はてなキーワード: 占領とは
・
・
・
僕は高校3年生(男)だ。
今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的な勉強をほとんどしていない。
代わりに、大量のネット上の記事とブログと無料の音楽と漫画とヤフコメとはてなブックマークと増田を摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分と関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。
僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大の理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在の体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。
起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーでChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分とネットを見る以外に何もしたくない自分が綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態。現実からの逃避。
・
・
・
僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京の男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。
それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生が大学受験を意識する様子が目立ってきた。
高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキストを自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。
ここら辺から、勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範に齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃんと勉強していた。
・
・
・
そうしているうちにコロナが流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか。
学校が休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。
しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強のストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。
日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。
学校がGoogle Classroomを使い始め、zoom配信や動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。
ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。
更に、zoomやGoogleClassroomを使うためにパソコンやスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合、ネットを開きはてブや増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。
こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。
・
・
・
5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強をブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みとはてブと増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強をサボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。
この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。
最初は勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。
・
・
・
6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。
確かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。
しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しい日であると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。
登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。
・
・
・
6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。
友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初は順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。
7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホでブログやら何やらを見てしまった。
当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日はだるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。
・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。
罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。
・
・
・
そこからの堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強の約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。
▼学校の課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる
▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる
・
・
・
こうやって家に籠って自堕落な生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分の思考や言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。
「今日はだらけていてもしょうがないが、明日からは毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・だから、今スマホを見てもいいんだよ」
みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。
言うまでもなくこれは未来に責任を押し付けて現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。
僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃんと勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。
あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月にアンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DSは今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~
・
・
・
こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神はもっと健全で勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。
他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年生まれ元司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます。
・
・
・
よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分の気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづつ
やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメもトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。
・
・
・
日本は有事の際は簡単に中国に占領されちゃうのでは?&中国の養分にしかなってないよね?という話です。
長いので簡単に書くと、こんな感じ。
日本が税金を払って中国人留学生学費免除で大学受け入れ▶︎日本の一流企業にご就職▶︎中国「国防動員法」が発動すると兵隊になり得る▶︎というか発令されなくてもスパイになりうる▶︎中国人が日本の広大な土地を爆買い済▶︎「国防動員法」発令されたら日本詰みでは?
タイトルのようなことは昔からよく言われていて、陰謀説かなと思ってた。
ただ、最近部下の中国人の生産性が低いことが目につくようになった。
その仕事っぷりとしては、スパイのサボタージュマニュアルに該当するものも多数あるような動きだった。
https://www.concur.co.jp/newsroom/article/simple-sabotage-manual
(この文の中でいうスパイとしては、軍事的なやつではなく組織を弱体化させる産業スパイ的なところも含んでます。)
んで、Twitterで「中国人 スパイ」と何となく検索したんですね。そうしたら色々香ばしいことを知って、眠れなくなったのでここにメモしておきます。
中国人留学生への優遇実態としては、以下があり日本人よりも優遇されています。
【奨学金】
月額142,500円(年171万円)
【授業料】
子供の大学費用で悩んでる日本人はなんなんですかね?という感じです。
中国の法律「国防動員法」は、中国国内外問わず全ての中国人に適用される法律です。
同法が発令されると兵隊にもなりえます。(18~60歳の男性、18~55歳の女性は全て対象。)
発令されていなくとも中国共産党からの意向通り動くことも可能でしょう。
北海道の土地が中国人に爆買いされたり、水源が中国人におさえられたりしているケースがありますが、偶然とは言いきれないかなと感じます。
日本国内だが、所有者は中国人であることから有事の際には中国軍が突然やってきて占有することだってあり得るのでは?
最近のアメリカは、中国の排除を急ピッチで進めているのも多少事情が異なるものの根本としてこの辺にあるのかなと。
そして、コロナの第二波が警戒されている中、8/5からは中国人留学生の受け入れが再開されるそうです。(なんでや)
長尾たかし衆議院議員の下記ツイートより、スパイ活動に関与している国防七大学から日本の大学に留学してきていることも明らかになっています。
https://twitter.com/takashinagao/status/1288438512702742528?s=21
その他にも千人計画という名前のプロジェクトの下、早稲田大学をはじめ多くの大学に留学生を送り込んでおり卒業後は日本の優良企業などに就職しているわけです。
過去に国会で審議もされましたが、憲法が保障する表現の自由に抵触する!として、マスコミなどから批判の対象とされたそう。
当時反対した野党は、「日本社会党」「公明党」「民社党」「日本共産党」「社会民主連合」など
う〜ん、残念。
参考リンク
https://news.livedoor.com/article/detail/15812244/
中国人にお金を払って日本に来てもらうスキームやスパイ法案潰しなんて、簡単にできるわけなくて組織ぐるみで誰かが構築してるわけですね。
FIFIさんの動画で語られていますが、最近では米国が二階幹事長や今井首相補佐官、森まさこ法務大臣等、日本の媚中派政治家を名指しで批判しています。
与党内以外でも、メディアなど様々な組織内に媚中派だったりスパイに該当する人物が権力を掌握することによって表面化しないよう統制されている可能性もありそう。
COVID-19がどこから発生したのかはうやむやなままですが、武漢のウイルス研究所が関与していていて国が組織的に拡散したのだと仮定すると恐ろしいですね。
(以下妄想)
コロナ拡散によって各国の経済活動を止めることで、世界恐慌を誘発▶︎世界大戦の引き金とする▶︎各国への人民配置準備が終わっている状態なので、開戦後「国防動員法」を発令?
今回何気なくTwitterで検索した結果から様々な内容を知り得る結果になりました。
テレビ番組を観たり、Smartnewsを見たりしても、日々のコロナ感染者数ばかりでこういう情報は断片的にしか入ってきません。
偏った陰謀論になっちゃうので無理だとは思いますが、Factとしてマスメディアから伝えて欲しいと願望すると共に、何かをトリガにして自分で国際情勢などの情報を勉強すると必要はあるかなと感じました。
どうしたらいいかってのはわからず、妄想も入り混じった内容ですが私以外のそんなことあるの知らなかったって人に届いたらいいなと思います。(事実と違うことがあったらすみませんね。)
.
戦史叢書
防衛研修所戦史室(現・防衛省防衛研究所)が編纂した太平洋戦争及び日中戦争(大東亜戦争)に関する公刊戦史。
開戦経緯、戦争指導、個々の作戦等について、各種文書、口述記録並びに外国の公刊戦史等を元として、記述するもの。
1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂・発刊。
大本営関係34巻 · 陸軍戦史37巻 · 海軍戦史21巻 · 陸軍航空戦史9巻 · 年表1巻の全102巻で構成。
戦略レベル以上の分析や史料批判に欠ける。旧軍に所属していた元軍人が書いているため、身内に係る批判がされにくい。陸海軍の対立が編纂事業にまで及ぶ。捕虜の取り扱いや占領地行政に係る記述が無いか少ない。索引が無い。誤りが多い等の問題点が見られるようだ。
.
.
日本陸軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項について記述。官制について記述。
扱う期間は慶応3年(1867年)~昭和20年(1945年)8月15日。
.
明治元年(1868年)から昭和15年(1940年)5月までの約70年間に亘る陸軍中央部施策中、大東亜戦争関連事項につきその大綱を概説して記述。国防上の政策、軍令機関等の制定改廃、帝国国防方針の制定改定等について記述。
扱う期間は明治元年(1868年)~昭和15年(1940年)5月。
.
主として大正6~7年(1917~1918年)頃から昭和12年(1937年)頃までの約20年間に亘る陸軍軍需動員の計画準備について記述。徴発制度・法令・官制・計画等について記述。実施面については、戦史叢書第33巻『陸軍軍需動員<2>実施編』に詳述。
扱う期間は大正6~7年(1917~1918年)から昭和12年(1937年)。
大本営陸軍部の立場から大東亜戦争(日中戦争・太平洋戦争)に至った政戦略の経緯や戦争指導について記述。主として「大本営政府連絡会議」及び「御前会議」の運営及び開催に伴う陸海軍及び外交当局の動きについて記述。
扱う期間は昭和6年(1931年)~昭和16年(1941年)8月30日。
.
日本海軍創設から「大東亜戦争」開戦までにおける海軍中央部の施策 、開戦から終戦までの大本営海軍部・連合艦隊の戦争指導および作戦指導の概要を記述。
.
日本海軍の軍備及び戦備並びにこれらに関連する事項を重点的に概述。
扱う期間は昭和16年(1941年)11月~昭和20年(1945年)8月15日。
.
昭和17年(1942年)6月5日から7日にかけて行われたミッドウェー海戦及びその前後の海軍作戦について記述。本作戦は、戦争全般のターニングポイントとみなされている重要な戦役(戦闘)であり、本作戦の失敗(敗北)以降、開戦から常に先手を取り続けていた日本海軍は、守勢に回ることとなった。なお、本作戦は、アリューシャン列島西部要地攻略作戦と一体の作戦として計画及び実行されたものであり、戦史叢書第029巻『北東方面海軍作戦』を関係して参照することが望ましい。
扱う期間は昭和17年(1942年)1月~昭和17年(1942年)6月。
.
外地(特に南方占領地)からの海上輸送は、戦争中の国力維持に対し極めて強い影響を与える。戦争敗因の一大要因として、わが海上輸送力の減退に基づく国力喪失が挙げられており、それらの実相並びに諸対策の実態を明らかにするためにも、これらの関連分野全般に亘っての総合的研究叙述が必要とされるところである。
扱う期間は明治40年(1907年)4月~昭和20年(1945年)8月。
.
昭和20年(1945年)1月~8月にかけての大本営陸軍部の作戦指導及び戦争指導の経緯を記述。
扱う期間は昭和20年(1945年)1月20日~昭和20年(1945年)8月15日。
.
1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
.
1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
2009-09-16 鳩山由紀夫が内閣総理大臣に指名される(政権交代)
2011-01-20 中国国家統計局、中国の2010年度国内総生産(GDP)を発表。
2011-03-11 東日本大震災。福島第一原子力発電所事故
2012-12-26 安倍晋三が内閣総理大臣に指名される(第2次安倍政権成立)
2013 世界で、スマートフォンがフィーチャーフォンの普及率を上回る。
2019-05-01 天皇譲位。皇太子徳仁親王が践祚。元号が平成から令和に改められる。
2020-01-16 新型コロナウイルスの日本国内における流行開始(日本国内での感染者を確認)
.
wikipedia「ABCD包囲網」「ハル・ノート」「太平洋戦争の年表」「日本史の出来事一覧」「沖縄県の歴史」「廃藩置県」(順不同) その他各種記事を参考にした。また、航空自衛隊の歴史(航空自衛隊)を参考にした。
1615-05-07 大阪城が落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡
1853-05-23 アメリカ艦隊、浦賀沖に来航(黒船来航)
1861-04-12 アメリカ南北戦争(1865年5月9日まで)
1868-01-03 王政復古
1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)
1871-08-29 廃藩置県
1875-06-28 讒謗律(太政官布告)及び新聞紙条例(太政官布告)公布
1877-05-26 木戸孝允死去
1888-03-09 ヴィルヘルム1世・プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御
フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝に即位。
1894-07-25 日清戦争(1895年4月17日まで。宣戦布告は1894年8月1日。台湾平定終了は1895年11月30日)
1898-07-30 ビスマルク死去
1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)
.
1905-09-05 日露両国講和条約(ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)
1912-07-30 明治天皇崩御。皇太子嘉仁親王が践祚。元号が明治から大正に改められる。
1914-07-28 第一次世界大戦(1918年11月11日まで)
1922-02-01 山縣有朋死去
1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印
1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効
1926-12-25 大正天皇崩御。皇太子裕仁親王(摂政)が践祚。元号が大正から昭和に改められる。
1927-03 昭和金融恐慌
1930 昭和恐慌
1930-10-02 日本、ロンドン海軍軍縮条約を批准
1932-05-15 五・一五事件
1936-01-15 日本、ロンドン海軍軍縮条約を脱退
1936-02-26 二・二六事件
1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効
1937-07-07 日中戦争(1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称)
1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告
1939-09-01 第二次世界大戦(ドイツがポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)
1940-09 アメリカ、対日屑鉄全面禁輸
1940-09-27 日独伊三国同盟調印
1940-11 日本とアメリカの各種交渉(1941年12月まで)
1940-11-30 日本国中華民国間基本関係ニ関スル条約(日華基本条約)調印
1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達
1941-04-13 日ソ中立条約調印
1941-06-22 独ソ戦(ドイツがバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)
1941-08-28 近衛首相、ルーズベルト・アメリカ大統領に首脳会談を提案(結局、沙汰止みとなる)
1941-12-08 太平洋戦争(日本の英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)
1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。
.
1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)
1942-06-05 ミッドウェー海戦
1942-08-07 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸
1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
1943-05-12 米軍、アッツ島上陸(5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。
1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。
1943-11-22 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談。26日まで)
1943-11-28 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談。同年12月1日まで)
1944-06-19 マリアナ沖海戦。日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋の制海権と制空権を喪失。
1944-07 ブレトン・ウッズ協定
1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。
1944-08-02 テニアン島の日本軍玉砕(テニアンの戦い)
1944-09-11 米軍、ペリリュー島上陸(ペリリューの戦い)
1944-10-20 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)
1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
1945-02-04 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談。11日まで)
1945-04-12 ルーズベルト・アメリカ大統領死去。トルーマン副大統領がアメリカ大統領に就任
1945-05-02 ベルリン陥落
1945-08-06 アメリカ、広島県広島市に原子爆弾を投下
1945-08-09 アメリカ、長崎県長崎市に原子爆弾を投下
1945-08-15 玉音放送
1945-09-02 日本政府、ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争(大東亜戦争)終結)
1945-09-09 日本政府、中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結)
.
1950-06-25 朝鮮戦争
1951-09-08 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約
(日米安保条約)調印
1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効
1952-10-15 警察予備隊が保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1953-03-05 スターリン死去
1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)
1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催
(於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーグホテル)
陸上自衛隊(保安隊から改組)、海上自衛隊(海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置
1956-07 昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)
1958-08 大躍進政策
1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。
1964-08-02 トンキン湾事件(8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)
1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年10月24日まで)
1966-05-16 無産階級文化大革命(文化大革命)(1976年10月6日まで)
1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)締結
1971-08-15 ドル・ショック
1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)
1972-09-29 日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明
勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。
1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)
1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)
1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印
1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効
1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱)
1985-09-22 プラザ合意
1987-12-08 中距離核戦力全廃条約(INF条約)発効(2019年8月2日失効)
1989-01-07 昭和天皇崩御。元号が昭和から平成に改められる。
1989-04-01 消費税導入(当初は3%)
1989-06-04 六四天安門事件
1989-12-29 日経平均株価、取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。
.
1993-07 衆院選で自民党が敗北し、非自民連立政権が誕生する(55年体制の終焉)
1993-11-11 欧州連合条約(マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)
1995-11-23 Windows95が日本国内で発売される。
1997-07 アジア通貨危機
1997-11-03 三洋証券、経営破綻(会社更生法の適用を申請する)
2003-03-20 イラク戦争(2011年12月15日まで)
2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行
上記の記事ではあまりメリットが見えづらいと思ったので自分の経験を載せます。
自分は10年以上この生活スタイルです。中学・高校からだからもっとかもですが。今は嫁と二人暮らしだけどちゃんと成り立ってます。
https://www.hario.com/seihin/productgroup.php?group=GIS-200
Amazonで購入したので7000円台。
一人暮らしを始めるまでは
https://www.igamono.co.jp/index.html
このシリーズを使っていました。
よく土鍋ご飯だから美味しい、という意見がありますが自分はそこまでとは思っていません。そもそも自分の舌は決して高性能ではないため、ある程度の品質以上ならば美味しさの違いを測ることは困難です。ご飯の美味しさは米に依存すると勝手に考えています。
ではなぜ土鍋ご飯をしているかというと、ずっとそれで暮らしていたから、というのが大きいです。もしこれを読んだ人で、土鍋ご飯は美味しいと思っている方がいれば、それは幸せなことだと思います。
土鍋ご飯って料理なんです。炊飯器に入れてポチッとすればでてくるご飯と比べれば、圧倒的に料理感が強い。なので一つの料理としてどう捉えるかですね
土鍋ご飯の手順自体は単純です。「1. きちんと30分以上浸水させる」「2. 水加減をぴったりにする」「3. 火加減」「4. 時間」に注意すればいいだけです。つまり普通の調理となんら変わることはありません。ですが他の料理と比べるとリカバリーが難しく、素材で勝負するために料理としての難易度は高いと思います。
これらは土鍋ご飯のデメリットと言うより「調理そのもののデメリット」です。
その上で、初心者向きではないと思います。普通の鍋ならば水加減をちょっと違えたからと言って味が変わることは希です。しかしご飯の場合は食感に大きな差が出てしまいます。
弱火にするところをうっかり中火のままにして焦がしたり、時間が短くて半生にしてしまうことだってあります。伝統的なご飯の炊き方では最後まで蓋を開けることをしませんので、何も見ずに調理する人には向きません。
炊飯器はその点、一つの料理に特化することで圧倒的な手軽さと失敗のなさを実現しているとも言えます。
わかりません。鍋がどういうものかにもよるので、答えは自分で探るしかないと思います。長谷園はちゃんと手順が書いてあるのでそれに従った方がいいです。
HARIOのタイプならば沸騰させてから弱火で10分が目安です。でもそれ以外にも炊き方はあるでしょう。
幸いにも米はだいたい毎日食べるものなので、日々試行錯誤すればなんとかなるでしょう。
自分は別にご飯を作るのが楽しいから土鍋ご飯にこだわっているわけではなく、単なる習慣としてやっているだけです。
一人暮らしをするときに炊飯器を考えたこともありますが、結局初期投資が安く済むのと、長年の経験から問題ないと判断して今も継続しているだけです。
色んな候補者がいてあいつがやべーこいつがすげーって話題にしてるけど、それって結局ネット上のしかもごく一部でしか盛り上がってないので、政治に関心や興味がない層ってまったく目にしてないよね。
昨日の政見放送が激アツ!!!!!!とか言ってたのも壮大な内輪ノリみたいで、これが18歳~20代の一般の若者に届いてるかなんてたかが知れてる。
ちょっと前に流行ったトレンドを占領してデモだ抗議だとかやってるのも一般の人からしてみればドン引きだし、そもそも見ないし、何がしたいのか分からない。
そもそもTwitter世界トレンド1位に何の価値もなくて、日本人いまTwitterじゃなくてInstagramやってっから。
話逸れちゃったけど、結局政治に興味持つか持たないかは人間性の問題になるけど、Twitterなんか所詮便所の落書きレベルの社会だからタイムラインで起きていることが日本中で起きてるだなんて考えない方がいいんだよね、っていうお話。
【実話】
「間違い電話がかかってきて電話交換局に苦情を言う」というシチュ描写が書かれていた
「1987年当時」だよ
終戦直後じゃないよ
だから彼氏ができないことに悩むことはあれど、「LGBT」当事者からよく聞く「自分はおかしいのではないかと悩む」という声に共感できないでいる。
周りと違って特別であることを好む性格が幸いしたのかもしれない。
周りには積極的に公言することはないが必死に隠しているわけでもないので、そこまで生きづらくもない。
彼には自分がホモであることを言っているし、好意もふんわり伝えたことがある。向こうがそれに気づいているかは別にして。
彼の椅子を占領していたのは私なので、友達同士ならまあ普通のじゃれ合いだろう。多分。
こっちがホモだと知った上でそういうことを普通にしてくる彼に感謝すればいいのか戸惑えばいいのかわからないが、今回は置いておこう。
濡れていた。
具体的に言うと、先っぽから粘度のある液体が少量だが出ていたのだ。
私はそのことに割とショックを受けていた。
自分が男が好きで、男に欲情することなんて今に始まったことではないにも関わらず。
私はこれまで「ホモであること」を精神的な世界で完結させていたのではないか。
あるいは、これまでは能動的にしか「ホモであっ」ていなかったのではないか。(例えば夜のビデオ選びとか)
体がどうしようもなくホモであることを今日初めて受動的に実感したとしたら、このショックも理解できないこともない。
つまり、これまでの私はホモであると同時に「ファッションホモ」だったのである。
ウケる。
オリジナルのBL小説が書きたくてBL投稿サイトBLoveに登録した
使い心地としてはかなり良い感じ
毎日新着とランキングを確認しに行って沢山のオリジナルBLを読んだ
当時の投稿機能は小説作成・イラスト投稿・マンガ投稿・会員のみ閲覧許可
毎日のように新着を確認していたから2017年7月まで9割がオリジナル作品だったと記憶
新着全てnmmnで埋まった
そんな時に某動画人がBLoveにある自身のnmmn小説を動画内で音読
小説もマンガも新着がnmmnで埋まっていく中でパスワードを付ける人はごく少数
仲の良かったオリジナル作者は次々と居なくなった
退会した
これが決定的だった
何市民権得たみたいな顔してんだクソが
毒親から逃げ出してきた友人が、我が家に居候している。娘が検討している歯列矯正の案内書を見つけて「許さないよ!」とか言ってビリビリ破るような親から突発的に夜逃げし、行く宛がないのを気の毒に思って、1LDKの狭い部屋に受け入れたのだ。
あれから二ヶ月ほど経過して、友人はなんだかワガママになった。先程も私が洗面台を使っていると、「私は7時出発なんだから、洗面台を占領するのやめて」と言ってきて我が耳を疑ったよね。いやアンタ家賃入れてない居候ですやん……
当初、最長でも三ヶ月の約束で居候することになったが友人は一向に仕事もバイトも家も見つからない。コロナだから……と言っているが、なんだか眉唾だ。近所のホムセンやスーパーには相変わらず求人票貼ってあるし、新聞には求人広告も入る。
仕事が決まってなかったら約束の三ヶ月を延長しても良いと言おうと思ったけど、無理だったわ。今すぐ追い出すほど非情ではないので、期限いっぱいまでは居候を許可するけど。良い友人だったのがなんだか嫌な感情を持ってしまうし、後悔しかない。