はてなキーワード: 紙ジャケットとは
邦画は邦画で音の強弱が微妙で音響効果が無駄に派手である事以外は背景も無駄に凝ってるというだけで
とにかく作品世界を味わいたいという気持ちに発展する事はない。
派手さというコスパだけ無駄に高い演出がアカデミー賞受賞への近道だとすれば、日本円で数百億円規模の制作費を投じて
作られた作品がやたら視覚効果を重視し過ぎて作品世界を壊してしまっている事は割と無視されてるのが現状だろう。
最近は制作費や単価そのものを安く浮かせるために漫画を原作としたオリジナルムービーが主流であるが、
ムービースターは年々その出演料の高さから無名のスター候補をリストアップして、マスコミを使って未来のスターとして宣伝させ
広告塔としての役割を担わせてから出演という形に持って行く事が随分増えた。
AVでいえば、元アイドルという箔を付けるために一度グラビアとか一般のバラエティー番組に出演させてから元〇〇といった具合に箔付けをさせていくのと同じ方法だ。
広告といえば、有名な作家に帯でこの漫画はすごい!とかこの小説は面白い!とかを書かせる事でその作品の良し悪し関係なく先にイメージを定着させる事に重点を置きだしている。
何が悲しいって、昔は一応話題性のある俳優は出すが、作品世界を大幅にアレンジしたりあの手の手の込んだ前準備などは殆どしなくても絶対この映画を見たいと思わせるPVであったり表紙ジャケットだったりがあったし、見応えのある空気を映画自体が醸し出していたと思う。
それなのに実際、昔の映画は放映しなければ分からないギャンブル要素の強い作品であったのが、今は見なくても大体結末が分かってしまう訳だ。
何故ならば情報が様々にあり、大幅に脚色し、無駄に派手なエフェクトだけが先行してしまい、肝心の映画を見たいという気を殺いでしまっているためだ。
邦画と大して変わらないのは、PVや広告に力を入れ過ぎて内容が疎かになっている、というよりは監督やスタッフが視聴者と同じ目線で作品を描くようになった事やマスコミを使えば
どうとでもなるという、映画を舐めきった人間が制作しているからである。
邦画も同じで、その作品がどうして面白いのかを伝えず、やたらと出演俳優や派手なエフェクトにばかり焦点を当ててしまって見たいという純粋な気持ちを無くさせている。
これにより「映画離れ」が進んだのだと考える。