「敷衍」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 敷衍とは

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919132325

増田は先輩から受けた暴力を(あえて暴力と断言する)主観的エール、祝福、激励、叱咤と捉えてポジティブな影響を受けたかもしれない。

けれど、万民がそういうとらえ方を出来るとは限らないわけだ。それは増田の個人的な体験であって外部へ敷衍できない。

そもそも真実増田脳内に発生した幻想であって、先輩がどんな気持ちで暴力を振るったかなんてのは計りようがない。ただ単に「増田がそう感じた」という体験があるだけだ。

ポジティブ暴力行使を容認した増田は、自分の後輩にどんどん暴力を振るってゆくとする。そして、それは後輩にはそれがポジティブに受け取られる保証はない。

「だから体罰暴力として規制せざるを得ないんだよ。

増田有益効能をそこから引き出せたかもしれないけれど、それは再現性がない。たまたま有益だったひとりの意見で、数百倍の被害者を出すわけにはいかない。

前者と後者の違いは、手数の違い、平手か拳の違い等あるものの、現代的に解釈されてしまえば「暴力である

すっごい乱暴な理論だよね。僕は頭が悪いので、その乱暴さが容認される意味が理解できない。

体罰暴力を混同することを増田は「乱暴な理論だ」とのたまうわけだけど、自分ひとりの体験で社会制度しかセーフティーを切り飛ばそうという増田は「乱暴の化身」だよ。

2013-09-04

「臨床環境医」悪者にされ過ぎワロタwwww

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NATROM/20130829%23p1

などで「臨床環境医」が一部の人から嘲笑と憎悪の対象となってるwww

ブコメを見てすぐ気づくけど、一部の「臨床環境医」ではなく、「臨床環境医」全般がその対象だ。

でも、「臨床環境医」って本当にそんな存在のん

シックハウス症候群マニュアル―日常診療のガイドブック という本がある。「日本臨床環境医学会」が編集した、この8月に出たばかりの本だ。厚労省科研費の報告書が基になっているという。

学会編集たからといって、即「学会会員一致した見解」とはならない(w)のはそうだけど、まあ現時点での臨床環境医で作る学会代表的な見解が述べられている、とみなして良いだろ。

また、これは「シックハウス症候群」についてのマニュアルであって、「化学物質過敏症」MCSを主対象とした本ではない。しかし、症状的にきわめて似たところもあって(ww)、臨床環境医がこのマニュアルに基づいて行うシックハウス症候群の診断が、化学物質過敏症についての診断と方法・考え方で大きく異なる、と思える人はいないだろう(とくに実際に読んでみれば)。

w 実際読んでみると、シックハウス症候群を「広義」でとらえようとする者と「狭義」に限定しようという者といて、やや不整合がみられる。しかし、強調しておくべきことは、学会編のこの本のトーンは「狭義」路線が採られていることだ。

ww そもそも用語のさす範囲が人、場合によって違うようだ。たとえば、http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130902142408605 でいう「化学物質過敏症」は「狭義のシックハウス症候群」と呼んでも差し支えなさそうに思える。

全体で79ページの薄いマニュアルであるが、たとえば、その51ページには

すなわち、既存の疾患では説明できない患者場合、本症を疑うという側面もあり、除外診断を旨とすべきである

「除外診断を旨とすべきである。」 実際、全体の1/5の分量、「Ⅱ.診断の手順」内では半分以上にあたる16ページが「鑑別疾患」にあてられている。そのうちでもアレルギーは8ページ、中毒は非常に短いが、精神心理は4ページ、それに感染症3ページ。十分であるはいえないかもしれないが、とりあえず「臨床環境医」が、他の疾患との区別を重視していることは明らかだろう。

このように同じ建物の居住者に集団発生することがあるため、シックハウス症候群との鑑別上、肺結核症は常に想起されるべき疾患の1つである

だそうである

69ページ以下がQandAであるが、そのQ10専門医にご相談くださいという言葉をよく聞きますが、何科を受診すればよいですか」に対しては、症状部位によって、眼科、皮膚科内科

初めに受診するのがよい。これらの症状が複合的にある場合は、環境医学専門医受診を勧める。

とはっきり書かれている。

こういうことが「臨床環境医」の学会編集した最新の冊子に書かれている。

ちなみに60ページの「自然天然素材」という項では、スギヒノキなどのテルペン類に触れており、かつては筏で木材を流したりしてるうちに揮発した、昔と今では建物の気密性が違う、など、「天然素材から、昔もそうだったから」という主張を批判している。

くりかえすが、これが「臨床環境医」の団体が編集した記述だ。

こうしてみると、冒頭のブクマのように「臨床環境医」全体をひとからげにして非難する、というのはどう考えても2013年日本の実態に沿うものはいえない。

もちろん、いろいろと突っ込むところはあるだろう。当然だ。それは、1.この本の内容そのもの、2.実際の臨床環境医がここに書かれているような診断とかけ離れてことをしている、に二分される。ただ、2.についていえば、でたらめな診断をくだす医師は臨床環境医以外にもたくさんいるわけであり、「臨床環境医」全体を非難しようというのなら、当然それなりの定量的エビデンスが求められるだろう。 個別の例で非難することはできるが、それがどこまで敷衍できるのか示せるのだろうか。また、患者に向かって「あなた胃潰瘍主治医に言われているようだけど、胃癌ですね」と(とくにネット上で)安易に言うことができないように、主治医でもない人間安易に憶測を述べる危険もある。

ともかく、「現在日本の臨床環境医」についてが中心に論じられるべきなのは言うまでもない。

さて、冒頭のブックマークなどで「臨床環境医」全体を非難嘲笑している者と、「奇跡のリンゴ」という映画などでの「農薬」の扱われ方について批判していた者は、かなり重なるようだ。

農薬」については「40年前と今は違う、日本の基準は安全だ」と言いながら、「臨床環境医」については「昔も今も、外国日本もすべてひとからげにして非難する」wwww 空気を吸うようにダブルスタンダードを用いるニセ科学批判者の特徴がよく現れているwwww

2013-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20130615103827

人類まで敷衍しようと「私」は「私」。

なぜ生まれたことがあなた責任ではないと主張できるのか?

それは事前に防げなかったからです。

なぜ生まれたことが生まれた本人の責任ではないと主張できるのか?

それは生まれた本人自身には事前に防げなかったからです。

と書き変わるだけで、論理の根幹は変わらない。

増田の「鬼畜外道所業」というのは「生まれた本人」の立場からしか発し得ない台詞なので増田自身にも同じ論理適応可能で、だからこそ増田の主張は間違っておりアホ。という話に帰結するだけ。

2013-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20130518123309

当事者でもないどころか子どももいないのに

>ところがどっこい。実際には言うんだなぁー、これが。

なんてドヤ顔がよくできるもんだな…

自分の親が「普通」にこだわるタイプだったからって

世間一般に敷衍して考えない方がいいよ

2013-04-03

アスペルガーが嫌がられる本当の理由 』の邪悪錬金術

http://anond.hatelabo.jp/20130402215709

この記事について。

私はただ一つ「この記事には論理誤謬があり、なおかつその誤謬によって害が引き起こされる可能性が大いにある」という話をしたいと思います。健常者がどうのアスペルガーがどうのという話ではありません。まあ書きながら考えるので変なところに着地するかもしれませんがとりあえず目指すのはその辺です。以下本文。



まず、「健常者にも色々いる」とご自分で述べておられますね。
それにも関わらず、「だからアスペルガーは嫌がられるんだよ」という主張の論拠として使われているのは知人のアスペルガー男性エピソードのみ。アレかな、「アスペルガー症候群にも色々いるんですよ^^」っていうツッコミ待ちの記事なのかな。

「私の知り合いのアスペルガーが嫌がられる本当の理由」という題名でもないしそのように解釈できる文言が本文中に書かれてもいない以上、「こういうわけなのでアスペルガー(の人間普通皆)嫌がられるんだよ」という意味しか解釈できませんよね(論拠は筆者の会ったことのある「アスペ男性たち」の印象と、たった二人の人間エピソードだけだけど)。すくなくとも筆者の方はそのような意味をこめて書かれたと解釈したんだけど、違ってたら申し訳ありません。

まあ自分で「自分医者でもないしアスペルガー100人に会ったわけでもない」と丁寧に注をつけておられるし、「アスペを全否定はしない」とまで書いていらっしゃるので、この題名はどちらかというと人を釣るために極端な題名をつける技法の一種ではあるのでしょう。
しかし、「アスペを全否定はしない」のくだりの直前まで「アスペルガーは~」「アスペは~」と相も変わらず「普通アスペルガーはこうなんだよ^^」とでも言わんばかりの叙述が頻出していますよね。というか全編そうなんだけど、「健常者はこうなのにアスペってほんと迷惑だよね、困るよね^^;」という記述、論調になっています。実際に読み取れるのは「私はこうなのに知り合いのこいつらはこんなやつらなんだよね、困るよね^^;」という内容だけであるにも関わらず、一般論に見せかけようとしています

まり、この筆者は、「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」の構図を「健常者一般VSアスペルガー一般」という構図に敷衍しようとしているんです。
自分は「自分VS自分の知り合いのアスペルガー」という例しか知らないにも関わらず、「健常者一般VSアスペルガー一般」として、あまつさえアスペルガー一般」を悪であるかのように語ることは紛れもなく邪悪錬金術です。比喩を使わずに言うと、詭弁です。自分の「知り合いの困ったアスペルガー」という個別事例を「アスペルガー症候群人間全般は困る」という大きな空想に仕立て上げる言葉錬金術は、意図的にやったならば紛れもない邪悪です。この「自分医者でもない~」や「アスペを全否定は~」のくだりは、この邪悪錬金術ごまかそうとする、実の伴わない、卑劣エクスキューズであると言わざるをえません。


……とここまでかなり過激な言葉を使ってきましたが、これは「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が書かれた意図をまあ悪いほうに解釈した場合の話です。よりマシなほうに解釈するなら、この筆者さんは<早まった一般化>の罠にうっかりはまってしまったものとも考えられます。<早まった一般化>とは、要するに「X高校の生徒Aは不良だった。X高校の生徒Bも不良だった。したがって、X高校の生徒は全て不良である」とやってしま論法のことです。当然ながら論理的に妥当ではありません。しかしよくやっちゃう誤謬からこそ名前までついているのであって、うっかりやってしまうことがあるのは仕方ないともいえます


しかし、これを「仕方ないねー、次から気をつけてねー」で済ませてしまうことはできないと考えます
なぜなら、意図的であれうっかりであれ、「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」が「ある特定のグループ人間妥当な根拠なくdisり、彼らの悪印象を植え付ける」ものになっているからです。
妥当な根拠なく」というのは上段に述べたとおりです。
筆者は「自分の会ったことのある男性アスペルガー達」の話を「実際の、正しいアスペは~」と、何故かアスペルガー全般の話としかとれないような言い方で敷衍しています。そして、「だからアスペは嫌がられるんだよ!」とdisっています。筆者の方もうっすらマズいと思ってはいるのか「アスペを全否定はしませんが~」とか書いてはいますが、そもそも「アスペが/アスペを」と書いた時点で「アスペ(ルガーの人全般)が」という意味になってしまっていませんか。
これを「うっかり」やってしまったのならば、筆者の方には思慮が足りません。言葉は悪いですが、言い方が悪くて周囲と軋轢を起こしまくりなおかつ自覚できない反省もしない、コミュ障(の一種)と同レベルです。言葉の使い方が悪く、主張の論理妥当性を吟味していないばかりに「X高校のやつらってマジ不良だわーサイアクー」という誹謗中傷になってしまっています。ご自身のためにもお気をつけになるべきだと思います
これを「意図的に」やったのならば、ただの根性曲がった悪人ですね。社会のためにも大人しくしててください。

ここまで書いてきたのは、「自分が知っている個別事例のみを根拠に何故か一般論として特定の人々をdisり彼らへの悪印象を植えつけようとする」のはどうかという話であって、本質的に健常者(というか定型発達)がどうのこうの、アスペルガーがどうのこうの、という話ではありません。ただ<早まった一般化>にはお気をつけを。邪悪意図があろうがなかろうが、あなたが「結果的に」悪人と同じことをしている可能性は大いにあります



おわり。







■■■
おまけ
■■■



↑では「アスペルガーが嫌がられる本当の理由」について、個別事例を一般化してdisる
はよくないとおもいます!という話に(最終的に)なっていましたが、それとは別の視点
でこの記事につっこんでみようと思います特に主張の芯もなく(というか主題から外れた枝葉の話で)論理の組み立てが甘いので本文からは省いた話です。二つぐらい書きます

1、

上でも言いましたが、アスペルガーの症状をまとめたサイトには、

空気が読めない」「裏表が無い」

「一つのことに夢中になる」

アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」

と、単純なことだけが書かれています

これだけ読むと、天然ボケかわいい人、という感じで、

頑張れば楽しくつきあっていけそうな気がします。

思わない。思わないから。その説明読んで天然ボケかわいい人と思うのはあなただけ。

まああなただけというのは言いすぎですね。人によってこの説明文から受ける印象は分かれるだろうということです。で、人によって印象の分かれる説明文に関して自分の感じた印象を述べるところまでは何の問題もありません。が、この後にこう続くんですよね。

でも、実際はそういう単純なことではなく、

・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、

 意見を曲げずに屁理屈を返す。口が達者。こっちが強く言えば逆ギレし、怒鳴って癇癪を起こす。

価値観根本的に健常者と違う。

これが、正しいアスペルガーの症状の説明であり、

以下アスペルガーdis。この辺の記述が個別事例なのにアスペルガー一般の話として語られている以下略という話は上段を読んでいただくこととして、この一連のくだり、実はこんな構造になってるんですよね。

    • 人によって印象の分かれる説明文に対して、肯定的な感想を述べる。

    • その肯定的な感想を覆すことで続く内容に大きな落差を作る

    ここ、2. 以降の内容(「でも、実際にはそう単純なことではなく~」以降)をより悪い印象にするために、本当は印象の分かれる説明文について、わざと「こういういい感じに見えますよね?」と持ち上げているんです。まあよくあるレトリックはいえ根拠レスdis効果的に演出するために使われるとつっこみたくもなるし筆者に悪意が感じられそうになるので困ります

    別に悪意とかなくても無意識に使われがちなレトリックなので上段でこの筆者に悪意があると断定するのは避けたんですが、私最初は「ドーモ、元増田=サン。悪の増田滅ぶべし」って感じで書いてたんですよね。それはこの辺が原因でした。

    でもこれ2回もやってるんだよなーこの人。



    2、「価値観が違う」ことが分かってなければ「価値観が違う人に説明」などできない

    この筆者の方は、アスペルガーのお知り合いとコミュニケーションするに際して、かなり「惜しい」感があります。すなわち、

    価値観根本的に健常者と違う。

    と「感じて」はいるようなのですが、「分かって」はいないということです。

    このアスペルガーのお知り合いの方たちは、被害者、もしくは自分が庇った加害者の気持ちでさえ、他人の気持ちがまったく斟酌できなかったようですね。それは私も記事から読み取れました。心中お察しします。

    しかし、このアスペルガーの方たちが、筆者の方の説明に納得せず暴走し続けていたのは何故なのか?これも筆者の方が仰っているとおり、「価値観が違う」からなんでしょう。(このアスペルガーの方の価値観が「根本的に」「健常者と」違うかどうかは断然議論の余地がありそうですが、それはまた別の話しになるのでさて置きます。)

    では、「価値観が違う」ってどういうことなんですか?

    価値観が違う」ということは、この場合「筆者の価値観に基づく説明では、アスペルガーの知り合いを納得させることはできない」とういうことです。なんだ当たり前じゃんと思いますか?ですが、これを元にすると、先に筆者の方も挙げていた「アスペルガーの特徴」の解釈が違ってきます

    アスペは、我々がきちんと説明すればわかってくれる」

    これです。

    この「きちんと」が曲者だったということです。

    筆者の方は、「きちんと」説明できていません。

    筆者さんのエピソードに出てくる「アスペルガーの知り合い」、すなわち「価値観の違う相手」に説明し納得してもらうには、「相手の価値観に基づいて納得できるように説明」する必要があります。これは相手がそのアスペルガーのお知り合いでなくとも一緒です。自分善悪の判断ができない子供に「あなたのお母さんが、それはダメって言ってるよ」とさとしたり、宗教が違う人間、住んでいる文化圏の違う人間にどうにかこちらの事情を分かってもらおうと四苦八苦したりするでしょう。そんなときにひたすら大人の価値観自分宗教文化圏価値観に基づいた主張、説明のみで分かってもらえるでしょうか?

    アスペルガーのお知り合いの価値観のもとでも分かってもらえるように説明した、と取れる文章は残念ながら記事のどこにもありませんでした。ならばわかってくれなくても当然ではないでしょうか。

    ・健常者がアスペに状況を一生懸命わかりやすく説明しても、アスペは理解できないし、

    分かりやすく説明した、というのはあなた価値観にもとづいた主観であって、相手に何かを納得させたいのであれば、あなた価値観だけにもとづいた説明などゴミも同然です。相手に理解できる論理になっていないのであればそもそも説明になっていません。あなたの説明が普段普通に通じているように思えるのは、あなたが多数派の価値観の中にいるからであってあなたが正しいからではありません。

    ただ、定型発達の方もとい「健常者」がアスペルガーの方の価値観アスペルガーの方に通用する論理を理解するのは難しい場合が多いと思います。お互い論理的に正しくてもその論理の使いどころがそもそもずれている場合が多いですし、論理ではなく感情に拠るところが増えればお手上げでしょう。筆者の方はアスペルガーのお知り合いを「お世話」しているようですが、それがアスペルガーのお知り合いが円滑に社会生活できるように周囲との人間関係をとりもっている、という意味なのであれば、筆者のかたはそもそもその「お世話」に必要な理解の試み、もしくは努力、もしくは能力のものが足りていないのだと思われます価値観の違う相手とうまく付き合おうとする試みに疲れる、もしくはそれができないのであれば、無理に「お世話」しようなどと思わずできるだけ相手と付き合わないようにするのが最善ではないでしょうか。

    少なくとも、やるべきことはこんな破綻だらけのdisではないはずです。

    2013-02-26

    社畜

    blogへ、というわけではないんだが、そのblogを含む周辺文化への違和感メモる。

    色々かんがえたんだが、その違和感の中心はどうも

    「お前らはもっと労働を減らして人間らしい生活をしようといっているが、そもそも日本(他の国へ置換も可能)はそれを許容できるのか?」――という感覚のようだ。

    「月に10日くらいはたらいて、手取り18万で良いです」というのは簡単だし、そんな事言いたいヤツは沢山いるだろうが、それはなかなか現実マッチングしない。なぜか?

    「月にx時間くらいはたらいて、手取りy円で良いです」というような希望国民全員に述べてもらい、その希望を合計したときに、日本はその希望を叶えられるほどの豊かさを持っていないのではないか? と思うのだ。

    十分な豊かさを持っていないのだから、その本人の望む待遇と本人の能力バランスの良い人間からポストアサインしていくのは当たり前の事象だろう。

    まり、冷酷な言い方をすれば「自分ポストに不満を持っていて、それが現在かなえられていない人間は、全員野心が不相応にでかい無能だ」と言うことに他ならないのではないか

    日本はその希望を叶えられるほどの豊かさを持っていないのではないか?」が真であるならば、個人の待遇というのは所属する企業の、ひいては日本生産性および豊かさと密接に関わっていることになる。むしろ原理的な意味では、個人の豊かさの総体が国の豊かさであろう。脱社畜blogにたいして感じる違和感の源泉はそれだ。

    社畜脱出格差是正を訴える」割にそれは個人の願望にとどまっていて、周囲を豊かにしようとはまったくしないところだ。「周囲を豊かにしよう」とかいうと「社畜根性」などとうそぶいて逃げるけれど、人間社会的動物なので、豊かな社会がないと豊かな個人生活がおくれないのだ。そもそも「周囲を豊かにしよう=企業への滅私奉公社畜」みたいな論をふりかざすなら、滅私奉公しなきゃ周囲に貢献できないような程度の生産性が低い人間無能なのだ。そんな無能なヤツが脱社畜フリーランスになって食っていけるかどうかなんてかんがえればすぐわかるだろ?

    ギャングではないが「転職したい」「脱社畜したい」「脱社畜しようぜ」と言ってる時点でダメなのだ。そんな事を言ってる時点で逆説的に社畜以外出来ないという自己紹介になってる。

    転職した」「脱社畜した」なら表明してイイ。

    それを皿に敷衍すれば、脱社畜blogというのは、脱社畜成功した人間が、未だ成功していない同胞に向かって優越感ゲームで高射砲をうってるだけだということになる。

    上記の疑問が、俺があの界隈に感じている違和感のすべてだ。

    2013-02-14

    http://anond.hatelabo.jp/20130214191528

    更新たなるトンデモ論が出てくるとは流石に予想外だな

    取り繕おうとするのはよせ、全く取り繕えていないぞ

    人類みな平等を説くものでも、完全に平等社会が実現できると信じてないだろうに。

    そもそも、自由意思を信じていないということは、基本的に現状を肯定する立場になることも、少し頭を働かせればわかるのではないかと思うのだがなぁ。

    人間に自由意思がない」という前提から導き出されるのは、「あるべき社会像」など存在しないということだけ。

    現状が現状として存在するだけなのに。

    もはや完全に意味不明

    現状の社会においては「人間自由意志がある」という前提が置かれており、そこから「人には負うべき責任存在する」ということが導き出される

    その自由意志の前提を外しておきながら「基本的に現状を肯定する立場になる」わけがない

    人間自由意志がない」から導き出されるのは「人間には責任能力がない」ということであり

    責任が無い以上補償や回復の必要性もなくなるという最初ツッコミに還るだけだ

    「あるべき社会像などない」「現状が現状として存在するだけ」というのはここにきて補償と回復を諦めたということだろうがあまりにも今更だ

    勝手に導き出されて辟易した、というのが正直なところだ。

    思い込みで人の主張を敷衍させてみたり、意図的に誤読をして煽ってみたりと。

    まるで謂れのない迷惑行為を受けたかのような物言いだが、実際には謂れがありまくりである上に

    為された指摘に対してきちんとした反論は一度として返されていない

    どこがどう誤読で思い込みなのかすら説明できていないぞ

    まあそれをやるとお前が思いつきで発した主張がいかにいい加減だったかを懇切丁寧に解説することになるのでプライド邪魔をするのだろうし

    お前の語彙はあまりにも貧弱だからそもそも本気で取りかかっても成し遂げられないだろうがな

    2013-02-08

    http://anond.hatelabo.jp/20130208003437

    比較定義はいいけどそれを全体に敷衍するとおかしなことになるよねー、というだけ。

    ライトノベルには萌え美少女が登場しなければいけない」と騒いでいた人みたいにね。

    特にライトノベル比較対象が多いから余計にそういうことが起こりやすい。

    2013-02-07

    http://anond.hatelabo.jp/20130207142047

    SFは「頭のいい人間けが楽しめる高尚なジャンル」じゃないし、

    衰退したのもたぶんバカが増えて誰もとっつかなくなったからとかそういう理由じゃないと思いますよ^^;

    大体自分で「あれもこれもラノベアニメエロゲにたくさんあるなー」とか言っといて、

    それなら間口は増えてるわけだからむしSF隆盛してて当然のはずじゃないですかー。

    自分のバカさ加減を他人にまで敷衍して物事を考えてはいけませんよ。

    2012-12-28

    http://anond.hatelabo.jp/20121227125434

    ミソジニーヘイトスピーチだと堂々名乗って

    しかもそれにはふかァ〜いワケがあるんだよぉ〜ん」って言っとけば

    恨むことが許可されて批判は免れるとでも思っているのか?

    いつも自分を殴る奴の腕が折れればいいってのはまだわかる、執拗に追いかけ回してくる奴がギプスか車椅子の要る羽目になればいいのにってのもわかる

    性格ねじ曲がってる奴は脳に腫瘍ができて人格ぶっ壊れればいいし口の悪い奴は舌がんか口腔がんあたりになってうまい飯も食えずまともに物も言えない人生になるってのもアリだ

    そんな大げさな話にしなくても奥歯の一本も虫歯で神経腐れば眠れないわ食えないわおまけに口が臭いわでマジで精神病むし簡単に人生詰む

    そういう理屈敷衍して考えるに子宮乳房に攻撃を加える理屈ってのはないわけだ

    産むための器官と育てるための器官はおよそ人を害しようがない、器官っていうかほぼ内臓だし逆レイプぱふぱふによる窒息以外に加害方法は無い

    逆レイプ被害者でもない限り、これらの内臓に害を望む輩は概して

    「頼んでもいないのによくもとんでもない世の中に産み落としてくれやがったな死ね」か

    「何で俺にはハメさせてくんねェんだよハメたいハメたいハメたい俺を拒むな拒むくらいなら死ね」に大別できる

    いずれも単なる逆恨みでありどこまでも浅はかなバカだ

    どんなにご大層なことをほざこうと、弱者ぶった自己中のカスしかない

    2012-11-27

    http://anond.hatelabo.jp/20121127112420

    露出狂女子高生性器晒すということが読書ネット・或いはその他のどの行為比喩なのか明確にしてから例に出したまえ。大体「アクションに対してリアクションがある」というのはセックスではなくコミュニケーション定義から例としてもいまいち的外れだ。論破したいキモチはとてもよく伝わってくるが話がぶれぶれだぞ。

    そもそも俺は確かに読書オナニーだと思っているしそれに敷衍してコミュニケーション本質セックスに似ている(というかセックス本質コミュニケーションである)と考えているがそれについてお前の意見を求めたことは一度としてない。

    俺はお前が絡んできたので俺の考えを説明しているだけであり、お前が出来る事はほころびがあればそこから論を崩すことだけだった。そしてお前はそれに失敗して捨台詞を吐いているというだけだ。

    「俺の中でそうである」というより、単に例えが無駄に秀逸で誰にも崩せないでいるだけにすぎない。書痴とか書淫とか言い出した先人には頭が上がらない。

    http://anond.hatelabo.jp/20121127101406

    自慰という性的行為への例えに伴う「性のタブーから来る破廉恥さを差っぴいたとしても、

    読書はその独善性により極めて破廉恥行為と位置付けることが可能である

    自分自分による自分のためだけの快楽。こんな閉じた趣味、他人の理解をはねつける遊びが破廉恥でなくてなんだろうか。

    そして、今気が付いたんだが、

    この理屈敷衍していくとナマのコミュニケーションはそのままセックスに当てはまり

    ネットは…何だろう、電話エッチとか盗撮? あたりに位置付けられるのではないだろうか。

    衆人環視の中オナってるとか他人の自慰を見ているのではなくて、みんなでセックスしている、あるいは窃視により参加していると言った方が正しい。

    その意味でこれらは開かれており、その分破廉恥さは減じられていると言える。

    恥を恥と知る感覚が無ければいろんな意味で他者とコミュニケーションが取れないし、快楽もまた引き出せない。

    2012-10-23

    []はてなサヨクとは

    d:id:takeruko編集

    2012/10/23 22:31:56

    編集者

    takeruko

    編集内容:

    3c3 5c5,16 7,9c18,19

    -はてなリング - 教育基本法改悪反対小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。彼ら他称「はてなサヨク」は、厳密には保守か、あるいはせいぜいリベラル程度であることが多い。自称より他称として用いられる言葉で、指し示す範囲が使用者主観であり、[[共産主義]]、[[アナーキズム]]、[[社会民主主義]]など、サヨクと呼ばれる者たちの思想の違いを踏まえていない発言と考えられている。

    +はてなリング - 教育基本法改悪反対小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。

    -大学で人文・社会科学系の学問である社会学教育学法学、[[女性学]]などを専攻したものに顕著に見られる特徴と分析されることもあるが、その限りではない。

    +はてなサヨクと呼ばれる者の特徴は一貫性の無さである

    +ある批判されるような行動、あるいは本来なすべきとされる行動の欠落を、日本アメリカが行った場合民族性や国民性に絡めてまで批判するのに対し、同種の行動を一般に左翼陣営と目される諸グループフェミニズム団体、朝日新聞韓国中国在日朝鮮人など)が行った場合は黙殺するか、批判者を、「でも、日本アメリカについては何も言わないんだよね」的な中立性の欠落の観点から批判する。しか中韓と同様に、日本アメリカについても是是非非で批判している者に対しては、「偏っているに違いない」という断定に立ち、そこから批判を行う。一方で双方向に批判をなしていない自分に対しては寛大である

    +70年以上前歴史問題には熱心である割には、現時点での人権侵害問題である拉致事件チベット・ウィグルなどでの人権問題には無関心である。一方で、アメリカ引き起こしているグアンタナモ基地での拷問や、劣化ウラン弾の使用の問題等については熱心である。何年もはてなダイアリーはてなブログを用いていて、日本過去歴史問題や、米軍引き起こした問題については詳細な記事がいくつもあるにも関わらず、拉致事件チベット・ウィグルなどでの人権問題にまったく触れていないはてなサヨクは珍しくない。稀に触れていたとしても、ほとんどは「右翼」を批判する文脈から書かれている。

    +はてなサヨクのもうひとつの特徴は、相手が言ってもいないことに争点を移す手法である。これは先述の、「偏っているに違いない」という断定から敷衍して、話を広げるやりかたである

    +「Aについて批判している/批判していないのはよくない」

    +「そんなことを言って、Aを隠れ蓑のして本当はBっていいたいんだろう。Bが妥当だって論証してみろ」

    +「Bの話なんてしていない。Aの話をしている」

    +「論証も出来ないんだ、バーカバーカ」

    +大抵の相手はこういう流れにうんざりして、議論をやめるがそれがまたはてなサヨクの中では勲章となるのである

    +また、はてなブックマークを使用しての罵詈雑言も特徴的である罵詈雑言の内容はやはり言ってもいないこと、書かれてもいないことへの断罪と飛躍である

    +はてなサヨクの中でもオピニオンリーダー的な存在は、言論態度上、明らかに問題があるそうした態度はとらないが、そういう態度をとる者は制さずに別の部分では馴れ合っている。こうした態度をはてな紅衛兵と批判されるのであって、それは比喩ではあるが実態がないわけではない。

    +はてな提供するサービスはてな匿名ダイアリーはてなサヨクにとっての主戦場ひとつになっている。揶揄でも揚げ足取りでも相手を黙らせれば勝ち、という無法がのさばっている。そうした揶揄揚げ足取りは、保守的意見にのみ対してなされ、はてなサヨク価値観合致する意見に対してはなされない。

    -略して[[はてサ]]。

    +以上のような理由から彼らを左翼と呼ぶのは困難である。首尾一貫性がなく、党派的な行動に偏っているかである。それは思想的な態度というよりはもっと利権的なものである

    +彼らを左翼から分離して「はてなサヨク」と扱うのは妥当である

    -これに対し、はてなサービスを使っているウヨクは稀に「[[はてなウヨク]]([[はてウ]])」と呼ばれる。

    http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1396850

    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%CF%A4%C6%A4%CA%A5%B5%A5%E8%A5%AF?kid=200405

    なんだろう、このプレコックス感

    2012-08-13

    http://anond.hatelabo.jp/20120813004850

    一方で「客観的な非がある」的な主張は論理的に論陣を張らなければ出来ないわけですが

    あなたの話を聞いていくと結局「キモい」「自己チュー」という感覚的・感情的言葉帰着するので

    あなたの主張は「感情的キモい」以上のものが出てきていません。

    キモイ」は感覚なのは否定しないけど、そういえば「自己中」とか「身勝手」って非論理的な言葉か?

    と思って辞書を引いてみた。そしたら謎が解けた。

    み‐がって【身勝手

    [名・形動]他人のことを考えず、自分の都合や利益だけを考えて行動すること。また、そのさまや、そのような態度。わがまま。「―な言い分」「―に行動する」

    じこちゅうしん‐せい【自己中心性】

    ピアジェの用語。乳幼児の思考様式の特徴で、事象自分立場あるいは一つの視点からしか分析認識できないこと。

    これっていわば特徴の指摘であって、感情とか感覚とは別のものだよね。

    私が気持ち悪いと感じるかどうかは、ある作品の自己中心的さとか身勝手さという特徴とは別のこと。

    あなた

    「私の感覚に合わない」以上のことを言いたいなら論理的な言葉を使ってください。

    と書いておきながら、

    ズラズラ非難の言葉だけを並べたてるのは「論理的」とは別のことです!

    とか書いてるけど、まず他の表現を要求したのはあなただし、並べた言葉別に論理的な言葉ってわけじゃないんですけど。

    あなたは身勝手ですね」というのは「あなたは私の権利侵害していますね」という意味じゃなくてあなた自分さえよければいい、他人のことは考えない人ですね」という意味ですよ。

    あなたは専ら「身勝手」という言葉感情的・攻撃的な言葉のように扱ってるけど、それは普段あなたがそういう言葉で攻撃したりされたりしている(か、他人がそうやって攻撃し合っているのを見ている)が故の思い込みですから。「他人のことは考えない人だからこうやって私の権利侵害するような真似が出来るのですね」の略だからそれは。

    そもそも「論理的」とはどういうことかってこと、あなた解ってないよね?

    「この作品は男の内面を女の身体に語らせており、不当で不誠実で不正確でありかつそれに意図的に目をつぶろうとする身勝手自己中心性をそなえている。ゆえに批判から逃れられない」。AはB故にC。という主張に対して、それが論理的でないということを証明するためにはこの作品は不当でも不誠実でも不正確でもないしそれらに意図的に目をつぶってなどいないということを示さなきゃならないわけ。AはBでない故にCでない、という理屈

    でもそのためには「この作品は男の内面を女の身体に語らせてなどいない」という証拠を出さなきゃならないわけだけど、あなた自分で「そこは間違いない、男の内面を女の身体に語らせている、女を被った喪男である」と認めちゃってる。だから、覆せない。はい論破。みたいな感じになってるんだよ今。

    例えばイタリアに生まれ育ったイタリア人と言うだけで私達とは文化環境も全てが違います

    彼等のイタリア人らしさと言うのはたまに「ナポリピザが食べたい」とか言い出すレベルしか実装されません。

    殺し合いを日常にする犯罪組織の下部構成員の思考回路人生観なんてものも私達の理解や共感からは隔絶する筈です。

    まり「読者が理解・共感できるから本物じゃない」っていう理屈なわけだよね。

    その「本物」って何? って聞いてるんだけど。

    例えばジョジョ5部のキャラヘタリアゴッドファーザーにでもより近ければ「本物」ってことになる?ならないでしょ。

    実在のどんなイタリア人に近づけたとしても「本物」にはならない。何故か?

    ジョジョ5部のキャラクタの「本物」は原作者でも典型的イタリア人像でもマフィアの実態でもなくて、ジョジョ5部のキャラクタ自身だからだよ。

    あの人物像、あの性格設定、あの立場あの過去あの感じ方のキャラクタたちがあの状況に放り込まれたというのがジョジョ5部という物語であるわけ。

    一方「私モテ」の「本物」は"智子"じゃなくて作者であり喪男だけどね。

    そこがジョジョとは違って不誠実だし嘘と飛躍にまみれてるし、個人的な感覚としては薄汚い感じがするっていう人がいるのも解るんだな。

    オリジナリティの有無とか架空性がどうこうとかの問題ですらない。コンセプトがうんこなの。

    言葉ですが、すごく荒木飛呂彦っぽい思考のバリエーションに過ぎないと思います

    モナリザの手がどうこうというのも荒木の関心の範疇です。

    もし”リアル”に性的連続殺人犯を描くのであれば吉良のようにスマートな人物像にはなりません。

    アンジェロみたいになるかもねw

    私は絵面の話をしていましたよね。

    作者の絵がかなり下手なのでわかりにくいですが、目をグリグリと大きく描いていて

    これは「可愛い女の子」として描いていると思います

    絵面の話としてもかわいくはないよ。「積極的に嫌われはしない最低限の程度の容姿女の子」として描いてるだけだよ。

    表情もかわいくないし言動もキモいしw

    かわいいのはもこっちの同級のリア充かいいにおいがするタイプ女の子でしょ。

    こういうレベル必然性でいいなら『私モテ』について私がでっちあげましょう。

    『私モテ』の主人公女性です。

    なぜ『女性』なのか?そこの所なのだ問題は。

    コミュ障オタクなのだから友達ゼロでも通学を続けるタフさが必要だ。

    時には便所飯する可能性もあるし、

    一人で声優イベントに出かけて気持ち悪い妄想にふけるかもしれない。

    女性にはちょっとキツイ設定だ。

    でもそのギャップが逆に考えてみるとおもしろいかもと思った。

    しか女子高生のような、世間ステータスとしてはモテてもいい筈の人。

    主人公女性しかないと思った。

    なんて。

    から、その「面白い」は「男がやるより女がやったほうがいいという面白さ」でしょ。

    「男がやるのと女がやるのとでは描き出せるものが全く違う、女でしか描けない面白さ」っていう6部のそれと違うでしょ。

    しかもその言に則ると私が実際に書いた「見苦しくないとかカワイイとか萌えるかい面白さ」より悪質だよね。

    「女がやった方が見苦しいしキモチワルイしみっともないという面白さ」だよねあなたが提示してるのは。

    それは喪男見苦しさキモさみっともなさからくる面白さなのに、何で女にさせてるの?

    っていうあたりで大元増田ループする。

    そしてそういう女をないがしろにして成立してる描き方は不当だし不快を誘ってもしょうがないので叩かれてしまうのよ、と繋がる。

    ・お言葉ですが、「女ではハードルが高い」みたいな弱さは6部の女性キャラにはあまり描かれてないと思います

    ・「ギャップ」「聖母マリアのような大きな人間愛」という女性イメージはそれこそベタで広義な萌えしかいかと。

    JOJOと『私モテ』はむしろ例外的に変な共通点に満ちており、『私モテ』と異なる作品や作家もっとごまんとあったと思います

    JOJOの話をしてるとJOJOについての見解の差まで話題に混入してきて論点が遠ざかる一方な気もします。

    刑務所ブチ込まれてすぐの徐倫の翻弄されっぷりがその「弱さ」の描写です。まー登場早々例の発言だし1部ヒロインみたいな超おしとやかなお嬢さんの弱さほどは判りやすくないかもだけど。

    ・語義広げすぎ。コアで狭義な「萌え」がメインの作品を正当化するためにわざわざそんな無理矢理共通点作らなくていいですから

    ジョジョネタ混ぜたのは私だがわざわざそれを拾って広げたのはあなたです。

    漫画を描く上で必要なのはリアリティだって有名漫画家が言ってた。

    そら荒木先生の話だと思います

    ・じゃあジョジョはこれで打ち止めとしとこうか。ジョジョ絡めてるくだりにはもう反論とか要らないからね。

    「お前のこの部分の論じ方は詭弁です」という風に書いてくれないと

    どこについて異議があるのかわかりません。

    自分で書いたことくらい覚えとけw行き当たりばったりでいい加減なことばっかり言わないでくださーい。

    萌えるように売れるようにするのが「超いい加減」であれば

    世の中は「超いい加減」な作品で満ち溢れています

    「満ち溢れているから私モテ正当化される」って言いたいみたいだけどそれ詭弁だよね。



    あなたが「叩かれて当然」と力説することと、あなたが気に入らないと言うことは、実際問題イコールになっていると思います

    いやいやいやいやwwその理屈おかしい。

    まず、私があるものを叩かれて当然と判断するか否かと私がそれを気に入っているかどうかはイコールではない。気に入っているものを叩かれたらイヤな気分がするし気に入らないものを叩いてる人間には加勢したくなるかもしれないが、その感情的プラマイ叩きの土台にある批判の論理正当性保証しない。

    「気に入っているものを批判されたのでその批判は不当」とか「気に入らないものを批判しているのでその批判は当然」という理屈ではないわけ。

    そして、そもそも私はい意見を述べただけで力説はしてないしw、私が気に入る気に入らないの表明はしていない。

    それを

    あなたが「叩かれて当然」と力説することと、あなたが気に入らないと言うこと

    という風に表現ちゃうっていうのはあなたが思いこみが激しくてちゃんと文章が読めていないからだよ。

    っていうか、マジ何でそういう理屈が浮かぶの?自分が普段そういう考え方でモノ考えてるからつい他人にも敷衍して考えちゃうの?

    それで結局、『私モテ』の話ではなくオタク向けコンテンツ全般の話にするんですか?

    それで結局、『私モテ』の話ではなくオタク向けコンテンツ全般の話にしたいわけね?w

    あなたは結局、『私モテ』が何故欠陥品であるかについては「感じ取れ」というスタンスです。

    ですがあなたの感じ方を共有出来る人間は限られていて、そうでない人間がたくさんいます

    そのような”他人”に広く物事を説明する手段が論理です。

    違うよ。でも詳細はもう冒頭で述べたし大体いいよね。

    論理は他人に物事を説明する手段じゃなくて思考の妥当性が保証される法則や形式のことだよ。

    説明する手段として使えるとしたら、それは論理が思考の妥当性を保証する法則や形式に則っているからだよ。

    そして元増田記事は則っているし、わたしの主張も今のところ則っている。

    あなたが受け入れられないでいるだけなんだよ。

    何度あなたに「論理を聞かせてください」と言っても

    「明らかに不当、不誠実、間違ってる、何故わからない」みたいな論理性0の返答が返ってきたのは

    自分の感じ方を強い言葉で繰り返すことが「論理であるあなたが誤解をしてたからです。

    違うよ。あなたが不当とか不誠実とかの表現を非論理的な言葉だと誤解しているからだよ。

    不当とか不誠実ということばは「男の内面女子高生の肉体に語らせている作品である、だから不当である」という用い方をされていれば十二分に論理的なんだよ。

    あなたが目をつぶっているだけだよ。

    何故そんな無意味な嘘を付くのかわかりません。

    だってそこのところにこだわりがあるみたいだったからねw

    から十まで全部私のトラバなんだってお墨付きがあった方が心地よくやりとりできるでしょ?

    「ないがしろにする」の意味は不明なままでした。

    読むところが違うのであれば具体的に抜書きで提示してください。

    例は「大人をないがしろにする」っていうヤツだけど。

    大人をないがしろにするっていうのは例えば、「この局面でこんな言動する大人いねーよ!」という大人を出すという事だ。

    こんなに簡潔に書いてあるのに見逃すとか、見たくないもの見なさすぎでしょw

    あなたが今肯定した論理であれば「基本ファッション雑誌なので」なんてことは言い訳にならないはずです。

    CanCamは20代前半女性以外をないがしろにしてはいけないので、

    中高年のおじさんが読んでも幼稚園児が読んでも有意義情報摂取できる誌面づくりを心がけるべきですよね。

    有意義情報摂取できる」っていうレベルは要求が高すぎ。「有害情報は掲載しない」程度が妥当かな。

    で、心掛けてるかはともかくまあまあそう出来てるかな、という意味で「すべて女性向けで不当っていう感じでもない」と位置付けたの。「つーかananのがひどいので例として適当」というのが本題なので、そこと繋げるためにね。

    cancamの紙面構成は広告で4割、ファッションスナップスタイリング例で5割(逆かもわからんが)、読者ページが1割ってところだよね。有害な可能性が最も高いのは読者ページで、理想の男像とか男はこんな女が好みとかが結構偏ってる可能性があるのでNG。

    …くらいまで書いて気がついたけどごめんアレだMoreとかnon-no勘違いしてた。ちょっとcancamのくだり全面的に撤回するわ。映画館が不当って話だけにしてちょ。

    この基準に従えば確かに

    『私モテ』はたくさんの人をないがしろにしていますね。

    ただ、私はこの基準には不賛成です。

    これを適用すると無傷で済む人や人工物はこの世に存在しなくなり、

    結局無意味化するアホらしい基準だと思います

    あなたが賛成か不賛成かはこの基準が論理的に適当か不適当かを意味しないです。

    感じ方は否定しないけどそれで反論になってると思ってるならそれこそ無意味だよん。

    1.女性向け雑誌女性向けの誌面を作って男性を読者層から除外するのが男性への攻撃だとは思えません。

    2.男性女性向け雑誌を読んで、「つまらなかった」「買って損した」と感じるのはおかしくないと思います

    3.ただ、それでその女性誌の悪口を言ったり、編集部に苦情の電話を入れ始めたら、頭がおかしいと思います

    そうかあ

    例えば一時期の○○男子叩きは著しいものがあったでしょ。眼鏡だの理系だの肉食草食だの。今でもイヤだと思ってる人結構いる気がする。

    あれは男性へのレッテル貼りが不当だったか男性不快を誘って批判に至ったわけでしょ。

    同じ事だよ。

    あなたが楽しく笑ってるようには到底思えません。

    無意味なやりとりはやめましょう。

    まあぶっちゃけちゃうと、これまでのところ「(失笑)」って感じだからねえw

    もうちょっと面白いこととか鋭い指摘とかしてくれればいいのに、滑ってばっかりなんだもん。

    思い返せば作品に関する事実はいくらも語られて居ないんですよね。

    作品について「これはもてない女性ではなくコミュ障オタク男性だ」と指摘したのは私で、あなた同意していると思います

    いいえ同意してません。「これはもてない女性ではなくコミュ障オタク男性だ」と指摘したのは大元増田記事です。あなたじゃないです。

    あなたの「奇形的だ」という指摘には私は賛成しました。

    あなたの「嘘がある」「飛躍がある」という指摘に私は賛成しました。

    作品についての指摘・認識あなたと私はほとんど一致してるんですよね。

    ただそこから展開する、

    「非である」「描き直せ」的な主張はなんでそうなるのか論理的な説明が無いのでわかりません。

    作品についての指摘・認識は私とあなたほとんど一致していませんよ。

    まず「描き直せ」とは誰も言っていません。あなたは私の批判をそういう方向の攻撃として捉えているわけですねw

    描き直しは別に求めていません。「そういう描き方をしている限り叩かれるのは必至だよね」と言っているだけです。

    「非である」という批判が生じることをあなたが理解できない理由は簡単です。

    私が再三言っているこの作品の自己中心性とか身勝手さとか不当さについて、あなたは用語レベルで誤解していましたしスルーを決め込んできたからです。

    「嘘」「飛躍」の有無や奇形性はその自己中心性や身勝手さや不当さの論拠であるというのに、なんでそこが認められないんですかねー。という感じです。

    何故そう不毛なところで必死になるのか理解に苦しみます

    力を入れるところが間違っている気がします。

    えっ何?当たってた?当たってた?ww

    だってすごい解り易いんだもんwww

    あっごめんねwwこんなに笑ってるとまた傷ついちゃうよねww

    2012-06-20

    ギリシャ20人と話しました 続き

    http://anond.hatelabo.jp/20120619092231

     もちろん私も全面的にギリシャ人は悪くないと思っているわけではありません。思うところをギリシャ人にぶつけてみましたが、論理立ててきちんと話せる人はそんなにいないんですよ。

    日本人でも、消費税上げると言えば「それはやだなあ」という人が多いはずで、じゃあ、どうすると聞いたところで、論理立ててどうこう言える人はほとんどいないですよね。それと同じで、ギリシャ人の政府が悪い、外国資本が悪い、IMFが悪いというのも、直観的な話であって、「私たちが悪いのではないのだから、外部に悪い原因があるに違いない」という感覚的な見方が大半です。

     いや、統計的にはこうなっていて、こういう構造的な問題があってというレベルで話せた人は、例の経済学者日本に住んでいた人だけです。

     日本語勉強しているという大学生は、彼は母親ドイツ人で、ギリシャではドイツについてネガティヴなことを言われてうんざり、という風でしたが、日本ウェブでのギリシャ批判に目を通して、「ひどい、差別だ、偏見だらけだ」と憤っていました。そりゃ、あなた2ちゃんねるばっかり見るから…。彼は、スペインイタリアほとんど批判されていないのにギリシャけが批判されている、差別だ、と言っていましたが、その発想自体が問題じゃないかしらと私は指摘しました。プライマリーバランスが悪いわけではないイタリアスペインを同列に扱う訳にはいかない、イタリアスペインユーロゾーンの信用不足の煽りをくらった二次的な被害者という側面があり、国家財政の収支を虚偽改竄したギリシャと同列に扱うとしたらそれこそが差別だ、ギリシャ人の事実を捉えられない、我が身のみを憐れむメンタリティが批判されているということがどうして分からないのかと聞きましたが、そこから先は発狂状態でインタビューどころではありませんでした。

     ギリシャ政府を選んだのはギリシャ国民なのだから政府を批判してことたれりとしているギリシャ人のメンタリティおかしいのではないかともインタビューをしたすべての人に聞きましたが、うん、そうだね、みたいなことを言ったのは、日本在住15年歴のある老人のみでした。彼は物の見方が一般的な日本人ほとんど変わらないというか、ギリシャに対して、場合によっては辛辣すぎる見方をしていたので、ギリシャではなかなか生きづらいのではないかと思います。そう聞いたら、「そうだね、横浜の水準に慣れてしまっていたから、帰国して数年はいちいち腹を立てていたものだが、今もし日本に戻ったら、私なんてまるで使い物にならないだろうね」と笑っていました。彼が言うには、もともとギリシャ地政学的な理由から列強によってこしらえられた国で、ギリシャ人というまとまりもなかった。そこでありもしない古代ギリシャとの連続性を持ち出して、ナショナリズムを煽った。作られたものから空虚で地に足がついていない。それに加えて第二次世界大戦から戦後には血で血を洗う内戦があり、軍政もあった。公共に対する一体感責任感は育ちようがない。数々の矛盾をその時々に解決するのではなく、民主主義政権ネポティズムで支持者を増やしたり、福祉で懐柔して、やり過ごしていただけだ。ギリシャ人にはナショナリズムはあっても愛国心はない。

     彼はそう言っていました。

     民主主義は、民衆責任を誰かに押し付けることが出来ないという一点において優れた政治体制であるとかのヤン提督は言いましたが、実際には民衆はそうそう物分りがいいわけではないようです。それにある政党投票たからと言って、このような不正が起こることまで予見して、その責任民衆に負わせるというのも、おかしな話ではないでしょうか。

     何度か話に出てくる経済学者ナショナリストで、その見解はいちいち鼻につくところが多かったのですが、たとえば、そもそもの遠因としてギリシャユーロゾーンに加盟できたこと自体、ヨーロッパ古代から続くアジアに対するレイシスト意識と関係しているのではないかと私は疑問を提示しました。たとえばキプロス問題は経緯を見る限り、九分九厘ギリシャ責任なのですが、トルコのみがなぜか悪者として欧米メディアでは扱われている。一事が万事ギリシャについては、ギリシャ西欧文明揺籃の地として取り込まなければならない西欧側のコンテキストに沿って、ある種のプレミアが無条件に与えられてきたのではないか、そのプレミアが建前と現実乖離をもたらしたのではないか、と私は尋ねました(こういうレベルのことを聞けたのは経済学者氏に対してだけです)。

     彼はいちいち反論というか糊塗をしてきたのですが、それは歴史修正主義者が実際にはどうかと言うことよりも「やる」という意思で事実を取捨選択するような、意志産物であったのですが、そういうことをしようと思えばやれるわけで、現実ギリシャが困窮していると言う事実から敷衍すれば詭弁なのですが、ある程度の知識人にも事実よりはフィクションを優先させる態度があるのではないかとは思いました。

     

    2012-06-04

    http://anond.hatelabo.jp/20120603164054

    おいおいおいおい、鬱病云々はどうでもいいが、

    「わかってるけどわざと文意を厳格に適用しようとして言ってるなら元増田エスカレーターのじいさんと同じじゃないか、、、。」

    おじいさんの言い分のコメントもなにもない状況で、君はこの文を何を根拠にして言っているの?


    おじいさん擁護とかそういうのではなく、おじいさんの気持ちや動機、まして彼が置かれている社会的環境なんてのは想像妄想しかないわけで、そんな要素が議論に持ち込まれること自体、ましてそれによって他人を断罪すること自体がおかしいとは思わないか

    「要は、人間ていうのは精神的にダメになるときがあって、そのときにしてしまう他人に迷惑をかけてしま行為等のダメ行動を、どう評価するのかって話でしょ。

    あくまで悪として断罪するのか、それとも、自分の中にある精神的にダメになってしまうかもしれない可能性を見つめて、ある種共感的に、寛容に見るのかって話で。」

    これも元記事の流れから敷衍すれば主客転倒というか、自分相対性自体を認識できていないよね。

    ・まず、エスカレーターの片側をあける行為、そこを駆け上る行為自体、違反である

    しか現実運用ではそうなっていない。

    ・多くの人がそうしている理由は、単純に他の人がそうしているから、である

    エスカレーターの片側をふさぐ行為自体は、違反性は何もない。ただ少数派、というだけのことである

    ・二人の成人がエスカレーターに並列して立っている時に、成人男性が、立っている人に何らかの迷惑行為を働くことなく通り抜けることはほぼ無理である

    普通はそういう状況であればわざわざ追い越しはしない。

    まあ、以上のような条件があるとお互いに認めるのはそう無理な話ではないだろう。その上で、精神的にダメになっている人って誰の話?じいさん?それとも追い抜いた40代の男?

    どっちでもいいけど、君がじいさんにまったく共感してないのは君の論とは矛盾しているのではないでしょうかね。

    2012-04-16

    http://anond.hatelabo.jp/20120416213523

    養育費を払わない親は国が強制的に徴発徴兵して給料天引き養育費を払わせる制度確立したい。

    いんぽっしぼー。

    兵士なんて抱え込んだって経費かかるし意志して入ったわけでもないと能力努力も追いつかなくて使えない人材化する可能性があるし、何より天引きする給与税金

    まり税金で親養って子どもも食わせることになる。そう、生活保護制度です。徴兵意味ねー。

    そしてこのクソ仕事のないご時世に(天引きされるにせよ)特権的に給料もらえるとか きが くるっとる って言われちゃうヨ☆

    制度を敷いて全面的に適用しないと自分自身の権利自分の子供の権利も守られないか敷衍する必要がある。

    お前の制度設計だとお前の権利子ども権利も守られないよ。

    だって腹蹴って殺すなら殺していいんだろ? 戸籍には永遠に残るんだろ?

    私は風俗嬢から快楽のためではなくて仕事からやっている。

    前のレスで車に乗せてもらえるからとか食事おごってもらえるからとか優しくしてもらえるからかいろいろセックス提供することによる利益を列挙したけど、それはプライベート空間と仮定した場合のたとえ話で、風俗ではそれらが全部金銭に等価換算できるのね。

    私が今言ってることとやってることが矛盾しているのは、私自身の現状を変えたいのに現行の法体系だとそれが実現しないので、提唱しているからなんだよ。

    客が妊娠に対する責任を負わずセックスしたがるのが許せない。

    性欲処理の場も許容するにせよ、いかなる状況であれ自分が作った子供を育てるにせよ殺すにせよ責任を果たさなければいけない社会にしたいんだよ。

    殊勝な女のふりはよせ。他の風俗嬢迷惑だ。

    お前の法設計ではどのみち風俗の客に妊娠に対する責任を負わせるのは不可能だ。だってお前ゴムピルしか知識がなくて、しかピルは禁止とか言ってるし。

    ゴムピル両方併用したって妊娠するとき妊娠すんだっつの

    あと法律が変われば現状が変わるとかないからwどんだけ他力本願なの?

    http://anond.hatelabo.jp/20120416194354

    ちょっと前のデータはい母子家庭に対する支払い率が17%という恐ろしい養育費差し押さえで取れると思ってるならそれに賭ければいいじゃん。

    養育費を払わない親は国が強制的に徴発徴兵して給料天引き養育費を払わせる制度確立したい。

    お前が、お前の子どもを、腹蹴られて殺されればいいんじゃん。

    殺した男に殺人犯として罪を償わせたい。自分も償う。

    中絶を全面的に犯罪適用する必要性がどこにもない。他の男女に敷衍する必要はまったくない。

    制度を敷いて全面的に適用しないと自分自身の権利自分の子供の権利も守られないか敷衍する必要がある。

    な、無理があるんだって、その「設定」は。

    自分快楽のためにセックスしまくりの女が(毎日とか粘膜すり切れるわw)「楽したい快楽のためだけにセックスしたいからって子供殺してへらへら生きている屑どもがむかつくだけ。」って、完全に矛盾しててあり得なすぎるんだよ。

    私は風俗嬢から快楽のためではなくて仕事からやっている。

    前のレスで車に乗せてもらえるからとか食事おごってもらえるからとか優しくしてもらえるからかいろいろセックス提供することによる利益を列挙したけど、

    それはプライベート空間と仮定した場合のたとえ話で、風俗ではそれらが全部金銭に等価換算できるのね。


    私が今言ってることとやってることが矛盾しているのは、

    私自身の現状を変えたいのに現行の法体系だとそれが実現しないので、

    自分理想を実現するために必要社会制度の構築を提唱しているから。

    社会全体が変わらないと私個人の環境も変わらないから。



    客が妊娠に対する責任を負わずセックスしたがるのが許せない。

    性欲処理の場も許容するにせよ、いかなる状況であれ自分が作った子供を育てるにせよ殺すにせよ責任を果たさなければいけない社会にしたいんだよ。

    http://anond.hatelabo.jp/20120416193731

    じゃあそれでいいじゃん。

    ちょっと前のデータはい母子家庭に対する支払い率が17%という恐ろしい養育費差し押さえで取れると思ってるならそれに賭ければいいじゃん。

    お前が、お前の子どもを、腹蹴られて殺されればいいんじゃん。

    普通は「妊娠したら産む」ときたら、「絶対腹蹴って殺させたりとかしない、やってみろ必ず復讐に行く」くらいになるところだが。

    中絶を全面的に犯罪適用する必要性がどこにもない。他の男女に敷衍する必要はまったくない。

    な、無理があるんだって、その「設定」は。

    自分快楽のためにセックスしまくりの女が(毎日とか粘膜すり切れるわw)「楽したい快楽のためだけにセックスしたいからって子供殺してへらへら生きている屑どもがむかつくだけ。」って、完全に矛盾しててあり得なすぎるんだよ。

    2012-03-18

    http://anond.hatelabo.jp/20120318122042

    マジレスすると、最高裁判所判決に理由をつけない。

    なぜなら、理由をつけるのは、敗訴した当事者が上訴するための便宜だから(「この理由はおかしい、もう一度争いたい」)。最高裁はその事件について最後の判断機関から負けた方も上訴ができない。だから、理由をつけない。

    まり裁判所教育機関ではないし、教育機関でないこと以外に判決理由をつける根拠があるということ。

    で、面接で落とされたシュウカツ生が理由を知りたい云々についてだけど。おれは元増田に賛成。というか、理由は一言で言えば「会社が求めている人材ではなかった」だから、それを敷衍する必要があるのか、というと、会社側にはまったくない(時間とられるし、逆恨みの可能性だってある)。面接担当者学生に聞かれ他時に答えたければ答えればいいし、答えなくてもいいんじゃねーの。将棋感想戦みたいに、振り返ることによって双方にメリットがあるという話ではないしね。

    それに、学生面接担当者に聞くことが唯一の「面接で何が悪かったのか振り返る」機会ではないしね。自分で振り返ったり、先輩に聞いたりすればいいんじゃないの。面接担当者が仮に不親切にも落ちた理由を教えてくれなかったとしても、それに文句をいうだけの正当性があるとも思えん。

    2011-12-27

    http://anond.hatelabo.jp/20111227195726

    横だが、この手の議論を見ていると、高尚な学問の広がりの先に(いや逆か?)小中高生のやっているガクモンがあり、その広がりというか敷衍している状況を教えるべきだ、もっと言うなら知らない奴はバカ、

    みたいな議論が出てくるんだが、はたしてどうなんだろうか。

    教育課程の範疇意識するなら、標準的なレベルを想定するべきだろうし、塾などでは余興や知的好奇心を喚起する意味でも、学問香りをかがせることに意味があるかもしれないけど、

    そういう例外を除けば、たんにツールとして使えればいいんじゃないかと思うんだが。

    なんてことを書き出す「自称哲学分かっている俺」のせいで哲学世間では「かっこうわるい、うざい」印象を持たれてしまって悲しいよね。

    最初の疑問に立ち戻るなら、幼少期から知的好奇心を十二分に刺激された人が、今現在どのような環境に置かれているかを観察することが求められているのかもしれないし、

    そこに何か鍵があるんじゃなかろうかと思ってしまう。いや、そういうところの学習能力は、高尚な学問ではどのように整理されているのだろうかと疑問に思ってしまう。

    2011-08-29

    オトナになろうよ

    かつて純真だった若者は、あるとき世の中にある『利権構造』というものを教えられたとき社会の全てのカラクリが解けたような気になる。

    それまで、どうして貧富の差が大きいのだろう?どうして政治家馬鹿なことをしているのだろう?どうして愚かな戦争が起こるのだろう?・・・と、純粋なる心で不思議に思っていた疑問に対して、『カネ』とそれに執着する『悪い人』の存在ベースにした説明は明快で、非常にわかりやすい回答を与える。

    そしてそれを知ったとき、世の中の汚さを知り、若者ひとつオトナになる。


    ---ただ、いつまでたってもそれ以上に考えを進めず、それで自分が賢くなった気でいる"オトナ"があまりに多い。

    「それが世の中の全てさ」とそこで思考停止し、シニカルに批判してペシミストを気取る。

    それは究極、「みんな『悪い人』が悪いんだ!」と誰かのせいにしているだけである。これが本当にオトナの考え方だろうか?


    本当に様々な経験を重ねたオトナなら、一度は、こんな経験をするはずだ。

    「誰も何も悪くないのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・

    正義正義がぶつかった諍い。善意が招いてしまった失敗。一部でなく全部を満足させようとして結局全部ダメに。

    悪人はどこにもいなかったのに、結果的に誰かが酷い目にあってしまう哀しい構図。

    ---『悪い人』がいなくても、結果として『悪いこと』は起こり得る・・・

    それを知ってから、改めて歴史社会を見直す。すると、かつて「一部の悪い人の利権」をベースとした説明ですっかり理解した(つもりになっていた)『悪いこと』を起こした原因に、『悪い人』は誰もいなかった-無知や誤解や失敗があっただけ-というケースがとても多いこともわかってくる。

    からこそ、我々は、自らの『正しい』行為意図せず『悪』に転じないように、よく学び、よく考えて、慎重に自戒しながら、生きていかなくちゃいけない・・・

    それを知ったとき、人はもう一歩オトナになるのだ。


    ところが、残念ながら、そこの段階に進まない人は多い。

    進まない人をここでは「第1段階のオトナ」、そこから先に進んだ人を「第2段階のオトナ」と呼ぶことにする。

    第1段階のオトナは、前述のような、誰も悪くないのに結果として失敗してしまったような状況で、自分世界観に合わせて『悪い人』を探し出そうとする。

    ”私達と逆のことを言う人間は全員、真実がバレたら『都合が悪い』連中で、つまり利権』を受け取っているに決まっている。

     「そうじゃないよ、悪い人のせいじゃないよ」と語るマスコミ知識人はみんなその利権に買収されている御用業者だ。

     一般人で彼らを擁護する人達は、みんなオトナの知識(利権構造)を知らないコドモだから、すっかり騙されているんだよね。バカだなあ。”

    ---と。

    そうして、一切を『悪い人』のせいにして、その証拠が無いのは『隠蔽』されてると決めつけて、それに対する反論はすべて陰謀無知によるものと相手にせず、自分は「騙されない人間」「裏事情通」という"高み"にいるつもりになっているのである

    さて、誤解されてはいけないが、第2段階のオトナは、世の中に『利権』『保身』による悪なんて全く無い、などと言っているわけではない。

    第1段階を一度は経ているから、大企業財界政界がそれに染まっていることは当然、社会人常識として知っている。

    第2段階のオトナは、利権構造の悪を知りつつ、それを自分とは全く関係ない他者のものとしては捉えない。

    我々に出来るのは、「他人のせい」にせず、すべてを自らの問題に布置して考えることだということを知っている。

    そもそも『利権』『保身』に無縁な人間など居ないのだ。

    家族持ちの正社員がある日突然「お前の業務なんてアルバイトで充分だから明日からバイトの身分になれ」と言われたら、給料社会保障という『利権』を守るため、正社員の地位を守るため『保身』に必死になるだろう。

    あなた中小企業社長で、もし最大の取引先から突然「もっと割のいい会社と取引することにしました、サヨウナラ」と言われたら、部下の社員達のために『利権』を守ろうと必死で裏接待でも賄賂でも何でもして、取引先から得ている『既得権益』を守るために必死になるだろう。

    それを責められるだろうか?

    結局、大企業政治家の『利権だってその延長上にある。

    トップになればなるほど、多数の部下を護る責任は大きくなる。最終的には日本全体に対しての責任が出てくる。

    彼らが背負っているのは決して「自分の贅沢」「地位」「名誉」だけじゃないのだ。

    そして彼らは、日本代表として不当なほどの『利権』を世界の中で奪ってくれてきた。

    結果は、税金などを通して、我々日本国民全員の豊かな暮らしにちゃんと反映されている。

    彼らの『利権』に与かってきたのは、誰あろう私たち全員だ。我々は決して、無垢な第三者ではない。

    政府に至っては、我々が選挙で選んだ、我々の代表だ。

    日本はなんだかんだ言いながらちゃんと民主主義である制度に問題はあれど、究極は一票一票の積み重ねが、現政府を選んだ。

    なのに第1段階のオトナはしばしば、『政府』というものを、どこか自分とは縁のない陰謀世界から派遣された『恐ろしい権力』と考えてるとしか思えない言動をする。

    困ったことに知識人とされる人の中にも第1段階のオトナがいて、コドモから第1段階に至ったばかりの人たちを扇動し、居りもしない架空の『闇の勢力』を攻撃することに無駄エネルギーを注がせている・・・

    第2段階のオトナは、利権構造人間の保身的な行動というものをちゃんと認識しながらも(第1段階)、全てを『悪い人』のせいにして思考停止せず、自分自身の問題に敷衍して全ての情報を考える。

    そして意志表明の手段として、選挙に行く。


    全てのオトナが、第2段階以上のオトナになれるよう、リテラシー教育が必要だと強く思う。

    2011-08-19

    http://anond.hatelabo.jp/20110816220206

    こんにちは絶望格差を書いたマスダです

    思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います


    [上から目線ではないか]

    観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分ブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います当事者たちから感情的な反発が来て、社会的リンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります


    [地主のことが書かれていない]

    H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しか郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです


    [戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]

    現在高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。


    [新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]

    これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステム上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官まりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです


    [金持ちを引きずり落とす必要がある]

    金持ち貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピン現在の姿を比べれば一目瞭然ですメリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者メリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力報酬」を与え、原住民努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります


    [アボリジニの盗まれた世代を肯定してしまうのではないか]

    そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待助長しているのではないでしょうか。

    家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義ダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。

    じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思いますしかし問題があるものをないということは出来ません。


    [原住民別に不満に思っていない]

    不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分子供努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います

    原住民友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館貧困ビジネスをしていたんだなと思います


    [原住民にも向学心はある]

    逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です

    2008-03-19

    [][][][][]多量の思想を少量の言葉に収める。

    読書について ショウペンハウエル

    精神を備えた人々は、より具体的な表現をえらぶ。」p.65

    「いったい人は何か真実ものを伝達しなければならない際に、曖昧な語り方に努めるであろうか」p.72

    「少量の思想を伝達するために多量の言葉使用するのは、一般に、凡庸の印と見て間違いない。

    これに対して、頭脳の卓抜さを示す印は、多量の思想を少量の言葉に収めることである。」p.74

    「真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。」p.74

    言葉芸術でも不要な一切の美辞麗句無用敷衍表現過剰を警戒し、純粋無垢文体や話法に努めなければならない。」p.75

    「真の意味での、簡潔な文体、充実した高雅な文体は、ただ豊かな思想、内容あふれるばかりの思想から自然生まれる。」p.105


    人の時間には限りがある。

    独り善がり

    [B! 論文] 東大で学んだ卒論の書き方★論文の書き方

    ログイン ユーザー登録
    ようこそ ゲスト さん