はてなキーワード: 再検証とは
【m3.com】医療計画、新興感染症への備えが欠落していた - 中川俊男・日医副会長に聞く
https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/766054/
厚生労働省の「地域医療構想に関するワーキンググループ」の構成員として議論を主導してきた、日本医師会副会長の中川俊男氏にお聞きした(2020年5月1日にインタビュー)。
――2009年の流行後、2013年には新型インフルエンザ等対策政府行動計画を策定しました。
法整備はしていたものの、その具体化まではしていなかった。また私自身の反省を込めて、地域医療構想の議論をしている際、新興感染症に対する医療提供体制の確保という視点が欠落していました。今後は、都道府県別に、地域の実情を踏まえ、新興感染症への対応を医療計画に含めるべきでしょう。医療計画の現在の「5疾病、5事業」に新興感染症を加えて、「5疾病、6事業」にすべきだと思っています。この点については、横倉(義武)会長とも話をしており、既に非公式に厚生労働省に打診をしており、何らかの機会に、日本医師会として正式に提案したい。
具体的には、新興感染症が発生した時に、病床や医療従事者の確保計画、人工呼吸器やECMOなどの医療機器、マスクをはじめとする個人防護具の備蓄計画などを都道府県ごとに立てる。こうしたことをきちんとやっておかないと、次なる備えができません。
「病床の確保」ですが、その候補となるのが(地域医療構想で具体的対応方針の再検討が求められた)424の公立・公的医療機関等。2019年9月に公表して、大変議論が白熱しましたが、「A」(急性期・高度急性期医療に関係する9領域の全てで「特に診療実績が少ない」とされた病院)に該当するなど、病床稼働率が低い公立・公的医療機関等、特に病棟単位で空いているケースは、そのまま空けておくのも一つの在り方ではないでしょうか。
これまで「空床を置いておくこと自体、もったいない」との議論もありました。しかし今、新型コロナの軽症患者等の宿泊療養に、ビジネスホテルを使っています。常に配管が使えるくらいのメンテナンスをしておけば、いざという時に使えるでしょう。
(略)
――地域医療構想では、「A」に該当した公立・公的医療機関等は、再編統合も視野に入れた具体的対応方針の再検証が求められています。
その時に、新興感染症が発生した時の備えを念頭に置いてもらいたいということです。
今は有事です。坪井会長(編集部注:1996年から2004年まで日本医師会会長を務めた坪井栄孝氏)は、「国民の安全保障」とは何かについて、「有事」は戦争ですが、「平時」は医療だと言っていました。
「国民の安全保障」をもっと踏み込んで「社会保障」について考えると、今は「有事」。「有事」に対する備えは、「平時」の余力、余裕、これが大事で、いざという時に対応できない。「平時」の時に、ギリギリの医療提供体制ではダメだということが、今回明確になりました。
https://twitter.com/katsuyatakasu/status/655958931190124544?s=19
昨日から高須院長が2015年10月にTwitter上で呟いたこの発言が左翼達によって叩かれている。
しかし僕はこう思う。
高須院長が信じたい物語を信じるその自由は、その権利は果たしてこの様に蔑ろにされていいものなのか、と。
皆で寄ってたかって高須院長の内心の自由及び表現の自由を毀損する目的で言論の棍棒で殴り付ける今の左翼達のやり方は、皮肉にも往時のファシズム国家の様だとさえ僕には思える。正直言えばかなり怖い。
左翼達からまるで歴史修正主義者のように悪し様に言われる高須院長だけども、そもそも院長は件のツイートにおいて「アウシュビッツは捏造だと思う」と言っているだけなのだ。
この文章からは院長がアウシュビッツで起きたとされるホロコーストのどこからどこまでが捏造だと思っているのか、を明確には判断できない。
そして歴史事実というものはその根拠とされる資料と考えられていたものが実は虚偽であったり、それより更に確かな資料が後に発見されたりする可能性が常に考えられる為に、未来永劫に渡って不変不動のものではないわけだ。
今回左翼達が息巻いて批判する「アウシュビッツで起きたとされるホロコーストを根底から捏造だと否定するもの」などではなくて、
「そうした確からしき歴史事実の全てが今後の再検証によっては変容し得る」という歴史学のセオリーについての指摘なのではなかったか、と僕は思う。
そして仮にそうじゃなくても高須院長の内心の自由、そして表現の自由はやはり護られなくてはならないと思う。
そして何より高須院長には信じたい事実を信じる広い意味での幸福追求権がある。
だからTwitterで息巻く左翼達は自分達が愛してやまない平和憲法に自ら背くような愚かな行為を今すぐ止めて、高須院長に即刻真心のこもった謝罪をするべきだと思う。
高須院長は懐の深い方だからきっと許して下さることだろうと思う。
それから今回の件でアウシュビッツ博物館の公式Twitterが高須院長の件のツイートに対しこの様なリプライを送っていた。
https://twitter.com/AuschwitzMuseum/status/1106462599540105218?s=19
僕が思うにこれはクソリプ以外の何物でもないと思う。
確かにドイツを初めとした欧州各国ではホロコースト否認が法律によって禁止されている場合があるので、アウシュビッツ博物館も今回遠く離れた異国の院長である高須院長に対してお国柄もあって過剰に反応してしまったんだと思う。
しかしこれがもしお互いが国家を代表する立場にあったなら、内政干渉にすらなり得た行為だったと強く自覚するべきだ。
これは極めて不謹慎だ。
なぜなら日本は旧弊的などこのドイツさんとは違い進歩的な平和憲法が存在し、この憲法の元ではナチス礼讃もホロコーストの否認も国民の権利として容認されているのだから、高須院長の今回の行為は日本国民として何一つ問題のない行為だったと言えるからだ。
よってアウシュビッツ博物館公式Twitterは即刻高須院長に真心をこめた謝罪をするべきだと僕は思う。
勿論、この場合においても極めて懐の深い高須院長ならば許して下さることだろうと思う。
どうだろう。ここまで僕は何か間違ったことを言っているだろうか?
世の中の大学生ってその大半が大学を卒業する時に卒業論文を修めるんでしょ?
その卒業論文っていうのは1年近くかけて学生一人一人がそれぞれ固有の研究テーマを定めて研究を行いその結果をレポートにまとめたものなんでしょう?
つまり毎年卒業する大学生の数だけ固有の研究成果が生まれてるわけでしょ?
でもその学生達の研究成果の99.9%くらいは既存の常識を覆すような新技術の発明や新物質の発見とかじゃないんだよね?
それは例えるならips細胞とかニュートリノとかそういうやつね。
じゃあさ、その99.9%の学生達の卒業論文ってそもそもどういうものなの?
そしてそれは学問的にそれぞれどういう意義があるの?
別に煽ってるわけじゃないんだけど、自分は低偏差値の高卒で大学でレポートを書いた経験もなければまして研究なんてけの字も携わったことのない無学な人間なので単純に想像するのが難しいんだよね。
文系学問のさ、心理学とか経済学とかそれこそ文学部なんかは割りと今まで誰も着眼してこなかった様なニッチな研究の余地がありそうだからさ。
学術的な価値がどこまであるかは置いといても学生でもそれなりに唯一無二の論文を書けそうな気はするんだよね。
それに比べると理系学問の数学や物理学なんかは先行研究によって不動の理論や知識が固まってそうだから学生の論文も単純に先行研究の成果を準えたり再検証したりするだけってことになりそう。
俺の勝手なイメージだけど文系の方が卒業論文の研究をしてて楽しそうだなと思う。
まあこんな感じで大学出てない俺の卒業論文に対するイメージはめちゃくちゃ抽象的なのでその意義が理解できないんだよね
強いて想像するなら大学院に進んで本格的に研究者の道に進む学生らにとっては本格的な研究の練習になる、的な?
うーん分からない。
記事URL: https://dailyportalz.jp/kiji/straw-de-sake
内容はタイトルの通り。この方法が危険かどうかで、ブックマークコメントやTwitterでも意見が飛び交っています。
ブコメ:http://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/straw-de-sake
おもに気化アルコールの吸引の危険性についてのコメントが多いですが、
「肺から入るの根拠は何でしょうか? 下記の記事で医師が『ストローは酔いやすいは迷信』と明言してるので、気分の問題な気が、、! 」
「Alc数%の液体を、ストローで空気と混ぜたくらいで瞬間的に気化して肺に入るわけない。水をストローですすっても肺に入ったりしないし、仮に気管に誤嚥しても生理反応で咳き込むから気づく(空気が胃に入る胃膨満はある) 」
ちなみに執筆した松本さんはtwitterでこのような投稿をしています。
ストローで吸ったくらいで肺に液体が入るとか、お前らの気管はどんだけザルなんよ。冷えた酒の気化分なんてたかが知れてる。キマるにゃキマるが、そこまでじゃない。
以下に、いろいろ雑多に思うことを書いていきたいと思います。
これはコメントで言っている人も多いですが、簡単に説明します。
急性アルコール中毒ってよく聞きますよね。あれは脳の中枢神経、つまり肺や心臓を動かしている部位にエタノールが浸透して機能が停止することを言います。
ですが、飲んだアルコールというのは胃や小腸で吸収され、ほとんど(90%以上)が肝臓で分解されます。ではなぜ酩酊や中毒という現象が起こるのか?
細胞膜というのは脂質の膜で覆われているのですが、エタノールはこれを容易に通過してしまうので、皮膚だろうがキンタマだろうが肺だろうがどこからでも吸収されます(この性質を利用してパッチテストは行われます)。そして血管にダイレクトで入るわけですね。こいつは肝臓を経由していないので、多くは分解されずに脳に到達します。
吸収のされやすさにも度合があり、皮膚や食道なんかはいろんな物質や熱をガードしないといけないので、吸収はおだやかです。反対に、直腸や肺なんかは粘膜がむき出しなので、アルコールがぐんぐん吸収されます。アントニオ猪木がヤクザに脅されてケツからワイン飲んでぶっ倒れたビデオがあるという都市伝説を聞いたことがありますが、真偽は置いておいて医学的には間違っていません。
で、この「肝臓で分解しきれなかったもの」と「ダイレクトで血管に入ってきたもの」が、酩酊ならびに中枢神経系の麻痺をおこすわけです。
エタノールは向精神薬の中で、適量と致死量がすごく近いんです。血中アルコール濃度が0.05%~0.10%でほろ酔い~酩酊レベル、0.20%で記憶がなくなったり前後不覚となり、0.40%で昏睡・死です。
記事で書かれている「ダメになる」「キます」という表現がどのレベルかは分かりませんが、「記憶があいまいなので、後日家で再検証しました。」という一文があるので、だいたい0.20%(泥酔期)のレベルだとしましょう。普段の酔い方が血中アルコール濃度0.05%(微酔期)の状態だとしても、泥酔状態までアルコール濃度のレンジが4倍程度の近さしかないわけです。
ならば、皿に注いだ酒をすするだけで本当にそれだけの変化が起こるのかどうか、という話になってきますね。
これは考慮しなければいけないと思います。「ストローで酒を飲むと酔う」という俗説があるので、それによって認知が変化しているかもしれません。「やっぱストロー酔うじゃん!」って勝手に思い込んでいるかもしれない。記事の中で友達に試してもらったくだりもあるんですが、「こういう飲み方すると凄い酔うんだよ!」と言われると「たしかにそんな気がする」ってなるかもしれませんからね。ただのバイアス説です。
みなさん、そもそも酒って「すすり」ますか?すすらないですよね。
では熱燗やお湯割りを飲む時ってどうでしょう。すする場合もあると思うんですが、そのとき口の中に入った空気は、肺に入っているでしょうか?
これは個人差もあると思いますが、この場合にすすりこんだ空気って、口腔内に滞留しているだけでほとんど肺には入っていないと思います。ちょっと台所行ってコップに水を注いで試してみてください。
ですが、吸い込んだ空気を一気に肺に入れるすすり方があります。たとえば蕎麦がそうです。あるいは、アッツアツのお茶をすするときも、いったん空気は肺に入れ、口の中のお茶は後で嚥下しています。
たとえばポン酢でそばをすするとむせます。ポン酢が肺に入っていなくても、揮発した酸が肺に入るからです。
じゃあなぜ熱燗やお湯割りの飲み方はそうでないのかというと、ヌルいからです。そこまで空気を通過させて冷まさなくても飲めるからというだけ。
記事にあるような形で「いったん酒が接した空気を大量に肺に入れる」という行為は、普段の飲酒ではほとんどやっていないんです。ですから、ストローを使用しなくても熱々のお茶をすするように(=すすった空気を肺に入れるように)飲めば、同様の効果が得られるかもしれません。
揮発量ってのは当然液体と空気が触れる面積に比例します。酒の注がれたグラスと酒の注がれた皿では、後者の方が絶対的なアルコールの揮発量は多いです。
前述の通り、ストローですするとその空気も肺に入りますから、普通の酒をストローですするより大量に吸い込んでしまう可能性はあるでしょう。
「Alc数%の液体を、ストローで空気と混ぜたくらいで瞬間的に気化して肺に入るわけない。水をストローですすっても肺に入ったりしないし、仮に気管に誤嚥しても生理反応で咳き込むから気づく(空気が胃に入る胃膨満はある) 」
というブコメがありましたが、まず先ほども申し上げた通り、アルコールは「皿に注いですする」ということで起きる微々たる気化でも肺から直接血管に入れば酔い方に大きな変化をもたらします(許容量のレンジが狭いんです)。それに誤嚥でなくても吸収はされるんです。
いろいろ申し上げまして、これらの仮説をもとにどれくらい危険度が増すか数値で示すことができれば最高だったのですが、あいにくそのような知性を持ち合わせておりませんゆえ、あとははてなの賢い人たちに判断してもらいたい。
最後に余談ですけど、俺はDPZ大好きなんです。この記事も削除せよとは言わない。
大人なんだから、酒との付き合い方くらい自分ではかれ、と思います
ただ、メディアとしては「絶対にマネしないでください!」って書いておいた方がいいんじゃないかなと思う。
平坂寛さんの記事で、毒虫に自分を刺させたりしてるけど、真似しないようにの注意書きが毎回ある。安易に「これくらい平気!」って書くことの危険性を分かっているんだと思う。
ほんとは平気なんですよ、たぶん。
大人なんだから、一応「危険だからな、これ」って言ってくれよ、と思う。そういう誠実さみたいなものがある人だと思ってたんだけど。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 48 | 9754 | 203.2 | 63 |
01 | 34 | 11826 | 347.8 | 89 |
02 | 75 | 6421 | 85.6 | 49 |
03 | 36 | 4927 | 136.9 | 82 |
04 | 29 | 7443 | 256.7 | 118 |
05 | 9 | 1238 | 137.6 | 63 |
06 | 18 | 8519 | 473.3 | 49 |
07 | 28 | 3470 | 123.9 | 59.5 |
08 | 49 | 5541 | 113.1 | 54 |
09 | 88 | 7830 | 89.0 | 40.5 |
10 | 97 | 15535 | 160.2 | 51 |
11 | 139 | 12216 | 87.9 | 43 |
12 | 180 | 21069 | 117.1 | 46.5 |
13 | 180 | 13195 | 73.3 | 35 |
14 | 197 | 13835 | 70.2 | 29 |
15 | 178 | 14951 | 84.0 | 36 |
16 | 79 | 6522 | 82.6 | 39 |
17 | 88 | 7837 | 89.1 | 36.5 |
18 | 95 | 10363 | 109.1 | 43 |
19 | 179 | 22408 | 125.2 | 39 |
20 | 197 | 14595 | 74.1 | 36 |
21 | 211 | 22496 | 106.6 | 39 |
22 | 119 | 12606 | 105.9 | 44 |
23 | 88 | 7408 | 84.2 | 39 |
1日 | 2441 | 262005 | 107.3 | 41 |
人(236), 自分(175), 女(157), 男(153), 話(152), 今(116), 女性(104), 人間(91), 増田(91), 日本(91), 好き(80), 問題(75), 男性(75), 相手(65), 意味(63), 仕事(61), 感じ(58), 普通(57), 必要(56), 前(56), あと(54), 関係(53), 社会(52), バカ(46), 気持ち(46), ー(45), 場合(45), 頭(44), 気(43), 理由(43), フェミ(43), 評価(42), レベル(42), 目(41), 男女(41), 理解(41), 他(41), 最近(39), 言葉(39), 子供(39), 馬鹿(39), 現実(38), じゃなくて(38), 差別(38), 時間(35), 会社(35), 一番(35), 無理(35), しよう(34), しない(34), 否定(33), 扱い(33), 最初(33), 嫌い(33), 存在(33), 勉強(33), 一人(32), アメリカ(32), 逆(32), 手(32), 毎日(31), DNA(31), 記事(31), いや(31), 嫌(31), 世界(31), ダメ(30), 他人(30), 今日(30), 結局(30), 別(30), 人生(30), オタク(30), 能力(29), 博士(28), 判断(28), ネット(28), 批判(27), 周り(27), 一部(27), アホ(26), 体力(26), 興味(26), 心(26), 年収(26), キャラ(26), 意見(26), 結果(25), 通り(25), AI(25), 説明(25), 昔(25), 場所(25), 世の中(24), 女の子(24), 可能性(24), 絶対(24), 結婚(24), 間(23), 状況(23), 全部(23), 人たち(23), 時代(23), イメージ(23), 横(23), 性別(23), 違い(23), 一緒(23), 作品(23)
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5702563(2589)
査読には無論、再検証機能を持たせてない以上は、完全な証明ができないという問題がある。けど、完全に査読がない場合、いい論文も悪い論文も再検証すべき対象になってしまうし、質の低い論文が質のいい論文を圧倒する量で出てくるのは明らかな事。レベルの高い査読があれば、事前に質の悪い論文は、低ランクの会議や雑誌でしか発表が出来ず、誰かが研究を開始する時に、よりレベルの高い会議の先行研究があれば、質の低い研究は再検証の必要がない論文として捨てることが出来る。この差が、学問としての信頼度と発展の速さの差になると言ってるだけ。
何度も言わせないで欲しい。査読が効果的に論文(理論系、実験系を問わない)の質をより分けられる理由は
数学には、長い歴史の中で作られてきた絶対的に正しい定理がある、これは証明なしに何度でも使える道具。新たな証明問題を解く時には、その便利な定理を出発点に、新たなロジックを組み上げて問題を解くんだけど、定理が正しいからこそ数学を勉強している人には、その後のロジックの正誤を判断できる訳。
研究もそれと同じで、十分に検証された既存の先行研究を出発点にして、新たなロジックを組み上げていった場合に、追加されたロジックの尤もらしさを判断する事は出来る。そして、そのロジックの結果として得られたデータは、数学的な手法で正当性を評価しているので、数学的な知識を共有する科学者の間では、その数字でいいのかどうか?は容易に判断できる。だから、査読の段階で、明らかに間違っていたり、正しくても程度の低いロジックと結果で構成されている良くない研究成果については判定ができる。数学や理論物理などの理論系の科学は、この段階でほぼ100%嘘は分かるし、査読を通ればほぼ正解。
これね。
つまり、社会学の場合は、査読も行われているけど、市場があることが理由で、無査読の著書が出版されているし、別の理由で無査読の招待論文が発表されているよね。それは社会学の研究者が仰ってた事だね。
https://anond.hatelabo.jp/20181011160144
以上の事から、社会学において無査読の著書と論文が当然のように出ている事は、学問の信頼性を下げてはいないか?という問題提起がされてきたんだよ・・・。
それが、この記事( http://www.afpbb.com/articles/-/3193041 )の様な結果を招いている理由の一つではないのですか?と問題提起されてきたんだよ・・・。
この増田が、俺から君に説明できる決定稿なので、これが分からないか論点をずらすようなら、ちょっともう会話にならないと思うんだよね。。。
査読には無論、再検証機能を持たせてない以上は、完全な証明ができないという問題がある。けど、完全に査読がない場合、いい論文も悪い論文も再検証すべき対象になってしまうし、質の低い論文が質のいい論文を圧倒する量で出てくるのは明らかな事。レベルの高い査読があれば、事前に質の悪い論文は、低ランクの会議や雑誌でしか発表が出来ず、誰かが研究を開始する時に、よりレベルの高い会議の先行研究があれば、質の低い研究は再検証の必要がない論文として捨てることが出来る。この差が、学問としての信頼度と発展の速さの差になると言ってるだけ。
研究者間の相互検証によって、再現性を検査される点が、分野によって手法の差こそあれ同じである事には異論はないよ。ただ、査読がない分野で、どれを検証するの?という所で、前述の理由で指摘されてきているだけ。
いい加減、これくらいの理屈は分かって。
凄く変わるよ。その辺は、数学をちゃんとやった人と、そうでない人との間の感覚の差が懸絶してるんだと思う。
数学には、長い歴史の中で作られてきた絶対的に正しい定理がある、これは証明なしに何度でも使える道具。新たな証明問題を解く時には、その便利な定理を出発点に、新たなロジックを組み上げて問題を解くんだけど、定理が正しいからこそ数学を勉強している人には、その後のロジックの正誤を判断できる訳。
研究もそれと同じで、十分に検証された既存の先行研究を出発点にして、新たなロジックを組み上げていった場合に、追加されたロジックの尤もらしさを判断する事は出来る。そして、そのロジックの結果として得られたデータは、数学的な手法で正当性を評価しているので、数学的な知識を共有する科学者の間では、その数字でいいのかどうか?は容易に判断できる。だから、査読の段階で、明らかに間違っていたり、正しくても程度の低いロジックと結果で構成されている良くない研究成果については判定ができる。数学や理論物理などの理論系の科学は、この段階でほぼ100%嘘は分かるし、査読を通ればほぼ正解。
実験系の場合は、研究者が騙すつもりか、騙すまでも行かなくても隠している事があれば、正しいはずという前提が崩れるから、見かけ上正しく構成されているロジックを追うだけでは分からないだけ。
ロジックを追って結果を検証して、まぁ正しいんじゃないか?と思った結果は、再検証してもそれなりに結果が出る。理論系の数学や物理以外の実験系科学は、手元で再検証しなければ本当に正しいかまでは言えないけど、まぁ大丈夫なんじゃって所からでないと再検証をしようとすら思わないから、査読にはやはり価値がある。
お前はもうずっと増田で、「査読がないことは論文の質を決定する要素ではない」と言っているだけ。それに対して、高いレベルの査読が行われていなければ再検証の対象としての優先度は下がるし、再検証されない論文は被参照数が増えず、論文としての価値が低いと言っているわけだ。査読は優れた研究であることを同業者に認められるための条件の一つになるが、査読されていなければ再検証も行われず優れた研究と認められることは稀である。ゆえに査読されない事は、論文の価値を実質決定する。
被引用数にやたらこだわる人が多いと思ったらそういう理由があるのね。当たり前だけど、マイナー事象を扱っていればメジャー事象を扱ったものより被引用数は少なくなるから、それは直接価値を測る尺度にはならんよねって話をしてるわけ(この問題はとうぜん査読誌にも存在するよ。英語圏でも日本語圏でも、ナチスについての歴史研究とそのへんの小国の歴史研究、読まれる頻度が高いのは研究者人口からいって前者なわけで。まあ当の小国で出た論文に限れば頻度は逆転するわけだけど)。あと、論文の中でダメダメな研究を引用した上で批判する、なんてのもよくやるよな(まさかやらんのか?)。このような研究分野において、被引用数は文字通りどれだけ多くの人に引用されたかという尺度に過ぎず、引用の多寡は直接的には論文の価値とリンクしない……というのは流石に理性があればわかってくれるよね? まあ実質的にリンクしている分野があるのは理解したけれど、他分野においてもリンクしている、あるいはリンクさせるべきだという主張はまったくもって理解に苦しむ。
そして、社会学においては、偉い先生が書いた査読もされない招待論文が価値があるとみなされる構造に問題があると言っている。当初から査読の有無は問題視されていない、論文のクオリティを担保する仕組みについて社会学での在り方が、社会学者内でも文科省でも疑問視されている事を指摘されている。
偉い先生が書いた良い査読なし論文には、そのへんの若手が書いた微妙な出来の査読論文よりも価値がある、という話なので。そしてもちろん近年は査読重視にシフトしている、という話もさんざんなされているわな。同じ社会学でも世代とか環境によって「格」の考え方には差があるわけで、1人の学者の放言に基づいて構造を云々してしまうのは到底科学的な態度とはいえない。まして、社会学に限定するのではなく、「文系」というより広いくくりでの議論をしようとするならば。要するにきちんとリサーチしろと言っている。ろくに対象について調べずに的外れなこと言ってんじゃねーよバーカ、って言えばわかりやすい?
お気持ち表明学問とは違って、理工学は先行研究との間の比較実験をして、実験結果について先行研究との比較を解析的に行う。先行研究との比較には、同様の実験を再度行う場合や、同じシステムを構築しなおす手間を含む。時には、予算も時間も考えられない程かかる。
先行研究との比較ねえ。まず文系といっても色々あるので一概に言えないわけだが、たとえば歴史学なら先行研究で引用されている史料はチェックするよな。文学なら、まあ文学といっても多種多彩だけど、刊本が容易に手に入る小説の内容についての分析なら手元か図書館に同じ本があるはずなんだから再検証は容易にできる。のでみんなやってるはず。逆に文化人類学なんかはフィールドワークのデータに依拠する以上原理的に完全な再現が不可能だけれど、そこは天文現象についての研究と同じだと思ってもらえれば。一回性の振る舞いを膨大に集めて理論を構築していくという意味で。社会学も、フィールドワークに基づいたやつなら文化人類学と同様だし、統計に基づいているなら統計に基づいた議論ができるよな。法学は、まあ、条文が目の前にあって、それをどう解釈すべきか、あるいは個別の事件がまずあって、そこに条文をどう当てはめるべきか、という議論だから、再現性とかあんまり関係ないと思う。とまあこんなふうに、分野によって「再検証」のあり方というのは実に多種多様なのね。理系とひとくくりにされてはいても、工学と天文学と生物学と理論物理学と数学じゃあ「再検証」のあり方は違うっしょ? 理工系がスタンダードな研究のあり方、ということではまるでないわけで、そうなんですか理工系ではそうなんですね勉強になります、以上のことは言えない。
逆を言えば、文系の場合は、査読の有無にかかわらずただ読むだけでいいという事だろう。論文の良しあしに関わらず、ゴミの山に埋もれるのは空しいな。そして競争もない。
ただ読むだけでいいというのが何のことなのかはわからないけれど、普通に競争はある。考古学なら新しい遺物が発見されたとか、歴史学なら新史料を見つけたとか、そういうマテリアルな新規性もあるし、独創的な理論や解釈を提唱したという意味での新規性もあるわな。そして同じ事象を研究するにしても出来のいい研究と悪い研究とでは当然与えられる評価も異なってくるし、違う事象について研究していても同じディシプリンの中にいる以上出来の良し悪しというのはわかってしまうわけで(だから被引用数を重視する文化が存在しない。たとえどれだけナチス研究の方がそのへんの小国研究より注目されていようと、出来の悪いナチス研究と良く出来た小国研究なら後者の方に価値があるから)。
お前こそ何寝ぼけたこと言ってんの? 自分の狭いテーマに関連する先行研究は読める範囲で全部読むでしょ? まあ、「微妙に関連はあるけど、外国の紀要論文でネット公開もしてない」レベルなら諦めるし、「そこそこ関連性はあるけど、スペイン語読めないしなあ……」みたいなやつなら別に読まなくてもいいけど、自分の研究テーマにクリーンヒットしているタイトルのものだったら手を尽くして入手を試みるし(留学してる知り合いにコピー頼んだり)イタリア語だろうがドイツ語だろうが読めるものは全部読むんだよ。当たり前だろ。
(単発の論文じゃなくて「よく知らない外国語で書かれた大量の重要な先行研究が存在する」場合は、その場しのぎじゃなくて本格的にその言語を読めるようにならないといけない。このテーマを扱うなら○○語は読めないとねえ、みたいな言語が分野ごとにある)
読む前に必要性の重み付けはもちろんするけど(他の先行研究でどれだけ扱われているかとか、研究動向を読むとか)、歴史や古典文学と違って現在進行系の事象を扱っている場合は判断材料が少ないから片っ端から読みますわな。習ったことない外国語を四苦八苦しながら読んでたらむっちゃ重要な内容だったとか、そういう経験したことないです? 気楽でいいですねえ。
和文雑誌では基本的にインパクトファクターとか気にしてないですわ。質が高い論文を継続して掲載している雑誌の格が高いのは当然だけど、それをはかる指標はIFじゃない。少なくとも今のところは。雑誌の格付けがないわけないだろと。そりゃ、有名な雑誌は逐一チェックしてるけどそのへんの大学紀要なんざいちいちチェックしないっすわ。
言語だけで問題視はしないが、批判されている社会学については英語で論文を書いて、世界から査読を受けるべきと思うと、工学系で研究をしている人間として言っておきたい。日本語でだって研究は出来るとかいうのは、批判の本質に対しては無意味な論点ずらしでしかないんですよ。
http://dlit.hatenablog.com/entry/2018/10/09/081143
とは言っても、人文系でも査読される事が重要になってきている様だし、「査読は理系だけのローカルルール」とのたまっていたのは馬鹿な繰り言だと分かってホッとはしました。千田先生が学んだ社会学も批判を機に変わって貰いたいですね。学者と呼べるのか?と感じる人間が排除される様な変化を期待したい。
唐突ではあるが、皆さんは、工学系研究者が年間に何本程度の論文を読むと思われるだろうか?ここで言う、読むという行為は再検証実験が自分で出来るレベルに落とし込めるという前提でです。時間がある博士課程の学生で、なおかつかなり優秀と言われる人で150も読んでいれば相当なものです。不慣れなものが論文から何をどう作ればいいのか?を理解するのに要する時間は一月にも及ぶかもしれません。斜め読みまで含めれば、修士の学生でも、最低50本程度は読んでいるでしょうが、逆を言えばそんなものです。斜め読みで済ませることが出来るのは、論文の質が担保されているからですね。
一方で、自分の専門領域についての論文は、毎年、大量に発表されます。もしも査読がなく、国際学術誌や国際会議にランク付けがなされていなければ、玉石混交のクズ山の中から、自分の研究が引用すべき論文について、その妥当性を再検証するだけで膨大な時間を必要としてしまいますね。査読と学術誌の採択難易度によって、論文の質が担保されている事が如何に重要か?お分かり頂けるでしょう。レベルの低い会議の採択論文や、査読なし論文などは、僅かな例外を除いて通常は再検証されることなく消えていきます。高いレベルの査読を通って採択されている事は、再検証する手間をかける価値の証明になります。
論文の評価には被参照数という軸があります。いい研究であれば、数百の論文から参照されます。参照されるという事は同業者による再検証が行われているということを示しているので、手法の妥当性が分かるのです。恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行の研究をしている事で他の研究者が参照しやすい環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系の研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄な調査時間を必要とするのだろうなという事を想像しますね。非効率すぎて耐え難いという気分に、個人的にはなります。
査読と被参照数の話をしました。これによって完全とは言えないまでも論文の質が担保されるのは、世界中の同様の背景を持った研究者たちによって、その仕組みが共有されているからです。査読を受ける者も、査読する者も、何度も何度も査読に関わって来たという実績を持っていて、厳しい目で評価を行いあっている事が前提にある。私が社会学は英語で査読を受けるべきと言う理由はここにあるのですね。
社会学者が、査読なしの招待論文 > 査読された論文 という認識であることは、幾人かの社会学者が言っている事です。実際に社会学者の履歴をみても査読付き論文が殆どない事も指摘されていますね。そういう学者たちの査読に何か価値はあるのだろうか?と思う訳です。一方で世界の社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。故に、査読されない研究者同士ではなく、査読が当たり前になっている世界の評価を評価を受けるべきだと考えます。工学系では国内学術誌は相当に軽視されますが、英語か日本語かは大きな問題であるとは思いません。査読が当たり前ではない世界から、査読が当たり前の世界に出て評価を受け、実力を証明せよという事です。その為には、英語を使うのが妥当なのでは?
という風に思いますね。
日本語かどうか?は本来は(日本語のみの会議のレベルが低いとしても)重要な問題ではないけど、日本語で閉じている限りは社会学は学問と呼べるだけの再検証性を備えていないのではないか?と言う疑問を改めて提示しておきたい。私は、少なくともジェンダー論を学問とは思えなくなっています。
↑の増田に関連して、感想送りたいけどどう書いたらいいかわからないという人をたまに見かけるので、参考までに私がやってる書き方を置いとく。
1 初読
初めてその同人誌を読んだ時に思ったことが結構重要なので、読みながら紙でもデジタルでもいいのでメモにしておくこと。
詳しい内容じゃなくていい。「p10,このコマの顔かわいい」「p18,このシーン最高」とかでもOK。
読むのに夢中でそんな余裕がないというときは、読み終わってからパラパラめくってここ良かったなってとこをメモする。
時間が経つと結構忘れるのでできればすぐにやる。最低でも読んだその日のうちにやること。
2 再読
1で取ったメモを見ながら、なぜそう思ったのか、どこが良かったかを再検証する。
例えば、
このコマのAの顔かわいい→どこがかわいい?→普段無表情だから笑顔がかわいい とか
→なんでAは笑ったんだろう?→BがAのために〇〇してくれたから とか
自問自答で感じたことをとにかく掘っていく。これを何回も繰り返す。
多分ここが苦手で感想書けない人が多いと思うんだけど、この作業にはコツがある。
最初から相手に送ることを想定していると、無意識に身構えてしまうのか無難な感想しか出てこなくなる。
なのでとりあえずは自分が見返すためのメモなんだと思って書く。すると意外なほどすらすらと感想が出てくる。
ここでの言葉づかいは適当でOK。敬語なんて不要。ネットスラングや絵文字なんかも使っていい。
とにかく感じたままに書く。
3 文章化
例えば2の例なら、二つをつなげて「普段無表情なAが、Aのために〇〇してくれたBをみて笑った顔がとてもかわいかったです」って感想になる。
小学生の作文かって感じだけど、上手い文章を書くのが目的じゃないからこれでOK。
ここでネットスラングを普通の言葉に置き換えたり、敬語をつけたりしていく。
4 整形
あいさつは普通にメール送るときのやつでOK。締めのほうが重要。
「次も読みたいです」とか「新刊楽しみにしてます」とか、私はあなたの作品が好きでできればもっと読みたいということが伝わる文を入れること。
5 送る
手紙ならイベント会場で直接、メールなら同人誌の奥付に感想の送り先が書いてあるのでそこに送っておわり。
返信は期待しない。返事がないと「引かれたかも」「なんか気に障るようなこと書いたかな」とか思うかもしれないけど、気にしてもしょうがないので考えない。
ここを間違えて「感想を送るのは作者を応援するため」とか思っちゃうと、返事がないだけで「せっかく書いてやったのになんで」と闇堕ちする原因になる。
書けば書くほど慣れていくので、とにかくチャレンジしてみることが一番大切かも。
「独り言にて(ツイッターID:@hitorigoto4me)」です。
先日こんなエントリーを書きました。
PCデポの記事についてヨッピーさんにあれこれ聞いた話(前編)
https://anond.hatelabo.jp/20180902034231
で、わざわざ書くような事ではないかもしれませんが、ツイッターでヨッピーさんにブロックされました。
ただ、これは私がPCデポに関するツイートをやめる意思はなく(止められる筋合いもないですが)、ブロックしない限りそれがヨッピーさんに届く可能性はあるよ、という内容のツイートをした結果です(誰にもメンションを付けていませんが、エゴサの鬼であるヨッピーさんには当然補足されていると思います)。
そのため、単純にヨッピーさんは私のツイートをもう見たくないというだけの事で、それ以上の意味はないと理解しています。
ちょっと無粋かな、とも思ったのですが、書き留めておこうと思った事があります。
先般、ヨッピーさんとのやり取りを終えたのですが、最後ちょっとドタバタがありました。
(きちんと終了宣言をしており、ブロックで逃げられたという話ではありません、一応。)
そこでずいぶんヨッピーさんに悪者にされたような気がするのですが、当のヨッピーさんが書いたブログはなかなか酷い出来でした。
私の発言は古いものを使用しているし、相変わらず一番のポイントだった8/20の背景は都合の悪い事をカットしてあるし、私とのやり取りはなんだったのかな、と。
なんなんだよもう、と言いたいのはこっちです。
(ブログへの反論の一部は「追記」のエントリーに書きました。)
私にミスがあったのは事実で、そこを責められる事に反論はありません。
ただ、それでも全体として、私はそんなに文句を言われる筋合いはないと思うんですよね。
大原則として、私が私の文責(匿名ですが)で書く文章に対してヨッピーさんの検閲を受けるいわれはないからです。
下書きを見せたのは100%善意であって、私の誠実さ、公平さを証明するためのものでした。
と言っても私とヨッピーさん以外はこの経緯を知らないので、ここでざっと紹介しておこうと思います。
しかしツイッターは長文に向かず、私は長文を書く傾向にあるので、ヨッピーさんからメールでやり取りしようと提案がありました。
私はそれを了承し、以降メールでのやり取りになりました。
最終的に、ヨッピーさんが「T部長に確認してるんだから間違いはないと考えている。違うというのなら当事者の証言をもってこい」というような返答しかしなくなったため、それ以上続ける意味がないと判断してやり取りを終えました。
当事者の証言を求める割に、まさに当事者であるケンヂさんのツイートを提示しても「それはよく分かりませんが」と流してしまうので、それ以上何も答える気はないんだな、と判断しました。
その時私はPCデポに対して問い合わせをしていたので、その回答があり次第まとめの文章をどこかに公開し、それで終了とすると伝えました。
つまり、やり取りを終了するのは私から切り出した事で、文章を公開する前から終える事は決まっていました。
私がヨッピーさんを怒らせて、そのせいでやり取りが終わったという事はありません。
メールでのやり取りを始める前、ヨッピーさんからはメールの内容を公開してもいいとの話を受けていました。
そのため、私はまとめの文章を書くにあたって、メールの内容を引用するとしてもヨッピーさんの了承を得る必要はなかったと言えます。
それは、ヨッピーさんがメールでケンヂさんからのメールを一部引用していたからです。
ヨッピーさんのメール内容を引用するのは問題ないとしても、ケンヂさんのメールに言及した場合、どこまでOKかというのを確認する意味がありました。
なので最初は引用可能な範囲を尋ねたのですが、ヨッピーさんからは下書きを見せるよう求められました。
それで確認すると。
断る事もできましたが、それはそれで手段の1つなので、私は了承しました。
そして下書きを送った際、私は事実関係に明らかな間違いがない限り訂正には応じないと伝えました。
そして帰ってきたメールで、注釈を入れるよう求められたわけです。
注釈を入れるという了解は取ってないので、本来応じる必要はありません。
ヨッピーさんの言い方を借りるなら、そんな事は事前に言ってなかったのに、下書きを見せたらいきなり言い出したわけです。
しかし、ここは私のミスなんですが、「後編」で引用した部分しか見えていなかったので「このくらいならいいか」と応じてしまいました。
あの分量が来ていたのを知っていたら、断っていました。
そして見えていた分の注釈を追記して公開したところ、ヨッピーさんの抗議を受けた、というのが流れです。
メールの後半が省略して表示されていたのを見落として、入れる事を了承していた注釈を全部は入れていなかったのは事実です。
これは私のミスです。
なので、指摘を受けてメールを全文見ていなかった事が示された時点で「出先なので戻り次第確認して対応する」と返信しました。
ところが、ヨッピーさんはそれに対し「もう遅いし自分で書いたから対応しなくていい」と言ってきたわけです。
私はその必要もないのに下書きを見せ、事前に話のなかった注釈の挿入にも応じています。
注釈も当初確認できていた分については盛り込んでいるわけで、そこだけ見ても私が悪意を持って注釈を入れなかったと判断するのは無理筋です。
悪意があったのであれば注釈なんて全部無視しますし、そもそも下書きを見せたりしません。
ミスはあったとしても、私はやり取りを通じて、ヨッピーさんからの求めには誠実に対応してきました。
それを、たった1つ、しかもこんなミスでそこまで責めるの?と思うわけです。
しかも、自分で書いたというブログを読んだら、これがまた酷いわけです。
私の発言は過去のツイートから引っ張ってきており、メールでやり取りした内容、まとめで公開した文章もほとんど反映されていません。
私が対応した部分には触れず、「約束したはずの、僕の注釈が入ってない」と全く対応していないような書き方をしています。
2回に渡る解約ではケンヂさんが怒鳴って明らかにおかしな手続きに導いた事はスルーですし、8/19のアポ取りでは揉めた事までカットしています。
挙げ句の果てに、新しく出てきた背景を無視して「PCデポの要望だった」と主張しているんですね。
それで私には「反応を見る限り多くの人にはご理解頂いたみたいですし自分の説明責任は果たしたと思ってる」と伝えてきました。
そりゃあ、ヨッピーさんの都合のいいように事情を取捨選択して書いたら、ヨッピーさんのファンは納得するでしょう。
でも、背景を大分カットしているのもさる事ながら、今回のやり取りで新しい事実関係が出てきた事をスルーしているのは何なんでしょう。
しかも、ケンヂさんが不当な要求をして口論になったという話です。
8/20に店頭へ行く話に直結しているのに、そこを書かないで説明責任は果たしたとか、何の冗談でしょうか。
また、当時そう信じるのが妥当だったとしても、出てきた新事実を踏まえて「今」どう思ってるんでしょうか。
メールで尋ねた時も答えてもらえませんでした。
T部長は最初ケンヂさんが来る事を前提に身分証の提示を求めました。
これは私の憶測でもなんでもなく、ケンヂさん本人の語った事実です。
それを受けてPCデポ(T部長)がお父さんを連れてくるよう求めたのですから、この一連の流れをPCデポの責任だとするのは無理があります。
背景を無視してはいけないと私が繰り返し書いているのは、そういう事です。
身分証を持ってくるよう伝えなかった、としていますが、最初にケンヂさんに求めているじゃないですか。
対象がお父さんに変わっただけで、なんで不要になると思ったんでしょうか。
私の主張を憶測だと切り捨てる前に、新たに明らかになった事実を元にきちんと経緯を再検証してほしいと思います。
ヨッピーさんのブログは事情を知っていると「何言ってんの?」というレベルなのですが、さっき書いた「ファンは納得するでしょう」というのに思い至った時、疑問が解けた気がしました。
要するに、ヨッピーさんのブログは私の文章への反論ではなく、ヨッピーさんのファンに向けた文章なんです。
というのも、ヨッピーさんにとってはファンを抱えている状態が最も大切だからです。
ヨッピーさんはライターですが、フリーランスで、かつ専門分野を持っていません。
ここで言う専門分野とは、科学や技術、歴史、政治等、特定のジャンルについて凄く詳しいという意味です。
文章力は非常に高いですが、専門性のある内容を語る事はできないのです。
もちろんそれを責めているわけではありません。
ネットメディアは広告収入に大きく依存しており、広告収入にはPV(ページビュー、広告の入っているページの表示回数)が必要です。
そしてヨッピーさんはそのPVを集める能力がとても高いです(あと話を聞くタイプの取材も)。
だから専門がなくてもやっていけるのです。
ヨッピーさんの持つPVを支えているのはヨッピーさん自身の人気です。
忘れられないために発信をし続けないといけませんし、同時に自分の価値を毀損させてはいけないのです。
なので、自分の知名度を上げた記事について、情報の切り取りやおためごかしを使ってでも、誤りを認めるわけには行かなかったのだと思います。
このスタンスは、少し前にあった「広告記事のタイトルにPRの文字を入れるか問題」にも現れています。
ヨッピーさんは(その後入れるようにしたんだったと思いますが)入れなくてもいいという立場でした。
タイトルにPR表記を入れないで読んでもらうというのは、要するに読者を騙しているわけなので、筋論としては入れる方が正しいです。
しかしヨッピーさんはPVの量が武器なので、それを受け入れたくなかったんですね。
筋よりもPV、となってしまったのは、先ほど触れた専門性にも起因していると思います。
広告記事は通常の記事よりギャラが高い事が多いのでやりたいわけですが、ヨッピーさんの広告記事は、割とアレなんです。
ちょっと古い記憶で語っているかもしれず、そこは恐縮ですし全部がそうだと言うつもりはないんですが、アレというのは、広告する対象について知識もないし興味もないという事です。
頭皮エステ機器の記事だったと思うんですが、全く関係のない知り合いの引っ越しの話を延々として、最後に「あっそうだ」と使っているところの写真を数点載せ、製品の特性も売りも何も紹介しない、というのがありました。
ただ、ろくに使いもしない記事でその商品を魅力的だと思う人がいるでしょうか。
それって広告なんでしょうか。
レビューには勘所というものがあり、ある機能がどういいのか、過去の製品からどう進化したのか等、業界を長くウォッチしていないと書けないものが多いです。
ただ、それでも先ほどの記事が成り立ったのは、ヨッピーさんがPVを集められるからです。
数年前の記事なので、当時はいかにターゲット層に届くかではなく、どれだけのPVが見込めるかで広告を取れた時代だっただけかもしれませんが。
ともかく、知識量で勝る他のライターに競争で勝つため、PVを減らす施策は認めたくなかったのだと思います。
だから、あのブログにおいては物事の正しさや正確さなんてどうでもよく、ファンに向けて「俺は正しい」と説明し、ファンを繋ぎ留めておければよかったんですね。
一応フォローしておくと、詳しい内容は忘れましたが、どこか場所、地域(自治体?)を紹介するという広告記事がありました。
「行ってみた」という体験型の記事で、これはヨッピーさんの特性に非常にマッチしており、良記事でした。
特定方向に振った知識量を求められる記事でなければ、ヨッピーさんはとても良い仕事をされます。
単純に、得手不得手、向き不向きがあるというだけの話です。
ヨッピーさんは多分、ずっと私との対話を切り上げるタイミングを見計らっていたのだと思います。
私に落ち度があったら徹底的にそこを責めて私を悪者にし、自分の正しさをファンに見せる、そういうタイミングです。
都合よく私がメールの確認をミスったため、ここがチャンスと思ったのでしょう、徹底的にマウントを取りに来ました。
なんでこんなに怒ってるんだろう、と思ったのですが、ファンに向けて怒っていると見せる事が大事だったんですね。
ヨッピーさんはツイッターで「もういいです」等、私との対話を切り捨てるような内容のメッセージを送ってきました。
しかし、繰り返しますが、私は既にやり取りを終える事を伝えていました。
何も言わなくてもやり取りは終わるんです。
しかも、私がそれまできちんと対応してきたプロセスを無視し、私がミスに対応すると言っているのにそれまで断ったわけです。
そしてブログでは相変わらず時系列無視、事情を都合よく切り貼りとやりたい放題です。
ヨッピーさんとしては、ファンが読んで納得し、ファンとして残ればOKなのでしょう。
それが「多くの人にはご理解頂いたみたいですし」という発言につながっているわけです。
ただ、それって「信者ビジネス」と言われるイケダハヤト氏と同じ道ではないですか。
ぶっちゃけた話、私のような第三者が調べた程度で疑義が見つかり、突っついたら新しい事実(しかも展開に大きく関わっている)が出てきたという時点で、この件に関してヨッピーさんの発揮した取材力は知れているわけです。
協力を依頼したのはケンヂさんなのに、当のケンヂさんから事情を全部話すほど信用されていなかったという事です。
T部長からも話してもらえていなかったという事は、両者に取材したのにどちらからも重要な話を聞けていなかったわけです。
それで胸を張って取材したと言えるんでしょうか。
これはヨッピーさんのライターとしての特性だと思うんですが、相手が好意的に話をしてくれている時は素晴らしい記事を書けても、複雑な事情を深掘りするのには慣れておらず、何か隠している人から事情を聞き出すという事はできないんじゃないでしょうか。
認知症で老人ホームに入っている父親を連れてくるよう要請されたなんて、本来は秒で断る話です。
そこをケンヂさんがそう話したというだけで信じ、経緯を確認しなかったし重要だと思わなかったというのは、その程度の取材力しか発揮しなかったという事です。
ただ、それでも私を責めれば人気を維持できると考え、機を逃さず、私に対応する暇を与えずにブログを書き上げた、その嗅覚と手腕は見事です。
新聞が間違った事を書いて、SNSで叩かれるというのは日常的に見られる光景です。
それをおろそかにした時点で、ヨッピーさんは信者ビジネスに堕ちたと私は感じました。
オモシロ記事を書く能力はずば抜けて高いので、そっちに注力していれば良かったのに、と思わずにはいられません。
冒頭で無粋かも、と書いたのは、私は別にヨッピーさんの商売の邪魔をしたいわけではないのです。
直接ファンからお金を集め始めない限り、実害はほぼないとも言えます。
ただ、信者ビジネスのダシに使われたのかと思うと、これくらい書いてもいいんじゃないのかな、と思った次第です。
以上です。
サマータイム関連でマウント取りたいプログラマーがブコメやブログ書いてるけど
もしかしてこんなびっくり低レベルプログラマーが世の中のいろんなプログラミングしてるの?
サマータイムよりそっちの方が怖い。
プログラムで時刻を扱う場合はほぼほぼ100%ライブラリの機能を使う。
日付なり時刻を表すオブジェクトを作る。
そうしないと単純な引き算とか足し算が面倒だろ?
今から10日後ってどうやって計算する?一ヶ月は必ず30日じゃないんだぞ?
だからライブラリに任せる。そこそこのプログラマーなら面倒なことをいちいち実装しない。
で、そういう実装をすると内部で保存されてる時間情報と表示する情報は別物になる。
たいていは内部ではUTCで保存されていて、そいつを表示の時にJSTにする。
OSなりのロケール情報から何で表示するべきなのかを取って来てそれに合わせて表示させる。
サマータイム対応をする場合はこのロケール情報を変えるのであって、内部の時計は変更しない。
だからほとんど全ての時間的演算は影響を受けないし、コードを変える必要もない。
だから正確に言うとサマータイムが導入されても「時計は変更しない」
表示を変えるだけだ。内部時計と表示の関係をわかってない人が多すぎる。
はてなの(おそらくエアプ)プログラマーがその辺をわからずに記事にしてるのがほんとキモい。
で、そんじゃ影響はないか、っていうとそうじゃない。
さっきの10日後、みたいな演算は影響を受ける。2時間ずれる。
あと、簡単なところだとcronなんかのスケジューラは影響を受ける。
夜中の1時に実行するっていうcronの設定はロケールに応じて意味が変わるので、切り替えの時に1日に2回実行されたりするかもしれない。
ただ、利用者側に見えないところのスケジュール実行なら、ぶっちゃけサマータイム対応させる必要はないと思ってる。
サマータイムなんて所詮は人間が見たときの時間であって、内部の時計の話ではないからだ。
エクセルがタイムゾーンに対応していないとかの話もあるが、スタンドアローンで動いてるなら全く問題ない。
影響は皆無ではないしかなり大きいと思うが、OSの更新とかそんな大それた話ではないはずだ。(もちろん、将来的に変更する必要はある)
じゃぁサマータイム賛成なのか?って言われるとそれは別だ。
おそらくスケジューラの影響だけでも相当大変だし、それに関連したシステムの再検証とかどう考えても時間が間に合わない。
内部のコードがどうなってるかわからないから時間に関係してる・していないに関わらずシステムは全て再検証だろう。
どう考えても無理なのは無理だが、根本的に無理かと言われたらそうでもないはずなんだ。
もしかしてハードコードでJSTって書いてたり、独自の時間管理ライブラリを使ったりしてる人って結構いるのか?
String time = "2018-08-16 13:41:00"
とかやってんの?
スタンドアローンならそれでもいい(勝手に電源落として時計あわせりゃいい)が、そうじゃないシステムでそんなアホなことしてる人って多いの?
軽く調べたが(そもそも日本語ソースが少ない)、netsDGは「ヘイトスピーチ」を定義したり、その社会的妥当性や合意を表してるものじゃねーみたいたが?
https://www.google.co.jp/amp/s/iphone-mania.jp/news-205274/amp/
ドイツは元々右派への思想統制的な法律が多く、歴史の再検証も出来ない窮屈な国家の印象があったが、間違ってなかったと確信したよ。
この法ではむしろ、元あったヘイトスピーチ始めとする「違法」言論の定義が曖昧なまま厳罰化したせいで歪んでる。
いったいこの国では何が起こっているの?なぜノルトライン・ヴェストファーレン州の公式な警察サイトがアラビア語でツイートするの?そんなことで野蛮なムスリムの集団強姦する男どもを大人しくさせられるとでも思っているのかしら?
これは明らかに「ケルン大晦日集団性暴行事件」を受けての事であり、デマでも何でもない。極端に言えば「個人の感想」だが削除される。
これがダメなら、「地下鉄御堂筋事件があったから男と同じ車両に乗りたくない」もアウトだが、後者を責めるポリコレがあるか?
何がヘイトでそうでないのか?
量刑は?反転可能性は?表現の自由との兼ね合いは?リンチの危険性は?
これらの問いにちゃんと答えられるポリコレ信者って見たことない。
あなたはどうかな?
ドイツが「NetzDG」なる「検閲」をしてまで守りたいものを説明できるのか?
McAfee ……。お前……。……。
新年早々、申し訳ないんですが。宜しかったら、愚痴聞いて頂けませんか?……
メモリ増設したんですよ。ええ。自作PCに。挿したのはクリスマス前だったんですけど。
PCのメモリ増設 なんてモンは。 PC改造の初歩も初歩。逆に失敗する方が難しいぐらいだけど、
そうは言っても失敗した時の被害も大きいので、若干慎重に丁寧に作業すれば、まぁ大丈夫な改造ですよ。
えぇ……。トラブリましてね……。
ウッキウキで増設して、メモリが増えてるの確認して、何時も通り楽しく使ってると、
幸い、原因の方は分かっているので、この時点では面倒臭いが深刻な問題では無いと考えてました。
作ったのは4年前。OSは[Windows 8.1 Update] マザーボードは[H87-PRO] CPUは[Core i5-4570] システムドライブはSSD
メモリは[DDR3-1600 4G]×2の合計8G ←これに、今回 DDR3-1600 4Gを1枚足して、計12Gに なるはずだが……。
→ 症状変わらず……。何で?…… 起動はでき、一見普通に使える。が、短時間で突然のシャットダウンと再起動を繰り返す……。……。
しかも、強制再起動時にUEFIを呼び出そうとすると、UEFIさえ固まる。……。えぇ……。
確認の為、新たに購入したメモリの方をWindows付属のメモリ診断でチェック。メモリエラーは無し。……。……。
控えめに言っても、比較的新しく、そして安定している環境の筈。
ブルースクリーンと言う単語さえ聞かなくなって久しい。筈……。
どう考えても、メモリ増設程度でブルースクリーンさえ表示されずに強制停止するような環境では無い。しかもUEFIが固まるって……。
頭を抱える。……。
◇念のため、試用として別HDDドライブに入れていたWindows 10も試す。
この時点で、自分では対処出来ないレベルだと認識。メイン環境の不具合の出なかったWindows 10での再インストールを決断。
しかし、データサルベージと環境の再構築の為にも、ある程度は復旧させたい。
→ 徐々にメインのWindows8.1の環境を初期設定に近づける事を画策。
☆[ページファイルが無効]になっているのに気付き!、デフォルトに再設定。ページファイルを無効にした記憶はない筈だが……。
→ 何とかエラーと『ブルースクリーンが見れる』状況になる。が、起動後おおよそ10分強でブルースクリーンと共に強制再起動は変わらず……。
年末は試用Windows 10環境でメインの再インストールの下準備を進める。
復旧の為のチェックリストを作りつつ。ISOイメージ、各種最新ドライバを揃える。
→▽強制再起動時に一瞬しか表示されないエラー表示画面をケータイで撮れば良い事に気付く! ……。
写真を見ながらエラーをググるが、日本語では分かり易い情報は無い。
まさかw 最近のセキュリティソフトがそこまでシステムに干渉する訳が無い。第一、原因はメモリの増設だ。
そもそも、セキュリティはデフォルトのWindows Defenderしか使ってねぇ。
……。……。……。
Flash最新にした時、McAfee憑いてきてたっけか?…… どうせ再インストするし、試しに削除しとくか。
……。……。……。
McAfee ……。お前だったのか。……。……。
おめぇがマルウェアじゃねぇか……。
えっ?! 俺の今までの手間暇、ストレス、不安、恐怖は?!?!?!
どうやら、Windows 8.1環境でFlashに憑いてくるMcAfeeを入れたままにして、メモリを増設すると。システムが壊れるっぽい。
ここまで、愚痴を読んでくれた人、ありがとな。
本当だったら悲しいな
でも以前こういう(透過して重ねただけ)検証は再検証すると重なってなかったりするという話を聞いたことがあったから、イマイチ信用できなかった。検証雑すぎるし透過重ねでも言うほどトレース感がない、せいぜいポーズ参考したのかな?ぐらい
ただ私は絵を描かないしたくさんの人がうわこれはって言ってるからそうなのかな、どうなんだろ、不安だなと思っていた
しかも最初に出回った検証画像はフォトショ加工されてる可能性がある?えっ?
ゾッとした。怖かった。
誰かが不当に作品を貶めようとして、おそらく成功しかけていることに。
微妙に線ズラしてるから悪質、まんまトレースじゃないってそれはもうトレースと呼ぶものじゃないじゃないですか
ズラして書こうとしたら全身のバランスずれるからやってないんじゃないかなみたいな。
疑惑のイラストは肩や腰がズレてるからわざわざズラして描くと細かい調整が必要になって、ポーズ参考して描く方がずっと楽だって
私は絵を描かないからわかんない
わかんないけど
でもあやふやな検証が出回ってそれを信じる人がいて、って現状がとても怖い
構図が近いって言っても今回話題にあがってるのはポールダンスの正式な技で、技名で検索かけたら似たような構図の写真がたくさん出てくることだってあった
わかんないけどトレースじゃないらいしってことは思った
そんで著作権についても色々調べて、仮に構図を参考にしていたとしても著作権違反にならないものだなとも思った。
ポーズには著作権ないし、構図が特殊かと聞かれるとポールダンスの技の構図(その技が魅力的に見える、一般的な構図)はだいたい決まってくるから。だから多分、構図にも著作権は発生してない
(私は写真そのものやイラストそのものの著作権についてではなく、それに映った、描かれたポーズや構図について著作権が発生しないという話をしています)
でも過去の判例とかも見たうえで問題になるようなものじゃないんじゃないかなって思った
服のオマージュについて色々言ってる人は一回意匠権って調べてきてくれ……あと私は他の作品、それも多くの作品で「このキャラの着てる服これっぽいね!似てるね!」てのを見たことあるけどそれはいいのにユーリだけダメなの?
意味わかんないや
なんか、何かを「なんとなく受け付けない」「この辺が嫌い」って言うのはわかるけど、あやふやな情報信じて「この作品はクソ!」「この作品好きな奴は頭がおかしい」って言うのは信じられない
1月 スターウォーズ新作でパンツが見えなかった怒り冷めやらぬ中で『フランス組曲』が公開されるも見えたシーンがあったような気もするが記録なし。『シーズンズでは2万年の地球』はパンツが見えなかった。『オデッセイ』でもパンツは見れなかった気がするが試写会だったためネタばれを自重し記録なし。
2月 『ブラック・スキャンダル』はパンツの見えそうな映画ではあるが記録なし。『ガラスの花と壊す世界』ではガラスのパンツが見えたわけねえだろ記録なし。『傷物語〈Ⅰ鉄血篇〉』では見えてたではなく見せてたレベルで見えた。次に見た『SHERLOOK シャーロック 忌まわしき花嫁』では忌まわしきパンティーが見えていたかの記録なし。『ヘイトフル・エイト』ではパンツじゃなくて男フェラが見えたので気分が悪く記録なし。
3月 『ザ・ブリザード』はパンツを見せてる余裕もなさそうだったけど記録なし。『ちはやふる -上の句-』は見えなかったことを記録したつもりも記録なし。『X-ミッション』はCG無しの超絶アクションを見せるもパンツは見せなかった気がするが記録もなし。
4月 『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』ではパンツは誕生しなかった。『ルーム』は男の子のパンツは見れたもののパンティーは見れなかった。『フィフス・ウェイブ』でも5つのパンティーが見えるなんてことはなかったと思うが記録なし。
記録なしのは見えてそうなシーンがある映画も結構あるので再検証が必要ですがしません。
トラバでつづく
自分の手で検証できていないからリリースできないと正直に答えた。
何故そうなるのかが理解できないようだった。
お前が自分のチームを使って完成させたと思っているそのプログラムは、俺が全部再検証して問題点を全部潰してからリリースしているんだよ。
フィードバックしないのは至って簡単で、こいつにもこいつの部下達にも教えるだけ無駄だから。
「本当に」ちゃんと検証したのならすぐに気がつく部分ばかり間違えているから。
常識のレベルで配慮しなければならないものにも手を回さないから。
有り体に言えば「信用できない」から。
どんなに出来ましたと言われても信用できない。
自分が自分の手できちんと動くことを確認し、出来に納得したものでなければ信用できない。
俺の目にはそれは作るだけ作ってノーテストで放置しているのと違いがわからない。
明らかに途中で問題が起きたはずなのに出来たと言って回してくるようなバカにどうして仕事を預けられるのか逆に問いたい。