はてなキーワード: 広告塔とは
だけど、安河内先生ですら受験シーズンとか夏期講習とかは普通に休み取ってるのに
なのにレギュラー番組なんか持ってるから、普段予備校の先生って実は暇人なのかと勘繰ってしまいたくなる。
前に織田裕二主演の坊さんがカリスマ予備校講師になるみたいなドラマやってたけど、
だけど、あれがリアルなら林先生、早く東進ハイスクールに帰らないと居場所がなくなっちゃうんじゃないか
ってそればかり考えるようになるし、凄く心配だ。
予備校って僕も受験生の時は二年位(浪人期間含む)通ってたけど、割と暇じゃなかった思い出だった。
それとも人気講師になると、そういう都合が上手く突くんだろうか。
北朝鮮から、自由を求めて - One Young World
https://www.youtube.com/watch?v=ApSMANpOI1Y
「北朝鮮は人権無視のひどい国です。世界のみなさん、北朝鮮の民衆を助けるために声を上げてください」
ところで、自分は世間の情報に踊らされないように心掛けていることがいくつかある。
たとえば、
・子供を前面に押し立てる政治的スピーチは逆バイアスをかける(例:大阪の芋掘り保育園)。
.
・女性を前面に出している政治的スピーチは逆バイアスをかける(例:アウン・サン・スーチー)。
ジャンヌダルクから樺美智子まで、勢力糾合とムード強化の広告塔に女性が使われることが多いから。
.
・美少女を前面に出している場合は、さらに逆バイアスをかける(例:中東のマララ・なんとか)。
子供×美人×女性で三役。庇護欲をかきたてることで印象操作をされる可能性があるから。
.
・美少女の涙ながらの訴えには、さらにさらにさらに逆バイアスをかける(例:湾岸戦争のナイラ)。
なんかがそうだ。
けれど、もともと内乱に外部勢力を呼びいれて利用するのに定評のある半島であるからして(隋とか日本とかアメリカとか)、半島発のあらゆる証言はいったん判断を保留することにしているうえに、こんなあからさまな印象操作のテクニックをフル装備したうったえを聞かされたら、「まずは、そのスピーチをセッティングした仕掛け人はだれよ?」とみっちり疑ってからじゃないと、耳を貸す気にはなれない。
こんな俺は、ゆがんでいるだろうか?
これは詰まる所、アイドルがウンコするとか、処女じゃないとかっていうのと同じな気がしてならない。
愛する彼女がイスラム教だったら別れますというような物にも近いかも知れない。
そう考えたら誰かが好きでも宗教上の理由とかタブーを犯してたら嫌いになるって人は
そもそもその誰かの事を好きじゃなかったんだと思われる。
彼女が今まで自ら学会員である事を発表する事に抵抗があったのは、
創価タレントというのが極めて下劣な存在だという見方が根強いためでもあり、
これまで築き上げてきたイメージが損なわれる危険性も孕んでいるからだろう。
井上真央の場合、そのような状況が酷く苦しいものだったに違いない。
それを察した実母が週刊新潮の取材にあくまで身内の第三者として答えるという
訳の分からない事態になってしまったのは、井上真央のイメージ低下を恐れたためだろうし、
記事にも書かれている広告塔としての選挙や大河でヒロインを射止めた事の相乗効果を期待してのものだろうと予想される。
但し、今度の発表は井上真央にとってはいい迷惑だったのではないかと考える。
そもそもこれまで本人が発表しなかったのは、件のイメージ低下を危惧してのことだったし
それなのに実母が、勝手に週刊誌にタレ込んだのは心外だったのではないだろうか。
筆者の家族で彼女の熱心なファンがいたが、この報告を見て彼女のファンである事を辞めると言った。
友達の友達がアルカイダと言った元大臣に嫌悪感を抱いたのと同じである。
創価学会というのはステータスにはならず、寧ろ現在ではネット上における嫌悪対象の一つとしてはあまりにも有名である。
そのような中でのこの報告はかなり負のイメージに捉えられる可能性がある。
現に同じく学会員の松山ケンイチ主演の大河ドラマ「平清盛」では脚本や演出の昏さのせいもあるが、かなりの低評価だった。
筆者も正直キッズウォーの時代から彼女のファンであったが、創価学会については嫌悪感甚だしい。
筆者のようなライトユーザー(最初に書いた事を前提とすればファンですらなかった可能性もあるが)ですらそうなのだから、ヘビーなファンが多い井上真央信者は今度の件が原因で遠ざかるのではないか。
そう思えてならないし、悲しい話である。
MIT Media Labからシリコンバレーのスタートアップ投資機関まで 「リクルート2週間アメリカ横断インターン」で得たものを参加学生たちに聞く - はてなニュース
アメリカ横断インターンシップを実施したという記事。この会社は、見せかたを大事にするというか、メディア戦略に力を入れているというか、ご丁寧に動画まで製作してて、「スゴいことやってる感じ」を出すのがうまい。(余談だが、メディアが外に発信しようとしているイメージと現場の社員がもっている意識のギャップは大きい。『「エンジニアならリクルートには入るな」のイメージが変わった』というイメージは、リクルートで働き始めたらまた変わると思う)
ここ数年で、IT系のインターンが増えている。Web系の企業は早い時期からインターンを実施してきたし、他にも、広告系(アドテク)や、データ分析に関する募集もよく見るようになった。私自身も、学生のときにいくつかインターンに参加してきたし、社員としてもインターン生と付き合う機会があった。その体験も含めてIT系のインターンと参加する学生に対して思っていることを書いてみる。
先の記事に戻ると、はてブのコメントにもあるように、ちょっと違和感を覚えるひとが多いんじゃないかと思う。優秀そうな学生がアメリカを横断する途中で、様々なスタートアップや観光地の前で記念撮影をしてるだけのように見える。「...が良かった」とか「...がすごい」とか、中学校の修学旅行じゃないんだから。インターン中にグローサソン(そんな言葉があったのか!!)を実施したらしいが、学生が製作したものには、ほとんど触れられていないので、インターンの成果は彼らの「感想」でしか語られていない。おそらく、彼らはインターン生として優秀であることは間違いないと思う。面接をうまく切り抜けた頭の回転の速さとそこそこのエンジニアリングの能力は持っているだろう。しかし、「インターンで優秀」≠「実務で優秀」だ。
実は、参加者のひとりに見覚えのある顔があったが、以前、某WEB系のインターンで、私がお手伝いしたプログラムに参加していた学生だった。直接面倒を見たわけではないけど、ちょっとコミュニケーションに問題があるとそのチームのメンターが嘆いていた。コードが書けない学生より、そういう学生のほうが、印象に残るものだ。Androidアプリを作成するプログラムだったが、その学生はバイト先でフロントエンドの開発経験があり、他のスキルがなかったので、フロントを担当したらしいが、自作ライブラリを利用する事に固執してしまって、最後の最後まで、フロントの実装がボトルネックになったそうだ。(インターン中、自作ライブラリを利用する事の意義をメンターに説いていたらしい)。インターンに参加するには、面接を数回行うだけ、コーディング試験等はなかったので、研究やバイトでそこそこ経験があるっていうだけで、参加できちゃう学生もいるんだなと当時は思った。
ちなみに、そのプログラムは複数会場で90人程度が参加していた。終了後に、優秀者へのご褒美として、とあるニューヨークの企業でのインターンの機会が与えられた。10日間くらいの開発の貢献度や、実際に製作したアプリの完成度を評価するので、ある程度開発できる学生が優秀者に選ばれたが、その学生はもちろん選ばれなかった。ニューヨークでのインターンの目的は、その年の、そして次年度以降のインターンのための広告塔だったわけだが、わざわざ海外へ行かなくても学べること、作れるものばかりだった。(アメリカ横断インターンの記事を見て、ああ、あの学生でも参加できるものなんだと思ったことと、私自身がニューヨークでのインターンに参加していたことが今回書く動機でもある)
おそらく、アメリカ横断インターン生の中には、参加前に想定していたこととのギャップに気づいている人もいたと思う。「なんだ座学だけか、自分の研究やバイトを休んでまでやることじゃないな。まぁタダで旅行できるし、今後の就活でアピールにはなるかな。」という感じで。とはいえ、お金をかけて企画した採用担当としては、「ぼちぼちでした!」なんて感想をメディアに載せるわけにはいかないし、そんなこと考えてる学生が、のこのこ顔出しのインタービューに参加するわけもない。
私は数学科出身なので、インターンの場でしか情報系の学生と関わる機会がなかったのだが、口で言っていることに技術が追いついていない学生は多い。もちろん本当に技術があって、(プロマネ的な観点で)気配りが上手な学生もたくさんいる。そういう学生は、数学や統計学、物理学などのバックボーンがあり、「Railsが使えるだけ」とか「スマホアプリ作ったことあるだけ」という、なんちゃって学生プログラマとは違い、意識の高さもだいぶ抑えられている。プログラミングはただの手段だよねっていう認識をもっていた思う。
口ばっかりの学生は、いわゆる「意識高い系」が多い。インターンに参加しない学生をdisることで、おれは行動している(だから将来成功する)ってことを主張したがる。あと、ジョブズやザッカーバーグの話をするのが好きだ。彼らに哀愁があるのは、バイト先など、小さなコミュニティで頭ひとつ抜ける程度には優秀であるが、ジョブズにはなれないこと、それにはまだ気づいていないけど、いつか絶対に気づくことだ。そして「(学生にしては)優秀だねぇ」という言葉をもらいながら、どんどん意識が高くなっていく。こういった「優秀な」学生が、実際の業務でも優秀かというとちょっと怪しい(弱い相関はあるかもしれない。ブログの更新が多い学生は要注意)。私が一番苦手なのが「分からないから教えてください」ではなく、「専門じゃないです」と言う学生(新卒)だ。専門という言葉は、知らないことの免罪符にはならないと思うのだが、これまでの輝かしい「インターンの実績」がそう言わせるんだろう。
「プログラミングで世界を変えたい」とか「新規事業をバンバン作りたい」という志があること自体はいいことだと思う。しかし、実際の現場では、プロジェクトが既に回っていることがほとんどだ。安定した運用を続けることや作り手にしか変化が分からないような改修作業をすることだって多い。学生に夢をもたせるインターンは、やはり人気があるのだが、夢や志を入社前に与えすぎると、業務の地味さとのギャップが大きすぎて、「これじゃない」という気持ちから数ヶ月で辞めてしまうことだってある。本来のインターン(就業体験)ではなく、人集めのパフォーマンスになってしまうと、学生にとっても、現場の社員にとっても、時間と機会の無駄になってしまうのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20141102142710が長くなってまとまり悪くなったので改めて。
現在のサイクルは
↓
↓
↓
↓
↓
↓
という形。
これをもっとも強力な形で進めていたのがかつての代アニこと代々木アニメーション学院で、授業料や入学金として集めた金を使ってアニメやラジオのスポンサーになり、直接CMを流しまくるだけでなく、卒業生・在学生を声優として押し込むことで拡大再生産を続けていた。
結局、経営がいい加減だったのと、各声優事務所が直接養成所を設立・運営する傾向が強まった事と、より洗練された方法を使う後発企業(AMG、アミューズメントメディア総合学院が筆頭)に追撃されたことで代アニはあえなく経営破綻と相成ったが、このサイクル自体は現在でも機能している。
近年のトレンドとしては少子化で学生確保に苦しむ大学や短大が「声優養成」と銘打ったコースを新設する動きがある。これは多分成功しないのだが、事務所側にしてみれば、講師としての働き口が増えるだけの話なので、ありがたく利用しているようである。
http://anond.hatelabo.jp/20140701122439
読んで思った。
めちゃイケ世代だってこともありたまに極楽山本のことを話すこともある。
未だにあいつはダメって話をしている人はもうほとんどいないだろうよ。
肉巻きおにぎりもサーフィンのインストラクターもそれなりに話題になった。
寺にこもっていることもそれなりに前向きに捉えている人も多い。
かわいそうだしそろそろチャンスを上げてもいいんじゃないかという人も世間には多い。
テレビにとって決定的なのはスポンサーのコンプライアンスとイメージ。
テレビタレントってのは企業の広告塔だから顧客に子供がいる企業は極楽山本を使いたくない。
テレビのスポンサーは犯罪スレスレの行為で謹慎した、しかも未成年に対する破廉恥な行為をした人間の復帰なんていう博打は普通は打たないよ。
だから自社が提供する番組に積極的に出したくないし、出ていたら広告を下げざるを得なくなる。
テレビがスポンサーのお金で出来ているという仕組みが変わらない限りテレビでの復帰は限りなく難しいと思う。
パチンコや消費者金融や美容整形なんかが提供する深夜番組なら可能性はないとは言わないけど、スポンサーの強い意向でもない限り普通は別の人を使うだろう。
ただ、芸能人として復帰できないわけではない。
芸人にはライブという舞台があるし、それをDVDにして売ることもできる。
実際にライブチケットやDVDが売れて客が入るなら芸人として生活できる。
それで極楽山本に人気が出て余人に代えがたい視聴率がついたらテレビ復帰の目もあるだろうよ。
山ごもりしている場合じゃないと思うのよ。
まずはキャバレーでもストリップでもいいから客の前に出て笑わせてみればいい。
業界人なら絶対に見に行く。
極楽山本は今でも人を笑わせられるんだという実力を業界人に見せつけろ。
それができないなら復帰したいとか言うな。
良かったらご案内しましょうか。いえね、私も行く気はさらさら無いんですが、連中を捕捉している途中なんですよ。
東京は元麻布、仙台坂上のこの辺りは古くからの屋敷町。そしてこの路地を曲がった先の……ほら、あそこ。
あそこがお探しのイタリアンレストラン『AVANTI』。なんとも目立たない入り口ですが連日夕方、この店のウェイティングバーは常連客が集まって賑やかになるんです・・さあ、着きました。
おや、あちらのテーブルで齊藤さんたちがオフ会準備の話で盛り上がっていますね、 ちょっと聞き耳を立ててみましょう・・
良くも悪くも、齊藤さんの資質や進め方がバレ始めたのではないでしょうか。
自分の意見でがんがん引っ張るタイプではなく、周りにどんどん突っ込みを入れさせながら収束させていくタイプ、っていう。
突っ込ませる度量と、反応を集める情報収集力と、最終決定の際のバランス感覚が持ち味だと思うので(観察2カ月での感想)、、、
齊藤さんはガチの天然さんだから、突っ込みが入らないと活きない気がします。おそらくご本人も、突っ込まれることを前提に行動パターンを組んでいると思われます。
コウモリさん。理解していただけてないようなので、もっとストレートに書きます。
おいらもスペースの方で似たような事を書いたのですが、 ID:sabacurryさんが仰ってるように、今までコウモリさんが仕切ってきた議論の方向性にも問題があるんじゃないかという話が出てきてるわけですよ。
(コウモリさんが)やりたい事を山盛りにしすぎて、オフ会の土台の部分すらもきっちり決まっていないわけです。現状。
コウモリさん、これでもスペースで現在の方針を続行されますか?
あまりにもヤキモキしてもう俺がしきるわーとか言いたいところなのですが、はてブ界隈での自分の認知度が足りないのと、そんなに時間とれないので…。
半端に関わるとストレス溜まるだけですね。
船頭多くして、みんなが好き勝手言う、ではなくて誰か決めるだろーって感じで何も決まらない状況になってるような気がします。
齊藤さんのアレは冗談で言ってるのか本気で言ってるのかわかりにくいので正直もう言わないで欲しいです。
by sabacurry 2014/06/27 1:34:00
企画なのですが、LT希望が4本集まっているので、(発表10分+準備5分)*4=60で、ほぼ1時間が割かれる形です。PD、GT、CBもやりたいのは山々ですが、既にご指摘が出ているようにみんなで歓談する時間も大事でしょうから、そちらで1時間。
ええと、なんか全企画が俺の担当ってことになってないですか?
メイン発案者というか、前回の企画会議では議事進行をしていた役割だと認識しているので、ブレスト的にアイデアを出しつつも、実現性を考慮した上で皆の意見を集約することを心掛けてました。それが「仕切るなら全部やれよ」ということになってたのなら、残念です。
ただ、スペースの自己紹介でも最初に書いたように非常に多忙なため、申し訳ありませんが企画全ての運営の主担当にはなれません。
今のままだと斎藤さんは暴走気味の広報担当でしかないので、リーダーシップを取るなら取って下さい。
取らないのであれば、自分は広告塔に徹して id:Rlee1984 コウモリさんに全権を委任するべきかと。
ちなみに、前からちょっと気になってたんですが、一般的でない言葉(LT,PD,GT,CB)を略字で表記するのはわかりにくいので、やめていただけると嬉しいです。
いやぁ楽しいオフ会の準備のはずが、タスクを押し付け合うことに必死な船頭だらけで混沌としていますねぇ・・
ここに野良増田のオフパーコ要員とかメンヘル女子が投入されたら阿鼻叫喚になること必至。
え?私? 私はもうヲチも面倒臭くなったんで、当日は自分の休日をエンジョイ、誰かが適当にまとめてくれるのを待ちますけどね?
それなのにザックは無能、というより試合も練習も英語ないしイタリア語で選手に意図伝わらなかったとか
その辺も理由になってたかもしれんね。
それよりも金儲けだけにCMで広告塔やってる本田香川長谷部にJ2の遠藤や峠を過ぎた大久保、パワープレイばっかで守備のできない吉田や長友を招聘するような広告代理店はいらないし、
「幸福度」への突っ込みはさて置き、ある対象を偏見から守るために、その集団が社会全体で虐げられている、という確証は必要ない。
例え社会全体で見れば男性優位でも、男性が性別を理由に排斥など受けたら、その場合には偏見が存在しているだろう。
「ある集団を一律経済的に優遇しよう」となると話は全く別なんだけど。
一見、女性にも能力に応じて賞与を与えるということだが、よくよく考えると、再分配と保護の強化だ。
方針を決める者としての男性への被支配を決定付けることになる。
この方法で行くとしても、最初は広告塔的に、特別優れた人材を広報するとか、成功例をアピールする位じゃないと、不公平感は増す。
その方針が上手く行きそうにないので、純粋な数値目標に切り替えたんだろうけどな。
日本では、平安の源氏物語、明治維新後の貴族文化、そして平成のサブカルでも、女性が文化に影響を及ぼしてきた過去がある。
表の指標だけを目安にすると、隠れた影響力を見落としたり、逆に地位を下げてしまったりするんでないかと。
一時期叫ばれた自己決定権、こういうものを犠牲にしても安定を得たい、と望むのなら筋が通るが、フェミニズムの定義的にはどこに位置づけられるのだろうか。
まあ、同時にあれもこれも推し進められない、って所だろうかね。
少子化が避けられないなら、移民か、女性の雇用を大幅増か、それとも一部を単機能ロボットにでも肩代わりさせるか。
最後のが一番夢があるな、導入部分だけ見るなら一番難しいけど。
邦画は邦画で音の強弱が微妙で音響効果が無駄に派手である事以外は背景も無駄に凝ってるというだけで
とにかく作品世界を味わいたいという気持ちに発展する事はない。
派手さというコスパだけ無駄に高い演出がアカデミー賞受賞への近道だとすれば、日本円で数百億円規模の制作費を投じて
作られた作品がやたら視覚効果を重視し過ぎて作品世界を壊してしまっている事は割と無視されてるのが現状だろう。
最近は制作費や単価そのものを安く浮かせるために漫画を原作としたオリジナルムービーが主流であるが、
ムービースターは年々その出演料の高さから無名のスター候補をリストアップして、マスコミを使って未来のスターとして宣伝させ
広告塔としての役割を担わせてから出演という形に持って行く事が随分増えた。
AVでいえば、元アイドルという箔を付けるために一度グラビアとか一般のバラエティー番組に出演させてから元〇〇といった具合に箔付けをさせていくのと同じ方法だ。
広告といえば、有名な作家に帯でこの漫画はすごい!とかこの小説は面白い!とかを書かせる事でその作品の良し悪し関係なく先にイメージを定着させる事に重点を置きだしている。
何が悲しいって、昔は一応話題性のある俳優は出すが、作品世界を大幅にアレンジしたりあの手の手の込んだ前準備などは殆どしなくても絶対この映画を見たいと思わせるPVであったり表紙ジャケットだったりがあったし、見応えのある空気を映画自体が醸し出していたと思う。
それなのに実際、昔の映画は放映しなければ分からないギャンブル要素の強い作品であったのが、今は見なくても大体結末が分かってしまう訳だ。
何故ならば情報が様々にあり、大幅に脚色し、無駄に派手なエフェクトだけが先行してしまい、肝心の映画を見たいという気を殺いでしまっているためだ。
邦画と大して変わらないのは、PVや広告に力を入れ過ぎて内容が疎かになっている、というよりは監督やスタッフが視聴者と同じ目線で作品を描くようになった事やマスコミを使えば
どうとでもなるという、映画を舐めきった人間が制作しているからである。
邦画も同じで、その作品がどうして面白いのかを伝えず、やたらと出演俳優や派手なエフェクトにばかり焦点を当ててしまって見たいという純粋な気持ちを無くさせている。
これにより「映画離れ」が進んだのだと考える。
お腹が減ると、体が冷たくなる。死んだ体に近づくようで、寂しい気分になる。
もやしを鍋にかけ、コンソメを放り込む。野菜を乱切りにして、沸騰するのを待つ。
煮たったら、卵を入れる。そして、すぐにお碗に注ぐ。
白身が白くならないうちに、卵とスープを口へ運ぶ。
何も手を加えず、単にダシと野菜を煮込んだものが、不味いわけがない。
すぐにお碗は空っぽになり、2杯目のスープを入れる。ついでに、フライパンで豚肉を火にかける。
朝も昼も食べることができなかった体には、堪える味である。
空っぽの皿を眺めているうちに、自分は惨めな人間であることを思い出す。
そのうち、どうしようもない哀れな現実が、満腹と現れる。
すなわち、
▼
↓↓↓↓を↓↓↓↓
▽
にしているパイパンである。ハイジーナである。あんなにエロい広告はない。中央線で、西から東へパイパンであることを
そう、言いふらしている。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0325/pana.htm
↑はいい例とて貼っておく。
こういうのが日本企業が多すぎるって話。
なんか、こんなのやってまーすって感じで見せるだけ見せといて実際は出さねーよな
よくあるのが「2~3年後の実用化を目指している」ってやつな。↑の記事でも書かれてるけどさ
だすにしてもソニーなんかは、とりあえずいろんなものに唾つけてすぐ撤退の繰り返しだよね。
VRも今度つばつけるらしいね。Project Morpheusとかいう
ホンダのアシモとかはまだ広告塔としての役割しか期待してないのかもしれないけど、それにしてもなんかもう役割終えました感あるのか全然進化しないし
「えっ どうしてですか?」
『こいつのどこが頑張ってるんだ、一体!』
「ちゃんと論文のミスを認めて謝っていますし、発見自体は真実の可能性があるでしょう。頑張ってますよ」
『頑張ってるやつってのは始めから捏造とかしねえの!確実に証拠を積み上げてから自分の言葉で論文を書ける研究者が偉いに決まってるだろ! 』
『こいつなんか博士論文のイントロすらパクって学位取得した上にいい加減な作りの論文書いて、それを泣いて謝っただけだぞ』
「でも…」
『おまえなんかおまえの大好きなヴィヴィアンとムーミンの広告塔に専念して、研究業界からはあっさり追い払われた方がよかったんだ』
「こらっ、何てこと言うんだ!そういう目で彼女を見るからあんなに泣いて…」
『そういう部長もよくない!』
『ただ泣いて謝っただけなのにそれをかわいそう、負けないで、応援してるよと甘やかしてるでしょうが!』
『こいつに貴重なポジションを奪われた優秀な博士や再現実験に時間を費やされた世界中の研究グループの方が悲惨でしょう!?』
『『正直者がバカを見る』の手本を示しているこいつのどこが立派なんすか? 』
『同じ年でちゃんと実験ノートを何冊も残してがんばってるポスドクのほうが立派でしょうが』
『どうしてそんな単純なことが分からないのですか!』
三年くらい前、スティーブ・ジョブズが亡くなった時、
本当にとても大好きで、憧れてしまう。
ともかく僕は彼にずいぶん参ってしまっているのだ。
なので僕が彼の下で働きたいと思うとは、すごく自然なことなのだ。
単純に、すごく刺激的な日々を過ごせる気がするのだ。
しかしここで問題がある。
そういうスタンスではあるが、何が出来る訳でもない。
冷静に、客観的に考えてみたところ、
自分の売りは、美容師としての10年程のキャリアしかないという結論に達した。
自分を美容師としてドワンゴに雇うことを提案するという方法を思い付いた。
僕はそこまで給料が欲しい訳でも、バリバリ人の髪を切りたいわけじゃない。
ただ、自分が一番役に立つ方法を考えたらこれしかなかっただけなのだ。
自分に払う給料、設備投資などは、コストとして割り切って下さい。
ここまで会長に心酔して来てくれる人が居るってことを、
社外にアピールできるのは、ずいぶんとプラスになるでしょう。
そういうことを熱く書き連ねて、ドワンゴのエントリーフォームに書こうとしていた。
ちなみに職種はよくわからないので、プロモーションスタッフに応募する気だった。
ところが昨日のネットニュースだ。
おいおい、完全に先越されてますやん。
僕も目の付け所は悪くなかった、ただ遅かった。
しかも表参道の高級店。写真で見る限りすごくオシャレなサロンだ。
今後は著名人も招くらしい。
僕を雇うより完全にこっちの方が良い。本当にそう思う。
こんなところで野望は潰えてしまった。悔しい。
今回の件に関しては、僕の思い付きは実現可能だったということ。
まあポイント絞って書くけどよ、趣味で食えるんだからなんでも良いってんでなければやめとけってこったな。
「あの」イケダハヤト氏レベルまで行けるか?という話からスタートするわけだが。
hagex先生曰くよ、イケダハヤトさんってのは、月間80万PVで年の売り上げは500万ってことよ。
するとだ、持って生まれた天分も鍛え上げた筆力も、バランス感覚も政治力も駆使してその収入ってコトだよ。
おまえさんが大前研一ってんなら、それはどうぞおやんなさい先生。
つまり、間違いなくコレを越えられる見積もりがなきゃ、止めた方が良い。
Googleアドセンス、自社広告、アフィリエイトってのは、まあプロブロガーの考える収入の基本だな。
ということは、結局の所プロブロガーってのは、新聞と同じで記事を載せて人に読まれ、人に読まれるから広告を貼ってもらえる
「価値のある場所貸し」なわけだ。ビルの屋上の看板と同じだな。
で、イケダハヤトさんの500万は、内訳こんな感じな
アフェリエイト以外は、要は広告で、出稿がキレたら終わりだな。
さて、小口の広告をとりまとめてくれるサービスがGoogleアドセンスだとするなら、
アフェリエイトだのPV変換アドセンスだのでは150万だから月12万5千円ってところだ。
つまり、コネだのノリだので、広告を貼って貰ったりそれを継続して貰える度量がなきゃ止めた方が良い。
月間50万PV以上を定期的に稼ぎつつ、きっちり露出して広告塔としての価値を維持しつつ、
ちゃんと広告を貼って貰える人。
<hopelessness>
これは、どうにもならない。
</hopelessness>
少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。
それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、
そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。
更に法人からはSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。
小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。
本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。
彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、
同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。
『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。
だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。
豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である。
文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。
近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。
豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ、喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。
彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。
現在、ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施中である。
新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。
並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。
ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。
それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品の広告、
プリンタの限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーにかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。
意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。
...そんな「人間の意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが、
これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。
伊藤計劃はこれからもコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。
「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。
"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。
またはただの便利な、ブログやツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。
伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家・レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、
あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。
彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。
だから少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。
ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。
売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン型書店を焼き倒せ。
故人をコンテンツにフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ。
創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。
派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、
何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。
どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。
彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。
社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ。同調圧力の強要。
彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか。
取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか。
『虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義の破壊に、お前は何も思うところは無いのか。
自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFiの電波をオフにしてもう一度考えてほしい。
墓の上のワルツを今すぐにやめろ。
彼は神ではない。
彼は救世主ではない。
お前を輝かせるための装飾品ではない。
お前はお姫様ではない。
ただの惨めで愚かな豚だ。
歌って踊るだけのこの世の屑だ。
臭い口を閉じろ。
彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。
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恥じろ。 醜い。
googleで「ガガ・ミラノ」と検索するとトップのほとんどが中華偽サイトだ。まともなショップのサイトがほとんど出てこない。
去年辺りから時計とかファッション系の偽通販サイトが横行してたけど、ここまで汚染しているとGoogleの怠慢にも思えてくる。
ロレックスとかフランク・ミュラーとかオメガとか、いかにもだれでも思いつく高級時計とかは、少なくともブランド名の検索ではそこまで偽サイトが出てこない(型番とかで検索すると出てくるけど)。一時期横行していたのが対策されたからだろう。
なんでガガ・ミラノだけがこんな事になってるかというと、本田圭佑がつけていたことで話題になっているからだ。2004年創業と歴史も浅く、芸能人やスポーツ選手が広告塔なのでDQN御用達でもある。DQNはろくに調べないで「ここやすいじゃん!買っちゃおう!」とあからさまに怪しい銀行口座(ネット系か流通系の銀行で口座名義が外国人)に金を振り込んでしまい、商品が送られてこないなんてことになる。よく考えれば、本物のガガ・ミラノが2万で買えるわけがないのだが、リテラシーが低い人は簡単に引っかかってしまうのだ。
これを見た方でガガ・ミラノを買おうと思った方は、リアル店舗で買うかアマゾン、楽天、ヨドバシ・ドット・コムなどで購入しましょう。できれば代引きなどで。ヤフーショッピングはやめといた方がいいよ。例の無料化のせいで怪しい店が増えてるから。
このところ、英米の大手マスコミのウェブサイトのニュースを私はまた読んでいるのだが、日本国内のマスコミとの世界観の相違が激しいことを再認識させられる。
話題のずれ、例えば中東やアフリカの話題への関心の高さというのもある。
だがそれだけではなくて、日本のマスコミでは言ってはいけないことがどうやら多いようで、情報操作された、「よく洗脳がゆきとどいた国ですね」と皮肉られてもしかたないような社会だなと思う。
先日やしきたかじん氏が亡くなったが、彼が生前に大阪の地元テレビ番組でほとんど言いたい放題でやっていたのに対して、東京のマスコミ(全国ネットも多いだろう)における「自主規制」(という無言の圧力、「空気」のたぐい)は、やはりびっくりだ。
役者で現参議院議員の山本太郎氏が、以前に原発反対を言ったときに仕事を干されたという話もあるが、なかば被害妄想もありなん。だが、タレントの立場でファストフード反対だとか酒反対だとかパチンコは違法ですだとか言い出したら、おそらくマスコミや広告代理店のブラックリストに載る、広告塔としての価値はほとんど無くなってしまうだろう。藤原紀香氏だったかが先日にしんぶん赤旗(日本共産党の機関紙)の日曜版に登場した際にもいささか揉めたらしいというのも、話に聞く。
私とて、せいぜい英米の大手マスコミしか目にする機会がないのだが(関心はあるのだが、ドイツやフランスすらも日常的には読んでいないし、ましてや世界各国のを確認してまわれない)。しかし、The Times(英国)のウェブサイトをこのところ見ていたら、砂糖の依存性の話題で議論が巻き起こっていたり、「ADHDの診断名が付けられる小児は多いが、そんな疾患は本当は存在しないと書いてある専門書もある。診断名を付けることで気休めになり、そこで投薬に移り云々。診断名を付けたがる症候群なのだろう」と大要そんなことを書いているオピニオンがあったりする。日本の大新聞やテレビ局ではおそらくそんな記事はそうそう出せないだろう。
在京一般紙でも、サンケイと読売が似たようなもので、日経はもろに資本主義バンザイで、朝日はこのところ元気がなくて、毎日はまあまあ活躍していて、それらが超えられない壁の先に東京新聞(名古屋中日系の東京地方紙)がある気がする。さらに言えば、大新聞と比べて、宮城や福島地域の地方紙や、沖縄県の地方紙なんかは、世界観がまったく異なっているように思う。
なぜアグネス・チャンが大使を務める日本ユニセフ協会が何故とりわけ槍玉に挙げられるのか。
(もちろん、それだけが理由ではないことは言うまでもないがここでは割愛する)
「中国人」であるアグネス・チャン(英領時代の香港生まれなので国籍はイギリス(厳密には本国生まれと扱いが異なる))が
ネトウヨの感情を刺激したからこそ、これだけ燃え上がったのだろう。
もし広告塔が韓国人だったらどうだったのかといえば、似たようなことはあったのかもしれないが、
少なくともチベットやウイグルを引き合いに出した非難の声はないだろう。
あと、もう一つ。アグネスが槍玉に挙げられていることによる影響を上げておく。
誰かがはてブで言っていたように、アグネスは弾除けの役割を果たしている。
他の団体や、警察、自民党の中の規制推進派が取り上げられることは少ないし、
ネトウヨ、とりわけ自民信者は自民党が規制推進寄りの姿勢を取っている現実や、
アグネスと安倍総理の交友関係などの不都合な話から目を背けることができるわけだ。
市場がないから分かりにくいだけで、その活動が十分に合理的な範囲での費用(中抜きでもピンハネでも必要経費でも好きに言えばいい)で行えているかは、同種の活動と比較して見る必要がある。たとえばヤフーなんかはかなり効率的に行えている。もちろんヤフーはその作業のために本来の仕事をできない人がいるなどノーコストではない。それでも効率性には天地の差がある。
アグネスという広告塔がなければ募金自体がなかった分があったのだとしても、広告塔に徹して業務はより効率的なところに委託できたはずだ。何十年もかけてピンハネを積み立て、ビルが買えたというのは効率的でなかった、ユニセフ本部に本来ならもっと送れたという証拠である。
http://anond.hatelabo.jp/20131115132145
http://anond.hatelabo.jp/20131114111136
ひろゆきは今回被災したフィリピンの子供を助けたいなら黒柳徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけで、日本ユニセフの中抜きを批判してるわけじゃないでしょ。論点がズレすぎ。
■返信
oktnzm
"徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ" それならわざわざ公開質問する必要ないよね。質問の意図はなんだろう?ひろゆきの気持ちになって考えてみよう。
アグネスは日本ユニセフを運営しているわけじゃなくて、広告塔として宣伝してるだけの人だから、日本ユニセフじゃなくてアグネスに公開質問状を送ったって事は、日本ユニセフの運営ではなく、宣伝の方法に文句があるのかな?と思ったよ。
黒柳徹子は団体では無く個人なわけだから、このアグネスの文章は嘘ではないんだけど、ちょっとこの表現はどうかな〜、ひろゆきもここに疑問を持ったのかな?と、俺は思ったよ。
他にも色んな意図を想像したけど、実際の所ひろゆきがどういう意図で公開質問をしたのかは本人にしかわからない。
・「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布
・「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うの
・他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。
■追記
@hiroyuki_ni: 論点にしてないことを解説して、反論した気になってる人って、会社とか学校でもそうなのかなぁ、、、
■返信
oktnzm
質問の意図がわからないなら "徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ" とは言えないね。おわり。/エジソンみたいな純粋な気持ちで質問したはずだとか言わないと。
"徹子に送金した方がフィリピンの子供にお金が使われるって言ってるだけ"ってのは、質問の意図の事ではなく、↓のことです。
説明がヘタですいません。
そもそもの話してしまうが、どうして「日本ユニセフ」の広告塔が、中国人のアグネスチャンなんだ?っていうのが凄く引っかかる。彼女は、香港ユニセフ(あるのか知らんけど)で頑張ればいいじゃん。わざわざ中国人(カナダ国籍という話もあるが、よく判らない)にさせるんだ?
「お・も・て・な・し」がフランス人とのハーフで日本国籍なのとは訳が違うだろ。
なり手がないのか?
あの手の思想がかった人じゃない、もうちょっと適任の日本人がいるような気がするんだが。
こういう事書くと、中国人だからダメって読む人がいそうだが違うぞ。韓国人でもアメリカ人でもケニア人でもダメだろって話。なぜ外国人が大使なんだ?意味が解らない。
んと、多分、ここでアグネスを養護してる人達は大きな勘違いをしてると思うんだ。
NPOとかで、最小限の費用を活動経費として計上することには誰も何も感じないし、
それによって何か良いことに事が流れてるなら素晴らしいこと、だと思えるんだ。
だけど、この件は、明らかに、アグネスが「広告塔」として動いてる様に外からは見える。
実際どうだかは知らない。アグネスは実は日本ユニセフから一銭ももらってないかもしれない。
でも、現在人々が思ってるのは、アグネスが日本ユニセフから、広告費として莫大な金額を貰ってるんじゃないか?ってこと。
ここで海外について。海外では、こういう有名人がボランティアの様な活動に係る場合、
実際、海外で24時間テレビの様な番組は出演者の出演料は無しな上、
そこが大きな違い。もし、アグネスが無償でやってるならはっきりをそれを示すべき。
仮に、アグネスが関わってなければ、むしろこの81%と言う割合は非常に高い、と評価されてたかもしれない。
だがここで、芸能人が金を受け取ってる、となると、おかしいんじゃないか?って話。
その論点を理解できないままふざけた事言うなよ。