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はてなキーワード: 敷衍とは

2017-11-06

地元嫌い家族嫌いの自称愛国者

愛国心なんて持ち出すまでもなく、日本好きな人なんていくらでもいるんだよね

でも自称愛国者のそれとはまた違う

普通の人はその人の生活やそれを取り巻く人々や環境があって

ああ俺生まれ横浜が好きだわ、友達も良い奴だし、嫁も俺にはもったいない

みたいな実感から敷衍して日本が好きとなる

自称愛国者はそれを飛び越えてまず日本が好きという結論に飛び付く

から人や土地を愛せず、大阪在日巣窟でクソだ!○○は反日でクソだ!と敵意だけが育っている

2017-09-27

製作委員会の内情(的なもの

製作委員会が、悪の枢軸呼ばわりされて盛り上がっている。

とある作品製作委員会に身を置いていたことがあるので、思い出を書く。


■カネのための集まりである

製作委員会というのは「製作」をする人たちの集まりであって「制作」をする人の集まりではない。

私も最初ここの違いが全く分からなかったが、中に入ってようやく理解した。

まり、「その作品を作るためにお金を出した人たちの集まり」であって

原作者監督声優脚本家が集まっているところではないのである

(このへんがネット上では未だにけっこう誤解されている気がする。)

から製作委員会の集まりで最も重要なのはカネの話だ。

これは良いとか悪いとかいう話ではなく、カネのために集まった組織なのだから当然の話である


■どんな人がいるのか/どんなことを考えているのか

会議に出席するのは、出資社(出版社とか、TV局とか、広告代理店とか、製作費を出す会社から送られてくる、各担当者だ。

いろんな会社から、いろんな人が出て来て、異業種交流会みたいで、けっこう面白い

そして、ここがポイントだと思うのだけど、この会議に出席してくるのは、必ずしも映像業界に詳しい人間ばかりではない。

彼ら(そして私もそうだったが)のミッションは2つ。

1.出資金以上のリターンを持ち帰ってくること

2.本業へ良い影響があるように、動き回ること

1つ目は分かりやすいと思う。株買って儲けようとするのと同じだ。投資だ。

でも、それ以上に、各社担当者にとって大切なのは、2つ目なのである


■なんだかんだ、本業の方が大事

例えば、広告代理店

彼らが委員会出資するのは、「その作品広告仕事が欲しいから」 以外には無い。

仮にその作品映画だったら、映画TVCMだけで何億円という発注を獲得できるのである

それ以外にも、新聞雑誌交通広告ウェブ広告・・・いくらでも仕事は降ってくる。

例えば、出版社

出版社が参加している場合は、原作出版であることがほとんどである

彼らが委員会出資するのは、「原作バカみたいに売れまくる事」を期待すること以外に無い。

そのための宣伝費と思えば、映像化する際の出資なんて大したことは無い

(今は違うかも・・・本売れないか・・・

映像作品商業的に成功すれば1つ目の目的は達成される。

だが、そんなのはバクである

そもそも作品性なんてものは、監督制作側の担当領域なので、製作委員会担当社員からすれば、自分たちでどうにかできるわけでもない。

みんな最初から1つ目なんてアテにはしちゃいない。

から、 2つ目の目的=自社の利益になりそうなこと の達成ばかりに力を入れ始める。


■どんどん仲が悪くなる

各社が2つ目の目的を達成しようとすると、どうしてもバラバラな動きになる。

それぞれ目指すところ(=自社の利益)が違うからだ。当たり前だけど。

2社だけなら良いが、委員会はたいてい5社6社は当たり前。

ということで、担当者仕事は「複数社間の利害調整」がメインになる というカラクリである



個人的な思い出

自分経験からすると、他社の担当者ケンカしていたかケンカ仲裁をしていた思い出しかない。

何がめんどいって、「みんな業界が違う」 ので、企業文化どころか、業界文化が違う。

「こんなこと当たり前だろ」が各社バラバラなので、話がとにかく合わない。

それが一番面倒だった。

まず共通言語を作るところから始めるのが正しいんだろうけど、正直そんな時間はないので

結果的ケンカ仲裁 の最短ルート選択されるのだ。

当方はどちらかというとウェブとかなんやらの会社だったので、

出版社広告代理店TV局(この3つは大抵どの作品にもいると思う)の人たちの文化がとにかく古すぎて、いっつもイライラしていた思い出がある。いわゆるギョーカイ人側の人たちですね。

会社の人と話せば5秒で終わる話が、なんやかんやで1か月かかるなんてザラである

ただ、いろいろな業界のお作法などが垣間見れたのは面白かったと言えば面白かった。

普通会社にいながら、ギョーカイ人と触れ合える経験なんてあまり無いし。

スキルとしては、複数社間の利害調整能力というものが身についたと思う。大抵のケンカ仲裁できるようになった。

当然のことながら、映像に関する知識あんまり身についていない。

自分は下っ端だったし、作品成功するかなんてのは比較的どうでもよくて、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだったのが正直なところ。

からネット製作委員会方式諸悪の根源扱いされるのも無理はないな、とは思う。

でも、本当に映像を作ってる人たち(監督とか)は、こうした状況を理解した上で、うまく利用してやろうという人もたまにいて、そういう人はどんどん有名になっていった。

今は全く違う仕事をしているので、最近どうなっているのかも知らないけど、

ケモノなんとか の騒動があったので、思い出して書いてみました。

ケモノなんとか は見てません)

~~~

こんな糞記事コメントしてくれた方、ありがとうございます

>だけど「複雑な力学が働いてるからたつきが善というわけでは無いぞ」と言いたいのかな、と思った。

悪ではないと思いますが善でもないだろうな、とは思います

もちろんたくさんの人に愛される作品を作った人という点では善だと思いますが、組織の中でどう見られるかは別の話なのですよね。悲しいか・・・

>「いわゆるギョーカイ人側の人たち」の考え方が古いのは何が原因なんだろう?

個人的には「プライド」ではないかと思います

やはり比較的、伝統的な手法を重視しますよね。これは別に製作委員会がどうこう、という話ではないと思いますが。

過去成功体験人間というのは縛られてしまものなのだな、ということです。

立場も分かるので、ボロクソに叩くほどのことでもないと思っています。うまく操作してあげればそれでよいのです。ある意味わかりやすい人たちです。

>カワンゴ(ドワンゴ)の調整力に期待するしかないなあ

まさに、ですね。普通こうした問題は事前に根回しがされるので、可視化されることは少ないと思うのですが、このパターンは珍しいですよね(だから騒がれているのだと思いますが)

ただ、その手前で十分に調整がなされたかどうかは分かりませんが、監督ツイート説明不足過ぎるがゆえに事態悪化させただけで、窮状を訴えるには良い手段ではなかった、と感じています

いずれにせよ、調整がうまい人がいるかいないか は委員会運営には重要な要素ですね。

>これを敷衍すると、出版利権カドカワ同人とか一枚絵とかウチ通さずに出してんじゃねーぞ、全部抜かせろって話?

そのへんは作品によって契約内容が違うので、外からはなんとも言えないところかと・・・

ただ、この業界頭悪い人しかいないので(汗)、契約なんてあってないようなものでして・・・今どうなのかは知りませんが。

よく揉めるポイントではあります

~~~~~

思いのほか伸びていてビビっている・・・

暗い話ばかりでもアレなので未来志向の話も・・・

 

制作会社もっとコントロールすべき

最近は、制作会社自身出資するケースも増えてきていると聞きます個人的には良い傾向かと思います

ただ、最後出資比率パワーバランスになるので、常任理事国入りできなければあまり意味ない・・・というのもあるかも。

常任理事国側は、常任理事国を増やしたくないですし)

それこそディズニーじゃないけど、制作側でも札束関係者を引っ叩ける存在が生まれると良いですね・・・

 

>この業界頭悪い人しかいない

これはね、自分自身も含めてそうだと思っています。ほんと自分バカなんで・・・残念ですが・・・

自分のことはさておき、頭が良いことがアドバンテージになりにくいんです。

映像作品お仕事って、ギャンブルに限りなく近いんですよね。

凄腕のギャンブラー必要なのは偏差値ではなくて運ですよね?

頭が良いか二の次で(もちろん良いにこしたことはないですが)、そんなことよりとにかく「運がいい奴」が残る場所だなー、と個人的には思います

逆に言うと、みんながディスりがちな「学歴社会」ではないので、それはそれで居心地が良い人もいるかも?

 

製作委員会の人、アニメ本編は見て無さそうなイメージ

半分ぐらい当たってます

というか、逆に言うと「制作」の領域神格化されすぎていて、現場の忙しい人は業務上何もタッチできないんですよね・・・

良く言えば分業化、なのかもしれませんが。

から、よっぽど個人的に好きじゃない限り、興味もなかったです。

実際にものづくりにも参加できていたら、全然違ったんじゃないかな、と思いますが。どうなんでしょうか。

 

ケンカ

ケンカ と書きましたが、ケンカするほど仲が良い というのは全くその通りで、意外と「現場に近い者同士」は、会社が違っても強い連帯感が生まれがちだと思います

会社同士はケンカしてても、現場担当者同士はちゃーんと仲良くしています

ある意味、「なんか知らんけど偉いっぽい人達」という共通敵が生まれるので、超連帯やすいです!

から仕事で嫌なことも納得いかないことも沢山あったけど、それ以上に楽しいこともたくさんありましたよ!

現場で育った人が、将来偉くなったら、もしかしたら色々環境が変わってくるんじゃないか・・・ と個人的には期待しています

自分は途中で降りてしまった人ですが)

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170817200113

元増田ではないが、追記がわかりにくく、実際に理解できてる人が少ないと思ったので自分なりに解説する。

まず、「差別」と「区別」は同じものだと考える。

次に、「アイデンティティ」とは、「自分を他社とは違うものである認識する」ことだから、「区別」であり、従って「差別である

敷衍して、自分自身のみならず、世の中のあらゆる「存在」は、何らかの「区別」を与えられることによって認識されるものから、「差別」をしなければ自分自身他人認識できず、「発狂」するしかない。

差別」と「区別」を区別できればこの問題は生じないかもしれないが、「差別被害者」がいる限りあらゆる「区別」は「差別」と呼ばれうる。そして、人には認知限界があるから、ある「区別」による「差別被害者」が存在しないことはどうしても担保できない。従って、「差別」をせずかつ「発狂」しない方法は、認知できない「差別被害者」は無視、すなわち容認することしかない。

2017-08-03

その理屈おかし

君の理屈をそのまま敷衍すると、フェミニズムに限らず「全ての、弱者救済権利運動は、常に他の全ての弱者権利運動共闘しなければ偽善」という、とてつもなくハードルの高いことを要求していることにならないかそもそも、「すべての人の完全平等」が実現されない限り、何らかの弱者を救えば相対的に新たな弱者が立ち現れるわけで、その全てを見越してそれと連帯せよというのは、正論の振りをした無茶振りに近い。それは結局、あらゆる権利獲得運動に対して、「君らは実は権利乞食であり偽善だ」と言い、「弱者は黙って殴られていろ」と言っているのに等しい。

そういう反省が、運動の内部から起きることには、運動の一成熟過程として意味があるだろう。だが、それが外から投げかけられる批判である場合には、残念ながらそれはあまり理想論過ぎて現実には機能しない。

https://anond.hatelabo.jp/20170803150448

2017-06-10

パンティー観てもいねーのに「最近パンティーは○○ばかり」とデマを流す奴も相当だが

http://anond.hatelabo.jp/20170609152254

そういう思い込みさら脳死状態敷衍して「今の若者は」「今の社会は」「今の欲望は」とか語りはじめる奴がいちばん害悪な。

大企業社長の「最近パンティーは」には上から目線批判するくせに、浅い浅い「最近パンティー」分析に納得顔で乗っかるアホは道端のパンティーでも分析してろ。

2017-06-09

アニメ観てもいねーのに「最近アニメは○○ばかり」とデマを流す奴も相当だが

http://anond.hatelabo.jp/20170609000714

そういう思い込みさら脳死状態敷衍して「今の若者は」「今の社会は」「今の欲望は」とか語りはじめる奴がいちばん害悪な。

大企業社長の「最近の若者は」には上から目線批判するくせに、浅い浅い「最近オタク分析に納得顔で乗っかるアホは道端のアリでも分析してろ。

2017-03-26

籠池が忖度忖度言う前に

はてブブコメでは「忖度」「敷衍

などは普通に使われていたから、その都度、意味を調べて知っていたから、ここにきて狼狽えるということはなかった。

ありがとうはてブのみんな!

ブコメ読む習慣があって良かった〜

2017-02-07

左翼デモデモ目的。じゃあ国家は?

普通デモ左翼が絡んでくるのは、彼らにとってデモ目的化しているからだ

なぜかと言えば、定期的にデモを行って団結しなければすぐバラバラになるから

そしてバラバラになると、上の方にいる人たちが自尊心を満たせないか

からデモ目的化する

この仮説をもとに敷衍して、国家適用して考えると

やはり国家は敵を作り戦わなければ団結はできない

右翼なら「外敵の侵略」「共産主義」になるのだろうし

赤い国家なら「資本主義」だとか「ファシズム」とかになる

欧州はそこら辺を「非人道的な奴ら」「意識低い奴ら」に置き換えて、うまくやっていると思う

欧州危機経済的な失敗によるものであって、根本精神的コンセプトが悪かったわけではない

さて、これから日本は何を敵とすべきなのだろう

いいおとしどころがあればよいのだが

2017-01-20

アパホテルの例の本を考えてみる。

 

自分欧州なり米国なりどっかに行ってホテルに泊まって

そのホテルナチスユダヤ人迫害インチキ陰謀だ的な本が備え付けてあったとして。

何を思うかといえば多分特に何も思わない。

帰国して土産話のついでに、泊まったホテルが変なホテルでさって笑い話にするくらい。

まあ自分関係ない他人事からな。

 

ならば日本人である自分関係することだとどうだろう。

米国に行ってホテルに泊まってそこに本が備え付けてあったとする。

大戦中の日系人収容は正しかった当然の措置だ的なことを

現在日本人への偏見嘲笑交じりに書いてある本だとする。

うん、腹は立つかもしれない。こんなホテル二度と来るかって思うかもしれない。

帰国して土産話のついでに、泊まったホテルがふざけたホテルでさって話すだろう。

けどその悪印象をそのまま米国全体に当てはめるかといえばしないだろう。

たぶんしないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。

まあ多少のイメージダウンはあるかもだけど、

いちホテルのことを国全体に敷衍する方が差別的だと思うのでそこは混同しない。

 

というわけで考えた結果、アパホテルの例の本もほっとけと言う結論自分の中ではなった。

2016-12-30

子どもを持ちたいと思う理由

http://anond.hatelabo.jp/20161229111558

一応子持ち。

ちょっと無駄煽りが過ぎるけど、このアホの言うことは部分的にはわからんでもない。特に、この一点に関しては。

自分人生が終わる時、引き継いでくれる存在から

みんないつかは死ぬじゃん。どんなに金があっても、どんなに才能があっても「いつか必ず死ぬ」ということに関しては人類みな平等じゃん。自分がこの世から消える、もうすぐ消えるその時に人は何を思うのかっていうと、「自分はこの世に生まれてきて、一体何をこの世界に残せたのだろう」ってことだと思うんだよね。文学やる人なら自分作品とか、仕事に熱中してる人なら仕事成果物とか、ゲームに夢中な人ならやり込み尽くしたアカウントデータとか。何を残したいと思うかは、その人の人生観価値観に大きく左右されるんだけど、必ず人は何かを残したいと思うんだ。ほら、この前解散したSMAPだって歌ってたじゃないか。「あれからぼくたちは何かを信じてこれたかなぁ」って。

子どもは、そういう残したい「何か」の究極の形態だとぼくは思うわけだ。

自分が今生きているのは、はるか太古から脈々と誰かが命を繋いできた成果だ。どこか一点が途切れていたら自分という生命は現世に存在し得なかった。命がなめくじみたいな存在だった頃からバトンをつないできてくれた。ぼくが生きているということは、そうした無数の命がこの世界存在したことの証明でもある。

それを敷衍するなら、子ども自分存在したことの証明となる。「この世界に何かを残す」というこの一点において、これ以上のものはない。子どもを残すということは、自分が親から受け取った命のバトンを次の世代に引き継ぐということだ。そういう存在がこの世界にあるということが、もうすぐ命が尽きようとする人間の心をどれほど救うと思う?

それに比べれば老後の介護問題なんて瑣末な話だよ。子どもがどんだけいようと、自分介護してくれるかどうかなんて結局わかりゃしないんだから。少なくともぼくは、自分の子どもにそんな期待はかけてないよ。

一応言っとくと、ぼくは「子どももつことが正しい」なんて思ってないよ。第一「正しい」っつったって、一体「誰」にとって「正しい」んだよ。ぼくか? それとも君か? 日本か? アメリカか? わかりゃしねえよそんなことは。何十億年も繋がれてきた命のバトンに比べりゃ、現代人達が言う「正しさ」なんてちっぽけなもんだよ。たかだか100年くらいの歴史しか持たないただの幻想しかねーじゃねぇか。

まぁその流れで言うと、元増田が言う「子供を作っても良い環境が与えられないから作らない」という人に対しては、しいて言えば「もったいない」という感想になる。だってそうでしょ? 結局自分の行動を他人の「正しさ」に縛られてんじゃん。世の中の人と比べてどうだとか、収入がないからどうだとか。もっと言うと、生まれてもいない自分の子もも他人の「正しさ」に縛られるって決めつけてんじゃん。「こんな環境自分を産んだ親を恨みます」って思うかどうかは、あくまでその子が決めることであって、親が決めるわけじゃないからな?

自分がどうしたいか基準はそれしかないじゃん。その結果が「子どもいりません」なら、この世界の誰もその人に文句は言えねーよ。

ただ、その判断の要因が「他人と比べてどうこう」だったら、気にするべきじゃない部分を気にしすぎているし、その人まで必死につないできた命のバトンもったいないなって思う。ただそれだけ。

2016-10-01

死なねーよ

――

長谷川豊による「自業自得透析患者は殺せ!」との一連の言説から炎上が、

イケハヤエントリ提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。

けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆運動瞑想睡眠野菜PCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。

長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。

それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。

――

” いやいや、そりゃあ、卑怯はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”

まず、犯罪者卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。

エントリを要約する。

~~

卑怯はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯であるかどうか」は判断できない(他人から自分からでも、)

から、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。

「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。

「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。

から、ぼくらはまず、信じなければならない。

不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。

~~

自分でも他人からでもその人=自分卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。

「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?

自分から他人からもその人または自分が×か○か判断できない、

もしくは、

自分から他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。

間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。

で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?

これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。

あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。

ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。

ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。

お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から自分なりに、だろ。

から大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから

みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから自分から他人から価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。

アプリオリかどうかとかは知らん。;

このひとつ人間心理思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)

――

そして、自分から他人から価値判断ができないとするなら

たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。

また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。

――

ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。

自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。

自分価値判断自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者から評価価値判断は免れ得ない。

――

懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。

――

ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。

自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。

たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。

現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。

そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人生存から見るならば。

そうなったらみんな同じだよねと。

どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿釈迦瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。

誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから必死なのに生きずにはいられないんだから

死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。

要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。

から、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。

じゃあどうするのか?爺婆が自分自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。

ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。

自分自分制御できないんだからAI操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙バランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士イーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。

ただまあ、欲を言えば、シンギュラリティ、見届けてから死ぬつもりではあるけど。まあ、とりあえずお休みなさい。

2016-08-24

発達障害めんどくさい

自分発達障害疑い。専門の外来にかかっている。IQ全検査の値が120前半、言語130ぐらい、動作110くらいで、主治医によると発達障害に特徴的な凹凸はないので「疑い」止まり。ただし主治医主観ではエピソードなどを聞いているとASD強めに感じられるとのこと。自分としては典型的ADHD。締切の段取りうんことか部屋が常に空き巣被害現場とか。

・「ひとの気持ちがわからない」。感情の動きとか、「傷つく」と苦しいとかは経験的に知っていて、それを他人敷衍して考えることは出来るので、「傷つけないように心がけて動く」ことはまあまあできている、と思いたい。ただ、傷ついた人のケアとかが致命的にダメ。泣くときとか一人で泣いて気を落ち着けたい派なので人前で泣くともはや泣いた原因より泣いたこ自体が悔しく、ほっといてもらいたいタイプ

・上記を敷衍して仕事の先輩が隣のデスクで泣いてたのをそっとしといたら「ほっとかれた」「無視された」と思われたらしく、最近無意味にあたりがきつい。雑談一切ふってこなくなったしそれどころか業務にぼちぼち響き始めている。

しかし先輩は先輩でスケジュール詰めすぎて突発でこっちに穴埋め振ってきたりしているので、ぶっちゃけ塩対応していることで自分自分の首絞めてる感があるように見える。(雑談カットは過集中のケがある自分的にはほぼノーダメージ)

・これまでもぼちぼちと悪気なく不快心持ちにさせて下さった方なので(こっちがやってる仕事唐突に「引き継ぐ」宣言しておきながら、「過去メールをほじくり返すのが面倒で時間無駄から」という理由で詳細まとめた資料について口頭説明を求めるなどされる。「都度CC送信しろ」という指示はなんだったのか。こちらの時間無駄にして良いと思ってる的な言動ナチュラルにある)ただでさえ前々から嫌気が差さなくもない状態だったのだが、それがじわじわエスカレートしつつある。ぶっちゃけもうフォローしたくない。

・昨日は残業して作業してるときに、「自分がやりたい仕事があるし増田は今急ぎの仕事とかないはずだから端末空けろ(意訳。物言い自体もっと柔らかかった)」と言われて端末譲って帰ったがなんか納得いかない。先輩がやりたい仕事があるのは良いんだが、私はその時やってた作業以外にルーチンでこなさなきゃならないのがあと二つ残ってた。しかもうち一つは今週木曜までに目処をつけてその先輩に報告せねばならんやつだ。それを「他に仕事ないはずだよね」と来た。それはなくね? それはありえなくね?? 木曜ぐらいまでを目処にしろ言うたのはアンタやで?

・発達あるあるだと信じているのだが、こういう細かいエピソードはだいたい全部覚えている。何なら書き出せるのだが、書き出して提出するとなぜか見た人は大抵ドン引きする。書かれている内容にではなく、「こいつよくこんなに細かくいくつも覚えてんな」というところにである

・覚えていることに引かれるのなら、その都度「それはやめて」と訴えれば良いかというとそうでもない。というかそれやると一発で「反抗的」「ケチ」「不寛容」「自分のやり方に固執しすぎ」などなど悪名高くなること請け合いである(ただでさえ仕事の仕上がりの精度を気にしすぎていると言われているのに!)。何より、経験から「まず相手の言い分をのみ、できるだけそれに沿うように動く」ようにしてトラブル回避を試みるよう行動様式が固まってしまっている。上記の「他に仕事ないよね」への腹立ちを今ごろ言語化しているあたり典型的

・健常者ってこういうときどうしてんの? どう持ち込んだら「自分にも非があった」みたいなことを認めやすいの?? それともアレか、私が神経質すぎるのか? でもこの調子で突発的に作業ペース乱されると、ただでさえ締め切りまでの段取りがアレなのにキャパ超えてまうんで困るんですけど。仕事の成果が出ないという意味でも困るし、この先輩たぶん「締切守れ言うたやん」って指導してくるはずで、それにこっちも内心で「おまいう」ってなってしまって良くないと思うんだよね。

転職とか配置換えは視野に入れない方向で(仕事内容自体は向いてるので辞めたくない&代われる人員居らん)、なにか良い案ないですか健常なるみなさま。あるいは宇宙人仲間たち。

2016-07-25

童貞ミソジニーと、女性童貞蔑視は同根

増田で定期的に投下される「童貞ネタ」でモヤモヤしていたことを把握できたので、記事投稿してみる。

ツッコミどころ満載だと思うから、変だと思ったらどんどん指摘してもらって構いませんw

増田で投下される自称童貞記事って、ひどいミソジニー臭がすることが多い。

ブコメではそれに過敏に反応して、記事一言一言に噛み付いて、「それだから童貞なんだ!」とディスる

はてな名物マウンティング合戦というわけだ。

特に女性と思しきトラバ主やブクマカ達は、やや滑稽なほど童貞増田に対する激しい差別的感情を露わにする。

記事に書かれていないことまで邪推して、「あなたは○○な人物だからダメなんだ!」と強い語調で猛省を促すわけだ。

はてな民に限らず、多くの女性モテない男性に対してやや否定的感情を持っていると言われている。

モテる男性から酷い目に遭わされ続けていても、それでもモテない男性に対して視野を広げることはしない。

(でも、人間ってそういうものから個人的にはそれは悪いことではないどころ、それが自然だとすら思う)


ところが、よく考えてみたら、増田によく出没する自称童貞さん達と、

そうやって童貞増田を激しく糾弾する女性ブクマカ達って同じ人種なんじゃないか、と思うようになった。

というのも、自称童貞さん達はまだ女性交際したこともないくせに、

「女は○○が悪い。だから女はクズだ」と女性全体を切断処理する。傍目には「すっぱい葡萄論理」を展開しているようにしか見えない。

一方、童貞糾弾派の女性たちも、実際に童貞さんと実際に相対したわけでもないか、そうだとしても極少数のサンプルだけを判断材料

モテない男は○○」と決めつけている。ようは、童貞さんも童貞糾弾派も、頭の中の害悪的なイメージと戦っているだけじゃないだろうか?

童貞さんの「女」と、童貞糾弾派の「童貞」は、とにかく「悪い批判すべき奴」という意味代名詞程度の役割しかなくて、

「女は○○だから悪い」や「童貞は○○だからダメ」という言説は、単純なトートロジーになっていて、それ故に常に正しくなってしまう。

逆に言えば、自分理屈から抜け出しなくなってしまう。

いわゆる「主語が大きい問題とも言い換えられるし、この記事内容自体結構ブーメラン刺さっているところではあるんだけど、

人間は思いのほか個人差が大きい生き物だし、同じ社会的属性を持った人たちが皆、同じ特性を持っていると考える方が無理があるんだよね。

実は最近ちょっと前に話題になった『ルポ中年童貞』(幻冬舎)という新書を読んで、

その中に「外見に自信がないせいで同性愛に走った」という男性のケースが紹介されているんだけど、

それを読んでいるとき、「いや、これは童貞云々が問題じゃなくて、本人がセクシュアリティバイ同性愛寄り)に気付いていなかっただけじゃない?」と思い、

そのケースを敷衍して考えた結果、「やっぱり童貞問題は十把一絡げに語れないなあ」という思いを強くしたんだ。

自分自身を言えば、初めてセックスしたときに何か「ああ、俺は童貞卒業したなあ」なんて実感は全くなくて、

しろ、(後の妻になる)彼女風邪をこじらせて酷い肺炎になったとき、急遽会社有給取って休んで彼女看護していたとき

ふと「あれ、俺ってこんなに他人に何かするような人間なんだ」って自分ビックリして、今思えばあの時に初めて

人として変われたな、真の意味子どもじゃなくなったな、って実感があったよ。

2016-06-06

AVを手本にセックスをするような話

AVを手本にしてセックスをする男性」というのは一定数いて、

それに困っている(というか肉体的苦痛を感じている)女性というのも、これまた一定数いる。

AVの真似をする男の言い分としては「上手いセックスしろ圧力をかける女性雑誌社会が悪い」というわけだが、

現に痛い思いをしている女性としては「何でもいいから早くやめろ」「AVの真似するよりも私の話を聞け」となる。

という話を、「いろんなステップ飛ばしホテルにいきなり連れ込もうとした男性」をめぐるやりとりを読んで連想した。

 http://anond.hatelabo.jp/20160606131354(増田A)

 http://anond.hatelabo.jp/20160606003455(増田B)

しかに広い視野で考えれば「上手く恋愛できる人間かどうか値踏みする人たちが悪い」と言えるのかもしれない。

値踏みする視点に脅えて「上手くやらなければ」と焦り、結果としておかしなことをしてしまったというのが実際のところであろう。

(ただ、女性側を批判する増田(増田A)が「チェックする女性の恐ろしさ」を語りつつ、「コミュ能力」「顔」「服装」に関する女性(増田B)の低い評価に触れて「そんだけ悪評価しか出来無い人をなんで好きなの?」と語るのを見る限り、恋愛を「値踏み」しがちであるのは誰よりもこの増田Aなのだろう。増田Bにしてみれば「誰かと比較して~さんを好きになったわけじゃない!」と怒るところだろう。ましてや「自信をもって」を「私に好かれたことに自信もつべき」と曲解されたことなどは怒り心頭だろう。たぶん)

はいえ、増田Bが言いたかったことを敷衍するならば「お互いの意思確認しながら進めていくべき交際を、お仕着せのマニュアルで進めるのはやめてくれ」ということであり、そのマニュアルを背後から支える規範(顔とかファッションとかデートの上手さとかを絶対視して、それらが無ければ女性から好かれることはないはずだという発想)を捨ててくれ、ということだと思う。

それは全く正しいことであるし、誰にとっても(増田Bの彼氏さんにとっても)受け入れられる結論だろう。

一方では、女性が「私はあなたを「値踏み」して好きになったんじゃないんだよ」という意味を込めて言及したであろう「スペックの低さ」に対して、男性がそれを真に受けて、割と頻繁に傷ついたり落ち込んだりするのも事実である女性にしてみれば「スペックが高い/低い」は職場や近所・友人づきあいといった「外の世界」において意味のある指標であり、恋人関係のような「内の世界」では無意味指標であると割り切っているのだけど、男性にとってこの二つの世界はあまり切れていない(家庭においても「スペックの高い人間」として見られたがる)傾向があり、そこで齟齬が生じるのだろう、と思う。

2016-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20160224082335

たとえばミニマリストが「そんなことしてたら経済崩壊する」と批判されるみたいに

恋愛に興味なしだと「そんなことしてたら社会崩壊する」とみんなが無意識に思うからじゃないかな。

まり、個人のライフスタイルを全体の事例に敷衍して考えるバカが多いからなんだよ。

ミニマリストだって自分はモノがない方が幸せ」だけど「みんなモノを買うな」とは言ってない。

恋愛興味なしの人も「自分恋愛はいらない」けど「みんなどうぞ好きに恋愛して」ってスタンスだろ?

でも、多くの人は自分恋愛も禁じられてるような変な錯覚を起こすんだよ。

人間ってそういう変なところがあるんだよ。ようは自他の区別がついてないんだよな。

2016-02-11

リア充的な格好してる人間が、リア充的な行動をとる理由

リア充的な格好をしている人がリア充的な行動をとる理由が分からなかったんだけど。

ちょっとわかった。

  

民族衣装なんだわ。

  

清潔感のあるブサメン。の対比で、不潔感のあるイケメンを想定してみる。

すると、なんとなくわかった。

  

死にかけて、死を意識すると世の中どうでもよくなって、暴力とかなんでもやれる。

調子乗ってるんじゃねーぞ、と調子にのって言える。

この感覚リア充の根源で。

これを言うための装備として、リア充の格好をしてる。

  

リア充衣装ってのは、死を意識して現実への虚無を感じたゆえのニヒリズムなんだろう。

から暴力的で、論理の無いドキュンみたいな男がリア充的になるし。

そこに女が引かれるから、そういう雰囲気が世に敷衍されたんだろう。

  

マジメな男ってのは、モテないから、嘘でもオラオラしだす。

これは、死を意識していない。リア充的な格好をすることで、死を意識した行動を取れる。

この嘘のオラオラしか女とはコミュニケーション不可能な世の雰囲気が出来上がってしまったため。

マジメな男は他人と絡まないところで、マジメを貫きとおす。

  

死を思え(メメントモリ)って奴があるが。

人間の根源的な暴力性が出てしまうね、死を意識すると。

この暴力性が世に敷衍されてるから、虚無的になっちゃったんだろう。

  

女に相手される、されないが生殖根本からこそ。死を思うとリア充的行動をしだす。

  

マジメな男はじゃあどうすればいいのか。

どうしようもない、死ぬしかない。

「騙されたほうが悪い」のではなく、「騙されないほうが悪い」んだ。

信号、皆でわたれば怖くない。ってことだ。

信号から、わたれないって奴は、女に相手されないし。女に相手されない奴は役に立たないから男の中でも生き残れない。

から、皆、嘘でオラオラやってる。

2016-01-20

女と恋愛しない人生からこそ、女特権ムカツク

なんで、女をかばってやらないとダメなんだ。という理不尽感が湧く。

  

子供を持たないと、子供を持つ親にたいして共感できないのに似ているかもしれない。

  

女に相手されないキモオタの求婚が女たたきだ!って女は言うらしいが。

韓国を叩くのは、韓国への求婚だろうか?

  

男が一方的に損させられて、明らかに、女が得しまくってるのがムカツク

モテない、相手されない男が女に恋愛相手されようと思えば、そりゃ女に尽くせって話になるかもしれないが。

とっくに女は結構と決めた立場になれば、そういう恋愛上の話は抜きでいかせてもらえないもんかな。

  

女って、恋愛での特権を。まるで社会での特権のように敷衍してくるからうぜえ。

2015-12-14

誰にも迷惑を掛けずに生きたり死んだりすることはできない

私は生きているだけで不特定多数の誰かに不快感を与えうるので生きるべきではない

しかし私が死ぬ家族行政敷衍すれば地域国民のみなさまに迷惑をかけてしまうので死ぬべきではない

よって私が生きていたり死んだりするのは悪いことであるが、それは私がこの世に存在しているために起こることなので、私は生まれてくるべきではなかった

2015-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20151212221745

「(客観性根拠にすることを指して)それは翻ってネトウヨ以上に何の意味もない主観的な欲求だよ」

知性のきらめきを感じる一文に出会いました。あなた批評精神は、真実を穿っていると思います

なぜ昨今は、客観性ということをしきりに事とするのでしょうか。

それは、「簡単に理解される」からだと思います客観性は「自明」という迷信があるのですね。

しか本来客観性は、数字統計上の概念であって、主観とは何の関係もない。

それなのに、現代人は「主観的意見客観的事実によって客観性付与しうる」という思考法に慣れきっているので、

主観客観的たりうる」という誤解を抱くのです。

しかし、科学哲学敷衍しうるでしょうか。

「神はいない」という事実が、「神はいる」という信念を曲げられるでしょうか。

常識偏見の塊以外の何者でもないしそんなものが本気で生きるべき糧になんか絶対にならない」

熱いパトスを感じます

2015-12-10

ユーフォニアム」の絵に「男根メタファーだ」と言う人が居る原因

痴漢被害が多いのに話題にされない

都会が人口過密で、特に満員電車が異常な日本社会では、痴漢被害がとても多いのです。

しかし、痴漢被害トラウマ体験であり、現場でも言い出せないのはもちろんのこと、時間が経ってもなかなか、他人公然と話せることではありません。また日本では、男だけ、女だけ、といったかたちで交友関係構成する傾向が強く、性別を超えたコミュニケーションが断絶しがちです。言い換えれば、日本社会には性別セクショナリズムがあります。そのため、痴漢被害に遭ったことのある人は多いのに、そうした事実話題にのぼるのは概ね、女同士の会話ばかりです。

そして、人口比率男と女が概ね半々であるのは当然として、日本は、社会的に表立っているのが男中心であるいわゆる男社会です。そうすると、痴漢被害体験がある女の数は社会の半数にまでは満たないうえに、男の方が外に出てくる日本社会ですから、あまり認識されていません。

わいせつ被害に遭ったことが知られたら「女としての値打ちが下がる」とさえ思われているところすらあります公然とは言うな語るなという話になりますし、また被害者自身も「話したら損だ」と思うこともあります

痴漢というのも、触るだけではありません。触らせるというのもありますし、道端で露出するというのもあります。そうした被害トラウマがありながら、トラウマであるだけに他人に打ち明けられる機会もなく心の内に抑圧していなければなりません。

被害体験精神的外傷が癒やされないから、「女性蔑視だ」という批判行動の衝動に表れるのだということもあるわけです。そしてさらには、あれもこれも「男根メタファーだ」という人すら出てきかねないわけです。その人はもしかすると過去に、露出狂に、膨張したモノを見せられたことがあるのかもしれません。

こうした社会状況を、批判者の単なる個人的な特異性だとしてバカにしているだけではいけないと、思います想像力配慮コミュニケーション力があれば、侮蔑する人格批判は、到底言えないはずです。

敷衍している性の商品化

今の日本社会では、男女間の現実の交際の代わりとなるもの商品化されています。それは、「アダルトビデオ」などは言うまでもなく以前からありますが、「アイドル」やアニメゲームの類でも、現実の交友の代わりとして消費されている時代になっているわけです。

例えば「アイドル」というのも、商売として展開されています男性向けも女性向けもあるわけで、例えば「ジャニーズ系」だろうが「AKB」だろうがあるわけです。この手の商売は、顧客の熱中、より本質的に言えば「依存」、それを利用しているわけですから成功すれば売上規模は大きいです。とりわけ数十年にわたって底無しの経済後退にある日本では、こうした商売批判することも、タブーとなってきています

アイドル」というのは元来は神々しい偶像であったはずですが、とりわけ男性向け市場では、グラビアモデルの類までもが「アイドル」と呼ばれていて、アイドルインフレ化が悲惨なくらいです。

もちろん、これらの多くは、「アダルトビデオ」などとは異なり、非わいせつ範囲で行われていますしか本質的には「性の商品化」です。たとえ性欲処理用でなかったとしても。

そしてこうした一種の「性の商品化」は、実在の人物、いわゆる「三次元」に留まらなくなりました。具体例を挙げなくてもいいと思いますが、男性向けであれ女性向けであれ、アニメゲーム等の「二次元」でも、「性の商品化」は進んでいます

近年のアニメについて、以前に押井守氏も「オタク消費財になっている」と言って批判していますが、そうして「こころのスキマを埋める依存商品」になっているわけです。それにその方が売上が出るわけで、この経済退潮の日本で、少しでも収益性があればまるでビジネスの「救世主」として扱われるわけですから

このような動向がありますから、「アニメ依存商品」という、一般論としてはあてはまらない、事実と異なる偏見ももたれています。それ自体が誤解であったとしても、その誤解が起こる背景に目を向けるべきです。

アニメタイアップ観光客を呼び込んで「地域活性化」「街興し」とかいうことが増えて、もうけっこう経ちます。そのタイアップ作品の中にも、「性の商品化」の範疇にある作品もあるかもしれません。

しかしそうでなかったとしても、その作品依存性があるからこそ、わざわざ遠くの人を呼べる、そういうことがあるわけです。「聖地巡礼」とかい表現は明らかに異常ですが、本当にそれくらいの認識でやっている人達すらいるわけですから……。(そしてたかがその程度の動機で来るレベルにとどまってしまったら、リピーターになってくれないので、一過性経済効果しか出ないわけですが。)

タイアップ例のなかでは、「ユーフォニアム」だとか、その元ネタとでもいうべき「けいおん!」だとかは、それほど「男性専用」という作品ではありません。いわば、性的セクショナリズムは、低い方です。

それでもその作品を嫌がる人がいるのは、たとえ作品自体ニュートラルであったとしても、その熱狂的な(依存している)ファンこそが当地に来てカネを落としていくという現実があること、そしてまた前述のように偏見をもたれているということから作品自体に対しての批判にすり替わっているからなのでしょう。

そして、熱狂的な(依存性の)男達を嫌がる女が少なくない背景には、過去に性被害体験があることから恐怖を覚えるというのも原因としてあるわけです。

まとめるとつまりは、日本

といった社会的病理性があるということについて、認識して、深刻に受け止める必要があると思うわけです。

2015-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20150817105858

その極一部のまともを敷衍して一般化することはできるはずだろ

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150724083013

特定の個人や事案に特有問題を、それが属する地域にまで敷衍してその地域丸ごとレッテルを張って批判することがまっとうな批判なのか。

悪意のある差別的見方ではないのか。

2015-06-26

http://anond.hatelabo.jp/20150626110728

そういう部署に配属させること自体ハラスメントだと筆者は書いてるし、事実そのとおりだと思う。

簡単な話で、「乙武基準にするな」ということ。障害者ハンディキャップを抱えているがゆえに健常者でも苦しい労働使役することは問題である

それを知ってか理解なく飛ばしている可能性が大いに考えられるからこそ、彼はこうして告発しているわけだ。

特にゲームというのは健常者でも苦手な人が多い。障害者でも楽しめるからと言って、すべての障害者にそのとおりだと敷衍するのは問題である

偏見から聴覚障害者の自グループへの異動を妨害しようとする行為こそがまさに「ハラスメント」なんだけど。

定義すり替えですね。詭弁術によくある。

どちらが偏見をお持ちか、もう一度ブログを読んでみればいかがか。

感謝できるとすれば、あなた偏見が私にこのブログを気づかせてくれたということですね。ありがとう。)

以下偏見の垂れ流しに基づく適性認定罵倒の繰り返しなので読む価値なしと判断しました。

2015-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20150527132311

http://anond.hatelabo.jp/20150527124740

そらもちろんもとの文脈的に「家父長制度的な不遇」でしょ。親族コミュの中で責任を追及される、親や墓の面倒をみなければならないといった文化的な不遇。この文化親族コミュから外部に敷衍されて「男性はこうあるべきである」というパブリックイメージができている。その「不遇」だよ。

こいつ。

http://anond.hatelabo.jp/20150527124059

そらもちろんもとの文脈的に「家父長制度的な不遇」でしょ。親族コミュの中で責任を追及される、親や墓の面倒をみなければならないといった文化的な不遇。この文化親族コミュから外部に敷衍されて「男性はこうあるべきである」というパブリックイメージができている。その「不遇」だよ。

「そんなもの存在しない」って言いはるのはもちろん可能なんだけど、じゃあなんで「草食男子」なんていう言葉揶揄として流通してしまったのか? っていうのは問い直されるべきでさ。

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