開かない代わりに、内側からは鍵もチェーンも掛けられない珍しい扉になっています(朝のミーティングとき瀬尾がいいましたね)。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648頁)

姫山市文化会館は一般に広く開放されている公共施設であるので「クローズドサークル」ではない。しかし、楽屋を含むエリア関係者以外立ち入り禁止となっている。

「非公開区域にはリボンないと入れへんし、第7楽屋のドアは専用のカードキィないと入れへんで、念のため。借りたら記録残るし」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、626頁)

鷹松学園も姫山市文化会館も一般に広く開放されている。しかし「クローズドな施設」という含みを持った表現をすれば、どちらの作品も外部との出入りが制限される場所死体発見されており、当てはまることになる。

発見者は生徒である

ここから死体発見時の状況になる。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、被害者(灘瀬朝臣)の死体発見するのは、主人公中村あき)、山手線太郎、鋸りりこ、万亀千鶴生徒会長(衿井雪)、副会長(成宮鳴海)の6人である

 四階に辿り着くと、そこにはなんと会長までもが参席していた。

「鍵、持ってきてくれたか! 早く、嫌な予感がする」

 既に事態も把握しているようだ。

はい、これ、マスターキーです」

 走り寄って僕がポケットから鍵を取り出すと、会長が引っつかむようにしてさっさと鍵穴へ差し込んだ。

 かちり、と確かに鍵の外れる音。

 社会科研究室の扉が開くと、中から冷気が溢れ出した。エアコンがかけっ放しらしい。何か異様な雰囲気と共に、確かな臭気がその中に感じ取れた。

「うっ……なに、この臭い

 千鶴が鼻を押さえる。

「――灘瀬先生、いらっしゃいますか?」

 呼び掛けながら室内に足を踏み入れる会長。僕がその後に続いた。

 研究室入り口付近左手にすぐ壁、そして右手本棚といった配置である。そのため本棚が途切れたところで、ようやく部屋の全容が見渡せた。

 目に飛び込んでくるのは痛いほど鮮かで、残酷な色彩。

 一面の赤色

 血の海。

 赤の海。

 そこに沈む、ぐにゃりとした男の体。

 深紅に溺れる、こと切れた灘瀬がそこにいた。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、被害者(瀬尾兵太)の死体発見するのは、主人公古野まほろ)、峰葉詩織の2人である

 うひゃあ! 前を歩いていた瓶緑色ボトルグリーン)のブレザー着た集団も飛び上がった。彼女はず、ずいと第7楽屋の前に立つ。「キィは?」

「こちらです」

 ピ、と脳天気電子音とともに若草色(リーフグリーン)のランプが灯る。彼女は目を伏せがちにいった。

「こんどは檸檬、買ってくるのよ。古野君の勝――」

 彼女の声が思いっきり完全休止(ゲネラルパウゼ)する。

 次いで教科書どおりの、深々とした、背筋の伸びた息継ぎ(ブレス)。

「僕の、か?」

 彼女の凍てついた顔を、僕は忘れない。陸奥みちのく)の安達ケ原の姫山に、鬼籠もれりというは真実まこと)か――

 そこには、嵌め殺しの机にもたれ、ドアに背を向ける形で、瀬尾だった物体があった。

 肩からうえには、首がなく。

 それは、避けられない宿業のようだった。


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、648~649頁)

上記に引用したとおり、『ロジック・ロック・フェスティバル』も『天帝のはしたなき果実』も「発見者が生徒である」ことは間違いない。付け加えるならどちらの作品も「死体発見者が主人公を含む集団である」と言っていいだろう。また主人公自身が鍵を開けるのではなく、別の人物に促されて主人公が鍵を渡す点も共通点と言える。

警察への通報を拒否する生徒が現れる/警察への通報を拒否する理由は、高校生として「重要イベント」のためである

ここからは、死体発見したもの警察通報しないという判断をするシーンである。上記ふたつについて引用部分が同じなので同時に検証する。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、通報を拒否する生徒は生徒会長(衿井雪)である。その理由は自身が実行委員長として力を注いできた文化祭最後まで終わらせたいというものである

 その時だった。

 会長がすっとみんなを置き去りにするように入り口の方に向かった。そして直後、社会科研究室の扉がぴしゃりと閉じられる音が響いたのだ。

会長……?」

 不審に思い、僕も一度灘瀬の遺体から離れ、一同の輪の方へ戻ることにする。

 そこから入り口を見ると、なんと会長は信じられないことに扉を背にしてその場で膝を折り、こちらに向かって土下座をしていたのだ。

 それだけではない。とんでもない発議がその口からなされた。

「……頼む! 文化祭が終わるまで通報を待ってくれないか

 それは誰もが理解に時間を要するほどの突飛な提案だった。

「な、何を言って……」

 ようやくどうにかして言葉を発した副会長を遮って、会長は哀願するように続けた。

「分かっているんだ、これは普通の思考じゃない……異常だ、狂ってる……そんな風に思うかもしれない……それでも! それでも私は自らの全てを鷹松祭に注ぎ込んできた……実行委員長として私にはこの祭を完成させる義務がある。それだけは誰にも邪魔させない。じきに一般公開も終わる。そこから簡単な片付けがあって後夜祭、ファイアーストーム、そしてグランドフィナーレ――鷹松祭が終了を迎えるまで残り約三時間、あとたったそれだけなんだ!」会長は喘ぐように息を継いだ。「――今一度、三顧の礼を尽くして懇望する。鷹松祭の終了まで示し合わせて黙っていてはくれないだろうか」

 総員、言葉を失ってしまった。


ロジック・ロック・フェスティバル

天帝のはしたなき果実』において、最初通報を拒否する生徒は主人公古野まほろである。その理由はすでに演奏が終わったアンサンブルコンテスト大会の結果が聞きたいというものである

差し当たり重要なことは」一馬が厳かに口火を切った。「ひとつしかないわ。通報沈黙か。それが設問よ(ザットイズザクエスチョン)」

「僕は沈黙派だよ」と僕。

(中略)

「今通報すれば、会場は大混乱、大会どころじゃなくなる。あれだけの演奏ができたのは瀬尾のお陰だし、客観的にもその評価を得るのが供養だと思う」


(『天帝のはしたなき果実』講談社ノベルス版、530頁)

どちらの作品も警察への通報を拒否する生徒が現れ、その理由は、高校生として「重要イベント」のためであるのに間違いない。

2013-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20131024195634

1)ある任意の一組のカップル、もしくは既婚夫婦セックスレスであるという問題。

2)社会カップル、もしくは既婚夫婦おいセックスレスの傾向が強まっているという問題。

はまったく別の観点から見るべきだ。

元増田個人主義(個人の自由)の観点から見て1はその自由の範囲内であり、であるからして2は問題ない、と拡大した。

しかに1は個人の自由の枠内かもしれないけれど、だから2も良いのだとするとそこにねじれが発生する。

2において具体的に何が問題になるか以前にその敷衍論法がすでにダメなんだよ。小児的と言っても良い。

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