http://pokonan.hatenablog.com/entry/2015/03/14/231545
これとそのブコメを読んで考えたことを書く。
反差別を掲げる人たちは、自分たちは多様性を認める世の中を作るのだ、と言う。
行政や、電波を寡占するテレビ局などを相手にそれを言うなら、まだわかる。
彼らは権力でもって(極端には選挙権を制限したり)、価値観の多様性が存在し得る基盤自体を破壊することができるからだ。
だが同じ批判を、ネット上の、ひとつの漫画サイトに向けることができるだろうか。
ウォルター・ブロックという人が、"Defending the undefendable"という著書で次のようなことを書いていた。
黒人がバーに入店することを行政が禁じたら問題である。しかし、バーの経営者が、自分の店を白人以外お断りにすることには問題がない。
というのは、黒人以外お断りのバーや、何人でも自由に入れるバーも同時に存在することができるのだから。
万が一、すべてのバーが白人以外入店禁止になったとしても、その場合、他の種類のバーを起業することで、その需要を独占できるのだから、
チャンスに目敏い起業家はこれを逃すはずはない。結果として行政が何をせずとも、多様性が失われることはない。
むしろ、行政が白人以外お断りのバーを禁止した場合、白人だけでバーで飲みたいという人たちの楽しみを奪うことになる。
これは人種差別が例であるから、極端な考えに思われるかもしれない。反射的に拒否感を覚える方もいるだろう。
私はこの例自体には賛成とも反対とも述べるつもりはない。だが理屈としては、私が今回言いたいのはこれと同じだ。
comicoが同性愛表現を自らのサービスから排除したところで、それらがネット上から排除されるわけではない。
一方で同性愛表現を認めないサービスがあり、もう一方では認めるサービスがある。それでいいじゃないか?多様性とはそのようなことだろう?
冒頭でURLを記したブログの主張を敷衍した先にあるのは、ヘテロ性愛作品は(あるいは同性愛作品は)ちらりとも見たくない、といった種類の要望が抹殺された世界である。
その世界では、ヘテロ性愛作品も同性愛作品も同様に扱うサービスだけが残る。性愛だけではない。
暴力表現も、障害の表現も、社会で問題視され得るおよそ考えられる限りの表現の扱いは、全ての漫画サイトで同様なものになるだろう。
じゃあ、あらかじめ「うちは同性愛表現お断りなんで」って表明してればいいじゃん。 「性差別禁止」とか言ってないでさ。 どう見ても「サービスとしての差別化」ではなく「過剰な自...
私を差別してくださいってことね とりあえず住所と名前晒して