2024-11-18

相手否定して支持される時代終焉

東京都知事選蓮舫

衆議院総選挙共産党

アメリカ大統領選挙カマラハリス

兵庫県知事選の稲村和美

もちろん個々の要因はいろいろあるので「これが唯一の要因」なんてことは絶対ないけど、彼らが負けた理由ひとつに「相手否定して支持される時代が終わりつつある」ことが挙げられるんじゃないかと思う。

アメリカのことはよく知らないので日本の話をするけど、若年層では「相手否定すること」が嫌われるというのはよく言われる話だし、街中でも怒鳴り合いの喧嘩をしているような場面に出くわすことはほとんどない。

日常の中で「相手自身否定する」ことがないと、それをやっている人は内容の当否以前に「何か怖い人」「理性的に話せない人」という印象になるのはまあ当然かなとも思う。

あ、稲村和美がそういうことをしていたのかはちゃんと見ていないのでわからない。もししていなかったら申し訳ない。

ただ、支持者はだいたい「斎藤元彦はNG!」というトーンだったという認識

ちなみに増田自身はこの傾向は良い傾向だと思っている。

理由は単純で、「『相手ダメである』ことは「自分相手より良い」ことを証明しない」から

本当に自分相手より優れていると思うなら相手否定する必要なんかなくて、自分が優れていることを説明すればいいだけ。

権力は必ず腐敗する論」なんかも同様で、本当にそう思うなら相手否定せず「権力一定期間で交代する必要がある」ことを訴えればいいだけ。

(まあ、それをやるといずれ自分に返ってくるから言えないのはわかるけど。ちなみにこの論を唱えている人は「いずれ自民党権力を返す」ことまで想定して主張しているんだろうか?)

批判自体NG」「意見の主張がNG」までいくとさすがにまずいと思うけど、今は学校でもディベートの授業があったりするし、働いていれば方針に対する議論改善提案(現状を批判的に見てどう変えるか)なんかは普通にあるので、まあそこまで酷いことにはならないんじゃないかな。

一方で、「誰かを敵にして共感を集める」手法ますます効果を高めているような気がして、ここは不思議だし良くないなーと思う。

直接相手否定すると見ている側はそちらに自分投影してしまうけど、「自分たちではない誰かふわっとした集団」だと、属性が違えば気にならないのかな。

そういう風潮自体を嘆くのは簡単だけど、たぶん「否定を嫌う」空気は今後もっと加速していくだろうし(だって自分否定されたくないでしょ?)、勝とうと思うならそのあたりの風潮は踏まえた上で戦略を立てる必要があるんだろうなと思った次第。

  • 野球やサッカーの監督を批判してる底辺のおっさんとなんも変わらんからな。 そんなやつに国の舵取りは任せられん。

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