はてなキーワード: 再検証とは
中途採用でECサイトの業界に入った。二十代半ばの頃である。外資ということで緊張してたけど、意外とそうでもなかった。
厳しい社風ではあったが、それはルールや数字に厳しいというだけであり。自社のポリシーや規則に従って行動していれば、結果が悪くてもそうまで低い評価が付けられることはない。
もっというと、上の意向をしっかり確認して動くということか。いや、違うな。ちゃんとした意思決定の過程を踏むということだ。上の判断が必要なら議論をし、委任事項であれば自分の責任で物事に挑み、失敗しても成功しても検証記録を残していく。これだけのことができずに消えていく人間を何十人も見てきた。
語りが過ぎた。私はeコマース(ネットでの買い物)の世界で長い間働いてきた。実はもう転職が決まっている。記念に、これまでの努力の過程を書き綴っておきたいと思った。ちょうど今は卒業シーズンである。
ただ、努力はしたけれども、いい結果が出ないことの方が多かった。もしくは結果自体の測定ができないか。それでもいくつかの改善はできた。その一部を記していきたい。
私の専門分野はレビューシステムだった。あなたも、ECサイトで★を付けたことが一度はあるのではないか。私は、そのあたりの仕組みやルールを作っていく部門で働いていた。SE寄りではなくて、インフラ寄りでもなくて、格好よくいえば社内Sler兼企画といったところか。
これから、何点かのトピックに分けて思い出深い改善活動について述べていきたい。なお、特定の用語を出すとどこの会社かわかってしまうので、専門用語は一般的な言葉に置き換える。例えば、あるレビューにクリック等で賛意を示すことは「いいね!」で統一する。
昔は、ある特定のレビュアーへの通報が多かった。違反報告か、問い合わせ窓口(TEL,mail)を通じて、「あのレビューは誹謗中傷だ」「特定個人の名誉を傷つけている」「製造メーカーへの粘着が見られる」「差別的な表現を用いているので削除すべし」といったものが多かった。確かに、通報先のレビューを読んでみると、大変よろしくない表現が散見された。
当時は、電話によるカスタマーサポートがあった。その窓口に、正義感を持った方々が、上記の善くないレビュー及びレビュアー(bad egg)について抗議していた。
こういった問題あるレビューについて、私がいた部署では対応が必要と考えていなかった。直属の上司も、さらに上の人間も、どの国にも地域にもいる悪口をたくさん言う人としか捉えていなかった。
しかし、私や数人のチームメンバーは、彼ら悪辣なレビュアー(bad egg,bad person)の行為が、サイト全体の害になると考えていた。具体的には、次のような行為を彼ら(彼女ら)は行う。
・商品をわざと口汚く罵り、マイナス評価や罵倒コメントが付くことを喜んでいる
※アニメや漫画、小説といったエンターテインメントに多く見られる
特に、一番下のタイプの顧客の場合、サイト利用者に不愉快な印象を残す可能性が高い。対処が必要と思われた。
しかし、データがなかった。上司にある対策を提案した際に言われたのは、「今あなたがしようとしているのは、私の権限を超える行為であり、本社への協議も必要である。主観ではなく、根拠を示したうえで提案せよ」というものだった。
それから半年以上かかったものの、私とその小さいチームで初版の検証資料を作成した。それは、次の結論から成り立っている。
・悪辣なレビュアーと論戦になった顧客は、その後半年間での実質退会率が高い
具体的なマイナス幅を提示することはできないが、統計学上、数パーセント以上という有意な範囲で顧客にマイナスの影響を与えていた。当然売り上げも落ちている。
悪辣なレビュアーは、一般的な顧客とレビュー内容を巡って論争(※当時はコメント機能あり)になった際、いわゆる煽り行為をする。その口汚い言葉が顧客を傷つけ、顧客体験を棄損してしまう。そんな当たり前のことに気が付くのは容易だったが、数値的に証明することは難しかった。
私たちの検証結果は、上の階層へと引き継がれた。さらに細かく検証するという――それから数ヶ月が経って、本社の方から通達があった。
「次のとおりレビューシステムの仕様変更を検討する。そちらの考えをまとめて回答せよ」とのことだった。以下は仕様変更案の参考文面である。
‐改善案‐
「参考にならなかった」のコンバージョンボタン(Conversion Button)の廃止を検討する。
理由:悪質な利用者が一定数いることで顧客体験を損ねている。顧客がより安全にショッピングを楽しむためにも、悪意をもって低評価をする者への対処が必要である。
私たちは、その通達と、添付されていた検証資料を読んだうえで、時間をかけて再検証を行い、廃止は正しい行為であるという回答を上申した。
加えて、現状のレビューシステムにある顧客同士で討論できるコメント機能についても、建設的な議論が行われているとは言い難い状況にあることから、廃止を提言した。
積年の課題だった。残念ながら目下解決には至っていない。不正レビュー根絶の目途もつかない。明白な違反者であれば発見・処分ができるのだが、グレー段階での処分は難しい。
実際に、不正を行ったと思しき者を見つけることはできる。AIが発展した現在だと、いわゆるサクラレビューと呼ばれるものはシステムの方で自動的に発見し、一定確率で怪しいものを報告してくれる。
昔は、一件一件手作業であったり、Excelのフィルタ機能を組み合わせるかのように検索条件を設定して虱潰し(shirami-press)に見ていく必要があった。
そう、不正行為と思しきレビューを見つけることはできる。あくまで見つけることは。だが、はっきりクロだと断定し、処分を下すのは人間にしかできない。1日につき何十件、多い日だと百件以上も上がってくる不正と思しきレビューに対応するのは不可能に近い。
多くのECサイトには、利用規約や社会倫理に反する行為をする利用者(販売者、注文者、閲覧者)を処罰するためのポジションが存在する。弊社においても当然あったが、少数精鋭が過ぎて不正レビューへの対応が後手に回っていた。
不正を見つけることはできても、処分することは難しい。冤罪があってはならないのはもちろんのこと、微妙なケースである場合も、利用者が今後弊社を利用してもらえるよう最大限配慮する必要がある。
はてなのサービスでいうならば、以下の利用規約の適用に係る取扱いが最も近い。
d. 迷惑行為、嫌がらせ行為、誹謗中傷行為、正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為
e. 自分以外の個人や会社、団体を名乗ったり、権限なく特定の会社や団体の名称を使用したり、架空の個人や会社、団体を名乗ったり、事実がないにも関わらず他の人物や会社、団体と業務提携や協力関係があると偽ったりする行為
私は、学生時代からはてなのサービスを利用している。はてな匿名ダイアリーにおいては、この規定を制限的に運用しているように見える。
というのも、明らかに釣りと思われる投稿をしたり、他人になりすましたり、特定の企業や団体を匂わせる文書を発しているエントリが一定数みられるが、運営が規約規範として対処している様子はない。
推測ではあるが、99%のクロであっても、それが100%でない限りは対処しないという方針であろうと思われる。冤罪を避ける意図もあるが、意見の多様性を保持するためでもあるし、はてな匿名ダイアリーをひとつの実験場として捉えているのかもしれない。当方は、増田なる場所を蟲毒のひとつであると考えている。
話を戻す。レビューに関する不正行為について――その大半がサクラ行為であるが、不正行為の抽出までは技術的に自動化できるものの、最終判断は人がせねばならない、かつ間違いがあってはならない――という課題について説明した。
ただし、今のところはそれで問題ないと個人的に考えている。というのも、不正レビューへの対処が迅速ではないというだけで、悪質な行為をする利用者を取り締まること自体はできているからだ。技術が向上すれば、今後の改善も見込まれる。
今でも、ECサイトを覗いているとサクラレビューが多く散見される。会社を去って他業界に行く自分がいうのもどうかと思うが、今後も建設的な手段により不正行為への対策が効率化される未来を願っている。
多くのECサイトでは、役に立つレビューを行った人に賛意を示すことができる(冒頭の「いいね!」ボタン)。多くの点数がついたレビューは、商品欄において上位に表示されるようになる。
どのECサイトも、できるだけ多くのレビューを投稿してほしいと考えている。世の中の儲かる商売というのは、消費者に働いていただくことで成り立っている(GoogleやTwitterが典型例。もちろんはてなもそうである。運営会社はブロガーの生産活動によって生きている。ほかには食べログ・リクルート・メルカリなど)。
過去の弊社においても、どういった仕組みを採用すれば多くの利用者にレビューを書いてもらえるのか、サイト黎明期の先達は検討に検討を積み重ねた。
結果として、レビュアーランキングシステムという、今では各社で一般的になった仕組みが誕生した。かつてECサイトが未開の荒野を歩いていた時代の発明のひとつである。
永きにわたって活躍したランキングシステムだが、今では隔世の感が否めない。レビュアー同士の競争を促進することで、より多くの良質なレビューが生まれるという判断があったが、それは一企業人の錯覚に過ぎなかった。一企業においても高度の統計分析が可能となった現代において判明したのは、その役割を果たさなくなっていることである。
「レビュアーランキングの存在によって、自らの票を集めることのみを目的としたレビューが増える。初めは良質なレビューを書いていた利用者でも、ランキング上位になった後にレビューの質が低下する傾向にある」
ある時、自分の書いたレビューがバズったとする。それは、有名な映画か小説か漫画かアニメか、化粧品か家電製品か衣服か、はたまた書籍か、なんでもいい。自分のレビューが数百人からの「いいね!」を集めたとする。その後も良質のレビューを投稿し続け、同じような体験を繰り返したとする。そして、あなたは晴れてレビュアーランキングの相当上位に昇った。あなたが投稿したレビューのどこかに、それを示すバッジが掲示される。
さて、晴れて上位レビュアーとなったあなたであるが、その後に何もしなかった場合、順位は落ちていく。数ヶ月も何もしなければ、まず確実にバッジは剥がれる。元に戻るのだ。
それが嫌なレビュアーもいる。上位レビュアーでありたいがために、関連商品にとりあえずのレビューをいくつも投稿する。人の目を引くために過激な表現を使うし、ゴシップサイトさながらの低俗な言葉遣いをすることもある。また、省力化のため、自己や他者のレビュー内容の一部を借用することがあるかもしれない。
上記の調査研究において、上位レビュアーによるそういった傾向が明らかになった。特に、サブカルチャーにおいては顕著であった。
【具体例】
・新作アニメの公開時期になると、数行程度のレビューを無差別に付けて回る
・水平展開するコンテンツ(原作→アニメ、小説、映画、舞台etc)の各所に似たレビューをする
現在では、レビュアーランキングシステムは廃止されている。上に挙げたようなマイナス効果の方が大きいというのが、社内の統一された意見となった。
レビュー自体については、今後も廃止されることはないだろう。私自身も、レビューの調査研究を続ける度に学びになることがあった。人の親愛の興味深い傾向(ex.数千字にわたって自分の家族の話をする)であったり、笑いを狙ったユーモア(ex.ヘッドフォンの音質は、元の電源によって異なる。原子力発電か火力発電かソーラー発電かを聞き分けられると一人前)であったり、その道のプロと思われる学術的なレビュー(読書カテゴリに多い)も多数拝読した。
日記は以上である。懐かしい思い出を振り返る機会ができてよかった。年度末ということで、新しい職場に移る前に買き始めておきたかった。投稿はゴールデンウィークになってしまった。
次の職場も、一般企業と各消費者を結びつけるタイプの仕事になる。フリマアプリの会社である。残念ながら、自分の仕事を通じて、どれほどの顧客体験を社会にもたらしたのかを測定できる手法は未だ確立されていない。私が生きているうちに、そういった手法が生み出されることがあるのだろうか。
最後に、ここまでお読みいただきありがとう。今後、あなたが利用した商品をレビューしたことで、そのサイトでショッピングをする何千、何百万人という利用者が喜ぶ未来を祈っている。
近年、トヨタ自動車グループでは品質管理に関するいくつかの問題が発覚しています。特に注目されているのは、グループ企業である豊田自動織機におけるディーゼルエンジンの認証取得不正事件です。この記事では、この不正事件の概要と、それが示唆するトヨタグループ全体の組織運営および管理体制について考察します。
豊田自動織機は、ディーゼルエンジンの出力試験において、量産用と異なるソフトウェアを使用したECUを用いることで、不正な報告を行っていました。これにより、トヨタ自動車は該当エンジンが搭載された車両の出荷を一時停止し、再検証と対応策を進めています。 https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/40376176.html
このような不正行為の背景には、トヨタ自動車グループ全体で見られる組織運営および管理体制の問題があると考えられます。ダイハツ工業での不正事件を例に取ると、過度にタイトで硬直的な開発スケジュール、コンプライアンス意識の希薄化、管理職と現場のコミュニケーション不足などが原因として指摘されています https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231220/k10014293451000.html
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2312/20/news129.html
これらの問題は、トヨタ生産方式(TPS)そのものが原因というよりは、TPSを運用する過程での経営方針や組織文化に根ざしていると考えられます。
トヨタ自動車グループとしては、今回のような不正行為を未然に防ぐために、管理体制や組織文化の改善が必要です。これには、開発スケジュールの見直し、従業員教育の強化、組織の再構築などが含まれるでしょう。また、組織全体としてのリスク感度を高めるために、経営幹部による現場の状況把握とコミュニケーションの強化も重要です。
トヨタ自動車グループは、品質管理の問題を克服し、再び信頼される製造業としての地位を確固たるものにするために、組織運営と管理体制の根本的な見直しを行う必要があります。これは、単に一企業の問題ではなく、グローバルな製造業における品質保証の在り方に関わる重要な課題と言えるでしょう。
そうじゃなくて、それが自然科学とかの場合は「科学コミュニケーションの失敗」だとして扱われるだろ?ってこと。
あるきっかけ。感じた怒り。それを消化というか消火できずにいると、それはやがて自分の人生上の怒り、というところまで拡大していく。そしてそれが解析困難だと、あらゆる意欲を失っていく。意欲の失い方、堕落の仕方は完璧だった。投げ出したんじゃない、先延ばしし続けたのだ。その結果、人生を諦めて放棄したように錯覚するところまで行き着いた。あまりにも自然にそこまでフェーズを移してしまった。
怒りを感じて、怒りをどうすることもできないと感じると、無力感を生じる、そうして問題と向き合うのを先延ばしするうちに無気力になっていく。
もう届かない怒りをどうするのか?
結論は?
根源の相手を探すか、他の人に八つ当たりするか、それ以外か。忘れるか。
時間が経てば忘れられる。小さくなって消えていく。だけど直後はそれが判らない。
人間全体が憎くなって、それを晴らす方法も分からない。自分は一方的に相手からやられ続けるだけだと思うようになる。
実際は、私の人格は多重複合構造であり、怒りと報復のテーマだけで動いているわけではない。
でも感じられない。どれをとっていいかわからないと感じる。どれか一つしか選べないような気持ちになる。あるいは統一できないといけない気持ちになる。
どんなフェーズでもいい、どんな精神状態でもいいから、やるべき行動を続けることを止めないんだという自分への約束は無意味なことに感じる。
もう一度そのテーマについて1から再検証するべきではないかと感じる。事実3日も4日も自分に課した義務を放棄してるのだから、今さらノコノコ元の状態に戻れない、なんの成果もなく元の生活に戻ったらただの損失でしかなくまた同じ事を繰り返すから、あと1〜2日無駄にしてもこの問題に向き合って考えるべきだと感じる。
しかし私は多重複合的な精神構造で生きてる。私の精神状態は常に揺らいでいる。その気になればいつでも問題に正しくフォーカスできるというのは幻想である。
それは存外難しく、一度機を逃すと再びそれが上手くいく確率は、実はものすごく低い。それを待っているよりできることをやったほうがはるかに実がある。わかっているのに私は動かない。4日は無駄になったと認めて損失の合計を4日間と計上するよりも、5日間の時間と引き換えに何か大きな気づきや悟りや決心やその他投じた時間に値する価値を得る、損失を取り戻すことに執着する。
それは時間が経てば経つほど困難になるほとんど不可能なギャンブルだ。なのに私はいつまでも損失を認めることができない。ただじゃ起きないと思ってる。ただで起きなければ失ったモノが戻ってくると錯覚してる。実際はただで起き上がる方がずっと賢く、失うものは取り戻すより最小限に留めるほうがずっと良いということが判らない。5日かけて何かの気づきを得たと思っても、5日を失ったことに変わりはないことが解らない。
私は精神状態さえ持ち直せれば恒久的に安定して前進を続けられると思っている。
そうした思い込みの末に今の泥沼の中にいる。
「取られるはずなのないもの」に足を取られて、「すくわれるはずのないもの」に足元をすくわれて、「怒るに価しない怒り」のせいで結果自らの人生すら破壊しようとしている。有り得ない有り得ないと喚いている、それが私だ。
私は自分で止めるしかない。自分で違う場所を目指すしかない、怒りだろうと、他のどんなネガティブな感情だろうと、ネガティブな経験だろうと同じ事で、私がそれに“やられて”しまうのを誰も助けないし誰も哀れまないし、誰も意味を与えることもない。私は独りきりだ。誰も私の現状に納得のいく説明などできないし、してくれない。私は放置されているし、見放されている。いや違う、私は関心を持たれていない。私の境遇も、私の過去も、私の努力も、私が怒りを抱えながら藻掻いたり悩み苦しんだり、そういうことに“この世”は関心が無い。少なくとも、私の場合はそうだ。他の人間の待遇は知らない。他の人間は関係ない。他の人間の待遇は違う。他人は他人、私は私のこの世での待遇に目を向けるべきだ。私は今はまだ死ねない。かといって生き続けても私の人生がよくなる保証は一切ない。私は産まれる前にありとあらゆる保険を解約したのかもしれない。他の多くの奴らが付帯させてほしいと契約したものを、私は敢えてぜんぶ外したのかもしれない。特段に人生で虐げられてきたとは思わない。特段にひどい境遇というわけじゃない。ただ、保険や保障や恩恵や共同体利益や、そういう皆と同じ輪の中で得られる福利に私は1つもチェックマークをつけなかったのかもしれない。
だから私の出す結論は何か。進み続ける、行動し続ける、それしかない。死なないのなら死ねないのなら、怒りすら捨てて、前に進まないといけないのかもしれない。これは崖なのかもしれない。ただただ登るしかないのかもしれない。わけのわからない目的のために、ただもう頂上を目指す、それだけしか残されていないのかもしれない。
怒り。許せない人間、許せない思い。
憎い、悔しい、許せない、私は訴える。
その思いを何とかしないとどこにも行けない気がする、進めない気がする。でも【それを見ているもの】は、ない。
怒りの火種で燃やされて終わってしまうのだとしたら、そんな私に、“なにか言うことはないのか”と私は何かに対して問う。
ない。
私は随時、放火される。放火魔は多くの場合、捕まらない、私は一方的に放火される。私が火を消さず怒り狂って地団駄を踏んでいたら、どうなるか?
【そのまま】になる。
私は随時一方的に放火される。放火魔はたいてい捕まえられない。もし捕まえて八つ裂きにすると、私の人生も終わる。そんな危機が何度も起こり続ける。それが私の人生で、私の生きている世界だと思う。そこで私は選ばないといけない。放火魔を八つ裂きにするのか、消火して私自身を建て直すのか。この問いを繰り返し繰り返し毎日看板に書いて掲げる必要がある。やるのは無意味かも知れないが、やらないのはそれよりも無意味に思える。無意味の中でも【より意味のあるように思える無意味】を選択する。それ以外にできることはきっとない。最善は選べない。最善を選ぶのは贅沢な行為である。贅沢は贅沢を許される人生に許されている。贅沢を許される時期に許される。私のモラトリアムは終わった。私へのそういったものの支給はもう終わった。私にできる贅沢な選択はない。私にとって最善の選択は、常に【マシな】選択である。こっちよりはこっちが、あれよりはそれが、【比較的】【若干】【ほんの少しだけ】マシに思える。そういうマシな取っかかりや手がかり、足がかりを、私は掴み続けるしかない。崖をよじ登るならそういうことなんだろう。そんな状況でわざわざ私を燃やそうとする捕まえもできないものたちを、私はどうするのか。私に捕まえられない放火犯を分析する余裕は【ない】。
私は割り切らなければいけない。
あの人間は私に火をつけて逃げた。私はショックを受ける。怒りが湧いてくる。火が燃え広がる。ショックで立ち止まったままになる。消火を怠って、延焼を放置して、5日が経った。あの人間は平然と生きている。当然だ。私はそのことを考え続ける。自分より他人のことを思いつづける。私はあの人間なのか?私の人生はあの人間の人生なのか?私が私の心を放棄するほど、私の人生はあの人間の人生なのだろうか?あの人間の人生について考える価値が私の人生以上にあると、私は本気で思い込んでいる。私が陥ったものというのは、そういうものだ。私があのとき立ち向かわなければいけなかった分岐点は、そういうものだ。
「でも、だって、この怒りは抑えられない、どうしようもないんだ」その言葉の正統性を知っているのは、私一人だ。誰も私と全く同じようにその思いを分かち合ってはくれない。他人は火を消せという。私ははそれを聞いてもっと怒り狂い、火に油を注がれたと感じる。「火をつけたやつがいるんだ!」と私は叫ぶ。他人は「わかるけど火を消せ」と言う。「何がわかるんだ!上っ面で分かったフリすんな!火をつけて逃げたやつがいるんだ!!」と私は叫ぶ。私と他人は永遠に噛み合わない。私は失い続ける。他人への怒りと不信感は膨らみ続ける。それでも誰も私を憐れんではくれない。他人は無理解である。だが私はこの世界でその他人と関わって、時に助けを借りなければいけない。それをしたって私が根っこから救われるわけじゃない。ただ、そのほうがマシだからだ。他人を一切閉め出すよりも、他人と一定関わるほうが【マシな選択肢】だからだ。私はそういう選択をし続けるしかない。消極的だろうが積極的だろうがそうやって選ばないけといけない。選ばない損失と選ぶことで得られる可能性を秤にかけて行動を起こさなければならない。私がいるのはそういう世界だ。進むしかない。上を目指して登り続けるしかない。私がそういう世界を自分で選んだのだ。
増田で流行ってた、何の裏付けも根拠もないコロナ占いに嬉々としてブクマして
当たった当たったと大喜びしてたよね?
あんなの科学的に見ても正しくないぞと、冷水かける増田が出て来て
やっとブクマが伸びなくなったけど、あれがなかったら最後まで信じ切ってたでしょ?w
占い以上にスピリチュアルで、害しかなかったコロナ占いを信じてたという
そんなはてな民が占いを馬鹿にするのって、ナンセンスじゃないかなぁ?w
このブコメを良く眺めてから、お前らに占いを馬鹿にする資格があるか考えてみては?w
欲しいものリスト公開されて大喜びで占いに貢いでるお前らと、新興宗教に献金した山上母との違いはないんじゃないの?w
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210621175921
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210628190235
やべぇ、ブコメに軽い感動すら覚えてる。
まだ、風が吹いたら(根拠)桶屋が儲かる(予測)と同じレベルの戯言を予測だと言ってる奴がいるw
根拠と予測の間に科学的に証明された根拠がなく、再現性、再検証性がなければ、それは占と変わらないと冷水ぶっかけられたことを未だに理解できてないんだなぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20140601012957
書き込みから約8年。ぷよぷよ通スコアアタック事件。このミステリアスな事件は今でも思い出すことがあり、不本意ながらワクワクしてしまうのだ。
ぷよぷよのプロゲーマーである、くまちょむ(服部崇)氏の当時(2004年)の的確な分析を紹介しておきたい。MYK氏はもう少しくまちょむ氏の考えに耳を傾けるべきだった。
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今回の騒動は実に不可解な点が多いように見え、MYKさんが動画のERIさんを水無月愛理氏だと疑ってしまうのは当然の流れです。
私は、MYKさんがこの販売動画のある部分を見落としていて、それを考慮に入れていないためにこの問題と正面から向き合えていないのだと言わざるを得ません。
そう言うと、「なんで動画を見ていないのにそんなことが言えるんだ?」と思われてしまいそうですが、怒らずに聞いてください。
・・・と、その前に、皆さんは「ギガウイング2」というシューティングゲームをご存知でしょうか?
このゲームはゲーセン用のAC版と家庭用であるDC版の2つがありまして、私はもう引退してしまいましたが、以前は必死にAC版、DC版の両方でプレイしていたものです。
そこで私は引退記念に、家庭用でプレイを収録した動画を来年1月に販売しようと思い立ちました。
販売時の書き出しは以下の通りです。
ギガウイング2発売4周年記念! 究極のスコア出しをあなたに贈ります!
430627100796944027点
私はかれこれ2001年1月より2004年10月まで途中休止した期間はあったものの、3年近くプレイをしてきました。
特にシングルプレイではなく、ダブルプレイで点数を狙うスコア出しに魅せられ、アーケード版を中心に点数と操作技術の向上に努めて参りました。
現在のアルカディアという雑誌に掲載されるハイスコアを意識していたこともあります。
ゲームセンターでギガウイング2に投じたお金は、3年間で200万円以上になります。まさに命を懸けてきたゲームでした。
今回ご紹介するプレイは、3年間の私の集大成とも言えるべきもので、最も高いスコアのものであり、かつプレイ内容にも自分自身納得できるものであります。
たった1ゲームではありますが、皆様に胸を張ってお見せできる内容であると自負しております。
早いものです。この私のプレイを見て、こんな楽しみ方があるのか、ダブルプレイをやってみよう、そんなふうに思っていただければこれ以上うれしいことはありません。
以上の内容で、2005年1月にネットオークションにて一人の方に販売したのですが、その人からクレームが来たんです。
「この動画は明らかに『リスタート機能』を使ってスコアを出していますね?」
「私はノーコンティニューと書いてあるからズルはしていないと思っていました。」
「スコアラーとしてのプライドが無いんですか?私は失望しました。」
・・・という内容でした。
この『リスタート機能』というのは、進んだステージの最初から何度でもその面の開始時の点数でやり直せるという機能でして、この機能を使ってスコアを出すという行為は、ぷよ通の稼ぎにおける「途中乱入を使ってスコアを出す」のと同じこと。
とはいえ厳密には違うのですが、やっていることは同じです。
この時、購入者はこう思ったはずです。
・・・とまあ、私がギガ2の動画を販売したらこうなってしまうかもしれません。
この物語のように、実際私は家庭用では練習で『リスタート機能』を使っていましたし、【引退記念】として最後に撮った動画も家庭用版のその機能を思いっきり使用しています。
そして私だけではなく、シングルプレイのトップシューターでさえもこのゲームで『リスタート機能』を使用し、大筋はスコアを高めるために練習していると存じています。
ちなみに、私のギガ2日記には最後に撮ったものを「本番」と記してありますが、それは家庭用で最後にプレイするという意味合いであり、やはり本番の本番はゲームセンターでのスコアアタックで、家庭用はやはり練習ということになります。
で、私が何を言いたいのかというと、メガドラ(家庭用)のぷよ通で「途中乱入機能を用いてスコアを出す」という行為はアリだということです。
そして、マージン設定の変更もアリです。さらに、プレイ動画をその事実を記載せずに売っても問題は無い(全くではありませんが)と考えます。
やはり、ゲーセンでやっているわけではないので、どんなプレイスタイルを取ろうがそもそもアルカディア誌は全く関与していません。
そこで、「だったらせめて練習だと記載しておくべきだろ?それを明記せずに販売しているのはどう考えてもそれを意図的に隠して販売したとしか思えないぞ」
と、あなたは思ったはずです。
しかしですよ、私がこのギガ2動画に堂々と「練習」と書いて出品すると思いますか?
しないでしょう。「練習」とも「本番」とも書きませんね。
「私は命を懸けてこのゲームをやりましたー!スコアには相当の自信がありまーす!でも練習でーす!」
それはさすがに
書 け ま せ ん
ですから、動画のERIさんは何ら紛らわしい記述をしたつもりは無いはずで、それについては返信メールにて謝罪しています。
やっぱり、私が動画のERIさんと同じような立場になってしまったら同等に近い答え方をすると思いますね。
自分が命を懸けてきた練習動画に対して「アンタ、最初から練習ということを記載しておいてくれよ。」「人を騙すのもいいかげんにしろ。」と私に言ってくるんですよさっきの購入者さんは(笑)。
私はかなり怒りましたが、冷静になってメールを返信しましたよまったくもう。
「これはこちらの出品の仕方に問題がありました。端的には『最もアーケードに近い』というフレーズと、にもかかわらず『実際にはアーケードからほど遠いスコアの狙い方』という点が、誤解を招いてしまったようです。なので、『今回のプレイは正式スコアには全く匹敵しない』という記載があれば問題ないと考えます。弁解になるかもしれませんが、正式スコアに匹敵することを強調するつもりはなく、ドリームキャスト版であることを全面的に言うことで非公式であるという認識を持ってもらえると想像していました。リスタート機能についてはもちろん認識しています。ドリームキャスト版ではリスタート機能を交えて練習することが多いのです。」
と、メールを送ったのですが、向こうの人はまだガミガミ言ってくるんですよ。
私はどうすればいいんでしょうねえ。
さて皆さん、今回の騒動の中で「マージン設定の変更」のほうへ目が行ってしまっているかもしれませんが、私が注目しているのは
「この動画は途中乱入機能を用いているのではなかろうか?」ということです。
マージン設定を変更しているのは明白なので、正確には途中乱入機能も、ですね。
その場合、29.97fpsの動画を繋ぎ合わせた事実を立証できればこの第2のERIさんは限りなく水無月愛理氏とは別人ということにはなりませんか?
だってそうでしょう。「究極スコア」と記載していてマージン設定を変更し、さらに途中乱入機能を使ったわりにはあまりにもスコアが低すぎ(第2のERIさんごめんなさい)て、これはおかしいと思うはずです。
MYKさんはページの中で「この設定とこの技を使えばこれぐらいはスコアが出るんだよ」と言っていて、条件別でのスコアの高低がある程度予測できています。
しかし、151万点が出されている動画で実際にそうだった場合でのスコア高低判断をMYKさんは怠っているように私は思います。
そしてそのことが、動画のERIさん=水無月愛理氏 だという疑惑を払拭しようニしない要因の1つになっているような気がしてなりません。
ちゃんとやったつもりが1フレームズレてたり、繋ぎ目に音声ノイズが入ったり、とにかく見栄えよくつなぎ合わせるのって結構難しい作業なんです。
それで、苦労の末にようやく究極スコアを出した動画を上手く繋ぎ合わせる事ができたんですよー。嬉しいなあ。
そしたら購入者が「上手く繋げたつもりだったようだが私の目はごまかせんぞこの詐欺師がァ」とか言ってくるんですよ。
一生懸命繋げたんだけどなぁ・・・。私は何か悪い事をしたんだろうか??
・・・と、いった感じです。
MYKさんの事を悪く言っているつもりはありませんよ。
しかし、やはりMYKさんは疑問をお持ちになられた以上、出来るところまでは様々な角度からこの問題を見つめ直し、再検証を試みてみるべきだと思います。
今回起きた出来事は、数々の偶然が重なってしまっていて今のMYKさんに「冷静になれ」というほうが無理な話だということは重々承知しています。
それに、私は「もっとこの話題を肥大させていきたい」と思っていませんし、やはり即急に問題が解決されていく事を望んでいます。
MYKさんが、「どう言われようと俺は黒と言ってしまったようなものだから、今更考えを変えることはできない。」という考えをお持ちであれば、それでもいいと思います。
しかし、「10年間命懸けでプレイしたと書いてあり、名前が一緒で、しかもスコアがスコア、偶然が重なりすぎている、だからやっぱりこれはそうなんだ・・・」という考えを貫き通すのであれば、
その前にもう一度調べられることは調べたほうが良い気がします。
あのページには動画と解説書を隅から隅まで見たというようなことが書かれていますが、動画の繋ぎ目を調査したという記載がないので、私は今現在、MYKさんが少なくともその唯一の証拠品に対して1点以上の確認は怠っていると考えています。
そして私は、そのことがとても気になっていています。
ですが、それを調査して繋ぎ目付近に明らかなフレームズレや雑音等が確認できた場合に「マージン設定も変更していてさらにこんな小細工を・・・ますます許せん。」と、思ったりしてはいけませんね。
だってこの人は悪い事をしているわけではないし、悪気があってやったことでもないはずですから。
それでもし繋ぎ目が不自然で、やっぱり繋げていたという事実が明らかになったとしても、「最初からその事実を記載しておけよ」と言って責めるのはおかしいと言えるでしょう。
それはなぜか? ・・・私が書いた文章の中に答えが書かれています。
今回私は、練習(家庭用)において設定の変更やその他の手段を用いてスコアを出す行為は全く問題ないと主張し、
さらに、それを記さずに動画の販売を行っても問題ない(全くではありませんが)ということを私個人の観点から明らかにしました。
そしてそれは別におかしな考え方ではないということが、私の書いた文を読んでもらえればお分かりいただけるかと思います。
それを否定したら、「途中乱入とマージン設定を使ってスコアを出したらしいが、服部はスコアラーとしてのプライドをお持ちでないのか?家庭用とはいえ、お前は疑われても仕方がないぞ。」
と、私に言っているのと同じことになります。
何度も同じようなことを書きますが、それを言われたら「練習でやってるだけです。」と答え、「どうして記載されていないんですか?怪しいですよ。」と返され、「はあ~??」という流れになってしまいます。
動画のERIさんは運悪くスコアネームの一致などの偶然が重なり、表舞台に現れていないだけでそのようなことを思われている可能性が高いと私は考えます。
そして、やはり動画のERIさんはそういう稼ぎスタイルを自分の中で確立させている人なんだなと私は断定しました。
それはゲームは違えど、「スコアラーでいて、同じようなことをやっている者」同士だからこそ言えることなのかも知れません。
皆さんはどう感じたでしょうか?
長くなってしまいましたが、以上です。
疑問などがあれば次回に答えたいと思っていますし、すでに答える準備ができています。
それではまた~。
より優れた予測が(欲を言えばちゃんとした機関から)出されることを、ずっと願っています。実際に、一時的に対抗(?)予測が現れたことはうれしく思いました。ただ、「感染者数」の数字の意味がこれから薄れていくのも確かだと思います。放っておいても自然とフェードアウトするでしょう。
わかります。もっと外してる各種の政府・大学・シンクタンク予測にも言ってやってください。
おっしゃるとおりです。でもひょっとしたらそこそこの精度で当たるんじゃないかと思って公開しています。それがどの程度の精度かというと、現在も検証中ですし、これまでご覧になってきた程度の精度だとも言えます。
一部にはモデルを「(あるのに)公開していない」との指摘さえありますが、解説記事(anond:20210726192034)がすべてで、書かれていない秘密の考慮事項や秘密の計算式はありません。言葉の定義の問題だとは思いますが、個人的にはこれをモデルと呼ぶのは・・・せいぜい一般名詞として、くらいじゃないかなと思っています。つまりモデルなんてないよ、ということです。
具体的にどのことを指しているのでしょう。デルタ株の感染力をイギリス報告からWHO報告の値に更新したことでしょうか、渋谷の人流データを新規に取り入れたことでしょうか・・・? たとえば将来の人口予測を、実際の出生率に合わせて毎年修正するのはふつうだと思います。まして、新しい移民政策が始まったり、その効果が実際に数字になって現れてきたら、取り入れるのが正しい姿勢だとも思います。コロナにおいても、イギリス公衆衛生局も日本の国立感染研も京大の西浦教授も用いる数値を毎週更新していますし、用いるデータや計算方法も随時変えていますよ。感染研など、これまでずっとデルタ株の影響を「考慮していない」とわざわざ注記までしていたのを(そして予測は当然大きく外し続けていた)、最近になって考慮するようになりました。いずれにしても、わたしは予測の精度を高めたいだけですし、何か変えたら記事で説明しているので、さも「最初からまったく同じ計算方法でやってますよ!」と騙っているわけでもありません。(もしくは、批判している方が「計算方法」について何か誤解されている気もしています)
はい。でも解説記事に挙げたような散布図を見て、突拍子もない場所に点をプロットしようとする人はいないでしょう。「その程度」の精度は得られるとご理解ください。逆に、解説記事に書いたような弊害を無視して、この人力部分を機械的な回帰分析に変えることは誰にでも(わたしにも、あなたにも、今日からでも)できますから、ぜひやってみてください。もちろん「こうすれば弊害を回避しながら人力を排除できる」という提案や批判は大歓迎です。
そんな人はまさかいないとは思いますが、感染者数の最大値と人流という着目点についてはすでに東京都医学総合研究所が指摘していますから、この予測自体には論文にするような価値のある要素はひとつもありませんし、むしろ途中に人力が入る論文なんてありえないと思います。誰にでもできそうなことを、少し手間をかけてやっているというだけのことです。でも、それこそ誰かが再検証性がある数理モデルを作った上で論文にされるのであれば、本当にすばらしいことだと思います。
相手にとっては掃いて捨てるほど届いているであろう有象無象の意見のひとつと思って書いたものですが、個別の反論やご指摘は、すでにいただいたものも含めていつでも歓迎しています。むしろ「はーなるほど!」と納得したいという思いもあります。ただ、その後、感染研はデルタ株の影響を考慮するようになりましたし、デルタ株の感染力も結局イギリスやWHO報告に近い数字で推移するようになってきました。(ところで、みんなもブコメや増田やTwitterでいつも意見してると思います。しかし、メールを送るのがまずかったとすれば、確かに、5秒で捨てられる運命のメールなんて送らないほうがよかったのかもしれません)
わたしの口からこんなことを言うのはどうなんだと思うので大変言いにくいのですが、予測の「割に合う」ほど送られてきているわけでは、もちろんありません。あくまで関心があるから予測しています。でも、おもしろおかしい投げ銭文化はもっと広まってほしいと思っています。ありがとうございました。フィンガーチョコおいしい。
この3点はヤバさのハッピーセットなんやが、未だにknoa氏を有難がろうとしてる連中は、それが分からんのやろなーって思ったわ。
こんなもんをそこそこの理系大学で卒業研究として出そうとしても、担当教授に卒業可能な研究成果として認められない程ハチャメチャなんや。
これは何度も指摘されてる訳やが、予測モデルが存在しなければ誰にも再検証できないし、予測の尤もらしさが検証できない。例えばや、毎日我々が参考にする天気予報にも、当然やが予測に用いた数理モデルが存在する訳や。
それを元にスパコンで計算して過去の例と付き合わせ、予測精度や誤差まで検証したうえで、「こんな感じの精度のモデルをつこうてるから、参考にすべきところは参考にしてな」って予報を日々公開してるんやな。
可笑しいと思った誰かが、それに対して検証し、反論を加えられるだけの材料が揃っているからこそ、広く受け入れられている訳やね!
これは、ほんまにヤバいよ!
例えばやヤードで計測した時速と、メートルで計測した時速を、単位系の変換なしで、数値のみで比較してたらどう思うよ?ガイジやろ、そんなものは?
毎週のように計算方法を変えてるという事はや、本来は以前の計算結果と単純に比較する事は絶対に許されないレベルのアホのやる事な訳やね。仮にも数字を扱ったことがある人間なら、まずやらんことや。
もしも計算方法を変える場合は、変えた前と後でどの程度の違いが生まれるのか等、採用した手法の尤もらしさを計測しなければならん。それぞれの計算方法の間の変換式の妥当さも証明せねばならない。モデルの尤度を証明するのはメンドクサイのや。
例えばやで、毎日参考にしている天気予報が毎週のように予測モデルを変えているのに、昨年の今の時期の予想はこうでした比較すると・・・とか言われても、鼻で笑うやろ。
もっと簡単に例えるとや、先週までは華氏で温度だしていたのに、今週は摂氏で温度を出していて、共に何度ですと同じ単位であるかのように比較されるのとまったく同じことなんやね。意味なしやね。
これがトドメやね!w
円周率が3.1か、3.14かでは大きな違いがあるけど、それを勘で出しましたって言われたら、どうですかね?あかんやろ、そんなもんはwその計算結果を信頼しますか?無理やね。
普通は何らかの方法で計算をして出すのや。人力で目で見て適当に推定するって事はどういうことか?本来は客観的であるべき予測に、主観が入るという事や。
天気予報で例えればや、シミュレーションもしないで、雲を見て明日は雨って言ってるのと同じやね。漁師の勘みたいな再検証不可能な俗人的な経験測からくる天気予報は、占いと同じで
それはそれで本人やもの好きに珍重されていい物ではあるが、客観的に使える予測とは言わん訳やね。
以上を踏まえない限りは、何の価値もありません。あんたの来歴なんて、わいがどうでもいいが、予測の信頼性が全く客観的に示されてない以上は、予測した本人の信頼性の無さが問題になるのも避けられんわなあ。
結局はや、この程度のものに踊らされてる時点で、数字を扱う上での常識とか客観性が備わっていなくて主観で物事を見ているということなんやな。
これは一事が万事にあてはまる欠点で、あらゆる場面でおかしなブコメが目立つし後から振り返れば間違っていたという現状の温床でもある訳や。
完成してないワクチンを買うとかwwwって笑ってたブクマカも、いまやワクチン頼みやろ。感染症対策で決定打は集団免疫の獲得で感染しまくる訳にはいかん以上は、ワクチンしかあらへんで!ってのは常識や。
その場の空気や感情やなしに、何が正しいのか?と客観的な指標を持てない、はてな民の病気の現れなんかもしれへんね
なんやら、ブコメを見たら、増田でやってる遊びにごちゃごちゃ言うな。分かってるわ!的なコメントが散見されるけどや
関係各所の専門家にメールをすると言ってみたり、いっぱしの専門家を気取り始めた時点で、バカがやってる遊びでは済まされんものになったんやね。
専門家に専門的に意見をするのであれば同じクオリティで数字を扱えないとダメだし、おまけに無知な人間からお布施まで貰うようになっては、新興宗教と変わらん。
御上に批判的な(連中が集まってくる誘蛾灯な)新興宗教と言うと、どうしてもオウムを思い出すし、増田を遊び場としてるワイ君としては、もはや看過できんちゅうことやね。
塊としてみた時に、はてな民って人格の騙されやすさは異常だなとknoaの件で改めて思った。
https://anond.hatelabo.jp/20210721135308
https://anond.hatelabo.jp/20210726195557
彼に犯罪歴があるかどうか?は、この際には問題ではないと思う。前科があったとしても清算が終われば、それを批判の種にするべきではない。
実際に、雇用する、結婚する、交流を持つとなれば、再犯率の高い性犯罪者をどう考えるか?という問題は自衛のためにも無視できないが、ネット上でそれは関係ない。
彼に関する問題は、専門家でも何でもない商学部卒の素人が、何の根拠もなく信頼に値しない占いを、予想と名付けて公開して専門家面してしまっている事にのみある。
通常、「予測」というのは、根拠となる理論とそれを発表した論文などがあり、数理モデルが説明され、世界中の誰もが再検証できるし妥当性の判断が出来ると言う前提でのみ価値を持つ。
何が正しいのか?正しさとは何か?って視点が、knoa予想を信奉してしまう人たちには、ごっそりと抜け落ちてると思う。
もちろん、はてなにも初めからknoa予想を占いと断じて否定していた人たちもいるが、彼らは明かに少数派だった。
はてなの過去を振り返ってみると、似たような連中は他にもいた。記憶に新しい所だと、国会ウォッチャーがいる。
共謀罪で馴染みがあるであろう、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律、が制定された時に増田で活躍した人物で
共謀罪を設定する事に反対して、各国の条文などを、意図的に単語を抜いて翻訳する事で、危険性を訴えていた輩だった。
やはり一部のブックマーカーは、ロジックに見過ごせない粗があると疑い原文を当たって、国会ウォッチャーの英語力の不足などではない明かな嘘があると増田やコメントで指摘をしていたが
この時もはてな民の多数は、国会ウォッチャーの詐欺を真に受けて、ほらみたことか!と大騒ぎしていて全体としては信奉している状態に見えた。
民主党政権が誕生した時に、詐欺フェストにたいして、「財源が見当たらないし出来るはずがない、何故信じる人がいるのか分からん」と言った声を
押し流して民主党に支持が集まったように。そうあって欲しい、そうだったらいいなって意見を、無条件に信じてしまう人が多いんだろうね。
コロナ占いの件で言えば、感染者が増える方が政府の批判が出来て、オリンピック批判が出来て都合がいいから、それに乗っかるし
共謀罪の件で言っても、共謀罪に反対出来るのが都合がいいから、乗っかってしまう。
総体としてはてな民を眺めた時に、客観的で論理的な視点や考え方と言うのが、ごっそりと抜けているように見える。
何が正しいのか?本当に正しいと言えるのか?という視点と、蓋然性を求める姿勢を持たない事は非常に危険なことだと思う。
世の中を間違った方向に動かしてしまうだけでなく、個人個人も詐欺にあったりと被害を受けやすくなる。
主張に明らかな間違いはないのか?
主張に実現可能性はあるのか?
と言った視点は常々持っておきたいものだと思う。自分の中に基準をもたないと、籠池や菅野完やショーンKみたいな山師に常に騙される事になる。
ワクチンや放射線に関するデマを信じて行動を大きく変えてしまえば、人生にも少なからぬインパクトが出てしまう。場合によっては、自身や近しい人が死ぬ事になる。
客観的な視点を常に持っていても、博士を取得した人が、きちんと論文が書かれてデータを提示されていれば、素人には容易に嘘を見抜くことは難しい時はある。
STAPとか、事実を積み重ねて再検証して嘘であると断定するのは、素人には労力的にも能力的にも無理だし、騙されるのをゼロには出来ないとも思う。常に絶対に間違わない人はいないだろう。
だが、knoaや国会ウォッチャー、詐欺フェスト程度の信じるに値しない意見を信じてしまうのは、誰にでも簡単に止められるのではないか。騙されやすさは改善出来るはずだし
信じるに足る根拠があるかどうか?くらいは、平均的な知能を持つ人には簡単に考えることが出来るはずだ。この姿勢は、真に知的な態度だと思う。
knoaの件で冷や水かけられた人は、これを機に少し自分を顧みて、客観的で騙されにくい、そんな知的な人間になってみてはどうか。
あの土屋の野郎の愚かな形でのキャラの動かし方や試練の時の訪れさせかたが現在までどんな形で尾を引いたのか?
そりゃあ「未央虐」の事だよ!
本来のオタクは研究家や感情よりも先に検証を行うはずだが本来のオタクは身を潜めて
台頭してるのはサブカル大衆・サブカルミーハーとかいうオタクのようでオタクならざるものだろ。
サブ大・サブミー、つまりミーハーや大衆がメインカルチャーからサブカルに変わっただけの連中であるという事だ。
そのサブミー・サブ大どもは土屋の野郎がデレマスでやった下手くそなキャラの動かし方や試練の時の訪れ方なんて見抜けないの当たり前だ。
サブカルミーハーだからコードギアスの扇が最終クールでやった事に頭をかっかさせて
「どのように登場人物を動かして戦争終戦に導けばよかったのか」な検証なんて出来ないんだよね。
ヴァルヴレイヴのショーコも、ましろ色シンフォニーのぱんにゃも、
どの様に動かしたほうが良かったのかを考えずにネット私刑に走る…
いいや、サブカル界隈のストレスを14下半期に異様に膨張させるようなアニメラインナップにした業界にも責任あるよ
ヤマノススメ2期15分だけで物足りない上に挫折回1クール目にあり、
他のラインナップもシリアス色強すぎる上に正統なる難民キャンプ枠ほぼ不在、
ガールフレンド(仮)はキャラ数の多さで敬遠されてしまってる…
そりゃあ艦これ如月ショックやデレマス6話で界隈の大発狂起きるわけだよ…
せめて当時の下半期はのんのんびよりやゆるゆりの1期再放送してればよかったのに。
劇中での試練の時への冒涜はバンダイや東映、集英社がグルとなってヤムチャ殉職の瞬間を書いた絵をスパゲティの上に乗せたり、
オルガの最後をギャグのネタにするニコ動とかの動画でも起きている。
さらに悲しいことにこの未央虐について、
汚染はサブカル民でない奴や絵師駆け出し、それにリベラルにも蔓延、
青髭アルターやつりがねむし、りゅうオタク狩りのヤンキーやセロ(元鶴仙人)、
AMネットワーク、わきまえないtomoといったオタクヘイターおよび「オタクくんさぁ…」一味はオタク・サブカル的価値観を叩けても未央虐には何の文句も言わねえ
奴らにとって「未央虐」は
一般ドラマや映画、国民的アニメ・漫画と同じ上級表現だというのか!?ふざけやがってる。
7・最後に
それって「『絶対確実なもの』から論理を積み重ねていく」ことで「科学リテラシーが権威主義的側面を持っている」ことを否定しようとしているってことでOK?
・本当に「絶対確実なもの」は「絶対に確実なもの」としていいのか?
ウイルスの分子量は数百万~数千万で、その大きさは細菌より遥かに小さいというのは、現代では一般によく知られている。
しかし、それが明らかになったのはX線結晶解析や電子顕微鏡の登場を待たねばならなかった。
ここで疑問なのは、権威主義的に無批判にウイルスの大きさを「絶対確実なもの」としていないかということだ。
正直、増田が「ウイルスは同一のサブユニットから構成されるために対称性の観点からその形状は正十二面体か正二十面体であり、X線結晶解析や電子顕微鏡によってその大きさを 確認した」なんて到底思えないんだわ。
ウイルスの大きさは当時の科学者によって批判され論考された末に定まったものなのだろうが、権威主義的でないならばその批判のプロセスをなぞって再検証する必要がある。
その批判に使われた考えや技術も当然再批判する必要があり、帰納的に疑うべきものの数が増え続けるために、権威主義的側面によって仮説検証コストを下げることは必須であり合理的。
twitterでも増田でもブログでもよく見かけると思うんだけど
明らかに可笑しいとなると再検証を始める人も出てくると思われるけど
多くの場合には集計方法がわからないのと膨大な時間がかかると推測して行われない
そうすると嘘つき放題な気がしてくるんだよなぁ
集計結果で1位と2位を入れ替えるくらいのことは朝飯前で
集計すらしてないのに集計の結果こうなりましたと作為的にそういう記事を書くことすらできる
誰もしないようなニッチな統計なんかは一度書かれると何十年もその嘘が信じられる可能性もある
多くの人は善意と暇つぶしと探究心で行ってると思ってるけど嘘を付くことが生き甲斐な人も無双できるのがネット統計の怖さだと思う